2011年02月25日

マジピンク

マジピンク.jpg





















2004年度作品「デカレンジャー」は人気作となり話題作となりました。
それは作品としての完成度が高かったのが大前提でしたが、
今までの戦隊シリーズ作品には無い新鮮な魅力が世間で評判になったからです。
それは単純な子供向けの正義のヒーローではないプロフェッショナルな刑事である戦隊メンバーの
クールでスタイリッシュでコミカルな、まぁ簡単に言えば大人の余裕に溢れたキャラが人気となったということです。
そして、その彼らのキャラの明確さというのは、あくまでキャラ優先でストーリーを二の次とした作品の構成によるものでした。
全体的なストーリーというものが無く、キャラの特徴を際立たせるためのエピソードの集合体というのが「デカレンジャー」という作品の実態でありました。

最初にキャラを明確に決定しておいて、そのキャラに合ったエピソードを作っていくのです。
こういう作り方では、エピソードが集まって1つの大きなストーリーになることはありませんし、
そもそも一貫した大河的なストーリーを作るつもりが無いという割り切りがあるから、このような作り方が出来るのです。
それは、デカレンジャーのメンバーが安定した大人の余裕を持っていることにも繋がるのですが、
世界の存亡を賭けて巨大な悪に対して正義の戦いを挑むというような壮大な正義と悪の戦いを描くような作品ではないからです。
「デカレンジャー」で描かれているのは正義の英雄の物語ではなく、ただの刑事の日常業務です。
だからこそ、今までの戦隊シリーズには無い独特の魅力のある作品となったのです。

そして、刑事の日常の繰り返しという、
子供向けドラマとしては地味過ぎる内容を補う派手な要素として、
主人公チームのメンバーのキャラを記号的に漫画的に個性的なものとする必要があり、
そのキャラ立てが見事にハマったため、更に作品の魅力が増し、
結果的に「デカレンジャー」は歴代作品でも屈指の人気作となりました。

しかし、このような作品というのは、本来のスーパー戦隊シリーズ作品のあるべき姿とはズレたものです。
素晴らしい作品なので、邪道などと言うつもりは毛頭ありませんが、
毎年こういう作品ばかりになってしまえば、シリーズのコンセプトが変わってしまうのは確かでしょう。
「デカレンジャー」は「デカレンジャー」で素晴らしい作品でしたが、同じようなものを続けて作っても仕方ありません。
そもそも長期シリーズ作品というものは毎年新たな挑戦をして、特に前作との差別化はしていかねばならないものです。
「デカレンジャー」もそうして出来上がった作品です。
よって「デカレンジャー」の次の作品は、「デカレンジャー」が世間的に大きな話題となった作品だけに、
根本的な部分で「デカレンジャー」との差別化を図ることになりました。
そうして出来上がったのが2005年度のシリーズ29作品目の作品「魔法戦隊マジレンジャー」でした。

「マジレンジャー」が「デカレンジャー」の真逆であったのは、
徹底して大河的な1年間一貫したストーリーで正義の英雄物語、正義と悪の戦いを描こうとした点です。
こういうコンセプトを回避するところから「デカレンジャー」というドラマが構成されていったわけですから、
逆に「マジレンジャー」は、そのコンセプトを徹底的に追求するところから企画を始めたのです。
第一歩から正反対の道を歩み出したといえます。

しかし、何故、「デカレンジャー」はそれを回避したのか。
別に怠けていたわけではなく、その前作である「アバレンジャー」で、
この正義の不確かとなった現代において、正義と悪の戦いを真正面から描こうとすると、
やたら正義と悪の葛藤を描くのに手間がかかってしまって尺が足りなくなることが分かったからです。
そういうリスクを避けるために、正義と悪の戦いを描くことを避けた結果「デカレンジャー」が出来たのです。

