2010年12月09日

戦隊ヒロイン

ゴセイジャーももうすぐ終わり。
スーパー戦隊シリーズも来年は35作品目のゴーカイジャーだそうで、
だからってわけじゃないですが、歴代の戦隊ヒロインを採り上げてみようかなと思います。

ここで私の全く個人的に勝手に決めた
ドラマなど物語空間におけるヒーローやヒロインの定義ですが
ヒーローはその物語の登場人物の中で男性的魅力を最も担当している人であり
ヒロインというのは同様に女性的魅力を最も担当している人のことです。
まぁ時には人でなく、異星人であったり動物であったり無機物であったりもします。
正体は何でもいい。女ですらなくてもいい。とにかく「女の魅力」を最も感じさせてくれればいい。

で、「女の魅力」といっても、やたらお色気ムンムンでなければいけないとか
やたら可愛らしかったり美しかったり、おしとやかだったりとか、そういう限定はなく
基本的には女性というのは存在するだけで「女の魅力」というものは発散します。
お転婆でも無愛想でも干物女でも男女でも、それはそれなりに女の魅力は有るものです。

ただ、物語のヒロインの地位を得るためには、
その物語の中で女の魅力ナンバーワンにならないといけない。
少なくとも上位3人ぐらいには入らないといけない。
そういう競争を勝ち抜くとなると、
やはり色気とか美形とか、可愛らしさとか、物語の中での美味しい扱われ方とか
そういうのは大きなアドバンテージになります。結局はそういう人がヒロインになります。

ただ「戦隊ヒロイン」となると少し定義が違います。
なんといっても変身して戦えないといけない。
そういう女性はあんまり多くないです。
いや現実にはもちろん存在しないんですが
戦隊シリーズの各作品世界の中でも1人とか2人とか、とにかく極めて少人数です。
つまり、変身さえ出来れば競争しなくても簡単に戦隊ヒロインの地位は得られます。
女の魅力があんまり無くても戦隊ヒロインには、なれてしまいます。

しかし戦隊作品も1つのドラマであり、登場人物も戦隊メンバーだけではないので
登場人物の中で戦隊ヒロインよりも女の魅力を持った人が出て来てしまう可能性もある。
そうなると、その人がその戦隊物語の上でのヒロインになり、
戦隊ヒロインと物語上のヒロインが分離してしまうというケースもでてきたりします。

こういう「戦隊メンバーではないけどヒロインの役割を果たす人」というのを
戦隊ヒロインの中に含めるかというと、やはりそれは物語上のヒロインであって
純粋な戦隊ヒロインとは違う。準ヒロイン的な存在といえるでしょう。
ただ、物語の性質上、そうした準ヒロインの中には変身能力や戦闘能力を持った者も結構いて
なかなか戦隊ヒロインとの境界線があいまいであったりします。

まぁぶっちゃけ、女の魅力があれば何でもOKなんですが
キリがないので、勝手に独断でここでいう戦隊ヒロインの定義をします。

まず、他の戦隊メンバーと同じ種類のスーツ姿に変身し
他のメンバーと同じフォーマットの
「なんとかピンク」とか「なんとかイエロー」のような名称を持つこと。
登場回数が複数回であること。1回限りのゲスト出演(変身)は不可。
そして人妻はダメ。これは個人的嗜好です。

これらの条件に当てはまらない人達でヒロイン的存在の人達は準ヒロインとして扱います。
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 01:34 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モモレンジャー

モモレンジャー.jpg

モモレンジャーことペギー松山。栄えある初代戦隊ヒロインですね。
1975年から1976年にかけて2年間放送された戦隊シリーズ第一作「秘密戦隊ゴレンジャー」で、
ゴレンジャーの紅一点、モモレンジャーに変身します。

当時は変身して悪の怪人と戦う生身の人間の女性というキャラはほぼ皆無でした。
だいたいはヒーローのサポート役として生身のまま変身せず戦いを手伝うヒロインが多く、
「戦う変身ヒロイン」というのは一応少数ながら存在しましたが
かぐや姫先生は宇宙人だったし、ビジンダーは人造人間、タックルは改造人間であり、
如月ハニーはアンドロイドで、みんな生身の女性ではありませんでした。
唯一、生身で変身して戦うヒロインといえたのは、「ガッチャマン」の白鳥のジュンでしょうか。
ジュンの場合、変身といえるのかどうか微妙ですが、
要するにガッチャマンも強化服のようなものだからゴレンジャーと同じでしょう。
というか、「ガッチャマン」を参考にして「ゴレンジャー」は作られているので似ていて当然。
ペギーはジュンの発展形といっていい。

ただジュンはアニメキャラだったがペギーは実写で生身の女性がそのまま演じているわけで、
その分、鮮烈な印象が有る。やはりモモレンジャーは強烈な印象を残したキャラでしょう。
モモレンジャーの成功によってスーパー戦隊シリーズにおける
戦隊ヒロインというものは定着したと言えるでしょう。偉大な存在です。

ペギー松山というのは変な名前だが、日本人とスイス人のハーフという設定らしい。
あまりハーフには見えないです。演じている小牧リサさんは純日本人なので。
なんでもゴレンジャー5人の名前の頭文字を合わせて「カシオペア」となる設定だったそうで
そうなると一人「ペ」が頭文字のヤツが必要になる。日本人にはあんまり無い頭文字だ。
韓国人にするという手もありそうだが1975年当時はまだ韓流ブームとか起こってないので、
普通に西洋人とのハーフ設定にしたようだ。

ただ頭文字の件は関係無く、おそらくどっちにしてもハーフ設定であったんじゃないかと思う。
何故なら、この後の数作品、ハーフや外国籍などの戦隊ヒロインばっかりで、
純日本人の戦隊ヒロインという設定は回避されてるからです。
おそらく当時はまだ一般の日本人女性が男性に混じって
同等の立場で戦うという設定にリアリティが無かったのでしょう。
「そういうのは進んだ外国の女性のやることよ」というような認識があったようです。

scan008-2.jpg当時は007の映画や、
その影響を受けて作られた無国籍風のスパイアクションドラマなんかが全盛期で
そこに出て来るボンドガールや、
その亜流といえる、やたらバタ臭い野際陽子なんかが演じてた無国籍風スパイ美女というのが
「戦うヒロイン」の最先端でした。
「ゴレンジャー」という作品自体がそういったスパイアクションの変身ヒーロー版として
作られたので、ペギーもそうした無国籍風スパイ美女のスタイルそのままのキャラだった。
だからハーフだったのであり、ホットパンツとベスト着用スタイルだった。

このホットパンツとそこから伸びるムチムチ健康的太ももがペギーの代名詞。
それはそのまま戦隊ヒロインの代名詞ともなっていった。
もともとはゴレンジャーのキャラ名は「ファイブレンジャー」で、
各キャラも「レッドレンジャー」「ブルーレンジャー」みたいなのだったようだが
東映の平山Pが小牧リサと面談した際、その太ももに強い印象を受けて
「ピンクレンジャー」でなく「モモレンジャー」にしようと言い出したらしく
そうなると他メンバーも「レッドレンジャー」や「ブルーレンジャー」では具合が悪いので
「アカレンジャー」や「アオレンジャー」としたそうだ。
そしてチーム名も同じく漢字風に改められて「ゴレンジャー」になった。
このゴレンンジャーの素晴らしすぎるネーミングは、
小牧リサの素晴らしい太ももに起因しているのだ。まぁあくまで噂だが。

このペギー松山、もともとはイーグルという国連の組織した秘密防衛組織の隊員で、
武器開発や爆破物取扱のエキスパートだったそうだが、
黒十字軍によって所属していた支部を壊滅させられて、
そこで唯一生き残ったペギーが選抜されて、
対黒十字軍の新編成の特別部隊ゴレンジャーの一員になったという設定。

それはいいんですが、なんとペギーの年齢設定が18歳というのが驚き。
まず18歳に見えないというのも問題だが、これは70年代の女性はこんなもんだったかも。
それより、18歳でそんな秘密防衛組織でバリバリに働いているというのが有り得ん。
どんな18歳だ?しかも設定上、支部壊滅前は上司と恋人関係だったという。なんとアダルト設定。
てゆーか、上司、犯罪だろ。ほとんど。
とにかくペギーは絶対バージンではないのは確定。
なんでこんな設定の女性を18歳設定にしたのか全く謎。
東映のスタッフが18歳に特別な思い入れでもあったのか?

このアダルト過ぎる18歳のペギー松山
他の男メンバーと同じぐらい戦闘能力があり、それに加えて爆発物関連の専門分野を担当し
沈着冷静、品行方正、頭脳明晰、熱い正義の心を持ち、女性らしい優しさも兼ね備えている。
容姿は並だが脚線美は素晴らしい。しかも実家は大金持ちらしい。ミス・パーフェクトです。
だいたい、ゴレンジャーの必殺技はペギーが最初にボールを出さなきゃ撃てないんだから
ゴレンジャーの要といってもいい。たぶんキレンジャーよりは役に立ってるはず。

こんな凄い18歳娘ですから、女ならではのハンデとか、
足を引っ張るとか、そういうのとは無縁です。
他のゴレンジャーメンバーも25歳最年長の新命さん筆頭に結構年齢は上なんですが
この18歳の小娘をほとんど対等に扱い、ハッキリ言って全然女性として扱ってません。
完全に同年代の男扱いです。
いくらムチムチの太ももを見せられても異性として見ることはありません。
みんなすごい大人の余裕です。クールです。キレンンジャーだってクールです。
ミドレンジャーの明日香くんは17歳思春期(こいつも見えない)なんですが
彼も非常にクールです。
ゴレンジャーというのはそういうクールでなおかつギャグもこなす面白いチームなんです。

ペギーも、これだけパーフェクトだと逆に面白味が無さそうなもんですが
しっかり魅力的に描かれてます。太ももだけじゃないんです。
これは、やはり初代としての印象の強さ、ゴレンジャーという作品自体の幅広い面白さ、
そしてスパイアクションならではのクールでお洒落なペギーのキャラが
上手く描かれているからでしょう。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 14:55 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月10日

ハートクイン

ハートクイン.jpg



























1977年に「ゴレンジャー」の後番組として放送された「ジャッカー電撃隊」の
紅一点の戦隊ヒロイン、ハートクインことカレン水木さんです。

2年間放送した「ゴレンジャー」は後半はかなりギャグ路線に傾斜しました。
そのほうが視聴者にウケるという計算だったようで、実際ウケました。
でも、まだその頃は変身ヒーロードラマはシリアスなのが王道の時代だったので
東映の中では「こんなの変身ヒーローじゃねぇ」というムードもあったかもしれません。
それでなのか、後番組の「ジャッカー電撃隊」は割とシリアス路線でした。

基本的に前作と同じスパイアクションの変身ヒーロー版で
犯罪組織クライムと戦うために国際機関が作った4人の秘密部隊がジャッカー電撃隊で
前作と似ているが、前作と大きく違うのは、この4人が純粋な生身ではなくサイボーグという点。

つまりは前作よりも物語をスケールアップしたつもりだったのでしょう。
前作は敵が改造人間のような怪人で、つまりサイボーグ。半分機械半分生身。
それと戦うヒーローは生身に強化服着用の5人チーム。
それに対して、今作の場合は、敵怪人は全身機械のロボット。
ならば、それと戦うヒーローは半分機械半分生身のサイボーグの4人チーム。
前作よりも味方も敵も強い。どうだ?すごいだろう?というわけなのでしょう。

まぁ、これはこれでアリだと思いますが
この「サイボーグ」というのがミソで、これはつまりいわゆる「改造人間」
当時「改造人間」といえば仮面ライダーで、
生身の身体を失った悲哀を滲ませて戦うのがカッコいいヒーローだった。
こういうサイボーグ観をそのままジャッカー電撃隊にもあてはめて
4人とも生身の身体を失った悲しみを秘めて戦うという設定になったのです。

これがなんとも暗かった。まぁ暗いからって悪いわけじゃないんですが
とにかく前作がムチャクチャ明るい「ゴレンジャー」だったもんでギャップが大きかった。
今なら「スーパー戦隊シリーズって毎年作風がガラッと変わるものだ」とフォローしてもらえるが
当時はシリーズという認識も無く、ただ単に「ゴレンジャーの後番組」でしかない。
ゴレンジャーはとにかく恐ろしく人気のあったお化け番組だったので、その後番組というだけでツラい。
その上、ゴレンジャーと全然トーンが違って暗いわけだから
ゴレンジャーみたいなのを期待してた人達は「あれ?」と思って観なくなってしまった。
視聴率はガクッと落ちてしまった。

それで焦った制作サイドが途中から急激な路線変更をして
どう見ても前作の新命さんにしか見えない番場壮吉ビッグワンなるヒーローを登場させて
ジャッカー4人をその手下にしてしまい、
もう全然当初のコンセプトと違う娯楽色の強いドラマにしてしまった。

これで内容はグダグダになり、結局途中で打ち切りとなって、
後番組は戦隊でもなんでもない「不思議コメディーシリーズ」の先祖のようなホームコメディになった。
ここで一旦、スーパー戦隊シリーズは途絶えたのです。
というか、実際はゴレンジャーとジャッカーはシリーズの先祖のような作品であって
シリーズはバトルフィーバーから始まるのがホントのところ。
1990年代半ばまでは実際公式にもそうなってたし。
でも今は東映がゴレンジャーを第一作とするように歴史認識を変えてるのでそれに従います。

scan012-2.jpg
で、カレンさんですけど。
「生身の身体を失った悲しみ」なんてものをわざわざ背負ってまでサイボーグになるということは
ジャッカーの4人はみんな、やむにやまれぬ理由でサイボーグになってます。
カレンの場合、もともとは麻薬捜査官で、クライムの報復によって父を殺され自分の両腕も失って
それで仕方なくというのもあり、また復讐心もあって自ら志願してサイボーグ手術を受けます。
なんとも暗い。別に父まで殺さんでもと思うが、シリアス設定にしたかったんでしょう。
じゃあ、その悲しみを内に秘めた演技に期待するしかないわけですが
あんまりそういうのは描写されませんでした。

カレンを演じたのはミッチー・ラブさんというJACのアクション女優で、
日本人とアメリカ人のハーフだそうです。
当時はまだアメリカ施政下だった沖縄出身なので国籍はアメリカですね。
カレン水木というキャラも外国人設定です。
やっぱり前作のペギーと同じく、まだ「純日本女性の戦う変身ヒロイン」というのは受け入れ難かったようです。
外国女性で、しかも麻薬捜査官というプロの戦闘的職業。
こういう女性でないと、変身ヒロインとしては不自然だったのです。
しかし、カレンもまたペギーと同じ18歳。
18歳で麻薬捜査官ってやれるのか?何故、東映はこんなに18歳にこだわるのか?

まぁとにかくミッチー・ラブさんはまずカレンが外人設定ということで
前作のペギーを小牧りさが演じることよりはリアリティは有りました。
またアクションは素晴らしい。本当に素晴らしい。

やっぱり戦隊シリーズはアクションが要ですから、生身アクションも充実させたい。
そのために、1990年代半ばぐらいまではそれなりにアクション出来る人を
戦隊メンバー役にはキャスティングしてました。今はもうイケメンばっかりですけど。
しかしヒロインに関してはなかなかそうはいきませんでした。
アクション出来る女優さんの絶対数が男性に比べて圧倒的に少ないからです。
それでヒロインのアクション面ではシリーズの早いうちからかなり妥協せざるを得ませんでした。
しかし、この「ジャッカー」の頃はまだそういう妥協は考えていなかった頃なのでしょう。
ミッチー・ラブさんは素晴らしいアクションをしてます。4人の中で一番かもしれない。
本気でアクション重視の作品を作ろうとしていたのでしょう。

しかし、その反面、演技力はあまりありませんでした。天は二物を与えずです。
そのため、「生身の身体を失った悲哀」というやつが、なんだかよく分からなくなりました。
かといって、ゴレンジャーみたいに面白い作風でもないので、
そういうシリアスな芝居が出来ないとなると、キャラの動かしようもなく
なんだかアクションばっかりしてる人になってしまいました。
その上、後半は番場壮吉劇場になってしまったので、すっかり存在感が無くなってしまい
カレンはかなり影の薄い戦隊ヒロインとなってしまったのでした。

なお、最終盤になって急にレッド戦士であるスペードエースと恋愛フラグが立ちますが、
これはスペードエース役の丹波義隆(丹波哲郎の息子)と
ミッチー・ラブがプライベートで付き合ってたことと
関係があるのかないのかよく分かりません。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 17:27 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月13日

花忍キャプター3

cap5.jpg

1976年に放送された「忍者キャプター」という作品に出て来る戦う変身ヒロインです。
この作品はスーパー戦隊シリーズにはカウントされていないので「戦隊ヒロイン」ではないです。

1975年に「秘密戦隊ゴレンジャー」を大ヒットさせた東映は
この新しい「集団変身ヒーロー」というジャンルで翌1976年から1977年には数多くのドラマを作ります。
カゲスターとか、アクマイザー3とか、キョーダインとか、先述のジャッカー電撃隊などです。
これらの中で最も早く作られ、最もヒットした作品が「忍者キャプター」です。
内容的にはゴレンジャーのフォーマットを東映お得意の忍者ドラマに応用したようなもので、
後の戦隊シリーズとほぼ同じと言っていいでしょう。

ただゴレンジャーとは放送局も放送枠も違っており、
石ノ森章太郎原作という名目のゴレンジャーとは違い全くの東映オリジナル作品であったので
ゴレンジャーの後継番組ではありませんでした。
ゴレンジャーの後継番組は先述のジャッカー電撃隊です。
むしろ、このキャプターは初めての八手三郎(東映プロデューサー共同ペンネーム)原作作品なので
同じ八手名義である後のスーパー戦隊シリーズの直接の先祖にあたる作品です。
しかし放送局が違うので、キャプターはスーパー戦隊シリーズにはカウントされません。

キャプターはテレビ東京系で放送されており、全国ネットではなかったが
放送してる地域では結構人気はあったようだ。
かなりチープで雑な作りなのだが、とにかく勢いがあった。
それで1年近く放送していたのだが、突然打ち切りのような形で終わった。
色々、スポンサー関係で大人の事情があったようです。
やっぱまだシリーズ化されてないので不安定だったのですね。

このキャプター打ち切りの後番組が怪傑ズバットで、
キャプター打ち切りの2ヶ月後にゴレンジャーが終わってジャッカーが始まった。
そしてズバットが打ち切りになった後、
ズバットで主役やってた宮内洋がジャッカーの番場壮吉になったのです。

このキャプターはゴレンジャーとほぼ同じフォーマットでやっていたので
当然、モモレンジャー的な変身ヒロインがいた。それが花忍キャプター3です。
キャプターは現代の忍者戦隊のようなものでメンバーは7人。
火忍とか水忍とかいます。紅一点が花忍で、コードナンバーはキャプター3です。
花を使った忍術で戦います。桃色を使ったスーツ姿で、モモレンジャーの忍者版と考えればいいです。
まぁ厳密には変身といえるのかどうか微妙で、強化服ではなく単なる現代風忍者装束であるようです。
ヘルメットもバイザー状になってて上に上げて素顔を見せたりもします。

キャプターの物語は第一部の風魔忍群との戦い篇と第二部の甲賀忍群との戦い篇に分かれており
敵首領を演じてる俳優が風魔も甲賀も同じだったりしますが
とにかく第一部と第二部で花忍が別人だったりします。

第一部で花忍になるのは桜小路マリアという人で、天堂家で働く16歳のお手伝いさん。
ちなみに天堂家というのは忍びの名門の家で、キャプターを組織している。
この手伝いさんのマリアが花忍になるのだが、
その主な仕事はキャプター最年少の風忍(15歳)のお守役というのどかなところがいい。
明るい性格で、どうも日本人とアメリカ人のハーフらしい。
まさに忍者版のペギー松山といっていい。

このマリアが風魔忍群を壊滅させて戦いが一旦終わった段階で
アメリカに留学していなくなってしまい
花忍の後釜に入って来たのが天堂家の当主の孫娘の天堂美樹。15歳。
この美樹は第一部からずっと出てたんだけど、キャプターの一員ではなく
あくまで当主の家のお嬢様という感じで皆の戦いの手助けをしてたんですが
それが第二部からは最前線に立って戦うことになったという感じです。
性格はマリアに比べれば、おっとり系でしょうか。

とにかく彼女らは2人とも現代の忍者なので、もともと戦士として戦う資格を持っていたといえます。
忍者の世界ではもともと「くのいち」として女戦士の存在は当たり前のものなので
戦うヒロインの存在は全く無理は無い。
まぁ他に特に花忍については特筆すべき点は無いです。キャプター自体がかなりぬるい話なので。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 22:26 | Comment(1) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月14日

初代ミスアメリカ

初代ミスアメリカ.jpg

























1977年暮れに「ジャッカー電撃隊」が打ち切りになった後、
東映はあれほどたくさん作っていた変身ヒーロー作品を一旦作るのをやめていました。
もうブームは過ぎたという判断でした。

この時期の世の子供たちに人気であったのは、
コンバトラーVやボルテスVのような巨大合体ロボットアニメでありました。
また、1977年には「スターウォーズ」が公開され、
日本では「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版が一大ブームを巻き起こしていました。
つまりSFブームの到来です。
1979年にはこのSFブームと巨大ロボットが合わさって
「機動戦士ガンダム」が生まれてSFロボットアニメは1つの文化にまでなります。

「ジャッカー」が惨敗したのは、こうした時代の流れに負けたともいえます。
そういうわけで東映も「ジャッカー」以降、変身ヒーローを作るのを躊躇しました。
その代わりにSFブームに乗っかって、
SFの本場アメリカの映画会社と組んでSF作品なんか作ってました。
「スターウォーズ」のバチモンみたいな「宇宙からのメッセージ」とかです。

そういったアメリカ風のコンテンツとのお付き合いの過程で
米マーベル社と互いの権利を持つキャラクターを3年間自由に使える契約を結んだので
東映はまず1978年にマーベル社の人気キャラであるスパイダーマンを
日本で実写ドラマ化して放送することになりました。
放送局はキャプターと同じテレビ東京系でした。

しかしスパイダーマンというキャラが日本でウケるかどうか東映は自信が無い。
ただでさえ変身ヒーローは時代遅れじゃないかという不安がある。
そこで当時の日本で人気の搭乗型の巨大ロボットという要素を加えることにしました。
原作のアメリカ版のスパイダーマンは巨大ロボットになんて乗りませんが
日本のスパイダーマンは等身大戦でちょっと戦った後、
巨大ロボットで敵の巨大ロボットを倒して勝利します。
これが大好評で、東映はすっかり気を良くして、このシリーズの第二弾を企画しました。

つまりアメコミ風のヒーローが巨大ロボットを駆使して戦うというやつです。
ここに東映はゴレンジャーやキャプターで培った集団ヒーローものというノウハウを加味しました。
こうして生まれた企画が「バトルフィーバーJ」でした。
そういうわけで彼らはゴレンジャーのような統一性の強いスーツ姿ではなく
みんなバラバラな印象のアメコミ風のキャラクターなのです。
そして、あくまで最大の売りは巨大ロボットでした。

これはもともとは「スパイダーマン」の後番組としてテレビ東京系でやるはずだったのですが
色々と大人の事情があって「ゴレンジャー」「ジャッカー」と同じテレビ朝日系でやることになり
1979年2月から1980年2月まで1年間放送されました。
当初は半年放送予定が1年に延長されたぐらい好評でした。
この作品が大好評となったので、巨大ロボット商法を組み込んだ新たな集団変身ヒーローもののシリーズが
ここからテレビ朝日系で始まることとなったのです。これが「スーパー戦隊シリーズ」です。

bfj-1-02.jpgこの「バトルフィーバーJ」における戦隊ヒロインがミスアメリカです。
バトルフィーバー隊というのは秘密結社エゴスと戦うために国防省とFBIの精鋭が集められた秘密部隊なのだが
アメコミを意識した作風となっているため、メンバーはかなりくだけた感じの設定になっている。
国防省だとかFBIだとかの、そんなお堅い組織のメンバーには見えない。
だいたいダンスのパワーで戦うとか、かなり絵的にヤバい。すごく間抜けです。
個性的な登場人物たちがドタバタと繰り広げる、かなりコミカルな作風なのです。

そうした中ではミスアメリカの影は当初は薄かった。
ミスアメリカに変身するのはダイアン・マーチンという元FBI捜査官です。
またペギー松山と同じタイプです。戦闘のプロ女子で外国系。
しかも今回はハーフでなく、純外国人です。
他のメンバーがアフリカとかフランスとかいってみんな日本人だったのに、彼女だけ外人でした。
当然、女だからといって特別扱いなどされません。
本人もクールな感じなのですが、それにしても出番自体が少なかった。主役エピソードもほぼ無し。

演じていたのはダイアン・マーチンという売れっ子外人モデルさんでした。
役名と演者名が一緒です。なんともテキトー感が漂います。
しかもこのダイアン、東映がヒーローショーで出入りしていた後楽園遊園地で仕事していました。
なんか、一人女性メンバーを入れなきゃならんので、国際色をつける意味でも
内輪でテキトーに美人の外人モデルがいたのでやってもらったという匂いがプンプンします。
演技力とかハナから度外視してるキャスティングなので芝居の中でほとんど使えなかったようです。
さすがにルックスは素晴らしいですけどもね。
いかんせんヒロインとして印象が薄いです。

一応、登場はドラマチックで、一緒に来日してた同じくFBI捜査官の父をエゴスに殺されてます。
それがきっかけでバトルフィーバー隊に入るのですが、その後は尻切れとんぼ。
結局、このドラマが好評につき半年放送予定が1年放送に延長された際、
残り半年の売れっ子モデルのダイアンのスケジュール調整がつかなくなり、ダイアンは半年で降板し、
ダイアン・マーチンという劇中キャラもエゴスに正体がバレたので除隊してアメリカに帰ることになった。
この顛末を描いた最終登場エピソードがダイアンの初の主役エピソードでした。
で、ミスアメリカは二代目の汀マリアに引き継がれることになったのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2010年12月15日

二代目ミスアメリカ

二代目ミスアメリカ.jpg





















「バトルフィーバーJ」の24話で
アメリカに帰国してしまったダイアン・マーチンから
ミスアメリカに変身する立場を引き継いで新たにバトルフィーバー隊に加入したのが
元FBI捜査官の汀マリアさんです。

マリアもダイアンと同じFBI捜査官だったわけですね。
FBI捜査官ってことはアメリカ人ということなんでしょう。
アメリカ人以外がFBI捜査官はやらんと思うので。
単にアメリカ国籍を取得した日本人なのか、日系人なのか、ハーフなのか、
とにかく国籍はアメリカで、アメリカからやってきました。しかもFBI捜査官。
つまり、ペギー松山タイプのクールビューティな戦闘プロ女子の外国系女です。

マリアはどうもダイアンの亡き父のFBIにおける教え子だったようで
その縁もあってか、ダイアンの妹が来日した際に護衛でくっついてきます。
ところがその妹がエゴスに誘拐されて、そのトラブルの中でダイアンが負傷し
ダイアンがミスアメリカであるという正体もバレます。
この時、ダイアンが負傷した自分の代わりにミスアメリカをやってくれとマリアに頼みます。
父の弟子だったので信頼したんでしょう。この時は1回限りという話だったんですが。
で、結局、事件解決後、正体がバレたダイアンは
戻って来た妹と一緒にアメリカに帰国して隠れることにして
代わりにマリアが日本に残ってミスアメリカをやることになったのです。

まぁ実際はダイアンが想定外の降板をしたので、
そのキャラ設定をほぼそのままマリアが引き継いだことになります。
つまり、元FBI捜査官のクールビューテイ系戦闘プロ女子外国系。
ただ、マリアを演じた萩奈穂美さんはデビュー後5年くらいのれっきとした女優で
モデルが本業だったダイアンとは違ってかなり演技が出来たので
初代のダイアンよりも二代目のマリアの方が、かなりキャラが立っていた。

n-maria013.jpgルックスだけならダイアンの方が上だとは思いますが、やはり演技力は重要です。
その演技力に加えて、萩さん自体のキャラも加わって
マリアは凛としてクールビューティでありながらも愛嬌もそれなりにあり
明るく可愛らしい一面もあり、概して活発で積極的に行動し、しかも華もある。
身体も小柄ながらムッチリ系でミニマムグラマー。
つまり、制作サイドとしては、結構動かしやすいキャラでした。

そういうわけで、マリアは結構、主役エピソードが多く
マリア加入後の「バトルフィーバーJ」後半は、
各キャラの主役エピソード数のバランスがとれるようになりました。
というか、マリアは物語後半を引っ張ったキャラの1人だったといえるでしょう。

ところで、マリアの変身するミスアメリカですが
やっぱり食い込みレオタードが、あまりにも特徴的です。
顔型マスクもインパクトありますが、やっぱり股間ですね、アメリカの場合は。
アメコミ風キャラということでこういうことになったんでしょうが
これは戦隊シリーズの他の戦隊ヒロインには無い特徴で、今後も無いでしょう。

また、このバトルフィーバー隊のコンセプトも異質で
世界中のダンス格闘技のエキスパートの集まりという爆笑設定。
ミスアメリカはディスコダンスを基にした格闘技で、武器は何故か手裏剣です。
しかも食い込みレオタード。もうワケが分かりません。
そもそもどうしてアメリカなのかも分かりません。
アメリカ・オセアニアを代表する戦士らしいのですが、何のこっちゃ。
ダイアンやマリアがアメリカ出身なのと関係あるような無いような。
このあたりの大雑把さがいかにもアメコミ風ヒーローっぽくて面白い。
作風の明るさもアメコミヒーローならではです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 10:21 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月16日

デンジピンク

デンジピンク.jpg























「バトルフィーバーJ」のヒットを受けて、同じ放送枠で後番組として
同じような5人の集団変身ヒーロー&巨大ロボットのドラマが作られることになり
1980年に作られたのが「電子戦隊デンジマン」です。
「バトルフィーバーJ」は、あくまでアメコミヒーローの戦隊版という感じでしたが
この「デンジマン」から完全に、「ゴレンジャー」から受け継いだカラーを濃くして
いわゆる「戦隊」のフォーマットになっていきます。
各メンバーが明確に色分けされたり、全身同系色のスーツとゴーグル付ヘルメットとか。
変身アイテムの導入なんかはゴレンジャーにも無かった新たな特色だったりします。

ただ、なんといっても「デンジマン」で画期的だったのは
SFブームに乗っかってスペースオペラ風の本格SF的設定を初めて導入したこと。
それまではゴレンジャー、ジャッカー、バトルフィーバーは共にスパイアクションがベースになっていて
敵は犯罪組織で、戦隊側はあくまで平時の警察活動的に対処してたんですが
デンジマンの場合、敵は宇宙から攻めてくるエイリアンの侵略者軍団で、地球防衛戦争の様相となってくる。
この「宇宙からの侵略者と戦う戦隊」というのが初期戦隊の1つの定番フォーマットになります。
これ、SFブームもあるけど、多分、1979年にソ連のアフガン侵攻なんかがあってソ連脅威論が高まって
「巨大帝国の大規模な侵略の脅威」というのがこの後の時期、結構リアリティがあったからだと思います。

さて地球防衛戦争風味とはいってもデンジマンの場合、戦隊側は軍隊というわけではありません。
スペースオペラなのでもっとロマン溢れる設定になってまして
その侵略者ベーダーにかつて滅ぼされた惑星デンジ星の生き残りの子孫が地球に住んでいて
彼らが地球を守るために集められて戦うという、なんともロマンチックな話です。
つまり宿命の戦士たちです。

ただ彼らの先祖のデンジ星人が地球に移住してきたのは遥か昔で
その子孫といっても山ほどいます。地球人とも混血してますし、家訓みたいなのがあるわけでもない。
つまり彼ら5人は自分がデンジ星人の末裔とも知らないし宿命の戦士だとも知らない。
だから全く普通の一般人として暮らしていた。
ただデンジ星人から受け継いだ因子が特別に発達していて、特殊な潜在能力がある。
そのためなのか、他の人より知能や運動神経などはいくぶん発達していた。
それにしたって、単に他人より才能に恵まれた人という程度で、特別な存在ではなかった。
本当はその才能はデンジマンになるための才能なのだが、そうとは知らず平和に民間人として暮らしていた。
それがベーダーの地球侵攻をキャッチして起動した
デンジ星人の残したコンピューターが5人を選び出しデンジマンになるよう求めたのです。

090711-2.jpgこうして結成されたデンジマンのメンバーは、武道家、サーカス団員、大学生、元刑事、テニスプレイヤー。
このうち紅一点の戦隊ヒロイン、デンジピンクに変身する桃井あきらはテニスプレイヤーでした。
運動神経は抜群でデンジマンになれる特殊能力も持ってますが、
彼女は特別に戦士として訓練してきたわけじゃないです。
その点、ペギーやカレン、ダイアンやマリアらとは違います。プロ戦士じゃないのです。
そのことを象徴するかのように、あきらはシリーズで初めて全くの純日本人ヒロインでもあります。
つまり戦士としての背景が全く無い普通の女性なのです。
あきらも最初は戦うことを嫌がりますが、慕っていたコーチがベーダーに殺されたりして脅威を実感し戦いを決意します。

そういう一般女性が強大な侵略者を相手に男の戦士たちと同等の立場で最前線で戦うという発想は当時はまだ新しかった。
物語の中ではそういう普通の女性は守られる立場であり、主役の男性ヒーローを脇からサポートする立場でした。
ウルトラシリーズのヒロインや、マジンガーZなどのロボットアニメのヒロインもそうでした。
これらは戦闘がスパイアクションなどに比べて大規模で、ほとんど戦争という点も共通してました。
やはり本格的な戦争に女性が参加するというのが当時はまだ想定外だったようです。

これらに出て来るサポート系ヒロインは、勇敢で有能ではありましたが、
基本的に能力的に男性ヒーローより劣っていて、か弱く、女性らしさが強調されたキャラでした。
グラマーな美女で官能的でした。クールビューティーとは違います。
もっとなまめかしく、身近な感じがします。容姿的には高嶺の花なのですが、ガード自体は緩い感じ。
いうなれば、悪ガキキャラに毎回、スカートめくられたりお尻触られたりしちゃうタイプです。

スカートめくりまではされてませんが、あきらもそういったタイプのヒロインでした。
ものすごい美人でグラマーでした。
そしてシリーズ初のミニスカート。ホットパンツじゃないのがポイントです。パンチラしまくります。
容姿だけならあきらより上のヒロインもいるでしょうけど、
匂い立つ色気やスキの多さというのが異様なほど突出してます。
つまり、極めて肉感的、官能的で女性ホルモンが出まくってます。
基本的に力も弱く、よく敵にやられそうにもなり、男性メンバーに助けられます。
そんな危なっかしい女性が変身して最前線で戦うわけですから、現在、一部マニアにはかなり人気あります。

しかし、別にそれは当時狙ってそういう風にしていたわけではなく
当時のヒロイン像の制約の中で「桃井あきら」という一般女性設定のキャラを作った結果、
必然的にそんな感じになっただけです。
そういうキャラであるあきらは、メイン視聴者である男児たちにはあまり人気はありませんでした。
「デンジマン」という作品自体は好評だったのですが、デンジピンクというヒロインはあまり人気は出ませんでした。

男児たちは強いヒーローの活躍を見たいのです。
サポート系ヒロインが嫌いというわけではありませんが、それはあくまで脇に一歩引いているからです。
弱いくせに真ん中に出て来て、出しゃばられると邪魔に感じます。
それに、あんまり大人の女性の色気をプンプン撒き散らされても鬱陶しいものです。
男児たちのツボとはちょっと違うのです。
制作サイドも、作りながら、なんか違うと感じていたのでしょう。
そういうわけで、シリーズ次の作品である「サンバルカン」では戦隊ヒロインは無しになります。
タグ:デンジマン
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2010年12月17日

嵐山美佐

scan001.jpg「デンジマン」の後を引き継いで1981年に作られた「太陽戦隊サンバルカン」は
バトルフィーバーから数えて3作品目ですが、このあたりから「戦隊シリーズ」という概念が生まれます。
前作「デンジマン」は壮大なSF設定を盛り込んだのですが全部消化しきれたわけではありませんでした。
そこで「サンバルカン」ではSF設定を引き継ぎつつ、もう少し設定をスッキリさせました。
機械帝国の侵略に立ち向かうのは陸海空の軍隊から選ばれた3人の精鋭。
宿命とか戦う動機がどうとか、そういう難しい話は抜きです。非常に分かりやすい。
実際、この頃の戦隊シリーズは、まだ物語に凝るとかいう段階ではなく、
他にやるべきことが目白押しでした。アクションとかロボットとかの質を高めるべき時期でした。
そういう意味で「サンバルカン」という作品の成果は大きいです。
初めて合体ロボットを登場させたのもこの作品です。
またレッド戦士が剣で戦う剣豪キャラというシリーズお馴染みのパターンもこの作品が最初です。
そして陸海空軍のそれぞれの出身にちなんだイーグル・シャーク・パンサーという動物モチーフの始まりもこの作品です。
戦隊のフォーマットが大きく完成に近づいた画期的作品だといえます。

ストーリーの方は単純明快。体育会系で明るく楽しく燃える。ヒーロードラマの王道です。
なんといっても特徴的なのがメンバーが男ばっかり3人という点。
3人にしたというのは、ストーリーをシンプルにし、一人一人を丁寧に描写するためで、これは成功でした。
実際、5人より3人の方が物語を作りやすい。5人だと全員ちゃんと描くのは難しく空気キャラが出ることが多い。
その点、3人はいい。この後もシリーズで3人戦隊という試みは何度もあります。
ただ、その3人を男ばかりにしたのはこの「サンバルカン」のみです。
まず陸海空の軍隊から最精鋭を1人ずつという設定で、
女が選ばれるというのはいくらフィクションでも当時はまだ不自然でした。普通は男でしょう。
それから、前作「デンジマン」の戦隊ヒロインの桃井あきらがあまり好評でなかったのもあります。
巨大帝国の侵略と戦う全面戦争において女性が最前線に立つというのが描きにくかったのです。
どうしても女性は弱さが目立ってしまう。そのあたりをどう処理するか、まだ整理がついていませんでした。
それで、いっそヒロインは変身しないサポート系のヒロインでいいんじゃないかという感じになったのです。

そういうわけで「サンバルカン」にはヒロインはいますが、変身ヒロインではなく
サンバルカンチームの司令官である嵐山長官の娘でチームの秘書を務める嵐山美佐がヒロインです。
司令官の娘キャラといえば、マジンガーZの頃からロボットアニメではお馴染みのサポートヒロインの王道的ポジションです。
美人で真面目で頭が良くて、優しいけど気が強くて勇敢で、
結構無茶してピンチになって主人公に助けられたりするキャラです。
そしてお色気担当でもあります。
前作「デンジマン」の桃井あきらが変身ヒロインでないというような感じです。
嵐山美佐さんはそういうキャラです。
よく水着になってピンチになったりします。
ある時など、自ら戦おうとして白レオタードのコスプレで戦ってピンチになったりします。
「白バラ仮面」などと自称してましたが、すごくチープで怪しかったです。
でもまぁ基本的にお留守番で脇役です。だから戦隊ヒロインではないし、見せ場も少なめです。

まぁ美佐さん自体が不評だったわけではないのですけど、
戦隊ヒロインを復活させてほしいという要望の声がだいぶ大きくて、
次の作品「ゴーグルファイブ」以降、戦隊ヒロインが定番となり、
美佐さんのようなサポートヒロインは基本的にはいなくなります。まぁ時々それっぽい人はいますけど。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2010年12月20日

ゴーグルピンク

ゴーグルピンク.jpg






















「サンバルカン」に続いて1982年にシリーズ4作目として作られたのが「大戦隊ゴーグルファイブ」です。
この作品は前作の3人戦隊から5人戦隊に戻りました。
理由は、後楽園遊園地のヒーローショーが3人より5人の方が盛り上がるから。
とにかく、この作品で戦隊シリーズの基本的なフォーマットは完成しました。
そして、非常に視聴率の良かった作品でもあるこの作品で、戦隊シリーズは世間的に大いに認知されるようにもなりました。

お話は至ってシンプル。
暗黒科学帝国による世界征服を阻止するために未来科学のコンピュータが選び出した5人の若者が
未来科学の粋を集めたゴーグルスーツに身を包んで正義のために戦うというもの。
単純な勧善懲悪で、他は特にひねりもありません。
戦隊メンバーの前歴が、冒険家、将棋の棋士、アイスホッケー選手、山師、新体操選手というふうに
やたらバラエティに富んでますが、特にキャラを掘り下げるということもありませんでした。
ひねりのない明快さと、アクションに新体操を採り入れた斬新さ。そして一部キャラの魅力。
これらによって、かなり無難で安定した人気を獲得した作品です。
ハッキリ言って深みは無いので後世の評価は高くないですが、リアルタイムではホントに人気ありました。

そして、この作品で「サンバルカン」では一旦無くなっていた戦隊ヒロインが復活しました。
これは女児を中心に変身して戦うヒロインを復活してほしいという要望がテレビ朝日に多く寄せられたからです。
男の兄弟の付き合いで戦隊を観る女の子もいるわけで、
そういう女児たちには感情移入できる女のメンバーはいた方が嬉しかったんですね。
5人戦隊に戻さねばならないという流れの中で戦隊ヒロインも復活という運びとなりました。
つまりゴーグルピンクに変身する桃園ミキの登場です。

ただクリアすべき問題は残っていました。
また「一般人が選抜されて戦隊メンバーになる」という設定であるため
「デンジマン」の桃井あきらの再来になってしまう可能性が高かったのです。
桃井あきらはテニスプレイヤーで、桃園ミキは新体操選手。設定からして似ています。
その桃井あきらの問題点は「一般人女性は弱い」ということでした。
授けられた戦隊の能力は強くても、基礎体力が弱く、戦士としての精神面も弱い。
普通の女性は優しくて戦いには向いていない。そういうのが当時は常識でした。
だから女は男に守られるもの。男に頼るもの。そうなると自然に色気が強調されたりします。

scan006.jpg桃園ミキもそうなった可能性はあります。
もともとは早坂あきよさんという女優さんが演じる予定でした。割と肉感的な人でした。
この作品、あんまりキャラ設定をちゃんとしてないので、役者のイメージに引っ張られた可能性が高いです。
しかし早坂さんが事情で出られなくなり、急遽、モデルの大川めぐみさんがミキを演じることになりました。
大川さんはすごく華奢で細くて、どう見ても強くなさそうで色気もあんまりありませんでした。
お色気を強調した桃井あきらタイプではやっていけそうにありません。
もうただ弱いだけのヒロインになってしまいそうです。
ここから逆転の発想で、「弱いからこそ強いヒロイン」が生まれます。

確かに桃園ミキは弱い。
弱いのにそれでも戦おうとするということは、精神的にものすごく強いのです。
ミキがそれまでの戦隊ヒロインと決定的に違う点が1つあります。
それまでのヒロインはペギーにしろカレンにしろダイアンにしろマリアにしろあきらにしろ
皆、戦隊に入る以前に、自分の親しい人が敵に殺されてました。そういうのも戦う動機になってたのです。
しかしミキにはそういう事情は何もありません。
ただコンピューターに選ばれたと聞かされて、二つ返事で了承します。普通有り得ないですね。
個人的動機も無く戦う。純粋に使命感だけなのです。

なんでそういうことが出来るのか。他の4人もそうなんですが、特にか弱い女性のミキの場合際だちます。
それは見返りを求めない愛の強さゆえです。何に対する愛かというと、人類愛みたいなものですが
この場合、見返りを求めないという女性の愛という点で、母性愛に近いでしょう。慈愛と言ってもいい。
慈愛の強さゆえに誰よりも強く純粋な精神でひたむきに戦い、それゆえ弱い女性であいながらも奇跡的な強さを発揮する。
これが桃園ミキの強さであり、女性ならではの新しい形の強さでもある。
新しいタイプのヒロイン像の誕生でした。
子供も本当はこういう「優しくて強いお母さんやお姉さんタイプ」のヒロインが好きだったのです。
クールビューティやお色気ヒロインというのは、むしろ大人が好きなヒロインなのです。

いや、こういうミキ的な「女性だからこそ強い」というタイプのヒロインの系譜も実はありました。
古くは「リボンの騎士」から始まり、「ラ・セーヌの星」に受け継がれていたタイプです。
これが桃園ミキで実写特撮ヒロインの世界に開花し、その後、戦隊ヒロインの基本的性格になります。
更に、この桃園ミキのタイプの戦隊ヒロインはポワトリンなどの美少女仮面シリーズを経て
セーラームーンやプリキュアなどの日本特有の「美少女ヒロイン」というジャンルを生み出す基にもなったのです。

そういうわけで、桃園ミキというヒロインはヒロイン史において極めて重要なキャラなのです。
だから、人気の高いヒロインで、今でも根強い人気があります。
まぁそういう事情抜きで普通に見ても可愛いんですが。
とにかく、この桃園ミキは「戦隊ヒロイン」「特撮ヒロイン」という存在を一般的に認知させることに成功した最初のキャラとなります。
つまり、大人の「戦隊ヒロインファン」「戦隊ファン」というもの、
まぁいわゆる特撮オタクというものを生み出すきっかけとなったキャラでもあります。
その点は同時期に始まった宇宙刑事シリーズの貢献も大きいですが。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2010年12月21日

ダイナピンク

ダイナピンク.jpg

























「ゴーグルファイブ」で基本的なフォーマットをほぼ完成させた戦隊シリーズは
1983年の「科学戦隊ダイナマン」から新たな展開を目指しました。
簡単に言うと、ゴーグルファイブで出来たフォーマットの上にドラマ性を高めていこうとしました。
ただ、「ゴーグルファイブ」が視聴率はやたら好調だったのに玩具売上で大コケしたので
まだこの「ダイナマン」では慎重なスタートとなります。

あらすじは、地底の有尾人帝国ジャシンカの地上征服の企てを阻止するために
夢野博士という科学者が5人の若き知力体力に優れた発明家たちを選抜し、
自分で作ったダイナスーツを着せて戦わせるというもの。
前作と同じく、この5人は敵であるジャシンカと何の因縁もありません。戦闘経験も無し。
ただひたむきな正義感と人類愛で二つ返事で引き受けます。
そういうわけで、この5人については物語の掘り下げようがなく、
単なる、絵にかいたような正義のヒーローであります。

この「ダイナマン」でドラマ的に掘り下げられたのは敵のジャシンカの方。
ドロドロの愛憎劇が大きなスケールで描かれます。
これはもともとスーパー戦隊シリーズが合体ロボ作品として参考にしていた
ロボットアニメに特徴的だったSF大河ドラマ的なドロドロの愛憎劇の影響です。
イケメンのダークヒーローや悪のヒロイン、野心家や忠義者など出て来て
裏切りと策謀が渦巻きます。ダイナマン5人はほとんどそれに巻き込まれてる感じ。
ただ、そういうどうしようもなくドロドロの悪の組織との対比でダイナマンの快活さが際立ち
爽やかな印象を残しました。
とにかくダイナマン側が直球だったのが良かったと思います。

そして、なんといっても「火薬戦隊」の異名通り、爆発、爆発の連続。
使った火薬量は歴代最高です。それだけの無駄ともいえる投資の甲斐あってか、玩具売上は大躍進し、
戦隊シリーズはバンダイの大事なお得意さんになり、シリーズは盤石へ近づきました。
シリーズ史上、重要な成功作となりました。

090719-6-2.jpgこのダイナマンの紅一点、ダイナピンクに変身するのが立花レイ。
若き発明家の卵で、動物と会話出来る装置を作ろうとしてるが猫が苦手。特技はフェンシング。
演じた萩原佐代子は凄い美人ですが、同じく美人だった前作の大川めぐみ同様、
劇中では美人キャラや、女性を強調したキャラとしては扱われてません。
あくまで前作で大川演じた桃園ミキというキャラが作りあげた「普通のお姉さんキャラ」です。

「普通のお姉さんなんだけど優しい正義の心で勇敢に戦う」という
女性ならではの優しさゆえに強いというキャラでした。
敵と戦う因縁など無く、戦闘経験も無いが、無償の愛の精神で戦うのです。
そういう点、基本的には前作の桃園ミキを踏襲したキャラなのですが、
ミキの場合、そうした「美少女ヒロイン」のパイオニアであったため
この特殊なタイプの強さを説明するために、前提として「弱さ」を見せなければいけませんでした。
しかし、ミキの後継者であるレイは、ミキの築いた土台の上でヒロインを演じることが出来たので
前提となる「弱さ」を見せる必要は無く、ストレートに「強さ」を前面に押し出すことが出来ました。

レイの基本設定自体はミキとほぼ同じだったので
ミキの印象を強く残している視聴者から見れば、レイがミキと同じタイプだということは見れば分かる。
だから「強さ」を強調してもプロ戦士キャラやクールビューティーキャラだと誤解される心配は無い。
「本当は戦い向きの人じゃないけど、子供たちを守るために頑張ってる人だ」と分かるわけです。
そういうわけでレイはミキよりもいっそう「強さ」を強調したキャラになりました。
髪型も女性らしさを強調するロングヘアーでなくボーイッシュなショートカットになり、アクションもかなり激しくなりました。
モデル出身の萩原さんには難役だったと思いますが、見事に演じきりました。

桃園ミキが切り拓いた戦隊ヒロインの新しい姿は、立花レイで1つの完成形を見たといえるでしょう。
この後も戦隊シリーズには魅力的なヒロインたちが何人も登場しますが
桃園ミキと立花レイがなんとなく別格扱いされているのは、オリジンの魅力というやつでしょう。
これ以降のヒロインたちがその多くが、ミキとレイの作りあげたヒロイン像の上に
更にそれぞれのコンセプトで肉付けを施していったキャラだといえるでしょう。
戦隊ヒロインの基本的性格を方向づけたのが桃園ミキと立花レイの2大ヒロインなのです。

以後の他の作品のヒロインは、当初は全然違った性格設定であったとしても、
結局は戦っていくうちにミキやレイのような基本的性格を有するようになるのです。
いや基本的性格というか、ヒロインとしての戦うスタンスというのが、どうしてもミキやレイのようになっていくのです。
もちろん、それぞれのストーリーに合わせてそれぞれのヒロインのオリジナルな部分は発揮されていくのですが
何処かミキやレイのイメージというものは残る。まぁそういう存在です。
決して絶対的なお手本というわけではないのですが、かなり普遍的イメージでもあるのです。
タグ:ダイナマン
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2010年12月22日

初代イエローフォー

初代イエローフォー.jpg





















1984年に作られたシリーズ第6作「超電子バイオマン」は
前年の「ダイナマン」の大成功の勢いを受けて、
遂にスーパー戦隊シリーズにおいて本格的なSF大河ロマンを実現しようとした作品でした。
それは第2作の「電子戦隊デンジマン」で完全には達成できなかった目標であり
その後、サンバルカン、ゴーグルファイブ、ダイナマンで戦隊のフォーマットを整え発展させて
そして遂に今作で「戦隊」の枠すら超えようという意気込みがあったのでしょう。
それで「超電子」であり、「戦隊」という言葉も外しているのでしょう。

あらすじは、マッドサイエンティストの作ったメカ人間の帝国「新帝国ギア」による世界征服を5人の若者が阻止するというものだが、
この5人というのが実はちょっとこみいった宿命の戦士たちで
過去に科学の悪用で滅びたバイオ星の人々が地球での科学の悪用を阻止するために送り込んだ
巨大ロボによって500年前にバイオ粒子という特殊なビームを浴びせられた者の子孫なのである。
つまり、このバイオ星の話とギアの話は本来は何の関係も無いのだが、
その巨大ロボがギアの活動を探知して500年ぶりに起動してバイオ粒子を受け継ぐ5人の宿命の戦士を集めるところから物語が始まるわけだ。

このように、この「バイオマン」という話はあらすじからして込み入っています。
逆に言えば、それだけ複雑なドラマが紡げるわけです。
実際、「バイオマン」は「戦隊」の枠を超えた本格SFドラマを志向していました。
例えば、敵組織が首領1人と幹部3人と怪人5人(他に刺客軍団や戦闘員などはいる)が基本構成で
毎回1回限り登場のやられ役怪人がいないのが大きな特徴です。
ただし巨大ロボットは毎回違うデザインのやつが登場します。
つまり、これは「正義の5人戦隊」VS「悪の5人戦隊」という構図になってます。
このレギュラー陣の入り乱れての抗争が延々と繰り返されるわけなので、ドラマ性は高まります。

そしてバイオマンの5人の方は「デンジマン」以来久々に「宿命の戦士」という要素を復活させてます。
これは非常にドラマチックな要素です。
このドラマチックな要素は、ヒロインにおいては「デンジマン」ではややマイナスに作用してしまったのですが
その後の桃園ミキや立花レイによって確立されたヒロインイメージを基本に据えれば問題点は払拭できます。
元来持っている真っ直ぐな正義感によって宿命をすんなり受け入れればいいのです。
そのようなヒロインを据えればいいのですが、「バイオマン」では初めてのヒロイン2人体制になりました。

scan18-2.jpgバイオマンの戦隊ヒロインはイエローフォーとピンクファイブの2人です。
そのうちイエローフォーには初代と二代目がいて、初代イエローフォーに変身したのが小泉ミカです。
ミカは先祖がバイオ粒子を浴びたカメラマンで、気が強く非常に活動的な女性で、格闘術とバイクの運転が特技。
バイオマンのサブリーダー格で、リーダーのレッドワン郷史朗とはよく意見が対立したりします。

ハッキリ言って、このドラマの主役は郷なのですが、ミカは準主役と言っていいでしょう。
これまでのヒロイン達はあくまで戦隊内では4番手か5番手ぐらいの位置にあり、物語の中軸ではありませんでした。
しかし、どうやらバイオマンにおいては郷とミカを中心にして物語を展開させようとしていたようです。
男女のちょっとしたロマンチックなストーリーも絡めていこうとしていたのでしょう。
最初は意見が合わず喧嘩ばかりだが、いつしか戦いの中で理解し合い、それが愛に変わっていくような感じでしょう。

そのためには、郷とミカはかなり存在感のある役者でないと演じられません。
郷役はこの時点で6年の役者キャリアがあり大河ドラマ出演経験もあり、本職は日本舞踊の師範でもありアクションもバッチリの阪本良介でしたから文句無しでした。
問題はミカの方で、これはあくまで戦隊ヒロインですから、単に美人で演技が上手いだけではダメです。
戦隊のサブリーダーであることに説得力を持たせるだけのアクションの技量が必要とされます。

まぁミカに限らず、やはり戦隊ヒロインは基本的にアクションが出来て強そうに見えたほうがいい。
メイン視聴者である男児は大人の女性の可愛さや美しさにはあまり興味はありません。
ヒロインなら、やはり強い方が評価が高いのです。
ミキは華奢だが心が強かったので良かった。レイは戦って強そうに見えたのでより良かった。
しかし、実際はレイのアクションのレベルで、演じた萩原さんはもうボロボロ、限界寸前でした。
萩原さんは普通のモデルで、アクションの経験など無かったので大変でした。
アクションの吹き替えの技術がまだそれほど発達していなかった時代であり、生身アクションも高いレベルが求められた時代です。よくやり遂げたと思います。

しかし、ミカに求められるアクションのレベルは、レイ以上でした。
もうここまでくると、普通のモデルや女優には無理です。アクション女優でないと出来ません。
しかもミカの場合、物語の中軸を担うわけですから、美人で演技力もあって存在感も無いといけません。
また年齢も郷たち他のメンバーと吊り合う若さでないといけない。
当時、それだけの条件にあてはまる若手のアクション女優は、矢島由紀と森永奈緒美ぐらいでした。
そのうち、森永は同時期「宇宙刑事シャイダー」にアニー役という重要キャストで出ることが既に決まっていたので
必然的に小泉ミカ役は矢島由紀ということになります。

というか、矢島は「シャイダー」の前作「宇宙刑事シャリバン」のベル・ヘレン役という当たり役で評価されたわけであって
宇宙刑事シリーズで2作連続して同じ女優がヒロインを演じるわけにもいかなかったので
「シャイダー」のアニー役は森永でいくしかなく、「バイオマン」のミカ役は矢島でいくしかなかったのです。

ところが、「バイオマン」の放送が始まってすぐ、突然、矢島は失踪してしまいます。
10話までは撮影が終わった段階でしたが、アフレコがまだだったので声の似ている女優に代役で声をあててもらい
10話は急遽脚本を変更してミカの殉職エピソードとし、矢島は10話で降板となりました。
殉職エピソードといっても、10話にはミカの変身前の姿は無く、変身後のイエローフォーだけが出て来て殉職してしまいます。
これで初代イエローフォーは物語が始まってたった10話でいなくなってしまいました。
失踪の理由は未だに謎のままで、矢島もそれ以来、完全に姿を消してしまい、行方も全く知れません。
タグ:バイオマン
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2010年12月23日

二代目イエローフォー

二代目イエローフォー.jpg




















「超電子バイオマン」の第10話制作時点で突然、イエローフォー小泉ミカ役の矢島由紀が失踪してしまったため、
第10話でイエローフォー小泉ミカは殉職という処理がされました。
しかしイエローフォーというキャラは年間通じて活躍する予定のキャラです。玩具などもその予定で販売予定が組まれてます。
だから開始10話でイエローフォーというキャラがいなくなるわけにはいきません。
このような戦士交代劇は、まだスーパー戦隊シリーズが4クール放送が固定されていなかった初期の頃は
役者のスケジュール調整がつかないという理由でしばしば起きていたことでした。
ヒロインの場合もミスアメリカという前例はあります。初代がいなくなるなら二代目を立てればいいのです。

しかしミスアメリカの場合はダイアンが半年で降板することはかなり前から分かっていたので
じっくり時間をかけて二代目を演じる萩さんをキャスティングする余裕がありました。
それに対して、このイエローフォーのケースは、矢島の失踪があまりにも突然であったため大変でした。
矢島が失踪した時点ではもう既に撮影の始まっていた第11話を急遽内容を変更して二代目イエローフォー登場回にしなければいけないので
二代目を演じる役者のオーディションをする余裕もありません。あちこち探している時間も無かったでしょう。
そもそも、そんな急に頼んでも、戦隊の仕事は事前に稽古などもしなければいけないので、普通の役者は受けません。
しかも条件はかなり厳しい。矢島の抜けた穴を埋めるわけですから、そこそこ美人でアクションが出来て、演技力があり存在感が無いといけません。
すぐに仕事を引き受けてくれそうな女優で、こんな条件を満たすような人が簡単に見つかるはずがありません。

ハッキリ言って無理でした。どう転んでもロクなことにはなりません。
こういう場合、引き受けた人が大変な目にあうことは避けられません。
ならば、そういう場合は新人役者を起用するしかありません。新人なら多少の無理は押しつけることが出来るからです。
だいたい、キャリア実力のある人はこんなケースで引き受けてくれません。
そういうわけで、前年「宇宙刑事シャリバン」の終盤にチョイ役で出演していた田中澄子という新人女優に頼むことになりました。
一応矢島と同じJAC所属でしたが、ほぼキャリアは皆無に近い新人役者でした。
もちろん、そういう全くの新人ならば他にも候補はいくらでもいた中で田中を選んだということは
何か光るものを感じたからなのでしょう。才能というよりは、戦隊ヒロインへの適性と、根性がありそうとか、そんなところでしょう。

scan013-2.jpgこうして二代目イエローフォーが誕生しました。矢吹ジュンというキャラです。
ただ、物語上で1つ問題がありました。
バイオマンというのは500年前にバイオ粒子を浴びた人の子孫ならば誰でもなれるというわけではなく
その資質を色濃く受け継いだ者しかなれないのです。
バイオロボ搭載のコンピューターが選び出した適性者は郷やミカら5人だけでした。だからバイオマンは5人だったのです。
それなのにジュンが途中からバイオマンになるというのは、明らかに不自然です。
これについては、ジュンはバイオロボが適性者を調査した時、日本にいなかったから、という理由で処理されました。
何か釈然とはしませんが、まぁ仕方ないでしょう。

結果的にジュンというキャラは、田中の奮闘もあって、なかなか良い戦隊ヒロインになりました。
準備不足もありますし、100点満点のキャスティングでもなかったので
桃園ミキや立花レイほどの存在感のあるヒロインにはなりませんでしたが、
期待が低かった分、遥かに期待以上で、十分合格点をつけられるヒロインとなりました。
ひたむきで純粋で、正義を愛し、人々を愛する優しさを持ち、勇敢で、それゆえ強さを発揮するという、
まぁ立花レイと同じタイプのヒロインだったといえるでしょう。

ただ、やはり当初、小泉ミカが担うはずであった役割を矢吹ジュンが全部担うことは無理でした。
それだけミカに期待されていたものは大きかったのです。
この矢島と田中の実力差によるギャップが何点か副作用を生み出しています。

まず、田中が矢島ほどアクションが出来なかったため、その弱点をカバーするためにジュンは初の弓矢ヒロインになりました。
弓矢アクションというのは非常にフォルムが美しく、その割に型さえ覚えればそんなに激しい動きはしなくて済みます。
ジュンというキャラはミカの穴を埋める存在ですから、アクションが見栄えがしないといけないのですが
田中がアクションがそんなにハイレベルで出来るわけでないので、弓矢を持たせて見栄えをよくしたのです。
ジュンはアーチェリーの元オリンピック強化選手という設定になりました。
それでも弓矢アクションを覚えるのだけでも田中は大変だったとは思いますが、とにかくこれで何とかなりました。
これ以降、弓矢は主に戦隊ヒロインの個人武器として使われるようになりました。
やはり見た目が美しく、そんなに腕力が必要でなく、肉弾戦も少なめになるので女性向きだったのでしょう。

そして、田中が矢島ほど演技力が無かったので、ストーリーが若干変わりました。
もともと「バイオマン」は郷とミカを中心としたストーリーにする予定だったようで、
そのため郷役の阪本とミカ役の矢島以外は戦隊メンバーは皆新人でした。
そこに矢島が失踪してその代役の田中も新人となれば、もう物語は郷中心でやっていくしかありません。
そういうわけで郷の扱いが非常に重要となり、レッドワン郷史朗は歴代最強レッドなどと呼ばれるほど存在感の強いレッドとなったのでした。

