2013年01月30日

海賊戦隊ゴーカイジャー妄想物語その10


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アカレッドはガレオンに乗って宇宙に旅立っていきました。
一方、地球に残された34戦隊の192人の戦士たちは、ザンギャックとの戦いが終わった以上、もはや34戦隊が集まっている必要も無いので各戦隊ごとに分かれて解散することにしました。
ただ、1つその場で取り決めたことは、彼らは今回のザンギャックとの戦いに際してその存在を世間に向けてある程度公にしましたが、この後は再び世間から姿を隠そうということでした。
もともと姿をおおっぴらにせずに戦っていた彼らにとっては、戦いが終われば元通りの目立たない生活に戻るのは当然とも云えましたが、特に今回世間から姿を隠すと決めた最大の理由は彼らが変身して戦う力を失ったからです。要するにザンギャック帝国の今後の動向を意識しての措置であったのです。

ザンギャック帝国も今回の侵略軍の全滅で地球から完全に手を引くということは考えられない。必ずまた侵略軍を差し向けてくるでしょう。だが今回かなりの規模の侵略軍を全滅させられたという事実も重い。強大無比なザンギャック帝国といえども戦力の立て直しに多少時間は要するであろうし、これほどの大軍を全滅させた敵を警戒もするでしょう。中途半端な軍を送って再び敗れるわけにはいかないでしょうから、万全の準備で次の侵略軍を送り込もうとしてくるはずで、戦力の立て直しも含めて準備にはそれなりに時間を要するはずです。
但しそれは今回の侵略軍を全滅させた「スーパー戦隊」という未知の敵が健在であればの話です。スーパー戦隊が今回の侵略軍を全滅させた代償で戦う力を喪失したと知れば、ザンギャック帝国は安心してすぐにでも普通の規模の第二次侵略軍を送り込んでくるでしょう。そしてスーパー戦隊が戦う力を失い、そのうえ通常戦力も枯渇した現在の地球はその普通規模の侵略軍に対しても為すすべも無く蹂躙されてしまうでしょう。
だから、スーパー戦隊が戦う力を失ったということは絶対にザンギャック帝国に知られてはならない。そのためにスーパー戦隊は姿を隠すのです。人前に姿を晒したままであれば、戦う力を失ったことはすぐにバレてしまうが、これまで通りに人前に姿を見せない状態に戻るのであれば、戦う力を失ったことはバレにくくなる。幸い、もともとスーパー戦隊は人前に姿を見せず正体を明らかにしない方針を貫いてきたので、戦いが終わって再び姿を隠しても大して違和感は無い。
ただ、今回の戦いで一旦人前に姿を晒し、中には正体をバラしてしまった者もおり、もともと正体が知られていた戦士たちも存在している以上、今までと全く同じように完全にスーパー戦隊の状況を隠蔽することは出来ない。例えばゴーゴーファイブなどはもともと日常的に変身して活動していたし、海城や明石などは今回正体を明かしてしまった。これらの戦士たちは戦いの後も出来るだけ目立たないように努めても、いずれは世間から動向を注目されることになる。
当初は日常において変身などして戦う力を行使しない理由として、ザンギャックとの戦いで負傷したとか装備が欠損したとか言い訳をして誤魔化すつもりでしたが、いずれは戦う力を失っているということもバレるでしょう。そしてそこから綻びが生じて、スーパー戦隊全体が戦う力を失っているという事実がいずれは露見するでしょう。
だが、とにかく姿を隠して上手く誤魔化すことで、1年か2年ぐらいはスーパー戦隊が戦う力を失っていることは隠し通せると海城たちは考えました。アカレッドは1年ぐらいで宇宙に散った「大いなる力」と35番目のスーパー戦隊と共に戻ってくると言っていましたから、1年か2年ぐらい上手くザンギャックにスーパー戦隊の無力化という事実がバレないように世間を誤魔化し続けていれば、その間にアカレッドが戻ってきて、35番目のスーパー戦隊が計画通りにザンギャックのいない平和な宇宙を作り直せばザンギャックは消滅して地球も宇宙も救われる。
仮にそれが上手くいかなかったとしても、少なくとも35番目のスーパー戦隊が地球を守るためにザンギャック軍と戦ってくれる。また、もし35番目のスーパー戦隊が期待外れで地球を守るために戦わないというのなら、その時はアカレッドが持ち帰って来た34戦隊の「大いなる力」を奪還すれば、34戦隊が再び戦う力を取り戻すことも出来る。
つまり、1年以上2年以内の期間、なんとか34のスーパー戦隊が戦う力を失ったことを隠し通してザンギャック軍を警戒させ続けて、その再侵略を遅らせることが出来れば、その間にアカレッドが帰還し、どっちに転んでも地球を守るために戦える態勢が整うことになるのです。

そのために、まずは34のスーパー戦隊は世間から身を隠すよう努めることにしました。
海城はザンギャック侵略軍の全滅をイーグル本部に監視衛星などを使って確認させると、イーグルの長官や国連などの名義で戦争の勝利と集結を全世界に公表させて、自分も含むスーパー戦隊は表には出ることはなく、ひっそりと表舞台からフェードアウトすることとしました。
だがザンギャック帝国に対する示威の意味も込めて、最終的にゴーオンジャーやシンケンジャーやゴセイジャーも含めた34のスーパー戦隊の活躍でザンギャック全軍を殲滅して地球を守りきったことは国連名義で明確に公表したので、地球の人々は地球を守ってくれたスーパー戦隊には深く感謝し、栄光を拒否して表舞台からひっそりと姿を消したスーパー戦隊の奥ゆかしさを褒め称えました。
そうして、もともとが伝説的な存在であったスーパー戦隊は、戦いが終わって再び人前から姿を消して栄光の伝説となったと見なされ、いつしか人々の間で「レジェンド戦隊」と総称され、スーパー戦隊の戦士たちは「レジェンド戦士」と呼ばれるようになりました。そこには再び地球が危機に陥れば再び何処からか現れて地球を守ってくれる伝説の正義のヒーローという意味合いも含まれた名称でありました。
こうしてレジェンド戦隊は人々の前から姿を消し、その名声はますます高まっていき、いつしか2011年の秋から冬にかけて行われたザンギャック軍との戦役は人々の間で「レジェンド大戦」と呼びならわされるようになっていきました。
しかし、地球の人々はただレジェンド戦隊を褒め称えていればいいというような呑気な状況でもありませんでした。一般の人々や通常軍の関係者などの多くも、再びザンギャック帝国が侵略軍を送り込んでくることは有り得ると予想していましたので、まずは今回の戦争で荒れ果てた街や産業を復興させ、通常軍も再建しておかなければならないと考えました。
とにかく猛威を奮ったザンギャック軍のせいで地球上の通常軍がほぼ壊滅状態となっているだけでなく、地球上の街という街は荒廃し、産業は大打撃を受けており、まずはそれらを復興しないことには軍の再建にも取り掛かれない状況で、対ザンギャック戦争前の軍事水準に戻すには3〜4年はかかりそうな状況でした。それまでザンギャック軍が再侵略を待ってくれるか分からないわけですが、それでも地球の人々はまずは復興のために懸命に立ち働くしかない。
そうした人々の気持ちの支えとなったのが、地球の危機にはきっとまたレジェンド戦隊が現れて地球を守ってくれるという確信でありました。本当はそのレジェンド戦隊は戦う力を失っているのですが、こうした復興に取り組む人々の当初の心の支えとなったという意味でも、レジェンド戦士たちが姿を隠して自分達が戦う力を失ったことを隠したことは有意義であったといえます。
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 19:52 | Comment(0) | 海賊戦隊ゴーカイジャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月28日

「スーパーヒーロー大戦」および「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」について

ちょっと他の用事の方に集中していたもので、しばらくブログ更新をサボっていました。
ゴーカイジャーの妄想物語の続きも超マイペースで続けていこうと思っていますが、
今回は先日「特命戦隊ゴーバスターズVS海賊戦隊ゴーカイジャーTHE MOVIE」を鑑賞してきたので、
その感想を書きます。

まぁ、この映画は一応、海賊戦隊ゴーカイジャーが登場する
「海賊戦隊ゴーカイジャー」の一連の映像作品シリーズの1つということになりますので、
「ゴーカイジャー」に関する考察やレビューや妄想を主としているこのブログとしては
採り上げないわけにはいかない。
当然、私も公開初日にこの映画を観に行きました。
もちろん現在も劇場公開中の映画ですから、
その細かな内容を今ここでレビューするつもりはありません。
ざっくりした考察と感想ぐらいを書いてみようかと思いました。

だが、よく考えてみたら、この「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」は
「ゴーカイジャー」の一連の映画シリーズでは、
「199ヒーロー大決戦」を1作目とするならば5作目ということになり、
当ブログではこれまで1作目「199ヒーロー大決戦」、2作目「空飛ぶ幽霊船」、
3作目「ゴーカイジャーVSギャバン」については触れてきましたが、
4作目にあたる「スーパーヒーロー大戦」についてはまだ全く触れていませんでした。

4作目に触れずに先に5作目に触れるわけにもいかない。
「スーパーヒーロー大戦」については現在継続中の妄想物語の中で
内容的にはいずれ触れようと思っていましたが、
この調子ではそれは何時のことになるか分かったものではありません。
それまで「ゴーバスVSゴーカイ」の感想を待つわけにもいきませんので、
この場で「スーパーヒーロー大戦」のごく簡単な考察と感想だけやっておいて、
その後で「ゴーバスVSゴーカイ」について触れたいと思います。

というか、そもそも「スーパーヒーロー大戦」という映画の
「ゴーカイジャー」の物語の中における位置づけというものをどう判断すべきかという問題は、
この「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」を観てからの方が考察しやすかったのだといえます。
だから、「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」鑑賞後のタイミングで
「スーパーヒーロー大戦」について考察するのは、
ある意味では必然的なタイミングであったのかもしれません。

まぁ春に「スーパーヒーロー大戦2」というやつがあるらしくて、
そこにマーベラスぐらいはちょっと出てきそうな予感もするので、
厳密にはこの「スーパーヒーロー大戦2」を観てからの方がより正確な判断が出来そうではあります。
「2」と銘打つぐらいですから、「1」同様かなりアバウトな作風なのでしょうが、
それでも一応「複数のヒーローが同時に存在する」という
「スーパーヒーロー大戦」の物語世界をシリーズ化しようという意図はあるようです。
だから「2」を観れば「1」の物語世界を読み解くヒントがあるのかもしれないが、
そもそも「2」が「1」とは全く別の世界の話であったとしても、
「スーパーヒーロー大戦」シリーズの場合は不思議ではない。
そういう曖昧な話を待っていても仕方ないので、
やはりこのタイミングで「スーパーヒーロー大戦」について触れたいと思います。

公開期間の終わっている映画なので詳細な内容をレビューしても差し支えは無いのですが、
それはここではやりません。
1つ目の理由はレビューする意欲があまり湧かない作品だからです。
有体に言えば「つまらないから」ということになりますが、
一応フォローすると「駄作」ではないです。
かなり特殊な作風ですが、正直言って劇場で観た時は面白く満足できました。
入場料を返して欲しくなるような代物ではなかったです。
ただ、多大な労力を割いてレビューをしたくなるかというと、それはさすがにムリです。
そういうレベルの「つまらなさ」です。

私は結局「ゴーバスターズ」のレビューも挫折しましたが、
それでも「ゴーバスターズ」は観続けています。
いやさすがに最近はちょっとキツいんですが。
まぁ「シンケンジャー」なんかは傑作だと思ってるんですが、
それでもリアルタイムでレビューはしませんでした。
私のレビューに懸ける情熱なんてそんな程度で、
「ゴーカイジャー」は特殊な全戦隊集合作であったので、
戦隊愛ゆえにレビューを続けることが出来たに過ぎません。
だから、よほどのことでなければレビューはしません。
そういう高いハードルには「スーパーヒーロー大戦」は達さなかったということです。
なんだか情けないんだから、上から目線なんだかよく分かりませんが、
とにかくそういうことで、「スーパーヒーロー大戦」は駄作ではないが
レビューするほど面白いわけではなく、
それは「ゴーカイジャー」のような特殊な作品以外の全てに当てはまる現象といえます。

だが、よく考えたら「スーパーヒーロー大戦」も「ゴーカイジャー」同様に
全戦隊集合作品であり、当のゴーカイジャーもメイン扱いで登場しているのですから、
「ゴーカイジャー」同様にレビュー対象になっても良さそうなものですが、
まぁそのへんはやはり完成度や作風、作品思想的なものが
「ゴーカイジャー」とはかなり違うから、やはりムリだと言うしかないです。
端的に言えば「戦隊愛」が無いのが一番の理由かもしれません。
「戦隊愛」のあるものに対してはレビューする意欲が湧くのかもしれません。

そういえばレビューまでには至らなかったものの
「アキバレンジャー」についてはかなり入れ込んでしまい、
非公認でありながらいずれは何か記事にしたいなどとも思っていたりします。
セカンドシーズンも決定したようで楽しみです。
「アキバレンジャー」も「ゴーカイジャー」とは全く別方向で
「戦隊愛」の極致のような作品ですから、そこに惹かれたのかもしれません。

また、「スーパーヒーロー大戦」の本格的に詳細なレビューをやらない理由としては、
このブログがあくまで「ゴーカイジャー」をメインに扱うブログだからというのもあります。
「スーパーヒーロー大戦」にゴーカイジャーはメイン扱いで登場しますが、
それでもゴーカイジャーだけがメイン扱いというわけではない。
その他の部分もかなりあります。
そこの部分まで詳細にレビューする意義がこのブログ的にはイマイチ感じられないのです。

そして、そういった真正面から作品に向き合った本格的レビューではなく、
「スーパーヒーロー大戦」をゴーカイジャーをメインにした切り口で解釈し直した物語に関しては、
いずれゴーカイジャー妄想物語の中で触れる予定であります。
だから、現時点で「スーパーヒーロー大戦」の詳細なレビューをするつもりはない。
また同様の理由で「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」の詳細なレビューも現時点ではやりません。

そういうわけで、ここではまず「スーパーヒーロー大戦」の簡単な考察と感想をやります。

この2012年4月21日公開の「仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦」という映画は
もともと2008年以降恒例となっていた春公開の
「仮面ライダー電王」の映画シリーズの枠の作品です。

2007年1月から2008年1月にかけてTV本編が放送された
平成仮面ライダーシリーズ第8作「仮面ライダー電王」は
それまでの他のシリーズ作品同様に夏の劇場版映画が2007年8月に公開されました。
当時のライダーシリーズの劇場版はこの夏映画1本体制であったので、
普通はこれで終わりなのですが、「電王」はオタク層にカルト的な人気作品となったため、
TV放送終了後に劇場版が引き続き作られるという例外的展開となりました。
その結果、2008年10月に「電王」TVシリーズの後日談といえる映画「さらば電王」が劇場公開され、
ここにおいて佐藤健の演じる野上良太郎を主役とした「電王」の物語は完結しました。

