2011年02月03日

ガオホワイト

ガオホワイト.jpg





















スーパー戦隊シリーズ開始25周年記念ということで「タイムレンジャー」は、尻上がりに視聴率を上げていき、
その幅広い年代、特に高年齢層に支持された重厚なドラマ内容は極めて高い評価を得ました。
しかし玩具売上は前作「ゴーゴーファイブ」の92億円から一気に64億円まで落ち込んでしまいました。
制作側もタイムレンジャーは高年齢層狙いであったので幾分は玩具売上は減る覚悟はしていたでしょうが、
さすがにここまで一気に減るとは思っていなかったので、慌てたと思います。
そこで次の2001年度作品「百獣戦隊ガオレンジャー」を、今度は「シリーズ25作記念作品」という名目で大々的に盛り上げていくことになったのでしょう。

シリーズ第一作ということになった「ゴレンジャー」が1975年開始ですから、タイムレンジャーが25周年、ガオレンジャーが26周年ではありますが、
ゴレンジャーが2年放送し、ジャッカーとバトルフィーバーの間が1年空いていたりする関係上、ガオレンジャーが25作目ということになるのです。
25周年記念の次が25作記念というのも少しおかしな話ですが、玩具を売るため少しでもガオレンジャーを盛り上げねばならないのだから、これは仕方ないでしょう。

そして25作記念ということで、
タイムレンジャーが50話で物語が終わった後、タイムレンジャー終盤の視聴率はかなり良かったので、その視聴者たちをそのまま次のガオレンジャーの視聴へ誘導するため、
タイムレンジャー51話として特別篇も放送しました。
それはタイムレンジャーより前の歴代23戦隊の世界をタイムレンジャー5人がタイムジェットに乗って巡って視聴者に簡単に23戦隊を紹介していくという、時空移動可能な戦隊ならではの趣向でした。
ちなみにゴレンジャーとジャッカーが正式にシリーズ作品として作品中で言及されたのはこの時が最初です。
そして、23戦隊の紹介後、タイムレンジャー自身のことを紹介し、最後に25番目の戦隊としてガオレンジャーを紹介し、浅見竜也がガオレンジャーに「地球を頼んだぞ」と声をかけて引き継ぎをして終わるというものでした。
これが功を奏したのか、ガオレンジャーはタイムレンジャー終盤を更に上回る高い視聴率で始まります。

ところでタイムレンジャーが歴代でも特に異色な大人向けの作風となっていたのは、同時期に30分後の枠で平成仮面ライダーシリーズを立ち上げることになった「仮面ライダークウガ」を援護するためであったと思われますが、
結果的に「仮面ライダークウガ」は非常に好評となり、平成仮面ライダーシリーズは高年齢層を含む幅広い層に支持されて、順調に滑り出しました。
タイムレンジャーは役割をきっちり果たしたといえます。

このようにタイムレンジャーが1年限りの特殊な役割を担っていたことは東映でも周知のことだったでしょうから、
次の戦隊は再びノーマルな戦隊に戻るということはタイムレンジャーの企画段階から既に予定されていたのでしょう。
ノーマルな戦隊とは、「正義の戦隊が邪悪な侵略者や破壊者と戦って倒す」ということをストーリーの主軸とし、「正義の戦隊が邪悪な敵に勝つことが出来る理由」がテーマとなったゴーゴーファイブやギンガマンのような作品です。

ところが、ここで少し事情が変わってきました。
「仮面ライダークウガ」の序盤の成功によって平成仮面ライダーシリーズの方向性が早くも定まり、
メタルヒーローシリーズの系譜を引いたリアルで重厚な人間ドラマ重視の作風が今後のシリーズ作品でも描かれることもハッキリしてきたのです。
さて、そうなるとタイムレンジャーは当然としても、メガレンジャー以降のスーパー戦隊シリーズの作風ともかぶってきます。
何故なら、メガレンジャー以降のスーパー戦隊シリーズはメタルヒーローシリーズの影響を強く受けているからです。