そして、田中がイマイチ頼りなかったため、
というより、スタッフがド新人の田中を矢島に比べて頼りなく思っていたため、
出来るだけジュンをピンでは動かさず、もう1人のヒロインであるピンクファイブ桂木ひかるとペアで動かすようにしました。
これによって「ダブルヒロイン」という構図が多くなり、
もともと郷以外の男2人の存在感が薄かったため、
「バイオマン」というお話は戦隊側に関しては「郷+ダブルヒロイン」みたいな印象となり
ダブルヒロインというものが強く印象づけられ、その後、ダブルヒロイン制が定着していくきっかけとなったのでした。

このように、矢吹ジュンというキャラはなかなか、いろいろ功績(?)はあるのです。
タグ:バイオマン
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2010年12月24日

ピンクファイブ

ピンクファイブ.jpg

























「超電子バイオマン」においてイエローフォーと並んでもう1人の戦隊ヒロインは
ピンクファイブであり、変身するのは桂木ひかるです。
つまりバイオマンは戦隊シリーズ最初のダブルヒロイン編成の戦隊なのです。
しかし、どうしてダブルヒロインにしたのでしょうか?
別に今まで通り、ヒロインは1人でも良かったような気もするのですが。
桃園ミキも立花レイも1人で十分に番組内でヒロインの役目を果たしてくれていました。

しかし、それはミキやレイというキャラクターの範囲内でのことでした。
ミキやレイというのは実はすごく微妙なバランスの上に成り立っているキャラでした。
それは弱さと強さの絶妙のバランスと言っていいでしょう。
本質的な女性的な弱さがあるからこそ、その強さは慈愛に裏付けられた崇高なものに見え、鮮烈な印象を残すのです。
男性の暴力とは根本的に違う、女性ならではの芯の強さです。
ミキやレイは、そうした弱さと強さが同居するキャラでした。
とりわけミキにおいては弱さがやや強調されており、レイにおいてはやや強さが強調されていました。

正確にはミキの進化形がレイでした。何故「進化」なのかというと、時代の趨勢に沿っていたからです。
戦隊シリーズの最大の魅力はアクションです。
特にこの黎明期の頃はアクションは作品を重ねるたびにすごい勢いで進化し続けていました。
それは戦隊ヒロインに求められるアクションもより高度なものになっていったということでもあります。
その高度なアクションレベルの要求が、ミキやレイの維持していた微妙なバランスを崩したのです。

桃園ミキにおいて確立されたヒロイン像における「弱さ」と「強さ」の微妙なバランスは、
更にアクションを高度化し「強さ」を前面に出した立花レイというキャラにおいても、まだなんとか維持されていました。
しかし「バイオマン」に至って小泉ミカという、レイを更に強くしてアクションを高度化させたヒロイン像に到達した時、
遂にその「弱さ」と「強さ」の微妙なバランスは、「強さ」の方に比重がかかりすぎて崩れてしまったのです。
そので「バイオマン」という作品においては、ミカとは別に「弱さ」の方に比重をかけたヒロイン像を作り出してバランスをとる必要が生じました。
そうして生まれたキャラがピンクファイブ桂木ひかるだったのです。

scan02-2.jpg桂木ひかるはお嬢様女子大生で、優しくおっとりした性格で、趣味はフルートを吹くこと。
今まで「弱さ」が特徴的だったヒロインである桃井あきらや桃園ミキが、それでも一応スポーツの有能な選手だったのに比べると
ひかるにはスポーツの要素すらほとんど見えませんから、この時点では最弱のヒロインということになります。
本人もバイオロボに戦士として選ばれてもしばらくは戦いを嫌がっていました。
しかし、それは臆病だったからというよりも、優しすぎる性格ゆえ戦いが嫌いだったからです。
そして結局は、その優しさゆえに、地球の生命が機械帝国によって危険に晒されているという事態を看過出来ず、戦いを決意します。
つまり、桂木ひかるもまた桃園ミキと同じタイプのヒロインなのです。

しかし、ひかるの場合はその優しさや、そこからくる弱さが際立っているため、ミキやレイにおいて保たれていた「弱さ」と「強さ」のバランスが「弱さ」の方に傾き過ぎているのです。
そして、バイオマンにおけるもう1人のヒロインである小泉ミカはそれとは逆に「強さ」の方に傾き過ぎています。
ミカもまた基本的にはミキやレイと同じタイプのヒロインなのですが「強さ」に傾き過ぎているのです。
だから、ひかるとミカとが一緒に存在することで、バイオマンにおいてはミキやレイのタイプのヒロインの果たす作用が正常に発揮されるのです。
これは、ミカが殉職して二代目イエローフォーとして矢吹ジュンが加入してからも基本的には同じ構図でした。
ジュンもミカと同じようにミキやレイのタイプでありながら「強さ」をより前面に出したキャラだったからです。

バイオマンにおいては、このように「強いヒロイン」と「弱いヒロイン」という2人のヒロインがバランスをとっているのですが
これはもともとはアクションの高度化という流れの中でまず小泉ミカという「強すぎるヒロイン」が生まれたため
そのバランスをとって桃園ミキの作りあげたヒロイン像をトータルで維持するための措置として
桂木ひかるという「弱いヒロイン」が生み出されたのでした。
桂木ひかる、そしてそれを演じた牧野美千子はその使命を見事に果たしました。
これ以降、ダブルヒロイン体制のもとで「弱いヒロイン」というものが成立するようになりますが、その魁となりました。
それは、この桂木ひかるというキャラが、弱いけれども、その芯には優しさや純粋さ、ひたむきさが確固として存在し、
それゆえ思わぬ時に思わぬ強さを発揮するというキャラを見事に確立したからでした。
タグ:バイオマン
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 23:33 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月28日

チェンジマーメイド

チェンジマーメイド.jpg























1984年の戦隊「バイオマン」は序盤でヒロイン役の女優の失踪という予期しないアクシデントに見舞われましたが
それでもスタッフやキャストの奮闘で初志である「壮大なSFロマン大作」を貫徹しました。
結果として「バイオマン」はシリーズ過去最高の成功作となりましたが、
それは深いドラマ性が評価されて、中高生あたりの割と高年齢層のファンを開拓した結果でした。
特に男子中高生あたりには、2作品前の桃園ミキからの戦隊ヒロインブームの影響もあったと思われます。

一方、戦隊シリーズの本来のメインターゲットである児童人気はそれほど高くありませんでした。
話がちょっと難しすぎたようです。
それに、やはりワンパターンでも毎回怪人が出て来て戦隊がそいつをやっつけるというパターンの方が子供ウケがいいです。
バイオマンはたいていは等身大戦で敵怪人を倒せないので、子供から見ると弱く見えるきらいがありました。
やはり子供は強いヒーローが怪人をやっつけるところを観たいのです。

そういうわけで1985年の戦隊「電撃戦隊チェンジマン」では
前作「バイオマン」で取りこぼした児童層をターゲットに据えて、前々作「ダイナマン」の路線に戻りました。
つまり悪の侵略者軍団の送り込む怪人たちを正義の戦隊が順次倒していくというやつです。
しかし、そういうのは何作品も続いていてマンネリ化しつつあったので、「バイオマン」でパターン破りをしたはずなのであって、
何の工夫も無く「ダイナマン」と同じものを再び繰り返すわけにはいきません。

「ダイナマン」では悪の組織側の人間ドラマを濃密に描きましたが、正義側の描写はシンプルでした。
正義の戦隊は分かりやすい「正義のヒーロー」のキャラクターで固定されており、
悪の側のように変にドロドロの関係を描くことは避けられていたのです。まぁ当然の措置でしょう。
しかし「ダイナマン」よりも更に一歩進むためには、正義側の描写も詳しくしていく必要があります。
ドロドロではなく健康的で、子供にも分かりやすい人間ドラマが正義側にも必要となります。
そこで「チェンジマン」において導入されたのが「戦隊メンバーの成長物語」でした。
子供にとって「成長」というのは非常に身近で共感できるドラマなのです。

成長を描くということは、戦隊メンバーは最初は未熟でないといけなくなります。
また、単に戦いに勝つことだけが目的でなく、戦士としての成長も目標となるということは
戦士としての完成形が劇中の戦隊メンバー達にも視聴者にも分かりやすく提示されていないといけません。
これ以前の戦隊では戦隊メンバーは、少なくとも戦い始めて以降は完成された戦士として描かれており、
戦隊メンバーは一種の特権的立場で戦っており、彼らに指令を出す立場のキャラはいるが、いちいち彼らを指導するキャラはいませんでした。

チェンジマンの場合、このパターンを破り、戦隊メンバーは素質は有るがまだ未完成の戦士として登場し、物語の進展に沿って成長していきます。
そして彼らの未完成ぶりが分かりやすく描かれるように、彼らを戦士の集団である軍隊組織の一員としました。
彼らは地球守備隊の精鋭部隊「電撃戦隊」の一員なのです。
つまり「電撃戦隊」は彼ら5人だけでなく他にも大勢おり、彼ら5人も他のメンバーと対等の隊員なのです。

5人はそれぞれ非常に優秀な才能は持っていますが、同時に大きな欠点も抱えており、
総合的には決して電撃戦隊の中で抜きん出た存在というわけではありません。
分野によっては彼らよりも優れた資質を持った隊員たちもいるのです。
つまり皆、対等な関係で、互いに戦士として見習うべき部分があるのです。
そして、なんといっても彼ら電撃戦隊を率いる隊長である伊吹長官は彼ら5人など足元にも及ばない優秀な戦士で、彼らを指導します。

そういう平凡な兵士ともいえる5人がどうして変身して戦う羽目になるのかというと、
「アースフォース」という地球発の不思議パワーを浴びて変身能力を得たからです。
彼らが地球に選ばれたとも言えますが、たまたまであるようにも思えます。地球が何か言うわけでもないので、まぁたまたまということになります。
変身能力を得たことで彼らは電撃戦隊の中の特別チーム「チェンジマン」となり、電撃戦隊はチェンジマンの支援組織となります。
そうして全宇宙の支配を目指して地球にも攻めてきた大星団ゴズマの送り込んでくる怪人と戦うのです。
しかし彼らは変身能力は得ましたが、中身は未熟な兵士のままなので
当初はいろいろ失敗したりして、仲間や長官らの協力も受けて欠点を克服していって成長していくのです。
彼らが成長してくれないと地球が危ないのですから、必死です。と言いつつ結構呑気だったりもするんですが。

まぁ「チェンジマン」とは、そういう若き戦士たちの青春物語です。
彼ら5人の長所と欠点があまりにも極端なため、彼らは非常にカッコ良く、同時に非常に笑える存在、親しみやすい存在となっています。
そして成長物語は非常に熱く燃える展開となっており、いかにも男児向けです。
更に「ダイナマン」から受け継いだ敵組織内部のドロドロ描写も「チェンジマン」では更にパワーアップしており
終盤には舞台を全宇宙規模に拡大し、ゴズマに支配された異星人の悲哀を描いたり
敵組織内部のレジスタンス活動や、ゴズマを裏切ってチェンジマンと共闘する者が出て来たりして
かなり濃厚かつ壮大なSF大河ドラマが展開され、高年齢視聴者層も満足させる展開となっています。
結果的に「チェンジマン」は「バイオマン」を超える大成功作となりました。
人気だけでなく、内容的にもアクション、ギャグ、シリアス全ての面で当時としては極めて完成度が高く
昭和戦隊の代表作を1つ挙げる場合、初代の「ゴレンンジャー」を除けば、この「チェンジマン」を挙げる人が多いです。

scan001-2.jpgそうしたチェンジマンは前作に続いてダブルヒロイン制を採用しています。
チェンジマーメイドとチェンジフェニックスです。
バイオマンで確立されたダブルヒロイン制の特徴は「強いヒロイン」と「弱いヒロイン」のペアだということです。
それはこのチェンジマンでも踏襲されました。
まず、ここでは「弱いヒロイン」であるチェンジマーメイドの方を見ます。

初のホワイトヒロインであるチェンジマーメイドに変身するのは渚さやかです。
チェンジマンの特徴は戦隊メンバーに極端な長所と欠点があることですが、
さやかの場合の欠点というのは「弱いこと」です。
もちろん一応軍人なので一般人よりは多少強いのでしょうが、軍人としてはかなり体力的には落ちこぼれです。
変身することによってかなり強くなりますが、それでも基本的に弱いためか、5人の中では最弱です。
つまづいて転んで気絶したりします。まぁ演じる西本ひろ子さんもどんくさかったようですが。

前作の桂木ひかるで「弱いヒロイン」がダブルヒロイン制のもとでは十分に成立することを確信した制作スタッフは
結構思い切ってさやかの弱さ描写を徹底しています。
弱さ描写と共に女性らしさの描写も強まり、美人で優しく女性らしい繊細さを持ち、
そして色気もあります。さやかは戦隊シリーズ最強のミニスカ、パンチラのヒロインとなりました。
私服の白コスチュームのミニスカっぷりも凄いですが
電撃戦隊の女性隊員制服までさやかのせいでかなりのミニスカになってしまいました。

ただ、単に虚弱なお色気担当であるならば戦隊ヒロインとして成立しないのであって
もちろん、さやかにも良い面はあります。
まず前作のひかる同様、優しくひたむきで純粋、正義感に満ちていつも一生懸命です。
桃園ミキ以降、ヒロインはこれが基本です。特に弱いヒロインには必須要素です。
ただ、チェンジマンという作品の場合、これらの要素だけでは長所としては足りません。
電撃戦隊という軍事組織の中で戦士として誇れる長所が無いといけないのです。
その虚弱っぷりという欠点を補えるだけの具体的な、軍事面で貢献出来る長所です。
単に一生懸命、ひたむき、正義感などの要素ならば他の隊員たちだって持ってます。さやかにしか無い長所が必要です。

そこでさやかに与えられた長所が「頭脳明晰」でした。
さやかは地球守備隊の元作戦部将校で、電撃戦隊の参謀として状況を冷静に分析し緻密な作戦を立案する立場なのです。
体力や戦闘力では劣るけれども、頭の良さで組織に貢献する。
こういうのは現実世界でも女性の得意分野であるはずですが、それまで戦隊シリーズではあんまりそういう傾向はありませんでした。
何故かというと、だいたい主役のレッドがチーム内で一番、沈着冷静で頭脳明晰でもあるのが常だったからです。
しかしチェンジマンの場合、レッド戦士であるチェンジドラゴン剣飛竜が「戦闘力抜群だが熱血バカで猪突猛進気味」という設定であったので
初めてさやかのような頭脳明晰ヒロインの存在意義が成立したのです。
そして、渚さやかというヒロインが人気者になったことによって、
この後、シリーズにおいて「頭脳明晰ヒロイン」というパターンが生まれてくるのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 20:25 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月29日

チェンジフェニックス

チェンジフェニックス.jpg
























「電撃戦隊チェンジマン」において1つ特筆すべきことは「アースフォース」という不思議パワーの登場です。
これ以前の戦隊の場合、強大な侵略者と戦うためには科学の力で対抗してきました。
それがチェンジマンの場合、初めて科学の理解を超えた超自然的な不思議パワーというものの助けを借りることになりました。
つまり「チェンジマン」はファンタジック路線の先駆け的な作品なのです。

どうしてアースフォースというものを持ち出してくる必要があったのか、2つ理由が考えられます。
1つは、敵組織をあまりに強大なものにしすぎたから。
ゴズマは全宇宙を支配下に収めようとしている超巨大帝国で、地球攻撃に来ているのは1つの方面軍に過ぎません。
だから、その全宇宙をまたにかける科学力は圧倒的です。
一方の地球の科学力は地球1つ守るので精一杯という状態ですから、その科学力には巨大な差があります。
だから地球人の科学力だけでゴズマに対抗出来てしまうのは不自然なのです。
何か人類の科学のレベルを超えた超パワーの手助けが必要なのです。
そこで地球自身がゴズマの脅威に反応して内部から星を護る超パワーを出してきて人類に力を貸す。
それがアースフォースであり、チェンジマンの力の源です。

ただ、人類の科学のレベルを超えた力というのであれば、「デンジマン」や「バイオマン」の時のような異星人の進んだ科学でもよかったはずです。
それが何故「チェンジマン」においては、地球の意思などという曖昧な超パワーになったのかというと、
それがもう1つの理由で、つまり、その曖昧さが好都合だったからでしょう。
例えば異星人そのものやその残したコンピュータなどが戦士を選び出したとしたなら、
最も優れた戦士の資質を持った者や、戦士の特別な宿命を負った者を選び出すでしょう。
その場合、チェンジマンの5人のような特別な宿命因子も無く、欠点が目につく未熟な戦士たちは選ばれません。
その点、アースフォースならば選定基準がなんだかよく分からないので、たまたまあの5人が選ばれても納得できるのです。
そういう意味で「チェンジマン」という物語を成立させるためにはアースフォースは便利な存在だったといえます。

アースフォースというのは、そのように5人の未熟な戦士がチェンジマンになる理由付けのために持ち出されたものであり
それ以上、物語の中でアースフォースについて深く掘り下げようという気配はありませんでした。
というわけで、アースフォースは最初にちょっと出て来て、あとはチェンジマンはほとんど科学の力で戦っているかのように描写されています。
武器もロボも電撃戦隊で開発された人類の科学の粋を集めた装備をそのまま使っています。
ただ、それを使うチェンジマンがアースフォースを力の源にしているのです。
これは実はかなりチグハグな設定なのですが、
チェンジマンにおけるアースフォースの影響が非常に限定的にしか描写されていないため、あまり違和感を感じないで済んでます。
途中から見た人はチェンジマンは普通に科学の力だけで戦っているように見えることでしょう。

ただ、チェンジマンにおけるアースフォースの影響はそのモチーフには反映されてます。
ドラゴン、グリフォン、ペガサス、マーメイド、フェニックス・・・
これらは実在しない幻獣で、アースフォースが具現化した姿です。これらがチェンジマン5人のモチーフアニマルになっているのです。
ただ、これも他の動物モチーフ戦隊に比べればかなり描写は不徹底で、あまりモチーフの幻獣と各自の動きが連動はしていません。
その中で、渚さやかと並ぶもう1人の戦隊ヒロインである翼麻衣の変身するチェンジフェニックスは連動がしっかりしているほうです。

scan019-2.jpgチェンジマーメイド渚さやかは「弱いヒロイン」でしたから、それとダブルヒロインで対をなすチェンジフェニックスは「強いヒロイン」でした。
チェンジフェニックスに変身する翼麻衣は元諜報部将校で、つまりスパイや秘密工作をやっていた人で
戦闘のプロフェッショナルで、かなりの行動派です。
当然アクションも高度なものが要求されますので、前作の矢島由紀に引き続きJACから大石麻衣というアクション女優が起用されています。

この大石さんは決して美人ではないです。これはこれで可愛いとは思うけど。
ダブルヒロイン制を「バイオマン」で試してみた結果、
そういう見た目の綺麗さというのは「弱いヒロイン」の方に全面的に負わせればOKなのだということを制作サイドも学習したようで
「チェンジマン」においては、かなり割り切ったキャスティングをする余裕があります。
女性らしさは渚さやかの方に特化集中させて、翼麻衣にはひたすらアクションのキレを要求している感じです。
髪型も男っぽいショートヘアで、ミニスカートも隊員服以外はほとんど着用せず、ズボンかタイツで生足を見せることも少ないです。
ダブルヒロイン制はこのチェンジマンにおいて更に役割分担が徹底し、洗練されたといえます。

このチェンジフェニックス翼麻衣のアクションというのが特徴的です。
フェニックスというモチーフを反映させたアクションなのです。
フェニックスというのは不死鳥で、つまり鳥ですから素早く縦横に空を飛び回ります。
それを反映したアクションですから、身軽で素早く自由奔放さを強調したものとなっています。
腕力が強いとか、防御力に優れているとか、そういう重厚なイメージではなく、かなり軽い感じです。
同じ戦闘のプロのヒロインでも、かつてのペギーやカレンなどは普通に戦って強いイメージでしたが
麻衣の場合は身軽で素早い動きで相手を翻弄して倒すというファイトスタイルです。
考えてみれば女性の強いアクションというのは、実際はこういうものの方がリアリティがあります。
この麻衣のアクションが好評を博して以降、戦隊ヒロインのアクションは身軽さや素早さを強調したものが多くなります。

ただ、翼麻衣は戦闘のプロではありますが、決してペギーやカレンのようなクールビューティー系のヒロインではありませんでした。
まぁ、そもそも「ビューティー」かどうか怪しいわけですが。
それは置いておくとしても、少なくとも絶対に「クール」ではありません。
「クール」はどちらかというと、もう1人のヒロインである渚さやかが頭脳派特有のツンと澄ました感じで担当しており、
麻衣はその対比で、むしろ陽気で天真爛漫、おしゃべりでひょうきん、おっちょこちょいなイメージです。まぁ任務の時はちゃんとしてますが。
ほとんど少年みたいな女で、まぁ大抵は恋愛対象にならず友達どまりでしょう。よって恋愛経験は無しで、かなり実はウブです。
このあたりのがさつさや落ちつきの無さが弱点といえるでしょう。

麻衣が戦闘のプロでありながらクール系でなく、陽気なムードメーカーのような「お転婆キャラ」になったのは
さやかとのバランスをとるという意味ももちろんありますが
根本的には、麻衣をあくまで普通のお姉さんとして印象づけるためでした。
つまり麻衣もまた、ペギーやカレンのようなミス・パーフェクトではなく、あくまで桃園ミキの系譜を引くヒロインなのです。
普通のお姉さんが頑張って戦っているのです。その結果、たまたま腕前がプロ級になっただけで
中身は普通のそこらへんにいる気さくなお姉さんのまんまなのです。
だからこそ、麻衣のひたむきさ。健気さが強調されるのです。
この麻衣のキャラの成功により、この後、「強いヒロイン」には愛敬のある「お転婆」キャラが多くなります。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2010年12月31日

イエローフラッシュ

イエローフラッシュ.jpg





















1985年の「チェンジマン」は子供向け特撮ヒーロー番組としては、この時代においては1つの完成形に達した作品でした。
ドロドロとした愛憎ドラマが渦巻く巨大で邪悪な敵組織に、未熟だが正義感溢れるヒーローが立ち向かい戦いの中ですくすくと成長していき、遂には悪を倒す。
まさに明るいヒーロードラマの王道であり、あらゆる面でバランスがとれています。
しかし、シリーズは継続していくのであり、「チェンジマン」が素晴らしいからといって「チェンジマン」と同じものを作り続けていくわけにはいきません。
「ダイナマン」の後に「バイオマン」を作ったように、出来上がったフォーマットを多少崩してでも新しいものを生み出すチャレンジは必要なのです。
そういう戦隊シリーズの新たな挑戦作が1986年の「超新星フラッシュマン」です。

「チェンジマン」においては悪の組織側は重厚なドラマが描かれました。
これは「ダイナマン」以降の、ロボットアニメの系譜を引き継いだ伝統だといえます。
一方、正義のチェンジマン側は成長物語は描かれましたが、これはキャラの成長をシンプルに描いたもので
そんなに大した紆余曲折は無く、ドラマ性はそれほど無く、むしろキャラの魅力を描いたという程度のものでした。
例えばチェンジマンのメンバーも壁にぶち当たって悩んだりもしますが、それは成長を描くための伏線でしかなく、すぐに壁は突破されて悩みも解消します。
チェンジマンの皆は根本的な問題点は抱えていないのです。ただ単に未熟なので失敗しているだけで成長すれば問題点は解決していくのです。
一方、悪の組織側は根本的に矛盾した存在であり、回を追うたびに矛盾点が拡大していき、自壊していきます。
なんとも分かりやすい勧善懲悪で、子供に見せるには非常に適した内容のドラマだといえます。
逆に大人から見ると、チェンジマンの5人の描写は薄っぺらに見えなくもないです。
現実には若い頃はもっとどうしようもない解決困難な問題点を抱え込んだりするものだからです。
でも子供はまだそんなことは知らないのでチェンジマンを見ても薄っぺらだとは思いません。

「フラッシュマン」においては、あえて正義の戦隊フラッシュマン側にも重厚なドラマを描くようにしました。
それは「チェンジマン」という到達点から更なる飛躍を目指した挑戦でした。
重厚なドラマということは「チェンジマン」のような一直線のサクセスストーリーではなく、
フラッシュマンたちは解決困難な問題点を抱えて苦悩し紆余曲折していくことになります。
こういうのがメイン視聴者層である子供には難しいということは制作側も分かっていたでしょう。
しかし戦隊シリーズは絶好調であったし、世間もバブルの好景気で玩具も飛ぶように売れ、
物語が多少難解になったとしてもこれまでに培ってきたノウハウをもってすれば十分に子供にも楽しめる作品を作ることは出来ました。
つまり子供人気は維持しつつ、新たにやや高年齢層の視聴者を開拓する余裕はあったといえます。
「チェンジマン」の青春ドラマ路線をさらに深くしていき、
当時、高年齢層に人気が高かった、青春と愛の挫折と苦悩をやたらオーバーに描いたドラマシリーズ、
「大映ドラマ」の影響を受けた作品群がここから始まるのです。

「フラッシュマン」のドラマというのは当時話題になっていた中国残留孤児問題をヒントに発想されました。
幼い頃に親と引き離されて別の場所で育った者が故郷に戻ってくるお話です。
宇宙の様々な生命体を捕えて生体改造実験の材料とする非道な宇宙帝国メスの手先によって地球から浚われた5人の小さい子供たちが
正義の宇宙人フラッシュ星人によって救い出されてそのフラッシュ星人の住む星で成長して立派な戦士となります。
その5人が生まれ故郷である地球にメスの魔の手が迫っていることを知り、メスと戦うためにフラッシュマンと名乗って地球に戻ってくるという話です。

このお話、ものすごくよく出来ています。
重厚なドラマといって単純にドロドロの愛憎劇を持ってくるのではなく、ちゃんとフラッシュマンとメスの戦う因縁や動機も設定されており
そこに激しい怒りや怨みなども自然に盛り込まれる構成になっており
フラッシュマンの地球人離れした強さにもフラッシュ星の進んだ科学力という説得力があり、
浦島太郎状態の5人の勘違いっぷりもコミカルに描けています。

ただ、これだけならば、まだ普通の勧善懲悪のヒーロードラマです。
ここで重厚なドラマとして盛り込まれてくるサイドストーリーが、1つは彼らが地球で本当の親を見つけて再会しようとしていることです。
彼らは赤ん坊の時に誘拐されたので本当の親の名前も顔も知らないのです。それでも何とかして会いたいと思い、手掛かりを探します。まさに中国残留孤児です。
そして、この「親に会いたいという一途な想い」は子供の視聴者の心の琴線にも触れます。
そしてもう1つのサイドストーリーは、彼ら5人がフラッシュ星系で育ったために地球に長く居ると死んでしまうという悲劇的設定です。
彼らが地球で活動出来る時間は限られています。その間にメスを倒し、実の親も見つけなければいけない。そして親と再会出来たとしてもすぐに別れなければならない。
まさに大人の視聴にも耐え得るスリリングで重厚なドラマであり、なおかつ子供の心にも響くものがあります。

scan20-2.jpgこの「フラッシュマン」も前作に引き続きダブルヒロイン制を採用しており、
前作で好評だったダブルヒロインの役割分担をほぼそのまま踏襲しています。
つまり、前作の渚さやかの「戦闘力は劣るが頭脳派で美人」タイプと翼麻衣の「戦闘力が優れている陽気なお転婆」タイプという役割分担です。
そのうち、渚さやかタイプのキャラの後継者にあたるのがイエローフラッシュに変身するサラです。

フラッシュマンの5人はフラッシュ星系のそれぞれ別の星で育ったために、それぞれの星の環境に合った特徴や特技を持っています。
このあたりの構成も抜群に上手く、各自のキャラを自然に立たせることに成功しています。
サラの場合、寒冷の星で育ったため、寒さに強い。言い換えれば暑さに弱いわけで、他の星では暑がりです。だから薄着になります。
そういうわけで結構、露出の激しい服装をしてます。つまり女性を強調したキャラになります。渚さやかと同じです。
そして寒い星で育ったので、クールな頭脳派というイメージとなります。フラッシュマンの参謀格です。これも渚さやかと同じです。
まぁ一応戦士として訓練を受けていますので普通に戦えますが、他の4人のように育った環境から来る戦闘力の高さは無いので、そんなに強い方でもないです。これも渚さやかと同じです。

そして、さやかが美人キャラであったため、このサラも美人キャラでなければいけないということで、
わざわざアイドルの中村容子をキャスティングしています。
アイドルといっても、数年前にデビューしてあんまり売れていなかったアイドルですが、
それでも戦隊ヒロイン役にCDデビューもしていた現役アイドルが起用されたのはこれが初めてでした。
当時はアイドル全盛時代です。
そういうわけなので、制作側もそれなりに気を使うわけで、サラはかなり物語の中で扱いが良かったです。
フラッシュマン5人の中で主役のレッドフラッシュの次ぐらいに重要な扱いを受けていたといえるでしょう。
何せ、フラッシュマンは結局は親と再会出来ずに地球を離れることになるのですが、サラだけは親と会うことが出来るのです。
ただ、だからこそ余計に別れが辛くなるわけで、サラは悲劇のヒロインになります。
役柄的には可哀想ですが、演じる側から見ればかなり美味しい役です。

このように物語の中核で動く重要なキャラですから、サラの場合、どうしても性格は複雑なものとなります。
渚さやかの場合、そんなにさやか自身の物語に起伏は無いので、いつでもさやからしく、少しツンとして頭脳派を演じていればよかったのですが
それはストーリーよりもキャラを重視しがちな「チェンジマン」で、更にさほど重要キャラでなかったから可能だったことです。
キャラよりもストーリーに重きを置く「フラッシュマン」の物語の中核キャラであるサラの場合は
当初予定していたクールな頭脳派というだけではサラの物語の起伏に対応できなくなり、結局、サラはかなり喜怒哀楽の激しい、面白いキャラになりました。
このへんは、渚さやかよりも魅力的であるとも言えますが、さやかほどのテンプレ的な強烈な印象は残していないとも言えます。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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ピンクフラッシュ

ピンクフラッシュ.jpg

























「超新星フラッシュマン」のダブルヒロインのもう1人はピンクフラッシュで、変身するのはルーです。
ルーは、赤ん坊の頃に地球から浚われて、フラッシュ星人に救われて以降は超重力の星で育ったため、非常に身軽です。
つまり、前作の翼麻衣の後継者的な位置のヒロインだといえます。
「戦闘力は劣るが頭脳派で美人」の渚さやかタイプの後継者がサラならば、
「戦闘力に優れている陽気なお転婆」の翼麻衣タイプの後継者がルーなのです。
身軽といっても、超重力の星育ちの身軽さですから、その身軽さは麻衣よりもさらにグレードアップしてます。
よって、当然、演じるのもJACのアクション女優の吉田真弓です。

JACですからアクションもレベルが当然高いです。
特にJACはトランポリンを使ったアクションが伝統的に上手なので、身軽な戦士の演技は最も得意とするところです。
武術アクションなどは型を覚えればそれなりにサマになるのですが、
この身軽なアクションというやつは身体能力の高い人でないと、なかなかこなせないので、
生身変身前で激しい身軽アクションをやらせるのなら、どうしてもJACのアクション女優さんが良いのです。

アクションが良い反面、翼麻衣の場合と同じように、ルーはあまり女性らしさは強調されてません。
そういうのはサラの方に担当してもらっています。
というか、フラッシュマンの場合、地球とは別の星で育ったという設定のため、
サラにしてもルーにしてもかなり破天荒なキャラ設定になっていて、
前作のさやかと麻衣のペアよりも、全体的に女性らしさが不足しており、代わりにアクションのレベルは高めだったといえます。

scan021.jpgそのサラとルーの中でも、特にルーの方がより陽気でお転婆キャラに設定されていますので
勝ち気で男勝り、そして味音痴で料理が壊滅的にダメという、極端に女らしさの足りないコミカルなキャラになっています。
この味音痴で料理がダメというのは、この後、戦隊ヒロインにおいてしばしば見られる特徴ですが、ルーがその最初の例だといえます。

まぁルーの場合、ダブルヒロインのもう1人のサラの方が物語の中で目立った分、
相対的にあまり目立たなかったといえます。
そういう点、前作のさやかと麻衣の場合は2人の扱いのバランスはよくとれていたのですが、
このフラッシュマンの場合はややルーの方が影が薄かったといえます。

とにかくフラッシュマンの皆さんは、もともとは地球人なのですが、赤ん坊の頃から異星で育っているため
実質的には異星人のようなもので、スーパー戦隊シリーズでしばしば登場する「異世界人ヒーロー」のはしりといえます。
スーパー戦隊シリーズは基本的に「生身の人間が変身して怪人と戦う」というのがフォーマットであって
普通の人間でないヒーローというのは結構微妙ではあるのですが、
まぁたとえ異星人でも異人種であっても、改造人間や魔族ではなく生身の身体で変身するのあればOKでしょう。
たとえ怪しげな超能力のようなものを持っていたとしても、生身の身体でそれを身に付けたのなら良いといえます。

ただ、この異世界人の戦隊の場合、どうしても視聴者から見て「身近な存在」という感じは薄いです。
どうしても、そこらへんにいそうな感じがあまりしないのです。
しかし桃園ミキ以降、築き上げてきた戦隊ヒロインのイメージの最重要点は「身近なお姉さん」キャラでした。
それがこのフラッシュマンのサラとルーの場合、どうもイマイチしっくりこない。
2人ともかなり身近なお姉さん的な演出はされており、うまく演じてもいます。実際面白いです。
だがどうもそれがリアリティが無い。設定が設定だけに仕方ないのです。
このフラッシュマンのダブルヒロインがチェンジマンのダブルヒロインほどの人気とならなかったのは、そのあたりが課題であったように思います。
つまり異世界人ヒロインの場合は、桃園ミキ的要素は活かしつつ、また違ったアプローチが必要であったのでしょう。
それがこの時点ではよく分かっていなかった。それはこの次に異世界人戦隊が出て来る時の課題として残ります。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2011年01月03日

イエローマスク

イエローマスク.jpg




















1987年のシリーズ第9作「光戦隊マスクマン」は、ダイナマンからチェンジマンにかけて築き上げたフォーマットの上に立って、
チェンジマンとフラッシュマンでそれぞれ新たに打ち出した要素を更に発展させた作品でした。
まずチェンジマンで新たに打ち出した要素というのが、アースフォースという不思議パワーの導入だったのですが、
それがこのマスクマンではオーラパワーという不思議パワーに進化しています。

戦う相手は地底帝国チューブといって、なんだかダイナマンのジャシンカみたいな地底帝国ですが
ジャシンカよりも更に入り組んだ内部事情を抱えた組織です。
このチューブが地上侵略を目指して送り込んでくる怪人が例によって超強力なので現代科学では対抗出来ない。
敵組織の強さのインフレが起こって、バイオマン以降、こういう展開が続いてます。
そういう事態に合わせて、戦隊側の敵を超える強さの理由づけも必要になってきています。
バイオマンではバイオ星の遺産である先進科学の力、チェンジマンではアースフォースという地球由来の不思議パワー、フラッシュマンではフラッシュ星の先進科学。
こういうものを使うことで戦隊は強大な敵と対抗してきました。

そして、このマスクマンで採り入れられたのが、人体内部の不思議パワーであるオーラパワー、言い換えれば気功です。
当時、ちょうど気功がブームになってたんで、さっそく採り入れたようです。スーパー戦隊シリーズは流行を採り入れる傾向が強いのです。
気功というのは呼吸法の鍛錬によって大きなパワーを体内から得る技術で、現代科学ではそのメカニズムはあまり解明されていません。
ただ古い武術、特にカンフー、つまり中国拳法はこの気功で得たパワーを使って攻撃したり防御したりします。
マスクマンという戦隊は、この気功、すなわちオーラパワーの達人でありその研究の権威でもあり、そして超一流の科学者でもある姿三十郎という人が
オーラパワーと最先端科学を融合させて作りあげた特殊な技術体系によって成り立っている。これによってチューブに対抗するわけです。

どうして地底帝国と戦うのにオーラパワーが有効なのかはイマイチよく分かりません。
とにかくすごいパワーだから有効なのだということでしょう。
敵も悪のオーラパワーを使う武術家集団にした方がまとまりが良いような気もするのですが、
おそらく後述のストーリー的にやりたいこととの間でそれだと折り合いがつかなかったのでしょう。
まぁ一言で言うと、この作品は、やりたいことが色々多すぎてイマイチまとまりがついていない印象です。
それだけ意欲作だったのでしょうが、企画段階でもう少し整理してもよかったように思います。
それはメカニック面でも言えることで、オーラパワーという神秘的な力を使う設定でありながら
メカニック面ではいかにも普通のメカが使われてるのも少しおかしい。
だがバンダイとしてはこの作品は初の五体合体ロボを売り出したい作品であり、あくまで正統派メカで攻めたかったのでしょう。
チェンジマンの時もアースフォースと近代兵器の噛み合わせは悪かったのですが、あの時はアースフォースの存在感が作品の中で薄かったので齟齬が目立たなかった。
しかし、マスクマンにおいてはオーラパワーの存在感があまりに大きかったので、近代兵器との齟齬が目立ってしまいました。

このように、このマスクマンという作品は、世界設定、ストーリー、玩具などの思惑がバラバラなまま作ってしまったなという印象はあります。
この作品が後にあまり高い評価を得ていないのは、そこらへんに理由がありそうです。
ただ、放送当時はかなり人気が高い作品でした。
文句なしにカンフーアクションはカッコよく、当時はまだカンフー戦隊は初めてだったので、鮮烈な印象でした。
特にレッドマスクとブルーマスクの人気は高く、女性ファンを多く獲得しました。戦隊シリーズで初めて「追っかけ」のファンが生まれたのです。
このように割と若い女性層に人気のあった作品で、実際、若い女性にアピールするような作風ですが、
当時はバブル最盛期でもあり、子供向けの玩具もよく売れて、まだまだシリーズは安泰でした。

さて、このマスクマンのメンバーですが、姿長官がオーラパワーの素質を持った若い武術家を全国から集めてきた5人組です。
このうち女武術家が2名おり、ハルカとモモコといいます。つまりダブルヒロインです。
なお、どういうわけかこの作品、戦隊メンバーの姓が設定されていません。

scan012-2.jpgまず、このうちイエローマスクに変身するのがハルカですが、忍者の子孫という設定で、忍術が得意です。
他のメンバーが中国拳法をベースとした武術家であるのに比べると、ちょっと異色ですが、
まぁ忍術も古武術の一種ということなのでしょう。
実際に劇中で手裏剣、鎖鎌、マキビシ、煙幕など忍術っぽいこともしますが、基本は気功を使った武術って感じです。
忍術のイメージからして身軽な技を得意とし、ダンスも得意ということで、やはり身軽なイメージ。
そして見た感じもショートカットで、男勝りな性格。

つまりハルカは完全に翼麻衣やルーのような「強いヒロイン」の後継者なのです。
ならば、麻衣やルーのようにJACのアクション女優さんが演じているのかというと、実はそうではありません。
永田由紀さんという普通の女優さんが演じています。
それで「強いヒロイン」としてのアクションが大丈夫なのかというと、永田さんは結構運動神経の良い女優さんなので、それなりにアクションは出来ます。
それに武術アクションというのは基本的に型を覚えればそれなりに見せることは出来ます。
さすがに変身後アクションは素人に出来るような生易しいものではないですが、変身前アクションならばなんとか誤魔化せます。
特にハルカの場合、忍術という非常に便利なアイテムがあって、更に画面に映るアクションを派手に誤魔化すことが出来ます。
言い換えれば、このハルカの「忍術使い」という設定は、決してハイレベルなアクションが出来るわけではない永田さんを武術の達人に見せるための措置ともいえます。

しかし、どうにも不可解でもあります。麻衣やルーのようにアクション女優さんを使って普通にアクションをさせればいいのに、そうしていないのは不可解です。
実は、これはマスクマンという作品の特殊事情が影響しています。
マスクマンでは初めて本格的に中国拳法を作品の根幹に据えたので、戦隊メンバーの中に1人、本物の武術家を入れて、武術監修のようなこともお願いしています。
それがブルーマスクのアキラを演じた広田一成さんです。
広田さんは本職の役者さんではないので基本的に演技が出来ません。
器用な人なのでセリフを覚えてそれなりに感情を込めて喋ることは出来ますが、自分と別人格を演じることが出来ません。
だからアキラのキャラは広田さん本人のまんまとするしかなかったのですが
広田さんが非常に陽気な人で、お調子者の悪戯っ子のような人で、
しかも小柄であったので得意な武術が軽い身のこなしや武器を活かした技が主体でした。

この「身軽なアクションと陽気な性格」というのは、まさに翼麻衣やルーのような「強いヒロイン」と重なるキャラ設定なのです。
あまりに広田さんが天真爛漫であったので、その明るさというのは男性的というより、むしろ男勝りな女性に近いものがありました。
更に、当時の広田さんは17歳と非常に若く、戦隊メンバーとしては最年少にならざるを得ませんでした。
それまで基本的に戦隊ヒロインがチーム内で最年少で、「強いヒロイン」がやんちゃな末っ子の妹ポジションであるのが通例でしたから
年齢面でも広田さん演じるアキラは戦隊ヒロイン的地位にかぶってしまったのです。

つまり、アキラが男性キャラでありながら「強いヒロイン」が従来担当していたチーム内の役割を奪ってしまったのです。
そうなると、キャラかぶりを防ぐため、本来の「強いヒロイン」であるはずのハルカのキャラは微妙に変わらざるを得ません。
ハルカはアキラに近いタイプでありアキラに対して年長キャラとなりますので、やんちゃなアキラの先輩格で保護者的な落ちついた大人の女性となります。
アキラの設定年齢が16歳で、ハルカは20歳という設定です。
性格もやんちゃな天真爛漫キャラではなく、むしろ渚さやかやサラのような頭脳派キャラに近くなり推理力や洞察力に優れた、頼れる姉御キャラになります。
こういうキャラになってくると、ビジュアル的にもアクティブさよりも落ちついた雰囲気が求められますから
それなりに美人の方がいいということで、普通の女優でありながら運動神経の良い永田さんにやってもらうことになり
永田さんのアクションの足りない部分は忍術使いという設定で上手く誤魔化すということにしたのでしょう。

こうして見てみると、ハルカはシリーズ初の「劇中で姉的ポジションであったヒロイン」ということになります。
これは狙いとしては良かったと思うのですが、初めての試みであったこと、従来のヒロインのイメージがまだ強かったこと、
もう1人のヒロインのモモコと同じ姉的立場として若干キャラがかぶったこと、そもそもこの作品で戦隊ヒロインのヒロイン性が成立しにくかったという事情などがあって
ハルカは結果的にはあまり印象の強いヒロインにはなりませんでした。
タグ:マスクマン
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 15:37 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月04日

ピンクマスク

ピンクマスク.jpg




















「光戦隊マスクマン」において特徴的だったもう1つの要素は、フラッシュマンにおいて新たに打ち出した要素を更に発展させたものでした。
フラッシュマンにおいて新たに打ち出した方針は、当時人気だった「大映ドラマ」の影響を受けて
敵組織側だけでなく、正義の戦隊の側においても重厚なドラマを描くというものでした。
これは子供たちよりも割と上の年代の視聴者層を開拓しようという方向性でしたが
マスクマンの場合、これを更に発展させて、敵組織の重厚なドラマと戦隊側の重厚なドラマを一体化させ、
しかもこれをロマンチックなラブストーリーにしたのです。
これまでもシリーズ作品の中でサブストーリー的に少し恋愛エピソードが存在したことはありましたが
このマスクマンの場合、何せ主人公のレッドマスク・タケルがその恋愛の担い手で、メインストーリーがこの恋愛話なのだから今までとは次元が違います。

しかもこの恋愛があまりにも濃い。
敵である地底帝国の姫とマスクマンのリーダーであるタケルとが恋に落ちるというものです。
まるで戦隊版「ロミオとジュリエット」です。
しかもこの姫は地底帝国をチューブに乗っ取られた際にスパイに身分を落とされ地上に派遣されていた時、
敵であるタケルと恋に落ちて地底帝国を裏切ろうとしたため、地底に連れ戻されて監禁されてしまい、
タケルは地上をチューブから守るために戦いながら、同時にこの恋人である姫を取り戻すためにも戦います。
この2つの目的が微妙に矛盾することが多々あり、そのたびにタケルは愛と使命の間で苦悩します。
ハッキリ言って姿長官はじめマスクマンの他のメンバーにはこのタケルの行動は度し難いものですので、迷惑に思われてます。
更にこの姫の双子の兄である地底の王子がチューブの下で幹部をやらされているのですが
この王子が妹をたぶらかした憎い相手としてタケルを怨み、執拗に命を狙ってきます。
ところが、この王子というのが実は女で、誰にも内緒で男のフリをしているとか、
更に姫に横恋慕する地底帝国側のライバルキャラが現れたり、そもそも地底帝国の正統な王家を滅ぼしたチューブの謎が絡んだり
複雑怪奇かつ壮大なラブストーリーが展開します。

ここまでくると、もう宝塚歌劇や少女漫画のような大河ロマンです。いや、まさに「大映ドラマ」の世界です。
この手のお話を男児が理解出来るとも到底思えないので、こうしたストーリー部分は明確に若い女性をターゲットにしています。
この三重苦、四重苦のような状況の中でも一途に愛を貫くタケル。
こういう男に憧れを抱く男児はいません。男児は女なんかほったらかしにして単純明快に地上を守ってくれる男が好きなのです。
まぁ結局、タケルもさんざん迷いながらも地上を守るために戦う決断をいつもするのですが、迷ってる時点で男児的にはちょっとダメです。
しかし若い女性から見るとこういう男はたまらなく魅力的です。苦悩が深いゆえにその愛は純粋で、その愛が自分に向けられているように妄想して楽しみます。

つまり、このマスクマンの壮大なラブストーリーは、その中心にいるタケルを女性から見てカッコよく見せるための舞台装置であって
カッコいいタケルを若い女性たちに見せるためのストーリーがマスクマンのストーリーです。
すなわちマスクマンはアクション面では男児をターゲットにしつつ、ストーリー面では若い女性をターゲットにした作品です。
実際、多くの若い女性がマスクマンを見てタケルのファンになりました。
更に副産物として、タケル目当てに見始めた女性たちの多くがブルーマスク・アキラのファンにもなりました。
アキラのタケルとは正反対の陽気で快活で悪戯っ子のような、カッコカワイイ感じが女性たちの心の琴線に触れたようです。
マスクマンの人気はこのタケルファンとアキラファンの若い女性たちに牽引されたものでした。
こうした、これまでの作品とは異なった女性ファン層によって支えられた作品でしたから
マスクマンにおける戦隊ヒロインというのが人気が高まるのは、そもそも難しい状況でした。

w3-2.jpgピンクマスクに変身するもう1人の戦隊ヒロインであったモモコは太極拳を得意とする19歳の女拳法家で
オーラパワーの素質を姿長官に見出されてマスクマンにスカウトされました。
太極拳という拳法は中国拳法の中でも割と静かで優美なイメージのある拳法で、いかにも女性的といえます。
しかもモモコは子供好きな優しい性格で、子供たちに拳法を教えており、更にロングヘアーの美人です。
ハルカが「強いヒロイン」の系譜のヒロインだとすると、モモコは典型的な、渚さやかやサラの後継者的な「弱いヒロイン」の系譜のヒロインだといえます。

ただ、ハルカが頭脳派キャラとなっていたので、モモコはあまり頭脳派という部分はさやかやサラのようには強調されず、
むしろ、純粋で優しくひたむきな頑張り屋さんという、桃園ミキによく似た感じのヒロインになっています。
フルートや琴、ピアノが得意という設定はお嬢様っぽく、桂木ひかるに近いかもしれません。あと料理も得意で、女性らしさがだいぶ強調されたキャラです。
年齢がチーム最年少のアキラよりもやや上なので、ハルカ同様お姉さんキャラで、おしとやかで優しく、しかし芯の強いお姉さんという感じです。
チェンジマンのダブルヒロインが「頭脳派&お転婆」だったのに対し、このマスクマンのダブルヒロインは、そこから少しキャラがシフトして「切れ者&癒し系」という感じのペアといえるでしょう。後年のアクションがあまり重視されなくなって以降のダブルヒロインはこのタイプのものが比較的多く、その起源であるといえます。

このモモコは、戦隊ヒロインとして全く非の打ちどころはありません。演じていた前田賀奈子さんもとても美人でした。
しかし、どうにもハルカ同様、影が薄いです。
これはハルカとモモコが二人ともアキラに対するお姉さん的立ち位置であったため、若干キャラがかぶったというのも一因です。
戦隊シリーズではダブルヒロインはキャラがかぶると二人とも影が薄くなる傾向があります。
ただ、キャラも全くかぶってしまったというわけではなく、明確にハルカとモモコは違うキャラでした。役割が似てしまったというだけです。
だから、これだけが影が薄くなった原因ではありません。
ハルカの場合はアキラにその本来の戦隊ヒロイン的地位を奪われてしまったというのが大きいですが
モモコの場合はアキラとはかぶる部分は無いので、そういうのはあまり関係ありません。

モモコの場合は本来は劇中で最も女性らしいキャラとしてこそヒロインとしての存在意義があったはずが、
タケルを中心としたあまりにも濃すぎるラブストーリーの中で、あまりにも女性らしさを強調したキャラが出て来た影響を喰らって影が薄くなってしまったといえます。
そもそもこのような濃いラブストーリーの中に従来型の戦隊ヒロインというのは非常にそぐわない。
どうしても薄味に見えてしまうでしょう。

ただ、それがこのマスクマンという作品の失敗であると言えるかというと、まぁそういうこともないでしょう。
マスクマンという作品のストーリーが明確に女性をターゲットにしてタケルやアキラなど男性メンバー押しを目的としたものである以上、
彼らのキャラが立って人気が出た以上は目的は達成されており、作品として成功はしています。
なにも戦隊ヒロインを目立たせることが戦隊作品の目的ではないので、それが上手くいかなかったからといって失敗とはいえないでしょう。
あくまで地味な脇役として、このマスクマンのダブルヒロインは、キャラが破綻することもなく
決して不快な描写も無く、好ましいキャラクターとして、普通にきっちり役割は果たしていたと思います。
キャラ自体には何ら問題は無いのですが、物語のメインストーリーがあまりに濃くて、そこに入っていなかったために相対的に薄い印象なのです。
タグ:マスクマン
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 11:06 | Comment(1) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イアル姫/イガム王子

igamu.jpg「光戦隊マスクマン」の物語の真のヒロインといえるのがイアル姫および、その兄というか姉というか、イガム王子です。

イアル姫というのはマスクマンのリーダーであるタケルの恋人であった美緒という女性と同一人物です。
実は美緒は地底帝国チューブの帝王ゼーバが地上侵略の布石として地上にスパイとして送り込んだ娘で、その正体はかつての地底世界を支配していたイガム王家の生き残りの姫でした。
画像の一番左がそのイアル姫です。非常に色っぽい女性です。
なんでそんな高貴な姫様がスパイなんて汚れ仕事をやっているのかというと、イガム王家を滅ぼしたゼーバによってイガム王家は逆賊の汚名を着せられて、その生き残りは冷遇されてこき使われているからです。

可哀想なお姫様なのです。その姫様が美緒という偽名で地上に忍びこんだ時、たまたまタケルという地上の青年と出会い、優しくされて恋に落ちます。
タケルも美緒を心から愛して、2人は恋人同士になります。
もうこの時点でイアル姫はかなり任務を放棄してしまってるのですが、更にイアル姫はタケルが実はチューブの侵攻を予期してそれに対抗するために秘かに組織されたマスクマンのリーダーだということを知ります。
そこでさんざんん悩んだイアル姫は使命よりも愛を選び、タケルにチューブの地上侵攻計画のことを打ち明けようとしますが、それはゼーバに筒抜けで、イアル姫はゼーバに地底に連れ戻されて反逆者として氷の棺に幽閉されてしまいます。
どうもゼーバは最初から姫が裏切ることを折り込み済みで地上に派遣したっぽくて、ゼーバの真の目的はイガム王家の人間を虐待することであるようです。

これがイアル姫の設定で、見事なまでのヒロインぶりです。
ハルカやモモコがヒロインとして影が薄くなるのも当然です。
ただ、実際のところ、ここまでの顛末はほぼ第一話で描かれてしまい、その後は最終盤までイアル姫は氷の棺の中で眠ったままなので、実質的な出番はすごく少ないキャラです。
イアル姫というキャラの役割は、この姫を氷の棺から救い出して取り戻そうとする主人公タケルの一途な愛を際立たせるための舞台装置のようなもので、そういう意味ではやはりヒロインであり、その存在感はずっと眠っていても抜群です。

この眠れるイアル姫を挟んで、タケルと合わせ鏡のような関係で全編通して動き回るキャラがイガム王子です。
イガム王子はイガム王家の生き残りの王子で、イアル姫の双子の兄です。
武人としての才能を買われてゼーバの下で地上侵略軍の指揮官をしています。
イガム王子はイガム家の汚名を返上して王家を再興することを宿願として屈辱の中で一途に頑張ってる人なのです。
ゼーバがイガム王子に「地上侵略に成功すればイガム王家を再興してやる」と約束したので、イガム王子はチャンス到来とばかり張り切ってます。

そういう王子ですから、妹のイアル姫も当然自分と同じ志を持ってくれていると思っていたのですが
その妹がマスクマン側に寝返って反逆者として処罰されたことは大変な衝撃でした。
イガム王子は妹を王家の恥辱として軽蔑し、妹をたぶらかしてチューブを裏切らせたタケルを憎悪し、一族の恥をそそぐためにタケルを殺そうとしてつけ狙います。
まぁどっちにしても地上侵略のためにはマスクマンは排除しないといけないわけですが、イガムの戦いは私情も絡んで激しいものになります。一方のタケルもイアル姫絡みだと私情爆発でおかしくなるので、2人の戦いは熾烈を極めます。

イガム王子は誇り高い王家の末裔なので卑怯な振る舞いを嫌うというような美点はあるのですが
とにかく王家の再興という一点に執着して頑固一徹で周りが見えなくなりがちです。
イガム家の忠臣みたいな人達もいて、地上侵略に突っ走り過ぎる王子を諌めたりもするのですが、王子は聞く耳も持ちません。
実は帝王ゼーバはイガム王子との約束など守る気は無く、単に王子を苦しめて楽しんでいるだけなのですが、イガム王子はそれにも気付きません。
しまいには宿敵のタケルにまで説教されたりもする始末です。

なんでイガム王子がこんなに頑なな心の持ち主なのかというと、それは生い立ちと関係があります。
実はイガム王子は男ではなく女で、イガム王家再興のために男のフリをしていたのです。いや、生まれた時から家の事情でそのようにさせられていたとも言えます。
このことはごく一部の側近以外は誰も知らないことで、妹のイアル姫ですら知らないことでした。
そういう重大な秘密を抱えていたので、誰にもなかなか心を開かない人になってしまったようです。

つまりイガム王子はイアル姫の双子の兄ではなく双子の姉であったのです。これが終盤になって露見します。
画像の中央がイガム王子ですが、いつもいかつい兜を被って険しい表情を浮かべています。とてもイアル姫と双子には見えません。
しかし、兜を外すと、険しい表情も緩んで本来の優しい気性が表に出て、画像右のような女性の姿になり、イアル姫と瓜二つとなります。
終盤、戦いの中で兜が外れて、女であることが露見するのです。
ま、それは物語の中での話であって、視聴者から見れば第1回登場時点でイガム王子が女(あるいはオカマ)であることはバレバレなんですけど。

ま、それはともかく、イガム王子の秘密の露見とほぼ同時に終盤には帝王ゼーバの秘密も明らかになります。
ゼーバはかつてイガム王家によって討伐された地底世界を荒らしまわった化け物の息子で、化け物が息絶える寸前にゼーバを生んでイガム家への復讐を命じていたのです。
イガム家は化け物が子供を残していたことは知らず、成長したゼーバは亡き親の言いつけ通りにイガム王家を滅ぼし、その生き残りを虐待し続けているのです。
イアルやイガムを殺してしまわないのは、ゼーバにとってイガム家への復讐のみが生きる糧なので、みんな殺してしまうと楽しみが無くなるからでした。
つまり地上侵攻も本当はゼーバにとってはどうでもいいことで、それを口実にイガムを甘言で釣って戦わせて見物して楽しむためだったのです。

この真実を知ったイガムは忠臣の命を賭した諫言もあり、遂に決起し、マスクマンと協力してゼーバを倒し、イアル姫を氷の棺から救い出します。
そして、地底世界の平和的再建を妹のイアル姫に託して、イガムは今までの自分の罪を償うために尼僧となって巡礼の旅に出ます。
同時に、地底世界再建のために指導者として地底世界に残ることを決心したイアル姫はタケルとの別れを決意し、タケルの恋は悲恋に終わります。
なんとも哀しいお話です。

こうして見てみると、マスクマンの物語の裏の主人公はイガム王子、いやイガム王女であるようです。
あるいは真の主人公であると言っても過言ではないでしょう。
実は女性であったということで、真のヒロインはイガム王女であったとも言えます。
少なくともハルカやモモコがいなくてもマスクマンという物語は成立したでしょうけど、イガム王女の存在なくしてマスクマンという物語は成立しません。
まさに「大映ドラマ」的なヒロインだといえます。

このイアル姫とイガム王女の2役を1人で演じたのが浅見美那という女優さんです。
双子ですから顔が同じなわけで、だから同じ女優さんが2役を演じているのですが、それにしてもこの2人は全然性格が違います。
特に兜装着時の「イガム王子」は人相まで違っており、イアル姫と同じ役者が演じているとはとても思えませんでした。
これは大した演技力です。

この浅見さんは当時、にっかつロマンポルノによく出ていた女優さんで、いわゆるポルノ女優です。
ポルノに出ながらテレビドラマのチョイ役でもしばしば出ていました。
ポルノ女優やAV女優というと軽蔑されがちですが、この浅見さんはもともとちゃんと演技の勉強をしてからポルノの世界に入った人で、ポルノの世界でもカリスマ的な人気を誇っていた人です。
基本的にポルノ女優というのは演技力は必要ですし、特にその中でもトップクラスとなると演技力は高いです。
ポルノ女優は基本的に美人ですし、綺麗な身体を維持しなければいけないので節制し鍛えている人が多く、健康で姿勢も良く、身体の使い方、見せ方の上手な人が多いし、運動神経の優れた人も多いです。色気も魅力もあります。
つまり、結構、戦隊ヒロイン向きの資質を持っているのです。
さすがにイメージというものがありますので、戦隊ヒロインそのものには起用は難しいですが
後年、戦隊シリーズの悪役女キャラによくポルノやAV業界出身の女優が起用されるようになるのは、十分に必然性のあることであり、この浅見さんはそのはしりだといえます。
また、後年、戦隊ヒロインにもグラビアアイドルが多数起用されるようになるのも、同じく裸の身体を見せることを商売にする女性ということで、共通した長所を持っているゆえです。
タグ:マスクマン
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2011年01月05日

ブルードルフィン

ブルードルフィン.jpg






















1988年の「超獣戦隊ライブマン」はバトルフィーバーJから数えてシリーズ10作品目であったので
「戦隊シリーズ10周年記念作品」として作られました。
この頃はまだゴレンジャーとジャッカーはシリーズ作品には含んでいませんでしたので。

それで記念作品ということで、例年は無名に近い俳優をキャスティングするのですが、この作品に限っては奮発して有名な俳優を戦隊メンバーにキャスティングしようということになり
当時既に俳優としてテレビや映画で活躍していた嶋大輔をレッドファルコン役、当時売れっ子アイドルで俳優としても評価の高かった森恵をブルードルフィン役に起用しました。
ちなみにイエローライオン役には後に有名になる西村和彦が起用されていますが、この当時は無名の新人俳優でした。ただ、後に売れたことを考えると、他の有名な2人と張り合えるだけの実力があると見込まれての起用だったと思われます。

ライブマンはこの3人による3人戦隊としてスタートしました。
3人戦隊はサンバルカン以来で、スーツカラーもサンバルカンの時と同じ赤青黄の三色で、それぞれ陸海空の動物をモチーフにしている点も同じです。
どうして3人戦隊にしたのかというと、嶋大輔や森恵クラスの俳優を5人分揃えるのはさすがに予算的に厳しく、
嶋や森を他の無名俳優の中に混ぜて5人のうちの1人として扱うのは難しかったからでしょう。
5人いれば、嶋や森のメイン回が5回に1回しかなくなりますし、もし逆に嶋や森のメイン回ばかりが多くなると視聴者から見て不自然に見えるでしょう。
だから3人戦隊の方が無難だったのです。それに3人の方が一人一人のストーリーを緻密に描けますので、彼らの演技力も無駄なく活かせます。

3人戦隊にすることでストーリーは散漫にならず、より深く緻密に描けます。
もともと10周年ということで最高の物語を描こうとスタッフも気合いが入っており、3人とも演技力が抜群なので、これまでで最高に物語は深みのあるものになりました。
もともとフラッシュマンから大人の視聴にも耐えられるストーリーを描こうという方向性が進展しており、このライブマンでその風潮は最高潮に達したといえます。

ライブマンはSF的な設定の青春ドラマと言っていいでしょう。
世界中の天才が集まる科学アカデミアで宇宙開発用スーツの研究をしていた5人の若者が同じアカデミアの3人の優等生の裏切りによって2人を殺されます。
優等生3人は姿を消し、残された3人は研究を続行し、そして2年後、姿を消していた3人の優等生はボルトという組織の幹部となって現れアカデミアを襲撃し壊滅させる。
ボルトというのは選ばれた天才の頭脳によって地球を支配しようという狂信的な集団です。
しかし2年前の事件以降、この日が来ることを予期して宇宙開発用スーツの研究をしていた3人は
アカデミアの校長の支援を受けて研究を進展させてボルトと戦うための装備やマシンの開発をしていたのです。
この残された3人というのが天宮勇介、大原丈、岬めぐみの3人で、実はボルトの幹部になった裏切り者の優等生3人はかつて彼らの親友でした。
勇介と丈とめぐみの3人はライブマンとなってボルトと戦うのですが、その目的は地球の生命を守ることであると同時に、かつての親友3人を改心させて救い出すことでもあるのです。
このように競争社会の中で己の能力に溺れて道を誤った友と戦わねばならない若者達の苦難の青春と心の葛藤が描かれており、これはもうシンプルな勧善懲悪のヒーロードラマの範疇を超えていると言っていいでしょう。
青春と愛の挫折と苦悩を描く「大映ドラマ」的路線の集大成的作品といっていいでしょう。

