2013年03月02日

ヒロイン画像その4

一方、ビジンダー・マリやタックル岬ユリ子と近い時期の戦うヒロインキャラであり、なおかつこの2人と同じ異形のヒロインでありながら、その持っている意味合いが全く違っていたヒロイン史における特筆すべき、極めて特殊な変身スーパーヒロインが永井豪原作の戦闘美少女アニメ「キューティーハニー」の主人公の如月ハニーでした。

0115.jpg「キカイダー01」と同じ1973年に制作された「キューティーハニー」は1966年の「魔法使いサリー」から続いていた魔法少女アニメシリーズの系譜から突然変異的に生まれた作品でした。魔法少女アニメシリーズはエブリデイマジック作品であって、基本的にはコメディであり、戦闘などが描かれることはありません。だからそこに登場する主人公ヒロインたちは、サリーであれアッコであれマコであれチャッピーであれ、みんな人知を超えた不思議な能力を持ちながら決してそれを戦いのために使うことはありません。そもそも彼女らは能力はともかくとして性格的に「戦闘」というものを想定されたキャラ設定をされていないのです。
その魔法少女アニメシリーズも作品を重ねるごとにマンネリ化してきて、新たなパターンを生み出そうという思考錯誤の中で、主人公の不思議な能力の源泉が「魔法」ではなく「科学」であるという設定で立案されたのが美少女アンドロイドを主人公とした「キューティーハニー」の企画でした。これは主人公が魔法少女でなく美少女アンドロイドになっているという点で画期的な変更のように見えますが、実際のところはアンドロイドといっても外見上は人間と何ら変わらないわけで、既存の魔法少女アニメと大差ない内容で、単に設定を変えて目新しさを演出したに過ぎません。だからこの当初案のハニーは戦闘を想定したキャラではなく、従来の魔法少女と同様、ご近所コメディの呑気な主人公でしかありませんでした。

0116.jpgところがこの「キューティーハニー」の企画は美少女サイボーグを主人公とした類似企画の「ミラクル少女リミットちゃん」の企画にコンペで敗れてしまい、魔法少女アニメの枠で採用はされず、土曜夜8時30分の枠で放送することを前提に企画を練り直すことになったのでした。この土曜夜8時台というのは当時大人気番組「8時だよ!全員集合」が裏番組として存在していた枠であり、時間帯を考えても元の魔法少女アニメそのものの内容では到底勝負できるものではありませんでしたので、アダルト層の男性をも意識した大幅な内容の変更がなされました。
その結果、アダルト層向けに当時から見て20年以上前の探偵ヒーローものの名作「多羅尾伴内」のパロディの要素なども取り入れて、美少女アンドロイドのハニーが不思議な力を使って七変化して悪の組織の刺客とお色気ハードアクションを繰り広げるという、当初案とは全く違うお話になったわけですが、問題はハニーのキャラ設定が元の魔法少女企画の時のままであったという点でした。
もともと戦闘など想定していないご近所コメディ用のユルいキャラであったハニーに悪の組織とのハードなバトルをさせるわけですから、これは無理があります。ハニーは悪の組織と戦う義務があるわけではない普通の女子高生なのです。というのも、ハニーは多彩な能力を持つアンドロイドではありますが、類似作品とは一線を画した奇妙な設定として、ハニー自身はずっと自分のことを普通の人間の少女だと思い込んできたというのがありました。

0117.jpgそもそもハニーを作った如月博士は幼くして死んだ自分の娘の代わりとしてハニーを作ったのであって、ハニーを戦闘用に作ったわけではない。ハニーにはあくまで人間の娘としての記憶を作成して移植しており、ハニーの多彩な変身能力も如月博士の死んだ娘の将来の夢を全部実現させるためにわざわざ空中元素固定装置というものを発明してハニーの身体に移植した結果の産物であり、その変身のうちの1形態が女戦士キューティーハニーであるのも、死んだ娘の将来の夢の1つが「正義の女戦士」であったからに過ぎない。
つまり如月博士はハニーのことをあくまで自分の娘だと思って愛情を注いでおり、アンドロイド戦士ではなく人間であってほしいと願っていたのです。そしてハニー本人も移植された記憶によって自分のことを普通の人間の女の子だと信じて疑わず、如月博士の実の娘だと思い込んで平和に暮らしていたのでした。
こののどかな設定は、この作品がもともとはエブリデイマジックのコメディとして構想されていた名残といえます。実際、この作品はコメディチックな側面もかなりあり、ハニーのキャラはコメディ部分にも非常に適応性が高い。もともとハニーというキャラはコメディドラマの主人公として造形されていたからです。しかしそうなると、このハニーというのどかな女の子がハードなバトル展開に馴染まないのではないかという危惧が生じます。

