2011年01月24日

メガピンク

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行き掛かり上、仕方なく日常生活を送りながらメガレンジャーとしてネジレジアの侵略と戦う羽目となってしまった諸星学園高校デジタル研究会の5人組ですが、そもそも戦士としての自覚も覚悟もありませんから、戦いに身が入るはずがありません。
だが、5人の中でも根っから真面目な性格の耕一郎と千里の二人は、ネジレジアから地球を守ることの意義は理屈としては有意義なことだと思っているので、出来るだけ博士の期待に応えなければいけないと思い、他の3人の尻を叩いて、自分たちなりに頑張っていこうということになります。
耕一郎はデジ研の部長で千里は副部長なのですが、そのまま耕一郎がメガレンジャーのリーダー、千里がサブリーダーということになります。

しかしメガレンジャーの場合、戦いの覚悟だけ持てば何とかなるわけではありません。
そもそもこの5人は戦えないのです。いやメガレンジャーに変身すれば戦えるのですが、変身していない生身の状態では全く戦えないのです。
それは当たり前の話で、何の戦闘訓練も受けていない普通の高校生なのです。持って生まれた不思議な能力があるわけでもありません。特殊な光線を浴びて肉体機能が強化されているわけでもありません。全く戦う能力を持っていない5人の普通の高校生なのです。
変身後はメガレンジャーの自動戦闘プログラムで戦えているだけのことで、変身を解いて生身に戻れば怪人はおろか戦闘員にも勝つことは出来ないでしょう。
だから、この5人は決して生身で戦うことはありません。生身で戦えば危険だからです。
また、人目のある場所で変身することすら出来ません。もしネジレジアに正体が知られてしまうと、生身があまりに無力なので生身の時を狙って襲われる危険があるからです。
それに生身で日常生活を送っている以上、正体が知られると周囲の人達も危険に巻き込んでしまいます。

このように正体を隠して生身では決して戦わない戦隊というのは、このメガレンジャーと前戦隊のカーレンジャーしかありません。
劇中での戦わない理由は、両戦隊とも、生身では戦う力が無いからでした。
ただ、カーレンジャーの場合は生身で戦わせないようにしている制作側の真の動機は、生身の彼らのコメディー要素を最大限に引き出したいというような動機でした。
それゆえ、カーレンジャーの5人が生身のシーンは緊迫感のあるシーンはほぼ皆無です。
一方、メガレンジャーの場合は生身での戦闘シーンはありませんが、生身でのピンチシーンは非常に多くあります。
生身では戦えない彼らがネジレジアの襲撃を受けるということですが、ネジレジアも彼らの正体を知って狙ってくるわけではありません。たまたまネジレジアの襲撃地点で彼らが巻き込まれる頻度が高いのです。

そんな偶然が都合よくたびたび起きるわけもなく、これはもちろん制作側がわざとそのような描写を増やしているのですが、
何を見せたいのかというと、ネジレジアの襲撃に巻き込まれて、戦うことも出来ず、変身することも出来ず、出来るだけ目立たないように他の被害者に混じって共に右往左往するメガレンジャーのメンバーの姿です。
ハッキリ言って、こんなカッコ悪いヒーローの姿も無いと思うのですが、どうしてこんなみっともないシーンを制作側は強調したいのかというと、
彼らが本質的には一般人と何ら変わらない弱い人間だということをハッキリと見せつけるためです。

彼らは普通の人間より一段高い場所に立つ特別な存在ではないのです。
彼らのスーツは歴代戦隊でも随一といえるほど個性がありません。
単に色が違うのと女子の分はスカートがついているだけで、他はデザインの差異はありません。
つまり彼ら個々のためにあつらえたものではなく、誰が着てもいいはずだったものを彼らは一時的に借用しているに過ぎません。
メガレンジャースーツの性能が戦っているのであって、彼ら個々の力で戦っているわけではないのです。
彼ら個々はスーツが無ければただの無力な一般人で、戦士ではないのです。
また彼らの巨大ロボも彼らの持ち物ではなく、I.N.E.T.の宇宙ステーションに彼らが移動して乗り込んで操縦させてもらって変形させたロボなのであって、これは合体ロボですらなく、彼ら個々のビークルもありません。
まぁこれは終盤に合体ロボが出てきますが、とにかく彼らの戦う力は彼らの本来の力ではないのです。
借り物の衣裳を剥ぎとってみれば、彼らは普通の弱い人間と同等の存在でしかないのです。

だからこそ、彼らは虐げられた弱い者の気持ちがどんなヒーローよりも実感出来るのです。
弱者を踏みにじる理不尽への怒りや悲哀もよく理解出来る。
自分と同じように平和な日常を理不尽に踏みにじられた普通の弱い人々のことを、共感し愛おしく想い、同じ立場の自分が守ってやりたいと強く思うようになるのです。
この強い想いが、彼らの弱さを乗り越えていくのです。
これが、メガレンジャーが自分の心の弱さに打ち勝って、闇に打ち勝つことが出来る原動力となるのです。