この3人戦隊ライブマンの紅一点がブルードルフィン、岬めぐみです。ブルーヒロイン第一号です。
バイオマン以降、ずっとダブルヒロイン制が続いていたのですが、3人戦隊となるとダブルヒロインというわけにはいきませんから、久しぶりに1人ヒロインということになりました。
しかし、ここまで何年間もヒロインは2人で役割を分担し合ってきており、ダブルヒロイン制とすることでヒロイン総体としての役割は肥大化してきたわけですから、
1人ヒロインとなると、その肥大化した2人分の役割を1人でこなさないといけなくなります。
つまり「強いヒロイン」と「弱いヒロイン」の両方の要素を兼ね備えなければならなくなります。
強く、優しく、美しく、母性に溢れ、明るく、知的で、しかも弱さも併せ持たねばいけません。
これほど多彩な要素を1人で表現することは普通は不可能かと思われますが、岬めぐみを演じた森恵さんは一種の天才で、これをやってのけてしまったのです。

scan12-2.jpgアイドルではありましたが、森さんは極めて運動神経が発達しており、さすがにJACレベルのアクションは無理でしたが、かなりアクションが上手でした。また、弓矢のヒロインでもあり、その分、アクションの見栄え補正も可能でした。
アクションのレベルが高いというより、とにかく器用なので上手く見せてしまうという方が正確かもしれません。演技の才能がとにかく高かったわけです。
そういう演技の天才ですから、他のヒロインの要素も全部演じ切ってしまいました。
知性という面では、めぐみの設定がアカデミアのトップクラスの秀才という設定だったのですが、森さん自身がもともと知性派アイドルで通っていましたのでイメージもピッタリでした。
そして美人なのは言うまでもありません。

しかも岬めぐみはそれだけに止まらないスーパーヒロインでした。
ライブマンは初めてメンバーが対等な関係であった戦隊だといえます。
つまり、それまでの戦隊は全て、レッド戦士をはじめとした男性戦士がだいたい年長者で、女性戦士が年下であり、もともと持っている能力も総合的に男性のリーダー格の戦士が突出した感じであることが多かったのです。
そういうレッドのリーダーが引っ張り、他のメンバー、特に女性メンバーはそれについて行くという感じでした。
ところが、このライブマンの場合、勇介や丈はめぐみよりも1〜2歳年長で戦闘能力もやや優れており、頭だってアカデミアの生徒だったのでもちろん悪くはないのですが、それでもアカデミアの全生徒中、成績はビリとビリから2番目という有様でした。
それに対してめぐみは常にトップクラスの成績で、実際ライブマンの装備やマシンなどもめぐみがほとんど作ったようなものでした。
年齢がやや下だといってもアカデミアでは年齢など関係無く皆生徒は対等な関係でしたので、成績トップクラスのめぐみに成績ドンケツの勇介や丈は頭が上がりません。
腕っ節には自信のあった男性陣2人でしたが、その分を差し引いても、3人は対等な関係であったといえます。
しかも初期の勇介や丈はかなりいい加減な性格であったので、めぐみに叱られてばかりでした。
だいたい、敵は元成績トップクラスの秀才たちですから、ライブマン側もどうしてもめぐみの頭脳が頼りになります。
そういうわけで、実質的にはめぐみがライブマンのリーダーのようなものでした。

どうして勇介や丈を劣等生という設定にしたのかというと、変に完璧な秀才よりも、不完全な人間として描く方が、より彼らの苦悩や葛藤を視聴者の身近なものとして描けるという狙いでした。
つまり、嶋や西村の演技力に大いに期待してそのような設定にしたのであり、非常に美味しい役であったのです。当然、彼らは悩みつつ成長していき、その成長の過程が感動的に描かれます。
その男性陣2人の美味しい設定を成立させるために、めぐみはスーパーレディとして描くしかなかったといえます。
3人とも劣等生でも後のハリケンジャーのように物語は成立しますが、どうしてもギャグ色が強くなるので、
物語を締める意味でもめぐみは優等生であった方がよかったのです。

このように岬めぐみは一種、特別な扱いのヒロインでした。
80年代戦隊で特に印象的な別格扱いのヒロインといえば桃園ミキ、立花レイ、渚さやかであろうが、
岬めぐみの場合、彼女たちのように印象とか魅力とかという要素ではなく、もっとストレートに能力的、役割的に明らかに別格という感じがします。
「シリーズ歴代最強ヒロイン」という称号も一部で贈られているようです。

森恵さんはこの岬めぐみというヒロインを見事に演じきり
岬めぐみというキャラはライブマンという物語の中で見事にその役割を果たしました。
しかし、だからといってライブマンおよび岬めぐみというキャラが大成功だったのかというと、それは商業的には微妙です。

3人しか戦隊メンバーがおらず、男性2人が女性リーダーの尻に敷かれて、しかもストーリーは敵となったかつての友との戦いに苦悩し、やるせなさに満ちたものです。
おそらくストーリーは戦隊シリーズ史上最も深くて感動的なのですが、ハッキリ言って子供には理解困難です。
子供視聴者、特にメイン視聴者である男児は、悪いヤツはスッパリとやっつけて欲しいのです。いちいち悩んでるヒーローや、敵と和解しようとするヒーローなど、あまりカッコいいと思わないのです。
しかも人数も少ないし、ストーリーの深みなどあまり興味無い子供から見てハッキリ言って地味でした。
フラッシュマンから始まった大人向けの重厚なストーリー重視路線もライブマンで3年目となり、とうとう男児の戦隊離れ現象が起きてしまいました。
ライブマンは開始早々、視聴率は低迷し玩具売上も振るいませんでした。10周年ということで気合いを入れて作ったのですが、気合いが入り過ぎて子供がついていけなくなったといえます。

そこでテコ入れが決まり、中盤から戦士を2人追加して5人戦隊とし、この2人は最初に殺された2人の学友の弟たちで、自分の兄や姉を殺してボルトに走った3人の秀才たちに復讐するためにライブマンに加入します。
こういうキャラの方が男児は感情移入しやすいです。自分の友を殺した友と和解しようとする初期3人よりも、自分の兄を殺したヤツを倒そうとする追加2人の方が分かりやすいです。
で、この追加2人と初期3人とで意見が食い違うのですが、これをまとめていく新しいリーダーとして勇介が頑張るのです。
別にめぐみがまとめていってもいいのですが、やはり男性リーダーの方が男児の受けが良く、勇介も成長したということで、実質的に勇介がリーダーになります。
それに合わせて、めぐみは勇介の参謀的な位置に身を引きます。まぁそれでもかなりスーパーヒロインではあるのですが。

つまり、普通の戦隊っぽくなったのです。ストーリーもやや子供向けになりました。ただ、相変わらず重厚な部分は残っており、やるせない展開も多く、終盤には思いっきり鬱展開になっていったので、あまり視聴率は大きくは回復せず、終わってみれば、この時点でのシリーズ歴代最低の平均視聴率を叩き出した作品となってしまいました。
まぁストーリーや演技など、内容的には間違いなくシリーズ屈指の名作なんですけど。

ただ、玩具に関しては、2人の追加戦士の登場に合わせて登場した2号ロボを初期3人の乗る1号ロボに合体させるという秘策「スーパー合体ロボ」が大成功して、これがバカ売れしたので、売上は回復しました。
ロボットにロボットを合体させて別の形の巨大ロボットにするというアイデアは斬新だったのです。
これでなんとかライブマンという作品の面目は保たれました。
そしてスーパー合体ロボはシリーズの定番となっていくのです。

なお、ライブマンという作品の極めて特徴的な点は、敵組織のボルトが明確に人間の組織だという点です。
まぁ怪人は作られた生物兵器で戦闘員はロボットなのだが、幹部は人間がほとんどを占めている。というより、元人間で、自ら志願して改造人間化したような連中だが。
しかしとにかく彼らは人間で、地球や人類を滅ぼそうとしているわけではない。ただ単に天才の自分達こそ世界を支配すべきだという狂信にとりつかれているだけで、それに反対する者や邪魔する者は抹殺すべきだと思っている。
だいたい戦隊シリーズの敵組織は人類社会の外部からの脅威、つまり人類とは異質な存在であることが多く、ライブマンの前もダイナマン以降はそういう敵が続いていました。
だから人類の想像を超えるほどの強大な力を持っており、戦隊側もそれに対抗するためにアースフォースやらフラッシュ星の超科学など、人類外の力を使ってきたのです。そして敵を倒す際にも何の躊躇いも持つ必要も無く、勝利を素直に喜びました。
しかしライブマンの敵ボルトは人間の組織ですから、その強さも信じられないほどのレベルというわけではなく、よってライブマン側もアカデミアの総力を結集した叡智で対抗出来たのです。というか、そういう設定で不自然ではなかった。
その反面、相手も同じ人間で、単に道を誤っただけで、しかも元は幹部3人は親友なのですから、本当は殺したくない。改心させたいわけです。だから戦いは悲壮なものとなり、必死で説得を重ねます。
結局、説得を聞き入れて1人は戻ってきますが改造手術や戦いの後遺症で記憶を失い、あとの2人は死にます。しかしライブマンが殺すのではなく、ボルト内部の粛清や実験材料になったりして死ぬのであり、ライブマンが手を下さないよう配慮されています。
諸悪の根源はボルトの支配者である大教授ビアスという男なのですが、岬めぐみはこのビアスすら救おうとして必死で説得を続けます。
しかし結局ビアスは説得を聞き入れず、自滅して果てます。
この終盤のあたりは非常に暗い展開で、ライブマン側は勝利しても彼らを救えなかったわけで、とても喜ぶというわけにはいかず、非常にほろ苦い結末となります。
実はバイオマンの敵首領とフラッシュマンの敵司令官も実は人間でしたが、これらも倒した際にはかなりほろ苦い描写となり、敵を倒して喜ぶという分かりやすい結末とはなりませんでした。
敵側も一瞬、良心に目覚めかけたりもするのですが、もう行くところまで行ってしまってるので戻ることは出来ないのであって、哀しい最期となります。
このように、敵が人間であったり元人間であったりすると、物語としては深みが出るのですが、あまりスカッとした終わり方になりません。こういうのは男児はあんまり好きではありません。悪いヤツをやっつけて心の底から笑って終わりたいのです。しかし人間の死を前にして戦隊メンバーが笑うわけにもいかないので、これも仕方ないことなのです。
タグ:ライブマン
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 15:41 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月06日

ピンクターボ

ピンクターボ.jpg






















1989年のシリーズ11作目は「高速戦隊ターボレンジャー」です。
前作ライブマンの終盤に昭和天皇の崩御があり、元号は平成に変わっていましたので、平成最初の戦隊ということになります。
ダイナマン以来6年間続いた「〜マン」という呼称をやめて「〜レンジャー」という形式にしたのは昭和から平成への切り替わりを意識したからというだけではないでしょう。
思えばダイナマンからライブマンまでの歴史というのは、ストーリーを深めて一級品のSF大河ドラマを作ろうという試みの歴史でした。
それを1作品ごとに積み上げていって、ライブマンでそれはほぼ完成の域に達したのです。
ライブマンは本当に素晴らしい出来でした。スタッフも満足したはずです。
ところがこのライブマンが商業的には歴代最低の成績しか挙げられなかったのです。
つまり制作スタッフの6年間の努力は視聴者、特にメインターゲットである男児層に拒否されたのです。
ライブマンが駄作なら仕方ないとも言えますが、ライブマンがなまじ名作であっただけにスタッフはショックを受けたことでしょう。
とにかく気分を切り替えて、子供受けのする路線に変更してやっていこうということになり、それゆえ「〜マン」の路線を捨てて切り替える意味での「〜レンジャー」であったと思われます。

ライブマンが因縁に満ちた人間同士の苦悩や葛藤に満ちた戦いのドラマを描いたせいでストーリーが複雑になりすぎて子供には分かりにくかったという反省をふまえて、ターボレンジャーはストーリーをシンプルにしようとしました。「大映ドラマ」路線からの脱却を図ったのです。
闘うのは人間と暴魔(魔族)であって、その間には何の因縁も無く、シンプルな勧善懲悪。人間であるターボレンジャーは暴魔を倒すのに何の躊躇いも無く、素直に勝利を喜ぶ。子供には分かりやすい設定です。
ライブマンの場合は人間同士の戦いだったので科学VS科学で描き切れたのですが、暴魔は本来は人間の手に負える存在ではないので、人間が暴魔と戦うには何か他の助力が必要です。
そこで子供受けを狙って「妖精」という存在を持ってきました。
未知の超科学などだと堅いし、アースフォースやオーラパワーみたいな抽象的なものだと分かりにくいので、
姿形のある小人のような妖精が手を貸してくれる方が子供には分かりやすいと思ったのでしょう。
しかもこの小人みたいな妖精がドールハウスに住んでいるという可愛らしい設定は、もう完全に子供向けを意識しています。

かつて人間は妖精と力を合わせて暴魔を封印したが、環境汚染が進んで妖精が滅亡しかけてしまい、そのせいで暴魔の封印が解けて人間社会へ侵略を開始してしまう。
そこで生き残った1人の妖精が、妖精を見ることが出来る5人の高校生にターボレンジャーとなってもらい暴魔と戦ってもらうという話です。
なんで高校生なのかというと、純粋さを残した若者でないと妖精が見えないとかいう理由らしいが、結局幼い頃に妖精の光を浴びた5人だったからということになったり、なんだかそこらへんの設定は曖昧です。

実際のところは、これも子供受けを狙って、より子供に近い年齢の一般人ヒーローの方が親しみやすいだろうということで10代の高校生にしたのでしょう。
初の高校生戦隊ということで一見斬新のようですが、今までで一番若いヒーローにしたら必然的に高校生ぐらいの年齢になり、それで一般生活を送らせるとなると高校に通わせるしかなくなっただけのことです。
それに学校の友人同士の戦隊というと前作と同じであり、単に年齢と学校のグレードが下がっただけで、二番煎じともいえます。前作からまだスタッフの頭が完全に切り替わっておらず、前作の設定を一部引きずっているとも言えます。

そして、この高校生5人組が身につける装備やマシンなどは妖精のパワーを使って太宰博士という科学者が開発したものなのですが、これが何故か車モチーフなのです。
これも子供受けする要素としてミニカー玩具の人気にあやかったものなのでしょうが、
妖精は環境汚染のせいで滅びかけてそれで暴魔が復活したというのに、その妖精と協力して暴魔と戦う戦隊が車を使うというのも変な話です。なんでも太宰博士の車は無公害らしいのですが、それにしてもやっぱ変です。
そういう設定上の矛盾点は我慢したとしても、やはり妖精という不思議な存在と車というメカニカルな存在の繋がりが不自然ではあります。
それに車の免許を取れない高校生に車という取り合わせも変です。

このように、妖精、高校生、車というように、決して個々の狙いは悪くないのですが、とにかく子供受けしそうなものを無理矢理パッチワークのように繋げてしまったのが、この作品をチグハグなものにしてしまった原因でしょう。
あまりに統一感が無い。おそらく6年間も重厚なストーリーばかり追求してきたため、子供受けする作品の作り方がよく分からなくなってしまっていたのでしょう。

scan28-2.jpgこの高校生戦隊ターボレンジャーの紅一点がピンクターボで、変身するのは森川はるなです。
ターボレンジャーはみんな同じ高校の3年A組のクラスメートで、はるなも高校3年生、セーラー服の女子高生です。
ここで5人戦隊なのにダブルヒロインに戻さずに1人ヒロインのままなのは、前作の岬めぐみのイメージが強く残っていたからでしょう。
岬めぐみがちゃんと成立していたのだから、1人ヒロインでも成立すると思ったのでしょう。

実際、はるなの設定はめぐみに酷似しています。
学校一の秀才で生徒会長、気が強くて男性メンバーを引っ張ることも多いが、美人で繊細で優しくスポーツ万能、バトン部のエースで演劇も得意、カエルが苦手という弱点もある。ハッキリ言ってスーパー女子高生です。
同じくスーパーレディだった岬めぐみを若くして高校生にしたような感じです。

そりゃあ、このキャラ設定ならばめぐみ同様、1人ヒロインでも成立するでしょう。
しかし、それはこのキャラを十分に演じきって表現出来ればの話です。
岬めぐみがスーパーレディとして成立したのは、演じたのが一種の天才俳優で演技経験も豊富な森恵だったからです。
はるなを演じた木之原賀子は森恵のような天才でもなく、若く経験も浅かったので、はるなのような難役を十分に演じきることは出来ませんでした。
結局、はるなは何の非の打ちどころも無いのに、何故か全体的に薄味のヒロインになってしまいました。
このあたりは制作側がもう少し深く考えてキャラを作るべきだったと思いますが、やはり岬めぐみという理想のヒロインの印象に引っ張られてしまったのでしょう。

こうしたキャラの薄さの問題ははるなだけではありません。他の男性メンバーも含めての構造的な問題です。
そもそも戦隊というのは5人のキャラが立っていなければいけません。それは5人のバックボーンの違いから来るものです。
バックボーンの違う、個性の違う5人が集まるから面白いのです。
しかし同じ高校の同じクラスに通うという設定では、バックボーンに大きな違いはありません。
そりゃ性格の違いぐらいはありますが、所詮は高校生なので人生経験も薄弱で、どうしても似てきます。
ライブマンの初期3人も同じアカデミアの生徒でバックボーンは同じでしたが、あれは演技上手な嶋・森。西村だからキャラを立てられたのです。

それでも不良とか落ちこぼれとか、色々とやりようによってはバックボーンの違いも多少は出せます。実際、前作の嶋と西村も落ちこぼれ役でした。
しかし、この作品の場合「妖精が見える純粋な心の持ち主」という妙な縛りがあり、5人とも真っ直ぐ純粋な生徒でないといけないのです。これでは落ちこぼれや不良という設定にするのが難しい。
結局、5人とも学園のスターみたいな、やたらメジャーな生徒たちになってしまいました。
みんな運動部のエース級のヤツばっかりで、学業もそこそこ出来て、異性にも人気のあるヤツらです。
学園のヒーローがそのまま戦隊ヒーローになってしまったという感じで、これは意外性が無くて全然面白くない。そしてみんな部活は違うが、結局は似たようなもので個性の違いが無い。
純粋を強調しすぎて結局は無個性になってしまったといえる。

更にまずかったのが「ターボレンジャーであるという正体を隠さねばならない」という設定です。
これまでの戦隊もみんな基本的には秘密戦隊だったのですが、ターボレンジャーの場合、高校に通ってますので、日常生活の中で正体を隠す努力をする場面がやたら多い。
これがコソコソしてるようで堂々としてないと見られて、子供の印象が悪いのです。
それにどうしても生身アクションが少なくなり、役者への負担は減りますが、その分、ここでも個性を見せるチャンスが減り、子供から見て弱いヒーローに見えてしまう。
また「若さ」を強調しすぎたため、未熟な面が強調されてしまい、あまりカッコいいヒーローに見えなくなってしまいました。
子供たちは頼りがいのある大人のヒーローを見たいのであって、高校生がダメというわけではないが、あまり未熟で弱そうでコソコソしているヒーローはウケないのです。

そして安易に高校生戦隊としたことで、役者陣が皆若返ってしまい、まとめ役がいなくなったのも痛手でした。
それまではだいたいレッド役あたりが少し年長で芸歴も豊富で、戦隊役者チームのまとめ役として引っ張って1年間の厳しい現場を乗り切ってきたのですが
何せみんな高校の同級生という設定ですから、みんな若く経験も浅くほぼ同年代になりました。
こうなるとまとめ役が不在となり、5人の役者はバラバラとなります。みんながベテランならばまとめ役などいなくてもバラバラにはならないのですが、何せ未熟な若者なので、まとめる者がいないとすぐバラバラになるのです。
これでは良い演技など出来るはずもなく、5人のキャラは薄いものになってしまいました。

結局、まだ6年間のストーリーの重厚化という流れから頭を切り替えきらないまま、中途半端に子供受け路線を狙おうとして、チグハグな設定と薄味のキャラを作り出してしまったといえます。
その結果、開始当初から視聴率は苦戦続きとなり、当時歴代最低の前作ライブマンさえも下回る低調ぶりとなったのでした。
この苦境の中、テコ入れのために「流れ暴魔」というキャラが登場してくるのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 15:15 | Comment(2) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月07日

キリカ

scan008.jpg「高速戦隊ターボレンジャー」は子供受けを狙った幾つかの要素を中途半端な形で繋ぎ合わせて出してしまったため、チグハグな作風と影の薄いキャラを生み出してしまい、
開始早々、視聴率は前作ライブマンよりも一段と下がってしまいました。
これは、子供向け路線にシフトしたことで前作で掴んでいた中高生などの高年齢視聴者を逃した上に、
その子供向け路線に失敗したので肝心の子供視聴者も逃がしてしまった結果でした。

ちゃんと子供向けのものが作れるのなら、もともとこんな事態にはなっていないわけですから
これに対する対処策は子供向けの路線では出来ないわけです。
そうなると、6年間の蓄積のある大人向け路線でテコ入れするしかない。
そういう事情で出て来たのが「流れ暴魔」というキャラで、そのヒロインがキリカでした。

正確に言うと、流れ暴魔自体はもともと出す予定ではあったようですが、その扱いはゲストキャラ的なもので、あくまで小さいものであったようです。
しかし、流れ暴魔のヤミマルとキリカを演じた2人が非常に存在感が有ったこともあって、その扱いは大きくなったと言われてますが、
そういう安易な流れではそう上手くはいかないのであって、実際に流れ暴魔篇が成功していることを考えると、明らかに作品のテコ入れとして意識的に流れ暴魔の扱いを大きくしようという流れがあったと考えた方がいいでしょう。

流れ暴魔というのは、暴魔と人間の間の混血児のようなもので、
魔力が弱いので暴魔からは半端者として差別され、当然人間からは化け物として排斥されてきた存在です。
「ターボレンジャー」に出て来る流れ暴魔はヤミマルとキリカの2人で、実際この2人しか生き残っていないようです。
ヤミマルは生まれ持った魔力の弱さを修行で補って、今までの恨みを晴らして暴魔も人間も滅ぼして流れ暴魔だけの世界を作ろうとしています。
しかし、そのためにはアダムとイブのように女の流れ暴魔のパートナーが必要なわけで、
そこでヤミマルが目をつけたのがキリカです。

キリカは最初はターボレンジャー5人の通う高校の同じクラスの女生徒、月影小夜子として登場します。
小夜子は自分が流れ暴魔だとは知りません。普通の人間だと思ってます。
暴魔は2万年前に封印されたわけで、つまり流れ暴魔も2万年前以前に生まれたはず。
実際ヤミマルは2万年生きて修行を重ねてきてます。
だから小夜子も2万年前に生まれたはずであって、その時点で普通の人間だと自覚するのは不自然ということになるのですが
このへんは、小夜子は赤ん坊のまま2万年を過ごし、18年前から成長を始めたという設定にしてクリアーしています。
それがどういう原理によるものなのかはかなり曖昧なのですが、なんせ急激なテコ入れなので仕方ないでしょう。

ともかく小夜子は18歳の誕生日に流れ暴魔として覚醒する運命にあったのです。
それを知って、ヤミマルも転校生として同じクラスに潜り込みます。覚醒した小夜子を導いて仲間にするためです。
そして18歳の誕生日、小夜子は流れ暴魔として覚醒し、女戦士キリカとなります。
キリカは最初は大いに戸惑い、苦悩しますが、結局ヤミマルに説得されて共に流れ暴魔の世界を作るために人間や暴魔と戦う道を選びます。
2人揃うことで共鳴して、ヤミマルもキリカもパワーアップして強大な力を手に入れて、ターボレンジャーにとって強敵になります。
ヤミマルもキリカもクラスメートですのでターボレンジャー5人は2人とは闘いたくないのですが、彼らが敵視して襲ってくるので仕方なく戦います。

遂にはヤミマルとキリカは暴魔大帝を策略に嵌めて倒し、暴魔を乗っ取ってその支配者として君臨しますが、復活した暴魔大帝と戦う羽目になります。
その過程で、キリカは自分の実の父親の暴魔獣と出会い、その父親の死の間際に自らの出生の秘密を知ります。
それは自分の父と母が人間と暴魔の平和共存を望んで自分を生んだのだということで、それをきっかけにキリカは改心して戦いをやめます。
一方、ヤミマルは最終決戦時に暴魔大帝に敗れて死にかけますが、キリカの祈りで助かり、最後は改心します。
そして、戦いが終わり、高校の卒業式の日、ヤミマルとキリカは人間として静かに暮らしていくためにターボレンジャーに別れを告げて2人で去って行きます。

このように、なんとも濃いストーリーです。完璧にマスクマンやライブマンのような大映ドラマ路線です。
子供向けの明快なドラマとして始まったはずの「ターボレンジャー」は流れ暴魔の登場で後半は大人向けの重厚なストーリーに変貌しました。
この濃いストーリーのヒロインがキリカです。
キリカを演じた森下雅子はとにかく存在感が抜群で、キリカのキャラも非常に濃く、しかもこの濃いストーリーですから、もともとキャラの薄かったピンクターボ森川はるなはすっかり影が薄くなってしまい、「ターボレンジャー」後半の流れ暴魔篇の実質的なヒロインは完全にキリカでした。

さて、このテコ入れが成功したのかどうかですが、これは数字的には判断は難しいです。
何故なら、キリカの覚醒が31話で、そこから流れ暴魔篇が始まるのですが、その次の32話から放送枠が変わっているからです。
それまでスーパー戦隊シリーズは第一作のバトルフィーバー以来、土曜日の夕方6時から始まっていたのですが、これがターボレンジャー32話(10月初旬の改変期)から金曜日の夕方5時半開始に変更されたのです。
番組の途中で放送枠が変更されるのは珍しいことで、確かに前半かなり視聴率が下がってはいましたが、この時はそれだけが原因ではありません。

最大の原因は宮崎勤事件でした。この1989年の夏、連続幼女誘拐殺人事件の犯人の宮崎勤が逮捕され、その自宅から猟奇的なビデオと共に大量のアニメや特撮関連のビデオが押収されたため、アニメや特撮への世間の風当たりが強まり、TV局が自粛してメジャーな放送枠からこれらのジャンルを排斥したのです。
土曜夕方6時枠というと子供向け番組のゴールデンタイムのようなものでしたが、ここから「ターボレンジャー」が移動させられた先の金曜夕方5時半枠というのは、それまではドラマやアニメの再放送を流す枠でした。
ハッキリ言ってマイナーな枠で、番組中盤でいきなりこんな枠に移動すれば離れる視聴者がいて当たり前です。

更にマズいことに、このようなアニメ特撮の排斥措置は全TV局が一斉にやったため、当時人気ナンバーワンだったアニメ「らんま1/2」がフジテレビ系で同じ時間帯に来てしまったのです。
もともと人気低調だった「ターボレンジャー」の視聴者の多くは「らんま」の方に流れてしまい、放送枠変更後、視聴率は更に下がってしまいました。
あるいは流れ暴魔篇で中高生の視聴者は増えていたのかもしれないのですが、このようなアクシデントによって子供の視聴者が激減してしまったため、何だかよく分からなくなってしまったのです。
視聴率は激減したとはいっても、半分は放送枠途中変更という異例のアクシデントのせいであることは関係者一同分かっていますし、
また、玩具はさすがにミニカー型玩具の人気はあって、売上は過去歴代最高を記録しました。ちょうど世間はバブルの最後の輝きの時代でした。
テコ入れに成功したのかしていないのか、よく分からない状況になったのです。

しかし、数字はともかく、制作陣は流れ暴魔篇の内容には手応えを感じていました。
最初はあまりに視聴率が落ちたのでシリーズ打ち切りも検討されたようですが、
視聴率は全体的には落ちたが玩具は売れている以上、番組としての目的は果たしているわけで、
あとは視聴率を上げるだけならば、もともとの子供向け路線に重厚路線を合わせた「ターボレンジャー」後半の作風で、新たな金曜夕方の放送枠で1話から始めればそれなりの数字は取れるはずだと考えました。
こうして次の作品で勝負を賭けることになったのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2011年01月09日

ファイブピンク

ファイブピンク.jpg






















放送枠の変更などもあり、ターボレンジャーで視聴率が急降下してしまったスーパー戦隊シリーズは1990年の「地球戦隊ファイブマン」で勝負を賭けました。
子供受けしそうな点を押さえつつ、大人向けの重厚路線を当初は志向していたと思われます。
前作に引き続き、より子供たちに身近な日常を舞台にした場面を増やす傾向にあり
今度はファイブマンのメンバーは全員が小学校の先生ということになりました。
但しその勤務する学校は序盤で壊滅して先生たちは休職してしまうので、実質的にはほとんど先生してなかったと思いますが。
また子供たちに分かりやすいテーマとして家族愛や兄弟愛をテーマにするため、5人全員が1つの兄弟姉妹ということになりました。初の兄弟戦隊です。
そして、日常生活シーンが多い中でいちいち正体を隠すことにエネルギーを使っていた前作の教訓から、ファイブマンは初の「周囲に正体が知られている戦隊」となりました。

そうした明るく親しみやすい設定でありつつ、ストーリーは重厚でした。
人類が宇宙に進出しているという設定の未来の時代、宇宙の星々を巡って星の生命を甦らせることをライフワークとしている地球人天才科学者の星川一家が、外宇宙のシドン星という星で宇宙の星々の生命を滅ぼして回っているゾーン帝国の襲撃を受け、5人の子供を逃がすために父と母は消息不明となってしまいます。
その5人の星川兄弟が地球に戻って成長し、同じ小学校の先生になって平和に暮らしていたのですが、地球にもゾーンが攻めてきます。実は5人兄弟はゾーンの襲撃を予期しており、父の残した巨大ロボやマシンなど、そして自ら開発した強化スーツで武装してゾーンに立ち向かいます。
まぁこういう話で、星川兄弟たちはゾーンによって親と離れ離れにされてしまったわけで、親は死んでいるかもしれないわけでもあり、ゾーンは親の仇みたいなものです。
つまりファイブマンにとってはゾーンはかなり因縁深い相手です。また兄弟による両親を探すストーリーも絡んできて、どうも「フラッシュマン」にニュアンスの似た物語といえます。
つまり重厚な物語だといえます。実際、序盤の展開はかなりドラマチックで、制作陣が気合いを入れていたことが分かります。

しかし、いくら重厚ストーリーでも、キャラが魅力的でないとダメです。
例えばターボレンジャー後半の流れ暴魔篇の重厚ストーリーはヤミマルとキリカという強烈なキャラがあってこそのものでした。
しかしファイブマンの場合、全体的にキャラがなんとも薄かったのです。
これはまた前作と同じ失敗を繰り返しているのですが、5人のバックボーンが同じなのです。
一緒に育った兄弟で、全員が小学校の先生で、勤務先も同じ。これではキャラが重なるのは当たり前です。
担当教科が違うとか、性格が違うとか、そういう個性は一応あるのですが、やはりバックボーンが同じというのは痛い。
それに性格だって、みんな生徒想いの優しい先生で、基本的には同じようなものです。
キャラがいくら良キャラでも、同じようなのが何人もいると、その良さを殺し合ってしまって、印象が薄くなるのです。

scan030-2.jpgそこで戦隊ヒロインですが、ファイブマンでは前作で森川はるなに岬めぐみの仕事量を全部負わせようとして失敗した教訓から、再びダブルヒロイン制に戻しました。
チェンジマンやフラッシュマンの頃のような「強いヒロイン」と「弱いヒロイン」の分業体制です。
そのうち、「弱いヒロイン」の方を担当したのが星川兄弟の上から3番目で長女の星川数美で、ファイブピンクに変身します。
算数の先生で、そのイメージ通り、頭が良いです。
冷静な判断力と分析力でリーダーであり長兄であるレッドの学をサポートする参謀格のキャラで、渚さやかみたいなチーム内の位置だといえます。
そして、さやか同様、戦闘力の方は他の兄弟に比べてやや劣ります。一応特技はフェンシングなのでどうしようもなく弱いというわけではないのですが。

また、5人兄弟の3番目(23歳)ですが、女としては1番上であり、特にもう1人の女である妹のレミが家事がダメなので、数美が母親役をこなすことが多く、それゆえ母性溢れるキャラとなっています。
当然優しく、しっかりしていて、一生懸命頑張る性格です。
言い換えると真面目な性格ですから、天真爛漫というわけにはいかず、やや暗いところもあります。
まぁ全体的に渚さやかに似ているといえます。また容姿的にもさやか同様、美人キャラです。

しかし、数美は全てにおいてさやかよりも薄味という印象なのです。
やはり、あまりに立ち位置がさやかに似過ぎていて、二番煎じ感が強いです。特技のフェンシングも立花レイのパクリっぽいし。
過去の良キャラを引き継ぐのは良いのですが、多少はアレンジして新しいものを生み出す姿勢が無いとダメでしょう。
しかし、これは、数美というキャラがさやかよりも薄い薄くないという問題だけではなく
同じ防衛軍の同僚であったとはいっても全員が別方向に突き抜けた問題児だったチェンジマンの5人に比べ
同じ家で育ち同じ学校に努める真面目な先生というファイブマンの5人が全体としてキャラが薄かったせいという方が大きいでしょう。
5人とも真面目で優等生すぎて、キャラにいい意味で壊れたところが無かったのです。
そういう5人の中で数美のキャラも当然薄くなっていったのでした。

ルックスは実は歴代でも上位クラスの美人で、性格も申し分ない理想的ヒロインなのですが、とにかく印象が薄い。
演じていた宮田かずこさんも美人でしたが、舞台で主に活動していた地味めの女優さんでした。ある意味、ハマリ役だったかもしれません。
ただ、ファイブマンという作品のキャラが数美に限らず、大部分が薄いので、その薄さすら個性にならない。
星川数美とは、そういうヒロインです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 15:46 | Comment(1) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月10日

ファイブイエロー

ファイブイエロー.jpg






















ファイブマンのもう一人の戦隊ヒロインはファイブイエローに変身する星川レミです。
これは星川兄弟の末っ子の二卵性双生児の片割れで次女です。ファイブブラックの文矢と双子なのだそうです。
年齢は20歳で、他の兄弟たちと同じ小学校で音楽教師をやっていました。
20歳で音楽教師は一応なれるみたいですが、双子の片割れの文矢は20歳で国語教師だそうで、これは現在の法律ではなれません。でもファイブマンの物語は未来の話みたいなので、その時代には20歳でも小学校の国語教師になれるのでしょう。
ちなみになんで双子にしたのかというと、大して意味は無いと思います。
おそらく、5人兄弟で年齢差をつけていくと下の方が教師やってるのが不自然な年齢になってしまうので仕方なく双子にして年齢差を無くしたのでしょう。

で、レミですが、モロに「強いヒロイン」の系譜のヒロインです。
姉の数美が典型的な「弱いヒロイン」タイプであったので、それとバランスをとってあります。
少し変わった特徴としては、音楽教師なので絶対音感を持っています。
これはリズム感がいいということで、運動神経が良いことに通じます。
まぁとにかく音楽のイメージ通り、明るく楽しく賑やかな性格で、あんまり頭のいい印象はありません。
非常に行動的で、活発、末っ子なので子供じみています。
演じていた早瀬恵子はアクション女優で、カンフーが得意でしたので、レミもカンフーを得意とするという設定になっています。
特に女性のカンフーですので、素早くチョコマカ動き回ったり足技を使ったり、トリッキーな動き、特に何故か酔拳が得意という設定です。
また、姉の数美とは対照的に家事全般は全くダメで、女らしさというのとは無縁なキャラです。

scan009-2.jpgこのように、まとめると「陽気で戦闘力が高く素早く身軽で行動的で家事がダメで女らしくない」というキャラで
これはまさしくチェンジマンの翼麻衣と同じようなキャラです。
姉の数美が渚さやかとよく似たキャラで、妹のレミが翼麻衣とよく似たキャラというのも非常に分かりやすいですが、
これはやはりちょっと捻りが無さすぎて二番煎じ感が強いです。
そして、やはり兄弟全体のキャラが薄いので、レミも印象は薄いです。

ファイブマンの重厚なストーリーは、究極の生命体を目指して宇宙の星々の生命をオモチャにする敵首領とか、敵のせいで離れ離れになる戦隊メンバー親子、戦隊の装備が宇宙科学由来であることとか、何処となくフラッシュマンに趣が似てるわけですが
しかし、前作の後半のマスクマン&ライブマンもどきのストーリーといい、今回のフラッシュマンもどきといい、要するに二番煎じで目新しさがありません。
過去に作った重厚な作品の焼き直しのような感じで、マンネリに陥っているといえるでしょう。
ハッキリ言って、この重厚路線はライブマンを到達点として、もうやるべきことをやり尽くしてしまっていたのです。
東映内部でもこの時期は戦隊シリーズはマンネリが極致に達していて、新しい挑戦をしようという勢いは、むしろ不思議コメディーシリーズやメタルヒーローシリーズの方が盛んでした。
不思議コメディーシリーズではこの年、「美少女仮面ポワトリン」で美少女路線を確立していますし、メタルヒーローシリーズはこの年、「特警ウィンスペクター」でリアル志向の集団ヒーロー路線に舵を切っています。
両シリーズとも戦隊シリーズよりも大幅に少ない予算で創意工夫していたのですが、戦隊シリーズはぬるま湯に浸かっていたといえます。

まぁこういうマンネリのストーリーであってもキャラが立っていれば、ターボレンジャーの後半の流れ暴魔篇みたいに盛り上がるのですが
ファイブマンはとにかくキャラが薄かったのでキツかったようです。
ファイブマンの5人も薄かったですが、敵側のゾーンも首領のメドーは存在感あったものの、これはいつも顔しか出て来ないのでインパクトだけみたいな存在で
その手下の幹部たちはガロア艦長を筆頭にみんな威厳に欠ける薄いキャラでした。

マンネリ気味のストーリーに薄いキャラでは、人気の裏番組の「らんま1/2」には到底勝てませんでした。
それで序盤から視聴率がターボレンジャーよりも更に下がってしまい、酷いことになってきました。
それで制作サイドも慌てたのか、中盤になると子供受け路線に急激に転換して、5くん人形などというパペット人形のようなキャラを出して解説役をやらせたり、また中途半端な子供受け路線で迷走を続けましたが、子供の視聴者は増えず視聴率は下がり続けました。
最初に重厚な設定で物語を始めてからコメディー路線に転じても、浮いてしまってダメなのです。

しかしファイブマンの場合、より深刻な問題は視聴率よりも玩具売上の方でした。
ターボレンジャーで歴代最高の売上を叩き出したというのに、いきなり玩具が売れなくなったのです。
この事態の急変の原因は、ファイブマンの玩具が面白味に欠けるマンネリ風味のものであるにもかかわらず高額であったというのもありますが、
最大の原因はこの年に起こったバブル崩壊による景気の冷え込みでした。

これで開き直ったのか、ファイブマンは後半のストーリーは持ち直しました。
シュバリエという敵の大幹部が出て来てから急激に視聴率が回復したのです。
シュバリエは非常に濃いキャラで、キザでニヒルでちょっと変なヤツなのですが、演じていたのはフラッシュマンでグリーンフラッシュを演じていた植村さんという人です。
つまりシュバリエはキャラも良かったが、フラッシュマンを見ていたやや上の年齢層のファンを呼び込んだのです。
それでも話が面白くならなければ意味は無いのですが、シュバリエがファイブレッド星川学をやたらライバル視するもので、学のキャラも立ってきて、更にカッコいいシュバリエが登場したおかげでガロアがギャグキャラとして再生することも出来ました。
更にシュバリエが部下として使っていた悪の戦隊ギンガマンという5人組や宇宙のチンピラであるグンサーなどが加わり、
学、シュバリエ、ガロア、ギンガマン、グンサーらが引き起こす濃いドラマが展開され、ほとんど学を除く兄弟4人は空気化する中、物語はなんとも意外かつ衝撃的なクライマックスに突入していったのです。

このファイブマンの後半は戦隊ドラマとしてはちょっと評価が難しいですが、とにかく1つのドラマとしてかなり面白かったのは間違いないです。
おかげで視聴率は急上昇していったのですが、玩具は相変わらず、あまり売れませんでした。
これはつまり、ファイブマンの後半の視聴率を支えていたのは高年齢のファン層だったということです。
玩具を買わないような中高生ぐらいの古参の戦隊ファンです。
逆に、男児層はファイブマンのような作品では戦隊シリーズにはもう見向きしてくれなくなっていたということが分かってしまいました。
いや、ターボレンジャーの頃には制作陣もそういうことは薄々感じていました。
でも、その頃はまだ玩具は売れていたのです。だから子供の視聴者が減ってもまだ何とかなると思っていたのです。

しかし、バブルが弾けて玩具が売れなくなったことで状況は変わりました。
戦隊シリーズは玩具販促番組ですから、玩具が売れなくなったらシリーズは打ち切り確定です。
だから何としても玩具を売らねばなりません。
でも玩具を買ってくれるのは男児ですから、離れてしまった男児視聴者を絶対に引き戻さないといけません。
しかしファイブマンのような作品では中高生ファンは惹きつけられても、男児視聴者を惹きつけることは出来ません。
それではダメなのです。だから本格的に子供受けする番組を作る手法を新たに、しかも早急に確立しなければいけなくなったのです。
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 00:08 | Comment(1) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

不思議コメディーシリーズ

hushigi.jpg














「ファイブマン」でスーパー戦隊シリーズが行き詰っていた時期、東映で元気だったのが「不思議コメディーシリーズ」でした。
これは1981年から1993年にかけてフジテレビ系で日曜朝9時からやっていた子供向けの特撮コメディーシリーズのことです。
ジャンルとしては、「エブリデイ・マジック」というやつで、簡単に言えば、ごく普通の日常生活に異世界の住人、例えば宇宙人やロボットや妖精、魔法使い、お化けなど、あるいはそれらに由来する超科学や不思議現象が現れてドタバタ騒動を巻き起こすというやつです。
日本で代表的なものとしては、ドラえもんやお化けのQ太郎などの藤子不二雄作品や、サリーちゃんやメグちゃんのような一連の魔法少女アニメなどでしょう。
このように基本的に漫画やアニメに多いジャンルなのですが、これを実写で成功させた最初の顕著な例が石ノ森章太郎原作で「ゴレンジャー」と同時期に東映で制作された「がんばれ!ロボコン」です。

この後、1970年代後半にかけて石ノ森原作あるいは東映独自制作でロボコンに類似した作品やエブリデイ・マジック的な作品が幾つか作られます。これらが源流となって1981年に不思議コメディーシリーズが始まります。
といっても最初からシリーズ化するつもりであったわけではなく、そもそも作風にかなりばらつきがあって、制作側も一連のシリーズという意識も希薄だったことでしょう。
ただ、ロボコンからの流れで全作品が「石ノ森章太郎原作のエブリデイ・マジック作品」という共通項でくくられていたため、次第に一連のシリーズという意識が強くなっていきました。
まぁ、石ノ森原作といっても、石ノ森は監修程度で、実質的にはほとんど東映独自制作のようなものでしたが。
このシリーズの功績は非常に色々あるのだが、最大の功績はやはり休日朝の時間帯を子供向け番組の時間帯として開拓したことでありましょう。

不思議コメディーシリーズは基本的に1年1作品のペースで作られていました。
シリーズ初期はロボット、怪生物、妖精、神様などが主人公の子供の住んでいる一般家庭に居候して、近所の変な人達も巻き込んで様々な珍騒動を巻き起こすという作品が続きます。

ところで、この1980年代前半の日本を代表するエブリデイ・マジック作品にしてコメディーの最大のヒット作品といえば、高橋留美子の漫画「うる星やつら」です。
「うる星やつら」は1978年に漫画連載が開始されて大ヒット、そして1981年にアニメ放送もスタートして、これも大ヒットしました。
1981年に始まった当初はロボコンの模倣のような作品であった不思議コメディーシリーズが次第に妙な生き物を中心に据えたコメディーに変わっていくのは、「うる星やつら」の影響は皆無ではないでしょう。
パクリというほどそっくりではなく、「うる星やつら」の生み出した要素を上手に採り入れて新たな魅力を作り出していったといえます。
ただのパクリならオリジナルに勝てるはずもないのですが、同時代に絶頂であった「うる星やつら」を相手どって、しっかりシリーズの実績を残し続けたのですから大したものです。

この「うる星やつら」が1987年に終了して、その後継作品として高橋留美子が世に出したのが「らんま1/2」です。
あの「ターボレンジャー」や「ファイブマン」が苦戦を強いられた「らんま1/2」です。
不思議コメディーシリーズは、その「らんま」の源流といえる「うる星やつら」と、一応ちゃんと勝負出来ていた実績があるのです。
だから、スーパー戦隊シリーズとしては、子供受けする作風を作るにあたって、不思議コメディーシリーズというのは非常に参考とするところ大だったわけです。
それで、ライブマンから子供向けに作風を変えてターボレンジャーを作る際に、妖精を出したり、日常生活描写に重点を置いたりしたのです。
しかし高橋漫画の方も「うる星やつら」から「らんま」へとより洗練されて進化していたのであって、「うる星」に対抗するための80年代前半型の不思議コメディーシリーズの要素では「らんま」には勝てなかったのでした。それでターボレンジャーやファイブマンでは「らんま」には対抗出来なかったのです。
ファイブマン後半が「らんま」に対抗出来たのは大人に受けた作風だったからで、子供視聴者争奪戦ではやはり勝てていません。

しかし、不思議コメディーシリーズの方では1980年代後半、「らんま1/2」に対抗するための試行錯誤は続けていました。
まず1987年から1988年までの2年間、少年探偵団ものを2作品続け、御近所コメディでありながら「悪者と戦う」という要素を前面に出しました。まぁ大した悪者じゃないんですが、エブリデイ・マジックに格闘マンガの要素を合わせた「らんま1/2」に対抗する要素でした。

そして1989年、不思議コメディーシリーズは「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!」「魔法少女ちゅうかないぱねま!」という2作品を続けざまに制作しました。
これは従来のシリーズの基本線であった「変なものが居候する」というパターンを踏襲しつつ、その居候するものが着ぐるみのロボットや妖精ではなく、新人アイドルが演じる魔法少女であるという点で画期的なものでした。
これは「宇宙人の鬼娘ラムが居候する」という「うる星やつら」の実写版を志向した挑戦であると同時に、それが極めて中華テイストであることから、同じく中華テイストが売りの「らんま1/2」への対抗意識が見てとれます。

「ちゅうかなぱいぱい!」は中華世界の魔女パイパイがラーメンに変えられてしまった婚約者を探すために人間界へやって来て高山家に居候して様々な騒動を巻き起こすという、なんともシュールな話で、これは基本的に御近所コメディで、悪者との戦いはメインテーマではありません。
ただパイパイは普段は人間の女の子の姿に化けているので、ここぞという魔法を使う時は中華魔女の姿に変身します。だから変身ヒロインではあります。
パイパイを演じたのは当時新人アイドルだった小沢なつき。
アイドルを起用したのは、やはり子供向けドラマの主人公なので華のある若い女性タレントがいいということであったのでしょうが、前年のライブマンの森恵の起用が成功したことも影響しているでしょう。
それに、なんといっても、変身ヒロインではないながらも、同じフジテレビ系で東映制作で1985年から3年間続いた、斉藤由貴、南野陽子、浅香唯というトップアイドルを主役とした「スケ番刑事」シリーズの影響も大きいでしょう。
かといって予算不足の不思議コメディーシリーズでは森や斉藤、南野、浅香のような売れっ子アイドルは使えないのでまだ無名の新人アイドルにしたというところでしょう。

続く「ちゅうかないぱねま!」も中華世界からパイパイと入れ替わりに人間界へやって来たイパネマというお嬢様が高山家に居候して、夜逃げした両親を探すという御近所コメディでしたが、
前作との大きな違いは、イパネマは魔女ではなく中華世界に住む普通の女の子で、もともと魔法を使えないということです。
じゃあどうして魔法を使うのかというと、高山家にパイパイが置いていった魔法のペンダントを使うことでなんとか変身して魔法を使うことが出来るのですが、未熟者なので失敗が多いということになります。
ここに、「普通の女の子が力を授けられて変身して特殊な能力を使う」という新たな展開が生まれたのです。
このイパネマを演じたのは、これも当時新人アイドルだった島崎和歌子です。新人アイドルの変身ヒロイン役への起用がパターン化し始めたのです。

そして1990年、設定を一新して「美少女仮面ポワトリン」が制作されました。
これはまるで昔の人気アニメ「ラ・セーヌの星」のような西洋風の仮面騎士のいでたちで悪者たちと戦う変身ヒロインのお話です。
村上ユウコという普通の女子高生が神様から町内の平和と安全を守るように頼まれて、神様から貰ったペンダントでポワトリンに変身して戦う羽目になるのだが、神様は胃カタルの治療のためという口実で温泉旅行に行くのが目的で、しかも守るのはあくまで町内という、あくまでシュールな御近所コメディという路線は崩していません。
ただ、前作の「普通の女の子が力を授けられて変身する」という設定に少年探偵団的な要素を加えて、初めて「悪者と戦う」ということを前面に出したのが特徴的です。

ただ、このポワトリンことユウコは別に好きで戦っているわけではなく、神様に無理矢理押しつけられてイヤイヤ戦っている。しかも周囲に正体がバレるとカエルにされてしまうというから悲惨で、誰にも相談も出来ない。このイヤイヤながら戦うというのがコメディーとして最高に面白いのです。
こうして「イヤイヤ戦う変身ヒロイン」という画期的なスタイルが生まれたのでした。
ユウコを演じたのは新人アイドルの花島優子で、この「ポワトリン」が大人気となったことによって、「戦う美少女変身ヒロインを新人アイドルが演じる」という形がシリーズにおいて定着することになったのです。

この「ポワトリン」は「ファイブマン」と同時期の作品で、「ファイブマン」が裏番組の「らんま1/2」に苦戦し続けている頃、「ポワトリン」は「らんま」に十分に対抗し得る子供人気を獲得していたのです。
そういうわけですから、スーパー戦隊シリーズが「らんま」に対抗していくために、「ポワトリン」に代表される同じ東映の不思議コメディーシリーズの新しい路線を大いに参考としていくのは必然といえるでしょう。

一方、不思議コメディーシリーズの方は1991年には前作「ポワトリン」とほぼ同じ路線の「不思議少女ナイルなトトメス」を制作しました。
これはモチーフを前作の西洋中世風から古代エジプト風味に変えたもので、先祖のお墓を誤って壊してしまった女子高生の中島サナエが、そこから逃げ出した51匹のナイルの悪魔を再び捕まえて封印するように先祖の霊に約束させられてしまい、そのために戦うトトメスに変身する不思議ステッキを授けられるというお話です。
トトメスことサナエを演じたのは新人アイドルの堀川早苗でした。
基本的には「ポワトリン」と同じ部類の話ですが、これも非常に人気作品となりました。

しかし、ここで凄いのが、フジテレビと東映がこの軌道に乗った美少女戦士シリーズを捨てて、翌1992年に更なる新たな挑戦に打って出たことです。
それが世紀の怪作であるミュージカル風味のスラップスティック・コメディ「うたう!大竜宮城」なのですが、さすがにこれはコケました。
で、東映がそんなことをしている間に、漫画アニメ界では画期的なことが起きていたのです。
それは1992年に「美少女戦士セーラームーン」の漫画連載とアニメ放送が始まって大人気を獲得したことです。

この「セーラームーン」は「ポワトリン」とスーパー戦隊シリーズを参考にして作られたものだそうです。
つまり、「ポワトリン」や「トトメス」のような戦う変身美少女戦士を、スーパー戦隊シリーズのように集団ヒーロー化したものです。
ただ、この2つを参考にしたということの意味はそれだけではないでしょう。
「ポワトリン」の持つ日常性やシュールさ、普通の女の子らしさと、スーパー戦隊シリーズの戦隊ヒロインたちの持つ熱さやひたむきさ、強さ、知性、優しさなどを総合した存在が「セーラームーン」に登場するセーラー戦士たちなのでしょう。
これはもう究極のヒロインといってもいい。むしろ、こうした究極のヒロイン性を1人のキャラに収めることは不可能なので、集団ヒロイン体制にしたのだといえるでしょう。

この「セーラームーン」の大ヒットを受けて、不思議コメディーシリーズは1993年に「ポワトリン」型の美少女戦士の集団ヒロインバージョンとして「有言実行三姉妹シュシュトリアン」を制作します。
この「シュシュトリアン」は和風テイストで、酉年の平和を守るように「お酉様」という神様から無理矢理力を与えられた三姉妹がシュシュトリアンに変身して悪人たちと戦うというもので、相変わらずのシュールギャグ炸裂で人気作品となりました。
シュシュトリアンになるのは山吹雪子、月子、花子の三姉妹で、高校生、中学生、小学生です。演じていたのは田中規子、石橋桂、広瀬仁美の3人の新人アイドルでありました。
ただ、この作品、視聴率は好調だったのですが玩具があまり売れませんでした。セーラームーンの玩具の人気が圧倒的だったのです。

何故、シュシュトリアンはセーラームーンに勝てなかったのか。
それは、シュシュトリアンが単にポワトリンを形だけ集団ヒロイン化しただけで、中身は相変わらずのシュールヒロインのままだったからでしょう。
ギャグは冴えてるので見ていて面白い。だから視聴率は伸びるのですが、セーラー戦士ほど女児が感情移入は出来ないので玩具は売れないのです。
どうしてセーラー戦士の方が感情移入出来るのかというと、セーラー戦士の方がスーパー戦隊シリーズのヒロインの要素が加わっている分、ヒーロー性が高く熱いのです。その熱気に女児は惹きつけられたのです。

では不思議コメディーシリーズで同じことが出来るのかというと、あくまでシュールコメディが売りのシリーズですから、冷めた部分が基本なのであって、あまり熱さを追求するわけにはいかない。
つまり不思議コメディーシリーズではセーラームーンには玩具売上では勝てない。
そもそも不思議コメディーシリーズが美少女戦士路線に舵を切った大きな理由は、バブル崩壊後の厳しい番組制作環境の中で女児向け変身玩具などの売上を稼ぐためでもありました。
その玩具が売れなくなったということは、美少女戦士路線は破綻したということです。
別路線の「うたう!大竜宮城」もコケていましたし、ここらが潮時と判断し、視聴率は好調であったにもかかわらず、「シュシュトリアン」をもって12年に及んだ不思議コメディーシリーズは終了となったのでした。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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ホワイトスワン

ホワイトスワン.jpg






















1990年の「ファイブマン」で視聴率や玩具売上がドン底まで落ち込んだスーパー戦隊シリーズでしたが、
翌1991年の「鳥人戦隊ジェットマン」で玩具売上は急激に回復し、視聴率も強力な裏番組の「らんま1/2」にはまだ及ばなかったものの、全体的に高い水準をキープしました。
そして、数字以上に世間に非常に注目された作品でもあったのです。
それは「戦うトレンディドラマ」という異名をとるほど、従来の戦隊作品ではあえて踏み込まなかった「戦隊メンバー同士の恋愛描写」を非常に深く描いたため、高年齢層の多大な反響を呼んだ、戦隊シリーズ屈指の異色作だったからでした。

ジェットマンというのは、そういう観点で論じられることの多い作品です。
あまりに恋愛描写の印象が強く、またそういう意味であまりに有名な作品であるために、一種伝説化してしまっており、
実際に作品を観ていない人がそういう印象だけでジェットマンを捉えてしまい、「ジェットマン=戦隊恋愛ドラマ」みたいな図式が世間的にいつしか定着しています。
本当にそうだったのかというと、それは少し違うと思います。
ただ、そうはいっても実際に恋愛が描かれたのは事実ですし、異色作であったのは間違いないでしょう。

物語冒頭で地球防衛軍スカイフォースの有する人工衛星アースシップが異次元からの侵略者バイラムの襲撃を受けて壊滅するのですが
その際、アースシップではある特殊鉱石から発するエネルギー波「バードニックウェーブ」を人間に浴びせて超人戦士ジェットマンを作るプロジェクトが遂行されており、
特殊鉱石から得られた5人分、5種類のバードニックウェーブを5人のエリート軍人に浴びせている途中だったのです。
1人目の被験者である天堂竜がバードニックウェーブを浴びてジェットマン第一号レッドホークになった直後、バイラムの突然の襲撃によって作業は中断され、
アースシップは破壊され、脱出出来たのは竜とプロジェクト責任者の小田切長官の2人だけで他の者は全滅、そして残りの4人分のバードニックウェーブは実験用機械の破壊と同時に4条の光となって地上(日本の関東地方あたり)に降り注いでしまったのでした。

で、小田切長官がバイラムと戦うためにジェットマンが5人揃わなければいけないと言い出します。
5種類のバードニックウェ−ブの共鳴作用によってこそジェットマンは最大の力を発揮することが出来るからです。
そこで、竜は地上でバードニックウェーブを浴びた4人を探し回ります。まぁ竜の身体の帯びているバードニックウェーブと共鳴するので捜すのはそんなに大変ではないのです。
見つかった4人は、財閥の令嬢の鹿鳴館香、純朴な農業青年の大石雷太、女子高生の早坂アコ、女好きの遊び人の結城凱。
しかし彼らはバードニックウェーブのプロジェクトのことも知りませんし、バイラムの脅威も知りません。
そもそも地球や人類を守るために戦うという使命感もありません。自分の日常生活の方が大事です。
それで、戦うことを拒んだり、遊び半分で参加したり、バイト代を要求したりと、好き勝手なことばかり言います。
そうした寄せ集めの民間人4人と、一人だけプロ戦士の竜とが、ドタバタと揉めながらバイラムと戦っていくのです。

そうしたドタバタの中で恋愛描写が出て来るのです。
ところで恋愛描写というのが、ジェットマン以前の戦隊作品では「あえて描写されていなかった」とよく言われますが、それは少し違うでしょう。
よく「男女が同じチームで身近に接しているのだから恋愛感情が芽生えない方がおかしい」と言います。
しかし強大な敵との真剣な戦いの最中に仲間内で恋愛感情を持つ余裕はあまり無いでしょうし、仮に恋愛感情が芽生えたとしても、それを告白したりするのは後回しになるものでしょう。「今はそんなこと言ってる場合じゃない」と考えるのが戦士の常識というものです。
それがジェットマンでは恋愛感情が芽生え告白し、恋愛模様が展開していくというのは、つまり彼らが戦士ではないということです。
もともと戦士の自覚など無く、単にたまたま事故のように空から落ちてきたバードニックウェーブを浴びてしまったためにイヤイヤながら、あるいは軽いお手伝い感覚で戦っているだけであって、心の中は戦士にはなりきっていないまま戦っているのです。
例えば、ジェットマンは初めて変身後も本名で呼び合う戦隊でしたが、それもプロ戦士の自覚が無い戦隊だからなのです。(まぁファイブマンは兄弟なので時々名前で呼び合っていたし、ターボレンジャーはプロ戦士の自覚は希薄だったが正体を隠す必要があったので本名呼びをしてなかったのだが)
とにかく、そういうアマチュア意識だからこそ、仲間内で恋愛ゲームのようなことにも興じてしまうのです。

scan010.jpgこのジェットマンにおける戦隊ヒロインはダブルヒロイン制となっており、ホワイトスワンとブルースワローの2人います。
そのうち、この恋愛ゲームに参加するのはホワイトスワンの方で、鹿鳴館香が変身します。
香は財閥の令嬢で、退屈な日常から脱するために竜の誘いを受けてジェットマンに参加します。
わがままで世間知らずのお嬢様が気軽に自分探し感覚で戦いに参加したのです。当然、挫折することになるのですが、今さら簡単に辞めることは出来ません。バードニックウェーブを浴びた人間に替わりはいないわけですから。
香は落ち込みます。もともと温室育ちのせいで基本的能力が5人の中で最弱なので、ジェットマンになっても一番能力が低く足を引っ張ってしまいます。もう嫌になって辞めたくもなるのですが、辞められません。
竜も香が辞めないように一生懸命励ましたりして、香ももともと意外に芯が強く頑張り屋、というか意地っ張りなので、結局頑張ってしまいます。頑張ってメカに詳しくなったり射撃の腕を上げたりして香も成長していきます。

そして、そういう励まされたりしている遣り取りをしているうちに香は竜の真剣な戦士としての姿勢に惹かれて恋心を抱くようになります。それで告白するのですが見事にフラレます。竜はプロ戦士なので一緒に戦う仲間と恋愛ゲームなどする気は無いというわけです。
この香に対して凱が恋愛感情を抱きます。凱は香をさんざん口説きますが、香は竜のことが忘れられず、凱はフラレ続けます。それで凱は面白くなく、もともと真面目人間の竜が気に入らないので、ますます竜を敵視するようになります。それで凱が竜に突っかかって揉めることが多々あるのですが、凱は凱で実は独自の正義感を持った熱い男であり、その実態を知るにつれて香も竜も凱のことを認めるようになり、香は凱の気持ちを受け入れて付き合うようになります。

この後、アースシップ壊滅時に死んだと思っていた竜の恋人リエが生きていて、洗脳されて敵バイラムの幹部マリアとなっていることが分かります。そのことを知って竜はショックを受けて戦意を失ってしまいます。
つまり竜は香に言っていたような「戦う仲間と恋愛はしない」なんていう御立派な戦士ではなく、ちゃっかり戦う仲間(リエはジェットマンになるはずだった)と恋仲になってしまうような男で、リエのことが忘れられないから香をフッただけのことだったのです。
ところが凱はこの情けない竜の実態を知って、逆に竜が冷たい戦闘機械ではなく血の通った人間だったと知って、竜を庇うようになり、それをきっかけに今まで自分も竜のことを認めていたことに気付くのです。
凱の励ましで立ち直った竜は凱と強い絆で結ばれるようになります。
一方、凱は香と付き合っていくうちに生まれ育ちの違いを感じて気持ちが冷めていき、2人の仲は自然消滅していきます。