0118.jpgだいたい、そんなふうに親からも普通の女の子として生きることを望まれ愛情を注がれ、自身もその生き方に疑問を抱いていないような女子高生が、たとえ中身は戦闘力を有した異形のアンドロイドであったとしても、悪の組織に戦闘用に作られたようなビジンダーやタックルのようにすんなりと戦いの場にその身を投じるはずもない。
またウルトラヒロインやロボットアニメヒロインのように職業的なプロ戦士というわけでもない普通の女子高生のハニーには簡単に戦いに踏み込む必然性も無いし、だいいちウルトラヒロインなどはあくまで彼女らは戦いの主役ではなく支援要員です。ところがハニーは主人公ですから彼女が戦いの主役となるので、より過酷な戦いとなります。ウルトラヒロインやロボットアニメヒロインのようなプロ戦士でもその役目は荷が重いでしょう。そこに精神的には普通の女子高生であるハニーがそう気軽に踏み込めるものではない。
実際ハニーの能力は如月博士がハニーが出来るだけ人間に近い存在であってほしいという想いから幾分セーブして設定しており、敵組織の怪人たちに比べて決定的に優勢なものではなく、かなり苦戦を強いられることが多い、つまり実際に戦いは苛酷なのです。普通の女子高生のハニーがその戦いを継続するのは並大抵の動機では無理というものです。
ハニーが戦い始めるきっかけは父である如月博士が空中元素固定装置を狙う敵組織に殺されたことであり、そういう意味ではこれは宿命の戦いともいえる。そうなるとライダーヒロインに似ていなくもないが、ハニー自身が戦いの主役であるという点でライダーヒロインとは明確に違うし、だいいちハニーの戦いの動機は正確に言えば父の仇討ちとは少し違い、ライダーヒロイン的な宿命とは少し戦いの動機は違います。
ハニーの場合、それは本人の戦いの前の恒例の名乗り文句において自分の戦士としてのスタンスとして表明されています。それは「愛の戦士」というものです。「愛の戦士」というコンセプトこそが、戦う必然性の無い普通の美少女がハードなバトルに身を投じるという難題をクリアするために捻りだされた設定であり、この「愛の戦士」というコンセプトこそが、結果的に新たなヒロイン像への道を開くことになったのです。

0119.jpgどうしてハニーが「愛の戦士」なのかというと、これは単純明快であり、ハニーという存在そのものが如月博士の娘への愛情が作り出した愛の結晶そのものだからです。ハニーは父の死に際して自分の真実の姿を知るとともに、自分が父の愛を一身に受けて生み出された存在であるということを知りました。それはハニーが苛酷な戦いの道に進むことなど父は望んではいなかったことを知ることでもありましたが、同時にハニーは自分の体内の空中元素固定装置は父が娘の、つまり自分の夢を叶えるために愛情をもって作ったものであり、決して父がその装置を悪用されることを望んでいなかったことも知ったのでした。
ハニーは父の自分に向けた愛を感謝し、その愛の思想に共感したゆえに、父の自分への愛の結晶たる空中元素固定装置を悪用しようとして策動し人々を苦しめる邪な企みを阻止すべく、戦うことを決意したのでした。それが父の愛に報いる道だと信じたハニーは「愛の戦士」と自称して戦い始めたのです。これがハニーが「愛の戦士」たる所以です。
ハニーは確かに父を殺されたという意味で敵組織に対して宿命を感じてはいます。しかしハニーは父の仇を討つという宿命的動機だけで戦っているわけではない。また職務として戦っているわけでもなく、正義の勝利を実現したり筋を通すために戦っているわけでもありません。ただ単に父に深く愛されて生まれた自分もまた父と同じように人々を深く愛したいと思い、それゆえに、人々を苦しめる悪に屈することなく戦いたいと願っているだけなのです。
ハニーは確かにスーパーパワーを持つアンドロイドであり異形の戦士ではあるのですが、その心はあくまでも普通の人間の少女であり、この「愛の戦士」として戦うという決断は普通の人間の少女である如月ハニーの心が下したものです。この「愛深きゆえに戦う」という動機こそが、戦う義務も必然性も薄弱な普通の少女が苛酷な戦いに身を投じる動機を成立させる唯一の道となり、そしてそれが新たなヒロイン像を生み出したのでした。

そしてこの「キューティーハニー」という作品は大人向けのスタイリッシュでエロチックな作りが絶妙で大人気作となり、ハニーの提示した「愛の戦士」というヒロイン像は戦うヒロイン像の新たなスタイルとして受け入れられていきました。
ただ、この作品は魔法少女コメディの主人公にハードなバトルをさせて、しかもアダルト志向まで満足させなければならないという、あまりにも特殊な条件下でたまたま生み出されたような突然変異的な作品であったため、この「戦闘美少女アンドロイド」というハニーの作り上げたジャンルは以後は追随する作品は生まれませんでした。

