2013年02月27日

ヒロイン画像その1

0001.jpg戦前の日本におけるヒーロードラマといえば「チャンバラ時代劇」の映画でした。ここにおいても、もちろんヒロイン的なキャラというものは存在していましたが、それは戦う存在ではありませんでした。むしろ女性は戦いに巻き込まないというのが一種の美学であったといえます。それは確かに美徳ではあると思いますが、おかげで戦前のチャンバラ時代劇では女性キャラは明らかに脇役で、その印象は薄かったといえます。あとは戦時中には国民を鼓舞するために戦争映画なども作られて、ここで円谷英二が政府の支援も得て世界最高水準の特撮技術を蓄積していったのですが、リアルな戦争映画ですから、当然ここでも戦うヒロインなどというものは存在しませんでした。
さて敗戦となり、アメリカ軍が日本を占領統治するようになると、チャンバラ時代劇は禁止となってしまいました。チャンバラ時代劇には敵討ちを題材としたものが多く、膨大な数の日本人を殺しまくってきたアメリカ軍にとっては都合の悪いものだったようです。また、とにかくアメリカと戦っていた従来の日本政府をはじめとした統治機構は全て悪であるかのように宣伝されたので、まず日本軍は悪者として否定され、警察なども悪者扱いされました。円谷英二などもこの頃は公職追放されたりして冷遇されていました。つまり軍人も警察官もヒーローではなく、チャンバラ時代劇のヒーロー達も否定されたヒーロー不在の時代です。
そうなると困ってしまったのは日本の映画会社や映画俳優の皆さんです。何とか仕事にありつくためにアメリカ軍に取り締まられないようなタイプの新しいヒーロー像を模索しました。その結果、「私立探偵」という新しいヒーロー像が出来上がったのです。

探偵ヒーローそのものは戦前から大衆小説の中に探偵小説というジャンルが存在し、そこで活躍する私立探偵というキャラはいました。特に少年向け小説で少年探偵団シリーズが大人気となっていました。しかし映画界はチャンバラ時代劇全盛でしたから、わざわざ探偵を主人公にした映画などあまり作られてはいませんでした。しかし敗戦後、チャンバラ時代劇が禁止となった後、この私立探偵を主人公として事件を颯爽と解決して悪者を懲らしめるヒーロー映画を作り、そこにチャンバラ時代劇に出ていたスター役者らを出演させることが多くなりました。
私立探偵なら敵討ちとも無関係であり、政府の手先でもありませんし、欧米にも類似ジャンルはありましたから、アメリカ軍の理解も得やすかったのでした。これが大人気となり、その後、占領が終了して時代劇が解禁になった後でも「探偵ヒーロー」というヒーロー像は1つの現代的ヒーロー像の典型として生き残ることとなったのです。
しかし、この探偵ヒーロードラマの場合、もともと少年向けの小説シリーズで完成されていたジャンルを流用したものだったので、女性のレギュラーキャラというものがあまりいませんでした。だが、もともと探偵ヒーローものの映画は映画俳優の救済策として作られたものですから、女優の方々にも主要な役を宛がわねばなりません。そこで少年向け小説においては少年キャラが担当していた私立探偵ヒーローの助手キャラを女性キャラに変えて、その役を女優に宛がったのでした。こうして探偵ヒーローの助手キャラとしてのヒロイン像が生まれたのでした。

0002.jpgこの探偵ヒーローというジャンルの特徴は、特に事件解決の義務や因縁を強く持たないヒーローがいきなりボランティア的に事件解決に乗り出して解決してしまうという便利な代物で、ヒーローが戦いに至るまでのストーリーを細かく作り込まなくて済むので、その後テレビ時代になって1963年の「鉄腕アトム」を皮切りにアニメや実写で数多く作られるようになった初期の1960年代半ばの子供向けSFヒーロードラマは大抵はこの探偵ヒーローのフォーマットをベースとしていました。
また公職追放が解けて復帰した円谷英二が1954年に大ヒットさせた「ゴジラ」に始まる怪獣映画シリーズでも、怪獣事件に巻き込まれる物語の進行役の主人公はこの探偵ヒーロータイプの民間人ボランティア主人公でした。

これらの作品に出てくるヒロインは、探偵型ヒーローの助手的なキャラが多かったわけです。確かにチャンバラ時代劇の頃に比べるとヒーローの戦いの場面にも参加する局面も増えて目立つようにはなっていましたが、それでももともとは少年助手キャラの発展型であるので、あくまで戦闘要員ではなく、活躍するようなキャラではなく、むしろドジやおっちょこちょいの三枚目的ポジションでヒーローの引き立て役として機能するキャラでした。つまり可愛いけど戦力外であり、お荷物的存在ですらあり、あまりヒーローから頼りにされるようなキャラではありませんでした。また、助手キャラ以外のヒロインというと、だいたいは事件に巻き込まれる被害者キャラであり、これもヒーローに守られる立場であり、ヒーローの頼りになる存在ではありませんでした。
つまりはこの頃のヒーロードラマのヒロインは可愛さと愛嬌だけが取り柄の「番組の華」的な位置づけでしかなかったといえます。まぁそもそも探偵ヒーローの「戦い」自体がかなり他愛ない代物だったので、助手の女の子も可愛さと愛嬌だけのドジっ子であっても差し支えは無かったといえます。

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2013年02月28日

ヒロイン画像その2

さて変身ヒーロードラマといえば1966年以降は「ウルトラマン」が代名詞のような存在となり、変身ヒーロードラマのヒロインとしてはフジ隊員やアンヌ隊員のようなグラマラスでクールビューティーなウルトラヒロインがその最先端というような感じとなっていました。しかし当のウルトラシリーズは1967年の「ウルトラセブン」以降作られなくなってしまいました。お茶の間の人気は高かったのですが、もともと目標としていた海外展開が上手くいかなかったので資金的に行き詰ってしまったのが大きな理由でした。

