2010年12月31日

イエローフラッシュ

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1985年の「チェンジマン」は子供向け特撮ヒーロー番組としては、この時代においては1つの完成形に達した作品でした。
ドロドロとした愛憎ドラマが渦巻く巨大で邪悪な敵組織に、未熟だが正義感溢れるヒーローが立ち向かい戦いの中ですくすくと成長していき、遂には悪を倒す。
まさに明るいヒーロードラマの王道であり、あらゆる面でバランスがとれています。
しかし、シリーズは継続していくのであり、「チェンジマン」が素晴らしいからといって「チェンジマン」と同じものを作り続けていくわけにはいきません。
「ダイナマン」の後に「バイオマン」を作ったように、出来上がったフォーマットを多少崩してでも新しいものを生み出すチャレンジは必要なのです。
そういう戦隊シリーズの新たな挑戦作が1986年の「超新星フラッシュマン」です。

「チェンジマン」においては悪の組織側は重厚なドラマが描かれました。
これは「ダイナマン」以降の、ロボットアニメの系譜を引き継いだ伝統だといえます。
一方、正義のチェンジマン側は成長物語は描かれましたが、これはキャラの成長をシンプルに描いたもので
そんなに大した紆余曲折は無く、ドラマ性はそれほど無く、むしろキャラの魅力を描いたという程度のものでした。
例えばチェンジマンのメンバーも壁にぶち当たって悩んだりもしますが、それは成長を描くための伏線でしかなく、すぐに壁は突破されて悩みも解消します。
チェンジマンの皆は根本的な問題点は抱えていないのです。ただ単に未熟なので失敗しているだけで成長すれば問題点は解決していくのです。
一方、悪の組織側は根本的に矛盾した存在であり、回を追うたびに矛盾点が拡大していき、自壊していきます。
なんとも分かりやすい勧善懲悪で、子供に見せるには非常に適した内容のドラマだといえます。
逆に大人から見ると、チェンジマンの5人の描写は薄っぺらに見えなくもないです。
現実には若い頃はもっとどうしようもない解決困難な問題点を抱え込んだりするものだからです。
でも子供はまだそんなことは知らないのでチェンジマンを見ても薄っぺらだとは思いません。

「フラッシュマン」においては、あえて正義の戦隊フラッシュマン側にも重厚なドラマを描くようにしました。
それは「チェンジマン」という到達点から更なる飛躍を目指した挑戦でした。
重厚なドラマということは「チェンジマン」のような一直線のサクセスストーリーではなく、
フラッシュマンたちは解決困難な問題点を抱えて苦悩し紆余曲折していくことになります。
こういうのがメイン視聴者層である子供には難しいということは制作側も分かっていたでしょう。
しかし戦隊シリーズは絶好調であったし、世間もバブルの好景気で玩具も飛ぶように売れ、
物語が多少難解になったとしてもこれまでに培ってきたノウハウをもってすれば十分に子供にも楽しめる作品を作ることは出来ました。
つまり子供人気は維持しつつ、新たにやや高年齢層の視聴者を開拓する余裕はあったといえます。
「チェンジマン」の青春ドラマ路線をさらに深くしていき、
当時、高年齢層に人気が高かった、青春と愛の挫折と苦悩をやたらオーバーに描いたドラマシリーズ、
「大映ドラマ」の影響を受けた作品群がここから始まるのです。

「フラッシュマン」のドラマというのは当時話題になっていた中国残留孤児問題をヒントに発想されました。
幼い頃に親と引き離されて別の場所で育った者が故郷に戻ってくるお話です。
宇宙の様々な生命体を捕えて生体改造実験の材料とする非道な宇宙帝国メスの手先によって地球から浚われた5人の小さい子供たちが
正義の宇宙人フラッシュ星人によって救い出されてそのフラッシュ星人の住む星で成長して立派な戦士となります。
その5人が生まれ故郷である地球にメスの魔の手が迫っていることを知り、メスと戦うためにフラッシュマンと名乗って地球に戻ってくるという話です。

このお話、ものすごくよく出来ています。
重厚なドラマといって単純にドロドロの愛憎劇を持ってくるのではなく、ちゃんとフラッシュマンとメスの戦う因縁や動機も設定されており
そこに激しい怒りや怨みなども自然に盛り込まれる構成になっており
フラッシュマンの地球人離れした強さにもフラッシュ星の進んだ科学力という説得力があり、
浦島太郎状態の5人の勘違いっぷりもコミカルに描けています。