「正義の戦隊が邪悪な敵に打ち勝つことが出来る理由を重厚な人間ドラマの中で繰り返し描いていく」というのが、メガレンジャー以降のスーパー戦隊シリーズの持ち味でした。
一方、平成仮面ライダーシリーズというのは簡単に言うと、「変身ヒーローになってしまった主人公や周辺の人物が敵との戦いや自身に関する謎解きを通して見出していく人生の意味を重厚な人間ドラマの中で描いていく」というのが持ち味になります。
こうして見てみると、タイムレンジャーはむしろ平成仮面ライダーシリーズに近い作風だったことが分かります。単純な勧善懲悪図式になっていないところがやや大人向けということなのでしょう。
しかし、これは戦隊の方もライダーの方も、どちらにしても「重厚な人間ドラマで描く」という点では同じことであり、双方ともメタルヒーローシリーズから発展したシリーズなのです。

この「重厚な人間ドラマ」というやつは、譬えれば脂をたっぷり使った肉料理のようなもので、こってりしたメインディッシュです。
メガレンジャーからゴーゴーファイブの時期というのは、日曜朝7時半からこれらこってり目の戦隊ドラマが出てきて、
8時からは「ビーロボカブタック」「テツワン探偵ロボタック」そして「燃えろ!!ロボコン」というように、軽いデザートのようなコメディー作品が出てきたのでバランスはとれていました。
しかし、「燃えろ!!ロボコン」の後番組として平成仮面ライダーシリーズが始まったことによって、日曜朝7時半から「タイムレンジャー」、8時から「仮面ライダークウガ」というように、2皿続けてこってりしたメインディッシュが出てくる羽目となってしまったのです。

朝からこれは腹に重そうです。
「タイムレンジャー」がかなり面白い内容だったにもかかわらず、最初は割と視聴率が低かったのも、このあたりが原因だったのではないかと思います。
たまたま「タイムレンジャー」が後半になってからいっそう面白くなっていったので視聴率は上昇しましたが、
主要玩具の登場は前半に集中していましたから、玩具売上の極端な不振の原因の1つとなっていた可能性もあります。
このような悪影響はライダーの方に出てくる可能性もあるわけで、
同じような重厚な作風のドラマを朝から二連発するメリットはほぼ有りませんでした。
すると、平成仮面ライダーシリーズはそのこってりした作風で滑り出したばかりなのだから、それをいきなり変更するわけにはいきませんから、
ここはやはりスーパー戦隊シリーズの方の作風をもう少し軽い前菜風にアレンジすべきということになります。
そうして出来上がったのが「百獣戦隊ガオレンジャー」です。

scan007.jpg「ガオレンジャー」という作品は、スーパー戦隊シリーズの玩具展開史上において1つの大きな画期となった作品でもあります。
それは「換装合体」という新たなロボの合体形態が出現した作品だからです。
従来は5つのメカが合体して1つの巨大ロボになると、それは完成形となり、そこからその巨大ロボが別の形に変化するということはありませんでした。
その巨大ロボが別の巨大ロボや巨大メカとスーパー合体して、全く別の超巨大ロボになるということは定番となっていましたが、これは最初の5体合体ロボとはまた別の単なる最終的な全合体形態でした。
また、合体途中の形態でも動かすことが出来たり、合体形態が2種類あったりすることは、たまには有りました。
しかし、これらは使用パーツは最初の5体のメカだけでした。

最初の5体のメカ以外のパーツを使って5体合体ロボの姿を変化させた唯一の例は、
カーレンジャーで1号ロボの両手両足パーツを外して2号ロボの両手両足パーツを替わりにドッキングさせたことが1回あっただけでした。
これは1号ロボの両手両足と2号ロボの胴体が大破して両方が戦闘不能になった時に緊急避難的にやった合体形態で、これ1回きりでした。
これにしてももともと存在した基本パーツの使い回しではありますが、
これがヒントになって、完成形のロボの両手両足のパーツを新たなメカで付け替えるという構想が生まれました。
しかし、その翌年のメガレンジャーからスーパー戦隊シリーズはドラマ重視路線に進んだため、この構想は実現が遠のいたのでした。

