2011年01月25日

ギンガピンク

ギンガピンク.jpg





















「メガレンジャー」でスーパー戦隊シリーズは立ち直りました。
それは「弱い正義のヒーローがどうして強大で悪い敵に勝利出来るのか」というテーマを徹底的に追求した作品だったからです。
メガレンジャーは終始一貫して弱く、弱いからこそ弱さゆえ虐げられる者を守りたい気持ちが誰よりも強く、その守りたい想いの強さが、メガレンジャーの心の弱さを克服し、力を単に破壊や殺戮のためだけに使う敵よりも勝ったのです。
メガレンジャーは自分の心の中の弱さや闇に打ち勝ち、敵は闇に呑み込まれる弱さゆえに敗れたのです。
ヒーローの本質とは、戦闘力の強さや、正義の立場で戦うことではありません。
強いから、正しいから、ヒーローは勝つわけではありません。
自分の中の弱さや闇を知り、それに打ち勝つからこそヒーローは勝つのです。
逆に、敵が強大であるのに倒されるのは、己の闇に負けたからです。

よく考えてみれば、メガレンジャー以前のスーパー戦隊シリーズのヒーローたちも本質的にはそういうものであったのでしょう。
しかし、そうしたヒーローの強さの本質が、下手にヒーローが強かったり正しさがやたら強調されていると、見えにくくなってしまうのです。強いから、正しいから勝てたように見えてしまう。
だから、メガレンジャーでは、あえてヒーローの強さや正義の戦士の自覚などの要素を外して、剥き出しの弱い未熟者を戦わせて、
「自分の中の弱さや闇に負けそうな心に打ち勝ったからヒーローは勝利する」という本質を浮き彫りにしたのです。
この試みに成功したことによって、スーパー戦隊シリーズのスタッフもヒーローの本質に関する認識を確固としたものにすることが出来たのでした。

しかし、そうした極端なことをした代償というものはあるもので、メガレンジャーは視聴率は上昇した割には玩具の売上は良くありませんでした。
ストーリーは確かに面白いのですが、ヒーローが弱くてカッコよくないので子供たちの憧れの対象にならなかったのです。
特に番組の序盤はストーリー展開上仕方ない事とはいえ、情けない描写の方が多く、序盤で子供たちのハートを掴めませんでした。そうなると玩具は売れません。
メガレンジャーというのは、ヒーローの意味合いを真正面から問いなおしたという意味で、間違いなく正統派のヒーロードラマだったのですが、そこに登場したヒーローが正統派ヒーローでないという、ちょっと特殊な作品であったのです。
ならば、シリーズの次の作品は、正統派ヒーローによる正統派ヒーロードラマでなければいけません。
1998年の「星獣戦隊ギンガマン」はそういうコンセプトで作られました。

そもそも「ギンガマン」というネーミングも、「〜レンジャー」のパターンからの脱却という意味ともとれて、新たな正統派ヒーローシリーズの始まりにしようという意図が込められているように思えないこともないです。
この次の作品も「ゴーゴーファイブ」であって、「〜レンジャー」ではないので、何らか試行錯誤的な時期ではあったのでしょう。
しかし「ギンガマン」にしても当初は「ガオレンンジャー」というタイトルでほぼ決まっていたのが、似たような名前のアニメがあるというので「ギンガマン」に変えたのだそうで、実際のところ別にそれほどネーミングにこだわりは無かったのではないかと思います。
ただ、とにかくギンガマンという作品が前作メガレンジャーとはとことん真逆のコンセプトで作られているのは明らかでした。

3000年前にギンガの森の勇者たちと星獣によって海底に封印された宇宙海賊バルバンが海底大地震の影響で復活したところから物語は始まります。
バルバンは銀河を荒らし回って星を食いつくす魔獣ダイタニクスを乗船とする宇宙海賊です。
一方、ギンガの森に暮らしていた部族の5人の勇者たちは、アースという不思議な力を使って戦うことが出来ました。
アースというのは地球の大自然パワーのようなもので、炎のアース、風のアース、水のアース、雷のアース、花のアースの5種類があり、5人の勇者はそれぞれこのアースを1つずつ会得して使いこなしていた。
その最大の技は突き出した手のひらからアースの攻撃的な波動のようなものを発射するという、「かめはめ波」のような技で、およそ人間技ではありません。
一種の超能力戦士のようなものですが、
このような力は厳しい修行によって高められたものではありますが、基本的には地球に生きる人間はみんな潜在的に持っているもので、
3000年前には地球人は皆、大なり小なりアースは使えていたようです。
その中でも特に優秀なアースの使い手がギンガの森に住む5人の勇者でした。