そうこうしている間に1960年代の終わり頃にお茶の間の人気を博していったのは青春ドラマでした。特にその中でもスポーツを題材としたいわゆる「スポ根もの」がブームとなり、お茶の間は、テレビのヒーロードラマにもより深い情念のぶつかり合いや生々しい肉体のぶつかり合いを望むようになりました。
そうなるとウルトラマンシリーズには弱点が生まれてきます。まずウルトラマンと怪獣の戦いがあまりに人間離れしすぎていて生々しさに欠けることです。そしてウルトラマンの正体を本人以外が知らないため、人間ドラマを描きにくいという点でした。特にヒロインのフジ隊員やアンヌ隊員も結局は主人公の正体を知らないまま(アンヌは最後には知るのだが)というのは、やはり人間ドラマとしては寂しいといえます。これがやはりウルトラヒロインの大きな限界であったといえます。

0024.jpgこうしたウルトラシリーズの限界を超える新たなヒーロー像を打ち立てたのが1971年に始まった「仮面ライダー」でした。これはもともと東映テレビ事業部がスポ根青春ドラマ「柔道一直線」を作る際にアクション面で協力関係を築いた大野剣友会というチャンバラ時代劇映画が廃れてきてテレビの仕事をするようになってきていたスタント集団と組んで、当時人気だった「タイガーマスク」のような「悪の組織から逃走した仮面をかぶった正義のヒーローの活躍するアクションドラマ」を作ろうとして、そこに当時「サイボーグ009」をライフワークとしていた漫画家の石ノ森章太郎が企画に加わって、「サイボーグ009」に「仮面のヒーロー」という要素を加えた「悪の組織に改造人間とされた仮面のヒーローが逃走して悪の組織と戦う変身ヒーロードラマ」という設定となり、誕生したものです。
もともとは東映が大野剣友会と組んで痛快アクション娯楽作品を作ろうとしていたわけですが、そこに石ノ森が加わることによって、深いドラマ性が付与されることになったといえます。この娯楽性とドラマ性というのは「仮面ライダー」という作品の共に重要な魅力だったのですが、同時にこの2つの特性は互いにぶつかり合うという宿命もあり、昭和の仮面ライダーシリーズの歴史はその相克の歴史そのものと言ってもいいでしょう。




0025.jpgまず「仮面ライダー」の開始当初は石ノ森のドラマ性が勝っており、悪の組織ショッカーによって改造されて普通の人間の身体を奪われて心に傷を負った主人公の本郷猛が悩み苦しみながら戦うというような重厚な物語が展開されました。ここで登場するヒロインが緑川ルリ子です。
ショッカーに利用されて教え子である本郷を改造したのが恩師の緑川博士ですが、その娘がルリ子です。緑川博士は自責の念にかられてショッカーを裏切って脳改造前の本郷を連れてショッカーを脱走して追手に殺されるのですが、この殺害現場を目撃したルリ子はそこに居合わせた本郷が父親を殺した犯人だと思い込み、本郷を憎みます。本郷は改造された身体やショッカーの粛清の魔の手という悲惨な現実と共に、このルリ子の誤解とも戦わねばならず、非常に苦悩することとなります。
結局ルリ子は第3話で本郷の正体を知り、本郷が父を殺したのではなく、むしろ父が本郷を酷い目にあわせていたことを知ります。同時に父が本郷を救ったのであり、父の仇がショッカーだということも知ります。そこでルリ子は本郷の正体やその過酷な運命を知りながら、父の罪滅ぼしと同時に父の遺志を継ぐ形で本郷を受け入れて、本郷に協力して戦うことを決意するのです。


0026.jpgこうして全く新しいヒロイン像が生まれました。「主人公変身ヒーローの異形の正体を知りながら、運命的なパートナーとして彼を受け入れて戦いに協力する普通の女性」というヒロイン像です。「異形の者とのパートナーシップ」という意味では「サイボーグ009」のフランソワーズ・アルヌールと似ていますが、フランソワーズの場合は自分自身が生身の部分は最も多いとはいえサイボーグであり異形の者であるには違いない。それに対してルリ子は完全に普通の人間であり、か弱い一般人の女性です。
もちろんルリ子はウルトラヒロインのように戦士としての訓練を受けているわけではない、むしろ旧来の被害者タイプや助手タイプのヒロインに似ているのですが、0027.jpgそういうか弱さがあるからこそ、異形のヒーローをパートナーとして受け入れ共に戦うという彼女の決断はフランソワーズよりも、ウルトラヒロインよりも更に重いものとなるのです。そしてその強いパートナーシップは人間ではなくなった者に対する禁断の愛情へと変化していきます。それは恋愛感情とハッキリ言えるようなものでもなく、あまりに運命的で重い関係であるゆえにルリ子と本郷が最終的に結ばれることもないのですが。

まぁ原作の石ノ森章太郎はそういうヒロインを描きたかったのでしょう。石ノ森は少年向けヒーローを多く生み出した人だから痛快な作風なのだろうと思う人もいるようですが、実際のところはかなり繊細な作風の人で、少女マンガも手掛けており女性キャラの描写も巧みな漫画家でした。その作風はもっぱら異形の登場人物を通して人間の本質に迫ろうというものが多く、女性キャラの多くは異形の登場人物を受け止める包容力のある優しげなヒロインが多い。「仮面ライダー」はそうした石ノ森の典型的な作風の作品であり、緑川ルリ子は石ノ森ヒロインの実写化だったのです。


0028.jpgこの緑川ルリ子が「ライダーヒロイン」の祖形となるのですが、ルリ子は「仮面ライダー」という作品の路線変更によって序盤13話で姿を消してしまいます。きっかけは本郷役の藤岡弘が撮影中のバイク事故で大怪我を負って降板してしまい、急遽、佐々木剛を2号ライダー一文字隼人役として2号ライダー篇が始まったことでした。序盤13話はドラマが重厚すぎて子供人気はイマイチだったので、もともとは痛快娯楽アクションを作りたかった東映や大野剣友会はここでテコ入れして作風を明るいものとして、変身ポーズの導入などアクション面を充実させ、一文字のキャラも本郷に比べて陽性のものとし、その周囲の人間関係も明るく賑やかなものにしていったのでした。
そうなると本郷とルリ子のようなシリアスな男女の関係などは邪魔となり、設定上ヨーロッパのショッカーを倒すために日本を旅立ったとされた本郷を追ってルリ子も日本を離れたということにして降板させ、代わりに「ライダーガールズ」という、ライダーの戦いをサポートする明るい女の子たちが登場することになります。