0120.jpgしかし、キューティーハニーというヒロインがあまりにも鮮烈な印象を残したため、人々は過去にハニー同様に「愛の戦士」として戦ったヒロインが存在したことを思い出すことになったのでした。それが「リボンの騎士」のサファイア王女だったのです。考えてみれば、サファイアもまた本来は戦う必然性の無い女性の立場でありながら、職務でもなく宿命のためでもなく、自ら進んで戦いに身を投じていました。
「男の心があったから」というのがサファイアの戦う理由とされていましたが、よくよく見てみるとそこには雄々しい正義感のようなものはあまり見受けられず、本質は女性であるゆえにやはり虐げられる弱者を放っておけないという優しさがその戦う動機となっていました。結局サファイアもハニー同様、本来戦わなければいけない立場でもないにもかかわらず、深い愛情ゆえに自分の意思で戦いに身を投じた「愛の戦士」であったのでした。

「男の心」であれ「女の心」であれ、とにかくサファイアは自分の意思だけで戦うことを決定しているのがポイントで、よく考えたら1973年のハニーの登場時点で自分の意思だけで戦いに身を投じる決意をした戦闘ヒロインは、サファイアとハニーだけです。他は例えばスパイヒロインにせよウルトラヒロインにせよロボットアニメヒロインにせよライダーヒロインにせよ、職務で戦っていたり、主役ヒーローが戦うのでそれを支援するためであったりしていました。
月ひかりだって戦ったのは宇宙平和監視員という職務であったし、白鳥のジュンも科学忍者隊の職務として戦っていました。またビジンダー・マリやタックル岬ユリ子はそもそも戦闘用の人造人間あるいは改造人間としての宿命によって戦っていました。
一方、ハニーもビジンダー・マリや岬ユリ子と同じく生身の人間ではないが、ハニーは彼女らのように戦闘用に作られたわけではなく、父である如月博士によって普通の人間として生きることを望まれて作られており、心も完全に人間ですから戦う宿命など意識していない普通の人間の少女の心そのものです。サファイアに至っては男っぽい心は持っているものの、完全に普通の生身の美少女で、戦士的な実力は持っているものの戦士ではないので本来戦う義務など無い王女様です。
そうしたサファイアやハニーが戦うとしたなら、それは自分の意思で戦いの道を選びとるしかない。そして普通の女の子が自分の意思で戦いを選ぶとするなら、その動機は悪をストレートに憎む正義感ではなく、むしろ悪によって虐げられる弱者への同情や優しさ、愛情の深さである方が自然というものでしょう。サファイアは「男の心」で戦っているという触れ込みであったのでそのあたりが分かりにくくなっていたのですが、サファイアが二重人格として描かれておらず、本質的には女性であるという点から考えて「愛の女戦士」であるというのが真実であるといえます。

0121.jpgこうしてハニーという「愛の戦士」を堂々と名乗るインパクトある美少女戦闘ヒロインがメジャーな存在となることによって「愛の女戦士」という存在が成立し得るということを多くの人々が認識するようになり、古典的名作「リボンの騎士」の主人公サファイアがその「愛の女戦士」の先駆者であったことも認識されるようになりました。
そうした認識の上に「キューティーハニー」のヒットの2年後の1975年、ハニーのようにアンドロイドではなく完全に生身の人間の美少女戦闘ヒロインを主人公として「リボンの騎士」の路線の後継作品として「ラ・セーヌの星」が作られることとなり、シモーヌという深い愛情を戦う動機とする戦闘ヒロインが登場することとなったのでした。

0122.jpgシモーヌというヒロインにおいては実は確固とした正義というものが見受けられない。フランス革命期のパリを舞台にしてシモーヌの戦いは繰り広げられるわけですが、彼女は時には貧困にあえぐ庶民のために、時には陰謀に嵌められて苦境に陥った貴族のために、時には革命勢力を支援するために戦い、最後には自分の姉だということを知った王女マリー・アントワネットのために戦う。戦う敵も明確に決まっているわけではなく、彼女が守る対象によって敵も変わってくる。
つまりシモーヌには何が正しいか間違っているのかという判断は無く、ただその都度の状況に応じて虐げられている弱者の側に立って戦っており、常に体制側に虐げられる者のために体制に刃向う、ある意味アンチヒーロー的といえます。シモーヌは正義の勝利のために戦っているのではなく、弱者への愛情に動かされて戦っている「愛の戦士」であり、サファイアやハニーと同じだといえます。