ならば、ここで正義と悪の戦いをガチンコで描こうとするなら、「アバレンジャー」と同じリスクを背負い込むことになります。
そこで、この作品においては、正義と悪の戦いを描きながら、正義と悪の葛藤が存在しない状態を実現することが図られました。
そのためにはどうすればいいのかというと、正義が絶対である世界を描けばいいのです。
しかし、現実世界においてあまりにも正義が不確かである現代、
そんな絶対正義のドラマ世界を描いても、あまりにリアリティが無くて失笑モノです。

では、リアリティの欠如がどうして失笑を生むのかというと、
リアルを求めていながらリアルでないという勘違い感が滑稽だからです。
じゃあ最初からリアルなど一切求めなければ、リアルでない状態はちっとも滑稽ではありません。
しかしリアルを求めずして、いったいどんなドラマを作れるというのか。
リアルを排除すればとりとめのない不条理ドラマとなるだけです。
かつてそれはシリーズでは「カーレンジャー」という例がありますが、
今回はガチンコの大河ドラマを作りたいのだから、「カーレンジャー」のようにするわけにはいきません。

そうなると、現実世界のリアルとは別のリアルを追求するしかないです。
そして、それはこの作品で描こうとしている「正義が絶対である世界」のリアルです。
しかし、そんなリアルは現実には存在しません。
であれば、そういう全くの別世界をリアルであるかのように緻密に作り上げてしまえばいいのです。
正義が絶対であり正義と悪の葛藤の存在しない別世界を現実と同等の緻密さで作りあげてしまい、
その世界を舞台として正義と悪の戦いの物語を描けば、
正義と悪の葛藤など描く必要は無く、ストレートに正義の勝利を描けるのです。
これは要するにファンタジーの手法です。

これまでにもスーパー戦隊シリーズでは「ファンタジー戦隊」というものはありましたが、
それらは戦隊フォーマットにファンタジー的な要素を盛り込んだだけのものであり、
あくまでそこで繰り広げられる戦いは現実世界のものでありました。
しかし、この作品においては、正義と悪が峻別された、現実世界とは全く異質なものとして緻密に構築された異世界における戦いが描かれたのです。
これが真のファンタジーです。

n-houka013-2.jpgそうなると、この異世界には変に現実感など絶対にあってはいけません。
そこでの戦いも、現実世界にあるような武器やメカを使ったような戦いではなく、
非現実的な力を用いた戦いでないといけません。
そういうわけで、魔法で戦うということになり、魔法使いの戦隊の物語となります。
すると、その異世界は魔法使いの世界ということになります。
魔法使いの世界の正義と悪の戦いで、正義と悪が峻別されているということになれば、
正義の魔法世界と悪の魔法世界があり、それが対立して争い、正義の魔法世界が勝利するという物語になります。

両者の間をしっかり峻別するためには、
正義の魔法世界と悪の魔法世界の双方のイメージは対照的なものとするのが良く、
善悪二元論的な西洋の天界と魔界・冥界のイメージで描くことにしました。
つまり、現実世界を挟んで上部に天界があり、下部に冥界があるというイメージで、
天界も冥界も何段階もの位階に分かれており、
その位階はピラミッドのように上位階(冥界においては下位階)にいくほど狭くなっていく(その位置にある者が減る)構造で、
天界の最上位には神、冥界の最下位には魔王がいるという感じです。

魔王は神に匹敵する力を持つ強敵ですが、
西洋二元論的世界観では魔王が神になることはありませんし、神が魔王になることもありません。
神の正義はあくまで100%純粋な正義であり確固としており、
正義の側の戦士の中で正義と悪の葛藤などありません。
正義の戦士は何の迷いもなく悪と戦い、最終的に正義は悪に勝利するのです。

現実社会から見ればアホらしい戯言のようにも見えますが、
そうした天界と冥界の二元論的な物語世界を細部まで緻密にリアルに構築して、
その中で物語を展開させることが出来れば、そういう戯言もリアリティを持たせることが出来ます。
つまり、正義と悪の葛藤を描くことなく、正義と悪の戦いを描くことが出来るのです。