0029.jpgこのライダーガールズというのは基本的に助手ヒロインのタイプであって、一文字がライダーであるということは知りません。ただ仮面ライダーがショッカーと戦っているということは知っており、彼女たちは一文字をそのライダーの戦いを支援している勇気ある一般人だと認識しています。その一文字とその同志である滝和也や立花藤兵衛のアシスタント的なヒロインがライダーガールズなのです。
ヒーローの正体を知らないでその本人と共闘しているという点ではウルトラヒロインと似ていますが、ウルトラヒロインほどプロ戦士でもなく、一文字が一種のショッカー専門の私立探偵のようなものだとすれば、彼女らは探偵助手タイプのヒロインに近いといえます。ルリ子も戦いへの参加の仕方だけ見ればライダーガールズと同じようなものですが、大きく違う点はライダーの正体を知っているか知っていないか、そして、ライダーと運命的な繋がりがあるのかどうかという点だといえます。
ライダーガールズにはルリ子のようなライダーとの濃厚な関係が無いので、ドラマは非常にあっさりしたものとなり、ライダーガールズは単なる番組の華的な存在となり、その方が軽快なアクション重視の2号ライダー篇には合っていたのでした。更にこのライダーガールズから派生して少年仮面ライダー隊まで結成されるようになり、ますます子供向けにウケる要素が増幅していきます。そうして、この2号ライダー篇から仮面ライダーブームが起こり、その人気は社会現象とまでなっていきます。
そして怪我が癒えた藤岡が復帰して本郷猛の新1号ライダー篇となってからも2号ライダー篇の路線は維持され、逆に南米に去ったとされた一文字ライダーも時々帰国して登場するダブルライダー篇なども随所に盛り込み、ライダー人気はますます盛り上がっていったのでした。その一方で初期の1号ライダー篇の石ノ森テイストや緑川ルリ子のようなライダーヒロインの存在は、まるで無かったことのようにされていったのですが、この後、仮面ライダーがシリーズ化されることとなり、新たなライダーが登場するたびに石ノ森テイストは甦ることになるのです。
何故なら仮面ライダーという存在があまりにも有名になりすぎたために「仮面ライダーは改造人間である」という基本設定は不変のものとなってしまい、新たなライダーが登場するたびに、彼が改造人間となってしまうに至る重いドラマを描かないわけにはいかなくなり、序盤はどうしても重厚な人間ドラマが展開されるようになったからです。そうなると、そこに見合った、主人公と濃厚な運命的関係を持つ、緑川ルリ子のようなライダーヒロインを登場させねばならなくなります。

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2013年03月01日

ヒロイン画像その3

このように「好き!すき!!魔女先生」に出てくる月ひかる先生=アンドロ仮面は「ミニスカートの戦闘ヒロイン」の元祖としては大変重要な存在です。本来は無関係であるはずの「戦闘」と「ミニスカート(太もも露出)」を不可分の関係としたその伝統が沙織や松原真理などを経てスーパー戦隊ヒロインやメタルヒーローヒロインに引き継がれ、そしてポワトリンのような美少女ヒロインを経てセーラームーンやプリキュアにまで引き継がれていると考えれば、その元祖たるアンドロ仮面の意義は計り知れません。
だが、ミニスカート以外の要素、例えば一番肝心の「変身ヒロイン」という要素に関しては、月ひかるから直接その後の変身ヒロインへ影響を与えた要素は少ないと思います。例えば「好き!すき!!魔女先生」が終了した1972年春に始まった「ウルトラマンA」ではウルトラシリーズ初の変身ヒロインが登場していますが、これは月ひかるの影響を受けて生まれたヒロインというわけではないでしょう。

0060.jpgウルトラシリーズは1967年の「ウルトラセブン」で一旦終了していたのですが、その後の青春ドラマブームの影響を受けて、1971年に人間ドラマ重視路線で復活していました。この1971年から1975年にかけての第二期ウルトラシリーズではウルトラマンに変身する主人公の人間ドラマ、青春ドラマに焦点を当てた作劇になっており、主人公はそれぞれの所属する怪獣対策チームのメンバーよりも日常生活で一般人と触れ合う描写が重視されており、ヒロインも一般人であることが多いです。
ウルトラマンに変身する主人公には一般人の恋人がいる場合が多く、その恋人が当然ヒロインとなります。そうなるとそのヒロインは自然と、戦うヒロインからはほど遠い純粋被害者タイプのヒロインとなり、しかも主人公はその恋人にも自分の正体を隠しているので、ヒロインはあまりキャラが立たず、影は薄くなります。それに主人公の私生活を描く方針といっても、やはり主人公はウルトラマンとして戦ったり怪獣対策チームの業務などもあったりするので恋人とのドラマに割く時間はどうしても少なくなりがちで、恋人はほったらかし状態が多く、ますますヒロインの影は薄くなります。
一方で第一期ウルトラシリーズのフジ隊員やアンヌ隊員のような怪獣対策チームにおける主人公の同僚ヒロインも第二期ウルトラシリーズの各作品にも存在するのですが、何せ主人公には公認の恋人が他所にいるわけですから、フジ隊員とハヤタ、アンヌ隊員とダンの間のようなボンドガール的な大人の男と女の関係を想像させるような余地は無く、純粋に単なる職場の同僚というだけの関係になってしまっています。そういうわけで第二期ウルトラシリーズは主人公の人間ドラマがよく描かれている割には、あまり目立ったヒロインはいません。

0061.jpg1971年度の「帰ってきたウルトラマン」においては坂田アキという主人公郷秀樹の恋人ヒロインが登場しますが、さんざん怪獣の被害に巻き込まれた末、終盤になって遂に宇宙人によって殺されて退場してしまいました。まぁこれは確かに主人公の郷の人間ドラマとしては大きな意味がある展開であったのですが、アキというヒロインは結局何だか幸の薄い弱いヒロインという印象で終わってしまいました。








