2011年01月15日

オーピンク

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オーレンジャーのダブルヒロインのうち、二条樹里と並ぶもう1人の片割れがオーピンクに変身する丸尾桃です。
この丸尾桃はある意味では現在最も有名な戦隊ヒロインの1人です。それは演じていたのが当時売れないグラドルだった珠緒、つまり現在のさとう珠緒だからです。
戦隊シリーズ出演後に芸能界でブレイクしたタレントとして、珠緒は最も顕著な成功例の1人でしょう。ヒロインでは一番の出世頭であるのは間違いないです。
しかも珠緒の場合、成功した後も戦隊ヒロインであった事を誇りに思い、あちこちで積極的にオーレンジャー出演時のことを発言しています。
他の成功者の場合、本人は戦隊に思い入れを持っていても事務所的に隠したがることは多いのですが、珠緒の場合はそういうことはないようです。

オーレンジャー出演の翌1996年、珠緒は「ミニスカポリス」でブレイクし、人気の情報バラエティー番組「王様のブランチ」のレギュラーとなり、1998年には司会にまで昇格しました。
この「ブランチ」出演時に戦隊ヒロインだった過去をさんざんネタにされた珠緒は、全く恥じることなく、むしろ堂々と変身ポーズを披露したり、想い出話などをしており、
珠緒が司会にまで登りつめ成功したことによって、戦隊ヒロインや戦隊出演者というもののイメージが肯定的なものとなり、芸能界で成功する1つの近道、若手役者の登竜門というような認識が定着したのは、実はスーパー戦隊の歴史上、特筆すべきことだったりします。
これ以降、戦隊メンバーのオーディションの応募人数が飛躍的に増え、その分、厳選した良い若手役者を選ぶことが出来るようになったのです。

こういう事情から見て、珠緒のシリーズへの貢献は非常に大であり、珠緒自身、オーレンジャーで演じた丸尾桃という役に非常に愛着を持っているのは事実です。
ただ、戦隊出身役者はたいていは自分の演じた役に愛着は持っています。駆け出しの頃に1年間ずっと同じ役を演じるわけで、愛着を持つなという方が難しいでしょう。
多くの役者は結局は戦隊が代表作になってしまう例が多いわけで、それならなおさら愛着も大きいというものです。
珠緒の場合、成功してそれなりに大きな仕事も他にある中で丸尾桃に対する愛着を持ち続けているのは偉いとは思いますが、これは珠緒の性格の問題であって、丸尾桃という役が素晴らしいキャラであったかどうかという問題とはあくまで別問題です。
珠緒がブレイクしたのは、あくまでオーレンジャーの翌年の「ミニスカポリス」であって、オーレンジャー出演時には、あまりパッとしませんでした。
それは丸尾桃というキャラがパッとしなかったからでした。
むしろ珠緒はかなり奮闘していたと思います。それに、当時の珠緒は翌年にブレイクするぐらいですから本当に可愛く、歴代ヒロインでも屈指の容姿の良さといえます。
が、それでも基本的に桃というキャラがパッとしなかったため、ブレイクまでは至らなかったのです。まぁオーレンジャーという作品自体がコケたのが最大の原因ですが。

オーピンクに変身する丸尾桃はおそらく当初はダブルヒロイン制における伝統的な「弱いヒロイン」、すなわち女らしさ担当として設定されていたと思われます。なんとなく漠然と小さくて可愛い女の子というイメージで珠緒もキャスティングされたのでしょう。
しかし同時に、国際空軍の最精鋭チームの一員だったという設定ですから、単に可愛いだけでは済まされません。中国拳法と合気道の達人であり、頭も良い。エリート軍人なら当然のことです。
しかし、こうなるともう1人のヒロインの樹里とキャラがかぶってきます。樹里とのキャラ分けがちゃんと出来ていないのです。
これは当初構想の5つの王家の力を受け継ぐ戦士という設定が無くなって、5人全員をエリート軍人にしてしまった時点でキャラ分けが曖昧になる宿命にあったわけですが、桃たちのキャラの混乱はこれだけにはとどまっていません。

