2011年01月12日

ホウオウレンジャー

ホウオウレンジャー.jpg





















1993年に作られた「五星戦隊ダイレンジャー」はバトルフィーバーJから数えて15作目でした。
といって、シリーズ開始15周年記念作品として何か大々的に派手なことをしたわけではありません。
10周年のライブマンの時はシリーズもある意味絶頂期でしたので、記念作品的な何かをやろうということで有名タレントを引っ張ってきたりする余裕もあったのですが、
この「ダイレンジャー」の企画時期は、まだジュウレンジャーの成否も定かではなく、シリーズの存続さえ危ぶまれていた頃ですから、特に記念作品的な何かがあったわけではありません。
ただ、15周年であることは制作陣やキャスト達も承知しており、ちょうどジュウレンジャーでシリーズ復活のきっかけを掴んだところでもあったので、ちょっと異様な熱気でこの「ダイレンジャー」という作品は作られました。

作品の基本フォーマットは、前作ジュウレンジャーで開拓したファンタジー路線の古代中華版みたいなものです。
ジュウレンジャーでは世界観を西洋ファンタジー風味で作りあげましたが、ダイレンジャーではこれを東洋ファンタジーに置き換えたのです。
東洋ファンタジーとは、古代中国の伝奇世界のような感じで、魔法の代わりに妖力や気力といった超自然的なパワーで戦い、アクションは古代の伝説のナイトたちのようなジュウレンジャーに対し、ダイレンジャーは古流の形意拳のような中国拳法で戦います。
そして巨大メカが恐竜の神様であった前作に比べ、ダイレンジャーはより世界観に忠実に、巨大メカに相当するのが龍や獅子、天馬、麒麟、鳳凰、白虎、亀などの東洋の伝説の生き物で、これらは自然の力(気力)が集まって生まれた超生命体という設定になってます。これが気殿獣というのですが、これが合体して巨大ロボに相当する気殿武人というものになるのです。

このような、あまりにも非日常的な世界観をガッチリと固めて、あとはそれに対するツッコミを一切排除して、ボケ倒しながらひたすら熱くヒロイックに、多少のストーリーの破綻は気にせずにノリと勢いで突っ走るというのが前作ジュウレンジャーで開拓した「ファンタジー戦隊」の方式です。

実際、ダイレンジャーもかなりぶっ飛んだ話です。
ジュウレンジャーは戦隊メンバー自体が古代恐竜人類の戦士というぶっ飛んだ設定でしたが、ダイレンジャーの場合、メンバーは現在の一般人の若者たちです。コック、ペットショップ店員、ボクサー、美容師、女子大生というふうに、不必要なほどに小市民的で、日常を一切排した前作とはうって変って、やたら日常が溢れているように見えます。
ところが、こんなに普通の市民である彼らがどうしてダイレンジャーとなって戦うのか、物語の中でまともに説明されていないのが、なんとも異様です。前作では親切過ぎるほど戦士たちが現代に現れた経緯が説明されており、それによって非日常感に説得力を持たせていたのですが、この作品においては、経緯の説明もロクに無いまま戦っている彼らの姿を見ることによって、何か彼らが得体の知れない非日常的な存在のように思えてくる効果があるのです。

紀元前6千年頃に生まれた古代中国のダオス文明が妖力を使うゴーマ族と気力を使うダイ族に分かれて争い、5千年に及ぶ戦いの果て、ダオス文明は滅び、ゴーマ族とダイ族は姿を消しました。
そして現代においてゴーマ族が甦って世界征服を企んだので、ダイ族の末裔の道士嘉翔がダイ族の血を引く気力の強い若者5人を集めて対抗するというお話です。
つまり5人はダイ族の末裔ということになるのですが、嘉翔に集められるまでは普通の生活を送っていたようであり、拳法の修行をしていたというわけでもない。なのに何故か拳法を使えるし、そもそも戦う因縁なども自覚していた様子は無い。単に嘉翔に言われるまま戦っているように見える。実際、彼らは普段集まって作戦会議をするわけでもなく、それぞれが日常生活を送っていて嘉翔から呼び出しを受けて集まって戦い始める。嘉翔の言う通りに戦っているだけなのだ。だが、そもそも彼らがどうして嘉翔の言うことをそんなに素直に聞くのかも謎である。もともと知り合いだったのは親族であるリンぐらいで、他はほとんど初対面で嘉翔に従っている。武術家同士の知己であったわけでもない。彼らはもともと武術家ですらなかったのだから。