ところが「電王」TVシリーズ終了後に作られた映画はこれだけではなく、もう1つ、
「さらば電王」に先立って2008年4月に「電王&キバ」が公開されました。
「さらば電王」がTVシリーズの完結篇であったのに対して、
この「電王&キバ」はTVシリーズの番外編的な作品で、
これも主役はやはり佐藤演じる良太郎ですが、
TVシリーズとは微妙に設定の違うパラレルワールドっぽい話でした。

この「電王&キバ」はそのタイトル通り、
「電王」の次の平成仮面ライダーである「キバ」との競演作品で、
平成ライダーシリーズ初のクロスオーバー作品となります。
これが翌2009年5月公開の「電王&ディケイド」に引き継がれ、
電王はキバの次のライダーであるディケイドとも映画で競演することとなりました。

この「電王&ディケイド」になると主役は佐藤演じる良太郎ではなくなり、
2号ライダーのゼロノスの少年時代が主役となり「超・電王シリーズ」と銘打たれています。
つまり良太郎主役の従来の「電王」のメインストーリーとは明らかに一線を画した
派生作品として位置づけられたと言えますが、
実質的には「電王」本編から「さらば電王」へ至って完結するメインストーリーの流れとは別個に、
前年の良太郎主役の「電王&キバ」からこの流れは始まっていました。

この「超・電王シリーズ」の当初の狙いは
あくまで人気作品である「電王」の世界観を使って新たな物語を作って
引き続き映画の興収やDVDの売上を増やしたいということであったと思います。
「電王」の「時間移動」という特殊な世界観や、
イマジンという着ぐるみレギュラーキャラの人気という特殊要素が、
新たな物語を派生させて主役の良太郎役の佐藤のスケジュールも度外視して
新たな映画を作ることを可能にしたというのも大きなポイントでした。

そうして始まった「超・電王シリーズ」の映画の公開日が
ちょうどTVシリーズの方で新ライダーが放送開始して1クール経った頃であったため、
ついでに新ライダーの宣伝も兼ねて電王側のキャラとキバやディケイドのキャラを
競演させていたものと思われます。
実際「電王&キバ」にしても「電王&ディケイド」にしても、
キバ側のキャラやディケイド側のキャラの劇中における扱いは
あくまでゲストであって物語のメイン扱いではない。
物語はあくまで電王側のキャラを中心に展開していきます。
クロスオーバー作品ではあるものの、あくまでメインは電王なのであり、
キバやディケイドはTVシリーズ宣伝のための顔見世的な扱いでしかないのは明白でした。

ところがこの状況が変わったのが、
より積極的なクロスオーバー作品である2009年の「ディケイド」の登場以降です。
「ディケイド」の過熱したクロスオーバーワールドは
「超・電王シリーズ」の単なる顔見世的なクロスオーバーの存在意義を希薄にしてしまい、
そもそも「ディケイド」の次のライダー「W」が9月開始になったために
春公開の「超・電王シリーズ」の映画で新ライダーの顔見世をする意味自体が無くなってしまいました。
新ライダーの顔見世は2009年8月の「ディケイド」夏映画におけるWの先行登場以降は
ライダーの夏映画で行われるようになり、
更には2009年12月にはディケイドとWのガッツリ競演する
冬のライダークロスオーバー映画「MOVIE大戦」が作られて、
以降は毎年恒例行事化します。

その結果、2010年春の「超・電王シリーズ」映画は変則的な3本立てで、
そのうち2本はそれぞれゼロノスとNEW電王が主役で
他の作品とのクロスオーバー要素は無しとなりました。
この3本立てのトリロジーシリーズは何やらカッコいいキャッチコピーがついていましたが、
要するに3本立てになったというのはおそらくはこの時期
「超・電王シリーズ」の今後の方向性に迷いがあったからであろうと思います。

超電王的なクロスオーバーの意味が無くなったということも大きな原因でしょうが、
それよりも根本的な問題として
「電王」の世界観自体がそろそろ飽きられ始めていたというのがあります。
そんな中で「超・電王シリーズ」の新たな可能性を模索して
ゼロノス主役の一篇とNEW電王主役の一篇も作られたようですが、
結局はそれらの路線は採用されず、3本立ての残りの1つ、
「ディケイド」に登場した2号ライダーのディエンドを主役とした
「お宝DEエンド・パイレーツ」のような本格的なクロスオーバー路線への脱皮が
「超・電王シリーズ」枠の新たな方向性として採用されたようです。

ここまでの「超・電王シリーズ」は全てあくまで電王側のキャラがメインでありましたが、
この「お宝DEエンド・パイレーツ」は
「ディケイド」のキャラであるディエンドが明らかに主役であり、
電王キャラは脇役に回っています。
ディエンドが主役に選ばれた理由は、
現行作品である「W」の1つ前のライダー「ディケイド」の登場キャラの中で
電王側のキャラと一番絡ませやすかったからであろうと思われます。
確かにディエンド主役ではあるものの物語はあくまで電王の世界観の中で繰り広げられ、
電王キャラも物語に不可欠の舞台装置的な存在とはなっていますが、
ドラマ的にはあくまでディエンドの物語であって、電王側キャラは明らかに脇役ですから、
とにかく電王キャラ以外のキャラがメインを張るというのは
「超・電王シリーズ」としては画期的な展開です。

その延長線上のものとして2011年度の春の「超・電王シリーズ」映画は
更に本格的クロスオーバーを急加速させて、
歴代全ての仮面ライダーとコラボする「レッツゴー仮面ライダー」を製作しました。
この映画では現行ライダーである「オーズ」の火野映司やアンクと共に
電王キャラも同格の主役扱いということになっていますが、
それはこの映画が「歴史改変」を主軸として物語が展開するために
電王の設定が不可欠の舞台装置として使われているからです。

そういう意味では「お宝DEエンド・パイレーツ」と似ているのですが、根本的に違う点は
「お宝DEエンド・パイレーツ」があくまで
「電王の世界観の中でいかにしてディエンドの物語を描くか」という点から出発しているのに対して、
「レッツゴー仮面ライダー」は最初にライダー生誕40周年ということで
全ライダー総登場映画を作ることが前提で、
それを「超・電王シリーズ」枠で上映する以上は電王の世界観に絡めて
描かなければならないという発想で「歴史改変」を主軸とした物語が構想されたという点です。

つまり「お宝DEエンド・パイレーツ」まではあくまで
「超・電王シリーズ」の新たな可能性の模索という前向きな姿勢が見られたのに対して、
「レッツゴー仮面ライダー」では主目的はライダー誕生40周年記念の
全ライダー競演映画を作ることになってしまっており、
電王的な要素というのは「超・電王シリーズ」の枠を使うための
エクスキューズとしてしか捉えられていません。

極論すれば、別に電王の世界観でなくても全ライダー競演映画は作ろうと思えば作れるのです。
実際「ディケイド」の劇場版の2本はあくまでディケイド的世界観だけで
過去作品の多数のライダーとの競演作品を製作出来ています。
例えば「オーズ」の世界観だけでも「時空や世界を超える謎のコアメダル」などという設定を作れば、
全ライダー競演映画を作ることも出来たでしょう。
しかし「超・電王シリーズ」の開拓した上映枠を使っているので一応は電王を立てて、
電王の世界観をメインに据えて物語を作ったのだといえます。

その結果、電王側のキャラは現行作品のオーズ側のキャラと
あくまで対等のメイン扱いになったのだから上出来といえますが、
このように「お宝DEエンド・パイレーツ」「レッツゴー仮面ライダー」と、
「超・電王シリーズ」枠で2作品連続して電王が舞台装置的にしか機能しなかったという経験を経て、
製作サイドは「電王」という作品にはTV本編が終了して3年経った現在、
もはや新たな物語を生み出す力は無いという事実を悟ったのでしょう。

その一方で「電王」を舞台装置としてしか使わなかった
「レッツゴー仮面ライダー」は大ヒットしました。
ハッキリ言って映画の内容的には「お宝DEエンド・パイレーツ」以前の
「超・電王シリーズ」の方が面白いと思うのですが、
やはり歴代コラボ企画は客を呼べるのです。
商売で映画を作っている以上、この事実は重く、
東映としてももはや新たな物語を生み出せない従来の「超・電王シリーズ」から
歴代コラボ路線にシフトせざるをえません。

過去の作品に頼る路線が健全ではないこと、
こんな路線にいずれ限界があることなど東映ももちろん承知の上でしょうが、
それは限界に近づいた時にまた次の展開を考えればいいのであって、
現時点では明らかに電王よりも歴代コラボ作品の方が客を呼べるわけですから
今はとにかく歴代コラボ路線に行くしかない。

2009年の平成ライダー10周年記念作品「ディケイド」の衝撃以降、
しばらくの間は「シンケンジャー」「W」「ゴセイジャー」「オーズ」というように
ライダーも戦隊も通常営業となっていましたが、
この2011年は東映創設60周年にして仮面ライダー生誕40周年、
そして戦隊側もシリーズ35作記念として歴代戦隊総登場企画
「海賊戦隊ゴーカイジャー」が展開した年であり、
明らかに滅多に無い歴代コラボ企画の「商機」であったのは間違いありません。

内容や方向性が気に入らないという意見はあるであろうし、
私も少なくともライダー方面に関しては半ばそれに賛成ですが、
それでも「商機」というものはそういう理屈や嗜好は超えたものであります。
この商機を逃すのは商売的には完全に間違っています。
だから2011年に「レッツゴー仮面ライダー」という
内容的にはあまり名作ともいえない作品が生み出されたことや、
「超・電王シリーズ」の当初のコンセプトが放棄されて歴代コラボ企画にシフトしていったことも、
時代の流れ的に当然の成り行きだったと思います。

また、2011年に「オーズ」の後を受けて始まった新ライダー「フォーゼ」の
基本的な世界観の中に昭和から続く歴代ライダーの存在が都市伝説として存在していたことも
そうした風潮の影響でしょう。
まぁ「ライダーは都市伝説」という設定そのものは「W」の時点で若干仄めかされてはいましたが、
「フォーゼ」ではそれがより明確に示されました。

「フォーゼ」のTV本編ではその設定は結局活かされることはありませんでしたが、
2011年の年末のオーズとコラボした「MOVIE大戦MEGAMAX」では
1号からストロンガーまでの「伝説の7人ライダー」が登場してフォーゼやオーズと競演し、
更にはWの左翔太郎やフィリップも登場して共闘した結果、
「W」以降の第二期平成仮面ライダーシリーズは
「伝説の7人ライダー」をはじめとする歴代ライダーが
都市伝説として存在する世界であることが仄めかされたといえます。

それまでの「MOVIE大戦」はこのような歴代コラボ企画とは無縁であったことを考えると、
やはりこれも2011年という特殊なアニバーサリー・イヤーの賜物といえます。
実際、翌2012年の年末公開のウィザードとフォーゼ競演の「MOVIE大戦アルティメイタム」では
この歴代コラボ傾向はエスカレートすることはなく、むしろ縮小し、
競演したのはW以降の第二期平成ライダーのみとなっています。
まぁアクマイザーとかポワトリンとかイナズマンと競演はしていますが、
フォーゼ夏映画のキョーダインや大鉄人17も含めて、
これらに関しては歴代ライダーや歴代戦隊とのコラボとは意味合いが違っていて、
版権が切れる前に一度使っておこうという意図もあるようです。

とにかく、東映におけるクロスオーバー熱が異常に高まった極点は
2011年であったと考えればいいでしょう。
まぁ2011年の「MEGAMAX」にしても「レッツゴー仮面ライダー」よりはかなり面白かったので、
こっちは内容的にも満足なのですが、興収的には「レッツゴー」の方が上なのですから、
やはり内容よりも競演戦士の数の方が観客動員に直結するというのが現実なのかもしれません。

それにコラボといっても「MEGAMAX」の場合は
クライマックスのMOVIE大戦パートだけ7人ライダーとの競演となっており、
オーズパートにしてもフォーゼパートにしてもそれぞれの物語を描くことが主眼となっており
歴代コラボは重視されていません。
それはウィザードとフォーゼの2012年MOVIE大戦アルティメイタムにしても同じことです。
内容的に満足できるというのはこのあたりのお蔭なのでしょうが、
一方で「レッツゴー仮面ライダー」は全編が歴代コラボ重視で、
物語的に破綻が多く感じられるのもこのあたりが原因でしょう。

ただ、それでも「レッツゴー」の方が客を呼べる。
これはもう単純に過去のライダーの方が作品やキャラの持つパワーが
現在のライダーよりも上なのです。
そしてこれはライダーだけではなく戦隊についても言えることです。
もちろん映像技術や特撮技術、アクション技術の進歩もあって、
現在のヒーローの方が過去のヒーローよりも格段にスタイリッシュで格好いいです。
でも、単純に1971年当時に「仮面ライダー」を観た人の数と
現在「仮面ライダーウィザード」を観ている人の数を比べれば、「仮面ライダー」の完勝でしょう。
少子化の影響もあり、テレビ離れの進行の影響もあり、
このあたりは現在はどんなにクオリティの高い作品を作っても超えられない壁といえます。

つまり単純に圧倒的に知名度が違うということです。
「知られている」というのは非常に重要なことで、
世間的にはこれこそが「作品の持つパワー」といえます。
「ウィザード」や「フォーゼ」でどんなに面白いエピソードを作ったり、怒涛の展開を見せたとしても、
そんなことをメディアが注目して採り上げてくれることなどありません。
しかし一方でどんな駄作であっても仮面ライダー1号やゴレンジャーが登場する、
懐かしのライダーや戦隊が勢揃いすると聞けば、
あらゆるメディアがこぞって採り上げて紹介してくれます。
これが圧倒的な作品パワーの差というやつです。
もちろん、だからといって何の脈絡も無く歴代コラボばかり繰り返していても
飽きられるし呆れられるでしょうが、
東映にとって2011年という年はその反則技のような歴代コラボを堂々とやれる
滅多に無い商機であったわけですから、それを逃す馬鹿はいません。

そしてその流れの中で作られた「MEGAMAX」は2011年12月公開で、
年が明けて2012年になっても上映は継続しており、
更には戦隊側の歴代コラボの一大企画「ゴーカイジャー」は
年が明けて2012年になってもクライマックスに向けて継続しており、
2012年1月にはこの年に30周年を迎える宇宙刑事ギャバンとのコラボまで実現する。
このように東映にとって滅多に無いアニバーサリーイヤーであった2011年の勢いは
2012年になってもまだまだ継続することは予定されていました。

ならばその流れに乗って2012年の早い時期にもう一花咲かせたいという考え方が出てきて当然であり、
春映画の「超・電王シリーズ」は
既に「電王」そのものには新たな物語を作る力は失われて白紙の状態となっており、
前年には歴代ライダー総登場の「レッツゴー仮面ライダー」をやったという流れもありますから、
2012年度の春の「超・電王シリーズ」枠もコラボ企画で埋めようということになったのは、
ごく自然な流れであったと思います。