0123.jpgただシモーヌがハニーと比べて際立っている点は、その脆弱さです。ハニーとシモーヌ、それぞれの戦う敵との戦力比較で言えば、ハニーの場合もシモーヌの場合もそう大差は無いでしょう。両者とも同じ程度の苦戦はしています。だが、それでもハニーはアンドロイドですからシモーヌに比べて格段に身体が頑丈です。怪我をしても空中元素固定装置の力であっという間に治ってしまいます。一方シモーヌは生身の普通の女の子ですから、ピンチになると結構本気で心配になります。
しかしシモーヌの方がハニーよりもピンチがより深い危機に見える分、そこで折れない精神力が余計に際立って見えるのです。なぜシモーヌの心はどんなピンチでも折れないのかというと、それは彼女が「愛の戦士」であり、守るべき対象に深い愛情を寄せているからです。愛を裏切ることがないゆえに彼女はどんなピンチでも決して屈することはなくひたむきに戦い続ける。つまり「愛の深さ」と「戦いのひたむきさ」はシモーヌにおいては表裏一体であり、彼女が苦境においてもひたむきに戦い続ける姿からは深い愛を感じ取ることが出来る。これが真性の生身の戦闘ヒロインであるシモーヌによって初めて明らかになった「愛の女戦士」の真骨頂といえます。
もちろん男の戦士でも同じようにひたむきに戦えば守るべきものへの愛情は感じ取ることは出来る。だがやはり女性の持つ本来的な脆弱さや儚さがその戦いをよりひたむきなものに見せ、それによって守る対象への愛情もより深いものであるように見せる効果があり、女戦士が深い愛情を動機としてひたむきに戦う姿は男戦士の場合よりも格段の感動を呼び起こすということがシモーヌというヒロインによって明確に認識されたのでした。

0124.jpgもちろん現実にはそんなヒロインは有り得ない。やはり現実世界では戦うのは男の役目であり、女性兵士が当たり前になった現在においてもやはり危険の多い最前線の苛酷な戦場は男だけの世界です。だから女戦士が危機に瀕してもひたむきに戦う姿に深い愛を感じて感動するなどという悠長な話は現実には有り得ない。だからシモーヌのような「愛の戦士」タイプのヒロインはあくまでフィクション世界だけに存在し得るのだといえます。
それもかなり現実世界離れしたファンタジックな世界観でなければいけない。シモーヌの登場する「ラ・セーヌの星」の物語世界はフランス革命期のパリという、一応史実上存在した世界を舞台とはしていますが、当然そこは史実そのものではないわけで、なんといっても現代日本から見ればあまりにもかけ離れた遠い世界の出来事であるのでシモーヌのようなファンタジックな「愛の戦士」が成立し得たのだといえます。
思えばサファイアの登場する「リボンの騎士」の物語世界もおとぎ話のような世界でありましたし、「キューティーハニー」の物語世界は割と現代日本のリアルに近い世界観でしたが、主人公ハニーの設定自体が極めて珍しいファンタジックなものでした。つまりは、よほど上手く出来たSF世界やファンタジー世界でなければ「愛の女戦士」タイプのヒロインは成立せず、そのようなよく出来たSF世界やファンタジー世界というのは1970年代中頃の当時はなかなか作るのが難しいのでした。

0125.jpg「リボンの騎士」や「キューティーハニー」や「ラ・セーヌの星」の物語世界というのは、当時においては極めて例外的によく出来たファンタジー世界であり、ここまで完成度の高い物語世界は当時においてはそうそうありませんでした。何せ日本における本格的なSFブームの到来は1975年以降の「宇宙戦艦ヤマト」ブームの継続を経て、1977年の「スターウォーズ」の全米公開、1978年の同映画の日本公開、そして1979年の「機動戦士ガンダム」の放送とそれに続く80年代のガンダムブームによって実現します。また1978年から連載が開始された高橋留美子の「うる星やつら」によって日本におけるSFファンタジーの世界観は一気にレベルアップしていくことになります。
これらの要素が揃う1980年代以前の状況においては、アニメであれ実写であれどうしても現実に存在しているようなリアル寄りの世界観の物語となり、シモーヌやハニーのような「愛の女戦士」というものはなかなか成立せず、しばらくはシモーヌに続く類似ヒロインは生まれませんでした。
しかしやがて80年代となってSFブームの中でスーパー戦隊シリーズにSF的要素が導入されてシリーズが本格化してくるのに合わせて、そこにおいてシモーヌの系譜を引く戦隊ヒロインが現れて「愛で戦う美少女スーパーヒロイン」というスタイルが確立されるようになり、そこから派生する形で生まれたポワトリンなどの美少女ヒロインは更に1990年代にセーラームーン、2000年代にプリキュアへと繋がっていき、「愛で戦う美少女スーパーヒロイン」の伝統は大きく花開いていくことになるのです。

