2011年03月05日

ボウケンピンク

ボウケンピンク.jpg




















スーパー戦隊シリーズの2006年度作品はシリーズ30作品目の記念作品ということになりました。
これまでのシリ−ズにおける記念作品的なものというと、
10周年記念作品として作られたライブマンや、15周年記念作品として作られたダイレンジャーの頃は
まだ落ちついた状況で作られていましたが、
その後はオーレンジャー、タイムレンジャー、ガオレンジャーなど、
石ノ森作品の扱いの問題やら、売上不振を受けていたり、
何かとバタバタした状況で作られることが多かったといえます。
その点、ゴレンジャーを第1作とする解釈が確定し、成績好調な作品の続いた後で迎えたこの作品は、
30作品目ということを強く意識した作品となりました。

そういう場合、29作品の集大成的なものであったり、
逆に過去29作品に例の無いものであったり、
あるいは原点回帰的なものであったりと、3つのパターンが有り得ます。
ただ実際に記念作品を作る場合には、この3つのパターンのどれかに限定されるのではなく、
この3つの要素が入り混じったものとなります。
但し、その3要素のどれを主とし、どれを従とするのかの比率によって作品の個性が出るといえます。
この30作記念作品となった「轟轟戦隊ボウケンジャー」の場合は、
原点回帰的側面や集大成的側面はありつつも、
主にはシリーズに前例の無いことにチャレンジした冒険的作品としての側面が強かったのでした。

とはいっても、当初から「30作記念だから特別なことをやろう」という企画から
スタートしたというわけではなかったようです。
最初は通常作品と同じく、まずは前年作品との差別化というところからスタートしたようです。
前作はマジレンジャーですが、
マジレンジャーがその前作デカレンジャーが名作だったために徹底的にデカレンジャーとの差別化にこだわったのと同様、
前作マジレンジャーが名作だったボウケンジャーも、マジレンジャーとの徹底的な差別化が必須でした。

まずマジレンジャーがファンタジー色の濃い魔法戦隊でしたので、
次はそれと差別化する意味で、現実的な世界観で科学戦隊をやろうということになり、
そうなると乗り物系の巨大マシンが出てきて、それが合体して巨大ロボとなる戦隊となります。
つまりメカニカルな巨大マシンの操縦をするような戦士たちとなります。
また、マジレンジャーが未熟な戦士たちの成長物語であったので、
次は最初から完成されたプロフェッショナルで大人な戦士たちの物語にしようということになります。
また、マジレンジャーが家族の心の交流を情感たっぷりに描くドラマであったので、
次は他人同士がドライでクールな仕事として一緒に戦うというような戦隊でいこうということになります。
そして、マジレンジャーが子供向けを強く意識して作られた作品であったので、
次は割と大人にもウケるような内容にしようということになります。

しかし、こうなると、今度はデカレンジャーと似てくるのです。
まぁデカレンジャーのとことん逆をいったのがマジレンジャーなのですから、
その逆をいけばデカレンジャーに回帰するのは当然です。
このデカレンジャーがまた名作なものですから、
デカレンジャーとも明確な差別化を図らなければいけなくなります。
当然、刑事戦隊や警察戦隊など論外ですが、
現実的で乗り物を操縦するクールなプロ戦士の科学系職業戦隊となると、
どうしても表面上はデカレンジャーに近いイメージになります。

ならば、デカレンジャーとの根本的な違いを見せていくしかない。
デカレンジャーの最大の特徴は、あのエピソードの集合体といえるシンプルな構成であり、
大河ドラマ的な縦糸のドラマが存在しないことですから、
この30作目においては、マジレンジャーのように縦糸のストーリーをちゃんと作ればいいのです。
しかし、デカレンジャーであえて縦糸のストーリーを作らなかった理由は、
現在の正義の希薄な現実社会を舞台にして正義と悪の戦いを縦糸のちゃんとしたストーリーで描くと、
正義と悪の葛藤のドラマを避けて通れず、それに描写を割かれて尺が足りなくなってしまうからでした。

この30作目は現実世界のリアルな戦隊となるわけですから、縦糸のストーリーを作ってしまうと、
確かにデカレンジャーともマジレンジャーとも違ったテイストにはなりますが、
正義と悪の戦いを描く以上、正義と悪の葛藤を描かざるを得なくなってしまいます。
デカレンジャーのような警察戦隊の場合は縦糸のストーリーを排除することで戦隊の行動を日常業務レベルに止めて、
正義と悪の戦いにまでボルテージが上がらないように配慮することが出来ました。
逆に言えば、デカレンジャーも警察官である以上、基本的には正義の戦士であるわけで、
ストーリーが大河ドラマ的展開となって戦いのボルテージが上がれば、
通常の作品と同じく、正義と悪の戦いに突入していくのです。

だから、この30作目における戦隊は、ストーリーが大河ドラマ的展開となって、
そのボルテージがとことん上がっていっても、
決して正義と悪の戦いには突入していかない戦隊でなければいけないことになります。
もちろんバトルヒーロードラマですから、戦い自体は派手にやるわけですが、
正義と悪の戦いの図式にならないというのが大事となります。
つまり、警察官のように基本的に正義の戦士ではなく、
善悪に分けた場合どちらかというと善の部類には入るが、
彼らの戦いの目的が正義の悪に対する勝利の実現そのものではない戦隊ということになります。

悪者と戦って勝つことが彼らの目的ではなく、別の目的のために身を挺して戦うのです。
その別の目的を優先させるためには、悪との戦いが義務となってはいけないわけで、
そうなると公的機関所属であってはならないわけです。
公的機関なら悪を放置するわけにはいかなくなってしまいますから。
だから民間団体でないといけないのです。