何故なら、この手足パーツの付け替え構想が実現すれば、
それらのパーツの1つ1つが独立したメカになりますから、物語の中で登場するメカの数は飛躍的に増えることになり、
それらのメカの登場に関わるドラマをいちいちやることになれば、戦隊メンバーの人間ドラマを描く時間が減ってしまうからでした。
メガレンジャーからゴーゴーファイブの頃にかけては、戦隊シリーズは「ヒーローをどのように描けばいいのか」ということの方が重要案件だった頃ですから、
メカに関するドラマにあまり多くを割けない状況でした。

しかし、平成仮面ライダーシリーズとの兼ね合いで戦隊シリーズの方では人間ドラマの比重を軽めにしようという方針となったことを受けて、
「ガオレンジャー」で遂に、新登場のメカによるロボの手足パーツの付け替えや、武装の追加などを行う「換装合体」が行われることになったのでした。
そして、玩具売上の回復が至上命題となったこともあり、どうせやるならとことんやろうということになり、
最終的には100個、ドラマにちゃんと絡む分だけでも20個以上もの厖大な数の換装パーツが登場することとなったのでした。

ただ、そこまで多くのパーツとなると、それがメカであれば置き場所にも困りますし、そもそもそんなにたくさん製作する必然性も乏しい。
そこで、このパーツはダイレンジャーの気殿獣やギンガマンの星獣のような、神秘的な生き物ということになりました。
それがパワーアニマルで、地球の大自然の精霊が動物の形で実体化したものです。
気殿獣とほぼ同じものといえますが、気殿獣のような伝説の聖獣ではなく実在の動物の形をしているので外見は星獣に似ています。
そのパワーアニマルにパートナーに選ばれた戦士による戦隊というコンセプトとなりました。

ここでダイレンジャーのように、まず戦士がいて、その戦士のパートナーとして気殿獣がいるというような形ではなく、
あくまでパワーアニマルがパートナーの人間を選ぶという形にしたのは、
戦士の人間ドラマを出来るだけ減らして、パワーアニマルを中心に据えたストーリーとするためでした。
つまり戦士は戦士たるべき確固としたバックボーンがあって戦士となるのではなく、経歴は特に何かに限定されるわけではなく、特に経歴自体に意味は無く、ただ単にパワーアニマルと心を通わせることが出来る相手だと、パワーアニマルによって認められた者だけが戦士になるのです。
要するに、戦士が何者であるのか、過去に何をやっていたのかは、ここでは大して意味など無く、ただパワーアニマルとの交流だけが大切なのです。
その象徴として、パワーアニマルによってガオレンジャーの戦士に選ばれた者は、過去も名前も捨てなければならないという設定になってます。

もちろん戦士の心の中で完全に過去や名前を捨て去ることが出来るわけではなく、
自分はどういう人間であるのかという自覚は有り、視聴者も彼らの経歴などもだいたいは把握しているのですが、
それでも彼らは戦士同士で会っている時は一切過去の話はしないし、本名も名乗らず、「レッド」「ブルー」などとコードネームでしか呼び合いません。
変身後はコードネームでしか呼び合わない戦隊というのは多くありますが、変身前も含めて徹底してコードネームでしか呼び合わない戦隊というのは、このガオレンジャーだけです。

実際のところ、そこまで徹底しなくても支障は無いと思うのですが、
それでもあえてそのような極端な設定にしているのは、劇中でさほど必然性があるわけではなく、
むしろ、そうすることによって個々の戦士同士の深い交流を描くような人間ドラマの生じる余地を減らすためであろうと思われます。
つまり、それだけ人間ドラマを減らして、パワーアニマルと戦士たちの交わるドラマを中心にストーリーを作っていこうとしているのです。