こういう天界と冥界のイメージをあてはめ、
正義の天界・魔法界のような世界をマジトピア、
悪の冥界のような世界をインフェルシアとします。
このマジトピアとインフェルシアの戦いを描くわけですが、
それだけでは人間世界に何の関係も無い話になってしまい、視聴者である人間の子供たちは感情移入出来ませんから、
戦いの舞台は、その両世界の戦いに巻き込まれた人間世界ということになります。

このファンタジックな世界観の中で1年間続く壮大な大河ストーリーを作るとなると、
ここはファンタジーの王道的な展開で描くほうが子供向けには分かりやすいです。
「ファンタジーの王道展開」とは、西洋のおとぎ話や神話によくある英雄譚で、
主人公の少年が敵を倒すために旅に出て、様々な試練を乗り越えて成長し、
最終的に故郷に帰還して敵を倒すという流れです。
この場合、えてして少年は何処ぞの王子であったり、少年の敵はその父親であったり父親の仇であったりして、
少年が父親を乗り越えて英雄へと成長し、それが新たな国や世界の始まりとなる物語として描かれます。

この作品も最初は正義の魔法界マジトピアの王子が人間界へ旅立ち、
そこで悪の冥界インフェルシアの刺客と戦うというような物語が構想されていたようで、
その場合、残り4人の戦士は王子の従者4人組というような感じだったようです。
この5人が魔法使いの戦隊マジレンジャーということになるが、つまり5人とも魔法界の住人ということになります。
しかし、これではやはり主人公たちが人間とはかけ離れた存在になりすぎて、人間の子供の視聴者は感情移入出来ません。
やはり5人は人間世界の住人であるべきです。

もちろんファンタジーの王道展開の英雄譚っぽくするためには、ただの人間ではなく、
何らかの魔法世界の因子を受け継いだ者であるべきですが、
基本的には現実的な人間世界に軸足を置く生活を送る者であるべきです。
「魔法」というアイテムが便利すぎて、どうしても浮ついた話になりがちなので、
何か視聴者に身近な現実的な要素は物語の軸として必要でした。

しかも、主人公の成長物語でもあるわけですから、若い未熟な主人公という設定になります。
そうなると、セーラームーンっぽい学園物語がいいような気もしてきます。
5人は同じ学校に通う高校生で、たまたまマジトピアの魔法使いが転生してきた者達で、
覚醒してインフェルシアの地上侵攻に立ち向かう、というような物語です。
やはり「魔法」というとセーラームーンや前年に始まったプリキュアのイメージから「学生」という連想もあったのか、
一時期そういう案もあったようです。

ただ、学園を舞台にした成長物語となるとメガレンジャーと似てきますし、
高校生戦隊はキャラの個性が分けにくいという欠点があります。
そして、この作品ではあくまで1人の主人公である王子的な少年の成長物語を描きたかったので、
同じ程度に未熟な仲間が4人いれば、主人公の成長物語が霞んでしまいます。
だから主人公であるレッドは高校生でいいのですが、あとの4人はレッドよりは年上で、
自らも成長しつつも基本的にはレッドの成長をサポートするような立場がよいのです。
もうこうなってくると、レッドを末っ子にした兄妹戦隊でいいじゃないかということになります。

つまり5人の兄弟姉妹によるホームドラマの要素を軸とするということです。
また、転生とかじゃなくて、全員がマジトピアの魔法使いの血を受け継いだという、より分かりやすい設定も、
5人が同じ親を持つ兄妹であるならば自然に描写出来ます。
父親がマジトピアの魔法使いで、母親が人間世界の人間で、父親は昔、悪の冥界インフェルシアの王との戦いで行方不明となり、
母親が女手ひとつで普通の人間としてこの小津家の5人兄妹を育ててきて、兄妹は父親の正体も、魔法界の存在も知らない。
そこにある日、インフェルシアの地上侵攻が始まり、母親に真実を告げられた小津兄妹はマジレンジャーとなって戦い始める。
これなら、兄妹は戦う宿命を持っていることになりますし、インフェルシアとの戦いは父親の仇討ちにもなります。
そして、何よりも、兄妹関係や兄妹愛というのは、視聴者の子供たちにとって、
とても親しみや現実感のあるテーマでもあり、
「魔法」という非現実的要素とのバランスも上手く取れます。