スーパー戦隊シリーズではあまり描かれてきてはいませんが、
そういったタイプのヒーローというのは昔から存在していました。
メタルヒーローシリーズではレスキューポリスシリーズで若干描かれていましたが、
災害などからの人命救助のために戦うヒーロー像です。
ただ、レスキューポリスシリーズではヒーローは公的機関所属だったので、
結局は犯罪者との正義VS悪の戦いが主になっていきました。
だから厳密にはこれにあてはまりません。

このタイプのヒーローの典型的にして古典的名作は
1960年代にイギリスで制作された特撮ヒーロー人形劇の「サンダーバード」です。
民間人が設立した国際救助隊が様々なマシンを使って世界中の災害から人命を救うお話です。
どうもこの30作目の戦隊は、玩具企画段階では
この「サンダーバード」的なものを志向していたように思えるのです。
各種マシンが戦闘用のものが少なく、ダンプやクレーンやショベルカーやドリル掘削車など、
建設用の重機のようなものが多いのですが、これは「サンダーバード」と同じです。
また、この各種マシンにいちいち数字で番号を割り振っているのも「サンダーバード」と同じですし、
この30番目の戦隊を組織している団体が公的機関ではなく民間の財団である点も「サンダーバード」と同じです。

そしてこの財団サージェスはレスキュー部門を持っており、
そこに所属する戦士として設定された追加戦士用のマシンには消防車、救急車、パトカーもあり、
このサージェス財団というのは、基本的には「サンダーバード」の国際救助隊の司令部と同様の団体であると考えられるのです。
つまりサージェスの表向きの本業は民間資本の国際救助隊と解釈することも可能なのです。

しかし、これだと今度はゴーゴーファイブに似てきてしまうのです。
ゴーゴーファイブも巽博士が作った民間の戦隊で人命救助を最終目的とした戦隊でした。
ただゴーゴーファイブの場合、サイマの怪人が災害を起こすので怪人を倒すことが人命救助のために不可欠という流れになっていたので、
一見普通の戦隊と同じように正義が悪を倒すという行動をとっていただけです。
というより、やはりバトルヒーロードラマである以上、怪人との戦闘シーンを外すわけにはいかず、
ゴーゴーファイブにおいても人命救助を目的としながら怪人と戦う理由づけをする必要が生じたので、
その理由づけのために「サイマ」という特異な敵組織の設定を作ったのが実際のところです。
これと同様に、この30番目の戦隊も、人命救助を目的とするといっても、
やはり怪人とバトルをしないわけにはいかないのであり、
そうなると結局、ゴーゴーファイブと同じようなものになってしまうのです。

それではマズいので、この「サンダーバード」的な重機などを使って他に出来ること、
しかも正義の戦士でない行動をするヒーローというものを考えなければいけなくなります。
サンダーバード的な装備を使えば、陸海空のありとあらゆる場所へ行けるわけで、
そこで物を持ちあげたり、どかしたり、掘ったり埋めたり出来るわけです。
じゃあ何かを掘り出したりするヒーローということで、
ハリウッド映画「インディ・ジョーンズ」のような
冒険家・探検家・遺跡発掘者・宝探しのようなタイプのヒーロー像に辿り着きます。
「冒険家」というのも、「トム・ソーヤーの冒険」「宝島」など古典的名作から連なる、
少年の心をワクワクさせる要素を持ったヒーロー像です。

そして冒険家ならば、正義のために悪と戦うという義務は有りませんが、
インディ・ジョーンズを見れば分かるように、悪人とスリリングな戦いを繰り広げています。
ジョーンズは悪人をやっつけることが目的ではありません。
ただ、考古学者のジョーンズは、彼が行き掛かり上知り得た恐るべきパワーを秘めた遺跡の秘宝を
悪人が悪用しようとするのを阻止するために戦っているわけで、
彼自身が普段から悪人を倒すことや世界の平和を守ることを使命としたり職業としているわけではありません。
彼は秘宝を悪の手から隔離して保護したいだけなのです。

つまり、ジョーンズのような冒険家ヒーローでも
「秘宝を悪人から隔離して保護するため」という理由付けをすることによって、
ちゃんと悪人とバトルするヒーローとして描写出来るのです。
秘宝を悪人が奪って悪用すれば世界に大きな災厄がもたらされるわけですから、
それを阻止するジョーンズの行動は正義であり、
ジョーンズ自身、自分の行動が世界の正義に貢献するものだという自覚はあるでしょう。
しかしジョーンズは悪人が秘宝を奪おうとしない限りは悪と戦わないわけで、
そういう意味では根っからの正義の戦士ではありませんので、
ジョーンズの物語がどれだけ深まっていっても、そこに正義と悪の葛藤は生まれません。

「インディ・ジョーンズ」シリーズは決して薄っぺらい物語ではなく、
深いテーマを秘めた物語なのですが、
そこから生じるのは正義と悪の葛藤などではなく、ある意味、それよりも深いものかもしれません。
だいたい「インディ・ジョーンズ」の物語の結末は、
秘宝に込められた深淵にして神秘的な叡智は悪人の邪な欲望などを超越しており、
悪人は神罰を受けるかのように秘宝によって滅び、
ジョーンズはその叡智の前に茫然とするという形となります。
つまり、秘宝の叡智は悪人はもちろんジョーンズの手にも入らず、
秘宝は善悪など超越した存在として、手の届かないところに去って行くのです。
ここには正義と悪の葛藤など生じません。
むしろ、正義や悪を超えた価値が語られているのです。