もうツッコミどころが満載です。しかし劇中では誰もツッコミません。全員がひたすらボケ倒して、この謎設定のまま、何事も無いかのように物語は猛烈な勢いで進んでいくのです。ある意味、彼らが戦っていること自体が最大のファンタジーだとさえ言えます。これじゃまだ恐竜人類の戦士の方が説明されている分、リアルな存在のように思えるくらいです。

しかし、こんな変なやり方でファンタジックなムードを作る必要は無いはずです。
普通に古代ダイ族の拳法の継承者の戦隊にすればいい。何処かの山奥で隠れて修行してきたか、あるいはジュウレンジャーのように冷凍睡眠してきたり時空を超えてきてもいい。そんなのの方が非日常性が簡単に出せます。
しかし、そのようにしなかったのは、彼らを普通の現代の若者として描きたかったからでしょう。現代の若者として彼らを設定するのが前提条件で、その上で非日常性を持たせるという難題をクリアするためには、あらゆることを説明しないという荒技を使うしかなかったということなのでしょう。

では、どうしてそんな乱暴なことをしてまで、彼らを現代の若者にしたかったのか。
それは前作ジュウレンジャーで戦隊メンバー5人をあまりに現代から遊離した存在にしてしまったため、酷い天然ボケ集団になってしまい、彼らのドラマを描くことが困難になり、その結果、彼らのキャラが薄くなってしまったからでした。
この主役陣5人のキャラの薄さはジュウレンジャーの反省点でした。ジュウレンジャーは人気作でしたが主役5人があまり人気が無いという珍しい作品で、人気のあったのは敵首領のバンドーラと追加戦士のブライでした。
バンドーラはまぁいいとして、ブライがどうして人気があったかというと、キャラが濃かったからです。それは、ブライだけメインストーリーとは別に独自のドラマ(ティラノレンジャー・ゲキへの復讐劇)を持っていたからです。
ならば、ダイレンジャーで戦隊メンバーのキャラを立てようとするならば、5人全員をブライのようにすればいい。つまり、5人それぞれにメインストーリーとは別のサイドストーリーを持たせればいいということになります。
そして、彼らのサイドストーリーを考える上で、彼らが得体の知れない古代人であったりすると、そのサイドストーリーが見ても分かりにくくなるし、そもそもサイドストーリー自体、考えるのが難しくなります。そこで彼らを視聴者が感情移入しやすい現代の若者にしたのでしょう。

そのように彼らを現代の普通の若者にしたことによって、彼らには日常性が生じます。
この日常性というやつはエブリデイマジック作品をコメディーたらしめている原動力で、これは戦隊シリーズのようなヒーロードラマにとっては危険な代物です。彼らの日常性が「ゴーマと気力で戦う」というファンタジック極まりない非日常要素と触れ合う時、そこにツッコミを入れてしまい笑いを生じる危険があるからです。
ところがダイレンジャーでは、彼ら5人はゴーマとの戦いで何ら主体的判断をしないで嘉翔の言うがままに動くことによって、彼らの日常性が「ゴーマとの戦い」という非日常に深く触れることを巧みに回避し、彼らからの余計なツッコミが入らない構図になっています。
その一方で、彼らの日常性は彼らそれぞれのサイドストーリーを深みあるものにしていきます。サイドストーリーの方では彼らは主体的判断で動いているからです。但し、このサイドストーリーの方でも彼らはあまり非日常に対するツッコミは入れません。メインストーリーの際と同じように素直に状況を受け入れて突っ走っていきます。それでも最終的には常識的感覚がそこには入ってきてしまい、それによってサイドストーリーはファンタジー色は薄れます。それと引き換えに彼ら5人のキャラは立ちます。