0062.jpg一方でMATにおける郷の同僚ヒロインとしては丘ユリ子が登場しますが、これは只の主人公の同僚という以上の存在ではありませんでした。いや、第一期のヒロインの中でも「ウルトラマン」のフジ隊員などは実際はハヤタの同僚でしかないのですが、それでも何故かボンドガール的な色気のある設定を感じさせ、その一方でこの「帰ってきたウルトラマン」の丘隊員は同僚的なムードしか感じさせない。この差は何処から来るのかというと、やはり主人公に他所に恋人がいるという設定であるかないかの差が大きい。
それに顔を見比べれば分かる。顔立ち的に作品のヒロインとしての華があるのは明らかにフジ隊員の方であり、丘隊員も美人であるのは間違いないのだが、あくまで妖艶さの無い健康的な職場の華的な存在であることは何となく顔立ちから伝わってくる。こういう顔立ちの女性はボンドガール的なヒーローとの際どい関係を連想させることはないのです。








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0064.jpgまた1973年度の作品「ウルトラマンタロウ」においても主人公の東光太郎の下宿先の娘の白鳥さおりが光太郎に恋心を抱いており、さおりの場合はあくまで光太郎に片思いしているだけであり、光太郎はさおりの気持ちに気付いていないので恋人関係ではないのですが、さおりは作品におけるメインヒロインの役割を果たしています。さおりはアキのように途中で死ぬようなことはなく最後まで登場しましたが、結局は被害者型ヒロインであり、光太郎の正体にも気付くこともなく終わり、やはり影は薄かったといえます。





0065.jpg一方でZATにおける光太郎の同僚ヒロインとして森山いずみも登場し、森山隊員もどうやら光太郎に好意を持っているようなのですが、それはあくまで恋心と呼ぶには淡いものであり、大した進展も描かれてはいません。結局は森山隊員も丘隊員の場合同様、単なる職場の華的な同僚ヒロインに過ぎなかったと言っていいでしょう。
















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0068.jpgそして1974年度の作品「ウルトラマンレオ」においても主人公おおとりゲンの恋人として山口百子という一般人ヒロインが登場しており、彼女が作品のメインヒロインの役割を果たしています。この百子もだいたい「帰ってきたウルトラマン」のアキと同じような存在で、基本的に被害者型ヒロインであり、やはり終盤になって円盤生物の攻撃による被災に巻き込まれて死亡して退場してしまいました。










0069.jpg一方で「レオ」においても主人公ゲンのMACにおける同僚ヒロインとして桃井晴子、白川純子、松木晴子の3人が登場しますが、彼女たちもゲンの単なる同僚以上の存在ではなく、桃井隊員は戦闘にも参加する隊員でしたが出番は序盤のみで異動という名目で退場し、白川隊員は終盤のMAC全滅までは最初から最後まで登場しますが基地で通信担当専属に近い扱いであって地上に降りての戦闘参加はほとんど無く、結構登場しないエピソードも多い。むしろ中盤から登場した松木隊員の方が中盤以降は毎回登場し、戦闘にも参加するのでメインヒロインに近い扱いでした。
だが、いずれにしても3人とも同僚、職場の華的ヒロインの域は出ず、結局は白川隊員と松木隊員も百子が死亡した時と同0070.jpgじ終盤の円盤生物の攻撃を受けてMACがゲンを除いて全滅した際に殉職して途中退場してしまいました。










0071.jpg











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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 17:08 | Comment(0) | ヒロイン画像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月02日

ヒロイン画像その4

一方、ビジンダー・マリやタックル岬ユリ子と近い時期の戦うヒロインキャラであり、なおかつこの2人と同じ異形のヒロインでありながら、その持っている意味合いが全く違っていたヒロイン史における特筆すべき、極めて特殊な変身スーパーヒロインが永井豪原作の戦闘美少女アニメ「キューティーハニー」の主人公の如月ハニーでした。

0115.jpg「キカイダー01」と同じ1973年に制作された「キューティーハニー」は1966年の「魔法使いサリー」から続いていた魔法少女アニメシリーズの系譜から突然変異的に生まれた作品でした。魔法少女アニメシリーズはエブリデイマジック作品であって、基本的にはコメディであり、戦闘などが描かれることはありません。だからそこに登場する主人公ヒロインたちは、サリーであれアッコであれマコであれチャッピーであれ、みんな人知を超えた不思議な能力を持ちながら決してそれを戦いのために使うことはありません。そもそも彼女らは能力はともかくとして性格的に「戦闘」というものを想定されたキャラ設定をされていないのです。
その魔法少女アニメシリーズも作品を重ねるごとにマンネリ化してきて、新たなパターンを生み出そうという思考錯誤の中で、主人公の不思議な能力の源泉が「魔法」ではなく「科学」であるという設定で立案されたのが美少女アンドロイドを主人公とした「キューティーハニー」の企画でした。これは主人公が魔法少女でなく美少女アンドロイドになっているという点で画期的な変更のように見えますが、実際のところはアンドロイドといっても外見上は人間と何ら変わらないわけで、既存の魔法少女アニメと大差ない内容で、単に設定を変えて目新しさを演出したに過ぎません。だからこの当初案のハニーは戦闘を想定したキャラではなく、従来の魔法少女と同様、ご近所コメディの呑気な主人公でしかありませんでした。

0116.jpgところがこの「キューティーハニー」の企画は美少女サイボーグを主人公とした類似企画の「ミラクル少女リミットちゃん」の企画にコンペで敗れてしまい、魔法少女アニメの枠で採用はされず、土曜夜8時30分の枠で放送することを前提に企画を練り直すことになったのでした。この土曜夜8時台というのは当時大人気番組「8時だよ!全員集合」が裏番組として存在していた枠であり、時間帯を考えても元の魔法少女アニメそのものの内容では到底勝負できるものではありませんでしたので、アダルト層の男性をも意識した大幅な内容の変更がなされました。
その結果、アダルト層向けに当時から見て20年以上前の探偵ヒーローものの名作「多羅尾伴内」のパロディの要素なども取り入れて、美少女アンドロイドのハニーが不思議な力を使って七変化して悪の組織の刺客とお色気ハードアクションを繰り広げるという、当初案とは全く違うお話になったわけですが、問題はハニーのキャラ設定が元の魔法少女企画の時のままであったという点でした。
もともと戦闘など想定していないご近所コメディ用のユルいキャラであったハニーに悪の組織とのハードなバトルをさせるわけですから、これは無理があります。ハニーは悪の組織と戦う義務があるわけではない普通の女子高生なのです。というのも、ハニーは多彩な能力を持つアンドロイドではありますが、類似作品とは一線を画した奇妙な設定として、ハニー自身はずっと自分のことを普通の人間の少女だと思い込んできたというのがありました。