この「インディ・ジョーンズ」の物語の構造をそのまま戦隊作品化すれば、
それはそれで面白い趣のものが出来たかもしれません。
しかし、日本には既にこの「インディ・ジョーンズ」の世界観とSFスパイチームアクションを融合させた優良なコンテンツが有りました。
それが「スプリガン」という漫画です。

これはアーカムという民間の財団によって組織されたスプリガンという
特殊技能を持った戦士たちで構成される秘密チームが、
世界各地にある現代科学を遥かに超える恐るべき古代のオーバーテクノロジーを秘めた
遺跡や遺物(オーパーツ)を、それを悪用しようとする者たちの手に渡らないようにするために
回収や封印をして回るという物語です。
その過程で悪の組織とのオーパーツ争奪戦で熾烈なアクションも満載で、
スプリガンの武器や装備には、回収したオーパーツに秘められたオーバーテクノロジーも
アーカム研究班によって解析されてフィードバックされていくのです。

この「スプリガン」の設定が非常に戦隊に応用しやすそうな設定であり、
しかも30番目の戦隊の初期案であった民間財団の組織したサンダーバード風の国際救助隊という設定との相性も良かったので、
制作陣は初期案を改良して、この「スプリガン」の戦隊版の設定を作りあげたのでした。
それが「轟轟戦隊ボウケンジャー」です。

n-sakura001.jpg文化財の保護などを行う、一見善良穏健なサージェスという民間の財団があります。
そのサージェスは秘密裏に世界各地に眠る危険なパワーを秘めたオーパーツ、
すなわち彼らの言う「プレシャス」というものを回収管理して、
それが悪用されたり高値で取引されたりしないようにしています。
しかし、そのプレシャスの回収業務は、プレシャス自体が発見し近づくことが困難な場所にあり、
プレシャス自体が危険なものでもある上に、プレシャスを狙ってくる悪の組織の妨害も頻繁であり、
非常に危険な任務となります。

そこでサージェスはプレシャスを発見して回収するために有用な特殊技能を備えた
冒険のプロフェッショナルの秘密チーム「ボウケンジャー」を結成し、
プレシャスの回収任務にあたらせることにしました。
そして彼らにプレシャスを研究してサージェスが得たオーバーテクノロジーをフィードバックして開発した
耐久スーツや巨大マシンなどを供給し、プレシャス回収に伴って生じる障害を排除させ、
任務を円滑に遂行させることにしています。
同時にそのテクノロジーは後に計画されたサージェスの国際救助活動にもフィードバックされています。

これらの任務に使用されるサージェスのマシン類には、
プレシャスから得たオーバーテクノロジーで開発された
「パラレルエンジン」という特殊なエンジンが搭載されており、
これがマシンやボウケンジャーの耐久スーツの大きなパワーの動力源となっている上に、
マシン同士を合体させて巨大ロボとして動かして更なる巨大なパワーを発揮させることが出来るのです。

この「ボウケンジャー」という作品のシリーズ集大成的な側面というのは、このマシンの合体機構で、
過去にあった「数台のマシンが合体して巨大ロボになる」という合体パターンと、
「巨大ロボの腕や足をパーツで付け替える」という換装パターンを組み合わせていることでしょう。
しかも、これが特殊で、腕を付け替えても、
付け替える前に腕だったパーツが余剰パーツとして外れるのではなく、
ボディの別の箇所に付け替えられて巨大ロボを構成するパーツとして残るのです。
つまりどんどん巨大ロボを構成するマシンの数が増えていくのです。

これは、巨大ロボのパワーが、ロボを構成するマシンに搭載されているパラレルエンジンの出力数の合計そのものだという設定によるものです。
つまり合体に参加しているマシンが多ければ多いほど巨大ロボは強力なものになるのです。
こうして合体に参加するマシンの数は増え続け、遂には最終的には10体合体ロボまで登場することになりました。
ここまで多くのマシンが合体する巨大ロボはシリーズでは前例の無い新しい挑戦でした。
この10体以外にも多くのマシンやロボが登場し、複雑な組み合わせを披露した「ボウケンジャー」は、
マシンやロボの側面ではかなり冒険した作品だといえますが、
その分、新マシンや新ロボの登場や活躍に関わる描写が多くなりました。

また、これと同様、「過去作に例の無かった新しい挑戦」でありながら
同時に「過去作の集大成」でもある点としては、敵組織の設定があります。
ボウケンジャーの敵組織というのは、
ゴードム、ジャリュウ一族、ダークシャドウ、クエスターというふうに、全部で4つ出てきます。
これ以前のシリーズ作品は、敵組織というものが無かったカクレンジャー前期とデカレンジャーを除いては、
1作品につき敵組織は1つでした。だから4つも敵組織があるというだけでも斬新なのです。

そして、集大成的側面としては、この4つの敵組織が過去の戦隊をモチーフにしている点があります。
ゴードムはマジレンジャーおよびオーレンジャー、
ジャリュウはジュウレンジャーおよびアバレンジャー、
ダークシャドウがカクレンジャーおよびハリケンジャー、
クエスターがダイレンジャーなどと言われていますが、
まぁこの辺りは半分遊びのようなものです。

ボウケンジャーの場合、大事なのは単に敵組織が4つということではなく、
これら複数組織が同時存在していることです。
これは、あくまでボウケンジャーがプレシャスを手に入れることを目的とした戦隊であるということを強調するためです。
もし1つの敵組織、仮にゴードムだけを相手にプレシャス争奪戦を繰り広げていくと、
結局いつもゴードムと戦っているわけですから、実質的には「ボウケンジャーVSゴードム」の物語になってしまい、
変に宿命の対決的になってしまい、プレシャス争奪戦の影が薄くなってしまいます。
だから、物語の焦点が1つの敵組織に結ばれてしまわないように、
敵組織を複数同時存在させて、交替制でボウケンジャーと戦わせるのです。