要するにファンタジーを徹底するとキャラ立ちを阻害するのです。だからサイドストーリーを作って、そこでファンタジー性を多少犠牲にしながら各自のキャラを立たせ、肝心のメインストーリーにおいては戦隊メンバーをあまり深く関わらせずにファンタジー性を完全な状態で維持するというわけです。
つまり、ダイレンジャーという物語の構造は、1つのメインストーリーと5つのサイドストーリーで成り立っており、5人の戦隊メンバーがそれぞれ5つのメインストーリーの主役を務め、メインストーリーの主役はこの物語で最もファンタジックな人物である嘉翔が務めているのです。メインストーリーである「ダイ族VSゴーマ族の戦い」においてはダイレンジャー5人は嘉翔の意思で動く傭兵のような存在で、脇役なのです。
極論として言えば、同一の世界観の5つのオムニバスドラマの主人公たちが同じ戦隊のメンバーで、その彼ら5人が嘉翔主演の壮大な大河ドラマにも客演しているような感じともいえます。その客演の経緯などはあえて詳しくは触れられておらず、触れられないまま物語は終わったという感じです。
そして、このメインストーリーもサブストーリーも全て、出来るだけ日常的視点によるツッコミを排して、多少の矛盾は無視してノリと勢いで突っ走る仕様となっているため、普通の作品では1つしかないエンジンが6つついているようなもので、その6つのエンジンがフル回転するものですから、作品にシリーズ屈指のとんでもないノリと勢いが生まれるのです。
非常に特殊な構成の戦隊作品だといえます。これも全て、ファンタジーを徹底させながら戦隊メンバーのキャラを徹底的に立たせるという本来矛盾した難事を達成しようとしたからでした。

scan014-2.jpgこのダイレンジャーの戦隊ヒロインは前作のメイの場合と同様、紅一点となっています。
それがホウオウレンジャーであり、変身するのは中国から日本の大学への留学生のリンです。
このリンは前作のメイを踏襲したようなヒロインといえますが、メイよりもキャラがしっかり立つように配慮もされています。
リンは嘉翔の姪だそうですが、嘉翔の真実の経歴を考えると姪というのは何かの間違いでしょう。まぁそのあたりから既にアバウトなのですが、嘉翔の血縁ではあるようです。ゆえに嘉翔のことを「おじさま」と呼びます。この呼び方や、普段の上品な言動などから、育ちは良いようです。お嬢様なのでしょう。このへん、プリンセスだったメイと似ています。
性格は優しく真面目で、可憐な容姿である点もメイと共通しています。

ただメイのように度を超した純朴というかアホというか、そういう特徴は無く、かといって特別に賢いというわけでもなく、ごく普通の美少女という感じです。それでも、やはり留学生という点もあって、やや世間ズレしているような雰囲気はあります。こういう点もメイに似ていなくもない。というか、このどう見ても中国人には見えないリンが中国からの留学生設定になっているのは、嘉翔の血縁者とするためであると同時に、やはりメイのような異邦人っぽさを出すためなのだと思えます。
そして、リンは嘉翔の血縁者であることから、5人の中で一番気力が強いのです。気力というのは一種のサイキックパワーで、超能力です。それが強いため、リンだけは変身前の生身でも気力を使うことが出来ます。これはおそらくアクションの必要性から生じた設定でしょう。

リン以外の4人を演じた役者は皆、アクションが出来る者たちでしたが、リン役は前作のメイ役の千葉麗子と同様、新人アイドルの高橋夏樹でした。高橋も千葉同様、アクションの経験があったわけではないですが、よく頑張ってアクションに挑戦はしました。それでも完全にこなすことが出来るわけではありません。どうしても男性メンバーよりはアクションで劣ります。そこで生身でも超能力を使える設定にしておけば、特殊効果を使ってアクションを補うことが出来るのです。これは前作で恐竜人類や弓矢ヒロインという特殊設定でアクションを補ったメイの場合と同じタイプの措置だといえます。ファンタジー系のヒロインだからこそ使える裏技といえます。