しかし、このアースの力だけで3000年前にバルバンを倒したわけではありません。
宇宙の星を守る不思議な獣である5体の星獣の力を借りたのです。
この星獣は地球上の動物に似たような姿をしていますが地球産ではなく、宇宙の何処かからやってくる助っ人怪獣みたいなものです。
地球人の言葉は話せませんが、ちゃんと知能もあります。
この5体の星獣が5人のギンガの森の勇者たちとパートナーとなってギンガブレスという、星獣の力とアースの力を合わせてギンガマンという超戦士へと変身する変身アイテムを授け、星獣剣など、星獣の力とアースの力を合わせて威力を発揮する武器なども授け、共に戦い、バルバンを倒し封印したのです。
ただ、何故か倒しきることは出来ず、封印しただけでした。

戦いが終わって星獣たちは宇宙へ去っていきましたが、ギンガの森の勇者たちはバルバンの封印が何かの拍子で解ける事態に備えて、
封印を監視しながら、5つのギンガブレスを初代ギンガマンの霊と共に祭壇に祀り、代々、強力なアースの能力を持つ戦士を5人選抜してギンガマン候補としてそれぞれに1本ずつの星獣剣を引き継がせていったのです。

この星獣剣はギンガマンの姿に変身しないと使えません。
だから生身で持っている限りは単なる飾りであり、戦士の継承者の証に過ぎません。
ギンガマンに変身するにはギンガブレスを使わねばなりませんが、ギンガブレスはバルバンの復活が無い限りは祭壇から持ち出しは厳禁です。
つまりバルバンが復活しない限り、戦士の継承は単なる儀式に過ぎず、名目だけの戦士の継承者は戦うことなく一生を終え、また次の継承者へと星獣剣は受け継がれていくのです。
ただ、いつバルバンが復活するか分かりませんから、戦士たちは常に臨戦態勢で、特に優れた戦士だけが継承者になれるのです。
つまり、戦士は血統で選ばれるのではなく、完全に実力第一で選抜されます。
ゆえに戦士に選ばれることは非常に誉れであり、ギンガの森の若者は皆、戦士に選ばれようとして切磋琢磨し合います。

特に大事なのはアースの能力で、ギンガブレスは強大なアースを有した者でないと変身能力を発揮することは出来ません。
ところがこのアースの力が問題なのです。
アースを使いこなすには、技術やパワーだけでなく、星の命を守る優しさが不可欠なのです。
もともと地球の大自然のパワーそのものなのだから、まぁ当然でしょう。
ところが、時代が下るにつれて人間は文明を発達させて自然の命を顧みないで強さや力ばかり追い求めるようになり、星の命を守る優しい心を減少させていき、アースを使えなくなっていったのです。
ギンガの森にもその文明の波は押し寄せてきて、アースの力が失われる危機が生じました。
しかし、それはバルバン復活の際にギンガマンが立ち向かうことが出来なくなることを意味します。
それを避けるため、ギンガの森の人々は自ら結界を張って外界との交流を断ち、大自然と共生して生きる道を選びました。

そして現代、ギンガの森で133代目のギンガマン候補に選ばれた5人の若き勇者たちに星獣剣を引き継ぐ儀式が行われている時、
海底大地震の影響でバルバンが復活し、ギンガの森を急襲し、不意をつかれた5人の戦士は生身のまま応戦しますが劣勢に陥り、
リーダーである炎の戦士ヒュウガが地割れに呑み込まれてしまいます。
しかし地中に落ちて行く寸前にヒュウガは炎の戦士に落選した弟のリョウマに自分の星獣剣を託しました。
兄を失ったリョウマの怒りと悲しみと燃え上がる使命感によってリョウマのアースは覚醒し、ギンガブレスを用いてリョウマはギンガレッドに変身し、
他の4人もギンガマンに変身し、バルバンを撃退します。
しかし、その後、魔獣ダイタニクスの復活のためにギンガの森のパワーを得ようとしてバルバンが再び攻撃してきて、
長老はギンガの森を内側から封印して守り、5人の勇者はギンガマンとしてバルバンを倒すよう命じられて文明世界に取り残されます。
やがてバルバンの復活を察知して星獣たちも地球に駆け付け、ギンガマンと共にバルバンと戦うことになりました。