そして、立ち直った竜ですが、なんとかリエを取り戻そうと奮闘しますが、結局はリエを取り戻すことは出来ず、記憶の戻ったリエはバイラムの最後の敵ラディゲに殺されます。それで竜はヤケになって復讐のために1人で戦おうとしますが、それを香が「リエは正義のために戦う竜が好きだったはず」と止めます。
それによって竜はリエの死を受け入れて復讐を止め、正義のために5人で戦ってラディゲを倒し、戦いが終わります。

その後、竜は香と付き合うようになり、3年後に竜と香は結婚します。その結婚式に行く途中で凱はひょんなことでチンピラに腹を刺されてしまいますが、香に気持ち良く竜と幸せになってもらうために結婚式をしている教会へ無理して行き、ベンチに座って香に微笑みかけて静かに息を引き取ります。

香を取り巻く恋愛模様というのは、こういうものです。
それ以外の戦隊ヒロインとしての香の特徴としては、一応ダブルヒロインにおける「弱いヒロイン」のタイプに分類されるとは思います。
戦闘力は5人の中では一番低く、ひたむきな努力家で、真面目でおとなしい性格だからです。ルックス的にも美人です。
しかし他の渚さやかや星川数美という「弱いヒロイン」のように特に頭脳派であるような描写もありませんし、特に優しさや母性が強調されてもいません。美人という点も、確かに美人ですが、片割れのアコも結構可愛いので、そんなに際だった印象はありません。

むしろ、そういう賢明さや博愛精神などがあると、香の最大の特徴である「恋する女」という側面に支障をきたしかねないので、そうした賢明さや博愛精神は抑制された設定になっているようにも思えます。
逆に、恋愛関係で変に行動的だったり迷ったりする香の行動に説得力を持たせるために、香は美人で世間知らずのお嬢様で頼りない、つまり男から見て「つい構いたくなる弱い女」という設定にされているように見えます。
こうなると、香というキャラの設定は、一見「弱いヒロイン」のように見えて、戦隊ヒロインとしての印象はどうも薄く、実は「恋するヒロイン」であり、弱さや真面目さや美人であることなどの香の全ての属性は「恋するヒロイン」に説得力を持たせるための要素であったかのように思えてきます。
すると、香というキャラの存在意義は「正義のために戦うこと」ではなく、「戦隊内で恋愛すること」だったということになります。これは通常の戦隊ヒロインとはかなり異質です。というより、厳密な意味で戦隊ヒロインといえるかどうか微妙ですらあります。
ダブルヒロインの片割れがこれですから、このジェットマンという作品のダブルヒロインは非常に異質で、ちょっと一筋縄ではいきません。

それでは香の恋愛模様を描くことが香というキャラの存在意義だったのかというと、それは違います。
そもそも上記の香と竜と凱およびリエの四角関係の主題が男女の恋愛を描いたものかというと、それは違うでしょう。
ここで描かれているものの本質は、竜という主人公にとっての戦いの意味と、その竜と凱との友情の物語です。そして、その2人の関係に象徴される、最初はバラバラだったジェットマンの5人が成長して真の仲間になっていく過程です。

竜は本当はプロ意識で戦うクールな戦士ではなく、愛する者がいてこそ戦える熱い男なのです。だからリエにいつまでもこだわり、リエの死を受け入れた後は香の存在を必要としたのです。
一方、凱は竜の真実の姿に無意識に気付きながらも表向きのクールさに反発しており素直になれません。香を口説いたのも竜を出し抜いてやりたいという対抗意識です。だから、いざ香を手に入れるとすぐ気持ちが冷めてしまい、竜の真実の姿を目の当たりにして自分の竜へのシンパシーに気付くと香との付き合いはどうでもよくなっていくのです。そして香と凱の仲が自然消滅していくのと並行して、竜と凱の友情は深まっていくのです。

これは竜も凱もそれぞれの文脈で成長していっているわけで、その結果、2人の絆は強固になるのです。他の3人も同様に成長していって、5人が最後には真の仲間になることで物語は完結するのですが、それを象徴するストーリーとして、特にこの竜と凱のストーリーが強調されています。
香という「恋するヒロイン」は、この竜と凱のストーリーを成り立たせるための重要な触媒の役割を果たしているのです。そのためにこそ存在意義があるのだといえます。

これはジェットマンという作品において非常に重要な存在意義なのです。
ジェットマンという作品は明らかに高年齢層をターゲットにした作品です。ジェットマンのモチーフが鳥で、それが戦隊の源流であり往年の人気アニメである「科学忍者隊ガッチャマン」を強く意識していることからもそれは窺えます。
高年齢層向けには重厚なストーリー展開を売りにするのが戦隊シリーズの伝統です。
フラッシュマンでは親子の絆、マスクマンでは悲恋物語、ライブマンでは青春の苦悩などが描かれましたが、このジェットマンで描かれた重厚なストーリーは、まさに「バラバラだった5人が成長し結束していく物語」であり、それを象徴するのが竜と凱の友情の物語だったのです。別に軽薄な恋愛模様を描写することがこの作品のテーマではないのです。
その竜と凱の物語を成り立たせるために香というヒロインの存在は不可欠だったのです。
だから、香というヒロインの存在意義は、単なる戦隊ヒロインとしての意義などよりも更に重要で、作品のテーマそのものに直結するわけです。香はこの物語の真のヒロインなのだといえるでしょう。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 22:02 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月11日

マリア

maria.jpg「鳥人戦隊ジェットマン」は竜の戦う意味を読み解いていくことと、竜と凱の友情が形成されていく様を描写することで、ジェットマンというチームが真の戦士の仲間に成長していく重厚な物語を描きました。
この戦隊側の重厚なストーリーに敵組織バイラムの物語が密接に絡むのがジェットマンの大きな特徴でもあります。
そして、そこでカギとなるキャラがマリアです。
マリアもまた、このジェットマンという物語の真のヒロインといえます。香と同じく、マリアがいなければ竜の物語は成立せず、竜と凱の物語にバイラムの物語が絡むこともないからです。

バイラムという敵組織は首領がいない珍しい組織です。
首領は女帝ジューザといって強大な力を持っていたのですが、別の次元で行方不明になって、その下にいた3幹部はそれを幸いと歓迎してます。よほど鬱陶しかったのでしょう。
途中でジューザが戻ってきますが、幹部連中は敵であるジェットマンと協力してジューザを倒す始末です。

そもそもバイラムの幹部連中は地球侵略を真面目にやる気もあるのか怪しいものです。
なんせジェットマンはいつも内輪もめばかりしている素人集団ですから、ジェットマンを出し抜いて地球を侵略してしまうことなど可能なはずです。
しかし彼らが興味あるのは、ジューザ無き後の勢力争いであり、ジェットマンを倒した者が次の首領になるという賭けをしてしまったので、地球侵略とかそっちのけでジェットマンと戦うことを優先してます。

で、このバイラムの幹部がラディゲ、グレイ、トラン、マリアの4人なんですが
実はもともとの幹部は3人で、マリアは自分がバイラムの幹部だと思い込んでるだけなのです。そのことを他の3幹部は知ってますが、マリアには言ってません。
マリアは実は元は地球人で、スカイフォースの隊員で竜の同僚にして恋人だった藍リエという女性でした。
リエも竜と同じようにエリート軍人で、ジェットマンになる予定でしたが、アースシップでバードニックウェーブを浴びる直前にバイラムの襲撃を受けて次元の穴に吸い込まれてしまい、竜はリエは死んだものだと思っていました。
しかしリエはラディゲに捕らわれて洗脳され改造されて、バイラムの女幹部マリアとして変わり果てた姿となってしまったのです。
リエであった頃の記憶は無く、自分がバイラムの幹部だと思い込んでいます。もともとリエは心優しい女性だったのですが、性格も凶暴に変えられており、地球侵略とジェットマン打倒しか頭にありません。
どうしてラディゲがそんなことをしたのかというと、基本的にはマリアを見てその愚かさを楽しむためなのですが、自分のことを好きなように洗脳してるということは、一応マリアに好意は持っていたようです。

リエはもともとピアノが得意で、マリアになってからもピアノは弾いていました。
時々、記憶がフラッシュバックして苦しんでいたので、完全に記憶は消えておらず、そのせいでピアノも弾けるようです。ただマリアはどうして自分がピアノが弾けるのかもよく分かっていません。なんとなく本能的に弾いているだけです。
そのピアノの音色に感じ入って、グレイという別のロボット幹部がマリアに恋心を抱くのですが、ロボットの自分がマリアに恋する資格は無いと思い、常に一歩引いた態度でマリアに接し、内心では一途に想いながら告白はしません。
このグレイは凱とライバル関係となります。香と結局結ばれない凱と、マリアと結ばれようとしないグレイは、妙に通じ合う部分もあって、変に理解し合うライバル関係となります。

一方、物語中盤で竜はマリアの正体がリエだと知り、一旦戦意を喪失しますが凱らの励ましで立ち直り、それ以降、なんとかリエを取り戻そうとして、ラディゲとライバル関係となります。
最後、ラディゲはマリアを怪物化しようとしますが、それを忍びないと思ったグレイがジェットマンにマリアを引き渡し、マリアは竜の呼びかけによって洗脳が解けてリエに戻ることが出来ます。
しかしリエは自分の洗脳中の犯した罪を悔いて、竜から離れてラディゲのもとに戻り、ラディゲへの恨みを晴らすためにラディゲの背中を刺し、怒ったラディゲに斬られます。
そして、呼びかける竜に対して自分のことを忘れてほしいとリエは言い、グレイはリエの意を汲んでその身体を竜の目の届かない場所へ連れていき、リエはグレイの腕の中で竜の名を呼びながら死に、グレイの流した涙を受けたリエの死体は消滅します。

その後、竜はラディゲへの復讐を1人で企てますが失敗し、竜の危機に駆け付けようとする凱たちの前にグレイが現れ、凱はグレイと決闘し倒します。そしてその間に竜のもとに駆け付けた香が竜に復讐心を捨てるよう説得し、竜はリエの死を受け入れて仲間と共にラディゲと戦うことを決意し、5人でラディゲとの最終決戦に入っていくのです。

このようにマリアは非常に悲劇的なヒロインです。
竜がどうしても忘れられない元恋人という設定ですから、香やアコよりもマリアの方が美人になっています。また元エリート軍人ですから凛々しいですし、
香やアコは実はジェットマンはかなりコメディー色が強い戦隊でもあるのでキャラ崩壊してる描写も多いのですが、
マリアはそういうシーンはほとんど無いので、その分を加味すると、マリアの方がこの物語の真のヒロインのようにも見えます。
実際、物語上、あまりに重要なヒロインですので、香と共にこの物語のダブルヒロインと言っていいでしょう。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 02:14 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブルースワロー

ブルースワロー.jpg





















「鳥人戦隊ジェットマン」はバラバラだった5人が仲間になっていくまでの物語を敵味方入り混じった愛憎劇という重厚なストーリーで描いたわけですが、
しかし、「ジェットマン」が本当にやるべきことはこういうことだったでしょうか?
それは違うでしょう。「ジェットマン」という作品に課せられていた使命は、前作「ファイブマン」でドン底まで落ち込んだ視聴率と玩具売上を回復させることだったはずです。
そして、視聴率だけならこういう大人向けの重厚なストーリー重視路線でも回復は可能でしょうが、玩具売上を伸ばそうとするならば、こういう高年齢視聴者重視の路線は逆効果です。実際「ファイブマン」後半はそれで失敗したのです。
ここで必要なのは、子供受けのするドラマ作りであったはずです。ところがこの大人向け重厚ドラマ路線を選んだわけですから、「ジェットマン」は本来の使命を果たせるはずがない。

しかしながら、「ジェットマン」は視聴率面では強力な裏番組「らんま1/2」にまだやや押され気味ではあったものの、年間通して高い水準を維持しました。
まぁこれは大人向けの重厚ストーリーが世間で大きな話題になったほどですから、注目度も高く、高年齢層が多く観てくれたと解釈出来ます。実際、そのように解釈されるのが一般的です。

しかし、「ジェットマン」は玩具売上も大幅に回復しているのです。
大人は玩具を買いませんから、これは子供が買ったのです。それはつまり子供もしっかり「ジェットマン」を観ていたということです。観た上で玩具に思い入れを持つほどに子供にも届く面白さがあったということです。
そうはいっても、竜や凱や香あたりの織りなす重厚なストーリーは、やはり子供には理解困難なものでしょう。
それで現に玩具が売れているということは、何か別の要素が有ったということです。

どうも私達は「ジェットマン」が放送当時「戦うトレンディドラマ」などと言われて、あまりに大きな話題になってしまったために、「ジェットマン=大人向け特化戦隊」という公式を頭の中に作ってしまい、勝手に「子供は置いてけぼりだった」と決めつけてしまっているようです。
実際は多くの子供がジェットマン玩具を買っているし、視聴率の好調だって実は世間で騒がれたほどは大人視聴者ばかりが多かったのではなく、子供視聴者も増えていたのではないでしょうか。
いや、こうした誤解は視聴者だけでなく、東映の制作陣もまた、そのように思い込んでしまっていたのではないでしょうか。
メディアの流した「戦うトレンディドラマ」という評判に影響されて、東映自身も「ジェットマンは成功したけど大人向け過ぎた。ジュウレンジャーから子供向けに転換して成功した」という公式史観を作ってしまっていますが、実際は「ジェットマン」から子供人気の回復現象は始まっていたのではないでしょうか。

実際、よく観てみると、「ジェットマン」では例の竜と凱と香とリエを中心とした愛憎劇のパートとバイラムのパートを除くと、残りの全編ほとんどはシュールコメディーのような作りになっています。
考えてみると、ジェットマンという戦隊はかなり笑える設定です。
全く普通の民間人が日常生活を送っていたら、いきなり空から降って来た光を浴びて変なパワーを持つ羽目になり、いきなり変な軍人がやって来て「一緒にバイラムと戦いましょう」と言われるわけです。こんな迷惑な話もないでしょう。
断っても軍人は有無を言わさず戦わせるつもりのようですし、敵だというバイラムの連中がいきなり出て来て「お前らを倒したら首領になれるのだ」なんて勝手なことを言って襲ってきます。仕方なくイヤイヤながら戦うしかないのです。
正義感が全く無いわけでもなく、条件もそう悪くないわけなので、戦うしかないとなれば、それなりに前向きにもなるのですが、戦いは困難を極めるわけですから、何度も挫けそうになります。もともと不屈の使命感なんて持っていないのです。パニックになったり愚痴っぽくなったりもします。気分転換もしなければやってられません。
そういうわけで、巻き込まれてしまった民間人4人と、巻き込んでしまった軍人1人の戦隊は、様々なトラブルを起こしながら敵と戦っていくのです。

それまでも何の訓練も受けていない民間人がいきなり戦いに巻き込まれる戦隊というのはありました。
デンジマン、ゴーグルファイブ、ダイナマン、バイオマン、ターボレンジャーがそのタイプに属します。
しかし、それらの戦隊の場合、メンバーはすぐに使命を受け入れて地球を守る戦士の自覚を持ちます。自分が安穏とした日常を捨てて戦うことに疑問は持ちません。それが戦隊ドラマのお約束というものでした。

こういうお約束を破るところにシュールな笑いというものは生まれるのです。
水戸黄門が印籠を出したらみんな土下座して畏まるのがお約束であって、常識的感覚で印籠を偽物だと言い張って黄門様を斬り殺してしまったら、これはシュールなコントになります。
「ジェットマン」は戦隊が集合して敵との戦いも始まっているのに、まだ一歩引いた日常意識で戦いを迷惑がったり、「本来は自分はこんなことしなくていいのに」と被害者根性を捨てていないという時点で、これはもうシュール・コメディなのです。いや、日常感覚で恋愛ごっこをしていることも十分シュールなのです。
民間人側が非日常的な非常時に日常感覚を持ち込んでいるのが悪いのか、軍人側が民間人側の日常に割り込んで非常時という非日常を押しつけているのが悪いのか、どっちもどっちなのでしょうが、とにかく日常と非日常が出会う時、そこにはシュールな笑いが生まれます。
ジェットマンというのは実際はほとんどこういうシュールな笑いで構成されたコメディー物語なのです。

こうした笑いは東映の不思議コメディーシリーズ、特にその中でも「ポワトリン」以降の美少女戦士シリーズと同じタイプの笑いです。
ポワトリンもトトメスもシュシュトリアンも、いきなり変な力を与えられて無理矢理ご町内の平和だとかいうワケの分からんもののために戦わされて、日常生活を送りながら迷惑を感じつつも、変にノリ良く戦ったりするのです。
彼女たちは平和のために悪人と戦いながら、純粋な精神の戦士になどなりません。普通の女子高生らしい生々しい悩みなども抱えて、しょうもないことをやったりしています。
こういう不思議コメディーシリーズの笑いが、「らんま1/2」に対抗し得るパワーを持っていることは「ジェットマン」を企画中の1990年に「ポワトリン」の成功によって如実に実証されていました。
だから、「らんま」と直接対決しなければいけないスーパー戦隊シリーズは、「ジェットマン」を戦隊版の「ポワトリン」として企画したのです。
それが「いきなり能力を与えられて戦わされつつ、日常感覚を捨てず迷惑がる戦隊ヒーロー」なのです。

scan014.jpgこうした「ジェットマン」における不思議コメディーシリーズ的なテイストを象徴する存在が
ブルースワローの早坂アコと、イエローオウルの大石雷太の2人です。
他の竜や凱や香なども実際は恋愛モードの時以外はかなり滑稽な存在なのですが、このアコと雷太はこの恋愛モードすら存在せず、しかもアコは子供のような性格、雷太は戦隊ヒーローらしからぬメガネデブであり、2人ともヒーロードラマよりもコメディードラマの方が似合うキャラです。
特にこの中でも、もし「ジェットマン」が不思議コメディーシリーズ作品だったとするなら主役を務めるべきなのはアコの方です。
何故なら、アコが5人の中で一番、日常感覚を強く維持しているからです。

不思議コメディーシリーズというのは、異常な出来事に巻き込まれた主人公が日常感覚でその異常な出来事を観察していくところに面白味があるのですが
「ジェットマンとして戦うことによって生じる様々な葛藤」が日常に降り立った異常な出来事だとするなら、竜は完全にその異常を運んできた元凶(神様やお酉様の類)で、凱や香は既にいくらた異常に染まってしまっているご近所の変な人達です。
そして雷太は不思議コメディーシリーズに定番の「主人公のダメ兄貴(あるいは弟)」あたりのキャラでしょう。
そうして、あくまで日常感覚を崩さず、異常な状況下の恋愛ゲームにも加わらずにひたすら傍観者を決め込むアコこそが、不思議コメディーの主人公にふさわしいといえます。

言い換えれば、アコがいてこそ「ジェットマン」は不思議コメディーシリーズのテイストを維持することが出来るともいえます。
これが早坂アコというヒロインの「ジェットマン」という作品における存在意義なのです。
それは、アコを演じる内田さゆりが、もともと不思議コメディーシリーズの「どきんちょ!ネムリン」という初期作品で子役ヒロインとして有名だったことに象徴されています。
内田さゆりは不思議コメディーシリーズの申し子であり、彼女を戦隊ヒロインに起用したということは、その戦隊ヒロインは不思議コメディーシリーズのようなシュールコメディーチックなヒロインであることを求められているということなのです。

早坂アコは一見したところ、ダブルヒロイン制における典型的な「強いヒロイン」タイプのようにも見える。
お転婆でお調子者、それでいて恋愛にはオクテで、色気より喰い気やお金が好きという、しかもがさつで、まぁあまり女らしくないタイプです。これはチェンジマンの翼麻衣によく似ています。
また戦闘スタイルは身軽に素早く飛び跳ね舞うアクロバチックなスタイルで、これも翼麻衣と同じ「強いヒロイン」の特色そのものです。
しかし、アコと麻衣は決定的に違う点があります。麻衣の戦闘力は訓練によって身に付けたものであり、麻衣は訓練を経てきた戦士なのですが、一方、アコの戦闘力は(もともとある程度は運動神経が良かったようだが)バードニックウェーブを浴びたことによって生じたものであり、アコは訓練を受けた戦士ではないという点です。
戦闘力だけが有っても、戦士としての覚悟が無い者は「強いヒロイン」とは言えません。麻衣だけでなく、ルーもハルカもレミも、「強いヒロイン」に属する者らはみんなそれなりに準備して戦いに臨んでいたのです。しかしアコは準備が出来ていません。だから戦士ではなく「強いヒロイン」ではないのです。

それよりも、アコのもともと持っていて、アコというヒロインにおいて他の既存ヒロインに比べて際立った特徴は、極めて現実感覚が発達しているということです。
これは頭が良いとか冷静という意味ではありません。
そうではなく、どんな局面においても極めて日常的、庶民的、小市民的感覚を忘れないということです。
逆に言えば、ヒロインという自意識にすら流されにくいということです。
アコの飾り気の無い性格は、この日常的感覚に由来するものでしょう。
例えばジェットマンに加わるにあたり時給1500円を要求するあたりの感覚です。
そしてバイラムの引き起こす悪事などに対しても、すぐに正義感に点火してヒロイックに行動するというよりも、まずは面倒事として捉え、巻き込まれることに迷惑そうにします。しかし、それで戦うことを拒むというわけではなく、アコにはアコなりの独特の正義感があって、ちゃんと自分の正義感んに則って戦います。そういうところが面白く魅力的なのです。
いや、ジェットマンという戦隊は、結局のところ、アコだけでなく全員が自分なりの正義感で行動する戦隊であるという点が魅力なのだとも言えます。
このように日常的感覚を最大の持ち味とするアコというヒロインの存在意義は、「ジェットマン」におけるシュールなコメディー性を維持することにあるのです。

では、あの竜や凱や香による重厚なストーリーは何だったのでしょうか。
「ジェットマン」をシュールコメディーとして作るなら、あんな要素はそもそも不要だったのではないでしょうか。
あれについては、私は「保険」だったのではないかと思います。
ポワトリン風のシュールコメディーだけでは失敗する可能性があったので、同じ設定から展開させることの出来るシリアスストーリーも用意しておいて、最悪の場合、高年齢層の視聴率だけでも稼ごうとしたのでしょう。
そして、結果的には保険をかけておいて正解だったと思います。
シュールコメディー路線でも子供視聴者はある程度増え、玩具も売れました。しかし玩具はキャラクター性を全面に出したことが功を奏したのとシリーズ初の3号ロボが人気商品になったことが大きかった。作品の子供人気はまだまだ「らんま」には勝てていなかった。だから高年齢層に受けるストーリーも展開したのは正解でした。
しかし、シリーズの完全復活のためには、子供人気の完全復活が必要でした。それにはまだまだ及んではいませんでした。だから、「ジェットマン」においても竜や凱や香の方が印象が強く、アコや雷太の印象はやや薄いのです。

どうして「ポワトリン」風のシュールコメディーでは完全復活には至らなかったのか。
それは、あくまでスーパー戦隊シリーズはヒーロードラマであって、コメディードラマではないということです。
コメディーでは燃える要素が無いのです。
ジェットマンにおいては大人向けストーリーの方で、その燃える要素を補ったのですが
シリーズ復活のためには、不思議コメディーシリーズのテイストは維持しつつ、子供向けの燃えるストーリーを構築しなければいけないのです。これが「ジェットマン」において残された課題でした。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 16:33 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月12日

プテラレンジャー

プテラレンジャー.jpg





















スーパー戦隊シリーズの再生のために「ジェットマン」で積み残した課題は、
不思議コメディーシリーズのエブリデイ・マジック的な世界観をそのまま活かしながら、それを決してコメディードラマにせずに、熱いヒーロードラマとして成立させるということでした。
「ジェットマン」ではそれが出来なかったので、エブリデイ・マジック的なコメディードラマをベースにしながら、その上に大人向けの重厚な物語を重ねたのです。
その結果、成功し、その大人向けの物語の方が話題になったため、現在では単に大人受けを狙った作品であったかのようなイメージを持たれています。
しかし当時の真の課題は「ジェットマン」ではあえて回避した「エブリデイ・マジックなヒーロードラマ」でした。コメディーの上に重厚な物語を重ねるという「ジェットマン」の手法は難しく、その成功はかなりたまたまであったので、何度も使える手ではありませんでした。やはり本来の課題を次は片付けねばならないのです。
その課題に取り組み、成功させた次の作品が1992年制作の「恐竜戦隊ジュウレンジャー」です。
この「ジュウレンジャー」で戦隊シリーズは復活し、「ジュウレンジャー」はシリーズ中興の祖となります。

まず、どうして不思議コメディーシリーズのようなエブリデイ・マジック作品では笑いが生じるのか。
それは日常と非日常が出会うからです。そして日常が非日常に対して「おかしいよ」とツッコミを入れることによってコメディーになるのです。
居候した妖精が寝てばっかりいるのに呆れる少女や、寄せ集め民間人を集めてジェットマン長官を名乗る小田切綾をあっさりオバン呼ばわりする早坂アコなどが、この「日常」に相当します。
つまり非日常の異常な事態が「ボケ」で、それに対して日常感覚が「ツッコミ」を入れるのです。「ボケ」に「ツッコミ」を入れることでコメディーが成立する。
ならば、どんな「ボケ」に対しても一切「ツッコミ」を入れなければ、コメディーにはならないのです。
つまり、「日常」というものが無く、ひたすら「非日常」だけの物語を作ればいいのです。
そうすれば、全くツッコミが入らないまま、延々と異常な状況がボケ倒すことになります。
しかし「日常」は全く無くなったわけではない。テレビを観るお茶の間に「日常」はあります。延々とボケ続ける作品に対してお茶の間がツッコむことは出来るのです。
それはつまり、そのボケが面白く興味惹かれるものであるということです。

何の変哲もないつまらないボケや、ボケにもならない普通のお話であったり、中途半端に「日常」の混じった物語ではダメです。
不思議コメディーシリーズのクオリティのボケを延々とツッコミ無しで続けるような物語であれば
お茶の間の日常の人々が思わずツッコミを入れたくなる。言い換えれば、クギ突けになる。
信じられないようなボケが繰り返されれば、それは確かに面白い。面白いが、劇中でツッコミが入らない以上、コメディー的な展開にはならない。
劇中の物語はやたらと非現実的、非日常的なボケを大真面目にヒロイックに繰り広げているとすれば、その物語は、面白く、なおかつヒーロードラマとしても成立するのです。
強烈なボケに内心笑いながらも、気がつけば視聴者はそのヒーロー物語に夢中になっている。
これが「ファンタジー」というものです。
そんな世界があるわけはない。こんな話が現実にあるわけがない。バカバカしい。そのように鼻で笑い、気軽に見始めて、気がつけば何時の間にか夢中になっている。良質のファンタジーにはそういう力があるのです。
それは、近未来SFとして作られてきたそれまでの戦隊シリーズ作品とは一線を画した作品世界でした。

但し、これを成功させるには、徹底的にボケないといけません。
中途半端に現実と折り合いをつけようとしたり、常識に捉われたり、日常感覚を持ち込んだりしてはいけません。上手なお話を作ろうとしてもいけません。
ただひたすら、ツッコミの全く入らない状態で徹底的にボケ続ける。
ボケにボケまくって、「これはさすがにないだろう」というレベルまで全ての設定をボケで埋め尽くし、作りあげてしまう。作品の世界観全てでボケるのです。つまり徹底的に非日常、非現実な世界観を設定するのです。視聴者が腰を抜かしてツッコミを入れるようなものを作るのです。
そこまでやれば、あとはもう、勢いとノリです。しっかりボケまくった世界観を固めた後は、緻密な展開などせず、暴走すればいいのです。暴走すること自体が一種のボケでもあります。視聴者は呆れながらも目を離せなくなります。
特に子供はこういうファンタジーは大好きです。このファンタジー世界で、従来の戦隊シリーズのノウハウを、ファンタジー世界を阻害しない範囲で選択しアレンジして使っていけば、新しいヒロイックな子供受けする戦隊ドラマが生まれるのです。

そのようにして生まれた「ジュウレンジャー」という作品。かなりぶっ飛んでます。
まず戦隊メンバーがなんと人間じゃありません。
1億7千万年前に生息していた恐竜人類の戦士なのだそうです。恐竜から進化した人類だそうで、ホモ・サピエンスじゃないんですね。
じゃあトカゲみたいな顔してるのかというと、どう見てもサル顔の人間です。
でも本人たちは大真面目に恐竜人類の歴史をやたら詳しく語ったりするので、もうなんか、そういうことにするしかないです。

この恐竜人類の歴史というのが、またぶっ飛んでます。
1億7千万年前、恐竜人類と恐竜と妖精が仲良く共存してたのだそうです。そこに悪魔と契約した魔女バンドーラが攻めてきたので恐竜人類の戦士ジュウレンジャーが恐竜の神様と協力して魔女をなんとか撃退して封印したのだそうですが、その封印が不完全で遠い未来に解けるので、恐竜人類はジュウレンジャーを氷漬けにして眠らせて、妖精の仲間の不思議仙人バーザにバンドーラが復活したらジュウレンジャーを起こすように頼んでおいた。その後、恐竜や恐竜人類は滅びて、妖精は人間世界に紛れて生き続けており、そして遂にバンドーラが復活したので、バーザはジュウレンンジャーを目覚めさせたというわけです。
なんかもう完全におとぎ話です。

ファンタジー要素を全部ぶち込んだみたいな話ですが、どうしてここで恐竜が出て来るのかも謎です。これは単に子供に人気のモチーフだったからという理由と、この年にちょうどスピルバーグの「ジュラシック・パーク」が公開される予定だったので、それに合わせたそうです。つまり簡単に言えば恐竜型の玩具を売りたかったわけです。
つまり、ジュウレンジャーの場合、彼らの乗る巨大メカのようなものが恐竜型なのです。というか、恐竜なのです。メカではなく、生き物なのです。恐竜そのものではなく、恐竜の神様なのだそうで、もう驚くしかないのですが、神秘的な超生命体のようなもので、実はジュウレンジャーよりもこいつらの方が偉かったりします。
その神様に乗り込む、というか融合してジュウレンジャーはバンドーラの送り込む巨大な怪物と戦ったりするのです。またこの神様たちは合体してもっと巨大な人型の神様にもなったりします。従来の巨大ロボに相当するのですが、これが神様の本来の姿だったりします。
この神様は守護獣といって、恐竜の神様のはずなのに、何故かマンモスがいたりサーベルタイガーがいたりして、もう何処から突っ込んでいいのやらという状態なのですが、合体パターンがかなり複雑で面白く、神様ですから意思を持っていてジュウレンジャーと会話なんかもしたりするので、なかなかキャラが立っており、従来のロボには無い愛着が湧く存在でした。
この巨大メカが生き物というパターンはシリーズにおいて画期的で、この後の作品で頻出することになります。また、巨大メカ(生き物)がやたら増え始めるのもこの作品からで、何せ生き物ですので、それらの登場篇だけでエピソードになり、他にも伝説の武器を探したり、なんだかロールプレイングゲームみたいな要素も加味されて、お話が賑やかになります。

このように突っ込みどころは満載で、しかもここから展開するストーリーも要素盛り沢山な分、かなり支離滅裂なのですが、
ともかくあらゆるパートに一貫したファンタジックな世界観を登場人物たちは熱く大真面目にヒロイックに演じきっており、
そもそも彼らに「それはおかしいだろ」とツッコミを入れるような日常感覚を持った人間も劇中に全く登場しません。登場するのは彼らを素直に受け入れる子供たちばかり。あとは現代を舞台にしながら恐竜人類や恐竜、妖精や仙人、魔女、怪物らが好き放題ボケ倒します。
これでは視聴者もついつい惹きこまれ、バカバカしいと思いつつも、ジュウレンジャーや守護獣など、それに敵側の魔女バンドーラにまでも愛着を持ってしまったりするのです。
それで視聴率も上昇し、遂には裏番組の「らんま1/2」を9月で終了させることになった。また玩具も非常によく売れたのでした。

scan025.jpgさて、このジュウレンジャーの戦隊ヒロインは紅一点のプテラレンジャーです。
恐竜人類の5部族のうちの1つであるリシヤ族のプリンセスのメイが変身します。守護獣がプテラノドンなのでプテラレンジャーです。
1億7千万年前の伝説の恐竜人類の戦士でプリンセスですから、もうなんかよく分かりませんが、すごく神秘的で高貴な感じがします。変なお姫様っぽい服着てますし。
名乗りも「プテラレンジャー、メイ!」と、シリーズで初めてジュウレンジャーは本名つきで名乗ります。さすが古の伝説の戦士。戦いの場での作法をわきまえてます。
プリンセスだけあって、可憐で優しく真面目で子供と花が好き、そして正義感が強く勇気があって凛としています。ひたむきな努力家でもあります。まぁ桃園ミキのようなタイプだといえます。
ただ、ヒロインの属性として従来は重要視されてきた知性とアクションに関しては特徴的です。
まず知性ですが、残念ながら、かなりアホな子です。
というか、メイが際立ってアホというよりも、ジュウレンジャーの5人は総じてアホです。しかしメイはその中でもどっちかというとアホの方かもしれません。
アホといっても不真面目であるとか性格が悪いというわけではなく、むしろ恐竜人類というものがそもそもあんまり深く物事を考えない生物なのかもしれません。純朴というべきでしょうか。
まぁそれは設定上の推論であって、実際のところは、5人にさんざんボケ倒させているうちに、それがエスカレートして戻るに戻れないレベルまで5人の天然ボケのイメージが固まってしまったというところでしょう。

また紅一点ということは、ここでまた一人ヒロイン制に戻っているということなのですが
実は前作ジェットマンでもエブリデイマジックにおけるヒロインは早坂アコ1人であったので、実質的にはジェットマンの段階で一人ヒロインであったともいえます。
エブリデイマジック作品においてはヒロインは1人でも足ります。何故なら、非日常を舞台としているため、JACがやるようなリアルで高度なアクションは必ずしも必要としないので「強いヒロイン」をヒロイン像から分離しないで済むからです。

例えばメイは恐竜人類というよく分からん存在なので、その強さの基準がそもそも人間とは異質なのです。リアルなアクションはしなくても、演出や特殊効果の妙で強さを表現することが出来るのです。そしてそれでも強さが足りない分をカバーする便利アイテムが弓矢です。メイは弓矢ヒロインでした。しかもこの弓矢は恐竜人類の伝説の武器で不思議な力も持っています。メイはそうした非現実的な強さ描写がリアリティを持ったキャラなのです。
だから、可憐で優しげで天然ボケでありながら、何故か強いという、ちょっとしたおとぎ話のお姫様的な描写に説得力があるのです。
人間でないから、異世界のヒロインだから、むしろ天然ボケで不思議な強さを持っている方がしっくりくるのです。そしてそういう不可解な魅力は、可憐さや真面目さや純粋さや優しさがあってこそ、いっそう輝きます。

こうしたメイの不思議な魅力は、演じた千葉麗子に合っていました。
千葉麗子はこの「ジュウレンンジャー」に出た後、電脳アイドルとして売れますが、この時点では無名の新人アイドルでした。無名の新人アイドルをヒロインに起用するのはエブリデイマジック作品の先輩格である不思議コメディーシリーズの影響です。「ジュウレンジャー」はエブリデイマジック作品ですから、不思議コメディーシリーズの影響を受けており、「新人アイドルが美少女ヒロインを演じる」という伝統も継承したのです。

千葉麗子は文句無しに可愛いのですが、その演技はハッキリ言って酷いです。セリフは酷い棒読みでした。ただ、メイの浮世離れした非現実性と、この不自然な千葉の演技と透明感のある美しさが妙に合っており、意外といい感じです。
それに千葉はかなりアクションも頑張りました。千葉もグラビアアイドルだったわけですが、グラドルというやつは基本的に肉体で勝負する仕事なので、案外身体は丈夫で、アクションを頑張れる体力と根性があります。それでいて可愛くて華もあるわけですので、そんな見た目可愛らしい子がアクションに一生懸命取り組んでいる姿が、メイの純粋ひたむきキャラとかぶって、より魅力的に見えるのでした。

このようにメイの印象はそんな悪くなく、独特の魅力は有ったのですが
このジュウレンジャーの5人は総じて同じような感じの天然ボケキャラであり、似ている分個性が薄れ、キャラがあんまり立っていませんでした。好感はすごく持てたんですけどね。まぁその中ではメイは華が有る分、目立っていたほうです。
そういうわけで初期5人は印象が薄く、あんまり人気はありませんでした。圧倒的な人気があったのは敵の魔女バンドーラと初の追加戦士ブライでした。この2人の魅力で作品がもっていたようなものです。
ブライなどはあまりに初期5人がおバカ過ぎるので、さすがに物語がグダグダになったのでテコ入れでレギュラー化したと思われ、まともにドラマを内面に抱えていたのは正義側ではブライだけでした。まぁそれもかなりツッコミどころ満載だったのですが、相変わらず誰もツッコむ登場人物はいませんが。
バンドーラはこの作品の裏の主役と言ってもいいぐらいで、極めて魅力的なキャラでした。あまりに人気があったのか、結局最後はバンドーラ一味は悪魔に利用されていただけということで、再び封印されて幹部連中は誰も死にませんでした。
もうなんか最初からやたらバンドーラが目立っており、途中からはバンドーラとブライの物語になったような感すらあります。バンドーラを演じたのはかつて「デンジマン」と「サンバルカン」でヘドリアン女王を演じた曽我町子で、ブライを演じたのはかつて「チェンジマン」でチェンジペガサスを演じた和泉史郎でしたので、まぁ貫禄が違うというのもあります。
この主人公である戦隊メンバーのキャラの薄さというのは「ジュウレンジャー」の反省材料となり、次の作品でこの点は徹底的に改善が図られます。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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ホウオウレンジャー

ホウオウレンジャー.jpg





















1993年に作られた「五星戦隊ダイレンジャー」はバトルフィーバーJから数えて15作目でした。
といって、シリーズ開始15周年記念作品として何か大々的に派手なことをしたわけではありません。
10周年のライブマンの時はシリーズもある意味絶頂期でしたので、記念作品的な何かをやろうということで有名タレントを引っ張ってきたりする余裕もあったのですが、
この「ダイレンジャー」の企画時期は、まだジュウレンジャーの成否も定かではなく、シリーズの存続さえ危ぶまれていた頃ですから、特に記念作品的な何かがあったわけではありません。
ただ、15周年であることは制作陣やキャスト達も承知しており、ちょうどジュウレンジャーでシリーズ復活のきっかけを掴んだところでもあったので、ちょっと異様な熱気でこの「ダイレンジャー」という作品は作られました。

作品の基本フォーマットは、前作ジュウレンジャーで開拓したファンタジー路線の古代中華版みたいなものです。
ジュウレンジャーでは世界観を西洋ファンタジー風味で作りあげましたが、ダイレンジャーではこれを東洋ファンタジーに置き換えたのです。
東洋ファンタジーとは、古代中国の伝奇世界のような感じで、魔法の代わりに妖力や気力といった超自然的なパワーで戦い、アクションは古代の伝説のナイトたちのようなジュウレンジャーに対し、ダイレンジャーは古流の形意拳のような中国拳法で戦います。
そして巨大メカが恐竜の神様であった前作に比べ、ダイレンジャーはより世界観に忠実に、巨大メカに相当するのが龍や獅子、天馬、麒麟、鳳凰、白虎、亀などの東洋の伝説の生き物で、これらは自然の力(気力)が集まって生まれた超生命体という設定になってます。これが気殿獣というのですが、これが合体して巨大ロボに相当する気殿武人というものになるのです。

このような、あまりにも非日常的な世界観をガッチリと固めて、あとはそれに対するツッコミを一切排除して、ボケ倒しながらひたすら熱くヒロイックに、多少のストーリーの破綻は気にせずにノリと勢いで突っ走るというのが前作ジュウレンジャーで開拓した「ファンタジー戦隊」の方式です。

実際、ダイレンジャーもかなりぶっ飛んだ話です。
ジュウレンジャーは戦隊メンバー自体が古代恐竜人類の戦士というぶっ飛んだ設定でしたが、ダイレンジャーの場合、メンバーは現在の一般人の若者たちです。コック、ペットショップ店員、ボクサー、美容師、女子大生というふうに、不必要なほどに小市民的で、日常を一切排した前作とはうって変って、やたら日常が溢れているように見えます。
ところが、こんなに普通の市民である彼らがどうしてダイレンジャーとなって戦うのか、物語の中でまともに説明されていないのが、なんとも異様です。前作では親切過ぎるほど戦士たちが現代に現れた経緯が説明されており、それによって非日常感に説得力を持たせていたのですが、この作品においては、経緯の説明もロクに無いまま戦っている彼らの姿を見ることによって、何か彼らが得体の知れない非日常的な存在のように思えてくる効果があるのです。

紀元前6千年頃に生まれた古代中国のダオス文明が妖力を使うゴーマ族と気力を使うダイ族に分かれて争い、5千年に及ぶ戦いの果て、ダオス文明は滅び、ゴーマ族とダイ族は姿を消しました。
そして現代においてゴーマ族が甦って世界征服を企んだので、ダイ族の末裔の道士嘉翔がダイ族の血を引く気力の強い若者5人を集めて対抗するというお話です。
つまり5人はダイ族の末裔ということになるのですが、嘉翔に集められるまでは普通の生活を送っていたようであり、拳法の修行をしていたというわけでもない。なのに何故か拳法を使えるし、そもそも戦う因縁なども自覚していた様子は無い。単に嘉翔に言われるまま戦っているように見える。実際、彼らは普段集まって作戦会議をするわけでもなく、それぞれが日常生活を送っていて嘉翔から呼び出しを受けて集まって戦い始める。嘉翔の言う通りに戦っているだけなのだ。だが、そもそも彼らがどうして嘉翔の言うことをそんなに素直に聞くのかも謎である。もともと知り合いだったのは親族であるリンぐらいで、他はほとんど初対面で嘉翔に従っている。武術家同士の知己であったわけでもない。彼らはもともと武術家ですらなかったのだから。

もうツッコミどころが満載です。しかし劇中では誰もツッコミません。全員がひたすらボケ倒して、この謎設定のまま、何事も無いかのように物語は猛烈な勢いで進んでいくのです。ある意味、彼らが戦っていること自体が最大のファンタジーだとさえ言えます。これじゃまだ恐竜人類の戦士の方が説明されている分、リアルな存在のように思えるくらいです。

しかし、こんな変なやり方でファンタジックなムードを作る必要は無いはずです。
普通に古代ダイ族の拳法の継承者の戦隊にすればいい。何処かの山奥で隠れて修行してきたか、あるいはジュウレンジャーのように冷凍睡眠してきたり時空を超えてきてもいい。そんなのの方が非日常性が簡単に出せます。
しかし、そのようにしなかったのは、彼らを普通の現代の若者として描きたかったからでしょう。現代の若者として彼らを設定するのが前提条件で、その上で非日常性を持たせるという難題をクリアするためには、あらゆることを説明しないという荒技を使うしかなかったということなのでしょう。

では、どうしてそんな乱暴なことをしてまで、彼らを現代の若者にしたかったのか。
それは前作ジュウレンジャーで戦隊メンバー5人をあまりに現代から遊離した存在にしてしまったため、酷い天然ボケ集団になってしまい、彼らのドラマを描くことが困難になり、その結果、彼らのキャラが薄くなってしまったからでした。
この主役陣5人のキャラの薄さはジュウレンジャーの反省点でした。ジュウレンジャーは人気作でしたが主役5人があまり人気が無いという珍しい作品で、人気のあったのは敵首領のバンドーラと追加戦士のブライでした。
バンドーラはまぁいいとして、ブライがどうして人気があったかというと、キャラが濃かったからです。それは、ブライだけメインストーリーとは別に独自のドラマ(ティラノレンジャー・ゲキへの復讐劇)を持っていたからです。
ならば、ダイレンジャーで戦隊メンバーのキャラを立てようとするならば、5人全員をブライのようにすればいい。つまり、5人それぞれにメインストーリーとは別のサイドストーリーを持たせればいいということになります。
そして、彼らのサイドストーリーを考える上で、彼らが得体の知れない古代人であったりすると、そのサイドストーリーが見ても分かりにくくなるし、そもそもサイドストーリー自体、考えるのが難しくなります。そこで彼らを視聴者が感情移入しやすい現代の若者にしたのでしょう。

そのように彼らを現代の普通の若者にしたことによって、彼らには日常性が生じます。
この日常性というやつはエブリデイマジック作品をコメディーたらしめている原動力で、これは戦隊シリーズのようなヒーロードラマにとっては危険な代物です。彼らの日常性が「ゴーマと気力で戦う」というファンタジック極まりない非日常要素と触れ合う時、そこにツッコミを入れてしまい笑いを生じる危険があるからです。
ところがダイレンジャーでは、彼ら5人はゴーマとの戦いで何ら主体的判断をしないで嘉翔の言うがままに動くことによって、彼らの日常性が「ゴーマとの戦い」という非日常に深く触れることを巧みに回避し、彼らからの余計なツッコミが入らない構図になっています。
その一方で、彼らの日常性は彼らそれぞれのサイドストーリーを深みあるものにしていきます。サイドストーリーの方では彼らは主体的判断で動いているからです。但し、このサイドストーリーの方でも彼らはあまり非日常に対するツッコミは入れません。メインストーリーの際と同じように素直に状況を受け入れて突っ走っていきます。それでも最終的には常識的感覚がそこには入ってきてしまい、それによってサイドストーリーはファンタジー色は薄れます。それと引き換えに彼ら5人のキャラは立ちます。

要するにファンタジーを徹底するとキャラ立ちを阻害するのです。だからサイドストーリーを作って、そこでファンタジー性を多少犠牲にしながら各自のキャラを立たせ、肝心のメインストーリーにおいては戦隊メンバーをあまり深く関わらせずにファンタジー性を完全な状態で維持するというわけです。
つまり、ダイレンジャーという物語の構造は、1つのメインストーリーと5つのサイドストーリーで成り立っており、5人の戦隊メンバーがそれぞれ5つのメインストーリーの主役を務め、メインストーリーの主役はこの物語で最もファンタジックな人物である嘉翔が務めているのです。メインストーリーである「ダイ族VSゴーマ族の戦い」においてはダイレンジャー5人は嘉翔の意思で動く傭兵のような存在で、脇役なのです。
極論として言えば、同一の世界観の5つのオムニバスドラマの主人公たちが同じ戦隊のメンバーで、その彼ら5人が嘉翔主演の壮大な大河ドラマにも客演しているような感じともいえます。その客演の経緯などはあえて詳しくは触れられておらず、触れられないまま物語は終わったという感じです。
そして、このメインストーリーもサブストーリーも全て、出来るだけ日常的視点によるツッコミを排して、多少の矛盾は無視してノリと勢いで突っ走る仕様となっているため、普通の作品では1つしかないエンジンが6つついているようなもので、その6つのエンジンがフル回転するものですから、作品にシリーズ屈指のとんでもないノリと勢いが生まれるのです。
非常に特殊な構成の戦隊作品だといえます。これも全て、ファンタジーを徹底させながら戦隊メンバーのキャラを徹底的に立たせるという本来矛盾した難事を達成しようとしたからでした。

scan014-2.jpgこのダイレンジャーの戦隊ヒロインは前作のメイの場合と同様、紅一点となっています。
それがホウオウレンジャーであり、変身するのは中国から日本の大学への留学生のリンです。
このリンは前作のメイを踏襲したようなヒロインといえますが、メイよりもキャラがしっかり立つように配慮もされています。
リンは嘉翔の姪だそうですが、嘉翔の真実の経歴を考えると姪というのは何かの間違いでしょう。まぁそのあたりから既にアバウトなのですが、嘉翔の血縁ではあるようです。ゆえに嘉翔のことを「おじさま」と呼びます。この呼び方や、普段の上品な言動などから、育ちは良いようです。お嬢様なのでしょう。このへん、プリンセスだったメイと似ています。
性格は優しく真面目で、可憐な容姿である点もメイと共通しています。

ただメイのように度を超した純朴というかアホというか、そういう特徴は無く、かといって特別に賢いというわけでもなく、ごく普通の美少女という感じです。それでも、やはり留学生という点もあって、やや世間ズレしているような雰囲気はあります。こういう点もメイに似ていなくもない。というか、このどう見ても中国人には見えないリンが中国からの留学生設定になっているのは、嘉翔の血縁者とするためであると同時に、やはりメイのような異邦人っぽさを出すためなのだと思えます。
そして、リンは嘉翔の血縁者であることから、5人の中で一番気力が強いのです。気力というのは一種のサイキックパワーで、超能力です。それが強いため、リンだけは変身前の生身でも気力を使うことが出来ます。これはおそらくアクションの必要性から生じた設定でしょう。

リン以外の4人を演じた役者は皆、アクションが出来る者たちでしたが、リン役は前作のメイ役の千葉麗子と同様、新人アイドルの高橋夏樹でした。高橋も千葉同様、アクションの経験があったわけではないですが、よく頑張ってアクションに挑戦はしました。それでも完全にこなすことが出来るわけではありません。どうしても男性メンバーよりはアクションで劣ります。そこで生身でも超能力を使える設定にしておけば、特殊効果を使ってアクションを補うことが出来るのです。これは前作で恐竜人類や弓矢ヒロインという特殊設定でアクションを補ったメイの場合と同じタイプの措置だといえます。ファンタジー系のヒロインだからこそ使える裏技といえます。

このように、リンはメイによく似ています。どうして似ているのかというと、やはり似たようなピュアなイメージの新人グラビアアイドルが似たようなファンタジー系戦隊のヒロインをやるということで、似たような感じになったのでしょう。
ただ、このようにメイに似てしまうということは、リンもまたメイと同じようにキャラが薄くなってしまう危険が大きいということです。実際、リンは5人の中では一番キャラが薄かったとは言えますが、それは、異国人であること、嘉翔に近いこと、超能力を使えることなど、5人の中では最も非日常的な存在であったからだと思います。つまり非日常的なメインストーリーに埋没しやすい傾向があったということです。

こうしたリンのキャラを立たせるために組み込まれたサイドストーリーは、追加戦士でり小学生戦士であるコウがリンの家に居候して、それを最初は嫌がっていたリンがコウの寂しさを知ってコウとの共同生活を受け入れ、コウの母親とも触れ合い、親子の愛を知るというものです。
キャラの立て方というのは、最初に記号的にキャラの特徴を打ち出して、そのキャラが活躍できそうなストーリーを繰り返してキャラを認知させていくという手法もありますが、このダイレンジャーではそういう手法はとっていません。最初にキャラの基礎は決めておいて、そのキャラを成長させ変えていって作りあげる過程としてストーリーを用いるようです。ダイレンジャーにおける5人のサイドストーリーは皆、そんな感じです。
リンの場合は、優しく親切な女の子ではあるのですが、まだ未熟で母性愛というものが理解できていないのですが、それがコウやコウの母親と触れ合っていくうちに理解出来ていく。これはリンの成長であり、サイドストーリーが進むについれてリンのキャラは完成されていきます。

ダイレンジャーは服装のパターン化を廃した珍しい戦隊です。だいたい通常の戦隊はパーソナルカラーを用いた制服か、あるいは私服でもパーソナルカラーを使った何パターンかの決まった服を着ることが多いです。これはキャラを記号的に認識してもらおうという姿勢ですが、ダイレンンジャーはこれを拒否し、毎回違う種類でパーソナルカラーとも関係無い色の服を着て、成長していく生身のキャラを受け入れてもらえるという自負を示しているのです。
だから、リンもまたサイドストーリーでキャラを成長させて、その過程ごと、生身のリンのキャラを視聴者に提示しているのです。これは演者もスタッフも視聴者も一緒になってリンというキャラを育てていっているようなもので、特にダイレンジャーではそれぞれのキャラのサイドストーリーに担当する脚本家を分担しており、その分、演者や関係者や視聴者のキャラへの愛着や思い入れは大きなものになります。

同じように、リュウレンジャー・亮のサイドストーリーは的場陣というライバル拳法家との勝負、シシレンジャー・大五のサイドストーリーはダイ族の美女クジャクとの愛、テンマレンジャー・将児のサイドストーリーはゴーマ3ちゃんズという落ちこぼれ敵怪人との奇妙なライバル関係、キリンレンジャー・知のサイドストーリーは亀夫というさえない男との友情物語となっており、これらによって5人のキャラは非常に濃いものとなり、5人自身も自分の演じたキャラに強い愛を持っていたようです。

しかし、このダイレンジャーの5人全員が主役という特殊な作劇法には致命的な欠点もあります。
この5本のサイドストーリーと1本のメインストーリーがそのまま6本バラバラのまま物語が終わるということは有り得ないわけで、これらは最終的には1本に収斂されていかねばなりません。
実際、第3クールに入ると、5本のサイドストーリーはそれぞれ決着していき、それがメインストーリーのクライマックスへの流れに収斂していくという構造になっていたのでした。
これは、このまま綺麗に決まれば、これほど見事な作劇も無いでしょう。

しかし実際はそんな上手くいくわけはありません。6本の物語を同等に同時進行させて5本の結末を最後の1本のクライマックスの伏線にするなど、あまりに高度すぎます。案の定、5本のサイドストーリーの間で細かい部分で矛盾が生じまくって、それらが一気に流れ込んだメインストーリーのクライマックスは支離滅裂な物語になってしまいました。
そもそも、それまでサイドストーリーの干渉を全く受けていなかったメインストーリー自体が嘉翔や大神龍というようなキャラがノリと勢いでやりたい放題にしてしまっており、既にかなり支離滅裂であったのですが、そこに相矛盾した5本のサイドストーリーが流れ込んできたので、もう収拾がつかなくなり、噴出する矛盾を吹き飛ばすためにノリと勢いで突っ切り、そうしてまた新たに生じる矛盾をまたノリと勢いで吹き飛ばしという行為を繰り返し、やたらボルテージが上がって行ってもうワケが分からない状態になってしまいました。

ここで嘉翔が散々意味不明の行動をとった挙句ダイレンジャーを解散してしまい、更に死んでしまいます。ダイレンジャーの5人はメインストーリーで嘉翔無しでは動けないので茫然自失してしまいます。ところがここでそれぞれのサイドストーリーで関わった人物たちの幻が現れて、5人に戦う意味を気付かせてくれます。
普通はこの流れでゴーマを倒して綺麗に終わっても良さそうなものですが、もはや完全に暴走したダイレンジャーのストーリーはこんなことでは止まらず、視聴者の予想もつかない展開に突っ走っていき、結局、ダイ族とゴーマ族の決着はつかないまま、敵の主要キャラがみんな泥人形だったというワケの分からない結末となり、ラストは50年後の亮たちの孫が変身した新しいダイレンンジャーが再びゴーマ族と戦い始めるところで終わるという、前代未聞の結末となったのでした。

ダイレンジャーは、シリーズ史上、最もノリと勢いが激しく、最もストーリーが支離滅裂だった作品といえるでしょう。だからストーリーを重視して見ると、こんなに酷い作品もそうそう無いのですが、同時にこれほど見ていて熱く楽しく燃えに燃える作品も滅多にありません。
また、5人のキャラはとんでもなく立っています。それも記号的な立ち方ではなく、生きているキャラとして立っているのが凄いです。しかし、これは考えてみれば当たり前のことで、ストーリーをここまで犠牲にしてもキャラをとにかく立てることがこの作品の至上命題だったからです。
いや、そのためにストーリーが無茶苦茶になった中で、あくまでノリと勢いで突っ走るパワーは凄いといえます。そこまでのエネルギーをキャラに突っ込むことが出来たのは一種の奇跡であったと言ってもいいでしょう。
それは、変身しないまま名乗りをするという無意味でありながら異常に燃えるシーンが終盤に登場したことに象徴されています。
稀に見る無謀な挑戦をした結果生まれた、大失敗作にして大成功作と言えるでしょう。
ただ、このノリと勢いが功を奏したのか、視聴率、玩具売上げともに好調で、玩具はジュウレンジャーよりも更に売れました。
やはり、役者がここまで愛着を持って演じているとその熱気というのは視聴者にも伝わるし、それは視聴者の作品への思い入れにも繋がるのです。やはり大成功作だったのかもしれません。

ただ、よくよく考えれば、そこまでして5人全員のキャラを立たせまくる必要も無いわけです。ストーリーを破壊してまでやることではないのです。やはり物語というのはストーリーが大事ですから、5人のうち主役は主役で決めておいて、一応は主役に焦点を絞ったメインストーリーを中心に、サブキャラにはサイドストーリーを適当にあてがっておいて、メインストーリーに支障をきたさない程度に抑制し、結果として5人中1人か2人ぐらいは空気キャラが出ても、それはそれで仕方ないという考え方が穏便で良いといえるでしょう。
以後は戦隊シリーズも基本的にはそのような穏便な作劇法をとるようになり、ダイレンジャーのような極端な作劇は行われなくなります。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 22:13 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月14日

ニンジャホワイト

ニンジャホワイト.jpg





















1993年、ダイレンジャーが放送されていた頃、スーパー戦隊シリーズに大きな影響を及ぼす出来事が幾つか起きています。
まず、ダイレンジャーが「5人全員が主役」というコンセプトのもと、徹底して戦隊メンバー5人のキャラを立てたため、初めて戦隊シリーズにおいてやや高年齢層ファンによる「キャラ萌え」といえる現象が大々的に生じたことです。
これは80年代からアニメの世界では定番となっていた現象ですが、1992年に戦隊シリーズもジュウレンジャーをもってアニメチックなファンタジックな世界観を採り入れたこと、そして1992年からアニメ界で圧倒的なキャラ萌え人気を獲得した「美少女戦士セーラームーン」が戦隊と酷似したフォーマットであったことなどから、ダイレンジャーにおけるキャラ萌え現象に繋がったと思われます。

また、1993年10月には、ターボレンジャー以降の戦隊シリーズに大きな影響を与え続けてきた「不思議コメディーシリーズ」が12年間に及んだシリーズを終了しています。
これは同時に、東映制作のテレビドラマシリーズにおいて「石ノ森章太郎原作シリーズ」の現役シリーズが無くなったということでもあり、これによって東映と石ノ森との関係が微妙に変わってくるのです。

そして、なんといっても最大の出来事は1993年の秋からアメリカでジュウレンジャーのリメイク作品である「パワーレンジャー」が放送され、大ヒットし、シリーズ化が決定したことです。
これによって東映とバンダイは日本で放送の終了した戦隊作品の映像素材の翌年のアメリカでの再利用によって版権収入とアメリカでの玩具売上も見込めるようになり、ここにおいて遂に戦隊シリーズはターボレンジャーの頃から続いていたシリーズ打ち切りの危機から脱することが出来たのです。
しかし、これは言い換えれば、日本国内がバブル崩壊後の不景気が続いていた当時の状況では、「パワーレンジャーシリーズ」が戦隊シリーズの命綱になったということであり、「パワーレンジャーシリーズ」での映像素材使用を最優先した作品の制作の傾向が生じたということでもあります。

そういうわけで、1994年のシリーズ16作目は「忍者戦隊カクレンジャー」となりました。
アメリカでも「パワーレンジャーシリーズ」が元は日本のドラマだということは知られていましたから、いかにも日本っぽいものの方がウケるという考えでした。
アメリカでの日本のサブカルの世界でのイメージといえば、侍、忍者、芸者というところでしょう。特にNINJAはショー・コスギの人気でアメリカでは既に有名であり、また、JACお得意のアクロバチックなアクションを使いやすいというのもあって、ここはやっぱり忍者ということになったのでしょう。

だから、「カクレンジャー」に出て来る忍者は、あくまでNINJAです。時代劇に出て来る戦国時代の諜報員のような忍者ではなく、ショー・コスギの映画やアメリカンコミックスに出て来るようなアメリカンNINJAです。分身の術を使ったり空を飛んだりする奇想天外な術を使う超人戦士です。
実際、ショー・コスギの息子のケイン・コスギがニンジャブラック役で出てますし、ショー・コスギもゲストで出演していますから、ショー・コスギ風のアメリカンNINJAを意識しているのは間違いありません。

しかし、パワーレンジャーがヒットしたのは1993年の秋以降ですから、この作品の初期企画は忍者戦隊ではなかったと思われ、おそらくファンタジー戦隊第三弾として、妖怪退治の旅をする現代版西遊記のような戦隊であったのではないでしょうか。
それがパワーレンジャーのヒットとシリーズ化を受けて、主人公5人をアメリカンNINJA風にして、戦う相手の妖怪たちを妙なアメリカンテイストにしたのでしょう。忍者が戦う相手が妖怪というのはどうしても不自然で、これは忍者が後付け企画だと考えると辻褄は合います。

そして、この「妖怪退治の旅」というのが、いかにも非日常感のあるエブリデイ・マジック風味で、前作や前々作のようにこのファンタジックな世界をノリと勢いで突っ走る熱いヒーロー戦隊が当初は志向されていたと思われます。
それが1993年の秋以降、少しおかしな状況になっていきました。忍者という設定の導入はここでは問題ではありません。それはそれでアリです。それよりも問題なのは、熱いヒーローという部分が怪しくなってきたことです。
それは、10月で終了した不思議コメディーシリーズの東映スタッフの一部がこの戦隊の企画に合流してきたからでした。

そもそもジュウレンジャー以降の戦隊シリーズ作品は不思議コメディーシリーズのテイストを大いに採り入れていたので、不思議コメディーシリーズの方のスタッフにしてみれば、戦隊シリーズは不思議コメディーシリーズの分家のような感覚だったのかもしれません。作風が似ていることもあって、行き場の無くなった不思議コメディーシリーズのスタッフの受け入れ先として戦隊シリーズが挙がっても、それはむしろ当然でした。
不思議コメディーシリーズは玩具がセーラームーンに負けて売れなくなったのでシリーズを終了させただけのことで、視聴率に関しては最後の作品となった「有言実行三姉妹シュシュトリアン」においても、朝の時間帯でありながら戦隊シリーズよりも高かったのです。
だから不思議コメディーシリーズから異動してきたスタッフにしてみれば、自分たちの方が子供にウケる面白いドラマを作れる力やアイデアを持っているという自負はあったでしょう。