ただ歴代ライダー総登場は前の年にやってしまってますので2年連続で同じことは出来ない。
そこでちょうど同じタイミングで歴代総登場企画をやっていた「ゴーカイジャー」とコラボして
歴代ライダーと歴代戦隊を総登場させたらいいということになったのでしょう。
「ゴーカイジャー」は2月で終了で電王映画は4月あたり公開ですから
撮影スケジュールのタイミング的にもちょうどいい。
そもそもライダーも戦隊も2011年は歴代ヒーローや怪人などのスーツや着ぐるみを
かなり揃えていましたので、せっかくだからそれらを再利用しない手は無い。

ただ歴代ライダーだけでなく歴代戦隊まで登場させるとなると、
電王の世界観の時間移動だけでは舞台装置として不足です。
何故なら歴代ライダーならば過去に遡れば巡り会えるのですが、
そもそも別のシリーズの登場キャラである歴代戦隊には
いくら過去に遡っても出会えるはずはありません。
つまり時間移動ではなくて、もっと根本的な世界の壁を超える舞台装置が必要になってくる。
それが可能な実績を持つライダーは歴代でただ1人、
かつてTVシリーズ本編で33番目の戦隊であるシンケンジャーの世界に現れてコラボしたことのある、
無限の世界を旅するライダー、ディケイドだけです。

だからこの歴代ライダーと歴代戦隊の総登場映画「スーパーヒーロー大戦」は
ディケイドをメインに据えて、ディケイドの世界移動能力を舞台装置とした映画となっており、
「超・電王シリーズ」の映画でありながら遂に電王側のキャラは劇中でメイン扱いでもなく、
メインの舞台装置として使われることもなく、
脇役としてもさして重要でない扱いとなってしまいました。

簡単に言えば「電王」の要素が無くてもこの映画は成立してしまうのです。
ただ、それでも「電王」が開拓した上映枠を使っているという意識によるものか、
この映画でも一応は「電王」の舞台装置である「時間移動」にもやや無理に役割を与えており、
その結果物語は更に混乱してしまっていたりするのですが、
そんな犠牲(?)を払ってでも「電王」の顔を立てる気はあったようです。
ただまぁ何にしても2年連続で歴代戦士企画で時間移動ネタもメインで使えないのであり、
そもそも「電王」には新たな物語ももはや作れないのですから、
この映画で「電王」をメイン扱いしないことは仕方ないことだとは製作側も了解していたはずで、
これもまた時の流れの結果の必然といえます。

何にしてもこの映画は「超・電王シリーズ」枠の後継企画であり、あくまでライダー映画です。
実際スタッフも「超・電王シリーズ」の担当スタッフが主であり、
戦隊側はあくまでゲストと考えていいでしょう。
「超・電王シリーズ」の後継企画としてとりあえず2012年度は
全ライダーと全戦隊のクロスオーバー映画をやることになり、
そのために最も都合の良い「ディケイド」の世界観を使うことになり、
電王キャラではなくディケイドが主役となったというだけのことです。

そしてディケイドはあくまでライダーですから
ライダーと戦隊のコラボがあくまで対等なものとするのであれば
戦隊側にもディケイドと対等の主役級のキャラがいなければいけない。
それでゴーカイジャーがこの映画のもう1つの主役として起用されたのは、
一見極めて自然なことのようにも思えます。
歴代ライダーのクロスオーバー企画のTVシリーズの主役であったディケイドと
対等扱いとなり得る戦隊といえば、
歴代戦隊のクロスオーバー企画のTVシリーズの主役であった
ゴーカイジャーしかあり得ないと考えるのが当然のことのように思えます。
いや実際、ディケイドと同等の扱いが可能な戦隊は確かにゴーカイジャーぐらいでしょう。
ただ、それはあくまで「格」の問題であって、
ゴーカイジャーはディケイドと全く同じというわけではありません。

そもそもこの映画の基本舞台装置であるはずの「物語世界の壁を超える能力」は
ディケイドには備わっていますがゴーカイジャーにはそんな力はありません。
ゴーカイジャーは単に35戦隊が共存する物語世界に生まれた35番目の戦隊であり、
宇宙を旅して地球にやって来たに過ぎず、
この物語世界から出て行くこともなく、別の物語世界からこの物語世界にやって来たわけでもない。

一方ディケイドは様々な物語世界を旅して回っています。
そして「ディケイド」TV本編でも詳細に描かれていましたが、
ディケイドである門矢士には通りすがったそれぞれの旅先の世界で
何らかの役割が与えられていました。
クウガの世界では警察官であったり、シンケンジャーの世界では黒子であったりしていました。
つまり士が立ち寄った世界にはそれぞれの世界における門矢士というキャラが存在している。
士はどの世界も自分の本来居るべき世界ではないと自覚しているが、
客観的現象としてはそれぞれの世界にそれぞれ異なった門矢士は存在しており、
どの世界も士の居る世界になっています。

要するに士の存在するパラレルワールドが多数存在しているということになり、
士はパラレルな自分の存在する世界を旅して回っており、
それぞれの世界に入るに際してそれぞれの世界の自分になるというプロセスを繰り返しています。
客観的現象としては単に多くのパラレルワールドにそれぞれ門矢士が存在しているだけなのですが、
ディケイドの物語の特殊な点は、それぞれの世界の門矢士は
全員がその世界が自分の本来いる世界ではないと自覚しており、
本当の自分は様々な世界を旅しているのだということを知っているという点です。

厳密には第1話の終わり近くで「夏海の世界」に居た士はその自覚を取り戻して、
自分の本来居るべき世界を探して世界を巡る旅を開始し、
その旅先の様々な世界で士が現れるたびに
その世界における士というものが何らかの役割を割り振られて存在するようになるようです。
「ディケイド」の物語は必ずそういう構成になっている。

そして結局、士の本来いるべき世界というものは見つかってはいない。
夏映画で「士自身の世界」というものが描かれましたが、
あれも結局本物の「士の世界」であったのか怪しい。
仮にもともとそうであったとしても結局は士がそこに落ち着くことを拒絶して旅を続けた以上、
ディケイドには「本来居るべき世界」というものは存在せず、
そうして世界を巡る旅を続けることがディケイドにとっての本来あるべき姿であるというのが
「ディケイド」の物語の結論ということになるようです。

ならば、この「スーパーヒーロー大戦」において士が存在している世界もまた、
士にとっては「通りすがった世界」の1つに過ぎないことになるし、
士と同じように異世界を旅する存在であるディエンド海東や鳴滝にとっても
それは同様のこととなります。
士や海東や鳴滝にもこの「スーパーヒーロー大戦の世界」において
それぞれ割り振られた役割というものがあるが、
この世界の他の住人たちと異なり彼らは自分達が本当は異世界の旅人であって
この世界で割り振られた役割は本来の自分の真実ではないことを自覚している。

この映画を観る限り、海東のこの世界で割り振られた役割が何であるのかは毎度のごとく判明しないが、
士の場合は大ショッカーの大首領、
鳴滝はその配下の大幹部ドクトルGという役割が割り振られています。
何処か別の世界からこの世界へやって来た士はこの世界に入るなり
いきなり大ショッカーの大首領となり、
別ルートでこの世界にやって来た士の宿敵の鳴滝は皮肉にも士の部下であるドクトルGとなって
士と再会を果たすこととなりますが、
士にしても鳴滝にしてもそれぞれの役割が本来の自分のやるべきことでないことには自覚的であり、
士は毎度のごとく、自分のこの世界で与えられた役割を懐疑して
この世界の真実とは何なのかを探求しようとし、
鳴滝は毎度のごとく士のこの世界での役割の邪魔をして、あわよくば士の抹殺を図ろうとします。
そして別口でこの世界にやって来た海東もまた毎度のごとく
この世界で自分が手に入れるべきお宝を探しつつ、士のやることにちょっかいをかけてくる。
そういった「ディケイド」TV本編でお馴染みの構図がこの映画でも繰り返されている、
いわば「仮面ライダーディケイドのスーパーヒーロー大戦の世界篇」というのが
この映画の本質といえます。

士が世界を巡る旅の途中で立ち寄ったこの世界は
全てのライダーと全てのスーパー戦隊が集結して、
ライダー陣営と戦隊陣営が戦いを繰り広げる世界でした。
ライダーや戦隊は元来は悪の組織の怪人たちと戦うヒーローなのですが、
この世界においてはヒーローと悪の組織は本質的には敵同士でありながらも、
ライダー陣営と戦隊陣営は同一世界に共存は不可能というルールがあり、
敗れた陣営は消滅してしまうということになっているため、
自らの存在を守るために元来は敵対関係にあるヒーローと悪の組織が一時休戦して
当面の最大の敵との戦いを優先している。
すなわちライダー世界のヒーローや怪人が大同団結したライダー陣営と
戦隊世界のヒーローや怪人が大同団結した戦隊陣営に分かれて戦っているのです。

これは「ディケイド」TV本編の終盤の「ライダー大戦の世界」と似た構図で、
それぞれのライダー世界が融合したライダー大戦の世界で
共存不可能なそれぞれのライダー世界を守るために、
同一世界のライダーと怪人が休戦して手を組んで
別のライダー世界のヒーローや怪人と戦っていたのと相似形の設定といえます。

この「スーパーヒーロー大戦の世界」の場合は
全てのライダーが集まった陣営と全ての戦隊が集まった陣営が
2大勢力となって戦いを繰り広げており、
それに伴ってライダー世界の悪の組織も大同団結して大ショッカーという巨大組織を形成しており、
一方で戦隊世界の悪の組織も大同団結して大ザンギャックという巨大組織を形成している。

大ショッカーにしても大ザンギャックにしても、
その目的はライダーや戦隊と戦うことではなく、
自らの世界の存続のために当面の敵と戦うために大同団結しています。
すなわち、大ショッカーはライダー陣営に協力して全ての戦隊を倒すことを目的としており、
大ザンギャックは戦隊陣営に協力して全てのライダーを倒すことを目的としている。

ただ、さすがに本来は敵同士であるヒーローと怪人が
仲間同士のように馴れ合うわけにもいかないので同一組織となっているわけではなく、
ライダー陣営と大ショッカー、戦隊陣営と大ザンギャックは
当面の巨大な敵と戦うために一時休戦して緩やかに連帯している関係といえます。
その連帯の象徴としてなのか、大ショッカーの大首領には1人のライダーが推戴されており、
同様に大ザンギャックの大皇帝にも1人の戦隊メンバーが推戴されている。
その大ショッカーの大首領は仮面ライダーディケイドであり、
大ザンギャックの大皇帝はゴーカイレッドなのです。

ディケイドはもともと別の世界で大ショッカーの首領という役割であったこともあり、
世界の破壊者という異名も持っており、悪と通じるイメージがあるので、この人選は適当といえます。
またゴーカイレッドももともとは賞金首の海賊であり、純粋な正義のヒーローというわけでもなく、
悪の組織の首領が務まりそうな数少ない戦隊メンバーの1人ですからこの人選は適当といえます。

ライダー陣営のリーダーは1号ライダー、
戦隊陣営のリーダーはアカレンジャーであるようなのですが、
ディケイドはライダー陣営の一員であると同時に大ショッカーを束ねて戦隊陣営と戦い、
ゴーカイレッドは戦隊陣営の一員であると同時に大ザンギャックを束ねて
ライダー陣営と戦っているということになります。
つまり門矢士=ディケイドのこの世界で与えられた役割は
大ショッカーの大首領として全てのスーパー戦隊を潰してライダー世界を守り抜くことでありました。

また、この世界における大ショッカー自体の独自の目的というものもあり、
それは戦隊陣営に属する大ザンギャックを戦隊陣営と共に潰して、
大ザンギャックの所有するある秘密のアイテムを奪い、
それと大ショッカーの所有する秘密のアイテムとを合わせることによって
「宇宙最高の宝」を手に入れるということでした。
そして大ザンギャックもまた同様に「宇宙最高の宝」を狙っており、
大ショッカーを潰してアイテムを奪おうと考えている。

こうした世界の構図の中、つまりこの世界で士に与えられた役割は
「全ての戦隊を潰してライダー世界を守ること」と
「大ザンギャックを潰して宇宙最高の宝を手に入れること」ということになっていました。
だが、士は毎度のごとく、この世界における自分の役割を懐疑して、
この世界の真実は別にあるのではないかと考え、
自分のこの世界でやるべきことも何か別にあるのではないかとも考えます。

一方で大ショッカーの大幹部ドクトルGとしてこの世界に現れた鳴滝は
大首領である士の側近として士を補佐しながら、
彼もまたその自分に与えられたこの世界でのその役割を懐疑します。
鳴滝はとにかく士があらゆる世界で役割を果たすことを
「世界を破壊する行為」だと見なして敵視しており、
士の役割を邪魔することを自分の使命と見なしており、
あわよくば士を抹殺することが世界のためになると思い込んでいます。
だから鳴滝は士のこの世界での大ショッカーの大首領としての役割、
すなわち「全ての戦隊を潰してライダー世界を守ること」
「大ザンギャックを潰して宇宙最高の宝を手に入れること」という二大目的を
邪魔して潰そうと画策し始めます。

つまり鳴滝は鳴滝なりにこの世界の在り方を変えようとするのです。
といっても鳴滝はこの世界をどうこうしたいという何らかの理想を持っているわけではなく、
とにかくただ単に士の目的をぶち壊しにしてやりたいだけですから、後先は深く考えていません。

鳴滝は大ショッカーの幹部連中を秘かにそそのかします。
要するにこの世界ではライダーと戦隊が共存出来ないのであって
悪の組織同士は共存できないわけではない。
ならばライダーと戦隊が全部いなくなれば
自分達の存在の危機は回避された上に邪魔者であるヒーローもいなくなって
悪の組織にとっては一石二鳥ということになる。
だから大ショッカーと大ザンギャックはライダーと戦隊にそれぞれ表向きは協力して
それぞれ戦隊潰し、ライダー潰しを遂行しつつ、
裏では手を結びライダーと戦隊の同士討ちによる全滅を目指し、
最終的には大ショッカーと大ザンギャックが合同して「宇宙最高の宝」も手に入れればいい。

鳴滝は大首領ディケイドにバレないように
このように大ショッカーの幹部連中をそそのかし、
その計画に乗った大ショッカー幹部たちは
大ザンギャック幹部たちにも大皇帝ゴーカイレッドにバレないように連絡をして
この計画を持ち掛けました。
この計画に大ザンギャックの幹部連中も乗って、
こうして秘かに悪の組織同士の同盟が結ばれて、
彼らは何も知らない大首領ディケイドと大皇帝ゴーカイレッドを上手くおだてて
ライダーと戦隊の潰し合いを促進させることにしたわけですが、
この鳴滝の動きは士は実は把握していました。

鳴滝はいつも士が旅先の世界で与えられた役割を果たすことを警戒し、
その役割を邪魔しようとする気持ちが強すぎるために、
士が役割を果たそうとしていることを前提に行動しますが、
士は士で一見状況に流されているだけのような態度でありながら
実は常に旅先の世界の在り方を懐疑しているので、
それゆえ鳴滝の一歩上をいくことが出来るのです。