こうした現在のスーパーヒロイン像の原型とも言える重要なキャラであるシモーヌを生み出した「ラ・セーヌの星」が放映開始されたのが1975年の4月で、全39話でその年の年末までの放映でしたが、この頃のアニメや特撮というのは人気作は何度も繰り返し夕方の時間帯や夏休みの午前中などで再放送され、むしろ再放送を見る人の方が多い作品も多かったので、この後1970年代の後半から1980年代前半にかけて多くの子供たちがこの新たなヒロイン像に慣れ親しんでいくことになります。

その新たなヒロイン像経験が始まった1975年4月、同時期に放映開始されたのがスーパー戦隊シリーズ第1作「秘密戦隊ゴレンジャー」でした。といっても正確に言えば「ゴレンンジャー」は当時リアルタイムではもちろんスーパー戦隊シリーズの第1作などという扱いではありません。まだ「スーパー戦隊シリーズ」という概念は存在していない時代です。「ゴレンジャー」は全く新しいタイプの特撮ヒーロードラマとして新たに登場し、集団ヒーロードラマという新たなジャンルを作り上げ、そのブームの火付け役となったドラマであるというのが同時代的な正確な評価というべきでしょう。

0126.jpgネットチェンジの影響で「仮面ライダーアマゾン」の後番組の「仮面ライダーストロンガー」が他局に移り、「アマゾン」終了後の放送枠がぽっかり空いたので、そこを埋めるべく同じ石ノ森章太郎原作で作られたのが「ゴレンジャー」であり、前番組の「アマゾン」が重厚なドラマ性の強い怪奇路線で失敗した後だったので娯楽性の強い路線が求められました。
そこでもともと存在していた「複数の仮面ライダーを一貫してレギュラーキャラとして登場させて正義のヒーローチームにして活躍させる」という従来のダブルライダー編を発展させた案を更に改良しました。まず基本的に「仮面ライダー」というキャラクターは他局に移ったので使えませんのでヒーローチームの一員は別のヒーローでなければいけない。そこでいっそライダーでないのなら改造人間ではなく普通の人間が強化服を着用したものとして「仮面ライダーシリーズ」の足枷となっていた悲劇性を取っ払い、カラーテレビがほぼ完全普及した時代に合わせて5色に色分けされたカラフルで明るいイメージの5人のヒーローチームを作ったのでした。
そして単にヒーローが5人いるのではなく、せっかく色分けするのだから得意分野も明確に分担させて個性を際立たせると同時に、バラバラな個性の5人がチームワークで力を合わせれば更に大きな力を発揮するという、チームヒーローならではの特色を前面に押し出す方が良いという判断のもと、既に個性のバラバラな対等な立場のメンバーの集まったチームヒーロー方式でフォーマットが出来ていた「キイハンター」以降のスパイアクションチームドラマの変身ヒーロー版を作ることにしたのでした。
そして「強化服を着用して変身するチームヒーロー」という部分は既にその方式で成功していたアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」から着想を得て、仮面ライダーとはかなり差別化されたドライで明るくスタイリッシュなヒーロー像が出来上がりました。ライダーが徒手空拳で戦うストイックで孤独な武道家や私立探偵の趣であったのに対して、この新しいヒーローチームはスパイチームなので武器や様々な道具を駆使して多彩な作戦を展開し、連係プレーを得意とし、それはスポーツ競技のチームアクションのような形もとって子供に分かりやすくスタイリッシュに演出されていきました。

スパイ機関の特殊部隊の5人組なので、5人のレンジャー部隊員たちということで、当初は「ファイブレンジャー」という名が構想されていましたが、より分かりやすく「5人」の部分を日本語を使用し、語呂も良いので「ゴレンジャー」というチーム名となり、秘密部隊なので「秘密戦隊ゴレンジャー」というタイトルとなりました。
なお、この「戦隊」という用語はこの10年ほど前の1966年に東映動画が制作したSFアニメ「レインボー戦隊ロビン」に使用例があるくらいで、しかもこの作品が人気が出なかったものだから、一般には聞き慣れない用語となっていました。だが、この作品には石ノ森章太郎も関与していたため、「戦隊」という用語がここですんなり出てきたのでしょう。むしろ一般にはあまり知られていない、聞き慣れない響きのある用語だからこそ、今までにない新しいヒーローチームであることをアピール出来ると考えられたのだと思います。