scan093.jpg桃は茶目っ気たっぷりで、自信過剰で、オシャレで、臆病で、ちゃっかり屋で、情にもろい江戸っ子気質であったりして、あまりに多様な面がありすぎます。
こういう多様な面がありすぎるというのは樹里にも男性メンバーにも言えることですが、まぁある意味リアルな人物造形ともいえます。現実に生きている人間というのは多様な側面を持っているものだからです。
しかし、戦隊シリーズというのは極めて架空性の高いドラマシリーズですから、あまりリアルすぎる人物造形は必ずしも必要ではないし、子供向けドラマですから、変に生々しい性格描写は要らないでしょう。
特に桃や樹里は変に生々しいリアルな女性の側面が見えがちで、メイン視聴者の男児にはそういうのはあまり観ていて楽しいものではないでしょう。
そもそも、そうした多様な側面が例えばダイレンジャーの時のようにちゃんと一貫した個人ストーリーを追う過程で出て来るのならまだ理解は出来るのですが、オーレンンジャーの場合、そんなちゃんとした個人ストーリーも無く、どうにも断片的で脈絡の無い印象です。

結局、これはストーリーが迷走して、それに伴って登場人物のキャラがブレていっているだけで、更に悪い事にキャラ描写がスカスカなために役者の素の顔が出てしまっている模様です。
素といっても、もちろん本当の素ではなく、あくまでタレントとしての素ですが、役柄というものがもはや半ば有名無実化しているような印象すら受けます。
珠緒の場合、タレントとしての素がたまたま魅力的であったので、かなり頑張って面白い天然ボケ風の桃のキャラを表現出来ているのですが、もはや元の設定の桃とはだいぶ違うキャラになってしまっています。
結局は作品自体の迷走が激しく、珠緒が孤軍奮闘しても桃のキャラを人気キャラにまですることは出来ませんでした。

しかし、どうしてそんな酷いことになってしまったのか。
よく言われるのが、まぁ珠緒本人も言っていることですが、オーレンジャー放送開始後2週間ちょっとぐらいの3月20日、地下鉄サリン事件が起こったことが原因という説があります。
サリン事件を起こしたのがオウム真理教であることはすぐに明らかとなり、そのオウム真理教の教義に1999年のハルマゲドン到来を目指していたり、ピラミッドパワーで空中浮遊とか、超能力とか、まぁ要するに巷のオカルト的な言説のゴッタ煮のようなのがオウムの教義の実態だったのですが、それらを信奉してる団体が起こした事件があまりにも悪質であったことが問題となったのでした。
というのも、オーレンジャーのストーリーも1999年の出来事として描かれており、機械の帝国バラノイアの侵略をハルマゲドンの恐怖の大王に見なしていたのが、オウムの教義に妙に一致点があり、更に物語の中でピラミッドが出て来たり、超能力がモチーフになっていたりして、当時異常に過敏になっていた世間を刺激するのに十分な不謹慎な内容であったのです。

それで自粛して、ハード路線は引っ込めて、路線変更してギャグ路線に走らざるを得なかったと言われています。
しかし、序盤のギャグ路線エピソードはサリン事件以前から制作されており、サリン事件後の路線変更とは関係無いでしょう。
実際はもともとコメディー路線への志向とハード路線への志向がせめぎ合っていたと見た方が正解でしょう。
というより、企画段階の経緯を考えると、もともとは不思議コメディー路線の戦隊を作る予定だったところに、後から急遽20周年記念ということでハード路線が割り込んできたのであって、それがあまりに急ごしらえで中身がスカスカであったので、どっちにしてもコメディー路線で随所を埋めていかざるを得なかったと思われます。
つまり、コメディー路線が出て来るのはサリン事件が無かったとしても確定的だったのです。