カクレンジャーの物語の始まりは、かつて妖怪たちを封印した隠流の忍者の子孫であるフリーターのサスケとサイゾウの2人がカッパに騙されて封印の扉を開けてしまい、妖怪たちが復活してしまうことからです。
その復活した妖怪たちを再び封印するために隠流の当主の末裔である鶴姫がサスケやサイゾウ、それにセイカイとジライヤも加えた5人で先祖から与えられたアイテムでカクレンジャーとなって妖怪封印の旅に出ます。

この物語の導入ですが、不思議コメディーシリーズの1991年度作品「不思議少女ナイルなトトメス」とほぼ同じなのです。
「トトメス」では墓を間違って壊してしまった少女サナエが、その墓から逃げ出した悪霊たちを再び封印するために先祖からトトメスに変身するアイテムを与えられて戦う羽目になります。ほぼ同じと言っていいでしょう。
サナエと同様、サスケもサイゾウも自業自得とはいえ、無理矢理戦う羽目になってしまうのです。
サスケもサイゾウも、それから後で加わるセイカイも、忍者の子孫とはいってももともとその自覚すらない一般人でした。
ちなみにジライヤは忍者の自覚はあるのですが、外国育ちなので日本語もちゃんと喋れませんし日本の事情も分かってない役立たずです。
だから、まともに使命を真剣に捉えているのは鶴姫だけで、他の4人は巻き込まれたような形です。ジュットマンと同じようなものです。

ただジェットマンの場合は一応、巻き込んだ立場の竜がレッドで主役だったのですが、カクレンジャーの場合、巻き込まれた立場のサスケがレッドで主役なのです。
まぁ巻き込まれた立場というだけならダイレンジャーの5人も嘉翔に巻き込まれた立場ですから同じなのですが、ダイレンの5人は何の文句も言わず嘉翔に従っていたので良いのです。いや、実はその方が異常なんですけど、その異常がまかり通っていたおかげでダイレンジャーはツッコミ所は満載ながらもシリアスなトーンを貫くことが出来ていました。
ところがカクレンジャーのサスケやサイゾウ、セイカイらは普通の日常感覚を保っていて、すぐサボるし不平は言うし、鶴姫の言いつけを聞かないしで、仕方なく戦ってる感が丸出しです。これはむしろ「トトメス」のサナエや「ジェットマン」のアコや雷太の感覚に近い。ジライヤはそれ以前の「まず日本語覚えろ」状態なので論外です。

つまり、「カクレンジャー」においては、「忍者の使命」という非日常的なファンタジー要素に対して「日常」が突出してきてツッコミを入れてしまっているのです。
こういう「日常によるツッコミ」はジュウレンジャーやダイレンジャーでは慎重に回避されてきたはずなのですが、「カクレンジャー」においてはジェットマンの時のように日常によるツッコミが入ってしまっている。
しかもジェットマンの時はツッコミ役は脇役のアコや雷太だったのに対して、この「カクレンジャー」では主役のサスケを筆頭に鶴姫以外の4人が日常的感覚からのツッコミ役になってしまっています。
そして、それによって不思議コメディーシリーズと同じ構造のコメディーが成立してしまっています。

それは、不思議コメディーシリーズのスタッフが戦隊シリーズに合流し、不思議コメディーシリーズ流のアイデアを出してきたからです。もともと不思議コメディーシリーズに近付いていた戦隊シリーズは、この「カクレンジャー」で更に一歩、不思議コメディーシリーズに近付き、遂に一線を越えて、コメディー色が出てしまったのです。
それを最も象徴するのが、「カクレンジャー」の前半に毎回登場していた講談師です。
物語世界の中に存在するわけでなく、横から注釈する状況説明キャラなのですが、ナレーターというわけではなく、本当の講談師で、画面に登場して小芝居をしながら面白おかしく状況を説明してくれるのですが、ハッキリ言ってシリアスな展開を阻害する存在でしかありません。
実は不思議コメディーシリーズにはこういう変な状況説明キャラというのは付き物で、そういう特殊キャラが戦隊ドラマに導入されているのです。

scan009.jpgそしてまた、この「カクレンジャー」の紅一点の戦隊ヒロイン、ニンジャホワイト鶴姫を演じている広瀬仁美もまた不思議コメディーシリーズからの移籍組なのです。
広瀬は前年に制作された不思議コメディーシリーズ最後の作品「有言実行三姉妹シュシュトリアン」の主役三姉妹の末っ子の山吹花子を演じていたのです。
しかも「カクレンジャー」においては、この三姉妹が揃い踏みしてシュシュトリアンの名乗りをするエピソードまで有り、もう完全に不思議コメディーシリーズのノリが持ち込まれていることは明白です。広瀬はそうした移籍組のノリの象徴のようなものだったといえます。

ただ広瀬の役どころはシュシュトリアンの時は巻き込まれ役でツッコミ役でしたが、今回はその逆の立場ですから、当然キャラは違ってきます。
この鶴姫のキャラというのが、その劇中での役割からも、従来の戦隊ヒロインとは全く異質な新しいタイプだったので、そのキャラも今までにないタイプとなります。
まず根本的な疑問ですが、どうして隠流忍者の当主でサスケたちを戦いに巻き込む人物が「姫」である必要があったのか。別に当主は男で、広瀬は配下の女忍者の役でもよかったのではないか。
これについては明確な理由など無いでしょう。単に不思議コメディーシリーズからの異動班がそれまで5年間、美少女ヒロインが主役のドラマばかり作ってきたので、戦隊でもレッドが主役なのは仕方ないとしても、ヒロイン中心のチームの方が作りやすかったのでしょう。
また、当時の戦隊ファンのキャラ萌え傾向に応えたとも言えます。「シュシュトリアン」は「セーラームーン」に対抗して極めてキャラ萌え傾向の強いドラマであったので、そこで山吹花子を演じていた広瀬は強いキャラ萌えの対象でした。その広瀬の姫役を見ればファンは喜ぶであろうとスタッフは考えたのでしょう。

そういうわけで鶴姫は戦隊シリーズ初の正式な女性リーダーとしてカクレンジャーを引っ張ることになったのです。
そうなると当然、従来の戦隊ヒロインとは違うリーダー的資質を求められることになります。
カリスマ性とか、抜きん出た実力とか、気持ちの強さとか、頭の良さとか、沈着冷静で落ちついた態度とか、器の大きさとか、統率力とか、包容力とか、部下への慈愛の心や、強い正義感、そして気品など、つまりリーダーシップです。
鶴姫以前の戦隊ヒロインでも唯一、物語前半で実質的リーダーだった岬めぐみだけはこれに近い資質を備えていました。だから鶴姫も岬めぐみっぽいキャラならばヒロインでありながらリーダーも務まるということになります。
しかし、ライブマンはシリアスな物語だったので、岬めぐみは真っ当なリーダーシップを発揮すれば良かったのですが、カクレンジャーはコメディー戦隊になってしまってますので、鶴姫のキャラはむしろ真っ当なリーダーシップでない方が適切になってしまいます。

鶴姫は勝気で男勝りで、それでいて仲間想いの優しい気持ちも持っています。仲間を引っ張りつつ、仲間を気遣うことも出来ます。それに忍術の腕も立ちます。
しかしその強さは別に他の4人に比べて圧倒的ということもなく、ほぼ互角と言っていいでしょう。サスケやサイゾウ、セイカイは忍術修行などしていなかったわけですから、いきなり鶴姫と互角になってること自体が不条理なのですが、何故かそういうことになってます。
そういうこともあり、またサスケ達がかなりいい加減なキャラに設定されていることもあり、部下たちがあんまり鶴姫の命令を聞きません。結構好き勝手します。
鶴姫を演じた広瀬の当時の実年齢は13歳と、シリーズ史上最年少のヒロイン役者ですが、鶴姫の役柄上の設定年齢も15歳で、やはりチーム内で最年少です。それでも血筋が血筋なのでリーダーなのですが、やはりサスケらの性格も適当ですので、鶴姫を敬うという態度は見られません。要するにナメてるのです。

鶴姫本人にはカリスマ性の資質は無いこともないのですが、まだあまりに若く未熟な上、ハッキリ言って部下に恵まれてませんので、そのカリスマ性はまともに発揮されません。勝気さはだらしないサスケたちをキャンキャン吠えて叱ることにばかり発揮され、部下思いの優しさはワガママなサスケたちに振り回される間抜けさに発揮されてしまいます。
その上、鶴姫自身がまだ未熟なために思慮が浅く、よく失敗しますし、よく拗ねたり怒ったりするので度量の狭い人に見えます。まぁほとんどサスケ達が悪いことが多いのですが、鶴姫自身も結構同じレベルに落ちていきます。
そしてまた、どういうわけかこの妖怪退治の旅が酷い貧乏旅行になっていて、移動手段のバスを使ったクレープ屋の副業で食いつなぎ、小銭にやたら執着するという有様で、姫としての気品や器の大きさは微塵も感じられません。

まぁこれらはギャグとしては非常に面白く、また鶴姫の可愛さを際立たせる効果も発揮しており、なんだかんだ言ってサスケ達も鶴姫になついているので、全く嫌な感じの描写にはならず、鶴姫とサスケ達の関係が悪くなることはなく、むしろ徐々に絆が深くなっていくのは分かるのですが、それにしても鶴姫のリーダーシップはかなり損なわれており、それに伴ってカクレンジャーというチームの規律のユルさによって、彼らのヒーロー性も損なわれてしまっています。
更に敵である妖怪たちの組織というものを持たず、変なノリで踊りまくったりする言動のユルさや、意味不明なことばかり言って出没する講談師、後見役ポジションであるはずなのにほとんど役立たずの三太夫なども相まって、カクレンジャーの序盤はヒーロードラマなのかどうか疑わしい状況となってしまいました。

いや、不思議コメディーシリーズの続編としてなら秀逸な出来だったとは思うのですが、戦隊シリーズはあくまでヒーロードラマなのですから、ヒーロー性が損なわれるようなのではマズいわけです。しかし不思議コメディーシリーズ班の方にしてみれば、ヒーロードラマだって子供番組なのだから、子供にウケる要素をぶち込んで何が悪いかという言い分もあります。
それで、カクレンジャー序盤から、あくまで熱いヒーロードラマに戻そうという方向性と、不思議コメディー路線を突っ走ろうとする方向性とがせめぎ合い、どうにもまとまりの無い話になってしまったのでした。
サスケや鶴姫たちのキャラも前回はギャグ一辺倒だったと思えば、今回は妙にシリアスだったり、何だかよく分からない人になってしまいました。そんな状態ですから視聴率は低下傾向で、ダイレンジャーの頃よりも明らかに下がってしまいました。

それでやっぱり熱いヒーロードラマに戻そうということになり、カクレンジャーは後半になると急に「第二部・青春激闘篇」と銘打ってストーリーをガラリと変えてきました。まず講談師や三太夫を退場させ、敵の妖怪を組織だった妖怪軍団として大魔王というボスを復活させるという目的を与えました。そして、それを阻止するためにカクレンジャーは戦うという、通常の戦隊と同じようなフォーマットにしたのです。
そうなると、やはり主役のニンジャレッドのサスケが鶴姫に叱られてばかりのアホキャラではマズいわけで、サスケをはじめ他のメンバーもしっかりしたヒーローにしなければいけません。
そのためには鶴姫というユルいリーダーではマズいので、鶴姫を形式上は姫として残しつつも実質的にはリーダーから降ろし、代わりに実質的にはやはりレッドで主役のサスケをリーダーとすることになりました。

そのために鶴姫の死んだはずの父親が生きていて妖怪軍団の軍師になっていたということが第二部冒頭で急に設定され、鶴姫がそれを知って心が乱れてリーダーとしての役割を果たせなくなるという展開としました。
それで仕方なくサスケが実質的なリーダーとなって皆を引っ張っていき、カクレンジャーは通常の戦隊と同じような編成になっていくのです。
このため、結果的に鶴姫のドラマが充実して、鶴姫のヒロインとしてのキャラがかなり立つことになったのですが、細部をよく見ると、この無理な設定変更のためにストーリーはかなり支離滅裂となり、迷走しています。
その上、完全に熱いヒーロー路線に切り替わったわけではなく、相変わらず時々はシュールコメディー的なエピソードがあったりして、どうも面白いけれどもとりとめのない作品となってしまいました。

ただ、それでもカクレンジャーを好きだという人は結構います。それはやはり面白かったし、独特のユルさが好評でもありました。前作がやたらと熱いダイレンジャーだったので、ほどよくユルいカクレンジャーは丁度良かったともいえます。
それに、役者陣の熱演と、それに惹きつけられたキャラ萌え志向のファンによるものでしょう。
キャラが良ければ、キャラ萌えの人達はあんまりストーリーの齟齬は気にしないものです。勝手に脳内補完して楽しみます。
それに、なんといっても第二部で無理矢理ぶち上げた感のある壮大なストーリーですが、これが終盤にはそれなりにドラマチックな展開となりました。
カクレンジャーの場合、物語の最初はユルすぎたので、それが後半になってからちゃんとヒーローものっぽくなっていくと、なんだか印象が良いのです。
最初の印象が悪いと、後で少し良いことをするとすごく良い人みたいに思われるようなものです。

かなり好意的に解釈すると、最初のだらしない描写は後半になってからの各自の成長を際立たせるためのものだったとも受け取れます。
いや、実際は単に迷走しただけなのですが、キャラ萌えの人というのは、そういう好意的解釈をするものです。
それは、やはりそれだけこの作品のキャラが愛されていたということであり、キャラ設定そのものはそこまで魅力的だったとも思えないので、やはり愛されるに足るだけの役者陣の熱演があったということでしょう。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 01:48 | Comment(2) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オーイエロー

オーイエロー.jpg





















カクレンジャーに続いて1995年に制作された「超力戦隊オーレンジャー」は、もともとはシリーズ第一作のバトルフィーバーJから数えて17作目でしたが、この作品からゴレンジャーとジャッカー電撃隊をシリーズに含むことになったので、ゴレンジャーが第一作、ジャッカー電撃隊がシリーズ第二作、バトルフィーバーJがシリーズ第三作というふうに設定し直され、「オーレンジャー」はシリーズ19作目で、1975年放送のゴレンジャーから数えてシリーズ20周年記念作品ということになりました。

もともとスーパー戦隊シリーズは同じ東映テレビ事業部によって作られていたゴレンジャーを模倣して始まったシリーズですから、ゴレンジャーがシリーズの起源であるという意識は当然のように存在してました。
しかし、ゴレンジャーとそれに続くジャッカー電撃隊は石ノ森章太郎の原作作品です。
東映と石ノ森は非常に深い関係にあり、東映制作のテレビドラマには石ノ森章太郎原作シリーズとしてくくられる厖大な作品群があり、ゴレンジャーやジャッカーもそっちに含まれていました。だから東映独自制作のスーパ−戦隊シリーズからはゴレンジャーとジャッカーは除外されていました。
しかし、1993年10月に石ノ森原作の不思議コメディーシリーズが終了して、東映制作の石ノ森原作のテレビシリーズが無くなり、東映としてもそんなに石ノ森に遠慮しなくてもいいようにはなっていました。
ただ、そうは言っても、まだこの頃の石ノ森はライダー映画の企画に参加したり、晩年までロボコンのリメイク企画を東映に持ち込んだりしており、いつまた石ノ森シリーズが復活するか分からない状態でもあり、実際、1994年のカクレンジャーの時点ではスーパー戦隊シリーズ第一作はバトルフィーバーJのままでした。

実は「オーレンジャー」でゴレンジャーから数えて20周年だとさんざん宣伝しておきながら、その後はしばらく東映はゴレンジャーやジャッカーをシリーズに含んだような素振りはあまり見せていません。
正式にこの2作品がシリーズに加えられたことが誰にでも分かる形で正式に示されたのは、2000年の「未来戦隊タイムレンジャー」の最終話、スーパー戦隊の歴史を振り返る特別企画においてでした。

この前、1998年に石ノ森が亡くなり、それを受けて東映はメタルヒーローシリーズを終了させて、その枠で1999年に追悼企画として石ノ森が晩年悲願としていたロボコンのリメイク版を1年放送し、更にその後番組として2000年から同じ枠で「石ノ森章太郎原作」という名義で平成仮面ライダーシリーズを開始しました。
その第一作「仮面ライダークウガ」の30分前にやっていたのが「未来戦隊タイムレンジャー」です。
思うに、東映としてはロボコンとライダーの復活で石ノ森への義理は果たしたのでしょう。それで、その引き換えのような形で、ゴレンジャーとジャッカーを正式にスーパ−戦隊シリーズに含めたのです。
何故、そのタイミングでそうせなばならなかったのかというと、タイムレンジャーが玩具売上が壊滅的に酷かったため、その次の作品(ガオレンジャー)を「シリーズ25作記念作品」というキャンペーンを張る必要が生じたからです。

「オーレンジャー」の場合もそれと同じです。
せっかくジュウレンジャーで持ち直してダイレンジャーで更に伸びた視聴率や玩具売上がカクレンジャーで下がってしまったため、「シリーズ20周年記念作品」という冠をつけて大々的にキャンペーンを張りたかったのです。
そのために、石ノ森の影響力がちょうど低い時期であったので、ゴレンンジャーとジャッカーもシリーズに含んでいるということにしてキャンペーンを張ったのですが、キャンペーンが終わればそのことは無かったことのようになり、みんな忘れてしまっていたのでした。そうこうしているうちに石ノ森が亡くなり、上記のような流れが再び生まれてくるのです。

つまり、「オーレンジャー」において「シリーズ20周年記念作品」という定義が出て来たのは、カクレンジャーがどうも成績不良だという先行きが見えた頃、つまりカクレンジャー放送後半の頃、オーレンジャーの企画の途中の頃にバタバタと出て来た概念なのだと思われるのです。
まぁそれが単なるキャンペーン企画であるのなら、そんな時期にバタバタ出て来てもそんなに問題は無いでしょう。しかし問題であったのは、「20周年記念」という文言に制作サイドが動かされてしまったことです。
「20周年記念作品ならば、シリーズの歴史と伝統をふまえた重厚な作品にしたい」と思ってしまったのでしょう。

もともと、カクレンンジャーの次の戦隊は「古代戦隊ナゾレンジャー」という作品になる予定でした。超古代文明の5つの王家の力を受け継いだ5人の戦士の戦隊という企画であったようです。
それが「王家」の「王」で「オーレンジャー」という名前に変わったりしたようですが、「ナゾレンジャー」にしても「オーレンジャー」にしても、割と柔らかいニュアンスの名称です。
それになんとなくジュウレンジャーに似た設定で、これはファンタジー系の戦隊、言い換えれば、不思議コメディー系戦隊といっていいでしょう。カクレンジャーがあそこまでコメディーチックになったことを考えると、この「オーレンジャー」の当初企画はコメディー色が強かったのではないかと思われます。
つまり、ジュウレンジャー以降のファンタジー路線、カクレンジャー以降のコメディー路線を受け継ぐ戦隊であったと思われます。

ところが、ここに急に「20周年記念作品」ということが決まったので、「20周年記念作品ならば昔の戦隊のオマージュ溢れる作品にしたい」という意見が出て、昔の戦隊のように重厚でハードな世界観を持ち込むことになったのです。つまり、最精鋭のプロ戦士たちが世界征服を狙う悪の巨大侵略組織とシリアスなガチンコ勝負するというやつです。
この新しい案を元企画と擦り合わせるのが難航し、その結果、超古代パンゲア文明由来の超パワー「超力」を使って変身して戦う国際空軍の精鋭軍人5人が、世界征服を企てるマシン帝国バラノイアと戦うということになったのです。
古代文明の5つの王家という設定はどっかに行ってしまったのですが、既に初期の玩具は変更出来なかったので、5人の乗るマシンにその設定は残ってしまい、土偶やらモアイやら、意味不明なデザインとなってしまいました。

その初期案を強引にまとめた超パワーの名称が「超力」というのはそのまんま過ぎますし、その定義も何だかよく分からないものになっており、どうして空軍が超力などというパワーを使うのかも謎です。
そのあたり、かなりやっつけ仕事臭いのですが、空軍参謀にして考古学者という三浦参謀長という便利キャラを登場させることで強引にまとめてしまってます。
この強引な人物を演じるのはゴレンジャーでアオレンジャーを演じ、ジャッカー電撃隊でビッグワンを演じた宮内洋で、彼を起用するあたり、この2作品へのオマージュと解釈していいでしょう。

バラノイアの設定もコメディー風味の元企画由来のようで、幹部が全部着ぐるみのロボット(これはパワーレンジャーへのリメイクを見越した配慮でもある)で、皆、犬の名前由来だったりして、コミカルなキャラになっています。
この連中を強引に非情な侵略者を演じさせるのですから、かなり無理があります。結局、バラノイアはすぐにギャグキャラ化してしまいました。

追加戦士のリキの乗るマシンが巨大なピラミッド型というのも元企画由来なのでしょうが、それを強引に超力とピラミッドパワーを結びつけ、そこに更にドリンという超古代文明由来の少女を絡めてしまったため、超力の定義がもう何が何やら分からなくなってしまいました。
リキが6億歳という年齢にかかわらず少年キャラであるというのも、ダイレンンジャーの追加戦士のコウが少年であったのと同様、不思議コメディーシリーズの伝統でやたら子供キャラを使いたがる傾向の表れで、少女キャラのドリンも、中盤から出て来るいつもバラノイアの被害を受ける新田一家や、その知り合いのマッドサイエンティスト、終盤に出て来るガンマジンというシュールキャラなど、不思議コメディーテイストが満載なのです。
こんなツギハギだらけの世界観の中で、オーレンジャーとバラノイアの戦いをハードに重厚に描くといっても、それはやはり無理があります。そして、こうしたやっつけ仕事の弊害は戦隊ヒロインのキャラ設定にも影響を及ぼしています。

この「オーレンジャー」の戦隊ヒロインはオーイエローとオーピンクのダブルヒロイン制になってます。ジュウレンジャーからカクレンジャーはずっと単独ヒロインであったのに、どうしてオーレンジャーではダブルヒロイン制になったのか。
それは、まずやはり過去作品へのオマージュでしょう。バイオマンからマスクマンというかつての戦隊黄金期はダブルヒロイン制だったので、それに倣ったのでしょう。
また、パワーレンジャー化を見越しての配慮という側面もあります。
アメリカという国は病的なまでに平等や公平にこだわる国で、テレビドラマの登場人物も人種や男女などに出来るだけ偏りが生じないようにしなければいけません。
だから5人戦隊のパワーレンジャーの場合、男3人と女2人のチームにします。つまり素面部分では女性メンバーは2人なのです。それで、もし日本の元戦隊が女1人であると、パワーレンジャーの女1人の変身後のスーツ姿が男になってしまうのです。それは不自然になってしまうので、ならばいっそ日本の元戦隊の方もパワーレンジャーに合わせてダブルヒロインにしておけば変身後のスーツ姿も女性か女形が2人ということになるので好都合ということになります。

しかし、これらの理由でダブルヒロインにしたとなると、「オーレンジャー」自体の作劇上の都合とは無関係にヒロインを2人にしたことになってしまいます。
いや、それだけではないでしょう。オーレンジャーは変身しなければ超力は使えないので、生身で戦う際は軍人として身に付けた格闘術を使いますから、生身アクションが必須になります。だからヒロインもアクションに長けた「強いヒロイン」と女らしさ担当の「弱いヒロイン」が必要ということになります。

scan081.jpgそういう意味ではオーイエローに変身する二条樹里は「強いヒロイン」の方を担当しているようにも見えます。
確かに樹里は、マーシャルアーツの使い手で男っぽい性格、料理が苦手など、伝統的な「強いヒロイン」の特徴を有しています。
しかし、まず美人ですし、頭も良く、しっかり者で、母性本能が強くて可愛いもの好き、ファッションにうるさく、自信過剰、自意識過剰というふうに、他の面もやたら多い。
いや、別に「強いヒロイン」の伝統的な在り方にこだわる必要は無く、他の要素も合わせて新しいヒロイン像を模索しているというのならいいのです。
しかし、樹里のこれらの特徴は、もう1人のヒロインであるオーピンク丸尾桃とかぶってしまってる部分も多く、どうも計画的に組み上げたヒロイン像には見えません。

おそらく最初は過去作のオマージュやパワーレンジャーに合わせる意味でダブルヒロイン制に戻すことにして、そこで樹里は大雑把に過去作によくあった「強いヒロイン」を意識したキャラとして作られ、細かいキャラ設定は曖昧なままスタートして、毎回のストーリーに合わせてキャラがブレ続けた結果、とりとめのないキャラになってしまったのではないかと思います。
その結果、桃と似てきてしまったのは、桃も基本キャラ設定は違うものの同じチームで同じストーリーの中でキャラが同じようにブレ続けてきたわけですから、同じようなとりとめないキャラになったのでしょう。

そもそも、樹里も桃も2人とももともと国際空軍の精鋭チーム所属のエリート軍人という設定で、しかも2人は同じ精鋭チームに所属していたわけですから、多少の性格の違いはあるにしても、バックボーンが全く同じわけです。
後付けで家族構成などで違いを出そうともしてますが、ここまで同一のバックボーンを持ってしまっている2人にはそんなものは些細な違いにしかなりません。結局、樹里と桃はキャラがかぶってしまい、共に印象が薄くなってしまいました。
キャラに合わせてストーリーを作っていくのではなく、ストーリーに合わせてキャラを変えていくというのは、最悪の下策なのですが、こんなことになってしまったのは、キャラを固めきれないまま制作をスタートしてしまったからでしょう。

どうして樹里や桃、いや他の男性メンバーも含めて、キャラを固めきれないままスタートする羽目になってしまったのかというと、おそらく急な設定変更のせいでしょう。
もともとは5つの古代文明の王家の特色によって5人のキャラを描き分ける構想だったと思われ、それが5つの王家という設定が無くなり「超力で変身するエリート軍人」という画一的イメージになってしまったため、5人のキャラを描き分けることに失敗してしまったのでしょう。
それでも、せめて別々の所属部署からかき集められた戦隊とか、エリートもいれば落ちこぼれもいる凸凹チームとかいう設定にすれば、まだ何とかなったのですが、前作カクレンジャーのあまりのまとまりの無さ、カオスっぷりが制作チームではあまり印象が良くなかったのかもしれません。
20周年記念戦隊ということで、きっちりまとまった戦隊を描きたかったのかもしれません。
チームワーク重視ということで、もともと同じ精鋭チーム所属ということにしてしまったので、ますますキャラを描き分けることが難しくなってしまったのでした。

そういうわけで、樹里と桃は、明確な違いは背の高さぐらいのもので、服装も基本はいつも同じ青い隊員服を着ているので、ますます個性が見えなくなりました。
制服を持っている戦隊は他にも多くありますが、各自の色分けがされておらず、それでいて基本的にいつも制服を着用している戦隊はオーレンジャーだけです。
2つある高校生戦隊でも男子と女子は明らかに違うデザインの制服になりますから、むしろ人数が少ない女子は目立つぐらいでした。
それに比べてオーレンジャーの制服は男女でスカートとズボンの違いはあれど、基本的には同じデザインでしたので、非常に没個性的だったといえます。まぁ軍人としてはリアルだったとは思うのですが、変にリアルさにこだわったため、個性が殺されてしまったのは痛いです。
結局、樹里と桃はキャラがかぶってしまい、印象の薄いヒロインとなってしまいました。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 22:18 | Comment(4) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月15日

オーピンク

オーピンク.jpg




















オーレンジャーのダブルヒロインのうち、二条樹里と並ぶもう1人の片割れがオーピンクに変身する丸尾桃です。
この丸尾桃はある意味では現在最も有名な戦隊ヒロインの1人です。それは演じていたのが当時売れないグラドルだった珠緒、つまり現在のさとう珠緒だからです。
戦隊シリーズ出演後に芸能界でブレイクしたタレントとして、珠緒は最も顕著な成功例の1人でしょう。ヒロインでは一番の出世頭であるのは間違いないです。
しかも珠緒の場合、成功した後も戦隊ヒロインであった事を誇りに思い、あちこちで積極的にオーレンジャー出演時のことを発言しています。
他の成功者の場合、本人は戦隊に思い入れを持っていても事務所的に隠したがることは多いのですが、珠緒の場合はそういうことはないようです。

オーレンジャー出演の翌1996年、珠緒は「ミニスカポリス」でブレイクし、人気の情報バラエティー番組「王様のブランチ」のレギュラーとなり、1998年には司会にまで昇格しました。
この「ブランチ」出演時に戦隊ヒロインだった過去をさんざんネタにされた珠緒は、全く恥じることなく、むしろ堂々と変身ポーズを披露したり、想い出話などをしており、
珠緒が司会にまで登りつめ成功したことによって、戦隊ヒロインや戦隊出演者というもののイメージが肯定的なものとなり、芸能界で成功する1つの近道、若手役者の登竜門というような認識が定着したのは、実はスーパー戦隊の歴史上、特筆すべきことだったりします。
これ以降、戦隊メンバーのオーディションの応募人数が飛躍的に増え、その分、厳選した良い若手役者を選ぶことが出来るようになったのです。

こういう事情から見て、珠緒のシリーズへの貢献は非常に大であり、珠緒自身、オーレンジャーで演じた丸尾桃という役に非常に愛着を持っているのは事実です。
ただ、戦隊出身役者はたいていは自分の演じた役に愛着は持っています。駆け出しの頃に1年間ずっと同じ役を演じるわけで、愛着を持つなという方が難しいでしょう。
多くの役者は結局は戦隊が代表作になってしまう例が多いわけで、それならなおさら愛着も大きいというものです。
珠緒の場合、成功してそれなりに大きな仕事も他にある中で丸尾桃に対する愛着を持ち続けているのは偉いとは思いますが、これは珠緒の性格の問題であって、丸尾桃という役が素晴らしいキャラであったかどうかという問題とはあくまで別問題です。
珠緒がブレイクしたのは、あくまでオーレンジャーの翌年の「ミニスカポリス」であって、オーレンジャー出演時には、あまりパッとしませんでした。
それは丸尾桃というキャラがパッとしなかったからでした。
むしろ珠緒はかなり奮闘していたと思います。それに、当時の珠緒は翌年にブレイクするぐらいですから本当に可愛く、歴代ヒロインでも屈指の容姿の良さといえます。
が、それでも基本的に桃というキャラがパッとしなかったため、ブレイクまでは至らなかったのです。まぁオーレンジャーという作品自体がコケたのが最大の原因ですが。

オーピンクに変身する丸尾桃はおそらく当初はダブルヒロイン制における伝統的な「弱いヒロイン」、すなわち女らしさ担当として設定されていたと思われます。なんとなく漠然と小さくて可愛い女の子というイメージで珠緒もキャスティングされたのでしょう。
しかし同時に、国際空軍の最精鋭チームの一員だったという設定ですから、単に可愛いだけでは済まされません。中国拳法と合気道の達人であり、頭も良い。エリート軍人なら当然のことです。
しかし、こうなるともう1人のヒロインの樹里とキャラがかぶってきます。樹里とのキャラ分けがちゃんと出来ていないのです。
これは当初構想の5つの王家の力を受け継ぐ戦士という設定が無くなって、5人全員をエリート軍人にしてしまった時点でキャラ分けが曖昧になる宿命にあったわけですが、桃たちのキャラの混乱はこれだけにはとどまっていません。

scan093.jpg桃は茶目っ気たっぷりで、自信過剰で、オシャレで、臆病で、ちゃっかり屋で、情にもろい江戸っ子気質であったりして、あまりに多様な面がありすぎます。
こういう多様な面がありすぎるというのは樹里にも男性メンバーにも言えることですが、まぁある意味リアルな人物造形ともいえます。現実に生きている人間というのは多様な側面を持っているものだからです。
しかし、戦隊シリーズというのは極めて架空性の高いドラマシリーズですから、あまりリアルすぎる人物造形は必ずしも必要ではないし、子供向けドラマですから、変に生々しい性格描写は要らないでしょう。
特に桃や樹里は変に生々しいリアルな女性の側面が見えがちで、メイン視聴者の男児にはそういうのはあまり観ていて楽しいものではないでしょう。
そもそも、そうした多様な側面が例えばダイレンジャーの時のようにちゃんと一貫した個人ストーリーを追う過程で出て来るのならまだ理解は出来るのですが、オーレンンジャーの場合、そんなちゃんとした個人ストーリーも無く、どうにも断片的で脈絡の無い印象です。

結局、これはストーリーが迷走して、それに伴って登場人物のキャラがブレていっているだけで、更に悪い事にキャラ描写がスカスカなために役者の素の顔が出てしまっている模様です。
素といっても、もちろん本当の素ではなく、あくまでタレントとしての素ですが、役柄というものがもはや半ば有名無実化しているような印象すら受けます。
珠緒の場合、タレントとしての素がたまたま魅力的であったので、かなり頑張って面白い天然ボケ風の桃のキャラを表現出来ているのですが、もはや元の設定の桃とはだいぶ違うキャラになってしまっています。
結局は作品自体の迷走が激しく、珠緒が孤軍奮闘しても桃のキャラを人気キャラにまですることは出来ませんでした。

しかし、どうしてそんな酷いことになってしまったのか。
よく言われるのが、まぁ珠緒本人も言っていることですが、オーレンジャー放送開始後2週間ちょっとぐらいの3月20日、地下鉄サリン事件が起こったことが原因という説があります。
サリン事件を起こしたのがオウム真理教であることはすぐに明らかとなり、そのオウム真理教の教義に1999年のハルマゲドン到来を目指していたり、ピラミッドパワーで空中浮遊とか、超能力とか、まぁ要するに巷のオカルト的な言説のゴッタ煮のようなのがオウムの教義の実態だったのですが、それらを信奉してる団体が起こした事件があまりにも悪質であったことが問題となったのでした。
というのも、オーレンジャーのストーリーも1999年の出来事として描かれており、機械の帝国バラノイアの侵略をハルマゲドンの恐怖の大王に見なしていたのが、オウムの教義に妙に一致点があり、更に物語の中でピラミッドが出て来たり、超能力がモチーフになっていたりして、当時異常に過敏になっていた世間を刺激するのに十分な不謹慎な内容であったのです。

それで自粛して、ハード路線は引っ込めて、路線変更してギャグ路線に走らざるを得なかったと言われています。
しかし、序盤のギャグ路線エピソードはサリン事件以前から制作されており、サリン事件後の路線変更とは関係無いでしょう。
実際はもともとコメディー路線への志向とハード路線への志向がせめぎ合っていたと見た方が正解でしょう。
というより、企画段階の経緯を考えると、もともとは不思議コメディー路線の戦隊を作る予定だったところに、後から急遽20周年記念ということでハード路線が割り込んできたのであって、それがあまりに急ごしらえで中身がスカスカであったので、どっちにしてもコメディー路線で随所を埋めていかざるを得なかったと思われます。
つまり、コメディー路線が出て来るのはサリン事件が無かったとしても確定的だったのです。

こういうハード路線とコメディー路線の間を行ったり来たりする作品というならば、前作カクレンジャーも同じようなものでした。だから本来はカクレンジャーぐらいの出来の作品になるはずだったのです。
ところがそれ以上の惨状になってしまった原因こそが、サリン事件です。
サリン事件のせいでハード路線を推進する勢力がすっかり身動きが取れなくなってしまって、コメディー路線のほうがメインになってしまったのです。
といっても、世界観の設定はハード路線に合わせたものになっていますから、コメディー路線はエピソードを埋める程度には使えても、メインを張るわけにはいかないのです。そんなことをすれば世界観とストーリーの間に齟齬が生じて破綻してしまいます。
しかし、結局そうしてしまった。その結果、オーレンジャーの物語は破綻したのです。そして、それに伴って登場人物のキャラも破綻したのでした。

ただ、それでも、丁寧にストーリーを組み立て直し、人物を描写していけば、当初構想とは違うものとなっても、それなりの作品にはなったはずです。
ところが、オーレンジャーにおいてはそうした努力はなされなかった。終盤になっても相変わらずコメディー路線に突っ走り、しかもそれが破綻しており、あとはバラノイアの着ぐるみ同士のコントのようなものが延々とあったりして、最後は散々と人間の心の美しさを美辞麗句で説いた後、「機械にも心があった」という新たな発見にオーレンジャー達が驚いて、投げっぱなしのようにして終わってしまいました。
これはもう完全に物語が破綻して終わったと言っていいでしょう。あまりに異常で、結果、オーレンジャーは平均視聴率が歴代最低をマークしてしまい、この不名誉な記録は未だに破られていません。
また、例えばカクレンジャーの場合は最初はコメディー路線で後半は熱いヒーロードラマになったため、なんだか成長したような印象となっているのに対し、オーレンジャーの場合、最初がやたらハード路線だったため、後でコメディー路線になってしまったことが劣化したような印象になってしまったのが痛かった。同じように迷走していても、順序が逆だとかなり印象は違うものです。

何故、丁寧にストーリーを組み立て直すことが出来なかったのか。
その大きな原因が、あまりにも多くの巨大ロボットが出て来たことです。
オーレンジャーはあまりにも巨大マシンや巨大ロボが多い。巨大ロボだけでもガンマジンも入れれば7つあり、5人が個別に操縦する個別ロボも5つあり、それとは別に5人の個別マシンも5つあり、とにかく多い。当然、巨大戦に割く時間が多くなり、ドラマ部分は減る。
これは、まず過剰な玩具販促のためでありました。
20周年記念作品というのも、もともとは販促キャンペーンのためでしたから、当然張り切ってたくさんの玩具を売ろうとします。
それでこういうことになってしまったのですが、実際、このキャンペーンの目論みだけは上手くいき、オーレンジャーは視聴率は最低だったにもかかわらず、玩具売上は極めて高い数字を残しています。
そりゃあこれだけ玩具を発売すれば売上の数字も稼げるだろうとも思えますが、きっちり売れているというのはやはり凄い。
これは、もともと大人向けのハード路線を目指していたにもかかわらず結果的にはコメディー路線に落ち着いてしまったため、小さい子供たちには意外にウケたというのもあるようです。

また、やたらと巨大ロボがたくさん出て来るのはパワーレンジャーの影響もあります。
この巨大ロボがやたら多いのはカクレンジャーの時も同じで、カクレンジャーからオーレンジャーの2年間に特に顕著な特徴です。
つまり、パワーレンジャーでは役者の芝居部分は素材として使えず、巨大戦のシーンなどは素材で使えるのです。だから、巨大ロボを多く出してそのシーンを増やしているのは、パワーレンジャーのために出来るだけ多くの使える素材を提供してあげようという配慮なのでしょう。
だからパワーレンジャー化が確定した直後の2つの戦隊にその特徴が特に顕著なのです。

しかしながら、巨大ロボが多いことだけがドラマをちゃんと作らなかった原因ではないでしょう。
巨大戦シーンが多くなったガオレンジャー以降でもちゃんとドラマは作れているのですから、その気に成れば何とでも工夫は出来るのです。
つまり、この時期、ドラマを描く気が無くなっていたとしか思えないのです。
それは、おそらくサリン事件とそれに引き続くオウム真理教事件のせいでしょう。それは自粛とかいうものではありません。実際は自粛というのは体の良い口実であった可能性が高いです。
本当は思考停止してしまったのでしょう。だからオーレンジャーの終盤はストーリーが破綻したまま放置して終わってしまったのです。

スーパー戦隊シリーズというのは、もともと「世界征服を企む絶対悪の組織と戦う絶対正義のヒーロー」がコンセプトでした。
そして、その悪の組織というのは、だいたいは強大な軍事力を持った抑圧的な大帝国として描写され、それに対して立ち向かう戦隊は清廉潔白な若者たちでした。
ここでイメージされている悪の侵略組織には、冷戦時代のソ連のイメージが投影されています。
ソ連は遠くてよく分からない存在でした。それでいて脅威と悪意だけは強く感じる。そういう物に対しては全く無理解の恐怖と嫌悪の感情しか湧いてきません。つまり絶対悪です。倒すべき悪魔であり、それ以上の理解など不要です。よって、それと戦う者は被害者の正当な権利を振るっているだけであり絶対正義です。
こういう善悪二元論的な現実社会の認識を架空の物語に投影してスーパー戦隊シリーズは成立していました。

それが1989年のターボレンジャーあたりからネタ切れ感が漂ってきました。
これは本当はネタ切れではなかったのかもしれません。冷戦時代の終焉時期、スーパー戦隊シリーズを支えて来た世界観が賞味期限が切れかけていたのかもしれません。
そのシリーズの危機をファンタジー路線の導入で乗り切っていたのですが、これはまぁ一種の現実逃避で、延々と続けられるものではありません。ファンタジー路線がダメだとは言いませんが、それだけで続けられるものではないということです。
いや、それを延々と続けようとしたから、カクレンジャーにおいてコメディー化という陥穽に嵌ってしまったとも言えます。やはりヒーロードラマを続けていくのならファンタジー要素は受け入れつつも現実にも向き合う必要はあるのです。
そして、この1995年という時代に、オーレンジャーにおいて20周年記念ということでハード路線、つまり冷戦時代そのままのような古い世界観を据えたことによって、現実とのギャップをまざまざと見せつけられることになったのです。

オーレンジャーにおいて打ち出された世界観は、心を持たない冷たい機械の絶対悪の帝国と、それと戦う愛と勇気に溢れた温かい心を持つ人間の戦士たちの対立構図でした。
これは冷戦時代の遠くにある悪の大帝国ソ連と、その被害者である正義の日本の構図そのままでした。
しかし現実にはもうソ連も無く、古い対立構図も無くなっており、現実に現れたのはオウム真理教のような、日常に潜む悪意でした。
味方のはずの身近な人間達こそが悪意の根源だったのです。
そうした現実を突きつけられてしまい、オーレンジャーの世界観が陳腐極まりないことが白日の下に晒されてしまったのが、オーレンジャー失敗の最大の原因です。

これにより、オーレンジャーの劇中で語られる美辞麗句は全て空虚なものとなったのです。
子供はもちろん冷戦終焉やオウム事件の意味など分かりません。
が、作る側や演じる側が信じることが出来ない哲学、空虚だと感じる言説などに基づいて作られた物語は、子供はその空虚さには敏感に気付くものなのです。
これに対抗して新たな現実に即したドラマを紡ぎ出すだけの哲学をこの時点の戦隊スタッフは持ち得なかったのです。それで思考停止してしまい、物語は破綻したまま終わったのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2011年01月17日

初代レッドル

初代レッドル.jpg





















1995年、オウム真理教事件によってクローズアップされた「身近に存在する悪意」というものに対して「オーレンジャー」がヒーロードラマとして対応することが出来なかった頃、それに対応し得た、もう1つの戦隊ヒーロードラマが有りました。
それが同じ東映制作の「重甲ビーファイター」です。

「重甲ビーファイター」はメタルヒーローシリーズ第14作です。
メタルヒーローシリーズは1982年の「宇宙刑事ギャバン」から始まる東映制作、テレビ朝日系放送のシリーズで、同年のスーパー戦隊シリーズ作品は「大戦隊ゴーグルファイブ」でした。
まだスーパー戦隊シリーズでは重厚なドラマを描くよりもシリーズの基礎を固めることが優先されていた頃です。
こうした時期に、やや高い年代(就学児童あたり)をターゲットにして重厚なSF人間ドラマを描くというコンセプトで「宇宙刑事ギャバン」は作られました。
これがヒットして、「宇宙刑事シリーズ」が続いて「宇宙刑事シャリバン」「宇宙刑事シャイダー」と、3年間で3作品作られました。これがメタルヒーローシリーズの始まりです。

宇宙刑事というと、宇宙警察みたいなところから地球に派遣されてきて、宇宙犯罪組織と戦うわけですが、この宇宙犯罪組織自体にはあんまり意味はありません。結局やってることは戦隊シリーズの悪の侵略組織と大差はありません。
この宇宙刑事シリーズのポイントは、仕事として正義のヒーローをしている主人公が私的な事情との板挟みでいろいろ苦悩することです。そこに人間ドラマが生まれるわけです。
そのために「公的機関所属の宇宙刑事」という設定があるのであり、その敵役として適当なので犯罪組織が出て来るだけのことです。
実際、この宇宙刑事三部作が終わった後も、「公的な使命を帯びたヒーロー」である主人公が、犯罪組織でも何でもない普通の悪の侵略組織と戦いつつ、個人的事情にも振り回されるという構図は2年ほど維持されました。ここでは、もはや敵は犯罪組織である必要は無くなっています。

しかし、これは次第に飽きられてきました。何故かというと、スーパー戦隊シリーズもこの頃には重厚なドラマを描く路線にシフトしてきていて、内容が結構かぶってきたからです。
この頃は戦隊シリーズはまだ土曜の夜にやっており、一方メタルヒーローシリーズは平日の夜で、やはり同じような内容なら戦隊シリーズの方が有利な時間帯でもあり、ヒーローの数も多いし、優勢でした。
そこでメタルヒーローシリーズは従来の方針を変えて、フィギュア玩具を売るための路線にシフトして、敵キャラにもスポットを当てたロボットバトル作品「超人機メタルダー」や、忍者バトル作品「世界忍者戦ジライヤ」をやりましたが、
当初かなり視聴率が苦戦してしまったので、放送枠を日曜朝9時半枠に変えて、新たな視聴者層の開拓を目指すことにしました。
この休日朝の時間帯は「不思議コメディーシリーズ」のヒットによって新たな子供番組の時間帯として開拓されていたのです。
そして1989年にテレビ朝日の日曜朝の番組編成の整理に伴って日曜朝8時開始枠に移動したのを機に、再び主人公を警察所属の刑事に戻した「機動刑事ジバン」を制作し、なりきり玩具を売る路線に戻しました。
この作品の段階では、往年の宇宙刑事シリーズを日本の架空の都市ローカル規模に移し替え、主人公をサイボーグにしてSF的な犯罪組織と戦うような感じでした。

メタルヒーローシリーズの大きな変化は翌1990年の「特警ウインスペクター」において生じました。
警察組織に属する変身ヒーローは悪の犯罪組織や侵略組織と戦うのではなく、通常の犯罪者や災害から人々を守るために戦うのであって、敵を倒すことが目的ではなくなったのです。
人命救助や事件解決の過程で犯罪者と戦うことはありますが、逮捕が目的であり、倒すことは目的ではなくなりました。これは重大なコンセプトの変更でした。
また、それまでのメタルヒーローシリーズ作品では正義の変身ヒーロー(あるいはロボットヒーロー)は基本的に1人だったのですが、この「ウインスペクター」から、物語序盤から3人ぐらいのチームを組んでいる集団ヒーロー体制に移行しました。

この「ウインスペクター」はそれまでに存在しなかった斬新なコンセプトがウケて、人気を獲得しました。
ちょうどこの年は戦隊シリーズでは「ファイブマン」が大コケしており、まさに冷戦終焉の時代の変わり目に新しいコンセプトを提示出来なかった「ファイブマン」が、新しいコンセプトを提示し得た「ウインスペクター」と「ポワトリン」に人気を喰われた年だったといえます。
その後、メタルヒーローシリーズでは、この「ウインスペクター」と同一の世界観の「特救指令ソルブレイン」「特捜エクシードラフト」という作品を続け、これら3作品を総称して「レスキューポリスシリーズ」と言います。
しかし、このシリーズは最初のウインスペクターが割とハッピーエンドで終わるエピソードが多い明るい作風だったのが、作品を重ねるごとにバッドエンドの多いリアルで暗い作風になっていったので人気は下降していきました。
これは同時期の戦隊シリーズが「ジェットマン」「ジュウレンジャー」と順に勢いを取り戻していくのとちょうど反比例するような流れで、戦隊シリーズとメタルヒーローシリーズで同じ男児市場を喰いあっているような状況だったとも言えます。
これは言い換えれば共倒れは無いという状況で、メタルヒーローシリーズはある程度は安心して冒険的な作風を追求していたのかもしれません。

それでメタルヒーローシリーズはレスキューポリスシリーズ三部作の後、ロボットヒーローが人間の作った悪の組織と戦うという逆転の発想の「特捜ロボ・ジャンパーソン」や、
装着型の共通装備を身に付けた特殊部隊のヒーローチームが人間に憑依して秘かに侵略するエイリアンと戦うリアル志向の「ブルースワット」など、異色作を制作していきました。
特に「ブルースワット」のミステリアスな作風は後の平成仮面ライダーシリーズの先駆となるものでしたが、とにかく地味で、この時点では子供にはウケませんでした。この手の作風は「仮面ライダー」という超メジャーヒーローと組み合わせることで成功することになるのです。

メタルヒーローシリーズがこうした冒険をしている間に、1993年には不思議コメディーシリーズが終了して東映特撮は女児玩具市場から撤退し、更に男児市場で「ブルースワット」がコケた1994年には、戦隊シリーズの方も「カクレンジャー」が決して成功とは言い難い視聴率と玩具売上に止まってしまいました。
つまり、ここで初めて、戦隊シリーズとメタルヒーローシリーズが同時にコケるという現象が起きてしまったのです。
これに焦って東映は次の戦隊シリーズ作品「オーレンジャー」を急遽、シリーズ20周年記念作品としてキャンペーンを張ることとしたわけですが、
当然、メタルヒーローシリーズの方でも冒険的な作風は廃して、次の作品は一般受けしやすい作風に転換しようということになりました。
そうして作られた1995年のメタルヒーローシリーズ作品が「重甲ビーファイター」なのです。

ここで1995年度にバンダイと東映が打ち出した戦略は「戦隊二本立て」でした。
両シリーズともにコケてしまったことから、安全策をとって両シリーズとも、最も一般受けする戦隊シリーズのフォーマットで制作しようということになったのです。
だから「重甲ビーファイター」はメタルヒーローシリーズでありながら、実際はほとんど戦隊シリーズ作品と同じような内容です。
というか、厳密に言えば、実質的には真の意味でのメタルヒーローシリーズは「ブルースワット」で終了して、第二戦隊シリーズの第一作として「重甲ビーファイター」は始まったのかもしれません。

ただ、まぁ既存の戦隊シリーズとは若干違う点もあります。
まず5人戦隊ではなく3人戦隊であること。
強化スーツが戦隊シリーズ特有のレオタード風のソフトスーツではなく、メタルヒーローシリーズ特有のメタリック系のハードスーツであること。
巨大メカは出てくるが、合体して巨大ロボにはならないこと。
しかし、これらの相違点以外は、戦隊シリーズに非常によく似ています。

メタルヒーローシリーズでは敵が大規模な破壊型の侵略組織であることはほとんど無かったのですが、「ビーファイター」の敵組織は異次元からの侵略者組織ジャマールです。
メタルヒーローシリーズでよく見られた犯罪組織や犯罪者たちとは違って、犯罪が目的ではなく、侵略行為そのものが目的化した、よく戦隊シリーズで見られるタイプの敵組織です。
よって、これと戦う正義のヒーローも警察機関所属などのプロ戦士ではありません。

メタルヒーローシリーズの大きな特徴は、正義側は敵に関する情報を熟知しており、正義側が敵と同等以上の科学力や戦力を持っており、正義側は正攻法で敵を鎮圧出来るという点でした。
一方、戦隊シリーズの場合は敵は人間側にとって基本的に未知の存在であり、敵の科学力や戦力も人間より優れており、人間は既存の科学では敵に太刀打ち出来ないため、未知の新技術や異世界からの助太刀によって状況を打開して敵に優越する戦隊を組織することに成功するという点が大きな特徴です。
つまり正義側の組織結成に至るドラマの有無が両シリーズを大きく分ける特徴といえます。

その点「ビーファイター」は、ジャマールの侵攻を昆虫界の長老から知らされた主人公の1人で若き昆虫学者の甲斐拓也がその危機を訴えても政府も社会も全く相手にせず、いざジャマールの侵攻が始まると人間側も昆虫界も全く歯が立たないという点、メタルヒーローシリーズよりも断然、戦隊シリーズに近いです。
そして、仕方なく独力でジャマールと戦おうとして拓也とその支援者であるアースアカデミアの向井博士が開発していた戦闘用アーマーも彼らの力だけでは完成させることが出来ず、昆虫界の長老が昆虫の精と融合させることで完成するという点も、戦隊シリーズっぽい設定になっています。
こうして完成した3つのインセクトアーマーは昆虫の精が宿っているので意思を持っており、その適合者をアーマー自身が選びます。
それは自然を守るために命を賭けて戦う勇気を持った人間であり、アーマーが選んだ適合者は拓也と、ジャマールの侵攻に生身で立ち向かって自然を守ろうとした樹木医の片桐大作、動物学者の羽山麗の3人でした。
ヒーローに変身する者が戦闘のプロではなく民間人であるという点は戦隊シリーズによく見られる傾向であり、メタルヒーローシリーズでは見られない特徴です。
また、変身にビーコマンダーという手持ちのアイテムを使用するのも戦隊シリースと共通した特徴です。

rei.jpgこの3人の若い学者たちがインセクトアーマーを纏って変身するチームがビーファイターですが、
このうちの紅一点が羽山麗で、レッドルというメスカブトムシをモチーフとしたインセクトアーマーの装着者です。
麗は22歳の動物学者で、水族館のインストラクターもしています。
なんでも幼い頃から両親に連れられて世界中を転々としていて、その行く先々で戦争で人間や動物が命を失う光景をさんざん見たため、あらゆる動物の命を守ることを目的に動物学者になったのだそうです。
それでジャマールの侵攻にも立ち向かい、アーマーの適合者に選ばれたというわけです。

こうした経緯を見ても分かるように、麗は非常に真面目な性格です。
それに幼い頃からさんざん苦労しており、しっかり動物学者になるという夢も実現しているあたり、非常に落ち着いたしっかり者の優等生です。
もちろんとても頭も良く、運動神経も良いです。
まぁデキる女ですが、決して高慢なタイプではありません。謙虚で真摯な性格です。
そして美人でスマートで冷静、いわゆるクールビューティーのタイプです。

こういう、クールでカッコよく、能力が高く、しっかり者で大人の女性の魅力に溢れたヒロインというのは、メタルヒーローシリーズの伝統的なヒロイン像です。
だいたいは主人公ヒーローのサポート役の女性同僚刑事であったりすることが多かったのですが、
彼女たちはライダーヒロインやウルトラヒロイン、スーパーロボットアニメのヒロインなどと同じタイプで、変身して戦わないヒロインであり、主人公ヒーローを支援して戦いつつ、主人公ヒーローに守られ救われる存在です。
つまり、それだけ、か弱い女らしさが強調されたヒロインとなり、女性らしい色気が強調されます。
実際、歴代メタルヒーローヒロインは際どい衣裳のヒロインが多く、同じようにミニスカートを履いていたとしても戦隊シリーズヒロインとはどうも印象が違います。大人の色気が強調されている感じなのです。

これはあくまで男のヒーローが主人公であり、そのヒーローの男らしさを際立たせるために、傍に大人の色っぽい女性を配置しているという意味なのでしょう。
傍に侍る女性のグレードが高いほど、男の価値は上がって見えるものなのです。
ただ、単に色気だけの女性の場合、逆に価値が低く見えてしまうので、侍るのは有能でクールでカッコいい女性がよいのです。
逆に言えば、普通の男では口もきくのが憚られるほどの有能でクールでカッコいい大人の美女が、その主人公ヒーローに対してだけは従順になるからこそ、そのヒーローのカッコよさが最大限に引き立つのです。
だからメタルヒーローシリーズのヒロイン達は戦闘力の高いクールな美女たちでありながら、露出の高めの服装をしてヒーローの前では女の弱い顔を見せるのです。

麗というのは、どうもこの歴代のメタルヒーローヒロインと同じ系譜に位置するヒロインに見えるのです。
それは麗を演じている葉月レイナの印象から直感するものですが、実際、麗のキャラ的にも、非常に有能でソツが無く、しっかり者で真面目、美人で大人の魅力があるわけですから、そのような印象はどうしても受けてしまいます。
ただ、歴代メタルヒーローヒロインは変身はしないものの、生身でも有能なプロ戦士です。
一方、麗はレッドルに変身すれば分析能力と身軽さに秀でた戦士になりますが、生身では戦闘訓練を受けたわけではなく、単なる戦闘の素人です。
だから真の意味でのクールビューティーというわけではない。
そもそも、麗はクールビューティーとしてヒーローの傍に侍ってヒーローの価値を上げる必要性など無い。
麗自身も変身ヒーローであり、「ビーファイター」の主役3人のうちの1人だからです。だから、必ずしも戦闘のプロのクールビューティーである必要も無いし、露出の高い色気を強調した服を着てヒーローの傍で女の顔をする必要も無いのです。
実際、麗は男っぽい服装が多く、せっかく美人なのに色気が強調される服はほとんど着ていません。
ただ、そうなると、麗はクールビューティーにもなりきれず、色気を売りにするわけでもなく、単に真面目で有能なしっかり者の大人っぽい美女というだけで、いささか地味な印象になってしまいます。ソツが無さ過ぎてつまらないといえます。

これは要するに、急な路線変更の影響で、メタルヒーローシリーズのスタッフが戦隊シリーズのキャラの魅せ方というものをまだ把握出来ておらず、主要キャストをメタルヒーローシリーズのまんまの感覚でキャラ造形やキャスティングしてしまったのです。
男性メンバー2人に関してはそれでも戦隊シリーズと共通した部分も多かったのでなんとかなったのですが、女性メンバーの場合は、戦隊には戦隊独特のヒロインの魅せ方というものが有るのですが、それとはかなりズレたメタルヒーローヒロインのタイプのキャラ造形をして、それに合った葉月レイナをキャスティングしてしまったのです。
しかし、実質的には麗は戦隊ヒロインですから、メタルヒーローヒロインのような魅せ方をすることも出来ず、結果的にかなり薄いキャラとなってしまったのです。
麗のキャラは、戦隊でもダブルヒロインの片割れとしてなら成立はしたでしょうが、単独ヒロインとなると、やはり優等生で大人しすぎたといえるでしょう。
岬めぐみが似ているようにも見えますが、めぐみの場合、もっとハジケた部分がありました。

まぁ麗が「ビーファイター」の作風の中で浮いていたというわけではありません。
むしろ、麗も含めて、メイン3人がみんな学者で非常に理知的な印象であったため、作風が地味にまとまって変な意味で安定してしまっていたのが問題でした。
綺麗にまとまった作品になってしまい、せっかく面白い設定の作品なのに、爆発力に欠けました。
何か世界観を壊すぐらいのカンフル剤が必要だったのです。

そんな時、全く偶然の展開なのですが、撮影で張り切り過ぎた葉月レイナが序盤(13〜14話付近?)の爆発シーンの撮影で首を負傷してしまい、その後、しばらく声が出せない状態となって、吹き替えなどで暫くは対応しましたが、結局、21話で降板することになったのです。
劇中では22話冒頭で麗が博士らに相談した結果、ビーファイターを辞めて南米の動物たちを守るために旅立つことを決めた旨の置手紙を拓也と大作宛てに残して既に旅立った後というシーンから始まり、この22話で二代目のレッドルの適合者が現れるという流れとなります。
かなり強引な展開ですが、これによって結果的には「ビーファイター」という作品の展開は大きく変わっていくのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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二代目レッドル

二代目レッドル.jpg




















「重甲ビーファイター」の初代レッドル適合者の羽山麗がビーファイターを辞めて南米に去っていったのは22話冒頭のことでしたが、これは麗を演じていた葉月レイナの首の負傷が原因でした。
この負傷は13話あたりの撮影分で生じた事態であり、その後、麗のセリフが全て別の俳優さんの声で吹き替えられているところを見ると、葉月は声の出せない深刻な状態であったようです。
結局その状態のまま葉月は降板して麗は物語から消えたわけですから、番組制作中に回復する見込みも当初から無かったと推測されます。
ならば、さっさと降板させて、もっと早くに二代目レッドルを登場させてもよかったようにも思います。
13話から22話までの間はかなり長い。2ヶ月近くもの間、葉月の声が出ない事が分かっていながら、麗というキャラを無理に延命させたということになります。
何故、そんなことをしたのかというと、理由は1つしかないでしょう。二代目レッドル役の女優を厳選する時間が必要だったからです。

突発的アクシデントでヒロイン役が降板して急遽代役を立てなければいけなかった前例といえば、「バイオマン」のイエローフォーの件が思い出されます。
あの時は初代の小泉ミカ役の矢島由紀が失踪してしまったのでミカというキャラの延命が不可能で、否応なく二代目の矢吹ジュンというキャラを出すしか選択肢が無く、急遽、田中澄子という新人役者をジュン役にしました。
その結果、ジュンというキャラは明らかにミカというキャラよりも格は下で、ミカ役で構想していたことはほとんど出来なくなってしまったのですが、それでもジュンというキャラもそんなに悪くはありませんでした。

あの時の事例を今回のレッドルの件にあてはめてみれば、すぐに麗というキャラを退場させて二代目レッドル適合者のヒロインキャラを登場させれば、麗よりはやや落ちるものの、それなりのヒロインになることは十分可能ということになります。
ならば不自然な吹き替えまでして麗を引っ張るよりは潔くさっさと二代目を登場させればいいようにも思えます。
ところがそのようにはせず、あくまで時間をかけてじっくりと二代目ヒロイン役者を厳選したということは、それだけ二代目ヒロインのキャラに期するものがあったということです。
単なる麗の代わりではなく、麗を超える役割を果たしてくれるキャラでないといけないという強い想いがあったのです。

しかし、それにしても2ヶ月は長い。単に役者を厳選するにしては長過ぎます。
番組の性格上、どっちにしても有名俳優はキャスティング出来ないわけで、新人役者ということになります。その中から厳選するにせよ、そんなに時間がかかるわけではありません。
だから単に役者を厳選しただけではなく、二代目のキャラクターの設定をイチから検討し直すという作業がまずあって、それからそれに合った役者を厳選したのだと思われます。
そして、それは作品自体の路線変更の一環であったのではないかと思われるのです。