この物語で制作側が描きたいテーマはこれなのです。
「自らと同じ弱さを持つ人達を何としても守りたいという強い気持ちが自らの弱さを克服し、自らの心の闇に打ち勝つ」、こういうヒーローだからこそ、強大な悪に打ち勝つことが出来るということです。
このテーマを説得力あるものとするためには、そのテーマに沿った描写を積み重ねるしかありません。
そのためには、メガレンジャーのメンバーが一般人と同じように一人の無力な被害者として右往左往しつつ、その逆境をスーツの特殊能力によってではなく、一人の人間の勇気や意志力や知恵で切り抜けていく場面を何度も繰り返す必要があるのです。

そのためにはメガレンジャーのメンバーは変身前は無力で、正体は秘密で、やたらと生身の状態でネジレジアの襲撃に遭遇する設定でなければならなかったのです。
また、彼らが他の人々の弱さゆえに踏みにじられた日常への共感を持つ描写に説得力を持たせるためには、
彼ら自身の日常生活がいかにかけがえのない大切なものであり、楽しいものであるのか、具体的に描写しなければならない。
そのためには彼らは人生で一番活き活きとして楽しい高校時代を送っていなければならなかったのであり、その学園生活は緻密に描写されねばならなかったのです。

このテーマとそれを裏付ける描写を最後まで徹底するためにこそ、メガピンクに変身する今村みくというヒロインは必要だったといえます。
そもそも、何故、メガレンジャーはダブルヒロインなのか。
パワーレンジャーに合わせたのかとも思えますが、これはどうも違うように思います。
パワーレンジャーはこの前年にアメリカでコケており、それ以降、スーパー戦隊シリーズは過剰にパワーレンジャーに合わせるようにはならなくなりました。
実際、メガレンジャーの翌年のギンガマンからアバレンジャーまでの6年間、ヒロインは一人体制が続いています。メガレンジャーの時点でパワーレンジャーにはあまり気を使う必要は無かったでしょう。

かといって、かつての昭和のダブルヒロインのようにアクション担当と可愛さ担当に分ける必要は皆無です。
何せメガレンジャーには生身アクションが無いのですから。
となると、アクション不要と考えてみると、正統派の戦隊ヒロインに必要な要素は、千里だけで事足りているように思えます。
みくというキャラは通常の戦隊ヒロインとしては不要なように思えるのです。
しかし、メガレンジャーという作品においては単純にダブルヒロインであること自体に、まず意味はあります。
それはメガレンジャーが「弱さ」こそが持ち味の特殊な戦隊だからです。
単純に考えて、男と女なら戦闘面では女の方が弱いイメージがあります。ならば、メンバーに女が多いほうが、より弱く見える。
といって、男児向け番組ですから女の方を多くするわけにもいきませんから、ダブルヒロインぐらいが妥当ということになります。
また、そういう「弱さアピール」という意味でなら、みくのキャラがかなり戦隊ヒロインとしては特殊であることも説明がつきます。

w4-2.jpg今村みくは健太や千里らと同じクラスの諸星学園高校の3年生で、デジタル研究会のマスコット的存在です。
マスコットというと聞こえはいいが、オマケ部員であり、デジ研の活動は実質的には何もしてません。
単にいつも遊びに来てるだけで、やたら元気でおっちょこちょいで甘えん坊で、余計な言動でいつも皆に迷惑をかけているが、何故か憎めない性格なので許されています。
そういう意味でマスコットのような存在なのですが、ハッキリ言ってほとんど役立たずです。
まぁしいて言えば天真爛漫なムードメーカーと言ってもいいでしょう。
実は瞬のことが好きで、瞬の傍にいたいのでデジ研の部室に来ているようなものだが、告白する勇気など無く、片思いに甘んじている。しかし実際は周囲にはバレバレだという、まぁ要するにグズでドジな何かにつけてダメな子です。
勉強もイマイチ、スポーツもパッとしないという感じで、千里とは正反対のキャラだが、千里とは仲良し。
というか、千里がいつもみくに迷惑をかけられながらも、みくのことが放っておけないという感じです。

このように見てみると、みくはほとんど戦隊ヒロインとしての適性が無さそうなキャラです。
実際、みくは自分が戦隊ヒロインだという自覚もほとんど無いでしょう。普段は単に高校三年生としての生活を満喫することしか考えていません。
しかし、これは言い換えれば、5人の中で最も素直に普通の高校生として楽しんで生きているということです。
他の4人はメガレンジャーであることは多少は気にかけているのですが、みくはそのことすら忘れているのではないかと思わせるものがあります。
戦士としては困ったものですが、メガレンジャーという作品のテーマを考えれば、みくのようなキャラが最もテーマに忠実なキャラのようにも思えます。