この世界でも士はドクトルGが鳴滝であることにはもちろん気付いており、
鳴滝がどうせ今回も自分の役割を邪魔しようとしてくることも予想していました。
むしろ鳴滝の仕掛けてくる妨害工作を通して
この世界の真実の姿を発見するヒントが見えてくるのではないかと士は考え、
鳴滝の動向を監視していたといえます。
そして鳴滝が自分を裏切って大ザンギャックと手を組み
ライダーと戦隊の潰し合いを画策していると知った時、
士はその危機を脱して鳴滝を出し抜くためには戦隊陣営と裏で手を組むしかないと考えましたが、
ライダーと戦隊はこの世界では相容れない存在なのでそれは一見無理と思われました。
だが、そこで士はその「ライダーと戦隊はこの世界では相容れない」という
この世界の常識そのものを懐疑し、
それは実はこの世界の真実ではないのではないかと気付いたのです。

士の場合、謎めいているのは「あらゆる世界の記憶を秘めている」という点で、
これが士(および鳴滝や海東)の本当の正体に関わってくる秘密なのだと思われますが、
今回の話は結局そこには踏み込むことはありません。
あくまで「ディケイド」の旅先の1つの世界でのエピソードに過ぎないからです。
今回の世界でも士はこのようにこの世界の真実の一端に気付いたことによって、
一気にこの世界の全体像を「思い出す」ことが出来たようで、
実は大ザンギャックの大皇帝に収まっている「宿敵」ゴーカイレッドこそが
この場合に士が秘かに手を組むべき最適の相手だということも
士は「思い出した」のでした。

ゴーカイレッドのマーベラスは当初は
「この世界ではライダーと戦隊は相容れない」という常識を信じ込んでおり、
大ザンギャックの大皇帝に収まっている自分の境遇に一切疑問を感じていなかったようですが、
士から秘かに連絡を受けてこの世界の真実について説明されるうちに、
この世界における本当の自分を思い出したようで、
ディケイドの計画に秘かに協力することになりました。
ここで士の説明で一気に記憶が戻るあたりで、
マーベラスが他の戦隊メンバーとは違って、
この世界の戦隊メンバーの中では何か特別な存在であることも分かります。
士もそれが分かっているからこそマーベラスを協力者として白羽の矢を立てたのだといえます。

その士とマーベラスの計画は裏切り者を一網打尽にして
未然に鳴滝の計画を防ぐというようなことではありませんでした。
そんなことをしてもこの世界の真実は見えてこないし、
ライダーと戦隊の潰し合いが止まるわけではない。
士の狙いはむしろ鳴滝を泳がせて大ショッカーと大ザンギャックの大同団結による
巨大な悪の組織の出現を促し、
その巨大な敵を前にして危機に瀕したライダー陣営と戦隊陣営の
協力関係を結ばせることであったのです。
おそらくそこまでしなければ、互いに相容れないと信じ込んで潰し合う
この世界のライダー陣営と戦隊陣営を和解させることは出来ないだろうと士は考えたのであり、
マーベラスもその計画に乗ったのでした。

そうして士とマーベラスはそれぞれ大ショッカーと大ザンギャックに騙されたフリをしながら、
積極的に士は全ての戦隊を倒していき、
マーベラスは全てのライダーを倒していくことにしたのですが、
実は2人は戦隊やライダーを倒したと見せかけて士の特殊能力を用いて異空間に隠して保護しておき、
いよいよ全戦隊と全ライダーがいなくなって安心した大ショッカーと大ザンギャックが
その本性を現すのを促し、それを異空間から全戦隊と全ライダーに見せて危機を認識させて
団結させようとしたのでした。

士とマーベラスの計画はこういうものであり、
この計画に至った経緯はだいたい以上に推理したようなものだったのでしょう。
しかしこの映画はこうした経緯説明をいっさい省略して、
士とマーベラスがこの計画を既に始動させて
それぞれ戦隊狩り、ライダー狩りをしている場面から始まっているため、
当初は何だかよく分からないものとなってしまっています。
しかもその後も延々と2人の行動の真の意味が説明されることは無く、
まぁおそらくこれが2人の真意だということはないのだろうと観客に想像はさせつつも、
いったいどうしてこんな展開になっているのかの経緯も全く描かれないため、
観客側はずっと戸惑い続ける羽目となってしまっています。

確かに最初から全ての種明かしをするわけにはいかないとしても、
いきなり全ライダーと全戦隊が同時存在している奇妙な世界で、
いきなりディケイドとゴーカイレッドがガチで戦隊狩りやライダー狩りをしているという
想像を絶する展開において、いったいどうしてそうなっているのかについて
経緯の説明が一切無いというのは妙です。

例えばほぼ同一スタッフによる「レッツゴー仮面ライダー」においては
どういう経緯で歴史改変がなされて奇妙な世界が出現することになったのか
詳細に説明してくれています。
せめてこの映画でも士がこの旅先で立ち寄った奇妙な世界に接して戸惑うシーンや、
そこから何らかの考えの結果、何らかの決断を下すことを示唆するシーンでもあれば、
まだ観ている側も共感のしようがあるのですが、
これでは観客側も士やマーベラスに徹底拒絶されているような妙な気分になってしまいます。

どうして製作側は経緯描写を一切省略したのかというと、
おそらくまず考えられる理由は、
それはライダーと戦隊の描写のバランスをとるためであったのでしょう。
つまり経緯説明をするとどうしてもディケイドがメインの話になってしまうので、
ライダーと戦隊が同等の扱いの映画ではなくなってしまうことを危惧して、
経緯説明も無くいきなり士とマーベラスが対等の立場で戦隊狩り、ライダー狩りを
している場面から始めることにしたのであり、
その後もその対等性を保つためにディケイドメインになりがちな経緯説明は
一切挟まないことにしたのでしょう。
最終的な謎解きも何やら説明が中途半端なのも同じ理由によるもので、
とにかくこの映画は終始一貫して戦隊側とライダー側の描写バランスに気を遣うあまり、
内容的な説明は二の次になってしまっているフシがあります。

まぁライダーと戦隊のこれほど大規模なコラボは史上初のことなのですから、
慎重になるのも仕方ないといえますが、
その結果、この映画の魅力は大幅に削られてしまっていると言っていいでしょう。

この映画の魅力といえば
まず何と言っても「全ライダーと全戦隊が一堂に会して戦う」という点であり、
これに関してはクライマックス戦闘場面はそれなりに魅力は描けていたとは思いますが、
クライマックスの大逆転に至る前の展開の中では
各戦隊や各ライダーはディケイドとマーベラスに無様に狩られる描写に終始してしまっており、
それについて一切の事情説明が無く、謎解き後も説明不足のために
やはり釈然としないものが残り、
歴代ライダーファン、歴代戦隊ファンにはあまり愉快ではない、
爽快感に欠けた内容となってしまっています。

そして仮に歴代戦士が魅力的であったとしても、やはりそれだけではこの映画は成立しない。
「レッツゴー仮面ライダー」も集客増の決め手になったのは歴代ライダーであったとしても、
それでも現役ライダーのオーズの魅力無くしてあの映画は成立しませんでした。
同様にこの「スーパーヒーロー大戦」も現役ヒーローの魅力無くしては成立はしません。
そしてダブル主役のディケイドとゴーカイジャーのどちらが真の意味で現役戦士なのかというと、
それは当然ゴーカイジャーの方でしょう。

ディケイドはこの映画公開時点でTV本編が終了して2年8ヶ月、
完結篇といえる冬映画から数えても2年4ヶ月も経っており、
それに比べてゴーカイジャーはこの映画公開時点でTV本編終了してまだ2ヶ月しか経っておらず、
冬にどうせVS映画が控えていることも考えれば半ば現役戦隊と言ってもいい。
小さい子供たちはディケイドのことは名前は知っているかもしれないが、
この映画でディケイドとゴーカイジャーのどちらを目当てにして観に行くのかと問われれば
多くはやはりゴーカイジャーと答えるでしょう。

いや、もっと正確に言えば多くの子供たちが本当に目当てにしているのは
既にTV本編の終わったゴーカイジャーではなく、
ましてや2年以上前に終わっているディケイドでもなく、
やはりこの映画公開時点での本当の現役ヒーローであるフォーゼやゴーバスターズでしょう。
しかし、撮影スケジュールの関係でフォーゼやゴーバスターズはあまり描くことは出来ず、
物語の構造的にもフォーゼやゴーバスターズでは物語の核にはなり得ないので、
この子供たちの期待は叶えることは出来ない。
それでもやはり極力子供たちの期待に応えようとして、
製作側はフォーゼやゴーバスターズには出来る限りの活躍をさせたと思いますが、
それでもある種の期待させすぎの予告詐欺的な結果となったことは否めません。
それもこの映画のガッカリする点の1つなのですが、
これはさすがに大人の事情である程度は仕方ない。

要はそうした不満を吹き飛ばすぐらい
ディケイドとゴーカイジャーで楽しませることが出来ればいいのです。
特に子供たちに向けてはゴーカイジャーの魅力がここでは重要なポイントです。
しかし、これが惨憺たる有様なのです。
その最大の原因はこの映画が前述のように戦隊とライダーのバランスをとるためなのか、
異常に説明不足だからです。

いや、「説明不足」というものが必ずしも悪だとは言うつもりはありません。
玩具販促などの約束事に縛られた状態において
30分番組で1年間およそ50話ほどの中でも
謎の多いSF物語における謎を全て不足無く説明など出来ていないのがライダーや戦隊の現状です。
「ゴーカイジャー」TV本編にしたって、例えばアカレッドとはいったい何者だったのか
視聴者の子供たちに明快に説明など出来ていませんし、
数多く登場した歴代レジェンド戦隊がそれぞれどういう戦隊であったのかについても
現在の視聴者の子供たちから見れば謎だらけの有様です。
スーパーヒーロータイムとは極論すれば
説明不足な状態の中でいかにヒーローの魅力を立てていくのかの工夫の勝負の場といえます。

ゴーカイジャーというヒーローももちろんそうした説明不足状態の中で
魅力を培ってきたヒーローの1つなのですが、
それでもゴーカイジャーの場合、
彼ら自身の背景事情の説明はかなりしっかりとしてきた戦隊であります。
言い換えれば背景のしっかり説明された中でこそゴーカイジャーは魅力を発揮するのであり、
この映画のような事情がよく分からない中で動かしても
あまり魅力は発揮できないヒーローなのだと言えます。

ディケイドならば何だかよく分からないがいきなり戦隊狩りを始めても違和感は無いキャラです。
そうしたワケの分からなさも含めた整合性のとれないところも
ディケイドの魅力の一部となっているのです。
だが同じ悪漢キャラでもマーベラスはそういう不整合な行為はあまり似合いません。
それなりに脈絡のある中での乱暴狼藉がマーベラスというキャラの魅力であり、
筋はしっかり通し、特に仲間に嘘は決してつかないのがマーベラスの侠気というものです。

ディケイドの悪の魅力は狂気であり、
マーベラスの悪の魅力は侠気であるとも言えます。
同じ悪でも性質が違うのです。
だから仲間をも困惑させ、明らかに仲間に嘘をついているこの映画のマーベラスは
全くマーベラスらしくなく、マーベラスとしても本来の魅力を発揮できていません。
制作側はあまり深く考えずに単にバランスをとるためなのか、
マーベラスに士と同種の行為をさせてしまっていますが、
それは士においては魅力的ではあってもマーベラスにおいては決して魅力的ではない。

そのマーベラスに理由も分からないまま振り回されるだけの
他のゴーカイジャーのメンバーにしても同じで、
そこにはゴーカイジャー本来の魅力は皆無です。
キャラ自体は極めて魅力的な連中なので、
画面に出てきて動くだけで何となくそれなりにサマになってしまっていますが、
決定的な背景事情の説明不足によって全く本来の魅力にはほど遠い酷い有様なのです。

特に6人の絆こそがゴーカイジャーの魅力であるのに、
マーベラスとジョーとハカセを除いた3人は登場してすぐに一時退場してしまいますから、
ますますゴーカイジャーとしての魅力は半減状態で、
この映画公開の2ヶ月前にTV本編最終盤で見事な仲間の絆を示したことから考えると
その落差はガッカリなどというレベルは軽く超えてしまっています。

ただ、このゴーカイジャーのこの映画における無残な状況は
一方的にゴーカイジャー側が被害者なのかというと、それはそうとも言い切れない状況です。
むしろゴーカイジャー側に責任の多くがあるのではないかとも考えられ、
下手すればゴーカイジャー側のせいでこの映画に致命的ダメージを与えてしまったのかもしれない。
それは「ゴーカイジャー」TV本編の終盤の製作進行の遅れが
悪影響を及ぼしたのではないかという話です。

もともとこの映画の製作は「ゴーカイジャー」TV本編の製作終了後に
そのまま移行して進める予定だったようです。
ところが「ゴーカイジャー」の終盤の脚本の仕上がりが遅れ、必然的に撮影も遅れてしまい、
結局はこの映画の撮影時期とゴーカイジャー最終盤の撮影時期が重なってしまって、
かなりスケジュール的に悲惨なことになったようです。
もちろんTV本編が優先されますから、悲惨なことになったのはこの映画の方です。
ゴーカイジャーのメンバーのうちルカとアイムと鎧の3人が早期に一時退場する羽目になったのも、
この撮影スケジュールの問題と無関係ではないかもしれません。

ただ、なんといっても致命的であったのは、
この映画の脚本が仕上がった時点では、「ゴーカイジャー」の最終盤のシナリオが完成しておらず、
この映画の脚本は「ゴーカイジャー」のTV本編がどのように終わるのか
詳しいことは分からないままで書かねばならなくなってしまったことです。
そうなると下手に突っ込んだ描写をしてしまうと
「ゴーカイジャー」TV本編の展開との間に矛盾が生じてしまうかもしれないので、
どうしてもゴーカイジャーに関しては詳細なドラマは描けず曖昧な描写に終始するしかなくなる。
そして、そうなるとどうしてもバランスをとるために
ディケイド側も同じように曖昧な描写でお茶を濁すしかなくなってしまいます。
この映画の異常なまでの説明不足状況の主因は、
このようにそもそもは「ゴーカイジャー」の製作進行の遅れなのかもしれないのです。

まぁ原因はどうであれ、
とにかくゴーカイジャーに関してはその本来の魅力は描けていないということになってしまいました。
この映画の最大のセールスポイントであるはずのゴーカイジャーが
そのようになってしまったことはかなり痛手ですが、
そうなればもう後はディケイド側に頑張ってもらうしかない。

確かに「ディケイド」はもともと基本設定からして恐ろしく説明不足なドラマであり、
逆に言えばディケイド側のキャラというのは
基本設定がほとんど不明のとんでもない状況でも魅力を発揮できる稀有なキャラ達であると言えます。
だからこの映画の圧倒的説明不足状況の中でも士や海東たちはカッコよく映るはず、
と思いきや、これもまたダメでした。
理由はこの映画が徹底的に彼らをカッコよく見せることを放棄してしまっているからです。