以上が物語の導入です。まるで西洋の聖剣伝説のようなファンタジックな世界観です。
メガレンジャーが視聴者にとって極めて身近に感じられる都会の高校を中心とした日常生活を舞台としていたのに対し、ギンガマンでは日常とは隔絶したファンタジックな物語が展開されていきます。
また、最先端のデジタル工学を武器とするメガレンジャーと、大自然の神秘の力を武器とするギンガマンも好対照です。
俗世間に染まりきった現代っ子集団のメガレンジャーと、文明に背を向けて自然と共生する道を選んできたため非常に澄んだ心を持つギンガマンという対比も鮮やかで、
突発的な事故のような形で戦士になってしまったメガレンジャーと、代々受け継がれた戦士の資格を得ることを熱望して訓練を重ねてきたギンガマンは全く正反対です。
メガレンジャーには戦士としての覚悟などもともとありませんが、ギンガマンは3000年間もギンガの森に伝えられた伝説の戦士の継承者としての誰よりも大きな自負心があります。

そして何よりも大きな違いは、メガレンジャーは生身では全く無力な一般高校生に過ぎませんが、それに対してギンガマンは生身でもアースの力を使いこなし、その他の武術も超一流の選ばれたプロ中のプロ戦士であることです。
おそらくギンガマンは生身での戦闘力は歴代戦隊でもトップクラスで、戦士としての覚悟なども含めた戦士としての総合力では、やはり3000年間も戦士を生み出すためだけに存在してきた森で過酷な競争の結果選ばれた戦士という意味で、歴代で最強だろうと思われます。
一方、メガレンジャーは変身前の戦闘力の低さや戦士としての覚悟の無さなど考えると、おそらくカーレンジャーと並んで歴代最弱の戦隊でしょう。
まさに「弱いヒーロー」から「強いヒーロー」へ、あるいは「非正統派ヒーロー」から「正統派ヒーロー」へと、ガラッと変わったのです。

scan003-2.jpgこのギンガマンの紅一点がギンガピンクであり、変身するのはサヤというギンガの森の17歳の女戦士で、花のアースを使う花の戦士です。
サヤはまだ年若い少女ですが、それでも5人の選ばれた戦士のうちの1人ですから、一人前の戦士だといえます。
幼い頃からギンガマンの1人に選ばれることを目標にして大変な努力を積んできた真面目な戦士で、常に全力で訓練し、全力で戦います。
あんまりにも真面目で頑張り過ぎるぐらいです。
まぁ少々余裕が無いともいえますが、ペース配分が出来ないのはまだ子供だからでもあります。

17歳というと文明世界では大人びた子も結構いますが、
何せ外界と隔絶して自然と一体となって暮らすギンガの森育ちの17歳の少女ですから、全くスレたところがなく、大変ピュアで純朴な女の子です。
それは純情可憐というよりは、まだひどく子供じみて見えるぐらいです。
実際かなり子供っぽい性格で、趣味はミニスカートで木登りすることだといいますから、まだ乙女の恥じらいのようなものもあまり無い様子です。

言うまでもなくサヤは優しく自然や命を愛する性格です。
何故なら、そういう性格でないとアースは使えないのですから、アースを使えるということはそういう性格だということです。
ただ、そうなるとサヤに限らず、ギンガマンは5人全員似たような性格ということになります。
まぁ年齢や環境で細かい点は違いますが、基本的には5人全員、純朴で優しく正義感に溢れ、生き物や命をひたむきに大切にする、見事なまでの好人物です。ちょっと良い人すぎるぐらいです。