大自然の精霊であるパワーアニマルに選ばれる戦士たちは、基本的には自然を愛し、自然と触れ合うことが出来る者ですが、
この作品では例えばビーファイターの時のようにそういう側面が強調されているわけではありません。
そういう個人の資質面を強調し過ぎると人間ドラマが発生してしまうからです。
彼らはあくまで普通の一般市民で、経歴も統一性無くバラバラです。
ただパワーアニマルとの絆だけが共通した特徴で、その一点において彼らは戦士たる資格を持っているのです。

ではパワーアニマルは何のために彼らを戦士として戦わせようとしているのかというと、それはやはり地球の自然の精霊ですから、地球の自然や命を守るためです。
ここでオルグという敵の存在が定義されます。
オルグは地球を病気にさせて生命体を滅ぼしてしまう、地球の自然にとってはウイルスのような存在で、人間の邪悪な思念が生んだ存在だと設定されます。
オルグには角が生えており、昔は鬼と呼ばれたのはこのオルグなのです。
文明が進化して邪悪な人間が増えることでオルグの数は増え、あまりにもオルグが増えると地球は死んでしまいます。
そこまでいかなくても、オルグは破壊衝動の塊なので、生命体、特に人間を憎悪し、人間社会の破壊を目指します。
よって地球の精霊の実体化したものであるパワーアニマルは地球の生命体を守るためにオルグを駆除しようとし、
オルグが増えると、オルグを退治するために戦う戦士ガオレンジャーを選ぶのです。

scan004.jpgそして現代、爛熟した現代文明のもと、かつてないほどオルグの勢力が増す中、
ガオライオン、ガオイーグル、ガオシャーク、ガオバイソン、カオタイガーの5体のパワーアニマルは、
それぞれ1人ずつパートナーとなる戦士たちを選び出し、ガオレンジャーとしての戦士の力を与えてオルグと戦わせるのだが、
勢力を増したオルグとの戦いは熾烈を極め、5体のパワーアニマルは合体(百獣合体)してガオキングという巨人型の精霊王となってガオレンジャーと共に戦います。
そして、更に強力なオルグを倒していくためには精霊王を更に強化していかねばならない。
そのためには宝珠に封じられて各所に散らばる数多くのパワーアニマルを見つけて召喚し、それらを変形させて精霊王の腕や足としたり盾や剣などの武装として強化するしかない。
そしてオルグもそうしたガオレンジャー側の動きを阻止しようとしてくる。

こうしてガオレンジャーとオルグは戦い合いながらパワーアニマルの封じられた宝珠の争奪戦を繰り広げていくことになります。
このスリリングなバトルと、手に入れた宝珠を剣の鍔にはめて新たなパワーアニマルを召喚して新たな換装合体を行って、その度に繰り出す未知の技など、
こういう描写を何度も繰り返すことで、バトル関係だけで十分にエンタメ要素満載の物語が作れて、ビジュアル的にもCGを多用して非常に見応えのあるシーンが連発していきます。
これなら人間ドラマはほとんど無くても、十分に面白く退屈しない1年間の娯楽的な展開を作ることは出来ます。

ただ、それはあくまで表面的な描写に過ぎません。
ヒーロードラマとして最も大切な部分はこれだけでは満たされていません。
その大切な部分とは、正義の戦士たちがどうして邪悪なオルグに勝つことが出来るのかという理由です。
その理由とは、パワーアニマルとの絆が深いからということであり、自然を愛し自然に愛されている彼ら戦士たちは自然にとっての邪魔者でしかないオルグよりも強いということになります。
つまり、命を守ろうとする彼らの強く熱い想いが彼ら自身の心の闇に打ち勝ち、闇に染まって命を破壊しようとするオルグにも打ち勝つことが出来るという、
まぁメガレンジャー以来恒例の、いつもの理屈です。
ただ、いつもと違うのは、その理屈を裏付ける描写を重厚な人間ドラマの中で繰り返すことが出来ないという点でした。
ガオレンンジャーは人間ドラマの描写を少なくする路線だったからです。