こういうハード路線とコメディー路線の間を行ったり来たりする作品というならば、前作カクレンジャーも同じようなものでした。だから本来はカクレンジャーぐらいの出来の作品になるはずだったのです。
ところがそれ以上の惨状になってしまった原因こそが、サリン事件です。
サリン事件のせいでハード路線を推進する勢力がすっかり身動きが取れなくなってしまって、コメディー路線のほうがメインになってしまったのです。
といっても、世界観の設定はハード路線に合わせたものになっていますから、コメディー路線はエピソードを埋める程度には使えても、メインを張るわけにはいかないのです。そんなことをすれば世界観とストーリーの間に齟齬が生じて破綻してしまいます。
しかし、結局そうしてしまった。その結果、オーレンジャーの物語は破綻したのです。そして、それに伴って登場人物のキャラも破綻したのでした。

ただ、それでも、丁寧にストーリーを組み立て直し、人物を描写していけば、当初構想とは違うものとなっても、それなりの作品にはなったはずです。
ところが、オーレンジャーにおいてはそうした努力はなされなかった。終盤になっても相変わらずコメディー路線に突っ走り、しかもそれが破綻しており、あとはバラノイアの着ぐるみ同士のコントのようなものが延々とあったりして、最後は散々と人間の心の美しさを美辞麗句で説いた後、「機械にも心があった」という新たな発見にオーレンジャー達が驚いて、投げっぱなしのようにして終わってしまいました。
これはもう完全に物語が破綻して終わったと言っていいでしょう。あまりに異常で、結果、オーレンジャーは平均視聴率が歴代最低をマークしてしまい、この不名誉な記録は未だに破られていません。
また、例えばカクレンジャーの場合は最初はコメディー路線で後半は熱いヒーロードラマになったため、なんだか成長したような印象となっているのに対し、オーレンジャーの場合、最初がやたらハード路線だったため、後でコメディー路線になってしまったことが劣化したような印象になってしまったのが痛かった。同じように迷走していても、順序が逆だとかなり印象は違うものです。

何故、丁寧にストーリーを組み立て直すことが出来なかったのか。
その大きな原因が、あまりにも多くの巨大ロボットが出て来たことです。
オーレンジャーはあまりにも巨大マシンや巨大ロボが多い。巨大ロボだけでもガンマジンも入れれば7つあり、5人が個別に操縦する個別ロボも5つあり、それとは別に5人の個別マシンも5つあり、とにかく多い。当然、巨大戦に割く時間が多くなり、ドラマ部分は減る。
これは、まず過剰な玩具販促のためでありました。
20周年記念作品というのも、もともとは販促キャンペーンのためでしたから、当然張り切ってたくさんの玩具を売ろうとします。
それでこういうことになってしまったのですが、実際、このキャンペーンの目論みだけは上手くいき、オーレンジャーは視聴率は最低だったにもかかわらず、玩具売上は極めて高い数字を残しています。
そりゃあこれだけ玩具を発売すれば売上の数字も稼げるだろうとも思えますが、きっちり売れているというのはやはり凄い。
これは、もともと大人向けのハード路線を目指していたにもかかわらず結果的にはコメディー路線に落ち着いてしまったため、小さい子供たちには意外にウケたというのもあるようです。

また、やたらと巨大ロボがたくさん出て来るのはパワーレンジャーの影響もあります。
この巨大ロボがやたら多いのはカクレンジャーの時も同じで、カクレンジャーからオーレンジャーの2年間に特に顕著な特徴です。
つまり、パワーレンジャーでは役者の芝居部分は素材として使えず、巨大戦のシーンなどは素材で使えるのです。だから、巨大ロボを多く出してそのシーンを増やしているのは、パワーレンジャーのために出来るだけ多くの使える素材を提供してあげようという配慮なのでしょう。
だからパワーレンジャー化が確定した直後の2つの戦隊にその特徴が特に顕著なのです。