「ディケイド」というドラマが基本設定すら不明の酷い空虚な状況の中で
どうしてその登場キャラ達が魅力的であったのかというと、
それは徹底的な様式美の追求の結果でした。
とにかく中身は無いクセにお約束を繰り返すことによって彼らは無駄にやたらとカッコいいのです。

そのお約束の最たるものが士のいわゆる「説教タイム」というやつで、
士が敵に対して彼の見出した世界の真実を滔々と述べてから
「通りすがりの仮面ライダーだ!覚えておけ!」という口上を経て変身する、
この流れがシビレるほどカッコいい。
実際のところ、「ディケイド」のエピソードの魅力の大半は
この場面に凝縮されていると言っていいでしょう。

そして、その「説教タイム」を盛り上げるのに不可欠なのが、
それに先立っての士やその他の異世界の旅人たちの
旅先の世界に対する違和感や戸惑いの描写です。
そのモヤモヤが一気に晴れる瞬間が「説教タイム」であり、
だからこそ「説教タイム」はカタルシスがあり、
そのカタルシスが士のディケイドへの変身から敵との決着に至るバトルを一気に盛り上げるのです。

だからこの映画においてディケイド側のキャラの魅力を発揮させるためには
その「ディケイド」独特の様式美を踏襲する必要があったのであり、
具体的には「スーパーヒーロー大戦の世界」に接して戸惑う士の描写が不可欠でした。
ところがこの映画では戦隊側とのバランスをとるためなのか、
その部分をバッサリとカットしてしまっているため、
最初からもう士は迷いを捨てて結論を掴み取って行動を開始してしまっており、
これではカタルシスが足りない。

その上、肝心の「説教タイム」も無い。
これはそもそも「ゴーカイジャー」の製作の遅れの影響で
ゴーカイジャーの存在する「この世界の真実」というやつを
描写出来なくなってしまった結果なのかもしれません。
お蔭で士がこの世界の真実について喝破して演説することが出来なくなり、
単に「通りすがりの仮面ライダーだ」と自己紹介して変身するだけとなってしまい、
これでは士の魅力は半減以下です。

一方の海東はというと、
この映画では士やマーベラスが手に入れようとしているらしい
「宇宙最高の宝」というやつを横取りしようとして興味を持ち、
ジョー達と共に士やマーベラスの動向を追うという、
一見いかにも海東らしい動きを見せているように見えます。
だが、これもよく見るといつもの海東の役回りではない。

この映画の海東は士の真意が掴めずに苦悩したり
最後には裏切られて逆ギレしたりして、いつもの海東らしくありません。
いつもの海東は妙に高飛車で達観していながら妙に屈折しているところが魅力のキャラであり、
必死になったり苦しんだりするのは海東の役回りではない。
これはむしろ士やユウスケなどの役回りであり、
この映画では士が内心が見えない達観キャラになってしまっているために
本来の士の役回りである「困惑」や「違和感」などの部分を
海東が背負ってしまっているような印象です。

これはこれで海東の新たな魅力とも解釈できますし、
実際TVシリーズの終盤や完結篇映画での海東は
そうした必死な面やウェットな面も見せていました。
だがハッキリ言ってその頃の海東にはあまり魅力は無かった。
やはり海東というキャラの本来の魅力は
TV本編登場当初や「お宝DEエンンド・パイレーツ」の達観した屈折高飛車キャラであり、
真面目に悩んだりするようなこの映画の海東は
あまり海東本来の魅力を発揮出来てはいなかったといえます。

もちろん士にしても海東にしてももともとが魅力的キャラなので
最大限に魅力を発揮できていないこの映画でもそれなりに魅力的には描かれているのですが、
それはあくまで「それなり」に過ぎず、
ゴーカイジャーの魅力不足の穴を埋めてこの映画の魅力を一気に挽回するほどの
パワーは発揮出来ていなかったといえます。

「ディケイド」の物語の終了から2年以上が経過したという
「時の流れ」によるディケイドキャラのパワーダウンも大きな原因でしょう。
もともとこの戦隊ライダー総登場の世界観成立のための不可欠の舞台装置である
「ディケイド」の設定において、
「時の流れ」によるディケイドキャラのパワーダウンをカバーするためにこそ
「ゴーカイジャー」という最新戦隊をパートナーとしたのですから、
そのゴーカイジャーの魅力的描写に失敗した時点で
その穴埋めをディケイドキャラに期待するというのがもともと本末転倒といえるでしょう。

こうしてディケイド側もゴーカイジャー側も
あまり魅力的にキャラを描けない空虚な状態となってしまい、
その空虚さを埋めるためなのか、
あるいはこの映画のあらかじめ決められたテーマが「ライダーと戦隊の絆」であったからなのか、
士、マーベラス、海東、ジョーという主要キャラの間で
やたらと「絆」についての遣り取りが飛び交うこととなったのでした。

だが、まず士と海東というキャラにおいては
「絆」というテーマは全く似合っておらず失笑モノでした。
むしろあまりに似合っていないために、その浮きっぷりがかえって滑稽で面白く感じたほどです。
これは皮肉ではなく、
歯が浮くような空虚な「絆」に関するセリフを遣り取りする士と海東がギャグにしか見えず
本当に面白かった。
特に士に裏切られたと知って怒りのあまり暴走してラスボスになってしまう海東の驚愕の展開は、
あまりにも海東らしくないので新鮮にサプライズとして面白かった。
キャラ無視もここまで突き抜けるといっそ清々しくてある意味では魅力的でした。

一方でマーベラスとジョーの「絆」に関する遣り取りは、
この2人を筆頭にゴーカイジャーがTV本編であまりに濃厚で見事な絆を見せてくれただけに、
この映画における2人の「絆」とやらがあまりに薄っぺらく感じられてしまい、
むしろ不愉快でした。

TV本編でほとんど「絆」が感じ取れなかった士と海東の場合は
この映画の「絆」が新手の冗談のように見えてむしろ面白かったのですが、
TV本編でガッツリと「絆」を描ききったマーベラスとジョーの場合は、
この映画の薄っぺらい「絆」によって2人の本当の絆がコケにされたように見えて
むしろ腹立たしく思えるのですから面白いものです。

そして意外にもこの映画で最もマトモに「絆」があるように感じられたのは、
この映画のヒロイン的位置にあった泉比奈と仮面ライダーオーズ火野映司でありました。
というか、この映画は比奈ちゃんがいなければ
マトモに1つのドラマとして成立したのかどうかすら怪しいような印象があります。
それぐらい他のキャラは描写がムチャクチャで、
比奈と映司だけが何故かいつも通りのキャラであったため、
この映画を締めてくれていたように思えます。
映司は出番が少なかったので
実質的には比奈ちゃんがこの映画のドラマ面での最大の功労者のような気がしてなりません。

まぁネタ的な意味での功労者は海東を筆頭に鳴滝、士、マーベラス、ジョー、ハカセ、
ギル親子、弦太郎、賢吾、メテオ、電王組、ヨーコ、南光太郎などかなり多数にのぼり、
スプラッタ系エンタメ作品としては結構優秀だとは思います。
またアクション映画としては最終バトルのショボさを除いてはこれもかなりの水準だとは思いますし、
最終バトルも宇宙空間での巨大戦だけはもうなんかワケは分からないながらも圧倒される迫力と、
いちいち何を言っても面白すぎる海東効果もあって最高でした。
いや最終バトルの地上戦にしてもショボさが笑いに転化してネタ的には最高で、
マニアック視点でないと理解不能な同年放送ヒーロー同士の共闘など、
ひねくれた遊び心満載で楽しめました。

このようにかなりネタ的に傾いた視点で私はこの映画はものすごく面白かったのですが、
やはり世間的評価はそこまで甘いわけではないようで、
さすがにヒーロー総登場企画の極致だけあってそれなりの興収となりましたが、
辛口評価が多く普通ならここで少し反省すべきところなのでしょうが、
まさか「スーパーヒーロー大戦2」が作られることになるとは予想もしていませんでした。
いや、「スーパーヒーロー大戦」の反省を踏まえたからこそ作られるものが
「スーパーヒーロー大戦2」であると考えたいところです。

まぁ「スーパーヒーロー大戦」という映画そのものについての感想は
こんなところでもういいでしょう。
このブログはあくまでゴーカイジャーをメインに扱うものですから、
ここで次に扱うべき問題はこの「スーパーヒーロー大戦」の物語の中での
ゴーカイジャーはいったい何なのかについてです。
というか、この「スーパーヒーロー大戦」の物語の舞台となっている世界はいったい何処の世界なのか?
「ゴーカイジャー」TV本編の世界との関係はどうなっているのか?

そのあたりは実際のところはよく分かりません。
そもそも前述の通り、この映画の脚本は「ゴーカイジャー」TV本編の結末が不明のまま
書かれたものだからです。
ただこの映画の内容をざっと見た印象では、
この物語世界には全ての戦隊と全てのライダーが同時存在しており、
「ゴーカイジャー」TV本編の物語世界とはかなり異質の世界のように見受けられます。

全てのライダーはともかく、全ての戦隊が存在しているという点は
「ゴーカイジャー」TV本編の世界と似ているといえますが、
TV本編の方ではゴーカイジャー以外の戦隊は変身能力を失っており、
その各戦隊の変身能力はレンジャーキーに姿を変えてゴーカイジャーの手許にあるために
ゴーカイジャーが各戦隊に変身できるようになっています。
ところがこの映画の世界ではゴーカイジャー以外の戦隊も変身後の姿で登場しますから、
TV本編とはかなり様子が違う。

ゴーカイジャー以外の戦隊が変身するためには
ゴーカイジャーが各戦隊にレンジャーキーを返却していなければいけないので、
あるいはこの世界ではゴーカイジャーは各戦隊にレンジャーキーを
返却しているのかもしれないという推理も成立ちます。
どうやらこの映画の話は時系列的にはゴーカイジャーがザンギャック侵略軍を
倒した後の話のようですから、
ゴーカイジャーがレンジャーキーを各戦隊に返却していたとしてもそう変でもない。

しかし、奇妙なことにこの映画の中でマーベラスは
様々な他の戦隊ヒーローにゴーカイチェンジして戦っています。
つまり、どうやらマーベラスをはじめゴーカイジャーのメンバーは
レンジャーキーを手許に持ったままであるようなのです。
それでいて他の戦隊が変身後の姿で登場しているのですから、
この映画の世界は「ゴーカイジャー」TV本編の世界とは
根本的にルールの異なった世界であるように思えてきます。

そもそも更に細部を観ていくと、
この映画の世界が「ゴーカイジャー」TV本編と同じ世界では有り得ないと考えられる要素があります。
この映画の中に仮面ライダーフォーゼこと如月弦太郎の通う天の川学園高校が登場しますが、
その場面で仮面ライダー部の3年生部員として大文字隼と風城美羽が登場します。
この2人は学生服を着て現役高校生として登場しますが、
そうなるとこの場面は彼らが卒業する3月以前の出来事ということになる。
映画内でも少々時系列に幅はあるようですが、
それでも天の川学園のこのシーンから類推して、
この映画内の出来事はだいたい3月から4月にかけての出来事と推測されます。

一方ゴーカイジャーがザンギャックとの決戦を終えたのは何月の出来事であるのか
TV本編で明示はされていませんが、
それに先立ってマーベラス達が34のスーパー戦隊の「大いなる力」の
最後の1つであるカクレンジャーの大いなる力をゲットしたのは
正月から1〜2週間経った頃のことであると示唆されており、
そこから類推するとザンギャックとの決戦はおそらく1月か2月あたりの出来事と思われます。
だが最終話のエピローグを観ると、マーベラス達はその決戦後も半年は地球に留まっており、
半年後に地球を旅立つに際してようやく手持ちのレンジャーキーを他の34戦隊に返却しています。
だからこの映画の事件が起きた3月や4月時点では
まだマーベラス達は他の戦隊にレンジャーキーを返してはいない。
なのに他の34戦隊は変身可能なのです。

この映画の世界が「ゴーカイジャー」TV本編の世界と同一であるという前提で考えると
そういう矛盾にぶつかってしまうのです。
この矛盾をクリアするためには
「34戦隊はレンジャーキーを返してもらわなくても変身可能である」という
新たなルールが必要になるが、
そんな新ルールが適用される時点でもはやTV本編とは異質な世界観となってしまいます。
だからやはりこの映画の物語世界と「ゴーカイジャー」TV本編の世界は
別の世界と考えた方がいいように思えてきます。

ゴーカイジャーが存在しているのに別世界というと一瞬異様な感じですが、
この映画の場合は十分リアリティのある考え方です。
というのも、この映画にはディケイドがメインキャラとして登場し、
この物語世界はディケイドが世界の旅の中で立ち寄った世界だからです。
「ディケイド」TV本編においても彼が立ち寄る様々なライダー世界は
私達がTV放送などで知っていたオリジナルの作品世界とは似ていながら
根本的な部分で何かが異なる「リイマジネーション世界」であることがほとんどでした。
だから、このディケイドが立ち寄ったゴーカイジャーの存在する世界が
「海賊戦隊ゴーカイジャー」のリイマジ世界であることは大いにあり得るのです。

つまり、この物語は「仮面ライダーディケイド」の「ゴーカイジャーの世界篇」であり、
そこで描かれるゴーカイジャー世界は
「ゴーカイジャー」TV本編とは微妙に異なるリイマジ世界であり、
全戦隊陣営と全ライダー陣営が対立する「スーパーヒーロー大戦の世界」と
言い換えることも出来るような様相の世界だという考え方です。
そうなると当然この映画の世界と「ゴーカイジャー」TV本編の世界とは繋がらない
パラレルワールド同士の関係ということになり、
この映画に出てくるゴーカイジャーや他の戦隊は
「ゴーカイジャー」TV本編に登場したゴーカイジャーや他の戦隊とは
厳密には別人ということになります。

実際のところ、これが正解なのかもしれません。
少なくとも、これが間違いだと決めつける根拠は何処にも無い。
逆にこの映画の世界と「ゴーカイジャーTV本編」の世界が
同一世界だと決めつける根拠の方が薄弱すぎて、
とりあえず別世界だと考えた方が無難だといえます。
かといって積極的に別世界だと決定づける根拠にも欠けるようにも思えます。

つまりは、「ゴーカイジャー」TV本編の結末が分からないまま作らざるを得なかったこの映画では、
この映画の物語世界を「ゴーカイジャー」TV本編の物語世界と同一と規定することも
別世界だと規定することもどちらも出来ず、
中途半端な描写でお茶を濁して判断を視聴者に丸投げするしか出来なかったというのが
本当のところなのではないかと思います。
そして、視聴者側としても同じ世界だと規定する根拠が無い以上、
別世界なのだということにしておいた方が安全だといえます。