実際はこの複数組織同士はプレシャス獲得のために一時的に手を結んで一緒にボウケンジャーを襲ってきたり、
逆に反目し合ってボウケンジャーと三つ巴の戦いになったり、いろいろと複雑な様相を呈するのですが、
とにかく基本的には印象は4分の1に薄まるわけで、
しかも彼らがプレシャスを手に入れたいのは、プレシャスを得ないと大した力が無いからであって、要するに弱いのです。
ボウケンジャーにとってはプレシャス獲得を邪魔する障害物程度の扱いでしかありません。

そうして敵組織の存在感が薄くなると、自然に物語の焦点はプレシャスに結ばれます。
ボウケンジャーがどのようにしてプレシャスを手に入れるかというのがストーリーの中心で、
その過程で敵組織との戦いもあり、そこはアクションのレベルを上げて見栄えのするものにはしていますが、
デカレンジャーの場合と同じく、敵が弱いと、どうしてもアクションで盛り上げるのも限度はあります。
ただ、ボウケンジャーの場合、たまに敵がプレシャスを手に入れてやたらと強力になって
ボウケンジャーが絶体絶命になることもあります。
しかし圧倒的に多くのプレシャスを確保しているサージェスは
その敵のプレシャスを上回るオーバーテクノロジーの新兵器を投入して逆転してしまえるのです。
それがパワーアップイベントということになり、そういう時はかなりアクションでも盛り上がります。
こういう点はデカレンジャーよりも優れています。

こういう事が出来るのは、
やはりチンケな犯罪者と違って、ボウケンジャーの場合は4分の1に薄められたとはいえ、
やはり敵が一貫して存在する組織だからです。
つまりデカレンジャーの敵よりは格段に存在感はあるわけで、物語の縦糸に成り得る存在なのです。
実際、この敵組織を積極的に物語の縦糸として活用しようとしていた気配はあります。
ボウケンジャーの各メンバーと、この複数の敵組織の面々との因縁を構築しようとしていました。
例えば暁とリュウオーン、真墨とヤイバ、蒼太とシズカ、映士とクエスターという組み合わせです。

これはデカレンジャーでは決して無かった傾向です。
デカレンジャーでそれをやってしまうと正義と悪の葛藤が生じるからです。
しかしボウケンジャーの場合、そもそも単なるプレシャス争奪戦ですから、
いくら敵との因縁が深くなっても、ドラマ的な面白味が増すだけで、正義と悪の葛藤は生じません。
このようにボウケンジャーが正義のヒーローでない以上、
物語の縦糸になるストーリーはいくら作っても大丈夫なのです。

むしろ、クールで深みのある人間ドラマを描こうという方針のもと、
ボウケンジャーの各メンバーは全員、過去にトラウマのある設定となり、
任務をこなす日々の中で、それを解決して自分なりのボウケンジャーとしての精神
「冒険スピリッツ」を見つけていくというのが、この物語の主要な縦糸となるのです。
そして横糸となる各回のエピソードは、
毎回下される新たなプレシャスの獲得指令に基づいたミッションの顛末ということになります。
その中にはもちろん敵対する組織とのバトルも含まれるのです。

これは、確かに非常に面白そうな構成であり、実際、面白かったです。
ただ問題は、そんな正義のヒーローでもないような連中を主人公にしても大丈夫なのかという点です。
スーパー戦隊シリーズを見ている子供たちは、正義のヒーローを観たいわけであって、
そのニーズに沿わないことをするのは得策ではないのではないかという危惧はあります。
ボウケンジャーの面白味というのは、割と大人向けの面白味であって、
勧善懲悪が好きな子供たちにはウケないのではないかとも心配されます。

しかし、過去に勧善懲悪でなく、かなり大人向けのハードな内容であった
タイムレンジャーの視聴率は非常に良かった例もあり、
あれは子供たちにも支持はされていたと見ていい。
このように子供だって勧善懲悪でないヒーローを理解する能力は有り、
実際にこの世界には「正義」や「勧善懲悪」を標榜していないヒーローがたくさん存在するのです。
そういうリアルなヒーローについて子供たちに教えるのも
スーパー戦隊シリーズの果たすべき役割ではないかという意見にも一定の説得力はあります。

いや、普段ならあまりそういう意見は支持されなかったと思いますが、
30作記念作品という「過去に無い挑戦をしてもいい」という特別感が、
「シリーズとして、そういう新しい志を持ってもいい」という意見に
支持を集める効果をもたらしたのではないかと思います。

そのボウケンジャーの戦隊ヒロインですが、
デカレンジャー、マジレンジャーに続いてダブルヒロイン制になっています。
ということは、デカレン以降のパターンで、
1人は従来型の戦隊ヒロインで、1人は作品世界を象徴するヒロインというやつです。
つまりボウケンジャーという作品が、
正義の戦士ではない冒険家チームのクールなミッションを描く作品であると同時に、
それでも戦隊というフォーマットで作られているという側面もあるため、
その2つの世界観にそれぞれ対応するメンバーを戦隊メンバー内に配する必要があり、
ヒロインもそのため双方の役割を担ったヒロインを1人ずつで計2人必要ということです。
そして、ボウケンピンクに変身する西堀さくらは、作品世界を象徴する方の役割を担ったヒロインです。

scan86-2.jpgさくらはボウケンジャーのサブチーフです。
ボウケンジャーは追加メンバーの映士も入れて6人ですが、
そのうち映士が年齢不詳、菜月が実年齢が10万歳で肉体年齢19歳と、結構ややこしい年齢設定になっています。
まぁしかし、上から順にチーフの明石暁が24歳で、映士がそれと同じくらいで、
次いで蒼太が23歳、その次がさくらで22歳です。
年齢的には蒼太の方が上なのですが、それでもさくらの方がサブチーフというのは、
ボウケンジャーを結成するように暁がサージェスから依頼された際に、
真っ先にスカウトしたのがさくらだからです。