0127.jpgこうして出来上がり放映開始した「秘密戦隊ゴレンジャー」は瞬く間に大変な人気作となりました。ライダーの基調的に持っていた陰の部分というのは戦後から引きずって来た1960年代の暗さの残滓のようなもので、それはもはや1970年代中頃には不要なものとされており、時代はもっと明るいヒーローを求めていた。それがスーパーロボットアニメの隆盛を生んでいたのだが、ゴレンジャーもこの流れに乗って人気となり、チームヒーロードラマというスタイルをスーパーロボットアニメに迫るジャンルへと牽引する原動力となったのです。
ここで言う「明るさ」というのは単に登場人物が明るい性格であるというような意味ではなく、要は人間に対して前向きで肯定的であるという意味です。ライダーのフォーマットというのは一言でいえば「人外の敵の能力を使った人間が人外の敵と戦う物語」であり、その背景には「人間そのものの持つ力では人外には対抗できない」という一種の後ろ向きな諦念があります。
この後ろ向きな部分が1つの魅力でもあるのですが、こういう後ろ向きな部分がウケる時代もあればウケない時代もあります。この1970年代後半から1990年代ぐらいまではこうした後ろ向きな姿勢はあまり需要が無かったのでしょう。それだけ前向きな思考が支配的な時代だったということでしょう。
一方でスーパーロボットはあくまで人間が作ったものであり、人間の作ったロボットが人外の敵をやっつけるのは実に痛快であり、人間の可能性を素直に感じることが出来る、一種の人間賛歌です。人間には無限の可能性がある、そのように素直に感じさせてくれるスーパーロボットの方がライダーよりもウケる時代でありました。そこに同じく人間の技術で作り出した強化スーツを着た人間が悪の怪人をやっつけるゴレンジャーが登場したのですから、これも人間を肯定的に受け止めることが出来る明るい人間賛歌として人気が出るのは当然です。
また「ゴレンジャー」が画期的であったのは、ウルトラマンや仮面ライダーなどのヒーローショーにおける「怪人の演出をコミカルにすると子供ウケがいい」という実体験をフィードバックして、悪の怪人側の描写をコミカルにしたことでした。これによって「ゴレンジャー」はギャグ色の濃い作風になりましたが、この結果ますます人気が出て、結果的に2年間のロングラン放映となったのでした。

0128.JPGこうして大人気作となった「ゴレンジャー」におけるヒロインがゴレンジャーチームの紅一点戦士モモレンジャーに変身するペギー松山です。国連所属の秘密戦闘組織イーグルの隊員で爆発物の専門家、武芸百般もこなす頭脳明晰のクールビューティーで、日本人とスイス人のハーフで大金持ちの18歳の娘らしい。まぁ一種のスーパーレディです。
そもそもどうしてこのゴレンジャーチームの5人の中に1人、女性戦士が存在するのかということにさして深い理由はありませんでした。「ゴレンジャー」がモデルにした「キイハンター」や「ガッチャマン」において既にバラバラな個性のチームのメンバーの中に1人は女性戦士が含まれていたので、それに準じただけのことです。
この作品から見て数少ないチームヒーローの前例において、既に「チームのメンバーは個性がバラバラである方が良く、5人程度のメンバーの個性をバラバラにする場合はそのうちの1人は女性にした方が良い」というようなフォーマットは自0129.jpg然に出来上がっていたのです。ゴレンジャーにおけるペギー松山というヒロインもそのフォーマットに従って生み出されたキャラであって、言い換えれば「どうして女性戦士がゴレンジャーに存在し得るのか」という命題が十分に詰められたわけではない。
だから、このペギーのキャラ造形にはさして捻りはありません。「キイハンター」のようなスパイアクションチームドラマをベースとしている「ゴレンジャー」という作品のヒロインですから、津川啓子のようなスパイチームヒロインそのままのプロフェッショナルでスーパーウーマンなクールビューティー女戦士キャラです。爆発物の専門家というキャラづけも、同じくこの作品に設定が多く流用されている「ガッチャマン」のヒロイン白鳥のジュンと同じキャラづけであります。
このペギーというキャラの内面まで掘り下げるような描かれ方はしておらず、スパイチームヒロインの記号的キャラと言っていいでしょう。スパイチームアクションのフォーマットに則っている限り、ペギーというキャラは津川啓子や白鳥のジュンのコピーであって特に深く設定を突き詰めていなくても別に問題は無い。既に出来上がっているフォーマットに沿って動かす限り、それだけでちゃんと成立するからです。
だからペギーのキャラ設定で特に目新しく注目すべき点はありません。それは確かにライダーヒロインなどに比べれば特撮ヒーロードラマのジャンルの中では目新しいキャラでしたが、スパイチームアクションドラマなどではお馴染みのタイプでした。