ただ、ここで血統というのは、あくまで戦い始める理由づけという意味があるだけで、
血統の良し悪しによって魔法力が変わったりはしないということにしました。
血統で魔法力が決定されるということにしてしまえば、
視聴者から見てマジレンジャー兄妹が人間からかけ離れた存在になってしまい、親近感が減ってしまうからです。
そして、何よりも、そういう先天的因子で魔法力が決まってしまうのなら、
ファンタジー英雄譚の肝である「試練を乗り越えての成長」が描けなくなってしまうからです。

ならば、修行や特訓、あるいは呪文の学習などによって魔法力を高めるという設定にするかというと、それもどうも違います。
単体ヒーローならそれでいいでしょう。厳しい師匠に導いてもらえばいいのです。
しかし、これは主人公である末っ子のレッドを4人の兄や姉たちが支えて成長を見守る物語です。
そして、魔法に関しては兄や姉たちも末っ子と同じ時期に使い始めるのですから、同じようなレベルということになります。
つまり兄や姉たちは魔法技術的には末っ子に対して導いたりするほど優位には立っていないのです。
もし魔法力の向上が修行や特訓、学習など、技術的な要素によるものだとするなら、
兄や姉たちは末っ子の成長の役にはあまり立ちません。
そうなると末っ子にとって兄や姉の存在というのはあまり重要なものではなくなってしまい、
これでは兄妹戦隊である意味はあまりなくなってしまいます。

01.jpg兄や姉たちが末っ子の役に立てるとしたなら、それは精神的な支えという意味です。
ならば、魔法力の向上は精神的な要素によるものだとした方がいいのです。
精神的な成長が魔法力の成長に直結するという設定にすれば、兄や姉たちも末っ子の役に立つことが出来ます。
しかし、同時にここで描かれる成長というのはファンタジーの王道「試練を乗り越えての成長」ですから、
この精神的な成長というのは、試練の場を乗り越えるような類の心の動きということになります。
試練というのは一種の脅威でありますから、それに立ち向かって克服することがその精神的成長です。
それは結局、勇気を発揮するということでしょう。
試練(ピンチ)の場面において勇気を発揮すると魔法力が上がり、
その魔法で試練を乗り越えるというわけです。

普通のヒーロードラマではピンチの場面で勇気を発揮して敵に立ち向かい、
その前向きな姿勢が何らかのチャンスを呼びこんで逆転勝利に繋がるということはよくあります。
ガオレンジャーなどでも、ピンチの場面で何か急に熱血になって叫んで突進したりすると逆転してしまっていたりして、
よく考えたらどうして逆転出来たのかよく分からないのですが、勢いに押されて納得してしまったりします。
マジレンジャーでは、この「何かよく分からない部分」に独特の理屈を与え、
それによって、魔法を題材にしたファンタジーと熱血戦隊ドラマとを結びつけることに成功したのです。

ピンチの場面で勇気を出せば、それに応えて魔法力が上がり、
その魔法力を使って逆転勝利出来るのです。
OPテーマ直前のナレーションでも最後に「魔法、そしてそれは勇気の証」と謳われており、
マジレンンジャーの全員名乗り時のキャッチフレーズも
「溢れる勇気を魔法に変える!魔法戦隊!マジレンジャー!」となっており、
「勇気が魔法を生み出す」というのは、この作品の最重要コンセプトとなります。