一般的な結論としてはこの結論で問題ないと思います。
だが、このブログ的には「ゴーカイジャー」に関わる映像作品を全て繋げて
1つの物語として捉えたいという勝手な欲求があるため、
あえてこの映画の世界と「ゴーカイジャー」TV本編の世界が
同じ世界である可能性を探っていく方向性でもう少し考えていきたいと思います。

まず、この映画の制作陣がこの映画の世界と「ゴーカイジャー」TV本編の世界を
同じ世界だと規定出来なかったという件ですが、
それは根本的には「ゴーカイジャー」TV本編の製作の遅れのせいです。
ならばもしTV本編の方が早く出来上がっていたらどうなっていたのか?
前述したように結果的にTV本編の製作が遅れたせいで
この映画の中のゴーカイジャーの描写が中途半端になっているのだとするなら、
それはもともとはこの映画ではゴーカイジャーのTV本編と繋がったものにしようという
意図があったからだという解釈も可能でしょう。
もともと別世界を描くという割り切った姿勢であったのなら
「ゴーカイジャー」TV本編の製作の遅れによって内容が影響を受けることはないはずだからです。

あまりにこの映画の中のゴーカイジャーの描写が不自然に中途半端なので、
そのような推理は十分に蓋然性があるように思えてきます。
もしそうだとするならば、結果的に同一世界だと明確に規定することには失敗したものの、
製作側の気持ちとしてはこれはあくまで
TV本編と同一世界の出来事ということになっているのかもしれません。
明らかに別世界だという描写も無いところを見ると、その可能性は十分にあるでしょう。

また、ディケイドが立ち寄っているからといって
必ずしもリイマジ世界であると決めつけることも出来ない。
何故ならディケイドはTV本編でシンケンジャーの世界に現れていますが、
あれは同時期に放送していた「侍戦隊シンケンジャー」の
同じ日に放送したエピソードと完全にリンクしており、
ディケイドが現れたシンケンジャーの世界がリイマジの別世界ではなく、
オリジナルの「シンケンジャー」TV本編の世界であることは明白です。
だから今回もディケイドが「海賊戦隊ゴーカイジャー」のTV本編の
オリジナル世界に現れたとしても決して不自然ではありません。

そして「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」との関係の件もあります。
先日公開されたVS映画「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」では
ゴーカイジャーとゴーバスターズは初対面ではないように描写されていますが、
これまでにこの2戦隊が顔を合わせたことがあるのは
この「スーパーヒーロー大戦」の中だけですから、
そうなると「スーパーヒーロー大戦」の物語世界と
「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」の物語世界は繋がった同一世界ということになる。

その場合、「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」の物語世界と
「ゴーカイジャー」TV本編の物語世界が別世界であるのならば
「ゴーカイジャー」TV本編の世界とこの「スーパーヒーロー大戦」の世界が
繋がることはないのですが、
どうやら「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」の物語は
「ゴーカイジャー」TV本編の後日談であり、繋がった同一世界であるようなのです。

あるいはゴーカイジャーの後日談も含んだオリジナルに酷似した
パラレルワールドであるという考え方も出来ますが、
「ゴーカイジャー」の場合は他の戦隊作品とは違って
ゴーカイジャー以外の他の戦隊が存在している世界というものが
オリジナル世界そのものであると規定しても一向に差し支えないという特殊条件がありますので、
素直に「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」が
「ゴーカイジャー」TV本編の後日談と考えた方がむしろ自然だといえます。

逆に「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」が
「ゴーバスターズ」TV本編とは繋がらないパラレルワールドの出来事だと規定する
十分な証拠はあります。
それは「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」の中で
エンターがエスケイプを配下のアバターとして使役している場面です。
この出来事に対してゴーバスターズの面々が驚きの反応を示していないことから考えて、
これが「ゴーバスターズ」TV本編と同一世界の出来事だとするなら、
それは時系列的にエスケイプがエンターの下僕化した46話以降の出来事と考えるしかない。

だが「ゴーバスターズ」TV本編は46話から現在既に放映された48話まで、
そしておそらくこのまま最終50話まで、ずっとノンストップで一連の話が続いており、
46話以降にゴーカイジャーとの絡みが挿入される余地は無い。
最終話ではおそらくエンターが消滅するので、
このエンターが登場する「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」が
最終50話以降のエピソードである可能性もおそらく無いでしょう。
そうなると、やはりこの「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」は
「ゴーバスターズ」TV本編とは異なるパラレルワールドのゴーバスターズの話だと考えるしかない。

その場合、その出来事はゴーカイジャーの世界の出来事なのか、
あるいはゴーバスターズともゴーカイジャーとも関係無い別世界の出来事なのか、
どちらかということになります。
普通のVS映画の場合は後者の考え方の方が当たり前なのですが、
ゴーカイジャーの場合は上述の特殊条件ゆえに前者である可能性も同じぐらいあります。

このようにここまでの考察で「スーパーヒーロー大戦」の物語世界が
「ゴーカイジャー」TV本編の物語世界と繋がっている状況証拠のようなものは少し増えて、
さっきよりはその可能性は高まったといえます。
だが、両作品で描かれた世界観が明らかに異なっているという事実は重い。
普通ならこの事実を覆して両作品が同一世界の出来事だと一気に論を進めることは不可能でしょう。
しかし今回のケースではそれは不可能ではない。

それはこの「スーパーヒーロー大戦」という映画が
基本的に「ディケイド」のゴーカイジャーの世界篇ともいえるエピソードだからです。
つまりディケイドが絡むことによって、
「世界の有り様が変化する」という現象が「有り得ること」として考察が可能になるのです。

「ディケイド」TV本編の第1話では
「夏海の世界」に様々なライダー世界が融合して
世界の様相が一変して滅亡の淵に立たされるという描写があり、
また物語終盤には様々なライダー世界が融合してきて互いに潰し合う
「ライダー大戦の世界」で士たちが戸惑い苦闘することになりました。
このように「ディケイド」の物語世界においては
「異世界が融合してくることによって既存の世界が一変してしまう」という現象が起こり得るのです。
ならば、この一見「ゴーカイジャー」のTV本編の物語世界とは明らかに異なる
「スーパーヒーロー大戦」の物語世界が実は異世界の融合によって
「ゴーカイジャーの世界」が変わり果てた後の姿であるという可能性も十分に考えられるのです。

その傍証となるのが、この世界におけるゴーカイジャーの面々の特殊性です。
この世界においては他の戦隊はみんな「戦隊陣営とライダー陣営が潰し合う」という
この世界のルールを素直に受け入れているのに対して、
奇妙なことにマーベラスを除くゴーカイジャーのメンバーは
その世界の有り様にどうも馴染めていないようなのです。
そしてマーベラスもまた士の誘いに乗っているところを見ると、
本当はこの世界の状態に馴染んでいなかったと思われます。

というより、士はマーベラスが「この世界の現状に馴染めない存在」であることを知っていたからこそ
マーベラスにこの世界の基本ルールに反するような秘密計画の片棒を担がせるべく
話を持ちかけたのでしょう。
それこそが士が「思い出した」この世界の真実であったのではないかと思われます。

つまりゴーカイジャーはこの「スーパーヒーロー大戦の世界」には
どうも馴染めない存在ということになる。
かといって異世界移動能力の無いゴーカイジャーの面々は
士や海東のディケイド組のような異邦人というわけではなく、
もともとのこの世界の住人のはずです。
この世界の住人なのに彼らがこの世界に馴染めないというのは、
この世界の方が元来の姿から変質してしまったからでしょう。

むしろ、この世界のルールに馴染んでしまっている他の戦隊やライダーの者達こそが
元来のこの世界から見れば異邦人なのであり、
彼ら異邦人が大挙侵入してきた結果、世界の様相が一変してしまい、
もともとこの世界の住人であったゴーカイジャーが戸惑っているように見えます。
その世界の歪みを解消するために士が仕掛けてマーベラスが協力したのが
この映画で描かれた2人の秘密作戦であったのではないでしょうか。

つまり、この世界はもともと「ゴーカイジャー」TV本編の世界であったのですが、
マーベラス一味がザンギャック侵略軍を倒した1月の戦いから2ヶ月が経った頃に突然、
数々のスーパー戦隊や仮面ライダーのリイマジ世界が融合してきて世界の様相が一変してしまい、
戦隊陣営とライダー陣営に分かれて戦い合う世界になってしまったのです。
この世界の変質にもともとの「ゴーカイジャーの世界」の住人たちも巻き込まれていき、
ゴーカイジャーのメンバーも何となくそれが当初からこの世界の
当たり前の姿であったかのように思い込まされていき、
マーベラスに至っては戦隊陣営に与する大ザンギャックの大皇帝という役割を与えられてしまい、
それが本来の自分の姿なのだと一時期は本気で信じ込んでしまっていたと思われます。

ただ異邦人としてこの世界にやって来た他の戦隊とは違って
ゴーカイジャーのメンバーはもともとのこの世界の記憶が若干残っていたために、
どうしてもこの「ライダーと戦隊が潰し合わねばいけない」という世界の有り様に
釈然としない想いを抱えていたのであり、
マーベラスもまた何か不自然さを内心で感じていたからこそ
士の説明によって世界の本当の姿をある程度思い出すことが出来たのでしょう。

作戦開始以降もマーベラスやジョーの様子が
従来とは少し異なる(仲間に平気で嘘をつくとか、仲間を信頼できずに愚痴るとか)のも
世界の変質による精神支配が完全に消えていなかったからであると解釈可能です。

また、この考え方ならばゴーカイジャーがレンジャーキーを返却していないのに
他の戦隊が変身可能であるという奇妙な現象も説明がつきます。
彼らはもともとゴーカイジャーにレンジャーキーを託している
「ゴーカイジャーの世界」における34戦隊とは別のリイマジ世界の戦隊なので
レンジャーキーの有無に関係無く当然のごとく変身可能なのです。

要するにこの「ゴーカイジャーの世界」が変質させられた
「スーパーヒーロー大戦」の世界においては、
もともと「ゴーカイジャーの世界」に存在していた変身能力を失った34戦隊と、
新たに別のリイマジ世界と共に融合してきたリイマジ34戦隊の
2系統の戦隊が同時存在していることになるが、
世界の変質に伴う記憶の書き換えの影響で、
もともとの変身不能の34戦隊のメンバーは自分達がスーパー戦隊であるという記憶を失っており、
ゴーカイジャーももともと持っていた34戦隊の記憶が巧妙に書き換えられてしまい、
リイマジ34戦隊こそがもともとこの世界に代々存在してきた34戦隊だと
思い込まされてしまっていたのでしょう。

異邦人である海東もよく事情を知らないために
ジョー達のその誤った思い込みを信じてしまい、
「アカレンジャーは過去にしか存在しない」という思い込みのもと、
デンライナーに乗って1976年に行ってしまい士の罠に嵌る羽目になったのでしょう。

ただ、この時にジョーや海東が行った先が本当の1976年であったのか、
あるいは1976年に見せかけた偽の場所であったのか、
どちらの場合にせよ、この罠はマーベラスと電王組の協力関係が無ければ仕掛け不可能です。
当然マーベラスと電王組の仲介はディケイドの士がしているということになるのでしょうけれど、
それにしても電王組が物分りが良すぎるのが気になるところです。

思うにこの電王組はリイマジ世界の電王組ではなく、
ゴーカイジャー同様、もともとはこの世界の住人だったのであり、
それゆえ士の説得によって比較的容易に目覚めることが出来て
士の計画の協力者となったのではないかと思えます。

つまり電王のイマジン達やデンライナーの乗員たちは
「ゴーカイジャー」の物語世界にもともと存在していたということになりますが、
もともとの「ゴーカイジャー」の物語世界自体が
複数ヒーローの作品世界が融合して出来上がっていたものなのですから、
「電王」の作品世界も何処かのタイミングで融合していたとしてもそんなに不自然ではない。

その「電王」世界は別に2007年にTV放送されていた
「仮面ライダー電王」の作品世界そのものというわけではなく、
あくまで「ゴーカイジャー」の作品世界にもともと包含されていた「電王」の作品世界です。
「電王」作品世界の特異点といわれる時の旅人の集団の特殊な立場のヒーロー達ならば
「ゴーカイジャー」作品世界にひっそりと何時の間にか融合していたとしても、
さほど不自然というわけではない。

そして、そう考えるとこの「スーパーヒーロー大戦」という映画の中には
他にも同様の怪しい連中が幾つか存在しています。
例えば「ゴーバスターズ」の登場キャラ達も、
「仮面ライダーフォーゼ」の登場キャラ達も、「仮面ライダーオーズ」の登場キャラ達も、
この「スーパーヒーロー大戦」の世界の様相に戸惑っていました。
つまり彼らも世界の突然の変質に対応しきれていないという意味で、
世界が突然の大量のリイマジ世界との融合を果たして変質する前の
もともとの「ゴーカイジャーの世界」の住人であった可能性が高いのです。
だからこそ彼らは士とマーベラスの仕掛けた作戦の中で
何らかの役割を果たすことになったのだといえます。

特にここに登場するゴーバスターズのメンバーは、
おそらく「ゴーバスターズ」TV本編のゴーバスターズとはパラレルな存在であろうと思われますが、
この「ゴーカイジャー」世界の36番目の戦隊であるゴーバスターズは
以前に「ゴーカイジャーVSギャバン」の中にも未来からやって来た様子で
ゴーカイジャーとは顔を合わせないながらも登場しており、
そして後に「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」の中において、
この「スーパーヒーロー大戦」以来のゴーカイジャーとの再会を果たすことになるのです。

また「ゴーカイジャーVSギャバン」で登場したゴーバスターズが
おそらく未来からやって来た際にゴーカイジャーの強さをまるで見てきたかのように
知っている素振りであったのも、
おそらくはこのスーパーヒーロー大戦におけるゴーカイジャーの戦いを間近で見た後だからなのでしょう。

フォーゼやオーズの登場キャラ達に関しては
ゴーカイジャーのことをあまりよく知らない様子であることから考えて、
どうやらここでの「フォーゼ」世界や「オーズ」世界が「ゴーカイジャー」世界に融合したのは
「ゴーバスターズ」世界が「ゴーカイジャー」世界に融合してきたのと同じ頃、
つまりごく最近なのであり、
これらの世界の融合後すぐに大量の戦隊やライダーのリイマジ世界の融合と
それに伴う記憶の混乱が生じて、事態がよく分からない状態に陥っていたのだと思われます。

つまり「電王」世界住人も含めて、彼らはかなりギリギリのタイミングではあるものの、
一応はもともとの複合世界である「ゴーカイジャーの世界」の一員なのであり、
歴代ライダーと歴代戦隊が2大陣営に分かれて潰し合うという
奇妙な「スーパーヒーロー大戦の世界」にはなじめない存在なのだといえます。

よく考えればこの「ゴーカイジャー」「ゴーバスターズ」「フォーゼ」「オーズ」「電王」のキャラ達は
オリジナルキャストが演じており、
それに対して1号ライダーやアカレンジャーなど、他のライダーや戦隊は
オリジナルキャストが演じていない典型的なリイマジ世界のヒーローの特徴を見せています。
オリジナルキャストで演じているヒーローはもともとの「ゴーカイジャー」世界の住人であるという
一種の区別がつけられているのでしょう。