このように、リンはメイによく似ています。どうして似ているのかというと、やはり似たようなピュアなイメージの新人グラビアアイドルが似たようなファンタジー系戦隊のヒロインをやるということで、似たような感じになったのでしょう。
ただ、このようにメイに似てしまうということは、リンもまたメイと同じようにキャラが薄くなってしまう危険が大きいということです。実際、リンは5人の中では一番キャラが薄かったとは言えますが、それは、異国人であること、嘉翔に近いこと、超能力を使えることなど、5人の中では最も非日常的な存在であったからだと思います。つまり非日常的なメインストーリーに埋没しやすい傾向があったということです。

こうしたリンのキャラを立たせるために組み込まれたサイドストーリーは、追加戦士でり小学生戦士であるコウがリンの家に居候して、それを最初は嫌がっていたリンがコウの寂しさを知ってコウとの共同生活を受け入れ、コウの母親とも触れ合い、親子の愛を知るというものです。
キャラの立て方というのは、最初に記号的にキャラの特徴を打ち出して、そのキャラが活躍できそうなストーリーを繰り返してキャラを認知させていくという手法もありますが、このダイレンジャーではそういう手法はとっていません。最初にキャラの基礎は決めておいて、そのキャラを成長させ変えていって作りあげる過程としてストーリーを用いるようです。ダイレンジャーにおける5人のサイドストーリーは皆、そんな感じです。
リンの場合は、優しく親切な女の子ではあるのですが、まだ未熟で母性愛というものが理解できていないのですが、それがコウやコウの母親と触れ合っていくうちに理解出来ていく。これはリンの成長であり、サイドストーリーが進むについれてリンのキャラは完成されていきます。

ダイレンジャーは服装のパターン化を廃した珍しい戦隊です。だいたい通常の戦隊はパーソナルカラーを用いた制服か、あるいは私服でもパーソナルカラーを使った何パターンかの決まった服を着ることが多いです。これはキャラを記号的に認識してもらおうという姿勢ですが、ダイレンンジャーはこれを拒否し、毎回違う種類でパーソナルカラーとも関係無い色の服を着て、成長していく生身のキャラを受け入れてもらえるという自負を示しているのです。
だから、リンもまたサイドストーリーでキャラを成長させて、その過程ごと、生身のリンのキャラを視聴者に提示しているのです。これは演者もスタッフも視聴者も一緒になってリンというキャラを育てていっているようなもので、特にダイレンジャーではそれぞれのキャラのサイドストーリーに担当する脚本家を分担しており、その分、演者や関係者や視聴者のキャラへの愛着や思い入れは大きなものになります。

同じように、リュウレンジャー・亮のサイドストーリーは的場陣というライバル拳法家との勝負、シシレンジャー・大五のサイドストーリーはダイ族の美女クジャクとの愛、テンマレンジャー・将児のサイドストーリーはゴーマ3ちゃんズという落ちこぼれ敵怪人との奇妙なライバル関係、キリンレンジャー・知のサイドストーリーは亀夫というさえない男との友情物語となっており、これらによって5人のキャラは非常に濃いものとなり、5人自身も自分の演じたキャラに強い愛を持っていたようです。

しかし、このダイレンジャーの5人全員が主役という特殊な作劇法には致命的な欠点もあります。
この5本のサイドストーリーと1本のメインストーリーがそのまま6本バラバラのまま物語が終わるということは有り得ないわけで、これらは最終的には1本に収斂されていかねばなりません。
実際、第3クールに入ると、5本のサイドストーリーはそれぞれ決着していき、それがメインストーリーのクライマックスへの流れに収斂していくという構造になっていたのでした。
これは、このまま綺麗に決まれば、これほど見事な作劇も無いでしょう。