ただ、これだけならば、まだ普通の勧善懲悪のヒーロードラマです。
ここで重厚なドラマとして盛り込まれてくるサイドストーリーが、1つは彼らが地球で本当の親を見つけて再会しようとしていることです。
彼らは赤ん坊の時に誘拐されたので本当の親の名前も顔も知らないのです。それでも何とかして会いたいと思い、手掛かりを探します。まさに中国残留孤児です。
そして、この「親に会いたいという一途な想い」は子供の視聴者の心の琴線にも触れます。
そしてもう1つのサイドストーリーは、彼ら5人がフラッシュ星系で育ったために地球に長く居ると死んでしまうという悲劇的設定です。
彼らが地球で活動出来る時間は限られています。その間にメスを倒し、実の親も見つけなければいけない。そして親と再会出来たとしてもすぐに別れなければならない。
まさに大人の視聴にも耐え得るスリリングで重厚なドラマであり、なおかつ子供の心にも響くものがあります。

scan20-2.jpgこの「フラッシュマン」も前作に引き続きダブルヒロイン制を採用しており、
前作で好評だったダブルヒロインの役割分担をほぼそのまま踏襲しています。
つまり、前作の渚さやかの「戦闘力は劣るが頭脳派で美人」タイプと翼麻衣の「戦闘力が優れている陽気なお転婆」タイプという役割分担です。
そのうち、渚さやかタイプのキャラの後継者にあたるのがイエローフラッシュに変身するサラです。

フラッシュマンの5人はフラッシュ星系のそれぞれ別の星で育ったために、それぞれの星の環境に合った特徴や特技を持っています。
このあたりの構成も抜群に上手く、各自のキャラを自然に立たせることに成功しています。
サラの場合、寒冷の星で育ったため、寒さに強い。言い換えれば暑さに弱いわけで、他の星では暑がりです。だから薄着になります。
そういうわけで結構、露出の激しい服装をしてます。つまり女性を強調したキャラになります。渚さやかと同じです。
そして寒い星で育ったので、クールな頭脳派というイメージとなります。フラッシュマンの参謀格です。これも渚さやかと同じです。
まぁ一応戦士として訓練を受けていますので普通に戦えますが、他の4人のように育った環境から来る戦闘力の高さは無いので、そんなに強い方でもないです。これも渚さやかと同じです。

そして、さやかが美人キャラであったため、このサラも美人キャラでなければいけないということで、
わざわざアイドルの中村容子をキャスティングしています。
アイドルといっても、数年前にデビューしてあんまり売れていなかったアイドルですが、
それでも戦隊ヒロイン役にCDデビューもしていた現役アイドルが起用されたのはこれが初めてでした。
当時はアイドル全盛時代です。
そういうわけなので、制作側もそれなりに気を使うわけで、サラはかなり物語の中で扱いが良かったです。
フラッシュマン5人の中で主役のレッドフラッシュの次ぐらいに重要な扱いを受けていたといえるでしょう。
何せ、フラッシュマンは結局は親と再会出来ずに地球を離れることになるのですが、サラだけは親と会うことが出来るのです。
ただ、だからこそ余計に別れが辛くなるわけで、サラは悲劇のヒロインになります。
役柄的には可哀想ですが、演じる側から見ればかなり美味しい役です。

このように物語の中核で動く重要なキャラですから、サラの場合、どうしても性格は複雑なものとなります。
渚さやかの場合、そんなにさやか自身の物語に起伏は無いので、いつでもさやからしく、少しツンとして頭脳派を演じていればよかったのですが
それはストーリーよりもキャラを重視しがちな「チェンジマン」で、更にさほど重要キャラでなかったから可能だったことです。
キャラよりもストーリーに重きを置く「フラッシュマン」の物語の中核キャラであるサラの場合は
当初予定していたクールな頭脳派というだけではサラの物語の起伏に対応できなくなり、結局、サラはかなり喜怒哀楽の激しい、面白いキャラになりました。
このへんは、渚さやかよりも魅力的であるとも言えますが、さやかほどのテンプレ的な強烈な印象は残していないとも言えます。
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 11:50 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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