ごく普通の学園生活に対する一般生徒としての深い愛情を持ち、それを守るためにこそ戦おうと思えるのがメガレンジャーなのですから、
そのためにはまず、みくのように自分こそ率先して学園生活に楽しみを見出すべきなのです。
瞬への片思いにしても、そんな深刻なものではなく、あれはあれでみくの青春にとってはかけがえのない楽しみなのです。
メガレンジャーにおける恋愛模様は千里と耕一郎も何となくいいムードだったりして、全部淡い描写で、これはビーファイターカブトにおける恋愛描写と同種のものです。

そして、このみくのダメ女っぷりも、メガレンジャーの最大の特徴であり、この作品の提示するヒーロー像に至るための最大のポイントである「メガレンジャーの弱さ」を最後まで維持するためには欠かせない要素なのです。
何故なら、みく以外の4人は次第に成長してしまって、なかなか最後まで弱い存在でいづらくなってくるからです。
戦っていくにつれて、耕一郎と千里は真面目なので着実に成長し、健太はバカだけど熱血で突っ走ってるうちに色々と学んでいき、瞬はもともと有能なのだが不真面目だっただけで、戦っていくうちに本来の実力を発揮出来るようになります。
こうして4人が成長していくのは良いことなのですが、作品的には困ってしまいます。メガレンンジャーというのは戦士の成長を描く物語ではないのです。

戦士はヒーローとして成長せずに弱いままで、弱いからこそ到達出来るヒーローの本質を描くのがこの作品の主眼です。
だから変に5人にヒーローっぽくなってもらっても困るのですが、1年間ものドラマにおいて全くキャラが成長しないというのも、見ている側はイライラしてしまいます。だからどうしてもキャラの成長というのは起きてしまう。
しかし全員が成長してヒーローっぽくなってしまうと作品のコンセプトが崩壊してしまうので、誰か1人だけ、どうしようもなくダメで全く成長しないキャラを作っておいて、他のメンバーが成長しても、そのダメキャラがいるせいで、最後まで足を引っ張られてメガレンジャー全体としては弱い印象を維持するようにしたのです。そのダメキャラが今村みくなのです。
これは別にみくというキャラを貶しているわけではありません。
むしろ、この作品における最重要キャラであると言ってもいい。
みくこそがメガレンジャーという作品のコンセプトを体現する存在であり、他のヒーロー作品では決して存在しないタイプのヒロインだからです。
みくがいなければ、メガレンジャーという作品は当初のコンセプトを最後まで維持することは出来ず、中途半端な作品になっていたことでしょう。

千里役の田中恵里もそうであるが、みく役の東山麻美も見た感じは普通の高校生っぽく見える地味な感じであるが、二人とも演技は確かでした。
これは他の男性メンバーもそうであるが、このメガレンジャーという作品においては、キャスティングにおいて演技力の比重が大きくなっているように見受けられます。
それは、この作品のテーマである「弱さゆえに弱い者のために戦える」という心情を演じるためには、結構内面を表現する演技力が必要であったからなのですが、
そもそもメガレンジャーでそのような演技力が必要となるような深い芝居が出来るようになったのは、放送時間帯変更が大きく関係しています。

実はこれ以前の金曜17時半開始枠の時はスーパー戦隊シリーズは「ダイナマン」以降はずっと25分枠だったのです。
それがメガレンジャーから日曜朝7時半開始枠となったことによって30分枠となったのです。
これは本編で使える時間が3分増えたということを意味します。
たった3分と言われるかもしれませんが、もともと25分番組だったわけですから12%にあたる尺が増えたことになり、しかもアクション部分はもともとしっかりとってあったから、この増えた3分はまるまるドラマ部分が増えることになります。
これは決して小さい時間ではない。この3分が増えたことによって、スーパー戦隊シリーズでは少々込み入ったドラマが描けるようになったのです。

これによって、メガレンジャーでも「自らと同じ弱さを持つ人達を何としても守りたいという強い気持ちが自らの弱さを克服し、自らの心の闇に打ち勝つ」というテーマに沿った人情の機微に溢れた友情や愛情のストーリーが描かれるようになったのでした。
そして、それに見合った演技力のある人材が求められるようになり、この後の作品でもこのアクションに対してドラマの重要度が上昇する傾向は維持され、アクション要素よりも演技力や雰囲気などがキャスティングにおいて重視されるようになっていくのでした。
また、登場人物のキャラ設定も複雑となっていき、アクション要素はあまりキャラ作りの際にも以前ほどは重視されなくなっていきます。
ただ作品としてアクションを軽視しているわけではありません。あくまでアクションはずっと最重要項目です。
ただ、アクションはスーツアクターがその多くを担う分野であり、顔出し役者はアクションにそこまで多くの責任は負わない。それよりもドラマ部分が3分増えたことで相対的に重要度が増し、顔出し役者に関してはドラマ部分重視でキャスティングされるようになっていくということです。