問題は、どういうメカニズムで勇気が魔法を生み出すのかですが、
マジレンジャーの魔法力はそもそもマジトピアに居る彼らそれぞれの守護天使のような存在である天空聖者から与えられているもので、
マジレンジャーの誰かが勇気を示せば、それに応じてその担当の天空聖者から
新たな魔法力が与えられるという風に説明されています。
しかし、その天空聖者たちは劇中では変身時のホログラムのような姿以外は出てきませんし、実質いないようなものです。
現象としては勇気を示したら魔法力が上がったというだけのことであり、とても安易な印象を与えかねません。

勇気を示すとマージフォンという携帯電話型の変身アイテムにメールが着信する要領で
魔法力と共にマジトピアの天空聖者から呪文とキー操作の手順の指示が送られてくるという
描写の面白味で、かなりカバーはされていましたが、
何せこれが毎回繰り返されるわけで、そうなると着信描写の面白味だけでは安易さは払拭出来ません。
考えてみれば、同じように安易極まりなかったガオレンジャーの場合、さして安易さが感じられなかったのは、
ガオのメンバーが普段からやたらとアツかったからでした。

やはり日常シーンからの積み重ねというのは大事で、
あんなに普段から熱血してれば、奇跡的な逆転があってもあまり違和感はありません。
それと同じことで、マジレンジャーの場合も、その勇気が示されるまでの日常シーンからの繋がりが説得力のあるものであれば、
勇気が魔法に変わる描写も違和感は無く、むしろカタルシスが生じます。
そして、この勇気というものがファンタジー兄妹戦隊のマジレンジャーにおいては、
兄妹の支えによって試練を跳ね返して発する勇気ですから、
勇気が発現するまでに至る試練を乗り越える経過の描写においての
他の兄妹の関わり方というのが非常に重要になってくるのです。
つまり日常シーンも含めての兄弟姉妹の関係をしっかり描くことが出来るか否かが、
この作品の成否を分けると言っても過言ではないのです。

そういうわけですから、5人兄妹のキャラ設定はしっかりされています。
ただ、デカレンジャーの時とは全く違うキャラ立て手法となります。
デカレンジャーの時はまず極端に記号的なキャラを立ててから、
それら個々のキャラに合ったエピソードをそれぞれのキャラごとに作っていきました。
そこで描かれるのは既に完成したプロフェッショナルの刑事たちによる日常業務の様子でした。

一方、マジレンジャーの場合は、
まずは「末っ子レッドの成長物語」という年間通した大河的なメインストーリーがあり、
4人の兄や姉たちはその末っ子の成長を支える役割の違いでキャラ分けされました。
そして、この5人の未熟な魔法使いの兄妹たちが成長していき、
遂には世界を救うまでの壮大な物語を末っ子レッド中心に描くのが1年間のストーリーであり、
各エピソードはこの大きなストーリーを構成するパーツとして作られました。
だからエピソード内容が5人のキャラに合わせて作られるということはなく、
逆に5人のキャラはエピソードの内容に合わせて臨機応変に変わっていくことになります。

デカレンジャーのキャラはどういう局面でもだいたいキャラごとにパターン化された行動をとり、
そのお約束感が面白味にもなっていたのですが、
マジレンジャーのキャラの場合は、いつでも同じような行動をとるわけではなく、
局面によってはキャライメージと違った意外な行動をとったりします。
キャラの芯の部分がしっかりしていないと、それは「ブレ」に見えてしまいますが、
キャラの芯の部分がしっかりしていれば、そういう意外な一面が面白味となり、「成長」とも解釈されます。
マジレンジャーの場合はもちろん後者であり、
その芯にあたる部分というのが、各自に割り当てられている属性であり、
それが兄や姉たちの場合は末っ子レッドを支える役割の種類と重なっています。
つまり兄や姉たちは末っ子と接する時が一番彼らの本来の姿でいられるのであり、
末っ子もそうした兄や姉たちの前では安心して素直に自分を曝け出せるという、
そういう風に小津家の5人兄妹は深い信頼関係を結んでいるのです。
そして、その信頼関係をしっかり描けば描くほど、5人のキャラは芯がしっかりしていくのです。