0117.jpgそもそもハニーを作った如月博士は幼くして死んだ自分の娘の代わりとしてハニーを作ったのであって、ハニーを戦闘用に作ったわけではない。ハニーにはあくまで人間の娘としての記憶を作成して移植しており、ハニーの多彩な変身能力も如月博士の死んだ娘の将来の夢を全部実現させるためにわざわざ空中元素固定装置というものを発明してハニーの身体に移植した結果の産物であり、その変身のうちの1形態が女戦士キューティーハニーであるのも、死んだ娘の将来の夢の1つが「正義の女戦士」であったからに過ぎない。
つまり如月博士はハニーのことをあくまで自分の娘だと思って愛情を注いでおり、アンドロイド戦士ではなく人間であってほしいと願っていたのです。そしてハニー本人も移植された記憶によって自分のことを普通の人間の女の子だと信じて疑わず、如月博士の実の娘だと思い込んで平和に暮らしていたのでした。
こののどかな設定は、この作品がもともとはエブリデイマジックのコメディとして構想されていた名残といえます。実際、この作品はコメディチックな側面もかなりあり、ハニーのキャラはコメディ部分にも非常に適応性が高い。もともとハニーというキャラはコメディドラマの主人公として造形されていたからです。しかしそうなると、このハニーというのどかな女の子がハードなバトル展開に馴染まないのではないかという危惧が生じます。

0118.jpgだいたい、そんなふうに親からも普通の女の子として生きることを望まれ愛情を注がれ、自身もその生き方に疑問を抱いていないような女子高生が、たとえ中身は戦闘力を有した異形のアンドロイドであったとしても、悪の組織に戦闘用に作られたようなビジンダーやタックルのようにすんなりと戦いの場にその身を投じるはずもない。
またウルトラヒロインやロボットアニメヒロインのように職業的なプロ戦士というわけでもない普通の女子高生のハニーには簡単に戦いに踏み込む必然性も無いし、だいいちウルトラヒロインなどはあくまで彼女らは戦いの主役ではなく支援要員です。ところがハニーは主人公ですから彼女が戦いの主役となるので、より過酷な戦いとなります。ウルトラヒロインやロボットアニメヒロインのようなプロ戦士でもその役目は荷が重いでしょう。そこに精神的には普通の女子高生であるハニーがそう気軽に踏み込めるものではない。
実際ハニーの能力は如月博士がハニーが出来るだけ人間に近い存在であってほしいという想いから幾分セーブして設定しており、敵組織の怪人たちに比べて決定的に優勢なものではなく、かなり苦戦を強いられることが多い、つまり実際に戦いは苛酷なのです。普通の女子高生のハニーがその戦いを継続するのは並大抵の動機では無理というものです。
ハニーが戦い始めるきっかけは父である如月博士が空中元素固定装置を狙う敵組織に殺されたことであり、そういう意味ではこれは宿命の戦いともいえる。そうなるとライダーヒロインに似ていなくもないが、ハニー自身が戦いの主役であるという点でライダーヒロインとは明確に違うし、だいいちハニーの戦いの動機は正確に言えば父の仇討ちとは少し違い、ライダーヒロイン的な宿命とは少し戦いの動機は違います。
ハニーの場合、それは本人の戦いの前の恒例の名乗り文句において自分の戦士としてのスタンスとして表明されています。それは「愛の戦士」というものです。「愛の戦士」というコンセプトこそが、戦う必然性の無い普通の美少女がハードなバトルに身を投じるという難題をクリアするために捻りだされた設定であり、この「愛の戦士」というコンセプトこそが、結果的に新たなヒロイン像への道を開くことになったのです。

0119.jpgどうしてハニーが「愛の戦士」なのかというと、これは単純明快であり、ハニーという存在そのものが如月博士の娘への愛情が作り出した愛の結晶そのものだからです。ハニーは父の死に際して自分の真実の姿を知るとともに、自分が父の愛を一身に受けて生み出された存在であるということを知りました。それはハニーが苛酷な戦いの道に進むことなど父は望んではいなかったことを知ることでもありましたが、同時にハニーは自分の体内の空中元素固定装置は父が娘の、つまり自分の夢を叶えるために愛情をもって作ったものであり、決して父がその装置を悪用されることを望んでいなかったことも知ったのでした。
ハニーは父の自分に向けた愛を感謝し、その愛の思想に共感したゆえに、父の自分への愛の結晶たる空中元素固定装置を悪用しようとして策動し人々を苦しめる邪な企みを阻止すべく、戦うことを決意したのでした。それが父の愛に報いる道だと信じたハニーは「愛の戦士」と自称して戦い始めたのです。これがハニーが「愛の戦士」たる所以です。
ハニーは確かに父を殺されたという意味で敵組織に対して宿命を感じてはいます。しかしハニーは父の仇を討つという宿命的動機だけで戦っているわけではない。また職務として戦っているわけでもなく、正義の勝利を実現したり筋を通すために戦っているわけでもありません。ただ単に父に深く愛されて生まれた自分もまた父と同じように人々を深く愛したいと思い、それゆえに、人々を苦しめる悪に屈することなく戦いたいと願っているだけなのです。
ハニーは確かにスーパーパワーを持つアンドロイドであり異形の戦士ではあるのですが、その心はあくまでも普通の人間の少女であり、この「愛の戦士」として戦うという決断は普通の人間の少女である如月ハニーの心が下したものです。この「愛深きゆえに戦う」という動機こそが、戦う義務も必然性も薄弱な普通の少女が苛酷な戦いに身を投じる動機を成立させる唯一の道となり、そしてそれが新たなヒロイン像を生み出したのでした。