0130.jpgそんな中で1つ注目すべき点はこのペギー松山がミニのホットパンツを着用していることです。脚を露出させること自体は1972年のアンドロ仮面以降の戦う特撮ヒロインのお約束のようなものであり、この時点ではもはやさほど注目すべきことではない。問題はどうしてミニスカートではなくホットパンツなのかという点です。
アンドロ仮面以降の戦うヒロイン達は、沙織にしても松原真理にしてもビジンダー・マリにしても、みんなミニスカート着用でした。ミニのホットパンツを履いたヒロインはペギー松山が最初であったのです。これは何らかの明確な狙い、コンセプトがあったのでしょう。ミニスカートと同じぐらいの丈で太ももを露出させるというサービス精神は維持しつつ、ミニスカートとは差別化を図る意味でのホットパンツであったと思われる。
ではミニスカートにどんな意味が込められていたのか、いや、「ゴレンジャー」の制作陣がミニスカートにどんな意味を見出し、そのアンチテーゼとしてのホットパンツにどういう意味を仮託したのかというと、まずはアンドロ仮面以後にミニスカートを履いたヒロイン達を見ればその共通の特徴が見えてきます。それは「主役ヒーローへの依存」です。
沙織は獅子丸に、松原真理は紅健に、マリはイチローに、白鳥のジュンは大鷲のケンに、タックルはストロンガーに、それぞれミニスカートを履いたヒロイン達はどうしたって主役ヒーローには力は及ばない。だから戦いにおいて最重要な部分は主役男性ヒーローに頼るしかなくなり、しおらしく弱い面が出る。その「強い男に頼る時に生じる女性特有の弱さ」の象徴がミニスカートだという捉え方をし、それとは無縁なタイ0131.JPGプのヒロインだという主張が込められてのペギー松山のホットパンツ着用なのだと思います。

つまりペギー松山は、自分は男よりは弱い女だからといって男の強さに頼るような真似はしないということです。それはペギーが誰にも頼る必要が無いほど強いという意味ではない。仲間に頼ることはもちろんあります。だが、それは基本的に仲間同士は男女関係なく全員が対等だという前提で局面に応じて頼ったり頼られたりするということであり、ペギーは、というよりゴレンジャーというチームは、主人公ヒーローのアカレンジャーが例えばウルトラマンや仮面ライダーやマジンガーZのように常に格上の扱いを受け、他のメンバーはアカレンジャーに依存しながら戦うというようなチームではないのです。
そうしたこれまでのヒーローチームとは根本的に違うゴレンジャーの在り方を象徴するキャラクターが「女なのに決して主人公男性ヒーローに依存しない」という主張を示すペギー松山というキャラなのであり、ペギー松山というキャラはゴレンジャーのコンセプトにとって不可欠のキャラといえます。そして、そのペギーの「男性ヒーローに依存しない」という決意の象徴がホットパンツである以上、極論すれば、ペギー松山がホットパンツを履くことによってゴレンジャーはこれまでにない「メンバー全員が対等な主役」というコンセプトを保つことが出来0132.JPGるのだといえます。

そしてもう1つペギー松山というキャラで注目すべき点は純日本人ではなくハーフ設定になっていることですが、当時の社会では女が男に混じって対等な立場でパートナーとなって戦うなどという設定が現実にはあまり考えられなかったので、そうしたヒロインは外国人、外国人とのハーフ、外国育ち、外国で暮らしていた等の一種の架空性、自分達からは遠い存在であるという感覚が必要であったのでしょう。
これは裏返せば、それだけゴレンジャーというチームがリアルに近い存在だったということです。後にスーパー戦隊シリーズでも純日本人ヒロインが普通に登場しますが、これはリアル世界で戦う女性が増えたからなのではなく、むしろスーパー戦隊シリーズの物語世界がより架空性を増して現実離れしていき、「現実には女が男と対等な立場で戦うなんてありえない」という常識0133.jpg的感覚にいちいち縛られなくても視聴を楽しめるようになったからでしょう。
架空性を増した主な要因はSF設定の導入と巨大ロボ戦の導入です。実際、いち早くSF設定と巨大ロボ戦を導入していたスーパーロボットアニメでは完全に男と対等ではないにしても男と共にかなり危険な戦いに参加するヒロイン達は外国人設定などではなくても何ら違和感は無い状態でした。つまりSF設定と巨大ロボ戦は物語の非現実感を増幅させるのだが、「ゴレンジャー」の頃はスーパー戦隊シリーズにはこれらの要素がまだ無く、確かにバカバカしいギャグ描写やありえない姿の仮面怪人などが出てきますが、それでも意外にゴレンジャーと黒十字軍の戦いは小規模であり、敵の黒十字軍の設定もさほど荒唐無稽なものではない。
つまりそれだけ非現実感が薄く、現実に存在しそうなスパイチームを見るような目でゴレンジャーを見てしまいがちになるのです。そうなると、そこに普通の家庭で育ったご近所にいそうな普通の女の子が混じっているのは不自然に思えてしまう。だから外国人であるとかハーフであるとか帰国子女であるとか、とにかく自分達一般人からは遠い存在であるというアピールが必要となるのです。
実際のところは外国でも女が男と一緒に戦っているなどということはなく、日本と大差ない状況です。だから「外国人」であるということそのものに本質的な意味があるわけではない。ただ単に日本人一般視聴者に「自分達の常識では測れない存在だ」と思わせるための記号として「外国」というキーワードが有効であったに過ぎません。これが「宇宙人」などになってしまうと荒唐無稽感が増し過ぎて、リアル寄りのスパイチームの一員として受け入れ難くなってしまうので「外国」というキーワードあたりが一番ちょうどいいので0134.JPGす。
まだこの時期はSF設定も突き抜けておらず巨大ロボも導入していないゴレンジャーというチームがリアル寄りのスパイチームなのでペギー松山はハーフ設定の方が良いということになります。そして、そう考えるとペギー松山がどうして従来型の典型的スパイチームヒロインとしてキャラ設定されているのかについても納得できます。