サヤもこんな感じですから、見事に戦隊ヒロインとして必要な要素を満たしています。
いや、頭の良さに関してはあんまり満たしてないといえるでしょう。
戦いにおける戦闘脳のようなものは発達してますが、あまりに世間知というものがありません。
しかし、それはギンガマン全員の特徴でもあるので、ギンガマンというチームにおいてサヤが足を引っ張るほど頭が悪いということもなく、かといってギンガマンの頭脳といえるような存在でもなく、まぁ普通の立ち位置、いや年少者なので多少マスコット的な扱いといっていいでしょう。

あと、アクション面は、何せサヤは伝説の戦士の継承者ですから武術も相当なものという設定のはずですが、
演じているのはねずみっ子クラブの宮澤寿梨、つまり新人グラドルですから、生身シーンではそんなに大したアクションは出来ません。
変身後はアニマル風アクションが結構凄いですけど。
ただファンタジー系戦隊の便利なところで、変身前はCG処理したアース技でよく戦いますから、結構誤魔化しがきいて強そうに見せることは出来ます。

そもそも「ジェットマン」以降、アクション優先のヒロインのキャスティングというのはもうあんまりされなくなっていたのですが、それは作風の問題や何らかの不備によるものでありました。
しかし、この「ギンガマン」において初めて明確にアクション担当と非アクション担当のダブルヒロイン体制が否定されたのでした。

というのも、実は当初はギンガピンクだけでなくギンガイエローも女性にしようという方針だったようなのです。
ギンガイエローはやんちゃで生意気で食いしんぼうでスピード重視の戦い方をする戦士の設定で、それで女性戦士となると、まさに伝統的なダブルヒロイン体制におけるアクション担当ヒロインのキャラです。
つまり当初はギンガマンにおいてもヒロインは可愛い系のピンク以外にアクション担当のイエローを置いて、総体としてヒロインの生身アクションのレベルを高いものにしようという考え方もあったのです。
しかし、それは明確に否定され、ヒロインは可愛い系で雰囲気重視の宮澤寿梨のサヤだけになり、イエローは男になりました。
それはつまりヒロインはアクションよりも雰囲気の方を重視するということでした。

いや、それはヒロインだけではありません。ギンガマンの5人の役者は皆、アクションの腕よりも、この作品の神秘的な世界観や、優しく自然を愛する素朴な役柄に合った雰囲気や演技力を持った役者がキャスティングされています。
それはつまり、ドラマ部分に使える尺が以前と比べて3分増えたこともありますが、基本的には「ヒーローが何故、強大な悪に勝つことが出来るのか」に関わる人間ドラマを描くことが重視されるようになったことを意味します。

ただ、ギンガマンの場合、この人間ドラマの部分が問題なのです。
ヒーローが強大な敵に勝つことが出来る理由は「自分の中の弱さや闇に打ち勝つことが出来るから」です。
そして、どうしてヒーローが自分の中の弱さや闇に打ち勝つことが出来るのかというと、何かを守りたいという想いが心の中の弱さや闇に打ち勝つからです。
メガレンジャーの場合、それは「自分と同じ弱い者たちを守りたいという想い」でした。
一方、ギンガマンの場合、それはアース発動の条件である「星の命を守りたいという想い」であることは容易に想像はつきます。
「星の命を守りたいという強い想いが自分の中の弱さや闇に打ち勝ち、ギンガマンは強敵バルバンに勝利した」というのが、ギンガマンという作品の結論となるわけです。

この結論自体はこれでいいのです。
というより、ぶっちゃけて言えば何だっていい。
大事なのは、どんな結論であれ、そこに持って行くだけの説得力のある描写をいかに物語の中で重ねていけるかなのです。
それが出来ていなければ、どんな立派な結論であろうとも、ただのお題目にしかなりません。

メガレンジャーの場合、この描写の積み重ねは簡単でした。
メガレンジャーはもともと弱いのですから、自分の中の弱さに打ち勝つ過程は描きやすいのです。
そして、弱いメガレンジャーが弱い人達に共感してそれを守りたいと思うのはごくごく自然なことで、その具体的なエピソードも日常を舞台に自然に描くことが出来たのです。