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2013年03月03日

ヒロイン画像その5

1975年に放映開始して大ヒット作となった「秘密戦隊ゴレンジャー」ですが、この「ゴレンジャー」の成功が当時の東映制作サイドの目指していたものかというと、そういうわけではないと思います。「ゴレンジャー」はもともと「アマゾン」でライダーが枠移動した後の空いた枠をさしあたり埋めるために考えた企画であり、チームヒーロードラマはひとまずライダーの穴埋めのための手段であり、あくまで当時の東映が目指していたものはチームヒーロードラマではなかったのではないかと思います。
確かに「ゴレンジャー」のヒットを受けて、その後チームヒーロードラマがブームになったと言われます。しかし、それは「ゴレンジャー」の高視聴率を見てテレビ局側が二匹目のドジョウを狙ってチームヒーロードラマを求めたのであり、東映側は「ゴレンジャー」企画時に「チームヒーロードラマのブームを起こしてやろう」などと考えていたわけではないでしょう。
むしろ、ライダーには無くてゴレンジャーには存在したものが何なのか考えると、東映が真に目指していたものが何なのか見えてきます。ライダーに無くてゴレンジャーにある物というと、細かいものでは挙げればキリは無いが、最も明確なものは空飛ぶ要塞バリブルーンです。つまり巨大戦力なのです。東映が「ゴレンジャー」という作品で本当にやりたかったことはバリブルーンを使った巨大戦であったのではないでしょうか。

東映が当時見据えていたものは当時既に斜陽であった「仮面ライダーシリーズ」を超えることなどではなく、「仮面ライダーシリーズ」を斜陽に追い込んだ最大のライバルであるスーパーロボットアニメを超えることであった、そう考える方が自然であると思います。「実写でマジンガーZやゲッターロボみたいな巨大ロボアクションを見せることが出来れば、きっとスーパーロボットアニメに勝てる」と東映側が考えたとしても何ら無理はありません。ただ最初から搭乗型の巨大ロボアクションを実写で上手く魅せるのも難しいので、まずは「ゴレンジャー」ではスパイチームアクションと並行して試しに空飛ぶ移動要塞を使って巨大戦アクションにチャレンジしてみたというところでしょう。
この「ゴレンジャー」が予想以上のヒットとなったため、テレビ局からはチームヒーロードラマをもっとやって欲しいという要望が来るようになり、東映はその要望に出来るだけ応えつつ、巨大戦の経験値を積む場としてもそれらを活用していったというのが実情でしょう。
実際、「チームヒーローブーム」と言ってみても、「ゴレンジャー」の開始後3年間に新たに作られたチームヒーロードラマといえば「アクマイザー3」とその続編の「超神ビビューン」、そして「忍者キャプター」と「ジャッカー電撃隊」ぐらいです。3年で4作だから少なくもないが「ブーム」と言うほどでもない。
そもそもチームヒーロードラマは確かに人気は出ることは分かったが、何せヒーローがたくさん登場する分、出演料などのコストがかなりかかります。それに見合うだけの予算を確保出来ていなければ制作は出来ない。だから「人気のチームヒーロードラマをやりたいものの予算が無いので断念した」というケースも多かったものと思われます。

0143.jpgそんな状況の中、「ゴレンジャー」開始後半年でいち早く二匹目のドジョウを狙った企画が1975年10月から始まった「アクマイザー3」でしたが、案の定チームヒーロードラマをやるのに十分な予算を確保出来ておらず、役者に払う出演料が足りないので「最初から変身後の姿のヒーロー」、つまり着ぐるみヒーロー3人だけの体制となりました。いきなりこんな窮状を見せられれば「ゴレンジャー」の後追いでチームヒーロードラマをやろうとしても業界人たちは尻込みするのも無理はありません。
ただこの「アクマイザー3」は悪魔であるアクマ族の3人組ザビタン、イビル、ガブラが仲間を裏切って本来は敵である人間世界を守るためにアクマ族と戦うという、仮面ライダーを彷彿させるような石ノ森テイスト満載の作風で、もちろん石ノ森章太郎原作なのですが、これが非常に面白くて意外にもヒット作となりました。半年前に開始した「ゴレンジャー」の方では石ノ森テイストはかなり抑え目だったのですが、こっちでは思いっきり石ノ森テイストの設定であり、これが後半になると急にギャグ調に路線変更されるというのも仮面ライダー同様に石ノ森作品らしいところです。
この作品は設定的には巨大戦というものが必然であるとはとても思えないのですが、それでも「ゴレンジャー」同様に空飛ぶ移動要塞ザイダベック号が登場しており、やはりこの時期の東映の本音は巨大戦のスキルを積むことであったと思われます。

0144.jpgこの「アクマイザー3」に登場するヒロインは主人公3人と同じアクマ族の女性戦士のダルニアであり、最初は裏切り者のザビタン達を始末するための刺客として登場しながらもザビタンに惚れてしまい、その後は仲間になるというキャラで、かなり美味しいキャラのヒロインなのですが、アクマ族はみんな人間態の無い着ぐるみという設定のドラマなので当然ダルニアも着ぐるみキャラであるのが痛い。
いや着ぐるみでも良キャラは良キャラなのでドラマ的には何ら問題は無いのですが、単にこのブログ的に残念であるだけです。まぁアニメキャラに萌えられるのならば着ぐるみキャラにも萌えられなければおかしいのかもしれませんが、ダルニアの場合は着ぐるみという問題以前に人間態じゃないのがやはり画像的には痛いです。せっかく抜群の良キャラヒロインなので惜しいと思えます。なお、ダルニアの声を担当しているのは「ゲッターロボ」の早乙女ミチルや「魔女っ子メグちゃん」の神崎メグ役で有名な吉田理保子さんですので、外見は人間態ではないが美女ヒロインという設定であるのは間違いない。







0145.jpgまた、この作品にはもう1人、渚ジュンという雑誌社の女性カメラマンが登場してアクマイザー3の人間世界における協力者となりますが、こちらはライダーヒロインの類型となります。ただジュンの場合はかなり影が薄く、むしろ限りなくライダーガールズに近いキャラであり、物語中盤でフェードアウトしてその後は登場しなくなりました。