この「ゴレンジャー」は「ラ・セーヌの星」とほぼ同時に放送開始ですから「ゴレンジャー」企画時には制作サイドはシモーヌという新しいタイプのヒロインのことは知りません。ですが、シモーヌと似た方向性で非常にインパクトの強いヒロインであった如月ハニーのことは知っていたであろうし、「ゴレンジャー」放送開始後にはシモーヌというヒロインの情報も入ってきたはずです。ならばペギーにハニーやシモーヌのヒロイン性が多少は反映されていてもおかしくはないのですが、そうした痕跡は無く、ペギーはひたすらスパイチームヒロインの王道、あくまで仕事で戦う女戦士というスタンスを堅持していました。これもまた、つまりゴレンジャーがリアル寄りのスパイチームだからです。
ハニーやシモーヌのタイプの「愛の戦士」型ヒロインはやはりもっと架空性の高い設定でなければ成立しないのです。だからペギーに「愛の戦士」型ヒロインのヒロイン性を付与するわけにはいかなかったのであり、0135.jpgリアルなスパイチームのヒロインであるペギーはあくまで職務として戦いをこなすクールビューティーなヒロインであるべきだったのです。
まだ「愛の戦士」ヒロインを導入するには架空性が足りておらず、結果的に見ればまだ時期尚早だったということになります。だからペギーのキャラ設定の選択は非常に的確だったといえます。それは当時お馴染みのヒロイン像であり、確かに目新しいものではありませんでしたが王道の安定感があるということでもあります。

いや、実は目新しさが無いなどということは全くない。何せペギーは変身するのですから、そんなスパイチームヒロインは実写作品ではそれまでは存在していません。アニメでも「ガッチャマン」の白鳥のジュンぐらいしか前例は無いでしょう。
ペギーという「変身戦闘ヒロイン」が登場するに至るには、月ひかる、南夕子、白鳥のジュン、ビジンダー・マリ、如月ハニーなどの前例の積み重ねがあってこそなのですが、ジュンを除いてはこ0136.jpgれらは全て普通の地球人ではないキャラばかりであり、ジュンとてアニメキャラという意味で実写キャラに比べて非現実的といえます。だから、普通の生身の人間の女性であるペギー松山がモモレンジャーという戦士に変身して戦うというだけで当時は強烈なインパクトがあり、かなり荒唐無稽な話だったはずです。
それゆえにこそ、ペギーのキャラ設定には王道の安定感が必要だったのでしょう。ともすれば荒唐無稽というだけで終わってしまいそうな「生身の変身ヒロイン」という新たなヒロイン像は、その変身者であるペギー松山のキャラ設定が見飽きたほどに王道ド真ん中のスパイチームアクションヒロインであることによって絶妙のバランスでリアルなスパイチームであるゴレンジャーの物語世界に繋ぎ止められて、安定した立ち位置で「初代の生身の変身ヒロイン」としてのインパクトを放ち続けることが出来たのだといえます。







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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 10:49 | Comment(2) | ヒロイン画像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ヒロインの歴史って奥が深いですね。
Posted by at 2013年03月02日 22:30
ゴレンジャーの画像で、最初から7枚目の画像...。
ずっと探してたんです。
やっと見つかって良かったです。
Posted by k at 2013年04月16日 13:17
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