主人公で末っ子の小津魁は17歳の高校2年生で、「情熱」という属性を与えられています。
つまり、すぐにカッとなって突っ走る熱血バカです。
この出来の悪い末っ子を大きく広い心でのびのびと育てるのが、
24歳の長男で小津家の第一子にして「寛容」の属性を与えられたマジレンジャーのリーダー小津蒔人です。
また、この末っ子の頭の悪い熱血バカの魁と最も年の近い19歳の第四子にして次男の小津翼は、
クールで冷静な性格のために魁とは反りが合わずにいつも喧嘩ばかりだが、
「英知」の属性を与えられており、なんだかんだで魁の暴走を戒め冷静なアドバイスを与えてくれます。
このように、熱血バカの末っ子の魁を中心に進んで行く話が多いので、物語は基本的にはコミカルなのですが、
コミカルなエピソードを積み重ねながら大河ドラマ的な伏線も積み上げていき、
終盤には大変に壮大な盛り上がりを見せていくのです。

男性陣はこんな感じなのであり、後はヒロインです。
末っ子の魁には2人の姉がいます。第二子で長女の芳香と、第三子で次女の麗です。
つまり、マジレンジャーはダブルヒロイン体制です。
ダブルヒロインということは、前作のデカレンジャーと同じということです。
デカレンジャーがダブルヒロイン体制になったのは、
普通に昔ながらの戦隊ドラマを作るやり方では作品が成立しなくなってきたので戦隊ドラマと別の要素である刑事ドラマを融合させたため、
戦隊ヒロインとは別に刑事ドラマに対応したヒロインも用意せざるを得なくなったからでした。
それが戦隊ヒロインであるウメコと刑事ドラマヒロインであるジャスミンのダブルヒロイン体制となったのです。
そして、このマジレンジャーもデカレンジャーと同じく、
普通の戦隊ドラマに別の要素であるマジカル・ファンタジーを融合させて成立したドラマですから、
普通の戦隊ヒロインとは別にもう1人、マジカル・ファンタジーに相応しいヒロインが必要なのです。
そっちを担当したのが長女の小津芳香の方でした。

n-houka004.jpg小津芳香は、小津家の第二子で、小津兄妹の長女で、年齢は22歳です。
桃色の魔法使いであるマジピンクに変身します。
個人キャッチフレーズは「吹きゆく風のエレメント」で、風に関連した魔法を得意としますが、
風そのものを使った魔法を使うことは意外と少なく、むしろ変身魔法を得意とします。
これは「風」というものの実体の無さ、捉えどころの無さ、変幻自在さなどから
「変身」へと連想が繋がるものです。
だが、この「〜のエレメント」っていうのは
「炎」「雷」「水」「風」「大地」というように、
なんとなく名乗りをカッコよくするためにバランス良く適当なものを配分したという感じで、
これ自体には大して意味は無いでしょう。
むしろ芳香の場合は「変身魔法を得意とする」という設定が先にあって、
そこから連想される名乗りに使えそうな自然現象が「風」だったという感じがします。

どうして芳香が変身魔法なのかというと、変身魔法こそがマジカル・ファンタジーの王道だからです。
いや、日本における子供向けマジカル・ファンタジーの王道といえば、
1960年代から連なる「魔女っ子アニメ」ですが、
芳香の使う変身魔法というのは、小津兄妹の使う魔法の中では最もマンガチックで荒唐無稽なもので、
まさにアニメの魔女っ子の使う魔法のノリそのものなのです。

その変身したものは、扇風機、大砲、ポスト、蜂、車、ノックマシーン、コショウ瓶、ラジオなど、変なモノばかり。
インフェルシアとの戦いで使ったものもありますが、イタズラ目的のものも多く、
そうしたふざけた動機で使うあたりも魔女っ子的です。
変身呪文を唱える前に「変わりま〜す」とおどけるクセもあり、
芳香が「本気のポーズ」と呼んでいる「やる時はやる」という意思を表すらしいポーズは、
セーラームーンや魔女っ子メグちゃんあたりで使われていたポーズの変形でもあり、
芳香は全体的に魔女っ子ヒロインのテイストが強いキャラです。