しかしギンガマンは非常に強い戦士たちであり、戦士としての意識も高いので心の中に弱さや闇というものがそもそも存在しにくいのです。
また、星の命を守りたいという強い想いがもともと確固として存在するからこそ彼らはアースを使えるのであり、そうなると彼らが星の命を守りたいという気持ちを獲得していくドラマというのは描きにくくなります。
弱ければ、自分の弱さを知ってそれに打ち勝っていくドラマを描けるのです。
足りない部分があるならば、その足りない部分を補っていくドラマも描けるのです。
そうした描写を積み重ねていくことで、ヒーローが自分の中の闇に打ち勝っていくということを印象付け、闇に呑まれてしまった敵を打ち倒すのが当然のように思わせることが出来るのです。
しかしギンガマンは強くて、力が既に満ち足りています。だから弱さゆえ、足りないゆえのドラマが描けない。

ならば強いゆえのドラマを描くしかないでしょう。
強いといえば敵は強いです。その強い敵はどうして敗れるのかというと、強さのみを追い求めて闇に呑まれるからです。
しかし、これは別に敵に限った話ではないでしょう。正義のヒーローだって、自分の心の闇に打ち勝てず、弱さに打ち勝てなければ、たとえ戦闘力が高くても、勝つことは出来ないはずです。
そのような状態に陥ってしまい、自分の過ちに気付くことによって、自分の本当に進むべき道が見えてくる。
強いヒーローならば、そういうドラマの作り方が出来るのです。
強いヒーローを使って、強さゆえに道を踏み外し、過ちに気付いて自分の闇に打ち勝つ真の強さを得る、そういうドラマの描写を積み重ねることによって、ヒーローが敵に打ち勝つことが出来る真の理由が浮き彫りになっていくのです。
そして、それは最も強いヒーローでなければいけない。
強いからこそ闇に呑まれかけることにリアリティが有るし、弱いヒーローがそんな風になっても弱い印象が増すだけで、メガレンジャーの初期の良くない印象に戻るだけのことで、それはギンガマンで目指す方向に逆行することになります。
ギンガマンは全員強いヒーローだから全員にその資格は有るともいえますが、全員がそのように迷っていては、せっかくの子供の憧れとなるような強く正しいヒーロー像が揺らいでしまいますから、道を誤って迷うのは本当に一番強い者だけでいいのです。

ギンガマンにおいては、それはまず序盤においては、本来は正規戦士の実力は無く、最強の戦士であった兄の代理でギンガマンのリーダーになったと思って悩むリョウマが使命を受け入れて自信を持つようになっていく過程として描かれます。
そして中盤ではバルバンに星を滅ぼされ弟を殺されたため、誰も守れなかったという絶望から復讐鬼となった黒騎士という異星から来た強力な戦士が地中に落ちたヒュウガを取り込みギンガの光という超パワーでバルバンを滅ぼそうとしますが、
ギンガの光は復讐のために戦う黒騎士ではなく星を守るために戦うギンガマンを選びギンガマンをパワーアップさせます。
それでも黒騎士は地球内部のマグマを刺激して地球を爆発させて地球ごとバルバンを滅ぼそうとします。
しかしリョウマの姿に亡き弟の幻を重ね合わせて苦悩した黒騎士は最後は星を守る使命を思い出し、地球を守るためにマグマの中に身を投じて爆発のエネルギーを吸収して死にます。
そして死の間際、取り込んでいたヒュウガを解放してリョウマの元に返します。
中盤はこうした黒騎士の物語を軸に話は展開していきます。
これも心を闇に支配されてしまった強き正義の戦士が星の命を守る気持ちを思い出して、ヒュウガを復活させて自分は意識だけの存在となってヒュウガに協力し、その後はヒュウガが黒騎士の姿に変身してギンガマンの一員となり星を守る戦士として戦うようになるという流れとなっています。