なお細かい描写ですが、もしこれがゴーカイジャーとザンギャック軍の決戦の
2ヶ月後ぐらいの出来事だとするなら、
その最終決戦の半年後に修理が完了したはずのゴーカイガレオンが健在で
空を飛び回っているのはおかしいという指摘もありそうです。
だがこれに関しては、最終決戦で大破したガレオンが半年後に修理完了したというのは、
あくまで「宇宙に旅立つことが可能になった」という意味での修理完了なのであり、
最終決戦の2ヶ月後のこの映画の時点では
地球の大気圏内を航行する程度には修復は済んでいると解釈すればいいでしょう。

また、この映画でライダー世界や戦隊世界の大量の復活怪人が登場している件も、
このリイマジ世界の融合説ならば納得はいきます。
この映画で復活している中には例えばロンのような
本来復活対象でないようなヤツまで混じっていました。
ロンは封印されたのであって死んではいないので
ジャンから慟哭丸を奪わない限り復活自体が本来は不可能なのです。
それなのにこの映画でロンが復活しているというのは、
単に「ゲキレンジャー」の別のリイマジ世界からやって来たリイマジのロンだからです。

ドウコクにしてもギル親子にしても全部同様で、それぞれリイマジの怪人なのですが、
彼らもまた世界の融合に際して記憶が書き換えられており、
ワルズ・ギルなどは自分がゴーカイジャーに倒されて復活したのだと思い込んでいるに過ぎない。
「ゴーカイジャー」最終話で破壊されたはずのギガントホース簡単に復活しているのも
リイマジ世界のギガントホースだからです。
しかもこのギガントホースと大ショッカー所有のクライス要塞は
この「スーパーヒーロー大戦」の世界で更に設定が更新されてしまっています。

大ショッカーの怪人たちにしても同様で全員リイマジ世界の怪人を引っ張ってきたものであり、
士はそのからくりを知っているので大ショッカーの怪人たちに
何度倒されても復活できるのだと説明していますが、
別に彼ら怪人は不死身の存在ではなく倒されれば普通に死にます。
要するにこの世界における怪人の復活というのは
単に倒されたのと同じ怪人をリイマジ世界から引っ張ってきて記憶を書き換えるだけなのであり、
個体が死なないわけではないのです。

更にまた、このような時系列であったと仮定すれば、
「ゴーカイジャー」TV本編最終話のエピローグの場面の解釈もよりしっくりするように思えます。
この時系列の仮定ならば最終話でマーベラス達がアクドス・ギルを倒して地球を守り切った後、
2ヶ月後にリイマジ世界の融合およびスーパーヒーロー大戦が起こって、
ガレオンの修理のために地球に居残っていたゴーカイジャーもそれに巻き込まれ、
その事態収拾の4ヶ月後が「ゴーカイジャー」最終話のエピローグの場面ということになり、
エピローグの遣り取りの後、ゴーカイジャーが地球を去るということになります。
つまり「ゴーカイジャー」最終話の最終決戦場面とエピローグの場面の間に
映画「スーパーヒーロー大戦」が挿入されるということになるのです。

そうなると最終話エピローグの場面のマーベラス達は
スーパーヒーロー大戦の事件を経験した後ということになります。
そう考えると、エピローグの場面でマーベラス達がザンギャック本星に
「宇宙で二番目の宝」があるということを半ば確信しているかのような
遣り取りをしているというのが自然に感じられるような気がするのです。

つまり、このエピローグ時点でマーベラス達はこの「ゴーカイジャーの世界」という
融合世界の真実というものに何となく気付いているようなのです。
だからこそザンギャック本星に何らかの重大な秘密が存在すると直感している。
ところが、マーベラス達はTV本編の最終盤の展開、
「宇宙最大のお宝」の獲得から放棄に至り、
さらにアクドス・ギルとの死闘を制するまでの流れの中でも、
そこまで悟ることが出来ていたわけではないはずです。
彼らが最終決戦の半年後に宇宙全体の融合世界の真実に気付くためには、
その半年の間に何かのきっかけがあった方が自然です。

以前に最終話の感想を書いた時には、
半年の間マーベラス達がじっくり考えた結果
その答えに辿り着いたのだという解釈をしておきましたが、
むしろこの急激な世界の融合によるスーパーヒーロー大戦という混乱を経て、
その中で世界の融合という現象について多くを知る男である門矢士との出会いを通して
マーベラス達が多くを学んだ結果、
彼らが自分達の世界の真実に気付くきっかけとなったと考えた方が、
より流れとしては自然というものでしょう。

また、最終話1つ前の50話の最終決戦直前場面で
「命を賭けて地球を守るのがスーパー戦隊だ」と言い、
自分達のことを「スーパー戦隊になった」と宣言したマーベラス達が
最終話のエピローグでは照れ隠しもあってのこととは思いますが、
「地球を守る義理は無い」と言い放ってあっさり地球を立ち去ったという矛盾も、
マーベラス達が地球滞在中のこのスーパーヒーロー大戦を通して
36番目のスーパー戦隊のゴーバスターズが地球を守るために戦い始めていることを知ったから、
宇宙人の自分達の出しゃばる幕ではないと悟ったからだと考えれば辻褄は合います。

さて、そうなると残る疑問点は士とマーベラスの作戦が成功して
この世界がもともとは「ゴーカイジャーの世界」であり、
ライダーと戦隊の潰し合いなどする必要が無かったという事実を明らかとした後、
この世界がどうなったのかという点です。

まぁ海東の暴走は想定外だったようですが、
それもゴーバスターズとフォーゼの活躍で押さえ込むことには成功しました。
ここで錯乱状態の海東が宇宙最高の宝=ビッグマシンに乗って
宇宙空間でゴーバスターオーの太陽系をスイングバイしてきたロケットドリルキックを
モロに喰らっても死ぬわけでもなく、
気が付けば服がボロボロになった状態で地上に転がっていたのには思わず笑ってしまいましたが、
まぁディエンドの瞬間移動能力を使って瞬時に難を逃れたと解釈すれば
そう不自然なことではありません。
ただ海東自身は間一髪命拾いはしたものの、大爆発を起こしてビッグマシンは失われ、
さすがに海東も戦う気力が尽きたようで、これでようやく一件落着となりました。

大ショッカー、大ザンギャックともに全滅し、
ドクトルGは鳴滝の正体を現して士に悪態をついて逃走、
士は鳴滝は一体何者なのかと今さら疑問を覚えますが、ここも思わず笑ってしまいました。
これは要するに士と鳴滝の本当の正体に関わる彼らの真の意味での決着は
また別の物語の場でつけられるのだという前フリであり、
そしてこの前フリはきっと前フリだけで終わって、
そうした「真のディケイドの物語の完結篇」などというものは
実現することは無いのであろうことは確信できるので、
わざわざ思わせぶりなセリフを言う(言わされている)鳴滝と士が滑稽で
思わず笑ってしまったのでした。

そして戦いの場には全ライダーと全戦隊が残されたのですが、彼らは結局どうなったのか?
彼らの大半は何者の意思によるものなのか不明ながら、
とにかく「スーパーヒーロー大戦の世界」、
すなわち「ライダーと戦隊が潰し合う世界」の実現のために
「ゴーカイジャーの世界」に呼び寄せられた者達なので、
それがこの世界の真実ではないということをディケイドによって見破られてしまい、
その狙いが挫かれてしまった以上、このリイマジ世界の融合自体が無意味になってしまい、
「スーパーヒーロー大戦」の世界が実現した際に融合してきたリイマジ世界は
全部もとの「ゴーカイジャーの世界」から離れてしまったのではないかと思います。
だから、それに伴ってリイマジの1号ライダーやリイマジのアカレンジャーを筆頭に、
全てのリイマジのライダーと戦隊はこの世界から消えてしまったのでしょう。

その一方で、元から「ゴーカイジャーの世界」に存在していた
ゴーカイジャーや34戦隊、
そしてゴーバスターズ、フォーゼ、オーズ、電王などの登場キャラ達はそのままこの世界に残り、
ゴーカイジャーは既に自分達の後を受け継ぐ36番目のスーパー戦隊ゴーバスターズが
地球で彼ら独自の戦いを開始していたことを知り、
ゴーカイジャーはオーズと、ゴーバスターズはフォーゼと、この戦いを通して絆を結びました。

そして士と海東のディケイド勢はまた別の世界へと旅立っていき、
4ヶ月後にガレオンの完全修理を終えたゴーカイジャーは
ザンギャック本星に殴り込みをかけるためひっそりと地球を旅立ち、
その際にゴーカイジャーの分を除く手持ちの34戦隊のレンジャーキーを
全て34戦隊に返却していったのでした。

こうして、この世界の地球には
ゴーバスターズ、フォーゼ、オーズ、電王などが存在することとなりましたが、
これはもちろんそれぞれのオリジナル世界とは違う世界の出来事です。
TV放映されている「ゴーバスターズ」にはゴーバスターズしか
世界を守るヒーローは存在しておらず、
「フォーゼ」「オーズ」「電王」の場合も同様です。
これはあくまで複数ヒーローが同時存在している特殊な物語空間の出来事なのです。

この世界はゴーカイジャーが地球で戦いザンギャックと戦っていた頃は
便宜上「ゴーカイジャーの世界」と呼んでいましたが、
ゴーカイジャーが宇宙の彼方へ去った以上、
もはや「ゴーカイジャーの世界」と呼ぶのも妙です。
戦隊だけでなくライダーまでも複数存在することから
「スーパーヒーローの世界」とでも呼ぶのが適当でしょう。

この「スーパーヒーローの世界」にこの後しばらくして
「仮面ライダーウィザード」の世界が融合し、
更に「獣電戦隊キョウリュウジャー」の世界が融合した後、
再び何者かの意思で大挙融合してくるのか、
あるいは何か別の方法で出現するのか、
あるいはもともと存在する34戦隊および帰って来たゴーカイジャーが表舞台に出てくるのか、
詳細は不明ですが、とにかく再び全戦隊と全ライダーが集結し、
更に宇宙刑事や宇宙鉄人をも巻き込んだ大事件「スーパーヒーロー大戦2」が
これから数ヶ月後に勃発するようなのです。

その前に先だって、この「スーパーヒーローの世界」の地球に一時的に戻ってきたゴーカイジャーが
ゴーバスターズと共闘するという事件があり、
それが描かれたのが「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」という映画なのだと
考えればいいでしょう。

ここにきてようやく「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」の映画の話に入ることが出来ます。
ここまでの「スーパーヒーロー大戦」に関する考察によって、
この「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」という映画の舞台となっている世界が
どういう世界であるのかについてもほぼ説明は済んだことと思います。
前述のようにこの映画の舞台となっている世界は
「ゴーバスターズ」TV本編とは繋がっていない可能性が極めて高く、
「ゴーカイジャー」TV本編やそれに付随するゴーカイジャーの既存3本の劇場版の物語世界と
繋がっている可能性は高い。
そして、「スーパーヒーロー大戦」の物語世界とは繋がっている可能性もあり、
繋がっていない可能性もあり、それはどちらを選んでもいいとは思われますが、
このブログ的には「繋がっている」という解釈を採用します。

さて、そのように「ゴーカイジャー」世界寄りの作品であるせいなのか、
全体的にこの映画の世界観もゴーカイジャー世界寄りで、
ゴーカイジャー世界の敵であるザンギャックの作戦を阻止することが
ゴーバスターズとゴーカイジャーの目的となり、
ゴーバスターズ世界の敵であるエンターは存在感はかなり発揮するものの
基本的にはザンギャックの助っ人的存在に終始しています。
物語のカギとなるアイテムも「幻のレンジャーキー」であり、
これもゴーカイジャー世界特有のアイテムです。
このように、この映画の物語は基本的には
ゴーカイジャーの世界観の中で進行していくように見受けられます。

ただ、この映画の物語の中で最も濃厚なドラマはゴーバスターズを中心に描かれ、
そこにはゴーカイジャーはほとんど入る余地はありません。
それはゴーバスターズとバディロイドの熱い絆の物語であり、
ゴーカイジャーはこの件に関しては完全に部外者であり傍観者に終始せざるを得ません。
実際ゴーカイジャーはこの件では完全に傍観者に終始しました。

まず、このゴーバスターズとバディロイドの絆の物語は非常に良かったです。
熱く、それでいてそれなりに整合性もとれていて、
「ゴーバスターズ」TV本編より面白かったといえます。
この部分の完成度の高さだけでも
この映画を観に行って損をした気分にはならないだけの出来栄えだと思います。

ただ、「VS映画でこういう物語を描くのは意外だ」という印象はあります。
確かに面白いのですが、それはあくまで
「ゴーバスターズ」の単独映画ならばこれでもいいんだろうという印象で、
これではゴーカイジャーが登場している意味が無いのではないかとも思えてしまいます。

普通はVS映画の場合は現役戦隊と前年度戦隊の絆、
つまり戦隊同士の絆を描こうとするものであり、
「ゴーバスターズ」側のキャラ同士であるゴーバスターズとバディロイドの絆のドラマを
ここで展開されても、ゴーカイジャーは割り込む余地も無く傍観しているだけであり、
せっかくのゲストのゴーカイジャーを差し置いて
身内の絆を描くなど失礼ではないかという見方もあるでしょう。

まぁ確かに一般的にはそういう考え方は分からないこともない。
だが、それはあくまで一般的なVS映画の場合の話であって、
この映画の場合はこれでいいのだと私は思います。

何故なのかというと、このVS映画の2戦隊のうちの1つがゴーカイジャーだからです。
ゴーカイジャーには普通の戦隊の考え方は当てはまらないのです。
逆に自問自答してみます。
ゴーカイジャーとゴーバスターズの熱い絆の物語を見たいのかと。
ゴーカイジャーとゴーバスターズが力を合わせて地球を守るために戦う姿を見たいのかと。
答えは否です。
そんな真っ当なヒーローのゴーカイジャーの姿など別にわざわざ見たくないです。

「スーパーヒーロー大戦」のゴーカイジャーやディケイドの魅力のところで述べたように、
ヒーローにはそのヒーローに相応しい魅力の演出の仕方というものがあるものです。
ゴーカイジャーは従来の戦隊VSシリーズの手法に当てはめて真っ当な共闘などさせても
その本来の魅力は発揮出来ません。
ゴーカイジャーというのはもっと素直じゃないツンデレの屈折した姿にこそ魅力があるのです。
だからゴーカイジャーはゴーバスターズとフレンドリーに熱い絆など結ぶのではなく、
この映画のように一歩引いてゴーバスターズとバディロイドの絆を眺めているぐらいで
ちょうどいいのです。