芳香は職業はモデルですが、あんまり仕事は無いようで、ニートに近い感じです。
だいたい、このマジレンジャーの小津兄妹は、未熟な兄妹という設定であるため、
かつての兄妹戦隊であるファイブマンやゴーゴーファイブに比べると
全体的に年齢も若く、職歴も乏しいメンバーが多いです。
ファイブマンとゴーゴーファイブは全員成人しており、
ファイブマンは全員が元教師で、ゴーゴーファイブは全員が元レスキューの現場のプロであり、
社会的に尊敬される立場の人達ばかりでした。
それに比べ、マジレンジャー小津兄妹は、2人も未成年がおり、
その内訳は高校生、ニート(ボクサー志望?)、家事手伝い、ニート(モデル?)、零細個人農場経営者という風に、
かなり社会的には肩身の狭そうな連中です。
これは別に貧乏を売りにしたいわけではなく、
この作品が兄妹のホームドラマに焦点を絞った作劇になっているため、
兄妹に家庭以外の世界を極力持たせたくなかったという意味でしょう。

また、ファイブマンもゴーゴーファイブも地球を守る戦いを始めるにあたって、
全員仕事は辞めて戦いに専念する態勢をとっているのに対して、
マジレンジャー小津兄妹は、もともとニート同然とはいえ芳香は時々オーディションにも行っていますし、
蒔人は個人農場の仕事は続けています。
もちろん魁は高校に通い続けていますし、
彼らの生活の変化は翼が通っていたボクシングジムを辞めたぐらいのことです。
母親が居なくなってしまったという大きな変化はありましたが、
彼ら個々の生活は実はあまり以前と変わっていないのです。
これも普段通りの彼らのホームドラマを描きたいという制作姿勢の表れでしょう。

芳香が売れないモデルであって、いつも家でゴロゴロしているのも、半分はそうした作劇上の都合なのですが、
しかし、モデルという、やや浮ついた職業は、これまでの戦隊ヒロインの場合、あまりありませんでした。
まぁ演歌歌手をやってた人はいましたが、あれは結構地道にやってましたし、
この芳香の浮ついた感じとはちょっと違います。

そもそもモデルでありながら、あまり仕事が無いのも、芳香の自由奔放過ぎる性格が原因なのです。
かなりフリーダム過ぎる性分で、非常識と言ってもいいでしょう。
年齢の割に幼稚な言動が目立ち、22歳にもなって自分のことを「芳香ちゃん」と呼び、兄妹みんなを「ちゃん」付けで呼びます。
かといって子供っぽいのかというと、男性関係はやたらと盛んで、十五股もかけていたりします。
非常に下半身のだらしない戦隊ヒロインです。
まぁこういうのは大人っぽいとは言わず、やはり、ある意味、子供じみているのでしょう。
いい大人は十五股なんてアホなことはしません。

それに家事なども全く出来ませんし、大雑把でマイペース、ひどい怠け者です。
家庭内では天然ボケな言動を繰り返す見事なまでのトラブルメーカーで、
遊び好きで悪戯好きの困った性格。
特に恋愛話が大好きで、余計なお節介ばかり焼いて、
十五股もかけている割には全く役に立たず、被害を拡大させて兄妹の恨みを買ってばかりいます。

こう書くと、良い点が全く無い最低女のようですが、
これらの欠点は全部、芳香の非常識なまでの純粋さや優しさ、明るさが
モラルを度外視して発揮されてしまっている結果であって、
まぁ結局、自分のそうした美点をほどよく抑制することが出来ない点、
ちょっと異常な人格ではあるのです。