麗役の葉月が撮影中に負傷したのは3月末ぐらいのことだと思われます。
この時期というのは、地下鉄サリン事件が起こり、それがオウム真理教の引き起こしたものではないかという疑惑に日本中が揺れ始めていた時期です。
もともと、1月に起こった阪神大震災によって、生活のすぐ身近に大きな危険が潜んでいることを実感していた日本国民は、このオウム事件に接して、生活の身近に自分と変わらない普通の人間による巨大な悪意もまた潜んでいることを実感し、慄いていました。
このように蔓延し始めた新しい風潮に対して、戦隊シリーズの「オーレンジャー」の制作現場では、オーレンジャーの提示している「外部からの巨大な未知の侵略者VS正義の人類」という世界観が陳腐で古臭いものとなりつつあるということは自覚出来ましたが、それに代わって新しい社会の危機意識に対応した物語を紡ぎ出すことは出来ず、立ち往生していましたように思えます。

「重甲ビーファイター」においても、そこで提示されていた世界観は戦隊シリーズとほぼ同じく「外部からの未知の侵略者VS正義の人類」でしたので、それはやはりオウム事件後の当時の世相から見れば、既に陳腐なものになっているという点では同じようなものでした。
しかし、メタルヒーローシリーズの制作現場は、その新しい社会の危機意識に対応することが出来たのです。
それは何故かというと、レスキューポリスシリーズ以降の蓄積が有ったからでしょう。
もともとメタルヒーローシリーズでは、レスキューポリス三部作で「普通の人間がヒーローと戦う敵となり得る」「敵である犯罪者にもそれなりの事情がある」ということを描いており、
続く「ジャンパーソン」でも「人間が究極の悪にもなり得る」「しかし、それにも事情はある」ということを描き、
「ブルースワット」では、「一見平穏な社会に潜む悪意」「人間に憑依し擬態した悪意」を描いてきた。
そうした蓄積が有った上で戦隊シリーズ路線に転換したばかりであったので、オウム事件のような事態に対応した適切な物語を紡ぎ直すことが出来たのだと思います。

19話の脚本が書かれたのは地下鉄サリン事件から1ヶ月ほど経った4月下旬ぐらいだと思われますが、
ここでは主人公の1人である甲斐拓也(ブルービート)の遺伝子から作られたシャドーの変身する闇のビーファイター、ブラックビートが物語に登場し、敵側のレギュラーに加わります。
まぁこういうキャラが登場すること自体は規定方針だったのかもしれませんが、その扱いが非常に重いものとなるのは物語後半の路線変更の結果でしょう。
そして22話にはレッドルの二代目適合者である鷹取舞が登場します。
これも撮影は6月初旬ぐらいだったと考えられ、サリン事件から1ヶ月の4月下旬までに新しい路線が固まっていたとすれば、そこで鷹取舞のキャラも決定し、そこから1ヶ月間、舞役の役者を厳選して5月末までに新人女優の巴千草を選び出していたとすれば間に合います。

bee014.jpgレッドルの二代目適合者の鷹取舞は19歳の女子大生で、ビーファイターの新装備をたまたま拾ったことがきっかけで二代目のレッドル適合者となり、ビーファイターの仲間になりました。
麗と同じく、やはり戦闘経験の無い全くの民間人ですが、舞の場合は他の2人や麗のように学者でもなく、ホントに単なる普通の学生で、
特に頭が良いというわけでもなく、自然界に関する知識が豊富なわけでもありません。
というか、一般常識にも少し欠けたところがあるぐらいで、一見アホの子のようにも見えます。

ただ、舞はとても純粋な性格で、自然を愛する気持ちだけは誰にも負けないのです。
もちろん拓也も大作も麗も自然を愛する気持ちは強いのですが、彼らは学者なので、それが理知的な形で現れるため、やや分かりにくいし、やや抑制されたものになります。
しかし舞は変に知識が無い分、気持ちだけで行動するため、その純粋な自然への愛情はストレートで、見ていて非常に分かりやすく、抑制が無い分、常に全開状態となります。
自然を守るためなら見境ない行動をとります。まぁそういう性格であるのでレッドルの適合者に選ばれました。

麗が自分の幼少時からの辛い経験を頭の中で整理して自然を守る動物学者への道を選び、それを粘り強い努力と才能で実現させてきたのに比べると、
舞の自然への愛はかなり能天気で漠然として、気持ちが前面に出ているといえます。
麗が動物をそっと陰から見守ってあげる知性と抑制に基づいた優しさを秘めているとすれば、
それに対して舞は愛情に突き動かされて迷いなく小動物に駆け寄って抱き締めるというタイプです。
麗の優しさは知性によって抑制されている分、やや分かりにくく、過去の辛い経験もあるため、やや苦悩や葛藤も垣間見えて暗いムードも漂うのですが、
舞は知性で劣る分、非常に能天気で明るくハジケた性格で、誰とでも仲良くなる気さくさを持っています。
ひたむきで純粋で一生懸命で優しく元気で可愛い。まさに戦隊ヒロインっぽいキャラだといえます。
そういう舞のキャラに合う女優ということで巴千草が選ばれたと思われます。

学者である拓也や大作にとっては、麗は同年代で同じ学者仲間でもあり、そのしっかりした真面目な性格もあって、頼れる同僚というイメージでした。
しかし舞の場合は年齢も少し離れており、学者でもないただの学生で、あまり頭が良いともいえず、世間知らずな能天気な、やたら元気な人懐っこい性格であるので、どうも放っておけない出来の悪い、それでいて可愛い妹というイメージとなりました。
舞が何も知らないので2人に色々質問して2人が先生が生徒に教えるようにして教えてあげて、それによって2人の方も改めて発見することもあったり、舞の独特の視点に逆に感心したりとか、麗とチームを組んでいた時よりも、拓也と大作のキャラも動きが大きくなってくるという効果もあり、舞の加入によって作品全体の活気が出て来たといえます。
ただ、舞の加入の意味はそれだけではありません。むしろ、それは副次的産物でしょう。

とにかく舞の純粋さはケタ外れで、どうやったらそんな澄んだピュアな心が形成されるのか、ちょっと謎なくらいだが、他人を疑うということが出来ないぐらいです。
ここまで来ると、もはや欠点と言ってもいいレベルで、要するにバカがつくほどのお人よしで、人間として未熟なだけの天然ボケ、ただの甘ちゃんとも見ることも出来ます。
もちろんそれでは戦士としても未熟であり、致命的ともいえます。
実はこの部分こそが舞というキャラを登場させた真の意義なのです。
舞はなんと登場して間もなくの頃、敵であるジャマール怪人まで信じてしまい、そのピュアな心にほだされて、なんと怪人も更生してしまう。
しかしこれでハッピーエンドになるようでは余りに甘すぎるわけで、結局は怪人は悲惨な結末となるのですが、それでも舞は挫けることなく怪人を信じ続けるのです。

まぁいくら舞が純粋だからといって、舞の説得で更生してしまう怪人も怪人なのですが、これはジャマールという敵組織の複雑な性格にも関係しています。
このジャマールという組織は3つの軍団の寄せ集めで、その上にガオームという首領がいます。
そしてこの3つの軍団それぞれ、もちろん悪には違いないのですが、それぞれ悪に走って戦わざるを得なくなった複雑な事情をかかえており、絶対悪ではないのです。
また首領のガオームは救いようのない外道ですが、その正体は極めて脆弱で卑小な生命体で、自身の弱さを克服するために永遠の生命を得ることが目的だったりして、何となく哀れを誘うヤツでもあります。
ガオームは限りなく絶対悪に近い存在なのですが、もしガオームが絶対悪だというのなら、絶対悪とはなんと惨めで哀れな存在であることかと思えます。
このガオームの真の正体は続編の「ビーファイターカブト」で明かされますが、闇の意思が生み出した子孫ということだそうです。
となると、ガオームは闇の意思によってわざわざ惨めな姿で生み出されたために、永遠の生命を求める戦いとその果ての破壊に向かって進むように踊らされていただけということになります。
そう考えるとガオームもまた3つの軍団と同じように、多少は同情すべき点もあるヤツのようにも思えてきます。
そして、そうなると諸悪の根源は闇の意思ということになるのですが、闇の意思というのは光の意思と対となった存在で、もちろん邪悪そのものの存在で、これこそが絶対悪そのものなのですが、何処か見知らぬ遠い場所からやって来たモノではない。
光と闇は対であり、光の心、正義の心を持った者にとっても、闇は案外身近にあるモノなのです。

まぁこういった敵組織ジャマールの複雑な内面が、それまでそんなにクローズアップはされていなかったのですが、舞の登場によって、舞が怪人を更生させたり、あくまで怪人さえも信じようとしたりする変な行動をとり、それに拓也や大作たちも次第に感化されていくせいで、敵にも命もあれば心もあるということが浮き彫りになってくるのです。
しかし、だからといって「敵も味方もなく仲良く暮らしましょう」というような甘い考えがこの作品のテーマではありません。
どのような事情があれ悪に染まって他の命を奪おうとする以上、ジャマールは倒すしかないのです。
舞の登場によっても、そういう構図には何の変化もありません。
問題は、その倒すべき敵にも命や心があるということを舞や拓也、大作らが認識したことです。
そのように認識した以上、命を愛する彼らは敵そのものを憎むことは出来ない。憎むことの出来ない敵を倒さなければいけない。そういう戦士の宿命を背負うことになるのです。
その哀しい戦士の宿命を乗り越えるためには、戦士として、ヒーローとして戦う真の理由が必要になります。

それは、敵を倒すのではなく、敵の中に巣食う闇の心を倒すということです。敵を憎むのではなく、闇の心を憎むのです。
言い換えれば、敵に勝つのではなく闇の心に打ち勝つことが大事ということになります。
敵もまた自分の中の闇の心に打ち勝てば、倒す必要は無くなります。逆に、闇の心に支配された敵は涙を呑んで倒すしかなくなります。
敵の闇の心を倒して敵を救いたいが、敵が闇に支配されたままならば敵を倒すしかない。そうした悲痛な戦いを乗り越えてこそ、舞は戦士として成長していくのです。
それが人一倍純粋な心を持った戦士である舞の戦士としてのアイデンティティなのであり、拓也や大作もまた同様の成長を遂げていきます。

つまり、敵に勝つのがヒーローのあるべき姿ではなく、この世にはびこる闇の意思に打ち勝つのがヒーローのあるべき姿だというのが、この「ビーファイター」において提示されたテーマなのです。
敵組織ジャマールの首領ガオームが闇の意思によって生み出されたというのが、その象徴のようなものですが、この事実は続編である「ビーファイターカブト」で示されたものであって、今作ではそこまでは言及はされていません。
ただ、今作でもシャドーという存在を通して、光と闇の関係についてはしっかりと示唆はされています。

シャドーというのは、この作品における光のような存在である拓也の細胞から作り出されたクローンで、それでいて邪悪な意思の塊です。
つまり、このビーファイターという作品においては、闇というものは光から生み出され、光と同じ姿をした存在だという思想が提示されているのです。
そして、シャドーは自分のオリジナルである拓也を倒そうとして執拗につけ狙います。
それが最初はガオームにも歓迎され寵愛を受けますが、シャドーはガオームの世界征服や破壊の目的よりも、ただひたすら拓也を自らの手で倒すことのみを優先するようになり、遂にはガオームとも敵対するようになり、
拓也を倒した上で自分が永遠の生命を手に入れようとし、ビーファイターとジャマールとシャドーの三つ巴のような状況となり、これにジャマールの内紛も絡んで複雑怪奇な情勢となります。
物語終盤になると、ジャマールよりもシャドーの方が主敵のような感じになります。
つまり、シャドーという存在の持つテーマの方が、物語当初のジャマールという存在に込めたテーマよりも重要になってきたということです。

物語が始まった時にジャマールという存在に込められていた意味は、単なる「異次元からの侵略者」という程度のものだったと思われます。
ガオームが闇の意思から生まれたなどという設定は後付けでしょう。
何故そういう後付けが必要になったかというと、「闇の意思」というものが物語途中から重要なテーマとして浮上してきたからであり、その原因はオウム真理教事件に対応して新たなテーマを模索した結果でしょう。
その結果、物語に投入された新たな要素が鷹取舞であり、シャドーであったのであり、そして最終的には次作の最後でガオームもまた闇の意思によって生み出されたというまとめ方がされたのです。

では、何故シャドーは執拗に拓也を自らの手で倒すことにこだわったのか。
それは、闇が光というオリジナルから生み出されたコピーに過ぎないということを自覚しているからこそ、そのオリジナルである光を倒して自分が光になり代わってオリジナルになりたいという本能的衝動があるからです。
これが闇が光に対して闘争を仕掛ける根本的理由であり、それをこの作品ではシャドーというキャラクターの行動を通して表現しているのです。

しかし、ここで謎なのが、光の側はこのような展開となることが分かっていながら、何故わざわざ闇というコピーを作り出すのかという点です。
まぁこの物語の中では拓也はジャマールに採取された細胞でクローンを作られるのであって、自らの意思でシャドーを作るわけではないのですが、
それでもシャドーはもともと拓也であるわけですから、シャドーのジャマールの思惑をも超えた自律的意思というのはもともとは拓也の意思だったということにもなります。
つまり、シャドーを作ったのは拓也の意思ではないが、シャドーの拓也への破壊衝動はもともと拓也の意思だったという解釈も可能なのです。
つまり、光は闇の光への攻撃を望んでいるということになります。
それはどうしてなのかというと、光は闇の挑戦を受けて、闇に打ち勝ってこそ、真の意味での光となることが出来るからです。だから闇を作り出し、闇と戦うことを望むのです。
これがこの作品における光と闇の戦いの真実の姿です。

ここにおいて、「この世にはびこる闇の意思に打ち勝つのがヒーローのあるべき姿」というテーマに繋がります。
「この世にはびこる闇の意思」の中には、敵の心にある闇だけではなく、自らの生み出した、自らの中にある闇も含まれているのです。
自らの闇に打ち勝ってこそ、真の戦士であり、真のヒーローだといえます。
終盤になって、シャドーの正体が自分のクローンだと知り、シャドーの闇は自分の闇そのものだと知り、拓也は大きなショックを受けますが、
自らの闇に打ち勝つことこそが戦士の宿命だと悟り、シャドーとの決着をつけるために最後の戦いに赴きます。

これが「重甲ビーファイター」という作品がオウム事件後の世間に蔓延した「身近に潜む悪意への恐怖」という世相に対して提示したテーマであり、新しいヒーロー像です。
悪は何処か遠い知らない場所からやってくるのではなく、自分たちの中に潜んでいる。
自分の中の悪に勝てない者は誰でも悪になり得る。
だから絶対正義のヒーローなんて存在しないし、絶対悪の敵も存在しない。
真の敵は悪の意思、闇の意思そのものであり、自らの中も含めて、この世に潜む闇の意思に打ち勝つ者こそが信ずるに足るヒーローなのです。
そして闇に打ち勝つ原動力となるのが、この作品においては「自然を愛する心、自然や命を守りたいという優しい心」であるという点は、一貫しています。
この闇に打ち勝つ原動力が何であるのかについては、これは作品によって色々と変わってくるのでしょうが、
基本的に「何かを守りたいと思う心」だというのは、この後、スタンダードとなる傾向となります。
むしろ、その心があるからこそ闇に打ち勝つことが出来るのだというロジックとなっていきます。

このように「ビーファイター」がオウム事件を受けて新しいヒーロー像をいち早く提示出来たのは、メタルヒーローシリーズ、特にレスキューポリスシリーズ以降のリアル路線の蓄積があったからこそであると思われますが、
結果、「ビーファイター」は後半は大いに盛り上がり、視聴率も玩具売上も同時期の「オーレンジャー」を完全に圧倒する人気となりました。
「ビーファイター」が提示した世界観が必ずしも正解だとは言いませんが、少なくともこの作品は制作サイドや出演者が確信を持ったテーマを出すことは出来たわけで、
それが出来なかった「オーレンジャー」のとの差がつくのは当然でした。そういう部分は視聴者の子供は敏感に感じ取るものなのです。
そして、翌年には同じ世界観の正式な続編である「ビーファイターカブト」が作られることになったのでした。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2011年01月18日

イエローレーサー

イエローレーサー.jpg





















1995年のメタルヒーローシリーズ作品、実質的には第二戦隊シリーズ作品「重甲ビーファイター」が後半に大躍進出来たのは、オウム事件発生後の世相の変化をにらんで春から夏にかけての期間、着々とテコ入れ策を打っていったからです。
では、同じ時期、スーパー戦隊シリーズの方は何をしていたのか。
オウム事件発生後、放送が始まったばかりの「オーレンジャー」の冷戦時代さながらのシンプルな勧善懲悪の世界観は古臭くなって、制作陣は方向性を見失って作風はコメディー路線が前面に出て来て迷走を続けていましたが、更に初夏ぐらいから、放送時間帯変更を巡る騒動までも繰り広げていたのです。

もともと民放の夕方のニュース番組というのは18時開始で、重大ニュース発生時には報道特番という形で17時に開始されるのが通例でした。
ところが1995年に入ってから1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件、そしてその後も一連のオウム真理教による重大事件の連続で、もう毎日が重大ニュースみたいな日々が続き、民放各局は連日ニュースを17時から繰り上げ放送していました。
そうした中でテレビ朝日だけは金曜17時台にスーパー戦隊シリーズがあるため、金曜日だけ繰り上げ放送が出来ないで困っていました。

他の局は、この時間帯はアニメなどの再放送枠だったので平気で番組を潰して報道特番を組むことが出来たのですが、
スーパー戦隊シリーズは再放送ではないので潰せば代替放送を何処かでしないといけないのです。
そうなるとまた色々と他にしわ寄せがくるので、テレビ朝日もそう気軽に報道特番が組めない。
もともと、こんな時間帯にスーパー戦隊シリーズが放送しているのは1989年の宮崎勤事件の際にテレビ朝日が無理矢理に戦隊シリーズをこの枠に移動したからであって、
他局も当時同じような措置をしたのですが、スーパー戦隊シリーズだけが長寿シリーズゆえ、当時移動した番組の中でこの再放送枠に唯一残った本放送番組となっていたのでした。
結局、金曜日は他局が報道特番でオウム報道をしている同じ時間帯にテレビ朝日だけ「オーレンジャー」を放送してるという状況となり、「オーレンジャー」の視聴率が極端に下がったのは、このあたりも原因といえます。

ただ、もともとはテレビ朝日側の勝手な都合でこの枠へ移動させた手前、テレビ朝日側もあまり強いことは言えず、枠の移動を言い出せずにいたのですが、
さすがに我慢しきれず、初夏ぐらいになってから、秋からの金曜17時台前半枠への移動を打診してきたのでした。
つまり17時台後半にある「オーレンジャー」を17時台前半に移して、せめて秋から17時半からでも報道特番を組める体制にしたかったのです。
「オーレンジャー」だって、他局の報道特番が佳境に入った時間帯から始まるよりは同時に始まった方がまだ視聴率は取れる可能性があります。

制作会社の東映としては、それで少しでも視聴率が上がればいいと思って乗り気だったのですが、スポンサーのバンダイは猛反対しました。
「オーレンジャー」は玩具はよく売れていたのでバンダイとしては枠の移動など不要だと感じましたし、
枠に見合ったスポンサー料を払っているのはバンダイですから、勝手に枠移動を云々されること自体、不愉快だったでしょう。
何より、金曜17時台前半にはバンダイがスポンサードするガンダムシリーズが1993年からずっと放送しており、
これが低視聴率だったので、テレビ朝日はガンダムを朝の時間帯に飛ばし、そこにスーパー戦隊シリーズを持っていこうとしていたのだが、
バンダイはガンダム玩具は大事な収入源だったのでこれにも反発しました。
この騒動の渦中にあって、スーパー戦隊シリーズのプロデューサーはテレビ朝日側に立って、ガンダムシリーズのプロデューサーと揉めたり、バンダイと揉めたりして、結局はバンダイの言い分が通って枠の移動話がポシャッたりして、1995年の夏場は不毛な揉め事に終始してしまったのでした。
この間にも迷走を続ける「オーレンジャー」への対処などにも追われ、この時期、一番大事なことが出来ませんでした。

つまり、次の戦隊をどうするのかについての企画を詰める作業です。
特にオウム事件以降、ヒーロー番組としての方向性を見失い、世間の視線も気にせねばならず、非常に難しい判断をせねばいけなかった時期です。
その時期を変な騒動で空費してしまい、次の戦隊でどのような新しいヒーロー像を打ち出せば良いのか、全然ビジョンの無い状態で次作品の企画を決定しなければならなかったのです。
結果論的には同時期の「ビーファイター」が良い参考になったはずなのですが、この時期はまだ「ビーファイター」の試行錯誤が成功するかどうか不明な時期であり、あまり参考にはなりませんでした。
「ビーファイター」が正面切って正統派ヒーローを描こうとしていることは分かっていましたが、もしかしたらオウム事件後の硬直した世論によって逆に猛烈に叩かれる危険性だってあったのです。

結局、スーパー戦隊シリーズでは、この1995年夏の時点では、新しいヒーロー像の目途は立たず、正統派ヒーロー路線で勝負する決断も出来ませんでした。
そもそも、「カクレンジャー」や「オーレンジャー」の迷走の大きな原因として、戦隊スタッフに蔓延していた不思議コメディー路線への傾斜傾向があり、
もし中途半端な準備で正統派ヒーロー路線をやろうとしても、おそらくまたグチャグチャになってしまうことは予想できました。
ただ、唯一ハッキリしていたことは、「オーレンジャー」で打ち出した昭和戦隊的なシンプルな勧善懲悪の世界観はもはや時代遅れで使い物にならないということでした。

そこで戦隊スタッフはここで開き直ったのです。
どうせ使い物にならず笑い物になってしまうような世界観ならば、いっそとことん笑い物にしてしまえばいいのではないかと。
昭和戦隊のセルフパロディをとことんコメディータッチで描けばいいのではないかと。
中途半端にコメディーとヒーロードラマの混ぜたようなものでは良い作品は作れないけれども
とことんコメディーに徹すれば、準備不足でも素晴らしい作品を作る自信はありました。
何せ、12年間に及ぶ不思議コメディーシリーズの蓄積が有ります。
どうしても不思議コメディーシリーズの作風への思い入れが抜けないというのなら、いっそ思いっきり吐き出してみればいいのではないかとも思えました。
いや、もうこの1995年夏の内外の情勢では、もうこれしか手はありませんでした。
そういうわけで1996年に生まれたのがスーパー戦隊シリーズ最大の異色作「激走戦隊カーレンジャー」です。

この追い詰められ開き直りきった東映の事情とは裏腹にスポンサーのバンダイはオーレンジャーでの玩具キャンペーン大成功にすっかり有頂天で、ノリノリで次は自動車モチーフでいこうという提案でした。鉄板の自動車玩具で更に儲けようという魂胆です。
バンダイとしては本当は中国拳法とか忍者とか、そういう玩具的によく分からんものよりも、恐竜とか自動車とか動物とか、子供が欲しがりそうな玩具が良いわけで、
本音では毎回そういうモチーフで戦隊やってくれればいいと思っているのですが、制作側としてそんなマンネリなことはやりたくないわけで色々こだわりもあります。
それでだいたいいつも齟齬が生じて揉めたりもするのです。その結果、チグハグなものが出来てしまうこともあります。
「オーレンジャー」なんて実際はその典型ですし、同じ自動車モチーフでも「ターボレンジャー」の時も、車と妖精と高校生という、全く整合性のとれない取り合わせになってしまいました。

ところがこの「カーレンジャー」においては東映は考えられないほどの従順さでバンダイの意向に従い、自動車を中心に据えた極めて整合性のとれた世界観を構築しました。
これは要するに、モチーフなど何でもよかったということです。
どうせセルフパロディなのであり、戦隊を取り巻く世界観は作品目的としては「からかい」「茶化し」の対象でしかないわけですから、
制作側として特に愛着も無ければこだわりも無いのです。
大事なのは、それをいかにパロディー化するのかの方なのです。

物語の世界観はこんな感じ。
宇宙暴走族ボーゾックに生まれ故郷のハザード星を宇宙の花火にされてしまった少年ダップがボーゾック打倒のために伝説の車型の星座伝説の神秘の力であるクルマジックパワーを身につけ、その伝説の戦士がいるという地球へと向かう。
一方、ボーゾックも次に花火にする星を地球と決めて、地球に向かう。
地球でダップが出会ったのがペガサスという下町の小さな自動車会社に勤める5人の若者で、
ダップは彼らこそ伝説の戦士だと見定めてクルマジックパワーで生み出されたアクセルチェンジャーという自動車のキーを刺すような形態の変身ブレスレットを渡して、伝説の戦士カーレンジャーとする。

カーレンジャー5人の乗る移動用ビークルは5台のカート車で、
巨大戦用の巨大メカも5台の自動車型マシンで、この5台が合体して巨大ロボになる。
またそれとは別に物語中盤から消防車や救急車などの5台の働く車型の巨大メカも登場し、これが合体して2号ロボにもなる。
等身大戦の銃は車型、個人武器も車の部品型で、ボーゾック探知システムもカーナビ型だったり、
助っ人的な6番目の戦士シグナルマンは白バイ警官がモチーフで、
ボーゾックの幹部たちもガイナモ、ゼルモダ、ゾンネット、グラッチなど、また真の黒幕の名もエグゾスなど、車にゆかりのある名前ばかり。
また、名乗りの際の掛け声は「戦う交通安全!」で、5人の名前の頭文字をつなげると「じどうしゃ」となり、サブタイトルは必ず自動車用語や交通用語が入っており、毎回、番組の最後には交通標語が読み上げられるという感じで、
これでもかというほどに自動車関連で世界観が統一されています。
ここまで徹底すると、もはやこれだけでギャグの領域に入っており、ふざけた作品だということが想像ついてしまうくらいです。

しかしカーレンジャーの場合、そのふざけ具合はこんなもんでは済みません。
ダップが5人を伝説の戦士だと思った根拠は何だかよく分かりませんし、無料奉仕で戦うことを嫌がった5人をダップは死んだフリの三文芝居で騙して戦わせてしまいます。
そんなほとんど詐欺の被害者のような5人ですが、その後は意外にダップに協力的になり、会社の仕事を続けながら正体を隠して戦い続けます。
敵のボーゾックもバカばっかりなのでおバカな作戦ばかり立ててはカーレンジャーにいつもやられて作戦は失敗ばかりで行き詰ってしまい、
町内に妙に溶け込んでウダウダしてしまっており、カーレンジャーの5人とも顔見知りだったりするのですが、ボーゾックの連中は5人がカーレンジャーの正体とは知らない。
それどころかカーレンジャーが地球人の変身した姿とすら思っておらず、謎の宇宙人なのだと思っている始末。
それで敵味方同士が正体を知らずご町内で普通にマヌケな遣り取りをしたり、ボーゾックのお色気女幹部がレッドレーサー(もちろん変身後の姿の)に惚れてしまったり、妙なことばかり起こります。

カーレンジャーの指揮官にあたるダップはスターウォーズのヨーダみたいな変な宇宙人で子供なので頼りなく、
追加戦士扱いのシグナルマンは地球に左遷されてきた窓際のウダツの上がらない単身赴任の中年宇宙警察官で、融通が利かず役立たず。
果ては悪のパロディ戦隊ゾクレンジャーや宇宙ゴキブリなど、シュールでワケの分からん連中が侵略というよりは、もう完全に単なる珍騒動をご町内の人々を巻き込んで繰り広げ、
極めつけは敵怪人の巨大化アイテムが近所の駄菓子屋で売っている芋羊羹であったり、
敵の黒幕が宇宙の地上げ屋で偽のファンレターや占いなどでボーゾックを騙して操っていたりするという、
数々の不思議コメディーテイストのシュールギャグが延々と繰り返されます。

シュールな笑いというものはお約束を外すことから生まれるものですが、
戦隊ドラマというお約束の宝庫のようなシチュエーションは実はシュールギャグにとっては非常に美味しいシチュエーションであって、
不思議コメディー風というより、もうほとんど「うる星やつら」の友引町のようなノリとなったご町内SFコメディーの場において、戦隊モノの小ネタのパロディーやコントが次々と炸裂します。

このコメディーとしては非常に優良なドラマでは、登場人物たちは奇妙なことばかりします。
通常の戦隊ドラマも日常的視点で見るともちろん変なこと、というか不自然なことばかりするのですが、
「カーレンジャー」の場合、その戦隊ドラマ的な変なこと以外に、明らかにギャグとして狙ってやっているような変なことが頻出してきます。
こうなってくると、登場人物ったちも皆、それにツッコミを入れざるを得ない。そのツッコミを入れた人物もまた次の瞬間には変なボケをかましていたりする。
結局、登場人物全員がボケとツッコミを応酬し合うという、ジュウレンジャーやダイレンジャーでは慎重に回避されていたことが、この「カーレンジャー」では平然と行われてしまっています。
つまり、もうヒーロードラマであることは捨てて、コメディーに徹しています。
その上、その勢いに任せて、戦隊ドラマ的な変なこと、つまりお約束にまでツッコミが容赦なく入ってしまっており、
もはや完全に全ての非日常的要素は日常感覚によってシュールな笑いの対象となってしまっています。
そういう意味で、これはもはやヒーロードラマではありません。

そういうわけですので、このドラマにおけるヒーローであるカーレンジャーの5人も、厳密にはヒーローとはいえません。
バンダイのヒーロー玩具を売らねばならないので便宜上ヒーローの体裁をとっているだけで、実質的にはヒーローのパロディーをしているコメディー要員です。
よって、そこに属する戦隊ヒロインの2人も、従来の戦隊ヒロインの文脈で理解出来るようなキャラではありません。

scan005-2.jpg例えばイエローレーサーに変身する志乃原菜摘などは、ペガサスのメカニック担当で、ペガサスの仕事のほとんどをこなす有能な女性です。
というか、他の4人があまり役に立っていないだけなのですが、メカニックとして有能なのは間違いないです。
その腕を活かしてカーレンジャーの武器開発や修理までやってしまうのですから大したものです。
社会人として5人の中で一番有能である菜摘は、5人の中では一番の常識人で真面目な性格です。よって、他のメンバーからの信頼も一番厚かったりする。
このように書くと、どうもクールビューティー系のヒロインであるかのようにも思えてきますが、菜摘は全然そういうタイプではありません。
常識人でツッコミ担当ではありますが、同時に凄まじいボケもかましますし、そもそも戦闘力があるわけでもありません。

常識人で真面目といっても、あくまで「5人の中で」「このドラマ世界において」という前提での話であって、一般的に見ればかなり変な人です。
仕事とはいえ、いっつも修理ばっかりしてるし。
仕事熱心なのはいいですが、ペガサスの業務とカーレンジャーのヒーローとしての務めは全く無関係であり、
通常の戦隊では別の仕事というのは「世を欺くための仮の姿」だったりするのですが、カーレンジャーの場合、ペガサスの業務の方がメインだったりします。
いや、もちろん仕事を真面目にやるのは良いことで、そのこと自体は全く非難されるべきではない立派なことなのであり、
彼ら5人は仕事をしっかりこなしながら、ちゃんとカーレンジャーの務めも果たしている(敵がマヌケなおかげもあるが)のだから、ますます立派なのです。

ただ、菜摘にしてもそうなのですが、ペガサス社員としての菜摘の真面目で有能という顔は見えるのですが、
カーレンジャーの戦隊ヒロインとしての菜摘の顔というのが物語の中でほとんど見えてこないのです。
正義感が強かったりひたむきだったりアクションが得意だったり頭脳プレーに長けていたりとか、そういう戦いの局面の顔が見えないのです。
それはつまり、菜摘というキャラが、あくまで戦隊ヒロインとしてではなく、ペガサス5人組の社内コントや、ご町内コントの場での役割を前提として造形されたキャラだということだと思うのです。

菜摘が5人の中で一番真面目で常識人だといっても、
それは決して真面目に戦うためや、このドラマをシリアスにする牽引役になるというためではなく、
ややボケ要素が勝って造形されている他の4人の言動に対して適切にツッコミを入れて笑いを発生させるキャラが1人必要であったからに過ぎません。
やや男勝りで姉御肌な性格も従来型の「強いヒロイン」としてのものではなく、単に突き放し気味のツッコミに適したキャラとしての造形です。
男勝りではあるが女性らしさもありますが、これも特に物語的な意味があってのものではなく、普通の女性としての常識的な女らしさ。
頭の良さもあくまでバカ4人組に対比しての唯一の常識人としての普通の頭の良さ。
つまり菜摘というキャラは「5人の中における常識人」という意味合いが強いキャラなのです。
ただし、このドラマがコメディードラマである以上、全くの常識人というキャラも不要なわけで、菜摘もしっかりボケ役もこなします。
そのボケの傾向としては暴走キャラであり、これは普段は常識人で真面目なキャラだからこそ、何らかのきっかけで暴走してしまうことに面白味があるわけです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 18:04 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

ピンクレーサー

ピンクレーサー.jpg





















カーレンジャーの5人がヒーローではなくコメディー要員だというのは少し言い過ぎではないかという見方もあることでしょう。
これ以前にもコメディー方向に相当傾いた戦隊メンバーも存在したからです。
しかしそうした過去の三枚目戦士たちとカーレンジャーには、面白さとかそういうのじゃなく、大きな違いがあるのです。
それは、カーレンジャーが初めての本当に普通の一般人が変身するヒーローであった点です。

カーレンジャー以前の19の戦隊はジャッカー電撃隊以外は皆、生身の人間(恐竜人類含む)ではありましたが、
そのうち軍人や警察官など公的な戦闘のプロによる戦隊は5つ、
戦闘術の訓練を受けた者、あるいはその血筋にあたる者による戦隊が7つで、
残りの6つがいわゆる一般人による戦隊なのですが、
そのうちデンジマンとバイオマンは血統的に特別な因子が認められて選ばれており、実際に他人より秀でた何らかの能力を持っていました。
ジェットマンもバードニックウエーブを浴びたせいで身体能力は大幅にアップしていました。
ダイナマンは身体能力に秀でた科学者が選ばれており、メンバーの多くは何らかのスポーツの達人でした。
ゴーグルファイブもコンピュータによって選び出された者達で、何らかの特技を持った連中でした。
一番怪しいのが高校生だったターボレンジャーですが、幼い頃に妖精の光を浴びており、また彼らは運動部のエース揃いでしたので、やはり少し特別な存在だったと言えます。

そして、そうした特別な存在であることを証明するように、彼らはよく生身のまま敵組織の戦闘員や怪人と戦ったりしていました。
これはもちろん演出上の都合であって、さほどリアリティがあるシーンではないのですが、
それでも戦闘員と互角に戦ったり、怪人にやられても大した怪我を負わない彼らは、普通の人間よりは頑健な身体を持っていると考えてよいでしょう。

しかしカーレンジャーの5人は何にも特別な能力を持っているわけでもない、平凡な会社員です。
ダップのクルマジックパワーで能力を与えられているだけです。
ただ、ダップは彼らを星座伝説の戦士だと認めているから能力を与えているわけで、そう考えると5人は何らか特別な資質を持っているとも考えられるのですが、
これはダップの勘違いの可能性が大です。
ダップはペガサス事務所に置いてあった、彼ら5人の将来作って売りたい「夢の車」のディスプレイがダップの言う伝説の車型星座にそっくりだったので5人を伝説の戦士だと思い込んだのですが、これはどう考えても偶然の一致に過ぎません。

ダップは勘違いして普通の会社員に変身能力を与えた、というより押しつけたのであって、妙にノリのいい5人が付き合って仕事の傍ら戦ってくれているだけのことなのです。
よって彼らは変身前の生身では戦えませんので、戦う時は変身してから現場に駆け付けますし、生身で事件に遭遇しても生身のままでは戦いません。
そして生身が無力な彼らは正体を知られるのは非常に危険なので敵の前で変身はしません。
これは描きようによってはかなり卑怯なヒーローになってしまいます。目の前で人が殺されそうになっていても、その時もし生身ならば、その場で変身も出来ず見捨てるわけですから。
しかしカーレンジャーの場合は敵のボーゾックがアホで一般人にはほぼ無害なので、そういう際どいシーンには遭遇しないようになっています。

つまり、カーレンジャーの5人は、変身していない時は戦いからも遠ざかり、戦えないということに葛藤することもなく、そしてダップ以外は彼ら5人がヒーローだということは誰も知らないので、変身していない時は全く普通の一般人として暮らしているのです。
これは実は次作品の「メガレンジャー」と割と似ているのですが、実際は根本的に違ってます。
メガレンジャーの場合、敵のネジレジアの脅威が切迫しているので、変身していない時でも一般人感覚にはなかなかなれないのです。
厳密に言うとメガレンンジャーの場合はメンバーは一般人感覚になりたいのですが、状況がそれを許してくれないことが多々あるということです。
一方、カーレンジャーの場合は、敵のボーゾックが非常にユルい敵なので、脅威がちっとも切迫せず、カーレンジャーのメンバーは変身前は簡単に一般人感覚に浸れるのです。

何故、こんな設定になっているのかというと、この作品のコメディーテイストを守るためです。
カーレンジャーの5人が普段は一般人感覚で、普通のペガサス社員として生活し、ご町内でボーゾックやシグナルマンらと単なる地球の一市民として接しておいて、
いざ変身して戦う時に、さっきまでユルい会話をしていた同じ相手と顔を合わせるのですが、
相手はまさかさっきバカ話をしていた地球市民がカーレンジャーだとは夢にも思っていないわけで、
そこでの遣り取りににギャップの笑いが生じるわけです。
その笑いのテンションを下げないために、5人は普段はヒーローではなく全く普通の一般人でいる必要があるわけです。
変に生身で戦ったりしてしまうと、たとえ正体がバレなかったとしても、もう相手からは普通の一般人としては見てもらえないわけで、そうなるとギャップの笑いのテンションが下がってしまうのです。

それに、いくらユルい戦いだとはいっても、一応はヒーローとして悪と戦っているわけですから、戦っている時は5人もヒーローっぽくなっています。
もし生身でも戦ったりしてしまうと、そのヒーローっぽさが生身の普段の彼らにも属性としてついていきます。
そのようにして普段の彼らがヒーローっぽくなっていくと、相対的に彼らの持つコメディー性が薄らいていってしまいます。
そうなると、普段のペガサス社内コントとか、ご町内コントに支障をきたす恐れがあります。

このように笑いのテンションが下がることが怖いのです。
だから、そのために、彼らは普段は戦わずヒーローとして行動せず、単なるペガサス社員であることが求められているのです。
つまり、彼らは少なくとも変身前の本来の姿においては、ヒーローではなくコメディー担当であることを制作サイドから求められているのです。
これが、「カーレンジャーの5人はヒーローではなくコメディー要員だ」という理由です。

菜摘と並ぶダブルヒロインの片割れ、ピンクレーサーに変身する八神洋子に関してもそれは言えます。
そもそも、何故この作品においてダブルヒロインが必要なのか。
カーレンジャーにおいては生身アクションというものが無い以上、戦隊ヒロインを「アクション担当(強いヒロイン)」と「女らしさ担当(弱いヒロイン)」に分ける必要は無く、女らしいヒロイン1人だけでよかったはずです。
見た目や性格的に、この洋子の方が「女らしいヒロイン」ですから洋子1人でよかった。
実際、もう1人のヒロイン菜摘も別にアクション担当でもなく、強いヒロインでもなかったわけだから、ダブルヒロインにする意味など無かった。
ダブルヒロインにする意味があったとしたなら、それはパワーレンジャー化への配慮以外には考えられないでしょう。
アメリカ版パワーレンジャーは男女平等のポリシーによりダブルヒロインがデフォですから、
変身前映像は関係無いとしても、変身後映像はダブルヒロインの方がアメリカ側に親切というものです。だからダブルヒロインにしたのでしょう。

実はパワーレンジャーはこの1996年、アメリカで大コケします。
「オーレンジャー」のリメイク版がコケたわけですが、やはりスーツデザインやメカがコンセプト不明だったのがマズかったのか、あるいはアメリカでのリメイクが悪い出来だったのか、よくは分かりません。
とにかくパワーレンジャーがコケたことによって、この後は一応パワーレンジャーシリーズはアメリカで続いていきますが、「カクレンンジャー」から「カーレンジャー」の頃のようにパワーレンジャー化への配慮をやたら優先するという傾向はスーパー戦隊シリーズにおいては無くなります。
ただ、このカーレンジャーの時点においてはまだパワーレンジャーの大コケという結果は出ていないので、ヒロインは作劇上の必然性無くダブルヒロインで、また巨大ロボもやたら出てきます。
合体巨大ロボはさすがにカーレンジャーにおいてはオーレンジャーよりはだいぶ減って3体になりましたが、2号ロボに合体する5台のマシンがそれぞれロボに変形するので、やっぱりロボは多いです。

scan024.jpgとにかく紅一点的な本来のヒロインの役割は洋子の方であって、
ダブルヒロインなのでもう1人作ってしまった菜摘は5人の中の常識人キャラにしてツッコミ役をやらせたという感じでしょう。
といって洋子にしても、ヒロインといっても別に戦隊ヒロインとしての役割が期待されているわけではない。
あくまで社内コントやご町内コントの場での役割が求められたキャラという意味では菜摘と同じです。
その役割はかなりのボケ担当で、何せ自動車会社に勤めているのに酷いメカ音痴で方向音痴です。
まぁ経理担当なのでそれでも業務上支障は無いようです。
経理として有能なのかどうかは不明。というか、社員5人の零細企業なので経理といってもそう難しくはないようです。ただお金にはやたらうるさい。
乙女チックで甘えん坊な性格で、ロマンチストというか、常々あらぬ事を妄想しているようである。例えば寿退社したいとか。
ま、ハッキリ言って、地球を守るヒロインという自覚はほぼ無い。が、それは菜摘もそうであるし、他の男性陣も似たようなものです。
単にボーゾックが悪いことをしてるから、行きがかり上戦っているという感じです。
基本的には5人とも、世の中が平和になって、業務に専念出来て、夢の車を早く売りたいという、そういう夢に向かおうとはしており、そのためにはまずはボーゾックはやっつけようという感じなのですが、
洋子にとってはその夢の車を売るという夢も、寿退社と天秤にかける程度のものですから、カーレンジャーも寿退社と同じ程度の価値しかないわけです。
顔は可愛いのだが、子供っぽく能天気で、すぐ拗ねたりして、ちょっとややこしい性格でもある。体重をやたら気にしている。
何処にでもいる普通の少女趣味の19歳の女の子だが、何故か変身すると怪力の戦士になります。

なお、洋子を演じたのは新人グラドルだった来栖あつこ。
この「カーレンジャー」出演後、「ミニスカポリス」に出ています。完全に珠緒の二匹目のドジョウ狙いという感じですが、珠緒ほどは売れませんでした。
最近、変なことで有名になってましたが。

まぁ、こんな感じで「カーレンジャー」という作品は、コメディーとしては相当面白いです。秀逸と言っていい。間違いなく、シリーズ歴代で最も楽しく笑える作品です。
ただ、これはやはりヒーロードラマではない。
確かにこの作品にも燃えるシーンや感動するシーンは有ります。
でも、そんなことを言ったら、不思議コメディーシリーズにだって「うる星やつら」にだって感動するシーンも燃えるシーンもあるわけで、
そういうのも有りつつもそれらはやはりコメディーであるのだから、
やはり「カーレンジャー」もコメディーなのです。
戦隊パロディーをメインに据えたご町内SFコメディーの逸品と言っていいでしょう。

しかし、この金曜日のこの17時半のテレビ朝日の時間帯に子供たちが求めているのは燃えるヒーロードラマですから、
カーレンジャーのシュールギャグがいくら面白くても「これはまぁいいや」と敬遠されてしまうのも事実で、視聴率はかなり振るいませんでした。
前作オーレンジャーほど酷くはありませんでしたが、それでもかなり低かったです。
ただ、玩具は意外に売れているのです。前作オーレンジャーほどは売れませんでしたが、それでも十分売れています。
玩具の種類がオーレンジャーに比べてだいぶ減っていることを考えると、オーレンジャー時の勢いは持続していたと言えます。
視聴率がドン底に落ちた「オーレンジャー」と「カーレンジャー」で玩具は売れているのだから、考えてみれば変な話です。
まぁ有り得無くはない話なのですが、そういうケースが2年続くというのはちょっと不自然です。

これはあるいは作品の出来が悪くて視聴率が落ちただけではないのではないか?
確かに「オーレンジャー」はイマイチな内容でしたし、「カーレンジャー」もヒーロードラマとは言えないような内容でした。
それで観るのを止めた人も結構いることでしょう。
しかし、それにしてもこの2作品の視聴率の落ち込みは極端すぎるし、玩具売上の好調と引き合いません。
これはやはり放送時間帯に根本的な原因があったのではないでしょうか。

1995年1月の阪神大震災以降、3月の地下鉄サリン事件に端を発したオウム真理教事件に関する報道洪水もなかなか終息せず、
1995年から1996年にかけての平日17時台は民放各局は報道特番が常態化しており、
何か重大事件が起きるたびに家庭の主婦や父親は報道特番にチャンネルを合わせ、子供が観るスーパ−戦隊シリーズは1回飛ばされたり、あるいはこの頃はもう既に家庭用ビデオデッキは完全に普及していたから、録画されて後で視聴されていたのではないでしょうか。
それで、玩具売上の好調の割に視聴率が極端に下がったのではないかと思われます。

結局、民放各局はこの1996年に入ると、夕方のニューズ番組を17時開始19時終了の2時間体制に拡大する方向に進んでおり、
テレビ朝日だけがその動きに出遅れるわけにはいかなくなってきました。
そのためには金曜日の17時台の2つの番組を整理しなければいけなくなってきました。
17時台前半のガンダムシリーズと17時台後半のスーパー戦隊シリーズです。
このうちガンダムシリーズは1996年10月の改編時に日曜朝6時枠に飛ばしました。
視聴率はかなり低迷していたので仕方ないとも言えますが、確か、1995年に同様のことをテレビ朝日がやろうとした時、バンダイの猛反対でポシャッたはずです。
それが何故、今回は上手くいったのかというと、バンダイがいちいちこんな細かいことに関わっている余裕が無かったからです。

バンダイはこの年、アメリカでパワーレンジャーが大コケして玩具売上不振となり、もともとファミコン市場の波に乗り損なっていたのもあって、赤字収支に転落し、更にセガとの提携も失敗して社内が大荒れだったのです。
こんな状態ですから、本当はテレビ番組へのスポンサー料も節約したいぐらいであり、
むしろガンダムシリーズやスーパー戦隊シリーズが朝の時間帯にでも行ってくれた方がスポンサー料は安くなるわけですから、あんまり反対する理由が無い情勢になってきていました。
それで1996年秋にはガンダムシリーズが整理され、残るはスーパー戦隊シリーズのみということになりました。
東映としても、これ以上17時台でニュース番組に囲まれて視聴率を確保出来る見込みも無く、放送枠移動は歓迎すべきムードでした。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 15:12 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ホワイトレーサー

whiteracer.jpg25話で登場した、自称「カーレンジャー6番目の妹」だそうで、その言葉を信じるならば、このホワイトレーサーはカーレンジャー6番目の戦士、追加戦士ということになるのですが、これは実は真っ赤な嘘。
そもそもカーレンジャーの5人もダップもこんな子のことは全く知らなかった。
実際は、ファンベル星からやって来たという、カーレンジャーの熱烈なファンらしい。

カーレンジャーが語り継がれてきた星座伝説というのは、別にダップの妄想というわけではなく、実際にかなり宇宙ではメジャーな伝説のようで、
その伝説の戦士が地球に現れたというのは結構、評判であったようです。
地球ではあんまり有名じゃないみたいだけど、宇宙では雑誌で特集されるほど有名らしい。このあたり、なんともシュールです。

この子の本名はラジエッタ・ファンベルトというのですが、
雑誌を読んでカーレンジャーの熱烈なファンになってしまい、ファン心理が昂じて、カーレンンジャーに一目会いに地球にやって来たらしい。
もちろん、カーレンジャーの正体が地球人だとは知らない。

なんと魔法を使えるようで、「ティラミス・コンニャク・ミルフィーユ」という呪文でどんな姿にも変身出来ます。
なんとも不思議コメディーシリーズのテイストのシュールなキャラです。
画像の白い超ミニスカートのコスチュームは、「カーレンジャーの妹分」という自分のイメージを妄想して作りあげて呪文で変身したコスプレで、要するにコスプレ・オタクです。
ちなみに変身を解除する呪文は「ミレッタ・ハレッタ・ラジエッタ」で、変身解除するとお姫様のようなファンシーな服装になります。
これが普段着で、実はファンベル星のお姫様だそうです。

魔法で変身しているだけなのでクルマジックパワーは持っておらず、カーレンジャーと同じように戦うことは出来ず、ただのファンですから基本的に弱いです。
ただ、魔法を使えるので、ある程度、魔法で戦うことも出来て、全く無力というわけでもありません。
得意技は、時間内になぞなぞに答えられないと爆発する「ホワイトなぞなぞ爆弾」です。
なお、個人の名乗りまで用意してきており、「夢見る交通安全!激走少女ホワイトレーサー!」と勝手に名乗ります。

要するに毎回現れる変なネタキャラのうちの1人であり、
この25話登場だけならば、いちいち準戦隊ヒロインとして採り上げる必要も無いゲストキャラなのですが、
この後再登場し、それなりにメインストーリーに絡むので、一応採り上げました。

二度目の登場は34話で、この時、なんと25話の時と演じる役者が変わっています。
25話の時は濱末恵というチャイドルで、こっちが初代ということになります。画像左の子です。
そして34話登場の二代目は須藤実咲という「あっぱれさんま大先生」に出てた子役タレントでした。画像右の子です。
初代、二代目といっても、ミスアメリカとかイエローフォーなんかとは違って、変身する人物が変わっているわけではなく、
あくまで2人ともラジエッタ・ファンベルト(ホワイトレーサー)という同一人物という設定です。単に役者が変わっただけです。

しかし同一人物といっても明らかに顔が違うわけで、どう考えてもおかしいのですが、
34話で二代目登場の際、グリーンレーサーの「あれ?ちょっと見んうちに雰囲気変わったんとちゃう?」の一言で流されました。
カーレンジャーならではの強引さでした。
実は、初代を演じた濱松さんが、25話の時にあんまりにもパンチラが多かったので学校で相当からかわれたそうで、それで嫌になって再出演拒否し、仕方なく代役を立てたのだそうで、
降板理由のしょうもなさも、いかにもカーレンジャーらしいです。
そして、それを逆手に取ってグリーンレーサーのボケに繋げるあたりも、いかにもカーレンジャーらしいです。

で、このホワイトレーサーことラジエッタは、二度目の登場の際は家出して行方不明の姉を捜しに地球にやってきます。
この際、自分の乗るマシン「ラジエッカー」を改造してきており、猫型ロボに変形させています。このデザインがまたシュールです。
また、この猫型ロボットは後に巨大化までします。

結局、この家出した姉というのがボーゾックのお色気女幹部のゾンネットで、実はゾンネットはファンベル星のお姫様だったということになります。
このゾンネットがレッドレーサーに一目惚れしてしまっており、レッドレーサーの正体である陣内恭介もゾンネットのことを好きになってしまうが、ゾンネットは恭介がレッドレーサーとは知らないわけで、恭介のことは知ってはいるが、ただの地球の一般市民だと思っています。
なんともややこしいことになっているわけですが、ここでゾンネットの正体が明らかになり、2人の関係も変化していくのですが、そうした騒動にラジエッタもいろいろ絡んでいきます。

まぁ出番はそうそう多いわけでもなく、ヒロイン的な活躍もあまり無いのですが、一応人気のあるキャラなので採り上げました。
ちなみにゾンネットは最後はカーレンジャーの味方になりますが、それはボーゾックみんな同じことですし、基本的には徹頭徹尾敵側キャラなので、ここでは採り上げません。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 22:19 | Comment(1) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月20日

ビーファイターテントウ

ビーファイターテントウ.jpg





















では、「カーレンジャー」と同時期の1996年のメタルヒーローシリーズ(第二戦隊シリーズ)の方はどうなっていたかというと、「ビーファイターカブト」という作品が制作されていました。
この「ビーファイターカブト」は好評だった前年の作品「重甲ビーファイター」の続編です。
ただ、続編とはいっても、前作と登場人物は全く変わっています。
時期設定は前作の終了時点から5年後で、前作におけるビーファイターの支援組織だったアースアカデミアはコスモアカデミアという組織に発展していて、その日本支部が主人公たちを支援するわけですが、そのメンバーは前作から一新されているのです。まぁ5年も経ってますからみんな配属が変わったということでしょう。

コスモアカデミアもアースアカデミア同様、地球環境保護を目的とする組織で、そのコスモアカデミアが前作のビーファイターのインセクトアーマーを改良して作ったのがネオインセクトアーマーです。
それを装着して、前作のジャマールのように地球に生きる命に脅威を与えるような敵が現れた時に戦う使命を帯びているのがビーファイターです。
5年経っていますから前作のビーファイター3人は既におらず、ネオインセクトアーマーを装着する新たなビーファイター3人が日本支部にいます。

このネオインセクトアーマーも前作のインセクトアーマーをベースにして作られているので、昆虫の精の命や心を持っており、適合者を自分で選びます。だからその適合者は自然や命を愛する者であるのが前提なのです。
前作では初期適合者の拓也・大作・麗の3人ともに自然科学系の学者であり、ジャマールの攻撃から自然を守ろうとして立ち向かったことから適合者に選ばれるという明確な描写があり、
麗に代わって適合者となった舞にしても、自然を愛している描写は十分にされていました。
しかし、今回の作品の3人の適合者には特にそのような自然との接点が強調された描写はありません。

変身アイテムであるコマンドボイサーにしても、インプットカードをスロット部に差し込んで音声を識別させて変身をはじめ様々な機能を発揮するような仕様になっており、
もちろん基本的には昆虫の精の命と心が込められてはいるのですが、その操作はやけに電脳的にシステム化されている印象です。
おそらくコスモアカデミアはアースアカデミアから引き継いだ昆虫の精の神秘のパワーを解析してデータ化し、
より効率的、多機能的に使えるようにインプットカードシステムを開発したのでしょう。
それがネオインセクトアーマーを装着する新しいビーファイターシステムなのであろうと思われます。

考えてみれば、この「ビーファイターカブト」という作品は、今ではよく見られる「カードを使用して戦うヒーロー」の始祖にあたるわけで、
インプットカードの種類が1種類で、かなりシンプルな使い方ではありますが、このインプットカードを武器にスロットインすることで武器の様々な機能を引き出して多彩な戦い方をします。
また、コスモアカデミア基地のコンピュータ内に存在する人工生命体であるビットというバーチャルな二次元キャラがビーファイターの戦いをサポートする重要な役割を担っており、
ビーファイターが戦場に携帯していく端末にも出現して様々な情報を提供したりしており、
こうした設定を見ると、どうもこの作品は電脳的要素を非常に重視していることが分かります。
これは前年1995年に発売となったWindows95によってデジタル万能神話が吹聴されていた当時の世相を反映しており、時代の最先端の技術を採り入れた戦隊を志向している感があります。

そう考えると、前作「ビーファイター」の世界観とはかなり異質なものを感じます。
前作の場合も先端科学が作品のベースにはなっていますが、それ以上に作品の根幹となっていたのは「自然との共生」であり、電脳的な要素よりも神秘的要素の方が前面に出ている感じでした。
主人公4人も、自然や動物に独自の姿勢で向き合うという、どちらかというと時代の最先端には背を向けるような、あまり都会的でなく、スタイリッシュでもない姿勢の者たちで、真面目だが不器用で田舎くさいイメージでした。
そして、その分、作品も真面目で深みのあるものに仕上がっていましたが、悪く言えば地味でした。
特に前半は地味さが際立っており、それが後半に舞の加入で少しハジケた要素が増えたのですが、同時に光と闇の戦いという重厚なテーマも前面に出て、結果、名作と謳われる出来となったのです。

せっかくそうした名作の続編なのですから、同じような路線を受け継ぐのかと予想されたところ、
意外にも続編の「ビーファイタイーカブト」は、あまり前作のような重厚で神秘的なテーマは描こうとはせず、
むしろ時代の最先端要素を採り入れたライト感覚のスタイリッシュな作品を作ろうとしたように見受けられます。
敵側の描写も前作では絶対悪とも言い切れない哀愁を感じさせるもので、それによって作品に深みを生じさせていたのですが、
今回の作品では新たな敵として出現したメルザード一族はほぼ絶対悪の単純に倒すべき悪として描かれており、その分、深みは無いですが、単純明快で分かりやすくなっています。

しかし、これは制作側からすれば当然の選択だったと思われます。何故なら、もともと前作「ビーファイター」の成功の方が予定外のアクシデントだったからです。
もともと、メタルヒーローシリーズにおいて「ビーファイター」のような戦隊フォーマットの作品にチャレンジしようということになったのは、レスキューポリスシリーズから続く重厚リアル路線がウケなくなったからです。
だから本来は重厚路線よりも戦隊シリーズのような軽快な作品を作りたかったのです。
それが最初は不慣れだったので地味な感じになっていたところ、たまたまオウム真理教事件が起きて、それによって生じた社会不安に対応したヒーロー像を模索した結果、「ビーファイター」後半の重厚な作風となり、それが高い評価を得たのですが、それは言わば怪我の功名のようなものでした。
滅多に起きない事件による突発的な世相の変化に対応した緊急避難的な措置がたまたま大成功しただけなのです。
これは「第二戦隊シリーズ」を志向する第一弾作品として当初目指していた方向性とは違うものでした。
オウム事件の影響が薄れていけば、また世の中は元の流れに戻ります。そうなれば重厚路線ではやはり勝負は出来ないという想いが制作側にはありました。
だから続編の「ビーファイターカブト」では、もともと目指していたライト感覚のスタイリッシュな時代の最先端を行くようなカッコいい作品を作ろうと思ったのは、むしろ当然だったといえます。

kabuto030.jpgそうした方向性を最も象徴していたキャラが、新しいビーファイター3人チームの紅一点、テントウムシをモチーフとした紫色のアーマーを装着してビーファイターテントウに変身する鮎川蘭でした。
蘭は18歳の天才プログラマーで電脳工学の達人で、
しかも有名なゲーマーとしての顔も持っているという、ちょっと今までのヒロインには無いタイプの経歴の持ち主です。
この時代ならではのヒロインともいえます。
先述のビットというバーチャルな人工生命体が出現する携帯端末も蘭が持ち歩いており、言わば蘭はビーファイターチームの中の頭脳担当みたいなキャラです。
蘭の変身するビーファイターテントウのアーマーも、戦闘力も十分に備えているが、特に際立っている能力は情報の解析能力や分析能力であり、
あとの2人が体育会系脳筋野郎と年長の人格者キャラなので、蘭はビーファイターチームの中では最もシャープで知性派の印象が強いです。

それまでの戦隊シリーズでも頭脳派や知性派のヒロインは多くいましたが、皆それなりに健康的、開放的なイメージのキャラでもありました。
しかし蘭の場合は少しオタク的なマニアックなイメージが強いのが珍しい点でした。
全体的に少しトゲがある、とんがったキャラといいますか、若いクセに天才であるゆえ、かなりの自信家で、気が強く、すぐカッとなる傾向もあり、素直でない性格です。
いわゆるテンデレ系のヒロインで、戦隊ヒロインとしてはこれまでに無いタイプといえます。
これ以前のヒロインは気が強いタイプは多くいましたが、だいたいみんな素直な性格でありましたので、ツンデレというのはいなかったのです。
まぁツンデレというのも時代の最先端の要素でもあるのでしょう。

このように蘭は天才型でツンデレで、しかもシャープな印象の美女ですから、前作のヒロインの舞とはだいぶ印象が違います。
舞は純朴で素直で、見た目も柔らかい印象で、まぁどっちかというと山歩きが似合うようなダサい感じでしたから、
それと比べるとかなり都会的でスタイリッシュな印象になります。
このあたりも作風の違いを示しているといえます。

といっても蘭はクールビューティーなイメージではありません。
そういう大人な女ではなく、まだ若くて未熟なのでトンガっているという感じで、
基本的には若い女の子らしい無邪気さも持っており、楽しいことが大好きで、大食いキャラです。
もちろん基本的には正義感が強く、優しくひたむきな性格です。
ただ表面的に素直でない面があるというだけです。
実は実家は老舗の温泉旅館で、幼い頃から厳しく躾けられ、女将になるよう教育されてきたが、
女将を継ぐのが嫌で家出してコスモアカデミアに転がり込んでいるという意外な一面もあり、なんと三味線が特技だったりもします。

演じているのは新人グラドルの来栖ゆきなで、この作品出演中にもグラビアに出まくり写真集も出したりして、
こういうことは戦隊シリーズの方では千葉麗子以降、普通に行われていたノリですが、
メタルヒーローシリーズではこういうミーハーなノリはそれまであまり無かったので、前作よりも更に戦隊シリーズっぽくなってきた部分でもあります。

前作では拓也と大作が舞に比べて少し年の離れた年長であったので、舞は妹のように可愛がられる立ち位置でしたが、
この作品においては主人公の鳥羽甲平が高校生で、蘭よりも1歳年下の熱血漢であったので、ほぼ同年代の2人がしょっちゅうケンカして、それを年長者の橘健吾が仲裁するという関係性になっており、
前作よりも人間関係が活発に動き回る印象となっており、3人のバランスはよくとれていたといえます。
この作品は若さや明るさを前面に出そうとしていたのだが、そういう意味でこの3人の関係性はよくキャラも立っており、良い感じだったと思います。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 11:32 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月21日

鳥羽ゆい

kabuto043.jpg「ビーファイターカブト」の主人公で、カブトムシをモチーフとしたアーマーであるビーファイターカブトに変身する鳥羽甲平の妹が鳥羽ゆいです。
甲平が最初17歳で後に18歳になる高校三年生であり、その妹のゆいは同じ高校の一年生で14歳で登場して15歳になります。
まぁハッキリ言って子供ですが、両親が外国で暮らしており兄妹2人暮らし、しかも兄貴が脳筋なので家事一切を受け持つしっかり者の妹なのです。