つまりボウケンジャーという戦隊は一斉にメンバーが集められた戦隊ではなく、
最初は暁1人で、暁が1人1人スカウトして人数を増やしてきた戦隊なのです。
暁はメンバーの選定も任されている大きな権限を持ったリーダーレッドなのだといえる。
この有能で強いリーダーシップを持ったレッドというのは、ゴーゴーファイブのマトイ兄貴以来久々で、
昔の戦隊はこういうレッドばかりだったので、これは原点回帰だといえます。

このチーフの暁が最初は1人で、
すぐにさくらをサブチーフとしてスカウトしてボウケンジャーは2人になり、
その後、元スパイの蒼太をスカウトして3人目とし、しばらく3人で活動していた時期があったようです。
これはサージェスの提供する装備と関係があるようです。

ボウケンジャーの結成が何時頃なのかは不明ですが、そんなに昔のことではなく、
おそらく本編開始の半年ぐらい前でしょう。
サージェスはボウケンジャーの立ち上げから暁に色々と相談していたと思われ、
暁のリクエストで10機のマシンを作る計画を進めていったと思われます。
そして暁はまず最も基本的な陸海空での活動をするために必要な
1号機、3号機、5号機の3機のマシンを先に完成させて、
その3機のマシンを使って回収出来るプレシャスは先行して集めていこうとしたようです。
だから、まずは自分を含めてその3機のマシンの操縦者として3名のメンバーがいればよかったわけです。
ちなみに、さくらの操縦マシンは潜水艦型の5号機ゴーゴーマリンで、
さくらの個人キャッチフレーズ「深き冒険者」は、この自分の操縦するマシンのイメージに由来します。

この3人でやっていたボウケンジャー第一期の活動は「ボウケンジャー」本編では描かれません。
物語が始まるのは、ようやく2号機と4号機が完成して、
1〜5号機の5機のマシンでダイボウケンという巨大ロボに合体して活動することが出来るようになり、
そのために2号機と4号機の操縦者として真墨と菜月を暁がスカウトし、
ボウケンジャーがようやく5人になって最初のミッション、ゴードムの心臓というプレシャス回収のシーンからです。

このように、ボウケンジャーの本編開始前の前史において、
さくらは2番目のメンバーとして暁にスカウトされたわけで、
暁にとっては、まずさくらがいなければボウケンジャーが始まらないというぐらい重要な人材だったことが分かります。
そのさくらの経歴は、元自衛隊の特殊部隊員で、射撃のオリンピック候補というものです。
軍人出身の戦隊ヒロインというのはチェンジマンとオーレンジャーで例はありますが、
それらは軍内部で作られた軍人のみで構成された戦隊であり、
そこにおけるヒロイン達と、ボウケンジャーにおけるさくらの意味合いは全く違います。

ボウケンジャーという民間戦隊における元軍人はさくらだけであり、
他のメンバーはトレジャーハンター3名と、産業スパイ1名、プータロー1名ですから、
まともな職についていたのはさくらだけという有様です。
さくらだけがメンバー内で際だって堅いイメージで、
しかも自衛隊特殊部隊ですから、その堅さは飛び抜けたものとなります。

もともと暁は最強のトレジャーハンターと呼ばれた男で、あらゆる能力に秀でていたのでしょうが、
やはり真に最強だったのは秘宝を手に入れる能力そのものであり、
他の能力に関しては必ずしも最強といえるほどではなかったと思われ、
ボウケンジャー結成時、その不足を補って最強のチームを作るために、
ボウケンジャーに必須の特定分野で自分よりも優秀な人材を2人スカウトしたのでした。

まずはプレシャス強奪を目的に襲撃してくる悪の組織である
複数のネガティブ・シンジケートとの戦闘を想定しなければいけないので、
戦闘のプロ中のプロであるさくらを情勢分析や作戦立案や現場指揮を任せられる人材としてスカウトし、
次いで、プレシャスやネガティブ・シンジケートに関する情報を常に収集しなければならないことから、
情報収集のプロ中のプロである元産業スパイの蒼太をスカウトしたようです。
このうち、特に不可欠なのがさくらの能力で、
それゆえ、さくらは真っ先にスカウトし、サブチーフとして迎えたものと思われます。

このように、暁はさくらのことを純粋にその能力で高く評価して信頼を寄せているのですが、
さくらの方は少し違うようです。
もちろん、さくらも暁が自分の能力を高く評価して、能力を存分に振るわせてくれることや、
それ以上に、チーフとしての暁の能力の高さや、その指示の常に的確であることから、
暁に対して全幅の信頼を寄せています。
ただ、それはボウケンジャー加入後のことであって、
そもそも自衛隊特殊部隊員ともあろう者が、
怪しげな民間財団の宝探しチームへの勧誘にやって来た元トレジャーハンターを最初から信頼するのは不自然で、
しかし信頼したからボウケンジャーに参入したのであり、
では何故、さくらは最初の時点で暁を信頼したのかが問題です。

それは「一緒に自分だけの宝を探そう」という暁の口説き文句に心を動かされたからです。
何故、こんなキザな言葉に動かされて自衛隊を辞めてしまったのかというと、
もともと自衛隊に入った動機も似たようなものだったからです。
さくらは日本有数の財閥である西堀財閥の一人娘で、
将来は財閥を継ぐことを期待されて子供の頃から厳しく育てられ、
常に冷静に真面目に、親の決めたレールを淡々と進むように言い聞かせられてきました。
しかし、さくらはそういう人生に嫌気がさして、自分のやりたいことを見つけるために自衛隊に入ったのでした。