さて、このメガレンジャーでは終盤にはネジレジアを乗っ取ったヒネラーという男が実はかつて久保田博士の親友だった鮫島博士だったということが判明します。
久保田博士は親友の鮫島のことを気遣いますが、ヒネラーの方は久保田を逆恨みして攻撃を加えてきます。
友をなんとか救いたいという久保田の光の心と、友を逆恨みして破壊しようとする歪んでしまったヒネラーの闇の心の対比が描かれます。

そして、そのヒネラーがかつて鮫島博士だった頃に開発した禁断の強化スーツをネジレジアの邪悪な生命体に装着させた邪悪な戦隊ネジレンジャーという5人組キャラが登場します。
実は鮫島はかつてネジレジアの侵攻を予期してこの禁断のスーツを開発したのですが、あまりに強力すぎて人体に害を及ぼしたため鮫島は追放され、ネジレ次元へ去っていき、地球に復讐する意思を持つようになってしまったのです。
親友の久保田博士は鮫島の意思を継いでネジレジアの侵攻の危機を訴え、鮫島のスーツよりもパワーは劣るが安全なスーツを開発しました。それがメガレンジャースーツであったのです。

つまりネジレンジャーはメガレンジャーよりも強いのです。
メガレンジャーは変身前の生身だけでなく、変身後でも弱い存在となってしまったのです。
しかもネジレンジャーはメガレンジャーのスーツ情報を解析し、メガレンジャーに変身する人間の正体を割り出そうとまでします。
メガレンジャー5人は絶体絶命のピンチに立たされたのです。

ヒーローがここまで弱くていいものかとも思われそうですが、よくよく考えれば、こういうヒーロードラマのヒーローというのは最終的には自分よりも強大な敵に立ち向かって勝つことにカタルシスがあるものですから、相対的には弱いものなのです。
弱いヒーローこそ、ヒーローの本質なのだといえます。

メガレンジャーもこの絶体絶命のピンチを、弱いながらも工夫してギリギリの作戦と、弱い仲間を自分たちが守り抜くという決意でなんとか切り抜け逆転勝利を収めます。
ネジレンジャーの方は強大な力を持ちながらも破壊を好む性癖のためにヒネラーも絡んで足の引っ張り合いをして結局は自滅していきます。
この悪の戦隊が登場するというのもビーファイターシリーズから引き継いだ要素ですが、光と闇の戦いを象徴しています。
弱い者を守るために戦おうとしたメガレンジャーの光の心が、破壊のみを好むネジレンジャーの闇に染まった心に勝ったのです。

ただ、このネジレンジャーとの戦いの際、ついにヒネラーに正体を知られてしまったメガレンジャーの5人は、学校関係者らに正体をバラされ、戦いの巻き添えを食うことを恐れた学校側によって追放され、友人たちからも絶好され迫害を受けます。
これは彼らを守るために戦ってきたメガレンジャーにとっては大きなショックであったが、身体の限界を迎えたヒネラーが巨大化して最後の特攻をかけてきた時、ロボに乗り込んで懸命に町を守って戦うメガレンンジャーにクラスメートたちが校舎から声援を送り、メガレンジャーはその校舎を守るためにヒネラーに立ち向かう。
弱い者たちが自分と同じ弱い者を守るために懸命に戦う姿を、弱い者たちが応援し、その者達を守るために更に弱い者は力を絞り出す。
このシーンにおいてこの作品のテーマは完成し、スーパー戦隊シリーズはヒーロー像というものを再び1つ見出すことが出来たといえます。

結果として「メガレンジャー」は視聴率は前作「カーレンジャー」から大幅に回復しました。
時間帯変更が功を奏したとも言われますが、やはり緻密な設定や深みのあるドラマ性が多くの視聴者を惹きつけたのだといえます。
むしろ、ドラマ内容の良さの割には視聴率は低めだったとまで思えます。
これはむしろ、途中で放送時間が変わったことによる影響と、あまりにヒーローの弱さを強調しすぎたために、強いヒーローを好む男児層から敬遠されたからであろうと思います。
時代に見合ったヒーロー像を追求するためにやむを得ない面はあったとはいえ、弱いヒーローを強調しすぎたため、また高校生戦隊の宿命としてキャラの個性も弱く、キャラの人気は低めで、玩具の売上も「カーレンジャー」よりもだいぶ下がってしまいました。
これはこれで深刻な問題で、スーパー戦隊シリーズは次の作品で、このメガレンジャーで掴んだ「自分の弱さと戦うヒーロー像」を「強いヒーロー」において追求することになるのです。
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 18:06 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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