しかし実際はそんな上手くいくわけはありません。6本の物語を同等に同時進行させて5本の結末を最後の1本のクライマックスの伏線にするなど、あまりに高度すぎます。案の定、5本のサイドストーリーの間で細かい部分で矛盾が生じまくって、それらが一気に流れ込んだメインストーリーのクライマックスは支離滅裂な物語になってしまいました。
そもそも、それまでサイドストーリーの干渉を全く受けていなかったメインストーリー自体が嘉翔や大神龍というようなキャラがノリと勢いでやりたい放題にしてしまっており、既にかなり支離滅裂であったのですが、そこに相矛盾した5本のサイドストーリーが流れ込んできたので、もう収拾がつかなくなり、噴出する矛盾を吹き飛ばすためにノリと勢いで突っ切り、そうしてまた新たに生じる矛盾をまたノリと勢いで吹き飛ばしという行為を繰り返し、やたらボルテージが上がって行ってもうワケが分からない状態になってしまいました。

ここで嘉翔が散々意味不明の行動をとった挙句ダイレンジャーを解散してしまい、更に死んでしまいます。ダイレンジャーの5人はメインストーリーで嘉翔無しでは動けないので茫然自失してしまいます。ところがここでそれぞれのサイドストーリーで関わった人物たちの幻が現れて、5人に戦う意味を気付かせてくれます。
普通はこの流れでゴーマを倒して綺麗に終わっても良さそうなものですが、もはや完全に暴走したダイレンジャーのストーリーはこんなことでは止まらず、視聴者の予想もつかない展開に突っ走っていき、結局、ダイ族とゴーマ族の決着はつかないまま、敵の主要キャラがみんな泥人形だったというワケの分からない結末となり、ラストは50年後の亮たちの孫が変身した新しいダイレンンジャーが再びゴーマ族と戦い始めるところで終わるという、前代未聞の結末となったのでした。

ダイレンジャーは、シリーズ史上、最もノリと勢いが激しく、最もストーリーが支離滅裂だった作品といえるでしょう。だからストーリーを重視して見ると、こんなに酷い作品もそうそう無いのですが、同時にこれほど見ていて熱く楽しく燃えに燃える作品も滅多にありません。
また、5人のキャラはとんでもなく立っています。それも記号的な立ち方ではなく、生きているキャラとして立っているのが凄いです。しかし、これは考えてみれば当たり前のことで、ストーリーをここまで犠牲にしてもキャラをとにかく立てることがこの作品の至上命題だったからです。
いや、そのためにストーリーが無茶苦茶になった中で、あくまでノリと勢いで突っ走るパワーは凄いといえます。そこまでのエネルギーをキャラに突っ込むことが出来たのは一種の奇跡であったと言ってもいいでしょう。
それは、変身しないまま名乗りをするという無意味でありながら異常に燃えるシーンが終盤に登場したことに象徴されています。
稀に見る無謀な挑戦をした結果生まれた、大失敗作にして大成功作と言えるでしょう。
ただ、このノリと勢いが功を奏したのか、視聴率、玩具売上げともに好調で、玩具はジュウレンジャーよりも更に売れました。
やはり、役者がここまで愛着を持って演じているとその熱気というのは視聴者にも伝わるし、それは視聴者の作品への思い入れにも繋がるのです。やはり大成功作だったのかもしれません。

ただ、よくよく考えれば、そこまでして5人全員のキャラを立たせまくる必要も無いわけです。ストーリーを破壊してまでやることではないのです。やはり物語というのはストーリーが大事ですから、5人のうち主役は主役で決めておいて、一応は主役に焦点を絞ったメインストーリーを中心に、サブキャラにはサイドストーリーを適当にあてがっておいて、メインストーリーに支障をきたさない程度に抑制し、結果として5人中1人か2人ぐらいは空気キャラが出ても、それはそれで仕方ないという考え方が穏便で良いといえるでしょう。
以後は戦隊シリーズも基本的にはそのような穏便な作劇法をとるようになり、ダイレンジャーのような極端な作劇は行われなくなります。
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 22:13 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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