どうして自衛隊の、しかも特殊部隊に入ったかというと、
おそらく西堀財閥の影響を排除して自分の実力だけで勝負出来る最もシビアな世界を求めたからでしょう。
つまり、別に社会の平和を守るためとかいう正義感や使命感などがあったわけではなく、
お嬢様の自分探しのために自衛隊に入っていただけだったのです。
そして結局、自衛隊の特殊部隊に入り、射撃でオリンピック候補にまでなっても、
それでも「自分のやりたいこと」は見つかりませんでした。

そういう時に「一緒に自分だけの宝を探そう」と言われて、心動かされてしまったのです。
要するに、もともと夢見がちなお嬢様だったので、
こういう夢想っぽい口説き文句に反応してしまったといえます。
いや、それでもいきなりやって来た怪しげなトレジャーハンターをこれだけで信頼するのは異様です。

暁はこういうキザっぽい口説き文句を言うヤツなのですが、
同じように口説いた蒼太は産業スパイに挫折して廃業していたところだったので
ボウケンジャーに傾く理由は十分にあったが、
さくらの場合は漠然と虚無感はあっても現役自衛官だったわけで、仕事上の挫折があったわけでもありません。
だから簡単に口説かれるのは不自然です。
まぁここは、要するにこの時点でさくらは暁に恋してしまったということでしょう。
つまり一目ぼれです。

このように、さくらという人間は、生真面目、沈着冷静、頭脳明晰で戦闘力も高く、
一見クールビューティーを絵に描いたような人間なのですが、
実はその内面はかなり夢見がちで乙女チックなのです。
そして、さくらの「自分のやりたいこと」というのは、
親の特殊な教育方針や家の事情によって奪われた本来の夢見がちで乙女チックな自分の感情を素直に表現することなのであり、
それが「自分だけの宝」なのです。
だから、自分の乙女チックな感情を最も強く刺激した男性である暁にくっついていけば、
「自分だけの宝」を手に入れることが出来ると、さくらは直感し、
それでボウケンジャーに参入したのです。

ただ、そういう願望はかなり無意識的なもので、
表面意識は子供の頃からの習慣で相変わらず生真面目で冷静で感情表現少なめで、
暁もさくらのことをそうしたクールビューティーとして理解し信頼しているので、
さくらもその暁の信頼に応えたいので、冷静に真面目にあろうと努力するというおかしな状態となっています。
無意識的な本音では暁の前で素直に乙女チックな自分の気持ちを曝け出したいのに、
その暁がさくらのクールさを信頼しているので、
暁に嫌われたくないさくらは暁の期待に応えてクールにひたすらサブチーフとして任務に励むのです。
要するに鈍感男の暁が悪い。

暁はかなり大雑把な性格なので、そもそも組織人に向いていません。
だから、おそらくボウケンジャーという組織の細かな規則などを作ったのはサブチーフのさくらでしょう。
暁がさくらの組織人としての能力を信頼して、規則作りなどは一任したのでしょう。
だから「ミッション中はコードネームで呼び合う」などの規則も作ったのはおそらくさくらで、
さくらがそのルールを一番ちゃんと守り、他の者にも守るよう口うるさく言うのです。

暁はボウケンジャーを作った人間であり、
ある意味、ボウケンジャーという組織に縛られない特別な地位にいます。
ボウケンジャーという組織に縛られて、
最もボウケンジャーという組織のルールを体現する人物は、実際はさくらの方でしょう。
さくらこそがボウケンジャーというチームを象徴する存在なのです。
クールにプレシャス回収のミッションをこなしていくという
ボウケンジャーの在り方をまさに体現するヒロインがさくらなのです。

suenaga004.jpgそして同時に、クールにミッションをこなしながら、心の中では夢見がちで、
自分の中の宝を純粋に求めているというさくらの内面も、
まさにボウケンジャーを象徴する心情なのだともいえます。
「クールにミッションをこなしながら、自分の宝を探し夢を追う」というのがボウケンジャーだからです。
それを象徴するヒロインがさくらです。

このボウケンジャーの精神には従来型の戦隊ヒロインの必須項目である「他者への無償の慈愛」というものが有りません。
だから、このボウケンジャーの精神を象徴するさくらは従来型の戦隊ヒロインとは、やはり異質な存在で、
ボウケンジャーという作品に特化したヒロインなのです。
そして明石暁も同様に、ボウケンジャーの精神を象徴する男性ヒーローであり、
暁とさくらは似た者同士なのです。

このようなさくらは、
クールビューティーで沈着冷静、生真面目でいつも誰に対しても丁寧語で話し、
仲間にも名前に「君」「さん」を常につけて呼び、
ミッション中はコードネームを頑なに使い、感情表現も最小限でありながら、
時々本性の乙女チックが出て、パフェのヤケ食いをしたり、
虫を見て大騒ぎしたり、キレて暴力を振るったりし、
暁に対しては恋愛感情を隠そうと努めて異様なツンデレ状態となりつつ、
周囲にはバレバレで、散々イジラれてしとろもどろになり、
それなのに暁本人にだけは全く伝わっていないという酷いラブコメ状態で、
かなり愉快なキャラになっています。

これだけでも記号的なキャラづけとしてはかなりの出来栄えで、
ボウケンジャーは他のメンバーもこの記号的なキャラ設定としてはかなり濃く、
デカレンジャーに迫るものがあります。
実際、ボウケンジャーにおいても、この記号的なキャラを活かす形で
各エピソードのストーリーは作られているので、
さくらをはじめ、ボウケンジャーのメンバーは、デカレンジャー的な意味ではキャラは非常に立っています。