ただ、この非常識な人間は、常人には無い底抜けの明るさと芯の強さを持っており、
遊び大好きな分、社交性も抜群で、
常識に捉われない観察眼でたまに真実を言い当てることもあります。
間違いなく小津家のムードメーカーは芳香で、なんだかんだで皆の心を明るく励まします。

小津家は父親が不在で、母親も物語序盤で居なくなってしまいますから
父母がいない家庭なのですが、
長男の蒔人が父親代わりになって弟や妹たちを引っ張っていっています。
じゃあ母親代わりは誰なのかというと、
一見すると家事全般を引き受けている麗のように見えますが、
実は常識外れの明るさで兄妹の心を常に引っかき回しつつ和ませている芳香が
母親代わりとしての役割を果たしているのです。

家事は全く出来ませんが、
よくよく考えれば父母ともに死んだ(と思っている)小津家というのは、
普通にしていれば暗い境遇の一家であり、
更に貧乏も追い打ちをかけ、インフェルシアとの戦いでもピンチの連続だったりするのですから、
芳香のような一種の非常識な明るさの肝っ玉母さんのようなキャラが必要だといえます。
一昔前のホームドラマの貧乏一家には、
こういうブッ飛んだ非常識系の奔放な母親キャラというのは、よくいたものです。
母親が真面目系だと、ホームドラマは暗くなるので、
こういう芳香みたいな母親代わりは必要なのです。

この芳香の割り当てられた属性は「希望」です。
いつ如何なる時でも、芳香はその持ち前の明るさで兄妹に希望を与える役割を担っており、
末っ子の魁が突っ走って失敗したり、日常のことや戦いのことで思い悩んでいても、
あんまり有効な解決策などは出せませんが、
とにかく明るい前向きな気分にはさせてくれる貴重な話相手なのです。
こうした芳香の肯定的な側面が周囲に対してもよく作用するようになっていくのが
芳香自身の成長でもあり、
終盤にはこの芳香の明るさや純粋さが圧倒的な敵である冥府十神の1人ティターンに届き、
それが一旦大逆転に繋がります。

こうした芳香の一種、素っ頓狂ともいえる自由奔放なキャラ設定や、悪戯っ子ぶりは、
得意魔法が冗談みたいなモノに変身する変身魔法である点も加えて考えると、
やはり、魔女っ子ヒロインの系譜に位置するヒロインなのだと思えます。
だいたい昔から魔女っ子アニメに出て来るヒロインには、
もともと魔法使いであるヒロインと、
人間がたまたま魔法力を持つようになってしまったヒロインの2種類があり、
前者は割と不真面目で、後者は真面目な場合が多いです。
この後者の方のタイプは伝統的な戦隊ヒロインの
真面目で純粋でひたむきという気質と似た部分が多いのですが、
前者のタイプは戦隊ヒロインとは異質なタイプです。

この魔女っ子アニメに戦隊のフォーマットを合体させたセーラームーンなどは、
ひたむきに戦うというヒロイン像を基礎に置きつつも、
性格設定的にはこの両者のタイプの魔女っ子ヒロインをチーム内にバランス良く配分していますが、
主人公の月野うさぎなどは、割と素っ頓狂で悪戯好きでお茶目、
オシャレ好きでチャーミング、恋愛への憧れが強かったりして浮ついた性格で、
前者の不真面目系魔女っ子ヒロインの系譜に属します。
やはり、サリーやチャッピー、メグちゃんなどもこのタイプで、
こちらの方が正統派の魔女っ子ヒロインなのです。

何故なら、日本で最初の魔女っ子のサリーもこのタイプであり、
サリーのモデルとなったアメリカのTVドラマ「奥さまは魔女」のサマンサも、
この活発で奔放で少し非常識で悪戯好きで、
その奔放さゆえに見る人に夢や明るさを与えるタイプの魔女であったからです。
芳香のイメージというのは、肝っ玉母さん的な側面もあるところから、
むしろ、この魔女っ子の原型であるサマンサのイメージに近いと言えるかもしれません。
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