そういう考え方でこの映画をよく見てみると、
この映画の制作陣は「スーパーヒーロー大戦」の制作陣よりはよほど
ゴーカイジャーという戦隊の描き方を正確に心得ており、
その描き方は決して間違っていません。
それが従来のVSシリーズの戦隊の描き方と異なってしまっているのは、
単にゴーカイジャーが従来に無いような変わったタイプの戦隊だからです。

よく考えればゴーカイジャーが以前に登場したVS映画である「ゴーカイジャーVSギャバン」にしても、
実質的にVS映画であった「199ヒーロー大決戦」にしても、
普通のVS映画とはかなり異なった作品であり、
ゴーカイジャーの描き方も従来の戦隊とはだいぶ違っていました。
ゴーカイジャーというのはそういう戦隊なのです。
だからこの「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」で
ゴーカイジャーの描き方が変則的であったとしても、
もともと変則的戦隊であるゴーカイジャーならばそれは当然のことと思うべきです。
そのような変則的な描き方の方がゴーカイジャーは魅力的に見えるのです。
だから別にこの映画でゴーカイジャーは疎かに扱われているわけではない。
むしろ極めて丁寧に描いてもらっている。

そう考えて改めて見直すと、
一見はゴーバスターズとバディロイドの絆の物語であるかのように見えるこの映画は
実は全く異なった姿を浮かび上がらせてきます。
それはこの映画は実はゴーカイジャーの物語なのだということです。
「ゴーカイジャー」TV本編でさんざん見てきたパターンのお話が
ここでも繰り返されているに過ぎない。
それはつまり、いわゆる「ゴーカイジャーのレジェンド回」の作劇パターンです。

要するにこの映画、「ゴーカイジャーのゴーバスターズ篇」なのです。
宇宙海賊のマーベラス一味が地球にやって来て地球を守るスーパー戦隊と出会い、
微妙に屈折した態度でやや距離を置きながらスーパー戦隊の戦士たちに接して、
その中でそのスーパー戦隊の戦うテーマを悟っていき、
それが自分達の中にも同じテーマがあることに気付く。
その結果、マーベラス達の持つレンジャーキーが光を放ち、
その戦隊の「大いなる力」がマーベラス達の手許に獲得されるという作劇パターンです。

この映画でもこのパターンは完全に踏襲されており、
「ゴーカイジャー」TV本編のレジェンド回のフォーマットで作られた、
完全なるゴーカイジャーの1エピソード「ゴーバスターズ篇」と言っていいでしょう。

一見この映画のメインテーマのように見えるゴーバスターズとバディロイドの絆の物語も、
あくまでそれを見たゴーカイジャーの面々に
「ゴーバスターズの戦うテーマとは何なのか」の答えを気付かせ、
「ゴーバスターズの大いなる力」を獲得させるためのきっかけとなっているというのが
本当のところなのです。

それなのに何故この映画が
パッと見では「ゴーカイジャー」TV本編のレジェンド回のように見えないのかというと、
視点がズラしてあるからです。
「ゴーカイジャー」TV本編のレジェンド回の時は、
あくまでゴーカイジャー側からの視点で物語が描かれていました。
一方で今回の映画ではTV本編のレジェンド回と作劇自体は同じなのですが、
ここではあくまでゴーバスターズ側からの視点で描かれているのです。

例えば「ゴーカイジャー」TV本編のライブマン篇では
あくまでジョーの視点で物語が進行していき、
大原丈の過去のライブマンの友を救えなかった悲劇については
詳しく描写はされていませんでしたが、
それが今回の映画ではゴーカイジャーと接している戦隊側である
ゴーバスターズのドラマが詳細に描かれており、
むしろそれを観察するゴーカイジャー側の心の動きなどが描写が薄いので、
ゴーカイジャーが単なるクールな傍観者のように見えているのです。

マーベラスのゴーバスターズに対するかなり屈折した態度も、
「ゴーカイジャー」TV本編のレジェンド回の時も同じくらいマーベラス達は屈折していたのですが
その時はもっとマーベラス達の心理が詳細に描写されていたので分かりやすかったのですが、
この映画ではゴーバスターズ側の視点で描かれているので、
マーベラスの心理描写が少なく、その分彼らの真意はかなり分かりにくくなっています。
マーベラス自身がゴーバスターズに真意を知られたくないと思ってツンデレしているのですから、
それがゴーバスターズ視点で分かりやすかったりしたらマズいのであって、
ゴーバスターズから見てマーベラスの真意は分かりにくくなければいけない。
となると、この映画がゴーバスターズ視点で作られている以上、
マーベラスの真意は視聴者にも分かりにくくなっているのです。

こうなると、この映画におけるゴーカイジャー側の描写は若干説明不足ということになる。
だが、このレベルの説明不足感ならば
ゴーカイジャーという屈折した戦隊においてはTV本編の頃から常態化しており、
これぐらいではイマイチ意味が分かりにくくなることはあっても、
ゴーカイジャーという戦隊の魅力を削ぐというまでの結果にはならない。
十分にゴーカイジャーの魅力は観客に伝わったはずです。

そして、あくまで視点がTV本編の頃からズラしてあるだけの違いであって、
この映画が基本的には「ゴーカイジャーのレジェンド回」と同じ内容なのだと
了解した上で冷静に見返せば、
この映画におけるゴーカイジャーの面々は
実に正確にゴーカイジャーらしい判断や行動をしているということが分かります。

いわば、この映画は「ゴーカイジャーがゴーバスターズの大いなる力をゲットする話を
ゴーバスターズ視点で描いた作品」といえます。
何故ゴーバスターズ視点なのかというと、
それは当然、あくまで現役戦隊はゴーバスターズだからです。
だから、やはりこの映画の主役はゴーバスターズなのかもしれない。
だが物語の構造は完全にゴーカイジャーのレジェンド回なのであり、
これはゴーバスターズ風の話ではなく、ゴーカイジャーの物語なのだといえます。

その中で形式的に脇役に収まっているため
イマイチ内面が見えにくくなっているゴーカイジャーの面々ですが、
彼らは実は結構ちゃんとTV本編最終話と整合性のとれる描写をされています。
つまり、ちゃんとゴーカイジャーの物語は引き継がれているのです。

それは具体的にどんな内面なのかというと、
最終話で園児を相手に「地球を守ったわけじゃない」と言い放ちながら後ろ姿で手を振るような、
本当は熱い想いを持ちながら異邦人ゆえに一歩引いて偽悪的態度をとるような
素直じゃない屈折した彼らの心理であり、
この映画でもマーベラスがゴーバスターズを半人前扱いしたりするが、
それもきっと本心からそう思っているわけではなく、
単に一緒に力を合わせて戦おうとは言うのを遠慮し躊躇するような、
先輩としての矜持もありつつ無法者の顔の下に隠れた実にナイーブな側面が垣間見えて、
そういうところはゴーカイジャー各メンバーの随所で描写されており、
それによってやはりこの映画は正統な「ゴーカイジャー」の続編なのだと思えるのです。

そういう見方をすることによって、この映画はいっそう深みを感じることが可能となり、
確かにゴーバスターズとバディロイドの絆も魅力的だが、
この映画の本当の魅力というのはゴーカイジャーの隠されたナイーブな心理も含めた部分にこそ
有るのではないかと思えてきます。

また、そうしたゴーカイジャー側、特にマーベラスの屈折した態度の陰に隠れた真意に気付きつつ、
それを殊更に指摘するでもなく、媚びるでもなく調子に乗るでもなく、
ただ真っ直ぐにマーベラスの言葉を受け止めようとするヒロムの後輩らしい態度に
ゴーカイジャーへの真っ直ぐな敬意を感じて好印象でした。
このあたり、互いに不器用なレッド同士のやや分かりにくい遣り取りには
男同士の熱い絆というものは存在したと思います。

「ゴーカイジャー」最終話でのアクドス・ギル率いるザンギャック侵略軍との決戦において
アクドス・ギルとザンギャック大艦隊を倒して地球を守り切って
35番目のスーパー戦隊となったゴーカイジャーでしたが、
大破したゴーカイガレオンを元に戻すべく修理しつつ地球に留まっていたところ、
数ヶ月後に突如世界のイレギュラーな大量融合に巻き込まれ、
「スーパーヒーロー大戦」の事件に遭遇する羽目となりました。
この事態の渦中に異世界から現れた仮面ライダーディケイド門矢士の協力を得て
世界を元に戻したマーベラス達はその作戦の中で
36番目のスーパー戦隊としてヴァグラスとの戦いを始めていた特命戦隊ゴーバスターズの存在を知り、
異邦人の自分達が守らなくても地球にはちゃんと地球を守る立派なスーパー戦隊が
自分達の後にもこうして現れ続けるのだと悟り、
安堵しつつも同時に自分達の滅びた故郷と比べて羨ましくもあり、
自分達はもう地球に必要無いのかもしれないという一抹の寂しさも覚えて、
自分達は自分達の「平和な宇宙」という夢を掴むために宇宙に旅立とうと決意することにしました。

そして、ちょうどディケイド士から教えられた世界の融合の話から推理した
この世界の真実、その結果推測されるザンギャック本星に眠る大きな秘密をこの手に掴むために
ザンギャック本星に殴り込みをかけることにしたのでした。
そうして「ゴーカイジャー」TV本編最終話のエピローグの場面となり、
マーベラス達は34戦隊のレンジャーキーを返却して地球を旅立っていきました。

この後は公開中の映画「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」のネタバレになってしまうので
詳細な経過は省きますが、
とある事情で地球に舞い戻る羽目となったゴーカイジャーの面々は、
表向きは「伝説のレンジャーキー」を巡る争奪戦のために地球に来たと言っていますが、
心の中では地球を守るという熱い想いがあります。
だが地球には、地球を守る責務を負い、強い使命感を抱いたゴーバスターズという戦隊がいる。

マーベラス達から見れば、
彼らゴーバスターズこそがゴレンジャーからゴセイジャーに至る
34のスーパー戦隊の伝統を受け継ぐ地球の正統のスーパー戦隊であり、
それに比べて自分達は行きがかり上地球を守るために戦っただけで、
もともと地球を守る義務も使命感も持ち合せてはいない、
「自分の星を護る」という戦いとは無縁の流離いの宇宙海賊に過ぎないのだと、
屈折した引け目を感じています。

だからマーベラス達はゴーバスターズに素直に共闘を申し入れることが出来ず、
一方のゴーバスターズの方はマーベラス達の屈折した心理はよく知らず、
ゴーカイジャーを単に地球を守るためにザンギャックと戦ってくれた
35番目のスーパー戦隊だと思っているので、
非協力的なゴーカイジャーの態度を不審に思い理由を質してきます。

そこでマーベラスは仕方なくヒロムに
ゴーバスターズがスーパー戦隊として未熟だからだと言ったりしますが、
これは本心で言っているわけではない。
むしろ強さはともかくとして地球を守るヒーローとしての正統性の面で
劣等感を感じているのはゴーカイジャーの方なのです。

だがヒロムはマーベラスの屈折を何となく理解しつつも、
それでもマーベラスの言葉を真っ直ぐ受け止めます。
理由は何であったとしても
ゴーカイジャーが自分達を仲間として信頼して共に戦おうとしていないのなら、
自分達はゴーカイジャーに信じてもらえるようにならなければならない。
そのためにはまず自分達がゴーカイジャーを信じるべきだと思ったヒロムは
マーベラスの屈折した言動も全て信じて受け止め、あくまで共に戦うことにしたのでした。

一方、ゴーカイジャー側の屈折した心理の背景には、
過去に大切な故郷や家族や友たちを失った深い悲しみがあります。
そのことは彼らは自覚しており、
自分の故郷の星を守って戦う使命感を持っている先輩34戦隊やゴーバスターズのことを
自分達とは根本的に違うポジティブなヒーローだと眩しく思い
羨むと同時に心理的には距離を置いていました。

だが共闘の中でゴーバスターズの相棒ロボであるバディロイドに重大な危機が発生し、
それまでクールなプロ戦士として隙の無い姿勢を見せていたゴーバスターズの面々がうろたえ取り乱し、
そしてそれでも決して絆を諦めようとはしない強さを示す姿を見たゴーカイジャーの面々は
ゴーバスターズとバディロイドの絆の強さを知り、
それが自分達ゴーカイジャーの仲間の絆に似ているのだと感じました。

それは深い悲しみを乗り越えた者同士の絆です。
そんな絆を持っているということはゴーバスターズは
過去によほど深い悲しみを抱え込むほどの重大な喪失を経験したのだと
ゴーカイジャーの面々は悟り、自分達とゴーバスターズが本質的に同じだと気付くのでした。
その結果、ゴーカイジャーはゴーバスターズの大いなる力を獲得することとなり、
それが呼び水となって「幻のレンジャーキー」に秘められた巨大なパワーが
発動されることになるのです。

ここでマーベラスはゴーバスターズの大いなる力を「バディロイドとの絆」と表現していますが、
単なるバディロイドとの絆であれば
バディロイドと無縁のゴーカイジャーがゴーバスターズの大いなる力をゲット出来るわけがないから、
正確にはそれは「悲しみを乗り越えて結ばれた絆」ということになるでしょう。

つまり、13年前の事件で負った深い悲しみを共に乗り越えて使命を果たすために
培ってきたゴーバスターズとバディロイドの絆と、
故郷の星を滅ぼされて家族や友を失ってきた悲しみを乗り越えて
共に平和な宇宙という夢を掴むために培ってきたゴーカイジャーの仲間の絆が、
本質的に同じだということです。
この物語の真のテーマはそこにあります。
つまり、この「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」は
「悲しみの絆」のVS映画なのだといえます。

2戦隊のロボ同士の合体が無いとか、2戦隊の共同必殺技が無いとか、
同じ色の戦士同士のコンビアクションが無いとか、
確かにこの映画は従来のVS映画特有のお馴染みの醍醐味には欠けています。
しかし、他者には窺い知れないほどの深い悲しみの中で培った絆が特徴の2戦隊が
「悲しみの絆」をテーマとして共闘する映画である今作の場合は、
互いの絆にはあまり深く立ち入らず
互いに一線を画して別個に戦うような演出が似合っているのかもしれません。

「これが最高のVS映画だ」とか「これがVS映画の新しい形」などと
持ち上げるつもりはありませんが、
ゴーカイジャーとゴーバスターズという2つの戦隊のVS映画という条件に限って言えば、
これがベストの形だったのではないかと思います。

以上、詳細な物語の内容には現時点では触れませんので、
「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」の感想はこんなところまでにしたいと思います。
さて、ついでに「ゴーバスターズ」TV本編のことも触れようかと思っていたのですが、
思った以上にここまでの文が長くなってしまったので今回はそれは止めておきます。
いずれ「ゴーバスターズ」TV本編についてもいろいろ書きたいとも思うのですが、
残り2話ですから、このままいくと最終話の後ということになるかもしれません。

なお、「ゴーバスターズVSゴーカイジャー」に先行登場したキョウリュジャーは楽しそうで良かったです。
期待して開始を待ちたいですね
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 18:58 | Comment(1) | 特命戦隊ゴーバスターズVS海賊戦隊ゴーカイジャーTHE MOVIE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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