ただ、各キャラの縦糸のストーリーに関しては、
マジレンジャーの時のようにはしっかり描けていないように思えます。
例えばさくらの場合は、素直に自分の感情を出せるようになることが、さくらにとっての「自分だけの宝」であり、
それを手に入れることがさくらにとっての冒険の意義だったという物語を
縦糸のストーリーとしてしっかり描かねばいけないはずだった。
それが出来てこそ、デカレンジャーやマジレンジャーとの差別化がしっかり出来て、
デカレンジャーやマジレンジャーを超えたということになるのですが、
肝心のそれがどうもボウケンジャー全員についてやや消化不良で、
さくらの財閥令嬢や自衛隊員だったという過去なども、
単に現状のさくらの面白い記号的なキャラの理由付け以上の意味は無く、
あまりさくらが素直に自分の感情を出していくようになる描写も積み重ねられなかった。

端的には年下の菜月や真墨を呼び捨てで呼ぶようになったり、
自然に笑えるようになったりという描写はありましたが、
ここで縦糸としてしっかり描くべきはそうした端的描写ではなく、
暁との恋愛ストーリーの進展であるべきでしょう。
別にドロドロの恋愛劇を見せるべきとは思わないが、
さくらの最も素直に表したい感情は暁への想いなのだから、
それに関するチャレンジはしっかり段階的に描写すべきだったでしょう。
それなのに、それはコメディ的に少し触れられるだけで、ちゃんと縦糸のストーリーにはならず、
最後の最後にいきなりさくらが宇宙に旅立つ暁にくっついていくという決着をさせて終わってしまいました。

コメディ的な描写はそれはそれで面白かったし、
さくらが遂に想いを伝えて、暁は相変わらず鈍感で、まぁ一応ハッピーエンドで終わって良かったけど、
最後に無理に帳尻合わせたようにも見えます。
決してクオリティが低いわけではないのですが、もっと良くなったように思える残念感があるのです。

さくらは記号的なキャラ立ちだけなら、かなりの良さなのです。
それこそジャスミンにも匹敵するぐらいです。
だから記号的なキャラを楽しむ人から見れば、さくらは最高クラスのヒロインであるようです。
確かにそういう認識はよく理解出来素るし、実際、魅力的なヒロインだと思います。
しかし、ジャスミンやウメコのように記号的なら記号的なだけに割り切って貰った方がスッキリします。
仮にさくらがデカレンジャーに出ていたら最高に面白かったかもしれません。
しかしボウケンジャーのさくらの場合、縦糸のストーリーをなまじ予感させ期待させた分だけ、
やや個人ストーリーが消化不良に終わった感がして、妙な肩すかし感となり、
その分は若干マイナス評価となってしまうのが残念です。
そういう意味で、かなりクオリティが高く魅力的なのに、ちょっと惜しい点のあるヒロインだといえます。

ただ、この西堀さくらという役は非常に難役であるのは確かで、
これをしっかり魅力的に演じきった末永遥は凄いと思います。
演技力ならば、ライブマンの森恵に匹敵するでしょう。
さすがに子役時代から演技経験が豊富な末永は別格の演技力でこの難役をこなしたのでした。

では問題は、どうして縦糸のストーリーが消化不良気味になってしまったのかです。
もともと縦糸のストーリーをしっかり描くために冒険家の戦隊にしたはずなのに、
どうしてこんなことになってしまったのか。
それは、プレシャスを回収することを業務としてしまったことが原因でしょう。
どうも「スプリガン」の設定をあまり深く考えずにそのまま流用してしまったのがマズかったようです。
それだけ「スプリガン」のクオリティが高かったからなのですが、
朝の30分ドラマとの相性があまり良くなかったように思います。

「スプリガン」は全部で22個のエピソードから構成されており、
それぞれのエピソードは1つのオーパーツが登場し、そのオーパーツを巡る争奪戦が描かれます。
「ボウケンジャー」も同様に、1つないしは2つのエピソードにつき1つあるいは1セットのプレシャスが登場して、
そのプレシャスの争奪戦が描かれます。
この作劇は非常に面白いのです。
単に悪い怪人が出てきて街で暴れて正義の味方がそれをやっつけるという話よりも断然面白いのは確かです。

しかし、「スプリガン」では1つのエピソードを描くためにかなりのページ数を費やしています。
バトルや人間ドラマも緻密に描いているからですが、
やはり何といっても「オーパーツ」という正体不明のものを説明するのにかなりの描写が必要だからです。
だからトータルで情報量はかなりのものになり、
それは30分ドラマの枠内に収まるようなものではありません。
「ボウケンジャー」においても毎回新しいプレシャスが登場しますから、
いちいちプレシャスの説明をするのに尺を取られてしまうのです。

また、毎回のエピソードはデカレンジャーの場合と同じように、
その回のメインキャラの個性に合わせたストーリーを作ります。
デカレンジャーの場合はそのストーリーに合わせた事件を起こすようにすれば作劇はスムーズだったのですが、
ボウケンジャーの場合、プレシャス自体はそのエピソードのストーリーと必ずしも連動していないのです。
そのエピソード内の人間ドラマとプレシャスに関する物語は別個に存在しており、
その両方とも30分ドラマの枠内で処理しないといけないのです。これは大変です。

その上、やたらとマシンやロボが多いので、その開発や活躍などの描写もしっかりしないといけないし、
敵組織も単純な破壊を楽しむ悪ではなく、毎回それなりの事情があってプレシャスを狙うので、
そのあたりの事情説明もしないといけないし、
敵同士の合従連衡なども描写しなければいけない場合も多く、その分も尺を食います。
そして縦糸のストーリーの中でも、やはりバトルドラマですから、
敵との因縁の処理が優先され、ボウケンジャーのメンバーの深い心情描写はどうしても後回しになってしまいます。