しかしながら、巨大ロボが多いことだけがドラマをちゃんと作らなかった原因ではないでしょう。
巨大戦シーンが多くなったガオレンジャー以降でもちゃんとドラマは作れているのですから、その気に成れば何とでも工夫は出来るのです。
つまり、この時期、ドラマを描く気が無くなっていたとしか思えないのです。
それは、おそらくサリン事件とそれに引き続くオウム真理教事件のせいでしょう。それは自粛とかいうものではありません。実際は自粛というのは体の良い口実であった可能性が高いです。
本当は思考停止してしまったのでしょう。だからオーレンジャーの終盤はストーリーが破綻したまま放置して終わってしまったのです。

スーパー戦隊シリーズというのは、もともと「世界征服を企む絶対悪の組織と戦う絶対正義のヒーロー」がコンセプトでした。
そして、その悪の組織というのは、だいたいは強大な軍事力を持った抑圧的な大帝国として描写され、それに対して立ち向かう戦隊は清廉潔白な若者たちでした。
ここでイメージされている悪の侵略組織には、冷戦時代のソ連のイメージが投影されています。
ソ連は遠くてよく分からない存在でした。それでいて脅威と悪意だけは強く感じる。そういう物に対しては全く無理解の恐怖と嫌悪の感情しか湧いてきません。つまり絶対悪です。倒すべき悪魔であり、それ以上の理解など不要です。よって、それと戦う者は被害者の正当な権利を振るっているだけであり絶対正義です。
こういう善悪二元論的な現実社会の認識を架空の物語に投影してスーパー戦隊シリーズは成立していました。

それが1989年のターボレンジャーあたりからネタ切れ感が漂ってきました。
これは本当はネタ切れではなかったのかもしれません。冷戦時代の終焉時期、スーパー戦隊シリーズを支えて来た世界観が賞味期限が切れかけていたのかもしれません。
そのシリーズの危機をファンタジー路線の導入で乗り切っていたのですが、これはまぁ一種の現実逃避で、延々と続けられるものではありません。ファンタジー路線がダメだとは言いませんが、それだけで続けられるものではないということです。
いや、それを延々と続けようとしたから、カクレンジャーにおいてコメディー化という陥穽に嵌ってしまったとも言えます。やはりヒーロードラマを続けていくのならファンタジー要素は受け入れつつも現実にも向き合う必要はあるのです。
そして、この1995年という時代に、オーレンジャーにおいて20周年記念ということでハード路線、つまり冷戦時代そのままのような古い世界観を据えたことによって、現実とのギャップをまざまざと見せつけられることになったのです。

オーレンジャーにおいて打ち出された世界観は、心を持たない冷たい機械の絶対悪の帝国と、それと戦う愛と勇気に溢れた温かい心を持つ人間の戦士たちの対立構図でした。
これは冷戦時代の遠くにある悪の大帝国ソ連と、その被害者である正義の日本の構図そのままでした。
しかし現実にはもうソ連も無く、古い対立構図も無くなっており、現実に現れたのはオウム真理教のような、日常に潜む悪意でした。
味方のはずの身近な人間達こそが悪意の根源だったのです。
そうした現実を突きつけられてしまい、オーレンジャーの世界観が陳腐極まりないことが白日の下に晒されてしまったのが、オーレンジャー失敗の最大の原因です。

これにより、オーレンジャーの劇中で語られる美辞麗句は全て空虚なものとなったのです。
子供はもちろん冷戦終焉やオウム事件の意味など分かりません。
が、作る側や演じる側が信じることが出来ない哲学、空虚だと感じる言説などに基づいて作られた物語は、子供はその空虚さには敏感に気付くものなのです。
これに対抗して新たな現実に即したドラマを紡ぎ出すだけの哲学をこの時点の戦隊スタッフは持ち得なかったのです。それで思考停止してしまい、物語は破綻したまま終わったのです。
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 12:04 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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