その点についての解決のヒントは2つ前の作品「救急戦隊ゴーゴーファイブ」にありました。
「ゴーゴーファイブ」では、非常に熱いキャラであるマトイ兄貴が何かというと「気合いだ!」と叫び、暑苦しい断定的なセリフを撒き散らし、本来は複雑な物語を非常に短絡的にまとめ上げて加速させていきました。
それでいて、その命を守りたいという熱い気持ちが彼らの強さになっているということは十分に伝わりました。
いや、マトイ兄貴だけでなく、兄貴に引っ張られて巽兄妹全員が同じように熱く突っ走っていき、揃いのオレンジのジャケットを着て結束を強め、暑苦しい派手な名乗りをいつも決め、技の前に大声で決めゼリフを叫んでいました。
この異様な熱さは、ゴーゴーファイブの緻密な設定やストーリーから必然的に生じたものなのですが、
こうして生じたジャンプ漫画の主人公的な熱さが複雑なストーリーを短絡化させて加速していく作用を発揮したことも事実です。

ならば、これと同じ熱さを更に徹底的にド派手に持ち込めば、短絡化、簡略化されてしまったガオレンジャーにおける人間ドラマの薄さをカバーすることが出来るのではないか。
ガオレンジャーのメンバー全員をマトイ兄貴と同じような超熱血のジャンプ漫画主人公的な暑苦しいキャラにして、
命を守りたい熱く強い想いを、理屈ではなく勢いと雄たけびで表現させれば、
いちいちドラマの中で裏付けなくても、その熱い想いは実感のあるものとして視聴者に届くのです。
ならば、彼らがオルグに打ち勝つ描写にも説得力が生まれるはずです。

そのために、まずガオレンジャーは常に揃いのジャケットを羽織るようになりました。
ゴーゴーファイブとタイムレンジャーでも揃いのジャケットはありましたが、必ずしもいつも着用しているというわけではありませんでした。
しかしガオレンジャーでは常に揃いのジャケットを着て、その熱き結束をアピールするようになったのです。
ただ、全く同じ制服タイプにして常時着用にしてしまうとオーレンジャーの時のように各自の個性が無くなってしまいますので、
各自のパーソナルカラーを使って色分けはして、デザインもそれに合わせて多少変えてあるという改良は加えてあり、
厳密に言うと、同系デザインの色違いジャケットです。
この色違いジャケットはアパレル商品展開も出来たことから、ガオレンジャー以降、このスタイルが主流になります。

そして、名乗りも派手になりました。
マトイ兄貴が「人の命は地球の未来!燃えるレスキュー魂!」と叫んでいたように、
ガオレンジャーも、リーダーのガオレッドが「命あるところ、正義の雄たけびあり!」という、何かよく分からんけどやたらと熱いキャッチフレーズを叫んでから、全員が「あり!」と続き、
それから「百獣戦隊!ガオレンジャー!」と名乗るスタイルとなり、
しかも「ガオレンジャー!」と叫んだ時、画面に「牙吠」という書き文字が飛び出してくるという、まさにジャンプ漫画的な名乗りとなっています。
しかも、それだけでなく、このガオレンジャーにおいて初めて各個人にキャッチフレーズが配されて、それをいちいち全体名乗りに先立つ個人名乗りの前に叫ぶようになりました。
それがまた何かよく分からんけど燃えるフレーズで「灼熱の獅子!」とか「孤高の荒鷲!」とか、カッコよい感じで、
しかもこの個人名乗りの時もいちいちそのキャッチフレーズの書き文字が飛び出してくるのです。
この名乗り、燃えに燃えまくるのですが、フレーズやポーズなどはシンプルにしてあり、子供が簡単に真似できるようにしてあるのも、対象年齢を低めにしてある証です。