このように厳しい状況の中で、
それでもなんとか各自の縦糸の個人ストーリーも処理していこうとしていたのですが、
どうしても、いまひとつ描写不足となってしまったのです。
各キャラのメインを務めるエピソードではそれなりに縦糸を繋いでいっているのですが、
サブに回ると、途端に描写が薄くなり、縦糸が途絶えてしまうのです。
そのあたり、マジレンジャーやシンケンジャーなどに比べると、かなり落ちる印象です。

ただ。これはボウケンジャーという物語がこれらの作品に比べて劣っているというわけではありません。
ボウケンジャーは他の作品に比べ、エピソードに詰め込まないといけない情報量が異様に多いので、
どうしても各自の縦糸ストーリーが犠牲になってしまうのです。
仮に縦糸ストーリーを完璧に描いていれば、
ダイレンジャーのようにメインストーリーの方が破綻していたかもしれません。
それはさすがに出来なかったのでしょう。
上手く全体的なストーリーはまとめています。

だから、トータルとしての作品のクオリティは決して低いわけではないのだが、
それでも一部にキャラの不自然な描写が出てきてしまう分、評価が下がってしまうし、
キャラ描写に深みが無いように見えてしまうのです。
本当はデカレンジャーよりもキャラ描写は深いのですが、
中途半端であるため、デカレンジャーの方がキャラをしっかり描いているようにも見えてしまうという、
ちょっと可哀想な作品なのです。

個人的には私は「インディ・ジョーンズ」や「スプリガン」のファンでしたし、
「ボウケンジャー」はとても面白いと思う大好きな作品なので、
あまり悪く言いたくはないのですが、
実際に「ボウケンジャー」が視聴率も玩具売上もイマイチで終わった以上、
ポケモンサンデーの影響はあるにせよ、とにかく子供には人気が出なかったということであり、
それはタイムレンジャーのような作品が視聴率は良かったという前例もあることを考えると、
単に大人向きの難しい内容だったからというだけでは済まされない
何らかの原因があると考えなければなりません。
それが情報量の過多によるキャラ描写の薄さではないかと思うのですが、
原因はそれだけではないとも思います。
もっと根本的な問題点が別にあるのではないかとも思えるのです。
そして、それはキャラの縦糸描写が薄くなった根本的原因でもあるのです。
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 11:27 | Comment(3) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あんた視聴率と玩具売上の事は語らん方がいい。
何にもわかってない。
Posted by at 2011年06月25日 20:53
こんにちは。私もボウケンジャーは好きな戦隊で、第1話から最終話まで、
見ましたが、何が物足りない気がしていました。

この番組で印象的なのは、冒険の位置づけと、その目標である宝の意味づけです。
最終決戦の中で、プレシャス(宝)とは、人の夢、希望、想いが込められたものであって、
勝手な欲望をかなえるための力ではない、と意味づけられ、戦いの後で、さくらが、
「プレシャスが人の夢なら、私たちの中にもそれはあります。」
とまとめていました。これには、非常なカタルシスを感じました。

しかし、物足りないのは、こうした意味づけが、ボウケンジャーの物語によって
十分に裏打ちされていないために、抽象論に聞こえてしまうところです。

たとえば、第48話「恐怖なる大神官」で、さくらは「笑顔」が自分だけの宝だと
いうのですが、1年間とおして番組を見ていて、それを納得させるだけの
材料が提示されていなかったと思うのです。たしかに、第5話「帝国の真珠」は、
彼女の笑顔についてのストーリーで、他にも、彼女が自分の内面を表現できるようになる
というストーリーはありましたが、まったく物足りないのです。


> では何故、さくらは最初の時点で暁を信頼したのかが問題です。
> それは「一緒に自分だけの宝を探そう」という暁の口説き文句に心を動かされたからです。

> 要するに、もともと夢見がちなお嬢様だったので、
> こういう夢想っぽい口説き文句に反応してしまったといえます。

> このように、さくらという人間は、生真面目、沈着冷静、頭脳明晰で戦闘力も高く、
> 一見クールビューティーを絵に描いたような人間なのですが、
> 実はその内面はかなり夢見がちで乙女チックなのです。
> そして、さくらの「自分のやりたいこと」というのは、
> 親の特殊な教育方針や家の事情によって奪われた
> 本来の夢見がちで乙女チックな自分の感情を素直に表現することなのであり、
> それが「自分だけの宝」なのです。

なるほど、こういうことが番組のなかでもっと描写されていれば、
第48話での、自分だけの宝とは何か、を言い合うシーンが
説得力を持ちましたね。


宝といえば、ゴーカイジャーでも、「宇宙最大のお宝」が登場しています。
この先、これに、どのような意味づけがされるのか、また、
ゴーカイジャーそれぞれの物語とどのように絡むのかを、楽しみにしながら、
見ています。
Posted by ゴーカイブラウン at 2011年09月18日 18:37
コメントありがとうございます。
ボウケンジャーという作品は、あんまり子供向けでない素材を
子供向けに料理する部分であんまり上手くいかなかった作品という印象です。
内容は非常にクオリティが高いのですけど
子供にはついていけない部分が多く
逆に大人から見ると、子供向けにとってつけたような部分が
元のストーリーから浮いている印象がありました。
ゴーカイジャーも意味合いは違いますが似たような弱点を持った作品だと思いますので
それを今後どう上手く処理していくのか楽しみです。
Posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 2011年09月20日 10:35
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