兄の甲平はスポーツ万能でお調子者の熱血漢なので、あまり深く考えずに運動部をやたらとかけもちしており、
その上、学校には内緒でビーファイターもやってますので、出席日数が足りなかったりして学業がヤバいです。
そこで兄貴を卒業させ、ビーファイターとしての務めも全うさせるため、ゆいは健気に兄貴のマネージャー役をやって、運動部のスケジュール調整までやっています。
つまり、容姿はロリで可憐ですが、かなり有能で行動力もあります。しかも実は巨乳だったりします。
演じていたのは新人グラドルの麻生かおりで、実際は当時18歳でしたから巨乳も納得ですが、童顔だったので高校1年生役に抜擢されたのでしょう。

そういうゆいですから、兄貴にくっついてコスモアカデミアにも出入りしていて、
可愛いものですからみんなに気に入られて、ビーファイターのマネージャーみたいになって、みんなの世話も何かと焼きます。
もちろん、ゆいは変身出来ませんから、自分は戦わずに支援するヒロイン、つまりライダーヒロインやメタルヒーローヒロインのような存在なのですが、
クールビューティーではなく、あくまで可愛らしい妹キャラなので、戦隊のマスコット的な立場と考えればいいでしょう。

ゆいは素直で明るく元気で純粋であり、
戦隊ヒロインの蘭がツンデレ系なので、ゆいがこの作品の癒しや可愛らしさをもっぱら担っております。
キャラ的には前作の舞に似たキャラですが、舞が天然ボケ気味であったのに比べると、ゆいはしっかり者でソツがありません。
それというのも兄貴が頼りないから、その世話を焼いている立場ゆえ、しっかりしてしまったのでしょう。
ゆいは行動力もあり、大胆な面もあるので、何かとみんなの役に立とうとして危険に首を突っ込むことも多く、怪人に襲われたりすることもしばしばあります。
そういう妹のことが兄貴の甲平は心配で、やたら気遣います。
ただ、私生活を仕切られている弱みもあり、あまり強い態度に出るわけでもなく、要するに妹に頭が上がらない状態で心配だけはしている、重度のシスコンです。
ゆいも兄のことを慕っており、それゆえ何かと一生懸命に世話を焼く、つまりブラコンです。
シスコンのバカ兄貴とブラコンでしっかり者の妹の甘い甘い兄妹関係ということになります。

この萌え要素満載のコミカルな兄妹関係を軸にして、甲平とゆいを取り巻く日常生活や学園生活がかなり重点的に描写されているのが、この「ビーファイターカブト」という作品の、電脳的要素と並ぶもう1つの特徴です。
そもそも、主人公の妹のゆいというキャラを登場させて、それをここまで重要キャラとして扱い動き回らせたのは、主人公である甲平の日常生活を重点的に描写するためだと思われます。
なぜ主人公の日常生活を描写する必要があったのか。
それもわざわざ主人公と妹を高校生に設定し、主人公がビーファイターであることを学校関係者が知らないという設定にしてまでも、「普通の学園生活」を描きたかった理由は何なのか。

それは、まず普通に考えられる理由は、電脳的要素の重視の理由と同じく、明るくスタイリッシュなドラマを志向したからでしょう。
若さ溢れる登場人物たちが明るい青春ドラマを繰り広げる舞台として、学園というのは格好の舞台だといえます。
前作は主人公たちが戦いに入り込みすぎており、その分、真面目で明るさに少し欠けました。
だから今作では主人公である甲平の戦い以外の日常の顔を描くことを重視し、それは明るく屈託のない学園生活がよいという判断だったのでしょう。

確かにこの作品は青春という要素を重視しており、学園生活の描写だけでなく、ゆいとビーファイタークワガーこと橘健吾の友達以上恋人未満のような淡い恋愛関係までも描いています。
健吾は22歳ですから、ちょっとロリコンと言われても仕方ないような状況ですが、ゆいも結構マセてます。
また、蘭も後に追加メンバーのフリオに恋心を抱いたり、甲平も追加メンバーのソフィーに想いを寄せられたりして、この作品では恋愛関係の描写は盛んです。
ただ、「マスクマン」「ジェットマン」のようなドロドロの描写ではなく、非常に淡く爽やかなもので、結局はうやむやになってしまうような程度のもので、
若い頃特有の「はしか」のような恋愛ばかりですから、これも「若さ」「青春」を描く一つの手法という程度の扱いだったのだと思われます。

このように1996年の「ビーファイターカブト」という作品が主人公を高校三年生の鳥羽甲平として、更にその妹の鳥羽ゆいを同じ高校の一年生として、
主人公の日常的なごく普通の学園生活を重点的に描写しようとしたのは、基本的にはライト感覚でスタイリッシュな青春ストーリーを描きたかったからなのでしょうが、
あくまで主人公を学生とし、あくまで主人公の正体を学園側が知らないことにしてまでも「普通の学園生活」にこだわったのには、別の理由もあったのだろうと思います。
それは、新しい戦隊シリーズを作ろうとしていたこの作品の制作陣が、90年代を代表する最も有名なとある戦隊ドラマを意識していたからではないかと思う。
その戦隊ドラマとは「美少女戦士セーラームーン」です。

「セーラームーン」は不思議コメディーシリーズの「美少女仮面ポワトリン」とスーパー戦隊シリーズの影響を受けて書かれた少女漫画を原作としたアニメ作品でしたが、
この作品が90年代最大のヒット少女アニメとなった理由は、それらの元ネタを超えた要素を持っていたからです。
それは、戦士に変身する主人公たちが変身前はごく普通の女子中学生ないし女子高生であり、彼女らの日常の学園生活の描写がストーリーの半分以上を占めていたことです。
何故そんな一見戦いに関係無い描写が多かったのかというと、それは彼女らの強さの源になっているのが、そうした自分達のささやかな日常の営みを守りたいという少女らしい願いだからでした。
大上段に地球の平和とかを唱えるのではなく、学園や家庭、ご町内での友人や家族との何気ない遣り取りであったり、嬉しいことや哀しいこと、恋をしたり失恋したりも含めて、平和な日常こそが愛おしく守り抜きたいものだという想いが彼女たちを戦士たらしめていたのです。

「セーラームーン」における日常描写のほとんどは「ポワトリン」のようにコメディータッチで描かれていますが、
元ネタの「ポワトリン」においてはそれはコメディーで終わっている一方、「セーラームーン」においてはその日常描写を彼女ったいの戦う意義にまで昇華させていたというのが凄いのです。
またもう1つの元ネタであるスーパー戦隊シリーズでは、「ターボレンジャー」のような学生戦隊や、その他、一般人の戦隊の例も多数ありましたが、日常に戦いの意義を見出すという発想には至っていませんでした。
思えば「セーラームーン」が作られ始めたのは1992年のことで、冷戦が終了して大規模な侵略から世界全体を守り抜くというタイプの戦いの意義がリアリティを失いつつあった時期でした。
そうした時期にいち早く、人々の身近な部分に守るべき対象を見出したからこそ、「セーラームーン」は社会現象になるまでのヒットとなったのでしょう。
その「セーラームーン」と同じようなことを戦隊実写ドラマでやってみようとした試みが「ビーファイターカブト」における鳥羽兄妹を中心とした学園の日常描写なのではないかと思うのです。

前作「重甲ビーファイター」において、この世のあらゆる闇の意思、そして自分の中の闇に打ち勝つ者こそが真のヒーローなのだという考え方が提示されました。
そしてヒーロードラマである以上、主人公たちは闇に打ち勝つのです。
さて、そこで問題はどうして彼らが闇に打ち勝つことが出来たのかです。
そこの部分が説得力のあるように描写されていなければドラマは成立しません。
そして、そこの部分をどのように説明づけるかについては作品ごとにオリジナリティを発揮する部分となります。
前作「ビーファイター」では、「主人公たちが自分の身を犠牲にしてでも自然を守ろうという気持ちが強かったから闇に打ち勝つことが出来た」という説明がなされました。

ちなみにここで大事なのは、その説明の理屈自体が説得力があるかどうかではありません。
その説明と整合性のとれる描写が物語の中でちゃんと積み重ねられていたかどうかが大事なのです。
極論を言えば「悪が勝つ」という説明でも、ちゃんと物語の中で悪の側の行為に正当性を与えるような描写が積み重ねられていれば、その「悪が勝つ」という説明はその物語においては正しいし、受け入れられるのです。
逆に「正義は勝つ」という説明も、それを正当化するような描写も無しに唱えられても単なるお題目に過ぎません。

前作「ビーファイター」における「自然を守りたいと思う気持ちが闇に勝つ」というのは科学的に立証されるような理屈ではありませんが、
「ビーファイター」の物語の中で繰り返し繰り返し主人公たちの自然を守りたいという気持ちが多くの人達の心を動かし、そして何よりも視聴者の心を動かしてきたため、
その積み重ねによって説得力を持っており、視聴者に「自然を守りたいと思う彼らの気持ちが闇の意思を打ち破ったのだ」と思わせることが出来たのです。
これがつまり、前作「ビーファイター」がヒーロードラマとして成功したということなのです。

そして、その理屈を「セーラームーン」にあてはめてみると、
「セーラームーン」は「ビーファイター」よりも遥かにヒーロードラマとしては成功していますから、
「セーラームーン」において主人公達が闇の意思に打ち勝った理由およびそれを裏付けた描写の数々というのは、ビーファイターにおけるそれよりも遥かに説得力を持ったものだということになります。
そして、それは「ささやかな日常生活を守りたいという女子学生たちの願いが闇に打ち勝った」というものだったのです。

そこで「ビーファイターカブト」においては、この「セーラームーン」のビーファイター版をやろうと思ったのでしょう。
前作の主人公たちの戦いの原動力が「自然を守りたいという気持ち」であったのに対し、
この「ビーファイターカブト」においては主人公の戦いの原動力が「ささやかな学園生活などの日常の幸せを守りたいという気持ち」であるということにしたかったのでしょう。
もちろんこれは自分さえ良ければいいなどというエゴではなく、自分の周囲の顔の見える人々、友人や先生など、そうしたごく普通の人間たちの営みを愛おしく思うからこそ、それを守るためにどんな強敵とも戦う意思を持つことが出来るという意味です。
自分の周りの普通の人々の平和な日常を守りたいという気持ちが主人公を戦士たらしめているのです。

そして、その主人公の意思が最終的に闇に打ち勝つほどに強力なものであると視聴者に想わせるためには、
主人公の大切に思う「日常」というものがどういうものなのか、そしてそれに主人公がどのように関わっていくのか、描写を積み重ねていかないといけません。
だから、鳥羽甲平を取り巻く学園生活の日常的な描写を重ねる意味があったのです。
そして、そのために妹のゆいというのは不可欠のキャラだったのです。

また、恋愛描写にしても、「セーラームーン」においても恋愛描写は実は重要な要素で、ヒーロードラマに恋愛要素を絡めたという意味で画期的な作品でした。
ただ「セーラームーン」における恋愛描写というのは物語の根幹に関わるものというのは少なく、
若い頃には恋愛が一種のコミュニケーションの手段であるという程度の扱いで、淡いものがほとんどでした。
恋愛も「愛すべき日常」の一環という扱いであり、学園生活や若い学生の日常を描く以上、こういう類の恋愛を描かない方がむしろ日常描写として不自然なのです。
こういう類の恋愛描写はヒーロードラマという意味では全く不要な恋愛描写なのですが、
日常を愛する心が戦いの原動力となっている以上、逆に描写しないわけにはいかないというわけです。
それゆえ、これに倣って、「ビーファイターカブト」でも、ゆいと健吾、甲平とソフィー、蘭とフリオなどの淡い恋愛描写を日常描写の一環として描いているのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2011年01月23日

ビーファイターアゲハ

ビーファイターアゲハ.jpg





















「ビーファイターカブト」という作品は、前作「重甲ビーファイター」の世界観を引き継ぎつつ、電脳的要素と学園ドラマ的要素を前面に出して、ライト感覚で都会的な物語を志向したと思われます。
そして、高校生の主人公の日常を描写することによって、身近に感じられる命たちの平和な日常を守りたいという主人公の想いが闇に打ち勝つ力となるというテーマの正統派ヒーロードラマを描こうとしていたようです。
しかし、どうもこの作品は、そういう意図は伝わりつつも、それがどうも少し空回りしているように感じられたようです。

その最大の原因は主人公の鳥羽甲平のキャラ設定ではなかったかと思います。
スポーツ万能の熱血漢で、高校生でありながら、真面目に訓練してきた他の候補者を軽く追い越して最強のアーマーであるカブトアーマーの適合者に選ばれた甲平は、最初からあまりにヒーロー性に恵まれ過ぎています。
いわば「光」そのものの存在で、彼自身の中に「闇」が入り込む余地が無いのです。
前作の拓也の場合も一見は正義そのもののような存在でしたが、拓也は真面目すぎる面もあり、内省的性格であったので、心の奥底に闇が巣食うことにリアルさはありました。
それに比べ、甲平はあまりに陽性でシンプルな性格であったので、闇の入り込む余地が感じられないのです。
つまり、拓也は確かに強い人間ではありましたが、人一倍弱い面や脆い面も持っていたのに対し、甲平はあらゆる意味で強過ぎたのです。

この世のあらゆる闇を打ち勝つのがヒーローの条件であり、その中でも特に自分の中の闇を克服することが大事なのだというのが前作から引き継いだテーマだとして
そこに「セーラームーン」のように普通の学園生活のような日常の平和を守りたいという願いがヒーローの闇に打ち勝つ原動力になるのだという設定を加えたとするならば
やはり、そのヒーローは「セーラームーン」の主人公の少女たちのように、変身しない普段の姿は本当にごく普通で、ヒーロー性がほとんど無く、弱く無力な方が良かったでしょう。
何故なら、ヒーローがヒーローであるためにやはり最も大事なのは自分の中の闇に打ち勝つということであり、
それはつまり、闇の入り込む隙となる自分の弱さを克服するということだからです。

ならば、ヒーローは本質的には弱い者である方が良いことになります。
あるいは自分の弱さを知る者であるべきでしょう。
弱さを自覚しているからこそ、自分の弱さや闇を克服することが出来るのであるし、周囲の人達の弱さも、また敵の弱さや闇も理解することが出来る。
「セーラームーン」の主人公たちのヒーロー性が高かったのは、そういう描写が徹底していたからです。
それは彼女たちが本質的に弱い存在だったからでした。

一方、「ビーファイターカブト」の主人公の甲平が全く弱さが無いというわけでもありません。
若さゆえの戦いにおける甘さもあり、それなりの弱みもあります。だから彼に自分の闇に打ち勝つヒーロー性が全く無いというわけではない。
ただ、学園生活の描写においては、彼はあまりにも無敵な存在であり、学園生活で彼の弱さが描かれることが少なすぎたため、
この学園生活の描写が彼の真の意味でのヒーロー性を高める効果はほとんど発揮しなかったというのは指摘しなければいけないでしょう。

これが「セーラームーン」と「ビーファイターカブト」の大きな違いです。
「セーラームーン」における学園や日常の描写は単にコミカルであるだけではなく、ちゃんと主人公たちのヒーロー性を高める意味合いを持っていました。
一方、「ビーファイターカブト」における学園や日常の描写は単にコミカルなシーンであるだけだったのです。
そうなると、戦闘シーンとの繋がりがあまり感じられず、学園シーンの存在自体が不自然で、全体構成がチグハグなものに見えてきます。
この作品がどうも空回りしている印象となったのは、このあたりのチグハグさが原因でしょう。

あと、一応前作のインセクトアーマーの設定を引き継いでおり、地球の生き物への脅威と戦うのがビーファイターであるという設定であるはずなのに、
敵であるメルザード一族が前作のジャマールのように異次元からの侵略者でもなく、同じ地球の古生物の化石から生み出されるというのも、なんとなく戦う意義を曖昧にしていました。
また、メルザード一族があまりに単純悪として描かれていたため、闇に染まった者という描写にも乏しく、闇に打ち勝つというビーファイターのコンセプトからも少しズレたように見えました。

まぁそういうちょっと空回りした微妙な感じが影響したのか、「ビーファイターカブト」は前作ほどには視聴率も玩具売上も振るいませんでした。
そこで、ちょうど折り返し点の25話で前作の主人公3人、すなわち初代ビーファイターの拓也、大作、舞を登場させ、
ここから急に作風が変わり、超次元昆虫伝説という設定が持ち出され、太古から続く光と闇の戦いに関係した8枚のインセクトメダルを巡る物語が展開されることになります。
つまり前作と同じように光と闇の戦いが強調されるようになり、
前半の敵であったメルザード一族はそのまま主敵として残りますが、その尖兵のメルザード怪人はあまり出なくなり、
代わって4枚のインセクトメダルの力によって変身する邪悪な昆虫戦士であるビークラッシャー四鎧将という4人組が出て来て、
この4人の邪悪な昆虫戦士との戦いがクローズアップされることになります。

拓也たち初代ビーファイター3人は前作から5年後という設定ですから、拓也と大作は28歳、舞は24歳となっており、
コスモアカデミアの海外支部に配属されていたのですが、そのインセクトメダルを回収するために来日します。
しかし結局メダルはメルザード一族の手に渡りビークラッシャーの4人が生まれてしまいます。
そして拓也たちは甲平たち現役ビーファイターに残り4枚のインセクトメダルの力を使って生まれた新たな4人のビーファイターが海外支部に存在することを教え、海外に去って行きます。

ここから、その新しい4人のビーファイターたちが順次、海外支部から日本へやって来て、甲平たちと共闘していきます。
この4人の新ビーファイターと甲平たち3人のビーファイターとの交流や共闘、そしてビークラッシャーおよびメルザード一族との戦い、その果てにある光と闇の最終決戦が「ビーファイターカブト」の後半のメインテーマとなっていき、
甲平の学園生活描写は後ろの方に退いていきます。
つまり路線が微妙に変わったのです。
より「光と闇の戦い」が強調され、あまり有効でなかった学園描写はあまり描かれなくなったのでした。

かつての光の戦士といえる初代ビーファイターや、
新たに現れた光のビーファイター4人と闇のビーファイター(ビークラッシャー)4人というのは、光と闇の戦いを象徴する新登場キャラというわけです。
かといって、主役が交代するわけにはいきませんから、この新ビーファイター4人は助っ人的に海外支部から駆け付けては帰って行くというのを繰り返すキャラとなります。
つまり「仮面ライダー」でいうところの2号ライダーみたいなもので、要所要所で来日して共闘するのです。
それが4人いるので、だいたいは誰かは日本にいるみたいなことになりますが、全員が揃うことはあまり無いです。
そして、この4人はそれぞれ特別な個人の装備を持っているのですが、これを日本に置いていて、本人不在時にはその装備は甲平たち現役ビーファイター3人が使えるのです。
これによって甲平たちも新ビーファイター4人の光の力を使って戦うことが出来るというわけです。

kabuto006.jpgその新ビーファイターは、ビーファイターヤンマ、ビーファイターゲンジ、ビーファイターミン、ビーファイターアゲハの4つのタイプのアーマーを装着する4人です。
このうち、チョウ型のネオインセクトアーマーを纏ってビーファイターアゲハに変身するソフィー・ヴィルヌーブが新ビーファイター4人の中の紅一点となります。

ソフィーはコスモアカデミアのフランス支部所属です。つまりフランス人です。
演じているのは橋本麗香という日本人のモデルや子役をやっていた美少女で、スペイン人の血が入ったクオーターでした。
橋本がこのソフィー役を演じたのは16歳の時で、本格的な女優デビュー作でした。
劇中のソフィーの年齢設定は17歳で、甲平と同学年の設定でした。

大型火器の扱いに優れ、テントウ以上の探知能力を誇るビーファイターアゲハだが、
その適合者であるソフィーは17歳の天才バイオリニストで、一見したところ、戦いとは縁の有りそうにない可憐で繊細そうな美少女です。
ただ外見とは少し違い、戦いには積極的であり、要するにまだ若いゆえに好奇心も旺盛で、変身することが嬉しかったりするのです。
これは甲平と同学年ということで、天才バイオリニストといえども、結局は普通の若い女の子で、甘いところもあるわけです。
それで失敗などもして、成長していくというのも甲平と同じようなものです。
基本的には優しく正義感溢れる、真面目なヒロインです。

同年代ゆえに甲平に秘かに想いを寄せているのだが、
いかんせん、このソフィーは新ビーファイターの中でも最も遅く登場したキャラで、
初登場が32話で、その後も最終話である50話までずっと欠かさず出るというキャラではないわけで、出番はそう多くなかったです。
しかもそれらはもう戦いが佳境になってきてからの回が多く、
あんまり恋愛が進展するようなエピソードも無く、特に大した進展も無いまま終わりました。
まぁそうした淡い恋心に象徴される少女らしい平和な日常を守りたいという想いがソフィーの戦いの原動力であったのでしょう。

外国人ヒロインというと、戦隊シリーズの「バトルフィーバーJ」のダイアン・マーチン以来、久しぶりな感じですが、
ソフィーの場合はダイアンのようにクールビューティーを演出するための外国人設定とは意味合いが違い、単に外国人であることに意味があったような感じです。
別に日本人の天才バイオリニストであっても役柄上は支障は無かったでしょう。
ただ、もともとのメイン3人を食わないように新ビーファイターの4人が常時出て来ることを避けるため、海外支部所属という設定としたので、外国人である方が自然だったのです。
それに、作品として国際色を出したいという思いもあったのでしょう。最先端のドラマを目指していたからです。
それに地球規模の環境問題に取り組む組織が日本人ばかりで構成されているというのも不自然です。
だから、これはある意味リアルを追求した結果なのだといえます。
しかし、そうは言っても実際にはソフィー役の橋本はクオーターで、他の新ビーファイターの3人も、中国人の李文役は日本人俳優で、ペルー人のフリオ・リベラ役は高岩成二(平成仮面ライダーシリーズのスーツアクター)でしたから、本当に外国人が演じていたのはアメリカ人のマック・ウィンディ役だけでした。
そういう安っぽさというのは、どうしても画面から滲みでてしまうものです。

この「ビーファイターカブト」は後半はそのように新キャラがやたら出てきて、初代ビーファイターなんかも出てきますのでイベント回が目白押しで、ストーリーは結構盛り上がりました。
しかし前半の出遅れが響いたのか、結果的には視聴率、玩具売上ともに前作には及びませんでした。
期待されたほどの結果は残せなかったといえます。
その理由としては、先述の前半における学園描写の失敗や、国際的描写の安っぽさもありますが、
更にビーファイターシリーズにおいてかなり致命的な欠陥があります。
それは、戦隊ドラマを志向していながら、本家のスーパー戦隊シリーズに比べて巨大戦の特撮がかなりチャチであったことです。
そしてまた、等身大戦のアクション自体は決してレベルの低いものではありませんでしたが、
それはあくまで個人戦闘のアクションであって、戦隊シリーズ特有の様式美を備えた戦隊アクションでは本家の方には遥かに及びませんでした。
こういう巨大戦や等身大戦の戦隊的アクションのレベルというのは、これは長年の蓄積があるスーパー戦隊シリーズの方が勝るのは仕方ないことでありました。

それら反省点を踏まえて次の1997年度の作品も「ビーファイター」と同じ世界観で、今度は海の生物篇の「シーファイター」をやろうかなどと当初は検討されていたそうですが、
そこに事態を大きく変える出来事が起きたのでした。
それはスーパー戦隊シリーズがこの「ビーファイターシリーズ」、すなわちメタルヒーローシリーズを放送している日曜朝8時台前半の枠の直前の枠、日曜朝7時台後半の枠に1997年4月から引っ越してくるということが決まったのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 02:11 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メガイエロー

メガイエロー.jpg





















1995年の阪神大震災やオウム真理教事件の影響で、これ以降、夕方17時台というのは民放各局はすっかりニュースの時間帯となってしまい、テレビ朝日系で金曜日の17時半から放送していたスーパー戦隊シリーズは以前のように視聴率を稼げなくなってしまいました。
1995年度の「オーレンジャー」、1996年度の「カーレンジャー」は確かに内容的にもかなり問題点は有りましたが、仮に内容が申し分ないものであったとしてもこの時間帯では大して視聴率は稼げなかったでしょう。放送枠の引っ越しは避けられない流れだったといえます。
ただ玩具は売れていたので放送枠の引っ越しをバンダイが嫌がり、なかなか引っ越し交渉は難航していたのですが、
1996年にバンダイがパワーレンジャーの失敗やセガとの提携失敗騒動などで企業体力が弱体化して、この引っ越し交渉でテレビ朝日側が主導権を握るようになり、
遂に1997年の4月から日曜日の朝7時半からの放送枠に引っ越すことになったのでした。

何故、この時間帯になったのかというと、テレビ朝日系の日曜朝8時枠に既にメタルヒーローシリーズが存在しており、
1995年度から内容的にはほぼ戦隊シリーズと同一といっていい第二戦隊シリーズともいえるビーファイターシリーズを放送して好評を得ていたからです。
つまり、この日曜朝の時間帯には戦隊ドラマの需要が確実に存在していたのです。
他の時間帯に移動するよりも、最もハズレの無い時間帯であったといえます。
なお、戦隊シリーズは通常の番組とは開始時期がズレており、2月スタートなのですが、放送枠の変更は他の番組の開始時期に合わせなければいけないので、戦隊の方は8話の段階での枠変更ということになります。

テレビ朝日としては、このように日曜朝の男児向けドラマに需要のある時間帯にスーパー戦隊シリーズとメタルヒーローシリーズをまとめてしまうのが効率的で良かったのでしょう。
しかし制作会社の東映としては、同じような毛色の戦隊ドラマが2つ続くというのは無駄に思えました。
そこで、戦隊ドラマは1枠の方にまとめて、もう1枠の方はスーパー戦隊シリーズでここ数年顕著になっていた不思議コメディーシリーズから引き継いだコミカル路線を発揮出来る番組としたのです。
つまり、コミカルな路線に陥ってしまってヒーロードラマとしての方向性を見失っていた「オーレンジャー」「カーレンジャー」の系譜から引き継いだ戦隊フォーマットを、
正統派ヒーロードラマを実現しながらも戦隊フォーマットが不完全であった「ビーファイター」「ビーファイターカブト」の系譜に合体させて、
スーパー戦隊シリーズのフォーマットでビーファイターシリーズの作品コンセプトを実現することにしたのです。
そして、これを朝7時半からのスーパー戦隊シリーズの枠でやることにしました。

一方で、「カーレンジャー」で遂には番組全体を覆い尽くしたコメディー要素は、朝8時からのメタルヒーローシリーズの枠、すなわち「ビーファイターカブト」の後番組としてやることにしました。
これはつまり、不思議コメディーシリーズの再来のようなもので、「ビーファイターカブト」の後番組は、一応は後番組ということで似たような名前の「ビーロボカブタック」となりましたが、その内容はコミカルなロボットがご町内で騒動を巻き起こすコメディーでした。
この路線で1997年度から1998年度までの2年間、「ビーロボカブタック」と「テツワン探偵ロボタック」が作られ、この2作品を称して「コミカルチェンジロボシリーズ」ともいいます。
そして1998年の石ノ森章太郎の逝去を受けて追悼企画として、1999年にこの枠の後番組として「がんばれ!!ロボコン」のリメイク作品「燃えろ!!ロボコン」が制作され、
次いで追悼企画第二弾として、その後番組として「仮面ライダークウガ」が制作され、その後、この日曜朝8時台前半枠は平成仮面ライダーシリーズが放送されることとなったのです。

1997年度作品に話を戻します。
朝7時半開始枠に移動することになったスーパー戦隊シリーズでは、シリーズで引き継いだフォーマットは使いつつ、そのコンセプトは正統派ヒーロー路線への回帰であり、
「カーレンジャー」よりも、むしろ隣の枠の「ビーファイター」「ビーファイターカブト」から引き継いだものの方が多かったです。
普通はスーパー戦隊シリーズにおいては、ある作品で目指していたものが成功しなかったからといって、それと同じようなモチーフを使って次の年にリベンジをするような真似はタブーとなっていましたが、
一応は形式上は「ビーファイターカブト」はスーパー戦隊シリーズから見れば違うシリーズの全く無関係の作品ですから、それと同じようなモチーフを使うことがタブー視されることはなく、
「カーレンジャー」の後番組として1997年度に制作された「電磁戦隊メガレンジャー」は、実質的には「ビーファイターカブト」の雪辱戦のような作品となりました。

「メガレンジャー」という作品の一見して分かる2つの大きな特徴は、作中に出て来るヒーローチームであるメガレンジャーが地球規模の最先端科学組織の支援を受けた徹底的にデジタル的、電脳的要素が強調された戦隊であることと、
そのメンバーである5人組がごく普通の高校生であり、彼らの日常の学園生活が詳細に描写されていることです。
この「電脳戦隊」と「高校生戦隊」は「ビーファイターカブト」において追求された2つの新しい要素でもあり、
「メガレンジャー」では、それらが更に徹底し拡大されているように見えます。

ビーファイターカブトにおいては戦士たちは地球規模の環境保護組織のコンピュータシステムによる支援を受けていたが、
メガレンジャーにおいては戦士たちは世界科学者連邦(I.N.E.T.)という、宇宙ステーションや月面基地まで持つ更に巨大な組織のコンピュータ・システムの支援を受けます。
また、ビーファイターカブトにおいては戦闘の現場においては電脳的要素は変身時や武器使用時のインプットカードシステムおよび情報支援や解析に集約されていましたが、
メガレンジャーにおいては、メガレンジャーという戦士の存在そのものが全て電脳的要素でよって構成されていると言っても過言ではないぐらいで、
ビーファイターカブトのように昆虫の精の力によって選ばれ、その力を得て戦うというような、電脳的要素以外の要素の入り込む余地はありません。

メガレンジャーにおいても敵の情報収集・解析や通信、ホログラム機能など、個々の戦士の特殊能力として電脳的要素は有効に使用されていますが、
戦闘そのものはむしろ目立って電脳的なツールは使用していないように見えます。
しかし実際は攻撃や防御などの戦闘の無数の動作が全て電脳的にプログラムされたものであり、100%電脳制御された戦士がメガレンジャーの本質なのです。
これが、変身者個人の能力に依存する部分の大きいビーファイターカブトとの大きな違いです。
言わば格闘ゲームと類似したシステムであり、一定のコマンドを選択して入力することで複雑な戦闘パターンが自動的に具現化するシステムです。
おそらく変身者の意思を読み取るシステムが組み込まれており、それによって変身者が望む行動(例えば打撃や回避など)に見合った格闘動作を選択し自動的に発動することが出来るのでしょう。
この原理で武器の選択なども出来るのですが、もっと基本的なジャンプや体重移動のレベルから全てが電脳制御された自動戦闘システムがメガレンジャーなのだといえます。
「格闘ゲームの超バーチャル・リアリティー」ともいえるシステムです。
このようなメガレンジャーにおける格闘ゲームの要素は、ビーファイターカブトにおける戦隊ヒロインの鮎川蘭がゲーマーであったことを更に発展させたものでしょう。

また、高校生が戦隊メンバーという点も、ビーファイターカブトでは主人公の鳥羽甲平が高校生で、その学園生活を描写することが作品の特色になっていたが、
メガレンジャーにおいては戦隊メンバー5人全員が同じ学校に通う高校生で、その日常生活も全編を通して緻密に描写されていました。
ビーファイターカブトにおいては後半は学園生活の描写は減ったのですが、メガレンジャーではこの方針は最終回まで変わらず堅持されました。

また、メガレンジャーにおいてはビーファイターカブトの前作の重甲ビーファイターとの共通要素もあり、
それは敵組織が異次元からの侵略者集団である点で、しかもその敵がビーファイターでは妙に人間臭かったのですが、
このメガレンジャーではメインとなる敵が人間そのものであるという点で、ビーファイターよりも更にテーマ性が浮き彫りになっています。
すなわち、正義側も悪の側も共に人間であることによって、敵も本質的な悪だったわけではなく、闇に心を呑まれてしまった弱さこそが真の敵であったということが際立ち、
心に光を持つか闇を持つかによってヒーローになるか悪として滅びるかの道が分かれるというテーマがより浮き彫りになります。
やはりビーファイターと同じく光と闇の戦いがこの作品のテーマなのであり、そうした観点でヒーローとは何なのかを追求することがこの作品のテーマなのです。
その試みに成功してこそ、ここ数作品、ヒーロードラマとしての在り方を見失っていたスーパー戦隊シリーズの再生に繋がるのでした。

また、細かい点ではありますが、ビーファイターカブトとの共通点としてこのメガレンジャーにおいて作劇上の非常に重要な要素になってくるのが、変身アイテムの特殊な仕様です。
ビーファイターカブトの変身アイテムであるコマンドボイサーは適合者の音声認証をしないと作動しないようになっており、一旦選んだ適合者以外は絶対に使用出来ないシステムになっていました。
それがメガレンジャーの変身アイテムであるデジタイザーでは更に徹底されており、最初にデジタイザーを用いて変身した者の遺伝子情報を記憶してその人間以外の使用が出来ないシステムになっています。
もちろんその上に音声認証によるセキュリティも施されており、これらのセキュリティシステムの副作用が劇中で効果的に使われるのがメガレンジャーの特徴です。

このようにメガレンジャーという作品においてはビーファイターシリーズとの共通点は非常に多いのですが、
メガレンジャーという作品の凄い点は、ビーファイターシリーズではそれぞれバラバラに存在していたこれらの要素が、メガレンジャーにおいては全てこの作品で描きたいテーマに向けて全て密接に繋がっているという点です。
シリーズの再起を賭けて、非常に緻密によく作られた作品だといえます。

ネジレ次元という異次元からの侵攻の計画を察知した世界科学者連邦(I.N.E.T.)の立案した地球防衛プロジェクトの中心となって戦う5人の戦士メガレンジャー、
それは格闘ゲームを発展させた自動戦闘システムであったため、その適性者の選抜試験が各地のゲームセンターに設置された「メガレンジャー」という格闘ゲームに偽装されて、ゲーム参加者には事情は知らされずモニターされて行われていました。
これでスムーズに適性者が選び出されていればビーファイターカブトと同じような物語になっていたことでしょう。
ところが、諸星学園高校の3年で腕利きのゲーマーで学校では劣等生の伊達健太はこのゲームで勝利を重ねたためI.N.E.T.の所有するデジタルセンターに連れていかれて
面接を受けさせられたのですが、あまりにだらしない性格であったため落選します。
いくらゲームの腕が良くても戦士として戦う適性の無い人間と判断されたのです。
また、その時たまたま健太の同級生で同じデジタル研究会の仲間(健太は幽霊部員)である4人組も施設見学のためにデジタルセンターを訪れてましたが閉館になっていたため、
勝手にセキュリティを突破して忍び込んだところを見つかって叱られていました。

そこにネジレ次元からの侵略者ネジレジアの軍団が突然出現します。
ネジレジアもI.N.E.Tの計画を察知し、事前に潰そうとして先手を打ってきたのです。
不意をつかれて全滅の危機に陥った時、計画の責任者の久保田博士はその場を乗り切るために、健太のゲームの腕前と、4人の同級生のセキュリティを突破したセンスに賭けて、
代用品の無い5つのデジタイザーを渡し、メガレンジャーに変身して戦うよう頼みます。
5人は事情が全く呑み込めないまま、好奇心から変身し、自動戦闘システムを使いこなしてなんとかネジレジアを撃退します。
しかし、デジタイザーは最初に使用した人間以外は使えなくなるので、
こうしてネジレジアの侵攻が始まってしまった以上、彼ら5人がメガレンンジャーとなってネジレジアを倒すまで戦うしかなくなってしまいました。
しかし彼らはごく普通の高校三年生の若者たちであり、それは過酷な二重生活が始まるということでもありました。
久保田博士も彼ら5人を巻き込んでしまったことに罪悪感を感じており、彼らの日常生活は出来るだけ壊したくないと思っており、
またこの事態を彼らの家族や学校関係者に相談しようにも、神出鬼没のネジレジアの実力が把握出来ない中で迂闊に動いて彼ら5人がメガレンジャーだということがバレてしまうと、
彼ら自身や彼らの家族友人たちに危害が及ぶ恐れもあり、結局、彼らは誰にも内緒で日常生活を送りながらメガレンジャーとして戦い続けるしかなくなってしまったのでした。

これが物語の発端ですが、この導入部の設定があまりに巧みなため、
ごく普通の高校生が日常生活を送りながら戦隊ヒーローとして異次元からの侵略者と戦い続けるという、本来はかなり不自然な設定が「妖精」とか「昆虫の精」とかいう不自然な要素を絡めずにかなり自然に受け入れられるようになっています。
まぁ細かいツッコミ所はありますが、とにかくここで重要なのは、
少なくとも「現実には起こりそうな自然な流れの話」と印象づけることです。
ここの部分があまりウソっぽくなってしまうと、彼らがごく普通の高校生に見えなくなってしまうのです。

どうして彼らがごく普通の高校生に見えないといけないのかというと、もし彼らが普通の高校生に見えず、何らかの特別に選ばれた存在のように見えてしまうと、
この物語で描く最も重要で、なおかつ従来の戦隊シリーズではあえて描かれていなかった描写が、不快な印象を持たれてしまうからです。
それはどういう描写かというと、彼ら5人の「弱さ」を強調する描写です。
このメガレンジャーという物語の最重要事項は、彼ら5人の弱さを徹底的に描くことだったのです。
そして、それは一度ヒーローのあるべき姿を見失ったスーパー戦隊シリーズが、もう一度徹底的にヒーローというものを見つめ直すためには必要な行程であったといえます。

かつては冷戦時代には悪い侵略者というものは自分達とは全く関係無い遠い場所からやってくるものであり、議論の余地無く絶対悪でありました。
というより、議論しようにも何の判断材料も無いぐらい無縁で遠い存在だったので、議論する必要性自体がありませんでした。とにかく絶対悪であった。
だから、それと戦う正義の味方は議論の余地無く絶対正義でした。
だから、どうして正義のヒーローが勝つのか?などという疑問を持つこと自体が無意味でした。
昔の戦隊シリーズ作品もだいたいみんなそんな感じです。
物語がいくら複雑化しても、正義が悪に勝つ理由などが問われることなどありませんでした。
正義は正義である以上、理由など無く勝つのです。
そうした大前提が有って、その上にストーリーが乗っかっていました。

ところが、冷戦終了時期ぐらいからスーパー戦隊シリーズはマンネリ化してきます。
しかしマンネリといえばずっと前からマンネリでした。
同じパターンが繰り返されていたのが急に相手にされなくなったのは、それがこの時期に時代遅れになったからです。
つまり冷戦が終わって絶対悪が現実世界で消えたので正義も絶対ではなくなり、正義が悪に勝つ理由が求められるようになったのです。

この局面においてスーパー戦隊シリーズは非現実性の強い世界、すなわちファンタジー世界に絶対悪を作りあげることによって「絶対正義VS絶対悪」という構図を維持しましたが、
ファンタジー世界もまた一旦作られれば一種の仮想現実化していくのであって、現実と繋がっていき浸食されていきます。
そこにおける正義は何時までも絶対正義であり続けることは出来ません。
その現実の浸食から逃れるには、更なるファンタジーの深みへと逃避していくしかなく、それを繰り返していくうちにコメディー化が進み、
ヒーロードラマの体裁も維持出来ないほどになってしまったのです。
これでスーパー戦隊シリーズも観念して、この「メガレンジャー」から現実に向き合うことになりました。
スーパー戦隊シリーズがファンタジー世界へ逃避していた間に現実に向かい合っていたメタルヒーローシリーズ、特にビーファイターシリーズの遺産を受け継いでです。

現実には絶対正義も絶対悪も存在しない以上、必ずしも正義が勝つとは限らない。
しかしヒーロードラマにおいては正義が勝つという結果を描くしか選択肢は有りません。
そうなると、「どうして正義のヒーローは悪い敵に勝つことが出来るのか」についての納得のいく理由というものが必要になります。
いや、実際の視聴者である子供たちはそこまでの理屈は求めていないのです。
ただ、作っている側や演じている側がそのあたりの納得がいっていないと、説得力のある作品が生まれないのです。
冷戦終了時期にシリーズが行き詰ったのは、まさにそうしたメカニズムによるものだったと思われます。
だから冷戦終了後、ヒーロードラマの制作サイドは自分たちの納得のいく「正義が悪に勝つ理由」を作品を通じて追求しなければならなくなったのでした。
スーパー戦隊シリーズは「カーレンジャー」までその努力を怠っていたのですが、例えばセーラームーンやメタルヒーローシリーズではその作業は行われていたのです。

「正義が悪に勝つ理由」は実際は何でもいいのです。
そこに正解や真理があるわけではない。作品ごとにそれは違っていてもいい。
というより、その違いこそが作品の個性ですから、むしろ違っていた方が良いともいえます。
ただ、それがどのようなものであれ、正義が悪に勝つドラマを作る以上は、正義が悪に勝つ理由は示さねばならず、それもただ単に言葉で示すだけではなく、それを裏づける具体的な描写を全編通して繰り返していかねばならないのです。

ビーファイターで示され描写された「正義が悪に勝つ理由」は、
「正義のヒーローは闇の意思に打ち勝つ心の強さを持っているのだから、闇に屈して悪に走った敵に負けるはずがない」というものでした。
そして、闇に屈する心とは弱い心であるのだから、闇に打ち勝つということは自分の弱さに打ち勝つということに他ならない。
つまり自分の弱さを知り、それを克服出来る者こそが闇に打ち勝つヒーローの資格を持ち得るという理屈も成立する。

弱さを強く自覚する者こそが悪に打ち勝つ正義のヒーローとなる資格を有する。
これを主人公たちを普通のか弱い女学生とすることで見事に表現したのがセーラームーンであり、同様のテーマを表現しようとしてイマイチ成功しなかったのがビーファイターカブトでした。
そのビーファイターカブトの後を受け継ぐ形で制作されることになったメガレンジャーでは、その雪辱戦として同様のテーマに挑むことになったのです。
それはセーラームーンを目指すということでありますが、
ただセーラームーンにおいても、厳密には主人公たちは前世から繋がった宿命の戦士であり、そのことを自覚したことによって、多少のヒーローとしての資質を持っているのですが、
メガレンジャーの場合はそうしたヒーローの資質は一切持たない究極の弱いヒーローを描くことで、ある意味ではセーラームーンを超えようとしたのだといえます。

scan013-2.jpg例えば、このメガレンジャーの2人の戦隊ヒロインのうちの1人、メガイエローに変身する城ヶ崎千里は、そもそもメガレンジャーになる資格など全く持っていませんでした。
I.N.E.T.がゲームセンターの格闘ゲームに偽装して実施していた適性試験を、千里は一度も受けていません。
この適性試験をたまたま受けていたのは5人の中では健太だけであり、健太はゲームのセンスは合格点でしたがヒーローとして戦える性格ではないとして面接で落ちています。
それでも試験を受けているだけ健太はマシな方で、千里たち4人は適性試験そのものを受けていませんし、面接も受けていません。
即興のアイデアでデジタルセンターのセキュリティを突破したセンスを見込まれて、緊急避難的にメガイエローに変身させられただけです。
あの時はそうしなければ、おそらく千里も含む全員がネジレジアに殺されていたので、その選択は間違いではありませんでした。

ただ問題はメガイエロー用の唯一のデジタイザーが一度千里が使ったことによって千里以外には使用出来なくなってしまったことで、千里がずっとメガイエローとして戦わざるを得なくなってしまったことです。
しかし千里にそんな心の準備などありません。
ありきたりのヒーロードラマならば、ここで割り切って戦いの世界に没入していくのでしょうけど、メガレンジャーの場合はこの辺りは妙にリアルに描かれています。

もともと久保田博士は正式な適性者が見つかれば本人の意思をじっくり確認した後、戦いが終わるまではその適性者の身元を完全にI.N.E.T.で引き受けることを前提にして、その者の実社会における痕跡を消去して、戦いがその適性者の残された身内に全く迷惑をかけないよう配慮するつもりだったのであろうと思われ、そうした境遇に身を置くことを了承する者のみを戦士とする方針だったのでしょう。
思うに、ゲームのセンスというのはそんなに重要な資質ではなく、最低限の資質を持った者を面接試験に向けて絞り込むための一次試験のようなもので、
合格者は健太以外にもかなり多数存在したのではないかと思います。
あるいは千里たちも受けていれば合格したのかもしれません。
そうなると大事なのはむしろその後の面接試験の方で、ここで戦士としての覚悟を問われるわけです。
これに健太は落ちたわけで、千里らもこれを受けていれば落ちたはずです。
千里たちは現在の普通の高校生活を捨てる覚悟など全く無かったからです。

久保田博士たちもそういう者に戦士になることを強いるつもりなど毛頭ありませんでした。だから少し健太と話をしただけで簡単に落選を決めたのです。
ところがネジレジアの奇襲という突発的事態のせいで、全く戦士としての覚悟を持たない千里や健太たちがメガレンジャーとなってしまったのです。
久保田博士も5人を無理に普通の生活を捨てさせることは出来ず、仕方なく、日常生活を送りながら戦う高校生ヒーロー5人が誕生したのです。

千里は諸星学園高校の3年生で、健太、耕一郎、瞬、みくの4人とは同じクラスで同じデジタル研究会の仲間でもあります。
デジ研の部長は堅物の耕一郎で、千里は副部長です。デジ研は健太が幽霊部員で、みくは瞬に憧れて来ているオマケ部員で、まともに活動しているのは耕一郎と千里と瞬の3人です。
ただ本当にデジタル関係で才能があるのは瞬だけで、耕一郎と千里は研究会のまとめ役として動くことが多い。
千里の特技は写真で、素人としてはかなりの腕前で、カメラマンを目指しているのだが、すぐにプロになれるという自信も無く、とりあえず大学進学を目指して受験勉強に取り組もうというところでした。

千里の学校の成績は学年で常にトップクラスですが、ごく普通のレベルの高校でのトップクラスであり、もともとそれなりに頭が良い上に、真面目な性格でちゃんと勉強をするので自然と成績が上位になるという感じで、別に特別な天才というわけでもありません。
スポーツも全般的に得意ですが、これも天才的才能があるわけでもなく、単にセンスが良いというレベルです。
つまり、勉強もスポーツもクラブ活動もソツなくこます出来の良い子で、どこの学校でも何人かは必ずいる、ごく普通の明るく元気で真面目で、クラブのみんなの世話を焼くのが好きなお姉さん的性格の女子高生なのです。
確かに優秀な生徒ではあるのですが、決して突出したスター的存在ではありません。可愛い子ではありますが、学園のマドンナ的存在ではありません。
そこらへんを意識したキャスティングなのか、千里を演じている田中恵里も可愛い女優なんですが、決して華のあるアイドルタイプではありません。
そこらへんはデジ研会長で学級委員の耕一郎や、成績トップのモテ男の瞬にしても同じことで、ましてや落ちこぼれの健太やみくは言わずもがなです。
生徒たちの中に埋没した存在でしかありません。

そういう点、同じ高校生戦隊といっても運動部のエース揃いだったターボレンジャーや、スポーツ万能で運動部に引っ張りだこだったビーファイターカブトの鳥羽甲平などとは根本的に違います。
ターボレンジャーの5人や甲平の場合は、彼らはもともと学園のスター的存在で、目立っていたゆえに、元来ヒーロー的な気質を持っていました。
だから戦隊の適性者に選ばれ、その運命を自ら受け入れる覚悟を持っていました。
彼らはおそらく、何となく自分の人生には、変身ヒーローはさすがに予想外としても、そういう他人とは違う機会が巡ってくるのだという意識は有ったのでしょう。
だから、いざそういう申し出を受けた時、比較的すんなりと決断することが出来たのです。

しかしこのメガレンジャーの5人の場合は、平和で平凡な日常生活を捨てるなど思いもよらないことで、
博士に言われるまま好奇心でデジタイザーを操作してしまわなければ、決して戦おうなどとも思わなかったでしょう。
しかし緊急避難的にやむを得なかったとはいえ、その好奇心の代償としてずっと戦うことになってしまいました。
それでも彼ら5人は日常生活を捨てるという発想にはなりません。自分はヒーローになってしまったのだという腹の据わった覚悟は全く無いのです。
まぁそういう覚悟をいきなり固める方がむしろ実際は異常で、この5人の反応の方がリアルでしょう。
そういうわけで、日常の学園生活とヒーローとしての生活の二重生活が始まります。

この「戦士としての覚悟が無い」というのは、ヒーローとして最大の弱点と言ってもいいでしょう。
つまり、この一点だけでもメガレンンジャーはかなり弱いヒーローだと言えます。
そして、それゆえにこそ、その弱さを克服していくことによってメガレンジャーこそが真のヒーローたり得る存在なのだとも言えます。
特に、5人の中では特に真面目な耕一郎と千里の2人は、その真面目で賢い性格ゆえに、自分の弱さを早いうちから自覚し、それを克服していこうという努力を自発的に始めます。
メガレンジャー5人の中に真面目な性格のこの2人を配したのは、
初期のメガレンジャーをヒーローチームとして曲がりなりにも機能させるためには欠かすことの出来ない人材だったからだといえます。
千里というヒロインはメガレンンジャーにおいてそうした役割を担っているのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2011年01月24日

メガピンク

メガピンク.jpg





















行き掛かり上、仕方なく日常生活を送りながらメガレンジャーとしてネジレジアの侵略と戦う羽目となってしまった諸星学園高校デジタル研究会の5人組ですが、そもそも戦士としての自覚も覚悟もありませんから、戦いに身が入るはずがありません。
だが、5人の中でも根っから真面目な性格の耕一郎と千里の二人は、ネジレジアから地球を守ることの意義は理屈としては有意義なことだと思っているので、出来るだけ博士の期待に応えなければいけないと思い、他の3人の尻を叩いて、自分たちなりに頑張っていこうということになります。
耕一郎はデジ研の部長で千里は副部長なのですが、そのまま耕一郎がメガレンジャーのリーダー、千里がサブリーダーということになります。

しかしメガレンジャーの場合、戦いの覚悟だけ持てば何とかなるわけではありません。
そもそもこの5人は戦えないのです。いやメガレンジャーに変身すれば戦えるのですが、変身していない生身の状態では全く戦えないのです。
それは当たり前の話で、何の戦闘訓練も受けていない普通の高校生なのです。持って生まれた不思議な能力があるわけでもありません。特殊な光線を浴びて肉体機能が強化されているわけでもありません。全く戦う能力を持っていない5人の普通の高校生なのです。
変身後はメガレンジャーの自動戦闘プログラムで戦えているだけのことで、変身を解いて生身に戻れば怪人はおろか戦闘員にも勝つことは出来ないでしょう。
だから、この5人は決して生身で戦うことはありません。生身で戦えば危険だからです。
また、人目のある場所で変身することすら出来ません。もしネジレジアに正体が知られてしまうと、生身があまりに無力なので生身の時を狙って襲われる危険があるからです。
それに生身で日常生活を送っている以上、正体が知られると周囲の人達も危険に巻き込んでしまいます。

このように正体を隠して生身では決して戦わない戦隊というのは、このメガレンジャーと前戦隊のカーレンジャーしかありません。
劇中での戦わない理由は、両戦隊とも、生身では戦う力が無いからでした。
ただ、カーレンジャーの場合は生身で戦わせないようにしている制作側の真の動機は、生身の彼らのコメディー要素を最大限に引き出したいというような動機でした。
それゆえ、カーレンジャーの5人が生身のシーンは緊迫感のあるシーンはほぼ皆無です。
一方、メガレンジャーの場合は生身での戦闘シーンはありませんが、生身でのピンチシーンは非常に多くあります。
生身では戦えない彼らがネジレジアの襲撃を受けるということですが、ネジレジアも彼らの正体を知って狙ってくるわけではありません。たまたまネジレジアの襲撃地点で彼らが巻き込まれる頻度が高いのです。

そんな偶然が都合よくたびたび起きるわけもなく、これはもちろん制作側がわざとそのような描写を増やしているのですが、
何を見せたいのかというと、ネジレジアの襲撃に巻き込まれて、戦うことも出来ず、変身することも出来ず、出来るだけ目立たないように他の被害者に混じって共に右往左往するメガレンジャーのメンバーの姿です。
ハッキリ言って、こんなカッコ悪いヒーローの姿も無いと思うのですが、どうしてこんなみっともないシーンを制作側は強調したいのかというと、
彼らが本質的には一般人と何ら変わらない弱い人間だということをハッキリと見せつけるためです。

彼らは普通の人間より一段高い場所に立つ特別な存在ではないのです。
彼らのスーツは歴代戦隊でも随一といえるほど個性がありません。
単に色が違うのと女子の分はスカートがついているだけで、他はデザインの差異はありません。
つまり彼ら個々のためにあつらえたものではなく、誰が着てもいいはずだったものを彼らは一時的に借用しているに過ぎません。
メガレンジャースーツの性能が戦っているのであって、彼ら個々の力で戦っているわけではないのです。
彼ら個々はスーツが無ければただの無力な一般人で、戦士ではないのです。
また彼らの巨大ロボも彼らの持ち物ではなく、I.N.E.T.の宇宙ステーションに彼らが移動して乗り込んで操縦させてもらって変形させたロボなのであって、これは合体ロボですらなく、彼ら個々のビークルもありません。
まぁこれは終盤に合体ロボが出てきますが、とにかく彼らの戦う力は彼らの本来の力ではないのです。
借り物の衣裳を剥ぎとってみれば、彼らは普通の弱い人間と同等の存在でしかないのです。

だからこそ、彼らは虐げられた弱い者の気持ちがどんなヒーローよりも実感出来るのです。
弱者を踏みにじる理不尽への怒りや悲哀もよく理解出来る。
自分と同じように平和な日常を理不尽に踏みにじられた普通の弱い人々のことを、共感し愛おしく想い、同じ立場の自分が守ってやりたいと強く思うようになるのです。
この強い想いが、彼らの弱さを乗り越えていくのです。
これが、メガレンジャーが自分の心の弱さに打ち勝って、闇に打ち勝つことが出来る原動力となるのです。

この物語で制作側が描きたいテーマはこれなのです。
「自らと同じ弱さを持つ人達を何としても守りたいという強い気持ちが自らの弱さを克服し、自らの心の闇に打ち勝つ」、こういうヒーローだからこそ、強大な悪に打ち勝つことが出来るということです。
このテーマを説得力あるものとするためには、そのテーマに沿った描写を積み重ねるしかありません。
そのためには、メガレンジャーのメンバーが一般人と同じように一人の無力な被害者として右往左往しつつ、その逆境をスーツの特殊能力によってではなく、一人の人間の勇気や意志力や知恵で切り抜けていく場面を何度も繰り返す必要があるのです。

そのためにはメガレンジャーのメンバーは変身前は無力で、正体は秘密で、やたらと生身の状態でネジレジアの襲撃に遭遇する設定でなければならなかったのです。
また、彼らが他の人々の弱さゆえに踏みにじられた日常への共感を持つ描写に説得力を持たせるためには、
彼ら自身の日常生活がいかにかけがえのない大切なものであり、楽しいものであるのか、具体的に描写しなければならない。
そのためには彼らは人生で一番活き活きとして楽しい高校時代を送っていなければならなかったのであり、その学園生活は緻密に描写されねばならなかったのです。

このテーマとそれを裏付ける描写を最後まで徹底するためにこそ、メガピンクに変身する今村みくというヒロインは必要だったといえます。
そもそも、何故、メガレンジャーはダブルヒロインなのか。
パワーレンジャーに合わせたのかとも思えますが、これはどうも違うように思います。
パワーレンジャーはこの前年にアメリカでコケており、それ以降、スーパー戦隊シリーズは過剰にパワーレンジャーに合わせるようにはならなくなりました。
実際、メガレンジャーの翌年のギンガマンからアバレンジャーまでの6年間、ヒロインは一人体制が続いています。メガレンジャーの時点でパワーレンジャーにはあまり気を使う必要は無かったでしょう。

かといって、かつての昭和のダブルヒロインのようにアクション担当と可愛さ担当に分ける必要は皆無です。
何せメガレンジャーには生身アクションが無いのですから。
となると、アクション不要と考えてみると、正統派の戦隊ヒロインに必要な要素は、千里だけで事足りているように思えます。
みくというキャラは通常の戦隊ヒロインとしては不要なように思えるのです。
しかし、メガレンジャーという作品においては単純にダブルヒロインであること自体に、まず意味はあります。
それはメガレンジャーが「弱さ」こそが持ち味の特殊な戦隊だからです。
単純に考えて、男と女なら戦闘面では女の方が弱いイメージがあります。ならば、メンバーに女が多いほうが、より弱く見える。
といって、男児向け番組ですから女の方を多くするわけにもいきませんから、ダブルヒロインぐらいが妥当ということになります。
また、そういう「弱さアピール」という意味でなら、みくのキャラがかなり戦隊ヒロインとしては特殊であることも説明がつきます。

w4-2.jpg今村みくは健太や千里らと同じクラスの諸星学園高校の3年生で、デジタル研究会のマスコット的存在です。
マスコットというと聞こえはいいが、オマケ部員であり、デジ研の活動は実質的には何もしてません。
単にいつも遊びに来てるだけで、やたら元気でおっちょこちょいで甘えん坊で、余計な言動でいつも皆に迷惑をかけているが、何故か憎めない性格なので許されています。
そういう意味でマスコットのような存在なのですが、ハッキリ言ってほとんど役立たずです。
まぁしいて言えば天真爛漫なムードメーカーと言ってもいいでしょう。
実は瞬のことが好きで、瞬の傍にいたいのでデジ研の部室に来ているようなものだが、告白する勇気など無く、片思いに甘んじている。しかし実際は周囲にはバレバレだという、まぁ要するにグズでドジな何かにつけてダメな子です。
勉強もイマイチ、スポーツもパッとしないという感じで、千里とは正反対のキャラだが、千里とは仲良し。
というか、千里がいつもみくに迷惑をかけられながらも、みくのことが放っておけないという感じです。

このように見てみると、みくはほとんど戦隊ヒロインとしての適性が無さそうなキャラです。
実際、みくは自分が戦隊ヒロインだという自覚もほとんど無いでしょう。普段は単に高校三年生としての生活を満喫することしか考えていません。
しかし、これは言い換えれば、5人の中で最も素直に普通の高校生として楽しんで生きているということです。
他の4人はメガレンジャーであることは多少は気にかけているのですが、みくはそのことすら忘れているのではないかと思わせるものがあります。
戦士としては困ったものですが、メガレンジャーという作品のテーマを考えれば、みくのようなキャラが最もテーマに忠実なキャラのようにも思えます。

ごく普通の学園生活に対する一般生徒としての深い愛情を持ち、それを守るためにこそ戦おうと思えるのがメガレンジャーなのですから、
そのためにはまず、みくのように自分こそ率先して学園生活に楽しみを見出すべきなのです。
瞬への片思いにしても、そんな深刻なものではなく、あれはあれでみくの青春にとってはかけがえのない楽しみなのです。
メガレンジャーにおける恋愛模様は千里と耕一郎も何となくいいムードだったりして、全部淡い描写で、これはビーファイターカブトにおける恋愛描写と同種のものです。

そして、このみくのダメ女っぷりも、メガレンジャーの最大の特徴であり、この作品の提示するヒーロー像に至るための最大のポイントである「メガレンジャーの弱さ」を最後まで維持するためには欠かせない要素なのです。
何故なら、みく以外の4人は次第に成長してしまって、なかなか最後まで弱い存在でいづらくなってくるからです。
戦っていくにつれて、耕一郎と千里は真面目なので着実に成長し、健太はバカだけど熱血で突っ走ってるうちに色々と学んでいき、瞬はもともと有能なのだが不真面目だっただけで、戦っていくうちに本来の実力を発揮出来るようになります。
こうして4人が成長していくのは良いことなのですが、作品的には困ってしまいます。メガレンンジャーというのは戦士の成長を描く物語ではないのです。

戦士はヒーローとして成長せずに弱いままで、弱いからこそ到達出来るヒーローの本質を描くのがこの作品の主眼です。
だから変に5人にヒーローっぽくなってもらっても困るのですが、1年間ものドラマにおいて全くキャラが成長しないというのも、見ている側はイライラしてしまいます。だからどうしてもキャラの成長というのは起きてしまう。
しかし全員が成長してヒーローっぽくなってしまうと作品のコンセプトが崩壊してしまうので、誰か1人だけ、どうしようもなくダメで全く成長しないキャラを作っておいて、他のメンバーが成長しても、そのダメキャラがいるせいで、最後まで足を引っ張られてメガレンジャー全体としては弱い印象を維持するようにしたのです。そのダメキャラが今村みくなのです。
これは別にみくというキャラを貶しているわけではありません。
むしろ、この作品における最重要キャラであると言ってもいい。
みくこそがメガレンジャーという作品のコンセプトを体現する存在であり、他のヒーロー作品では決して存在しないタイプのヒロインだからです。
みくがいなければ、メガレンジャーという作品は当初のコンセプトを最後まで維持することは出来ず、中途半端な作品になっていたことでしょう。

千里役の田中恵里もそうであるが、みく役の東山麻美も見た感じは普通の高校生っぽく見える地味な感じであるが、二人とも演技は確かでした。
これは他の男性メンバーもそうであるが、このメガレンジャーという作品においては、キャスティングにおいて演技力の比重が大きくなっているように見受けられます。
それは、この作品のテーマである「弱さゆえに弱い者のために戦える」という心情を演じるためには、結構内面を表現する演技力が必要であったからなのですが、
そもそもメガレンジャーでそのような演技力が必要となるような深い芝居が出来るようになったのは、放送時間帯変更が大きく関係しています。

実はこれ以前の金曜17時半開始枠の時はスーパー戦隊シリーズは「ダイナマン」以降はずっと25分枠だったのです。
それがメガレンジャーから日曜朝7時半開始枠となったことによって30分枠となったのです。
これは本編で使える時間が3分増えたということを意味します。
たった3分と言われるかもしれませんが、もともと25分番組だったわけですから12%にあたる尺が増えたことになり、しかもアクション部分はもともとしっかりとってあったから、この増えた3分はまるまるドラマ部分が増えることになります。
これは決して小さい時間ではない。この3分が増えたことによって、スーパー戦隊シリーズでは少々込み入ったドラマが描けるようになったのです。