このジャンプ漫画的なノリでバトルに次ぐバトルが繰り広げられていくのであり、バトルと宝珠集め以外にはさほど大したストーリーというものはありません。
途中で追加戦士のガオシルバーが登場するあたりでちょっと過去のガオレンジャーの物語が出てくるぐらいで、
あとはもう、どんどん強さのインフレを起こしていく敵オルグの幹部たちとの壮絶な戦いの中でガオレンジャー達が何度も絶体絶命のピンチになり、
そのたびに熱く熱く叫び喚くと奇跡のような大逆転勝利を収めていくという、とにかく勢いとノリで突っ走っていく漫画的な娯楽バトル作品になってます。
終盤にはなんとガオレンジャー6人のうち4人が敵に殺されてしまうのですが、奇跡が起きて生き返ってしまうのですから、もう呆れるしかありません。
しかし、こんなことをやっていても大人気だったわけですから、このガオレンジャーという作品の熱さや勢いが、いかに世間に受け入れられていたかが窺えます。

scan012.jpgこのガオレンジャーの紅一点がガオホワイトです。
変身するのは大河冴という17歳の美少女ですが、
そもそも劇中で大河冴という本名を名乗るシーンがほとんど有りませんので、この本名はほぼ設定上のものに過ぎません。
過去の経歴も、鹿児島出身の現役女子高生で、
武術家の父親に幼少時から武芸十八般を仕込まれ、武道の勉強のために上京して一人暮らししていたところ、
ガオタイガーによって戦士に選ばれ、それ以降は学校はほとんど休学状態であるというような設定はあるのですが、
普段ガオレンジャーの仲間内でそういう話題を話すわけではないので、ストーリーにはほとんど関係してきません。

皆に「ホワイト」と呼ばれるこの少女は虎をモチーフにした白いバトルスーツを装着してガオホワイトとして戦い、
ガオタイガーというパワーアニマルをパートナーとしています。
なお、後に冴はガオエレファント、ガオディアスの宝珠も所持するようになります。
この作品における本名は視聴者の子供たちに分かりやすい記号のようなもので、
虎モチーフの戦士で虎型のパワーアニマルをパートナーにしているので、苗字も「大河(タイガー)」で、名の方も「牙」に近い文字の「冴」なわけです。
他のメンバーも同じで「獅子走」「鷲尾岳」「鮫津海」「牛込草太郎」「大神月麿」というふうにモチーフ動物の名前そのままの苗字と、それに関連のある文字を使った名の組み合わせになっています。
こうした徹底した分かりやすさがこの作品の特徴です。

ガオレンジャーの戦闘力は全面的にパワーアニマルの与えたスーツの力に依存しています。
メンバーの中には少女武道家である冴や、自衛隊員だった岳、力士だった草太郎など、それなりに生身でも戦闘力のある者もいますが、
獣医だった走や、フリーターだった海なども変身後に特に前述3人よりも戦闘力が劣るわけではないので、
変身後の戦闘力に過去の経験は何も影響は与えていないようです。
そもそも、ガオレンジャーになるには過去を捨てねばならない掟なのですから、それで過去の経験が変身後の能力に影響を与えるのでは矛盾してしまいます。

だから冴が武道をやっていたことはガオホワイトとしての戦い方に全く影響は与えておらず、
その戦闘スタイルは森の獣であるホワイトタイガーの化身らしく、スピード重視の変幻自在なものとなります。
個人用のキャッチフレーズは「麗しの白虎」となります。
自分で「麗しの」とか言うのは結構恥しいですが、まぁこれは自分が麗しいわけではなく、ホワイトタイガーが麗しいということです。冴ちゃんも可愛いけど。

冴が武道をやっていたという経歴が劇中で活きているとすれば、
それは戦闘スタイルではなく、むしろ普段の立ち居振る舞いの方でしょう。
幼少時から武道家の父に厳しく躾けられたため、礼儀正しく、とても真面目でしっかり者です。
武道をやっていただけあって、正義感は強く、男勝りで一途な性格で、仲間や弱い物に対しては非常に優しく、
そして強くて可愛いわけですから、ヒロインとしてかなり優秀です。
ただ、しっかりしているといっても、礼儀正しいためにどちらかというとヤマトナデシコ風に控えめで、あまりガンガン仕切るタイプではないため、やや印象が薄いです。