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0147.jpgこの「アクマイザー3」がヒットした結果、翌1976年には続編となる「超神ビビューン」が後番組として制作され、世界観を一新して3人の主人公チームは全員が従来型の変身ヒーローとなりました。前作の最終話で敵ボスと相討ちで死んだザビタン達3人の魂が3人の人間の若者に受け継がれたという設定で、その3人がライダーやゴレンジャーと同じように戦闘形態のビビューン、バシャーン、ズシーンに変身して妖怪と戦うのです。なお、この作品でもベニシャークという飛行戦艦のようなものが使われています。





0148.jpgそしてこの作品におけるヒロインは明智リサという女性刑事で、ビビューン達の正体を知った上で協力する立場のヒロインですからライダーヒロイン的ですが、主人公たちと深い因縁や宿命があるというほどでもないのでライダーガールズに近い。要するに前作の渚ジュンと同じような立ち位置のヒロインといえますが、リサの場合は刑事なのでそれなりの戦闘力があり、アクション面ではかなり活躍したキャラといえます。













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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 13:18 | Comment(0) | ヒロイン画像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月04日

ヒロイン画像その6

1977年に「ジャッカー電撃隊」が不人気のために途中打ち切りになったということはスーパー戦隊シリーズの歴史の中で汚点のように扱われてしまっていますが、そもそも当時はスーパー戦隊シリーズという概念もブランドも無い時代であり、不人気で途中で打ち切りになる番組など掃いて捨てるほどあった時代ですから、東映側も原作者の石ノ森章太郎も「ジャッカー電撃隊」の打ち切り程度でいちいちショックなど受けていなかったようです。いや、「ジャッカー電撃隊」が打ち切りになった後の1978年というのは実は東映にとっても石ノ森にとっても大変忙しい年でありました。
0196.jpg1977年夏にアメリカで映画「スターウォーズ」が公開されてSFブームが起こり、翌1978年夏に日本でも「スターウォーズ」が公開されると決定されると日本においてもSFブームの到来が予期されるようになりました。そこでそれに便乗しようとして日本の映画会社でもSF映画を作って1978年に公開しようという動きが起こり、1977年からその準備や製作が進められていたのでした。その中で東映は1978年春公開予定の映画「宇宙からのメッセージ」の製作を総力をあげて進めており、この企画に当初から石ノ森も原案担当として名を連ねて参加していました。
この映画は南総里見八犬伝をモチーフとしたスペースオペラで、「スターウォーズ」の模倣作品のようなものであり、「会社の総力をあげて製作した」映画にありがちなパターンとして内容的には別に大した映画ではなく、実際1978年4月に公開されたが大してヒットもしなかったのですが、東映が大変な力を入れて作った映画であったので、特撮的にはこれまでにやったことが無いようなことにもチャレンジしており、巨大ロボは登場しないものの、東映における巨大メカ戦の特撮技術はこの映画で格段に進歩しました。
この特撮技術に関しては海外でも高く評価されました。いや、海外で特撮が高く評価されるであろうことは東映も最初から見越しており、最初から海外展開を考えてこの映画の採算を取ろうとしていたようです。そのためあらかじめ海外での販路を開拓しており、この映画は最終的には日本映画で初めてメジャー配給ルートに乗って全米で封切られるようになりました。

さて、こうした「宇宙からのメッセージ」絡みでの積極的な海外での活動の中で東映は本格的な海外進出を考えたのか、アメコミの出版社であるマーヴェル社との間で提携を結び、1978年から3年間、互いの会社の版権を持つキャラクターを自由に使用してもいいという契約を交わしました。東映としては自社のキャラクターをマーヴェル社の媒体を使って大いに宣伝してもらおうという思惑があり、実際この後、コン・バトラーVなどがマーヴェル社のアメコミで描かれて海外で紹介されたりしています。
一方でマーヴェル社の方も同様の思惑があったのであり、対等な契約ですから東映側もマーヴェル社のキャラクターを使った作品を作って日本で宣伝しないといけません。そこでさっそくその第一弾企画として1978年5月から放映が開始されたのが「スパイダーマン」でした。
どうしてマーヴェル社の数多くのキャラクターの中でスパイダーマンが選ばれたのかというと、単純にマーヴェル社サイドの意向でしょう。マーヴェル社のキャラクターの中で最も有名だったものがスパイダーマンとキャプテンアメリカであり、まずはスパイダーマンを日本市場に売り込むのが得策という判断が働いたと考えるのが自然です。
ただ、それはあくまでマーヴェル社側の都合であって、実際にスパイダーマンというキャラで作品を作る東映の現場は話はそう簡単ではありません。だいたいアメコミというのは当時の日本の特撮やアニメに比べて対象年齢層が高めで、オリジナルのスパイダーマンは蜘蛛に噛まれて大きな力を得てしまって苦悩する等身大の青年キャラでした。戦う相手も人間の悪人であり、しかも世間からは誤解されて嫌われているという、とても日本の子供にウケるようなヒーローではありませんでした。

0197.jpgそこで東映ではスパイダーマンのキャラだけ拝借して根本的に違うお話を作ることにして、マーヴェル側もとにかくスパイダーマンのキャラの認知度が高まればいいと考え、イメージダウンに繋がる改変でない限りは許容することとしました。その結果、東映はスパイダーマンは正義の宇宙人から戦う力を与えられた若者であり、戦う相手も侵略宇宙人の送り込む怪人ということにしました。
そしてスパイダーマンは宇宙人から譲られた宇宙船に乗っているということにして、その宇宙船が変形して巨大ロボになるということにし、敵怪人が巨大化してスパイダーマンの操縦する巨大ロボと戦うという設定としました。敵怪人が巨大化する原理は不明です。とにかくスパイダーマンが巨大ロボで戦うという設定が先にあり、それに合わせる形で敵怪人も巨大化するということになったのでしょう。
スパイダーマンが変身して敵怪人の前に現れて名乗りを上げると、ほとんど戦わないうちに敵怪人は巨大化して、スパイダーマンは自分の宇宙船マーベラーを呼び出して乗り移り、すぐにマーベラーを巨大ロボのレオパルドンに変形させて敵巨大怪人と戦い倒す。これが「スパイダーマン」という作品のバトルのフォーマットとなりました。