そして終盤はバルバンの首領ゼイハブが滅ぼした星の命を結晶化して体内に取り込んでいるために、星の命を守るための力であるアースでは倒すことが出来ないと知った最強のアースの戦士ヒュウガがアースを捨てて星を滅ぼす悪の力を身につけてゼイハブを倒そうとしてギンガマンから去っていくストーリーが展開されます。
そして、これは結局ゼイハブが用心深く体内の星の命の結晶の位置を人知れず変えていたためヒュウガの作戦は失敗します。
星の命を守る気持ちを捨てたヒュウガには勝利の女神は微笑まなかったのです。
しかし、万策尽きてアースも失ってもそれでも地球にある命を守りたいと強く思い直しゼイハブに挑もうとするヒュウガをリョウマが「星を守ろうとする兄さんには大きなアースが生まれるはず」と励まし、
ヒュウガのアースが復活し、兄弟力を合わせてのアース攻撃でゼイハブの体内の星の命を砕きます。
本来アースでは星の命を傷つけることは出来ないはずなのですが、星を傷つけようとするゼイハブから星の命は離れようとし、その結果、アース攻撃で星の命を砕くことが出来たということになります。
つまりゼイハブは闇に染まったため自滅し、心の中の迷いを断ち本来の星の命を守る気持ちを取り戻したヒュウガとリョウマは悪に打ち勝つことが出来たということになります。

このようにリョウマ、黒騎士、ヒュウガの心の迷いの物語を通して、
彼らが散々迷って道を間違えつつも最終的には「星の命を守る」という気持ちが正解なのだという結論に辿り着く描写を繰り消すことによって、
「星の命を守りたいという気持ち」が心の中の闇に打ち勝ち、敵の悪に打ち勝つ原動力なのだということが浮き彫りになる構成になっているのです。
これはこの3人が共にこの物語の中で最強クラスの正義の戦士だからこそ有効なのです。

そして、このような主役クラスの3人が大いに迷ったりする分、他のギンガマンのメンバーまで一緒になって迷ってしまってはギンガマンというチーム自体のせっかくの強い印象が損なわれてしまいますから、
他の4人は極めて正統派の正義のヒーローであり続けなければいけません。
しかも皆同じように優しく純朴であるわけで、どうしても個性が弱くなってしまいがちです。

それでも何とか個性を出すために、それぞれ個別のサブストーリーを用意しています。
ギンガグリーンのハヤテは離れ離れになったギンガの森の婚約者への想いや、敵の女幹部シェリンダとのライバル関係。
ギンガブルーのゴウキは外界の普通の女性である鈴子とのロマンス。
ギンガイエローのヒカルは成長物語。
そしてギンガピンクのサヤは一応ヒュウガへの淡い恋心というか憧れのような感情を持っている設定になっているのですが、子供っぽい性格設定であるのでこれがなかなか進展しません。
そもそもヒュウガが実質的には後半しか出ませんし、途中からギンガマンと別行動をとったりするので、あまり絡めようがなかったようです。
それで結局、サヤの個人ストーリーは印象が薄くなり、サヤのキャラも割と薄いものになってしまいました。
ギンガマンという戦隊の印象はなかなか強いものがあるのですが、その中においてサヤは印象の薄いキャラで、どうも印象の薄いヒロインということになっています。
ヒロインとしては結構優秀な方なのですが、どうも物語の中では相対的に印象が薄いのです。

結局、このギンガマンという作品は視聴率も玩具売上も大きく伸ばし、スーパー戦隊シリーズはここに完全復活を遂げたのでしたが、
このギンガマンという作品で他に特筆すべきこととしては、
ギンガマンの5人のキャスティングに際して、作品の世界観を重視したため、アクション要素よりも雰囲気や演技力重視のキャスティングとなり、
この作品の世界観を反映して、爽やかで柔らかい雰囲気のキャストが揃うことになったことが挙げられます。
その結果、リョウマ役の前原一輝やゴウキ役の照英などがイケメンだと評判になったのです。

子供たちは俳優がイケメンだとか興味ありませんから、これはつまり大人がこの作品を熱心に見ていたということです。
そこで制作スタッフは、この日曜朝の時間帯は子供たちと一緒に朝食を摂っている母親層が視聴している割合が極めて高いことを実感したのです。
この実感はこの後のキャスティングの選定基準に大きな影響を与えることになりました。
既に動きだしていた次の作品には反映はされませんでしたが、
その次の2000年度作品や、それと同時期に開始することになった平成仮面ライダーシリーズなどに、このイケメン重視の認識は反映されていくことになるのです。
タグ:ギンガマン
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 11:35 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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