だいたい、このような性格設定を活かすほどにドラマ部分が充実しておらず、メンバー間の人間関係もそんなに深くありません。
そのうえ、ガオレンジャーのメンバーは主人公の走を「動物の意思を理解できる獣医」という設定とするため、どうしても24歳にする必要があったためか、
全体的に比較的高年齢の設定になっており、19歳の海と17歳の冴だけが少し年齢的に離れており、
海が妙に草太郎と仲が良いため、冴だけがちょっと子供すぎて浮いた感じになりがちでした。
演じていた竹内実生は15歳でしたので、設定年齢以上に幼くも見えて、余計に浮いて見えました。
冴も年齢の近い海に気のある素振りを見せたり、
一瞬、月麿登場時に恋愛フラグのようなものが立ちかけたように見えたりするのですが、
これらは実際は何の進展も無く終わりました。
また、敵とのライバル関係もあまり確立されませんでした。

そのようなドラマ面の薄さは別に冴だけの問題ではなく、月麿を除く全員共通の問題でした。
ガオレンジャーはあくまでバトル中心の娯楽作品だったのです。
で、バトル場面になると全員、異様に熱血にシンプルになります。
各自にも、例えば岳はクールだとか、草太郎は臆病だとか、細かい性格設定は一応あるのですが、
いざバトルモードになると、そういう設定はどっかに吹っ飛んでしまって、みんな一様に熱血になります。
だから冴も上記のヒロインの鑑みたいな性格設定はどっかに消え失せて、単なる熱血野郎5人チームの中の1人の女の子になってしまうのです。

この熱血モードの冴も凛としていて決して悪くないのですが、
何せこの時は月麿も加えて6人全員が同じような熱血キャラになってしまうので、ほとんど差別化がされなくなってしまいます。
いや、メンバーの中にはこのバトルモード時にこそ妙にキャラを立たせる決めゼリフのようなものを持っている者が多いのです。
これはマトイ兄貴の「気合いだ!」と同じようなもので、
例えば走はなんでも「俺は獣医だ!」と叫んで片付けてしまうし、岳は変な英語混じり日本語を使い、
海は「ネバギバ!」、草太郎は「ドスコイ!」というふうに勢いで押し切ってしまうような定型句を持っています。
それに比べると冴は真面目というか大人しめというか、
そういう決めゼリフめいたものも全員で叫ぶ「勇気マンタンだぜぇっ!!」ぐらいしか無く、
そうなると同じような熱血キャラの中では埋没しがちとなります。

やはり基本的には女の子というのはこういう戦闘アクションドラマの場合は男性に比べて不利なわけで、何らか優遇はされるべきでしょう。
それはドラマ部分でヒロインとして立てるとか、それが出来ないなら、せめて弓矢を持たせたり、そういう優遇措置は欲しいところです。
冴の場合、そういう優遇措置がほとんど無く、他の男メンバーと全く対等に勝負しなければならなかったわけで、
そうなると後は役者の能力勝負みたいになってしまうのですが、
それなりに芸歴のあった男性役者陣に対して冴役の竹内実生はあまりに若く経験が乏しく、どうしても埋没することになってしまったのでした。

つまり、換装合体を中心に据えたバトル重視の作劇をあえて徹底したこの作品においては、
どうしても戦隊メンバーの正義のヒーローとしてのキャラ描写が犠牲になりがちになるのであり、
それを熱血モードを導入することでカバーしたものの、
あまりに熱血モードが共通の特徴になってしまったため、各自のキャラが薄くなってしまったのです。
それに対して男性役者陣は上手く対応して各自のキャラをなんとか立てていったのですが、
冴役の竹内だけは経験値の不足もあり、上手く対応出来ずにキャラが薄くなってしまったというところでしょう。
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 16:35 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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