後にスーパー戦隊シリーズで定番となる「敵怪人の巨大化」というシステムがここで初登場しているのも注目点ですが、なんといってもここで注目すべきは巨大ロボ、それも搭乗型の巨大ロボの登場です。スパイダーマンの力の源泉を宇宙人にしてスパイダーマンを宇宙船に乗せるというところまでは分からないこともないが、そこで宇宙船が巨大ロボに変形するという飛躍はあまりに必然性が無い。これは結局は東映が「大鉄人17」でようやく実現した巨大ロボ特撮アクションの次の実験場をこの作品に求めたということでしょう。
その目標は「コン・バトラーV」や「ボルテスV」のようなスーパーロボットアニメのレベルの巨大ロボアクションを実写特撮で実現することでしたが、当然まだコン・バトラーVのような5体合体ロボまで実現する技術はありません。しかし「コン・バトラーV」の前番組に相当する「勇者ライディーン」で実施していた「巨大飛翔体から巨大ロボへの変形」ならば可能だと判断し、この作品で試みたのでしょう。
そもそもこの「スパイダーマン」に先立つ「大鉄人17」の段階で既に東映は17の通常戦闘形態、要塞形態、飛行形態、戦闘飛行形態の4形態のフォームチェンジを実現させています。既に東映の巨大ロボ特撮技術はそこまでは進んでいたのです。だからマーベラーからレオパルドンへの変形は確実に成功させる自信はあったことでしょう。

0198.jpgただ、ここでやはり最大の注目点は、17の時点では自律型ロボであったのに、レオパルドンは搭乗型ロボになっているということです。これは石ノ森章太郎の原作ではなかったからでしょう。石ノ森章太郎氏は作劇上、ロボットを人間の姿を映す鏡のようなものと捉えており、それゆえロボットは人間に近い存在でなければならないと考え、単なる意思無き乗り物として描くことを嫌いました。またロボットを人間と似た存在と捉えていた石ノ森氏はコン・バトラーVのような角ばった形態のロボットを嫌い、丸みを帯びたフォルムを好みましたが、変形や合体を前提とする限りどうしてもロボットは角ばったフォルムになります。「大鉄人17」の段階でも変形が前提となっていたので17は角ばったフォルムにするしかなく、それに対して石ノ森氏はかなり抵抗したようです。
だから石ノ森氏が原作者として作品に関わっていたのなら、きっとレオパルドンを搭乗型ロボにすることも変形ロボにすることも反対したはずです。だが「スパイダーマン」は石ノ森氏は関与していない。石ノ森氏は映画「宇宙からのメッセージ」の続編にあたるメディアミックス企画のTVドラマ「宇宙からのメッセージ・銀河大戦」の方の準備に関わっていて忙しかったというのもありますが、それ以前の問題として、そもそも石ノ森氏が「スパイダーマン」の企画に参加できるはずがないのです。
漫画家である石ノ森氏は東映の特撮ドラマに参加する時は原則として「原作者」という肩書でしか参加は出来ない。ところが「スパイダーマン」はれっきとした原作者がアメリカにいるのだから、そこに石ノ森氏が原作者として名を連ねることは出来ません。つまり、東映がマーヴェル社のキャラクターを拝借して作品を作る場合は石ノ森章太郎は企画に参加できないのです。
こうして東映は八手三郎名義で「スパイダーマン」という作品を作り、石ノ森氏の影響力から完全に自由な立場で心おきなく念願の搭乗型ロボの巨大戦アクションを描くことが出来たのでした。そしてこの「スパイダーマン」の実質的な後番組である「バトルフィーバーJ」、それに続く「電子戦隊デンジマン」「太陽戦隊サンバルカン」までが全てマーヴェル社との提携作品であり、これらの一連の作品群において東映は石ノ森氏の影響外でスーパー戦隊シリーズ初期における搭乗型巨大ロボのアクションのフォーマットを固めることが出来たのです。

0199.jpgこの「スパイダーマン」という作品におけるヒロインは、スパイダーマンに変身する主人公の山城拓也の恋人である佐久間ひとみというフリーカメラマンの女性ということになります。主人公の恋人という近しい立場のヒロインではありますが、拓也は自分がスパイダーマンとなったことは周囲に秘密にしていますから、ひとみも拓也がスパイダーマンであることは知りません。つまり第二期ウルトラシリーズによく見られたような主人公の一般人恋人ヒロインに似ているとも言えます。
だが拓也自身が一般人であり、劇中では結構頻繁に拓也とひとみの親密な様子は描かれます。しかしそれでいて、ウルトラシリーズの恋人ヒロインの場合のように主人公との間の真面目な人間ドラマが描かれるわけでもありません。「スパイダーマン」は極めてシンプルな構造のヒーロードラマであって、第二期ウルトラシリーズのように真面目に青春ドラマを描こうというような気は無いのです。
ひとみというヒロインは単に拓也の日常パートにおける「ヒーローである正体を隠さねばならない」という滑稽な描写を増幅させるために存在しているようなもので、同じように「ヒーローの正体が身近な人であることを知らない」軽めの登場人物という意味ではライダーガールズに近いが、ライダーガールズはそれでもヒーローの戦いに協力する姿勢があるのに対して、ひとみはスパイダーマンの戦いを支援するわけでもない。単に主人公の日常パートの相手役に過ぎず、これはもうヒーロードラマにおけるヒロインという定義にあてはまるかどうかも怪しいと言えます。まぁ「スパイダーマン」という極めてシンプルな作品には相応しいヒロインキャラであるとも言えるでしょう。

0200.jpgそしてもう1人、この作品にはヒロイン的な存在としては主人公の拓也の妹の山城新子も登場します。この新子もひとみと同じような立場であり、兄がスパイダーマンであることは知らず、スパイダーマンの戦いに協力するというわけでもなく、兄妹の真面目なドラマが描かれるわけでもなく、ただ単に主人公の日常パートの相手役に過ぎないキャラといえます。
まぁ主人公が一般人単独ヒーローであり自分のヒーローとしての正体を隠しているというパターンの場合、確かにこのひとみや新子のようなキャラは必要といえます。それが女性である場合に、他に目ぼしい女性キャラがいない場合は、それが作中におけるヒロインの位置を占めることになるのでしょうが、実質的には単なる脇役といえます。

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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 11:05 | Comment(1) | ヒロイン画像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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