これによって、メガレンジャーでも「自らと同じ弱さを持つ人達を何としても守りたいという強い気持ちが自らの弱さを克服し、自らの心の闇に打ち勝つ」というテーマに沿った人情の機微に溢れた友情や愛情のストーリーが描かれるようになったのでした。
そして、それに見合った演技力のある人材が求められるようになり、この後の作品でもこのアクションに対してドラマの重要度が上昇する傾向は維持され、アクション要素よりも演技力や雰囲気などがキャスティングにおいて重視されるようになっていくのでした。
また、登場人物のキャラ設定も複雑となっていき、アクション要素はあまりキャラ作りの際にも以前ほどは重視されなくなっていきます。
ただ作品としてアクションを軽視しているわけではありません。あくまでアクションはずっと最重要項目です。
ただ、アクションはスーツアクターがその多くを担う分野であり、顔出し役者はアクションにそこまで多くの責任は負わない。それよりもドラマ部分が3分増えたことで相対的に重要度が増し、顔出し役者に関してはドラマ部分重視でキャスティングされるようになっていくということです。

さて、このメガレンジャーでは終盤にはネジレジアを乗っ取ったヒネラーという男が実はかつて久保田博士の親友だった鮫島博士だったということが判明します。
久保田博士は親友の鮫島のことを気遣いますが、ヒネラーの方は久保田を逆恨みして攻撃を加えてきます。
友をなんとか救いたいという久保田の光の心と、友を逆恨みして破壊しようとする歪んでしまったヒネラーの闇の心の対比が描かれます。

そして、そのヒネラーがかつて鮫島博士だった頃に開発した禁断の強化スーツをネジレジアの邪悪な生命体に装着させた邪悪な戦隊ネジレンジャーという5人組キャラが登場します。
実は鮫島はかつてネジレジアの侵攻を予期してこの禁断のスーツを開発したのですが、あまりに強力すぎて人体に害を及ぼしたため鮫島は追放され、ネジレ次元へ去っていき、地球に復讐する意思を持つようになってしまったのです。
親友の久保田博士は鮫島の意思を継いでネジレジアの侵攻の危機を訴え、鮫島のスーツよりもパワーは劣るが安全なスーツを開発しました。それがメガレンジャースーツであったのです。

つまりネジレンジャーはメガレンジャーよりも強いのです。
メガレンジャーは変身前の生身だけでなく、変身後でも弱い存在となってしまったのです。
しかもネジレンジャーはメガレンジャーのスーツ情報を解析し、メガレンジャーに変身する人間の正体を割り出そうとまでします。
メガレンジャー5人は絶体絶命のピンチに立たされたのです。

ヒーローがここまで弱くていいものかとも思われそうですが、よくよく考えれば、こういうヒーロードラマのヒーローというのは最終的には自分よりも強大な敵に立ち向かって勝つことにカタルシスがあるものですから、相対的には弱いものなのです。
弱いヒーローこそ、ヒーローの本質なのだといえます。

メガレンジャーもこの絶体絶命のピンチを、弱いながらも工夫してギリギリの作戦と、弱い仲間を自分たちが守り抜くという決意でなんとか切り抜け逆転勝利を収めます。
ネジレンジャーの方は強大な力を持ちながらも破壊を好む性癖のためにヒネラーも絡んで足の引っ張り合いをして結局は自滅していきます。
この悪の戦隊が登場するというのもビーファイターシリーズから引き継いだ要素ですが、光と闇の戦いを象徴しています。
弱い者を守るために戦おうとしたメガレンジャーの光の心が、破壊のみを好むネジレンジャーの闇に染まった心に勝ったのです。

ただ、このネジレンジャーとの戦いの際、ついにヒネラーに正体を知られてしまったメガレンジャーの5人は、学校関係者らに正体をバラされ、戦いの巻き添えを食うことを恐れた学校側によって追放され、友人たちからも絶好され迫害を受けます。
これは彼らを守るために戦ってきたメガレンジャーにとっては大きなショックであったが、身体の限界を迎えたヒネラーが巨大化して最後の特攻をかけてきた時、ロボに乗り込んで懸命に町を守って戦うメガレンンジャーにクラスメートたちが校舎から声援を送り、メガレンジャーはその校舎を守るためにヒネラーに立ち向かう。
弱い者たちが自分と同じ弱い者を守るために懸命に戦う姿を、弱い者たちが応援し、その者達を守るために更に弱い者は力を絞り出す。
このシーンにおいてこの作品のテーマは完成し、スーパー戦隊シリーズはヒーロー像というものを再び1つ見出すことが出来たといえます。

結果として「メガレンジャー」は視聴率は前作「カーレンジャー」から大幅に回復しました。
時間帯変更が功を奏したとも言われますが、やはり緻密な設定や深みのあるドラマ性が多くの視聴者を惹きつけたのだといえます。
むしろ、ドラマ内容の良さの割には視聴率は低めだったとまで思えます。
これはむしろ、途中で放送時間が変わったことによる影響と、あまりにヒーローの弱さを強調しすぎたために、強いヒーローを好む男児層から敬遠されたからであろうと思います。
時代に見合ったヒーロー像を追求するためにやむを得ない面はあったとはいえ、弱いヒーローを強調しすぎたため、また高校生戦隊の宿命としてキャラの個性も弱く、キャラの人気は低めで、玩具の売上も「カーレンジャー」よりもだいぶ下がってしまいました。
これはこれで深刻な問題で、スーパー戦隊シリーズは次の作品で、このメガレンジャーで掴んだ「自分の弱さと戦うヒーロー像」を「強いヒーロー」において追求することになるのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2011年01月25日

ギンガピンク

ギンガピンク.jpg





















「メガレンジャー」でスーパー戦隊シリーズは立ち直りました。
それは「弱い正義のヒーローがどうして強大で悪い敵に勝利出来るのか」というテーマを徹底的に追求した作品だったからです。
メガレンジャーは終始一貫して弱く、弱いからこそ弱さゆえ虐げられる者を守りたい気持ちが誰よりも強く、その守りたい想いの強さが、メガレンジャーの心の弱さを克服し、力を単に破壊や殺戮のためだけに使う敵よりも勝ったのです。
メガレンジャーは自分の心の中の弱さや闇に打ち勝ち、敵は闇に呑み込まれる弱さゆえに敗れたのです。
ヒーローの本質とは、戦闘力の強さや、正義の立場で戦うことではありません。
強いから、正しいから、ヒーローは勝つわけではありません。
自分の中の弱さや闇を知り、それに打ち勝つからこそヒーローは勝つのです。
逆に、敵が強大であるのに倒されるのは、己の闇に負けたからです。

よく考えてみれば、メガレンジャー以前のスーパー戦隊シリーズのヒーローたちも本質的にはそういうものであったのでしょう。
しかし、そうしたヒーローの強さの本質が、下手にヒーローが強かったり正しさがやたら強調されていると、見えにくくなってしまうのです。強いから、正しいから勝てたように見えてしまう。
だから、メガレンジャーでは、あえてヒーローの強さや正義の戦士の自覚などの要素を外して、剥き出しの弱い未熟者を戦わせて、
「自分の中の弱さや闇に負けそうな心に打ち勝ったからヒーローは勝利する」という本質を浮き彫りにしたのです。
この試みに成功したことによって、スーパー戦隊シリーズのスタッフもヒーローの本質に関する認識を確固としたものにすることが出来たのでした。

しかし、そうした極端なことをした代償というものはあるもので、メガレンジャーは視聴率は上昇した割には玩具の売上は良くありませんでした。
ストーリーは確かに面白いのですが、ヒーローが弱くてカッコよくないので子供たちの憧れの対象にならなかったのです。
特に番組の序盤はストーリー展開上仕方ない事とはいえ、情けない描写の方が多く、序盤で子供たちのハートを掴めませんでした。そうなると玩具は売れません。
メガレンジャーというのは、ヒーローの意味合いを真正面から問いなおしたという意味で、間違いなく正統派のヒーロードラマだったのですが、そこに登場したヒーローが正統派ヒーローでないという、ちょっと特殊な作品であったのです。
ならば、シリーズの次の作品は、正統派ヒーローによる正統派ヒーロードラマでなければいけません。
1998年の「星獣戦隊ギンガマン」はそういうコンセプトで作られました。

そもそも「ギンガマン」というネーミングも、「〜レンジャー」のパターンからの脱却という意味ともとれて、新たな正統派ヒーローシリーズの始まりにしようという意図が込められているように思えないこともないです。
この次の作品も「ゴーゴーファイブ」であって、「〜レンジャー」ではないので、何らか試行錯誤的な時期ではあったのでしょう。
しかし「ギンガマン」にしても当初は「ガオレンンジャー」というタイトルでほぼ決まっていたのが、似たような名前のアニメがあるというので「ギンガマン」に変えたのだそうで、実際のところ別にそれほどネーミングにこだわりは無かったのではないかと思います。
ただ、とにかくギンガマンという作品が前作メガレンジャーとはとことん真逆のコンセプトで作られているのは明らかでした。

3000年前にギンガの森の勇者たちと星獣によって海底に封印された宇宙海賊バルバンが海底大地震の影響で復活したところから物語は始まります。
バルバンは銀河を荒らし回って星を食いつくす魔獣ダイタニクスを乗船とする宇宙海賊です。
一方、ギンガの森に暮らしていた部族の5人の勇者たちは、アースという不思議な力を使って戦うことが出来ました。
アースというのは地球の大自然パワーのようなもので、炎のアース、風のアース、水のアース、雷のアース、花のアースの5種類があり、5人の勇者はそれぞれこのアースを1つずつ会得して使いこなしていた。
その最大の技は突き出した手のひらからアースの攻撃的な波動のようなものを発射するという、「かめはめ波」のような技で、およそ人間技ではありません。
一種の超能力戦士のようなものですが、
このような力は厳しい修行によって高められたものではありますが、基本的には地球に生きる人間はみんな潜在的に持っているもので、
3000年前には地球人は皆、大なり小なりアースは使えていたようです。
その中でも特に優秀なアースの使い手がギンガの森に住む5人の勇者でした。

しかし、このアースの力だけで3000年前にバルバンを倒したわけではありません。
宇宙の星を守る不思議な獣である5体の星獣の力を借りたのです。
この星獣は地球上の動物に似たような姿をしていますが地球産ではなく、宇宙の何処かからやってくる助っ人怪獣みたいなものです。
地球人の言葉は話せませんが、ちゃんと知能もあります。
この5体の星獣が5人のギンガの森の勇者たちとパートナーとなってギンガブレスという、星獣の力とアースの力を合わせてギンガマンという超戦士へと変身する変身アイテムを授け、星獣剣など、星獣の力とアースの力を合わせて威力を発揮する武器なども授け、共に戦い、バルバンを倒し封印したのです。
ただ、何故か倒しきることは出来ず、封印しただけでした。

戦いが終わって星獣たちは宇宙へ去っていきましたが、ギンガの森の勇者たちはバルバンの封印が何かの拍子で解ける事態に備えて、
封印を監視しながら、5つのギンガブレスを初代ギンガマンの霊と共に祭壇に祀り、代々、強力なアースの能力を持つ戦士を5人選抜してギンガマン候補としてそれぞれに1本ずつの星獣剣を引き継がせていったのです。

この星獣剣はギンガマンの姿に変身しないと使えません。
だから生身で持っている限りは単なる飾りであり、戦士の継承者の証に過ぎません。
ギンガマンに変身するにはギンガブレスを使わねばなりませんが、ギンガブレスはバルバンの復活が無い限りは祭壇から持ち出しは厳禁です。
つまりバルバンが復活しない限り、戦士の継承は単なる儀式に過ぎず、名目だけの戦士の継承者は戦うことなく一生を終え、また次の継承者へと星獣剣は受け継がれていくのです。
ただ、いつバルバンが復活するか分かりませんから、戦士たちは常に臨戦態勢で、特に優れた戦士だけが継承者になれるのです。
つまり、戦士は血統で選ばれるのではなく、完全に実力第一で選抜されます。
ゆえに戦士に選ばれることは非常に誉れであり、ギンガの森の若者は皆、戦士に選ばれようとして切磋琢磨し合います。

特に大事なのはアースの能力で、ギンガブレスは強大なアースを有した者でないと変身能力を発揮することは出来ません。
ところがこのアースの力が問題なのです。
アースを使いこなすには、技術やパワーだけでなく、星の命を守る優しさが不可欠なのです。
もともと地球の大自然のパワーそのものなのだから、まぁ当然でしょう。
ところが、時代が下るにつれて人間は文明を発達させて自然の命を顧みないで強さや力ばかり追い求めるようになり、星の命を守る優しい心を減少させていき、アースを使えなくなっていったのです。
ギンガの森にもその文明の波は押し寄せてきて、アースの力が失われる危機が生じました。
しかし、それはバルバン復活の際にギンガマンが立ち向かうことが出来なくなることを意味します。
それを避けるため、ギンガの森の人々は自ら結界を張って外界との交流を断ち、大自然と共生して生きる道を選びました。

そして現代、ギンガの森で133代目のギンガマン候補に選ばれた5人の若き勇者たちに星獣剣を引き継ぐ儀式が行われている時、
海底大地震の影響でバルバンが復活し、ギンガの森を急襲し、不意をつかれた5人の戦士は生身のまま応戦しますが劣勢に陥り、
リーダーである炎の戦士ヒュウガが地割れに呑み込まれてしまいます。
しかし地中に落ちて行く寸前にヒュウガは炎の戦士に落選した弟のリョウマに自分の星獣剣を託しました。
兄を失ったリョウマの怒りと悲しみと燃え上がる使命感によってリョウマのアースは覚醒し、ギンガブレスを用いてリョウマはギンガレッドに変身し、
他の4人もギンガマンに変身し、バルバンを撃退します。
しかし、その後、魔獣ダイタニクスの復活のためにギンガの森のパワーを得ようとしてバルバンが再び攻撃してきて、
長老はギンガの森を内側から封印して守り、5人の勇者はギンガマンとしてバルバンを倒すよう命じられて文明世界に取り残されます。
やがてバルバンの復活を察知して星獣たちも地球に駆け付け、ギンガマンと共にバルバンと戦うことになりました。

以上が物語の導入です。まるで西洋の聖剣伝説のようなファンタジックな世界観です。
メガレンジャーが視聴者にとって極めて身近に感じられる都会の高校を中心とした日常生活を舞台としていたのに対し、ギンガマンでは日常とは隔絶したファンタジックな物語が展開されていきます。
また、最先端のデジタル工学を武器とするメガレンジャーと、大自然の神秘の力を武器とするギンガマンも好対照です。
俗世間に染まりきった現代っ子集団のメガレンジャーと、文明に背を向けて自然と共生する道を選んできたため非常に澄んだ心を持つギンガマンという対比も鮮やかで、
突発的な事故のような形で戦士になってしまったメガレンジャーと、代々受け継がれた戦士の資格を得ることを熱望して訓練を重ねてきたギンガマンは全く正反対です。
メガレンジャーには戦士としての覚悟などもともとありませんが、ギンガマンは3000年間もギンガの森に伝えられた伝説の戦士の継承者としての誰よりも大きな自負心があります。

そして何よりも大きな違いは、メガレンジャーは生身では全く無力な一般高校生に過ぎませんが、それに対してギンガマンは生身でもアースの力を使いこなし、その他の武術も超一流の選ばれたプロ中のプロ戦士であることです。
おそらくギンガマンは生身での戦闘力は歴代戦隊でもトップクラスで、戦士としての覚悟なども含めた戦士としての総合力では、やはり3000年間も戦士を生み出すためだけに存在してきた森で過酷な競争の結果選ばれた戦士という意味で、歴代で最強だろうと思われます。
一方、メガレンジャーは変身前の戦闘力の低さや戦士としての覚悟の無さなど考えると、おそらくカーレンジャーと並んで歴代最弱の戦隊でしょう。
まさに「弱いヒーロー」から「強いヒーロー」へ、あるいは「非正統派ヒーロー」から「正統派ヒーロー」へと、ガラッと変わったのです。

scan003-2.jpgこのギンガマンの紅一点がギンガピンクであり、変身するのはサヤというギンガの森の17歳の女戦士で、花のアースを使う花の戦士です。
サヤはまだ年若い少女ですが、それでも5人の選ばれた戦士のうちの1人ですから、一人前の戦士だといえます。
幼い頃からギンガマンの1人に選ばれることを目標にして大変な努力を積んできた真面目な戦士で、常に全力で訓練し、全力で戦います。
あんまりにも真面目で頑張り過ぎるぐらいです。
まぁ少々余裕が無いともいえますが、ペース配分が出来ないのはまだ子供だからでもあります。

17歳というと文明世界では大人びた子も結構いますが、
何せ外界と隔絶して自然と一体となって暮らすギンガの森育ちの17歳の少女ですから、全くスレたところがなく、大変ピュアで純朴な女の子です。
それは純情可憐というよりは、まだひどく子供じみて見えるぐらいです。
実際かなり子供っぽい性格で、趣味はミニスカートで木登りすることだといいますから、まだ乙女の恥じらいのようなものもあまり無い様子です。

言うまでもなくサヤは優しく自然や命を愛する性格です。
何故なら、そういう性格でないとアースは使えないのですから、アースを使えるということはそういう性格だということです。
ただ、そうなるとサヤに限らず、ギンガマンは5人全員似たような性格ということになります。
まぁ年齢や環境で細かい点は違いますが、基本的には5人全員、純朴で優しく正義感に溢れ、生き物や命をひたむきに大切にする、見事なまでの好人物です。ちょっと良い人すぎるぐらいです。

サヤもこんな感じですから、見事に戦隊ヒロインとして必要な要素を満たしています。
いや、頭の良さに関してはあんまり満たしてないといえるでしょう。
戦いにおける戦闘脳のようなものは発達してますが、あまりに世間知というものがありません。
しかし、それはギンガマン全員の特徴でもあるので、ギンガマンというチームにおいてサヤが足を引っ張るほど頭が悪いということもなく、かといってギンガマンの頭脳といえるような存在でもなく、まぁ普通の立ち位置、いや年少者なので多少マスコット的な扱いといっていいでしょう。

あと、アクション面は、何せサヤは伝説の戦士の継承者ですから武術も相当なものという設定のはずですが、
演じているのはねずみっ子クラブの宮澤寿梨、つまり新人グラドルですから、生身シーンではそんなに大したアクションは出来ません。
変身後はアニマル風アクションが結構凄いですけど。
ただファンタジー系戦隊の便利なところで、変身前はCG処理したアース技でよく戦いますから、結構誤魔化しがきいて強そうに見せることは出来ます。

そもそも「ジェットマン」以降、アクション優先のヒロインのキャスティングというのはもうあんまりされなくなっていたのですが、それは作風の問題や何らかの不備によるものでありました。
しかし、この「ギンガマン」において初めて明確にアクション担当と非アクション担当のダブルヒロイン体制が否定されたのでした。

というのも、実は当初はギンガピンクだけでなくギンガイエローも女性にしようという方針だったようなのです。
ギンガイエローはやんちゃで生意気で食いしんぼうでスピード重視の戦い方をする戦士の設定で、それで女性戦士となると、まさに伝統的なダブルヒロイン体制におけるアクション担当ヒロインのキャラです。
つまり当初はギンガマンにおいてもヒロインは可愛い系のピンク以外にアクション担当のイエローを置いて、総体としてヒロインの生身アクションのレベルを高いものにしようという考え方もあったのです。
しかし、それは明確に否定され、ヒロインは可愛い系で雰囲気重視の宮澤寿梨のサヤだけになり、イエローは男になりました。
それはつまりヒロインはアクションよりも雰囲気の方を重視するということでした。

いや、それはヒロインだけではありません。ギンガマンの5人の役者は皆、アクションの腕よりも、この作品の神秘的な世界観や、優しく自然を愛する素朴な役柄に合った雰囲気や演技力を持った役者がキャスティングされています。
それはつまり、ドラマ部分に使える尺が以前と比べて3分増えたこともありますが、基本的には「ヒーローが何故、強大な悪に勝つことが出来るのか」に関わる人間ドラマを描くことが重視されるようになったことを意味します。

ただ、ギンガマンの場合、この人間ドラマの部分が問題なのです。
ヒーローが強大な敵に勝つことが出来る理由は「自分の中の弱さや闇に打ち勝つことが出来るから」です。
そして、どうしてヒーローが自分の中の弱さや闇に打ち勝つことが出来るのかというと、何かを守りたいという想いが心の中の弱さや闇に打ち勝つからです。
メガレンジャーの場合、それは「自分と同じ弱い者たちを守りたいという想い」でした。
一方、ギンガマンの場合、それはアース発動の条件である「星の命を守りたいという想い」であることは容易に想像はつきます。
「星の命を守りたいという強い想いが自分の中の弱さや闇に打ち勝ち、ギンガマンは強敵バルバンに勝利した」というのが、ギンガマンという作品の結論となるわけです。

この結論自体はこれでいいのです。
というより、ぶっちゃけて言えば何だっていい。
大事なのは、どんな結論であれ、そこに持って行くだけの説得力のある描写をいかに物語の中で重ねていけるかなのです。
それが出来ていなければ、どんな立派な結論であろうとも、ただのお題目にしかなりません。

メガレンジャーの場合、この描写の積み重ねは簡単でした。
メガレンジャーはもともと弱いのですから、自分の中の弱さに打ち勝つ過程は描きやすいのです。
そして、弱いメガレンジャーが弱い人達に共感してそれを守りたいと思うのはごくごく自然なことで、その具体的なエピソードも日常を舞台に自然に描くことが出来たのです。

しかしギンガマンは非常に強い戦士たちであり、戦士としての意識も高いので心の中に弱さや闇というものがそもそも存在しにくいのです。
また、星の命を守りたいという強い想いがもともと確固として存在するからこそ彼らはアースを使えるのであり、そうなると彼らが星の命を守りたいという気持ちを獲得していくドラマというのは描きにくくなります。
弱ければ、自分の弱さを知ってそれに打ち勝っていくドラマを描けるのです。
足りない部分があるならば、その足りない部分を補っていくドラマも描けるのです。
そうした描写を積み重ねていくことで、ヒーローが自分の中の闇に打ち勝っていくということを印象付け、闇に呑まれてしまった敵を打ち倒すのが当然のように思わせることが出来るのです。
しかしギンガマンは強くて、力が既に満ち足りています。だから弱さゆえ、足りないゆえのドラマが描けない。

ならば強いゆえのドラマを描くしかないでしょう。
強いといえば敵は強いです。その強い敵はどうして敗れるのかというと、強さのみを追い求めて闇に呑まれるからです。
しかし、これは別に敵に限った話ではないでしょう。正義のヒーローだって、自分の心の闇に打ち勝てず、弱さに打ち勝てなければ、たとえ戦闘力が高くても、勝つことは出来ないはずです。
そのような状態に陥ってしまい、自分の過ちに気付くことによって、自分の本当に進むべき道が見えてくる。
強いヒーローならば、そういうドラマの作り方が出来るのです。
強いヒーローを使って、強さゆえに道を踏み外し、過ちに気付いて自分の闇に打ち勝つ真の強さを得る、そういうドラマの描写を積み重ねることによって、ヒーローが敵に打ち勝つことが出来る真の理由が浮き彫りになっていくのです。
そして、それは最も強いヒーローでなければいけない。
強いからこそ闇に呑まれかけることにリアリティが有るし、弱いヒーローがそんな風になっても弱い印象が増すだけで、メガレンジャーの初期の良くない印象に戻るだけのことで、それはギンガマンで目指す方向に逆行することになります。
ギンガマンは全員強いヒーローだから全員にその資格は有るともいえますが、全員がそのように迷っていては、せっかくの子供の憧れとなるような強く正しいヒーロー像が揺らいでしまいますから、道を誤って迷うのは本当に一番強い者だけでいいのです。

ギンガマンにおいては、それはまず序盤においては、本来は正規戦士の実力は無く、最強の戦士であった兄の代理でギンガマンのリーダーになったと思って悩むリョウマが使命を受け入れて自信を持つようになっていく過程として描かれます。
そして中盤ではバルバンに星を滅ぼされ弟を殺されたため、誰も守れなかったという絶望から復讐鬼となった黒騎士という異星から来た強力な戦士が地中に落ちたヒュウガを取り込みギンガの光という超パワーでバルバンを滅ぼそうとしますが、
ギンガの光は復讐のために戦う黒騎士ではなく星を守るために戦うギンガマンを選びギンガマンをパワーアップさせます。
それでも黒騎士は地球内部のマグマを刺激して地球を爆発させて地球ごとバルバンを滅ぼそうとします。
しかしリョウマの姿に亡き弟の幻を重ね合わせて苦悩した黒騎士は最後は星を守る使命を思い出し、地球を守るためにマグマの中に身を投じて爆発のエネルギーを吸収して死にます。
そして死の間際、取り込んでいたヒュウガを解放してリョウマの元に返します。
中盤はこうした黒騎士の物語を軸に話は展開していきます。
これも心を闇に支配されてしまった強き正義の戦士が星の命を守る気持ちを思い出して、ヒュウガを復活させて自分は意識だけの存在となってヒュウガに協力し、その後はヒュウガが黒騎士の姿に変身してギンガマンの一員となり星を守る戦士として戦うようになるという流れとなっています。

そして終盤はバルバンの首領ゼイハブが滅ぼした星の命を結晶化して体内に取り込んでいるために、星の命を守るための力であるアースでは倒すことが出来ないと知った最強のアースの戦士ヒュウガがアースを捨てて星を滅ぼす悪の力を身につけてゼイハブを倒そうとしてギンガマンから去っていくストーリーが展開されます。
そして、これは結局ゼイハブが用心深く体内の星の命の結晶の位置を人知れず変えていたためヒュウガの作戦は失敗します。
星の命を守る気持ちを捨てたヒュウガには勝利の女神は微笑まなかったのです。
しかし、万策尽きてアースも失ってもそれでも地球にある命を守りたいと強く思い直しゼイハブに挑もうとするヒュウガをリョウマが「星を守ろうとする兄さんには大きなアースが生まれるはず」と励まし、
ヒュウガのアースが復活し、兄弟力を合わせてのアース攻撃でゼイハブの体内の星の命を砕きます。
本来アースでは星の命を傷つけることは出来ないはずなのですが、星を傷つけようとするゼイハブから星の命は離れようとし、その結果、アース攻撃で星の命を砕くことが出来たということになります。
つまりゼイハブは闇に染まったため自滅し、心の中の迷いを断ち本来の星の命を守る気持ちを取り戻したヒュウガとリョウマは悪に打ち勝つことが出来たということになります。

このようにリョウマ、黒騎士、ヒュウガの心の迷いの物語を通して、
彼らが散々迷って道を間違えつつも最終的には「星の命を守る」という気持ちが正解なのだという結論に辿り着く描写を繰り消すことによって、
「星の命を守りたいという気持ち」が心の中の闇に打ち勝ち、敵の悪に打ち勝つ原動力なのだということが浮き彫りになる構成になっているのです。
これはこの3人が共にこの物語の中で最強クラスの正義の戦士だからこそ有効なのです。

そして、このような主役クラスの3人が大いに迷ったりする分、他のギンガマンのメンバーまで一緒になって迷ってしまってはギンガマンというチーム自体のせっかくの強い印象が損なわれてしまいますから、
他の4人は極めて正統派の正義のヒーローであり続けなければいけません。
しかも皆同じように優しく純朴であるわけで、どうしても個性が弱くなってしまいがちです。

それでも何とか個性を出すために、それぞれ個別のサブストーリーを用意しています。
ギンガグリーンのハヤテは離れ離れになったギンガの森の婚約者への想いや、敵の女幹部シェリンダとのライバル関係。
ギンガブルーのゴウキは外界の普通の女性である鈴子とのロマンス。
ギンガイエローのヒカルは成長物語。
そしてギンガピンクのサヤは一応ヒュウガへの淡い恋心というか憧れのような感情を持っている設定になっているのですが、子供っぽい性格設定であるのでこれがなかなか進展しません。
そもそもヒュウガが実質的には後半しか出ませんし、途中からギンガマンと別行動をとったりするので、あまり絡めようがなかったようです。
それで結局、サヤの個人ストーリーは印象が薄くなり、サヤのキャラも割と薄いものになってしまいました。
ギンガマンという戦隊の印象はなかなか強いものがあるのですが、その中においてサヤは印象の薄いキャラで、どうも印象の薄いヒロインということになっています。
ヒロインとしては結構優秀な方なのですが、どうも物語の中では相対的に印象が薄いのです。

結局、このギンガマンという作品は視聴率も玩具売上も大きく伸ばし、スーパー戦隊シリーズはここに完全復活を遂げたのでしたが、
このギンガマンという作品で他に特筆すべきこととしては、
ギンガマンの5人のキャスティングに際して、作品の世界観を重視したため、アクション要素よりも雰囲気や演技力重視のキャスティングとなり、
この作品の世界観を反映して、爽やかで柔らかい雰囲気のキャストが揃うことになったことが挙げられます。
その結果、リョウマ役の前原一輝やゴウキ役の照英などがイケメンだと評判になったのです。

子供たちは俳優がイケメンだとか興味ありませんから、これはつまり大人がこの作品を熱心に見ていたということです。
そこで制作スタッフは、この日曜朝の時間帯は子供たちと一緒に朝食を摂っている母親層が視聴している割合が極めて高いことを実感したのです。
この実感はこの後のキャスティングの選定基準に大きな影響を与えることになりました。
既に動きだしていた次の作品には反映はされませんでしたが、
その次の2000年度作品や、それと同時期に開始することになった平成仮面ライダーシリーズなどに、このイケメン重視の認識は反映されていくことになるのです。
タグ:ギンガマン
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 11:35 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月27日

ゴーピンク

ゴーピンク.jpg





















「ギンガマン」の成功でひとまず安定したスーパー戦隊シリーズは続く1999年度は「救急戦隊ゴーゴーファイブ」を送りだしました。
これはノストラダムスの「1999年7の月、恐怖の大王が降臨する」という予言と、当時話題となっていた、1999年8月18日に太陽系の惑星と太陽が地球を中心に十字型に並ぶ「グランドクロス」という非常に珍しい現象から着想した作品です。

どういう話かというと、1999年8月のグランドクロスが完成する日、地球に大魔女グランディーヌという巨大なマイナスエネルギー(負のエネルギー、邪悪なエネルギー)の集合体が降臨するので、それを阻止するために正義の戦隊が戦うという話です。
このグランディーヌが降臨する条件としては、グランドクロスの完成だけでは足りず、その時に地球がマイナスエネルギーに満ちていなければいけないのです。
マイナスエネルギーは人間の苦しみや嘆きから生まれるので、宇宙空間で降臨に備えるグランディーヌは、自分の地球への降臨の条件を整えるために、自分の子供たちや手下たちを先に地球に送り込んで、人間たちを苦しませてマイナスエネルギーを吐き出させるために破壊活動を行わせます。
だから、さしあたりは正義の戦隊はこの手下の怪人たちを倒して破壊活動を阻止します。破壊活動自体が看過できないものでありますし、グランディーヌの降臨も阻止しないといけないからです。

この破壊活動が何故かいつも日本に集中しているのは、特撮ヒーローもののあまり突っ込んではいけないお約束なのですが、
一応この作品ではグランディーヌ降臨予定の地が日本だからだという理由はつけられています。
そして、こういうリアルタイムと同じ時間軸で危機が進行していく物語ですから、まさに物語のちょうど折り返し点にあたる8月の放送回で、現実のほうもシンクロしてグランドクロスがやってくるのですから、ここを大イベントとして盛り上げないわけがありません。
結局、怪人たちを撃破はしていくものの、マイナスエネルギーが溜まることは阻止出来ず、8月15日放送の25話においてグランドクロス完成の時を迎え、グランディーヌ降臨の儀式が始まってしまいます。
しかし、ここで戦隊側の捨て身の阻止活動によって降臨の儀式は失敗し、グランディーヌは不完全体で降臨し、北極に作った宮殿に引き籠って、以後は完全復活を目指して足りないマイナスエネルギーを手下たちに集めさせることになり、戦隊側はこれを阻止するため戦うという、また以前と同じような戦いの様相に戻ります。
そして最後はいろいろあって完全体となった大魔女グランディーヌと戦隊の最終決戦ということになります。
なかなか巧みな構成になっているといえます。

さてここで問題は、この戦隊ゴーゴーファイブが、どうして今回は「救急戦隊」なのかです。
1999年だから「99」と引っ掛けて「救急戦隊」としたという要素もあるでしょうが、それはあくまで語呂だけの問題であって、もし語呂だけでそのようにしたのだったら実際は内容は全然違っていてもいいわけです。「救急」なんて言葉は抽象的で何とでも解釈出来ますから。
しかし実際に作品全体を貫くコンセプトとしてしっかりと救急救命活動が据えられているわけですから、決してこれは単なる語呂合わせではなく、災害時の救急救命活動が作品のコンセプトであることは明白です。
つまり、ゴーゴーファイブは災害などから人命を守るための戦隊なのだということは最初からしっかり作品の大方針であったのです。

大魔女グランディーヌにしても、単なる悪魔ではなく、「災害をもたらす悪魔」という意味で「災魔」と呼ばれており、グランディーヌが降臨すると地球規模の大災害が起きるという設定になっています。
だから災害から人命を守る戦隊ゴーゴーファイブは、大災害を未然に防ぐためにグランディーヌ降臨を阻止しなければならず、そのためには手下の怪人たちの破壊活動を阻止するために戦うことになるのです。
しかし、実際は「災魔」などという用語自体が存在せず、このあたりは1999年のグランドクロス時の悪魔降臨説と救急戦隊という2つのコンセプトを繋げるための苦労の跡が垣間見えます。
別に普通に邪悪な悪魔の降臨を地球防衛軍あるいは伝説の勇者みたいなものが阻止するという話でも、物語はもっと自然な形で成立したはずです。
それをあえてせずに「救急戦隊」にこだわったのは、それなりの理由があってのことでしょう。

災害から人命を守るヒーローというのは、メタルヒーローシリーズにおけるレスキューポリスシリーズを思い出させます。
スーパー戦隊シリーズは「メガレンジャー」以降、メタルヒーローシリーズの影響を強く受けていますが、
それはメタルヒーローシリーズが絶対正義でない正義のヒーローが悪に打ち勝つことが出来る理由を追求してきたからです。
その要素を採り入れて戦隊シリーズは「メガレンジャー」「ギンガマン」という順に復活してきたのです。
そして、そうしたメタルヒーローシリーズにおける試みが始まったのはレスキューポリスシリーズにおいてでした。
つまり、「ゴーゴーファイブ」という作品は、メタルヒーローシリーズにおける「正義が悪に勝つ理由」の原点に立ち帰って、その理念を「闇の意思」そのものと言っていいマイナスエネルギーの塊に対峙させることにしたのです。

正義が悪に勝てる理由は、何かを守りたいという気持ちが自分の中の闇に打ち勝つからです。
その何かをこの作品では「人の命」としました。これはなんとも直球です。
「人の命は地球の未来!」というのがゴーゴーファイブの名乗り時の決めゼリフでありますが、これはただお題目として唱えるだけなら、ヒーロードラマとしては当たり前のことではあります。
昔の作品における地球防衛の戦いをしていた戦隊だって、地球に住む人々を守るためにこそ戦っていたのであって、気分としては「人の命は地球の未来」という感じでしょう。
しかし、ゴーゴーファイブの場合、これはお題目ではないのです。

ゴーゴーファイブは地球防衛軍の戦士ではなく、あくまで災害時の救命活動が本分の救急戦隊なのです。
だから、そもそも地球防衛の戦いの専門家ではないし、それがどういうものなのかもよく分からないのです。
彼らは戦闘訓練を受けたり戦士の心得などを教えられたこともなく、ギンガマンのようなプロの戦士ではありません。
彼らが戦っているのはスーツの性能によるものです。
ゴーゴーファイブのスーツはメガレンジャーのスーツに似たタイプで、さすがにメガレンジャーのように全自動というわけにはいきませんが、使い方はスーツに組み込まれたガイドラインに沿って瞬時に適切な行動が選択出来るようになっています。

ならばゴーゴーファイブがメガレンジャーと同じような素人戦士なのかというと、それは違います。
彼らは戦闘のプロではありませんが、もともと消防局のレスキュー隊員、化学消防班員、ヘリコプター部隊員、そして首都警察の巡査、病院所属の救急救命士というように、全員が救急救命活動に関わる現場のプロです。
だから地球防衛の戦闘のことはよく分からないが、「人の命を守る」という一点に関しては全員が揺るぎない信念と覚悟を持っていますから、
「人の命を守る=地球の未来を守る」という等式を自分の頭の中で描くことによって、最初から怪物と戦うことに関する不安や恐れなどは吹き飛び、戦う覚悟が定まっていました。
「人の命は地球の未来!」というのは、そういうゴーゴーファイブ特有の戦いについてのスタンスを表しているのです。

だから、彼らにとって「人の命を守る」というのは単なるお題目ではないのです。
「戦った結果、人の命を守る」のではなく、「人の命を守る」という強い想いが無ければ彼らは戦うことすら出来ないのです。
だから彼らは常に「人の命を守る」ということを強く思いながら戦っています。
常にそういうことが描写されているわけではありませんが、彼らがもともと救急救命のプロであることと、毎回繰り返される「人の命は地球の未来!」という熱いセリフによって、彼らが常に「人の命を守る」という決意を心の中心に据えて戦っていることは、ハッキリと伝わってきます。

ただ、そういう「守りたい気持ち」を持って戦っているだけでは、それは確かにヒーローではありますが、そのヒーローがより強大な悪に勝つことが出来る理由にはなりません。
そこに説得力を持たせるためには、その「守りたい気持ち」によって、そのヒーローが自分の心の闇や弱さに打ち勝つ描写が必要なのです。
ところがゴーゴーファイブでは、彼らは「人の命を守る」という一点において戦う覚悟を固めてしまってますのでメガレンジャーのように覚悟出来ずに弱気になったりしませんし、
逆に「人の命を守る」という一点しか信念の選択肢が無いので、ギンガマンにおけるヒュウガやリョウマのように迷ったりもしないのです。
つまりゴーゴーファイブは「人の命は地球の未来!」という信念があまりに明快で、心に闇や弱さが生じる余地が無いように見えるのです。

しかし、これは全く逆です。
「人の命を守る」という想いが戦いの際に心の中心にあるため、彼らは戦いながらでも常に人の命を助けようという意識が強過ぎるのです。
つまり、単に敵の怪人を倒して目的達成なのではなく、怪人を倒すのは彼らにとっては通過点に過ぎない。その後、被災者が助かることが真の目的であり最終目標なのです。
その救命作業までいつも彼らがやるわけではなく、それは消防局などと役割分担していることが多いのですが、それでも彼らの意識の中には戦いの時も常に被災者のことがあります。
要するに彼らは戦いにおける達成目標のレベルを自分で勝手に引き上げているのです。
敵を倒すことだけで安心したり満足することは出来ないのです。

だから逆に言えば、敵を倒す程度のことで苦戦していると、焦りも倍増します。
目標値があまりに高いので、同じことをやっていても、他の戦隊よりも目標達成率が極端に低くなるのです。
だから上手くいかないと、苛立ち、焦り、叫び喚き、遂には絶望してしまうことも多々あります。
戦いが不安で絶望するのではなく、人の命を助けられないかもしれない不安から絶望してしまうわけです。
そうして心に弱さが生じた時にこそ「人の命を守りたい」という強い想いが、彼らの心の弱さに打ち勝ち、その結果、敵にも打ち勝つのです。
そうした彼らの熱い熱い大逆転の描写を何度も繰り返し描写することによって、人の命を守りたいという彼らの強い想いが彼らが悪に打ち勝つ原動力になっているのだということが強く実感される構成となっているのです。
そのために、彼らは戦闘のプロではなく救命のプロでなければいけなかったのでした。

scan006.jpgこの5人の救命のプロは5人兄妹で、紅一点はゴーピンクに変身する巽祭(マツリ)です。
巽家は代々の江戸の町火消しの家系で、それは由緒正しいのかそうでないのかよく分かりませんが、兄妹はみんな市民の安全を守る職業に就いています。
兄4人の下の末っ子のマツリは21歳の救急救命士で、国立臨海病院という病院所属でした。
どうも巽家は海の近くにあるようで、そのやたらと江戸っ子下町風情であることから、住所は深川や木場などの東京の古い下町のあたりではなかろうかと思われます。

その臨海病院で誇りをもって日々一生懸命に救命士の仕事をしていたマツリですが、
ある日、東京に変な隕石が落ちてきて、それが化け物の姿になって暴れ始めた時、それまで10年間音信不通だった父親、巽モンドが突如として現れて家で寝ていた兄妹5人に救急戦隊になるよう命令したのです。
何のことやら分からないマツリ達兄妹でしたが、ほとんど無理矢理スーツを装着させられて、無理矢理に被災現場に送られ、
5人はもともと救命活動をしなければいけないと焦っていたので、結局モンドのペースに乗せられてノリノリで救助活動を開始し、
モンドが開発したという素晴らしい威力の装備を夢中で使いこなしていたところ、
災害の根源である隕石から変形した化け物が襲ってきて、父の指示に従いながら応戦しているうちに巨大ロボまで操縦して化け物を倒してしまったのでした。
その後、職場に行くと何故か全員辞表を提出して退職したことになっていて驚くのですが、父モンドの仕業でした。
モンドは5人に仕事を辞めて救急戦隊ゴーゴーファイブに専念するよう命令したのでした。

なんかもうムチャクチャなのですが、
モンドという人はもともとは巽防災研究所の所長、といっても個人で勝手にやってただけの民間の科学者でした。
ただ、とんでもない天才で、しかも天才ならではの変人で、一種のマッドサイエンティストの類です。
10年前にモンドはマイナスエネルギーの存在を発見し、それが近い将来、地球に大災害をもたらすだろうことを予測し、危機を訴えましたが、当然誰も変人のモンドの言うことをまともに相手にしません。
そこでモンドは仕方なく(?)家族にも何も告げずに姿を消し、秘かにマイナスエネルギーの起こす大災害に対抗する装備の開発に着手したのでした。
そうして勝手に5人の子供たち用のゴーゴーファイブの装備をある程度完成させ、東京湾の海底に勝手に秘密基地まで作っていたモンドでしたが、
遂に10年経って隕石の落下を見て自分の予期していた危機が到来したと悟り、姿を現したのです。

モンドが失踪した時、長男のマトイは15歳で末っ子のマツリは11歳でした。
その後、モンドを捜しに旅に出た母の律子も飛行機事故に巻き込まれて行方不明となった時、長男のマトイは17歳、末っ子のマツリは13歳でした。
その後は長男のマトイが8年間、家長として弟や妹たちの面倒を見て散々苦労したのでした。
モンドにしてみれば律子がいるので大丈夫だと思っていた目算が外れたのかもしれませんが、それにしてもその律子にさえ何も言わず姿を消したのはやはりマズかったわけで、マトイを筆頭に男兄弟4人はみんなモンドのことを怨んでいました。
その上、勝手に仕事まで辞めさせられて面白いはずもなく、当然、モンドの振る舞いに一斉に反発しますが、
末っ子のマツリだけは素直に父が帰って来てくれたことを喜び、兄たちをたしなめます。

実は長男マトイはあまりの独裁ぶりに家庭内では弟たちから鬱陶しがられており、その弟たちも家庭ではほとんど役立たずであったので、
巽家を実際に取り仕切っていたのは家事全般を担当していたマツリでした。
だから4人の兄はマツリには頭が上がらない状態で、
それにマイナスエネルギーの脅威によって人々の命が危険に晒されていることがハッキリした以上、それに対抗出来る唯一の装備であるゴーゴーファイブの装備は、「人の命を守る」という使命感を持つ彼らにとっては魅力的でした。
そういうわけで結局は、父モンドを司令官として5人兄妹による救急戦隊ゴーゴーファイブが動き出すことになり、
いざやり始めると全員もともとの職業意識の高さからテンションは上がりに上がり、やたらと熱くノリノリで戦うことになったのでした。

このようにマツリは末っ子ながら巽家を裏で取り仕切るしっかり者で、それでいて素直で可愛い性格なので、4人の兄たちから非常に大事にされています。
まぁ実際、マツリがいないと4人はすごく困るわけで、大事にするのは当然でもあるのですが、
4人の男メンバーからこれほど近く熱い愛情を注がれているヒロインというのは他にはいません。
他人同士だったらこんなことは有り得ないわけで、これは男4人で末っ子に女1人という兄妹戦隊ならではの特徴です。
熱い愛情も兄妹愛なのでいやらしさが無く爽やかです。
マツリはとても可憐なのですが、ほとんどセックスアピールを感じさせないのは、周りにゴツい兄達4人に常に囲まれているからでしょう。

最強の妹キャラでありながら、しっかり者で母親のような温かさもあるマツリですが、
しっかりしているのは家庭内だけではなく、もともと救急救命士という立派な社会人として働いていたわけですから、子供じみたところはなく、折り目正しく大人の雰囲気もあります。
それでいて愛敬があり、小悪魔的な側面もありますから、かなり魅力的な女性なのです。
そして戦隊ヒロインとしては、5人兄妹の中で一番、命を救う最前線の現場に居たため、最も命の重みを知っており、使命感は誰よりも強く、弱者を虐げる者に対しては最もストレートに怒りを向けます。
純粋でひたむきではありますが、それは幼さや未熟ゆえの純粋さではなく、しっかりとした職業意識や知性に裏付けられた純粋さです。
といって、クールではなく、命の最前線の職業意識であるため、非常に熱血です。
また、マツリは外見は綺麗な女性なのですが、ショートめの髪型のせいもあってか、どことなく中性的な魅力があります。
兄4人といつもつるんできたため、一番下の弟的な感覚も多少はあるのでしょう。そういうところが非常にカッコいいヒロインに見えるのです。

このようにマツリはかなり優秀なヒロインで、熱く濃い人ばっかりの登場キャラの中でも立派にキャラ立ちして存在感を発揮しています。
しかし何といってもこの作品で最も特筆すべきキャラは長男であるゴーレッドのマトイ兄貴です。
マトイ兄貴があまりに熱くて濃いので、マツリのようにヒロインとしては相当レベルが高いキャラですら、やや霞んで見えてしまうほどです。

そもそも、何故ゴーゴーファイブは兄妹戦隊なのか。
兄妹戦隊といえば「ファイブマン」がありましたが、兄妹戦隊には弱点があります。
まずバックボーンが皆同じになるので個性が薄くなりがちです。「ファイブマン」の時は職業まで皆同じ小学校教師で職場まで同じでしたので、やたら個性が薄くなってしまいました。
そしてもう1つ、まとめ役である長男のキャラだけが立ち過ぎるという欠点があります。
対等な立場の5人が集まってくる他の戦隊と違って、兄妹の場合は最初から明確な上下関係が出来てしまっているのです。
その頂点にいるのが長男で、「ファイブマン」の場合はその長男の星川学がレッドで主役で、しかも両親不在なので家長でもあり、しかも学はすごく立派な人物だったので、学ばかりが目立ってしまいました。

ゴーゴーファイブの場合、改善策として職種を全員違うものにしていますが、それでも全員が救急救命関係ということで似ています。
長男のキャラだけが立ち過ぎるという弊害に関しては、父親が司令官として存在していることでマトイを家長の座から引きずり降ろし、しかもマトイがあまり立派な人格者ではなく弟たちに煙たがられているという設定にすることで解決しようとしていますが、それがむしろマトイのキャラをいっそう濃いものにしてしまっています。
結局ゴーゴーファイブにおいても兄妹戦隊の弱点はさほど改善はされていないのですが、それでも兄妹戦隊という形にこだわり、しかも「ファイブマン」の時とは違って全員のキャラがしっかり立っているのは不思議です。

何故、兄妹戦隊ということになったのかというと、おそらく救急救命のプロ達の戦隊という設定にしたことから導かれた結論であろうと思われます。
戦闘のプロではなく救命のプロ達がいきなり戦闘部隊のような働きまで求められてこなしてしまえるのは、その5人がよほど救命というテーマで1つに結束したチームだからです。
そうなると、この5人はもともと同じチームで活動していたということにしなければならない。
しかし、そうすると「オーレンジャー」の時と同じようにバックボーンが同じでキャラが薄くなってしまいます。
それに皆、同じチームだったということにすれば例えば5人とも元レスキュー隊員ということになり、ますます個性が薄くなります。
やはり、せめて職種はバラバラにしないといけない。
しかし職種がバラバラなのに同じチームで結束していたというのは不自然です。
それを自然に実現するためには、「救命」という一点で繋がったバラバラな職種の5人兄妹が一つ屋根の下に同居して1つのチームのように固く結束していたという形にするしかなかったのでしょう。

つまり、この巽兄妹の結束は異常に固いのです。
両親がいなくなって8年間の思春期から社会人生活にかけて5人で支え合ってきたという点と、
同じ「救命」というテーマを持った職種同士で実際に何度も情報交換し合って連携して現場をこなしてきた経験があり、鉄の結束を誇っています。
やたら喧嘩が多いのですが、それはお互いを心の底から心配し合ってのことであり、逆に言えば遠慮無く何でも言い合える仲である証拠です。実際、すぐ仲直りします。
やたら熱い下町人情一家という感じです。

このやたら血の気が多く結束の固い巽兄妹が、未だかつて経験したことの無い大きな危機に立ち向かい、
怪物と戦いながら常に人命救助のことまで気にかけるという常にテンパリ気味の状況の中、
絶望しそうな気持を奮い立たせて大逆転を繰り返していくにつれ、そのテンションは異常なまでに上昇していきます。
このテンションの高さ、暑苦しさによって、本来は影が薄くなってもおかしくない設定の5人のキャラが見事に立っているのです。
ただ、その中でも、その結束の中心となっている長男のマトイのキャラのテンションの高さと暑苦しさは極端に高く、
まるでジャンプ漫画の主人公キャラのようで、およそ三次元キャラとは思えないほどです。

マトイは何か問題が起きても常に「気合いが足りねえんだ」という言葉で済ましてしまいます。
そして実際に気合いで何とかしてしいまいます。
というか、レスキュー隊の隊長をやっていただけあって極めて有能な男なので、冷静な計算もあって事態を打開しているのですが、
そういうことも含めて全部「気合い」という短い言葉で片付けてしまう脳筋野郎なのです。
また名乗りの時の「人の命は地球の未来!燃えるレスキュー魂!救急戦隊!ゴー!ゴー!ファイブ!出場!」という、やたら暑苦しい掛け声もマトイがやり始めたもので、
最初は他の4人はビックリして引きまくりでした。しかし次からは全員でやるようになっていました。
極めつけは、巨大戦の決め技の時にいちいちコクピットで大袈裟な振りつけで「剣よ!光を呼べ!」「怒りの拳よ!灼熱の嵐を呼べ!」などと叫ぶことです。
もう意味不明なんですが、とにかくテンションは上がりまくります。
完全に振り切れた熱血野郎となったマトイに感化されて、弟や妹たちもどんどん熱血になっていきました。

このように巽兄妹の結束を異常に熱く固いものとしたことに関連して、この兄妹のもう1つの信念「信じあうのが家族です」というのが設定されています。
これは父モンドが失踪した後、母の律子が兄妹たちに言っていた言葉で、この言葉を兄妹たちが大事にしているために、兄弟の結束は揺らぐことなく、父のことも許し、母の生存も信じることが出来ているのです。
人情家族ドラマのような展開になるとしばしばこの言葉は繰り返され、ゴーゴーファイブの家族の信頼関係は強調されます。

そして、それに対比する形で災魔の側では大魔女グランディーヌを母親とした家族として構成されており、グランディーヌの子として4人兄妹が幹部を務めています。
つまり、正義の戦隊と悪の戦隊を対置するというビーファイターシリーズ以来の伝統がここでも使われているのです。
そして、正義の戦隊である巽兄妹および家族が信頼し合っているのに対して、災魔兄妹と家族は全く信頼関係がありません。
兄妹は自分こそが母に気に入られようとして足を引っ張り合い、その母であるグランディーヌも子供たちを捨て駒として利用しようとしています。

これは災魔という悪がどうして強大な力を持ちながら敗れるのかという理由づけにもなっています。
災魔は「闇の意思」そのものだと言ってもいいので、災魔自体が闇に呑まれたために敗れるというレトリックは成立しません。
しかし、闇の存在であったとしても、それでも親子の情愛ぐらいはあるはずです。
しかし災魔は親子の情愛すらも踏みにじったのです。
それゆえに、災魔は巽兄妹、巽一家の結束の前に敗れる運命となったというふうに論理づけることが出来るのです。

このように「ゴーゴーファイブ」という物語は、かなり理路整然と諸要素が整理されている物語なのであって、
巽一家と災魔一族のあらゆる面で相反する思想と思想がぶつかり合うイデオロギー戦争という形になってもおかしくないといえます。
ところが、この理路整然とした世界を巽兄妹の、とりわけマトイの熱血的な暴走が適度にぶち壊してくれるのです。
普通は悩んだり議論になったりする局面でも、マトイが「気合いだ!」なんて言って吹き飛ばしてしまうので、話がどんよりせずにサクサク進んでいくのです。
おかげでこの物語は非常にテンポが良く、やたらと勢いがあり、そして、やたら熱く濃いのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2011年01月28日

速瀬京子

kyouko2.jpg速瀬京子さんはゴーゴーファイブ第六の戦士・・・になるはずだった人です。
この人は第二話で登場します。巽家の三男ショウの航空学校時代の先輩で、非常に優秀で、スペースシャトルの操縦士になっていた人です。
それで宇宙でのミッションを終えて帰還途中に災魔に襲われてしまい、ゴーゴーファイブに助けられます。
ところがこの時、ショウがうっかり自分の正体がバレるようなことを言ってしまい、京子さんはゴーゴーファイブが巽兄妹だということに気付きます。

一応、ゴーゴーファイブは秘密戦隊なので正体はバレてはいけないのです。
後に消防局の総監に正体がバレてしまい協力関係になり、グランドクロス後は世界中から支援を受けるようにはなるのですが、この頃は正体がバレないように活動し始めたばかりでした。
それなのにショウのミスで京子さんに正体がバレたので巽一家は焦ったのですが、
京子さんは秘密を守る代わりに自分もゴーゴーファイブに入りたいと言って巽家に押しかけてきたのです。
どうもゴーゴーファイブに憧れてしまったようです。

この人、宇宙飛行士などやっているのでクールな人かと思ったら全然そんなことはなく、下町の寿司屋の娘で、チャキチャキの江戸っ子なのでした。かなりぶっ飛んだ性格です。
モンドやマトイ達はなんとか追い返そうとするのですが、結局、モンドの押しかけアシスタントということでゴーゴーファイブに居ついてしまいました。
この人はエンジニアとしても一流で、モンドの助手として結構使えたのです。
しかしアシスタントに甘んじるつもりはない京子さんはなんとかゴーゴーファイブ6番目の戦士になろうと虎視眈々の日々を送ることになり、
視聴者に非常にウザい印象を与えることとなったのでした。

いや本当は京子さんはゴーゴーファイブの6番目の戦士になるはずだったに違いないのです。
21話でマックスシステムというゴーゴーファイブの新たな支援戦闘システムが登場するのですが、
これが列車型で射出されてからスペースシャトル形態になって大気圏外に一旦出て、そこで太陽光エネルギーを受けて、人型形態のライナーボーイというロボットになって地上に降り立って戦い、更に1号ロボであるビクトリーロボとスーパー合体してマックスビクトリーロボという超巨大ロボになるのです。
どう考えてもスペースシャトルの操縦士である京子さんのためのメカです。
京子さんが6番目の追加戦士となって、この21話でこのライナーボーイに搭乗して華々しくデビューする予定だったとしか思えません。

玩具のラインアップというのはかなり前から決まっているものであって、
中盤の追加ロボでスペースシャトル型から変形するロボが出ることはキャラの設定や役者のキャスティングの段階で既に決まっていたはずです。
だから、当初はこのライナーボーイに搭乗する第6の戦士として、スペースシャトルの操縦士が設定されており、
それが速瀬京子というキャラとして造形され、序盤に登場させて、アシスタントとして兄妹に馴染ませてから仲間に加えようという計画だったと思われます。

しかし、そうなると初の女性追加戦士ということになります。
追加戦士の最初の例はジュウレンジャーのブライですが、ブライは当初はゲストキャラ予定で好評のためずっと出ることになったキャラです。
その後、追加戦士は定番にはなりましたが、それは変身後のキャラに関連した商品展開の必要性の方が大きく、
変身前のキャラについては初期5人とは一線を画した扱いでした。
ダイレンンジャーのコウは子供、カクレンジャーのニンジャマンは人間態無し、オーレンジャーのリキも子供、カーレンジャーのシグナルマンも人間態無しでした。
結局、ゴーゴーファイブの時点では、変身前のキャラがちゃんと初期5人と対等な扱いを受けるようになった追加戦士はメガレンジャーの早川裕作、ギンガマンのヒュウガの2人を重ねただけの段階だったのです。
追加戦士が出て来ること自体は定番になってましたが、その変身前のキャラが男でも女でも、この頃はそんなにこだわりは無かったのでしょう。
それで、この京子役の宮村優子さんがあんまり熱意をもっていたものだから、ついつい制作側も速瀬京子というキャラを作って、追加戦士に充てようと思ってしまったのでしょう。

宮村優子さんというのは、1995年の大ヒットアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」で人気キャラであったアスカ役だった声優さんです。
アニメファンの間では絶大的な人気のある声優さんでした。
メインターゲットである児童層とは違いますが、アニメファンと特撮ファンというのはかなり重なっており、
宮村さんを追加戦士として出演させるのは話題性という意味では有意義なことでした。
また宮村さん自身がかなりの特撮ファン、戦隊ファンで、
そのファン心理が昂じて、自分も戦士としいて出演したいという願望を抱き、その願望を実現すべく、JAEに入門までしてしまった人です。
なんか、京子さんのキャラと妙にかぶってるように思えます。
いや、おそらく京子さんのキャラは宮村さんのキャラを元に造形されたものなのでしょう。

それだけの熱意を見せられて、制作陣も宮村さんで追加戦士が務まるのではないかと考えたのでしょう。
ところが、宮村さん自身の問題ではなく、劇中の巽兄妹のキャラが予想以上に熱く濃いものとなっていき、その鉄の結束がますます強固なものとなっていき、
その分、非常に閉鎖的なものとなってしまったため、なかなか部外者が新戦士として入り込むのが困難な状況となっていったのでした。
それで結局、京子さんを新戦士とすることは断念し、
ライナーボーイおよびマックスシステムは電子頭脳による無人操縦システムとなり、
ライナーボーイそのものが「6番目の戦士」という扱いになったのですが、
実質的にはゴーゴーファイブは追加戦士は無しとなったのでした。
ジュウレンジャー以降の作品で追加戦士が出て来ないのは、このゴーゴーファイブだけです。

で、京子さんは最後まで押しかけアシスタントのままで、コメディリリーフ的な使われ方をする羽目になってしまったのですが、
もともとコメデイー用に造形されたキャラではないので、どうも浮いた感じになってしまい、ちょっとウザいキャラになってしまったのでした。
制作側もさすがに宮村さんに悪いと思ったのか、ゴーゴーファイブ本編が放送してる真っ最中の1999年夏に「救急戦隊ゴーゴーファイブ・激突!新たなる超戦士」というオリジナルビデオをリリースし、
その中で京子さんにジークジェンヌというキャラに変身してもらってます。
これはメタルヒーローシリーズを彷彿させるハードスーツ風の重装甲なのですが、宇宙からやって来たジークという戦士の魂が宿ってこういう姿になるということで、1回限りの変身でしたが、制作側から宮村さんへのせめてものお詫びであったように思えます。

そもそも、夏の劇場版は作られていなかった頃のことであり、
本編終了後の3月にリリースされるVSシリーズのオリジナルビデオはオーレンジャーの時から定番化していましたが、
こんな本編放送中にオリジナルビデオを出すというイレギュラーなことをわざわざしたのは、やはり宮村さんへのフォローではないかと思います。
ただ、それだけの理由でビデオをリリース出来るわけもないので、そんなものがリリース出来るほど、ゴーゴーファイブ本編に勢いがあったということでしょう。
ゴーゴーファイブは熱く濃く、追加戦士も出せないほどの勢いで1年間を突っ走り、ギンガマンとほぼ同等の視聴率や玩具売上をマークして、次のミレニアム戦隊にバトンを渡したのでした。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 15:07 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月29日

タイムピンク

タイムピンク.jpg





















2000年度の戦隊はその数年前から「ミレニアム戦隊」と呼ばれて制作サイドでは特別扱いだったようです。
そしてミレニアム戦隊は「時間」をテーマとすることも既定事項だったようです。
2000年という年が時の節目ということで、タイムトラベルをネタにした作品としようということでしょう。
そういえば長い歴史を重ねてきたスーパー戦隊シリーズもタイムトラベルをネタにした作品はここまでありませんでした。
いや、そもそもタイムトラベルものというのはどうしても話が少し難しくなり、戦隊シリーズがメインターゲットとしている未就学児童層には理解させるのが難しいのです。
それにあえて挑戦しようというのですから、ミレニアム戦隊ということで少々難しい内容になっても仕方ないという下地はあったのでしょう。

ただ、それを加速させたのは、この作品がシリーズ開始25周年記念作品という位置づけとなってからでしょう。
確かに「ゴレンジャー」の開始は1975年ですから、2000年で25年目になります。
ただ、「ゴレンジャー」と「ジャッカー電撃隊」をシリーズに含むということは「オーレンンジャー」の時に20周年記念キャンペーンをするためにやったことで、その後は別にあまり強調されてはいませんでした。
それを再び25周年という形で強調することが出来たのは、2年前の1998年にこの2作品の原作者である石ノ森章太郎が逝去していたからでしょう。

というより、石ノ森が逝去し、彼が晩年に希望していた「がんばれ!!ロボコン」のリメイクのために東映がメタルヒーローシリーズを終了して同枠で1999年に「燃えろ!!ロボコン」を制作して放送し、
その後番組として2000年に石ノ森の代表作である「仮面ライダーシリーズ」を「平成仮面ライダーシリーズ」として復活させようということになったのがきっかけでしょう。
つまり、石ノ森の遺志であったロボコンとライダーの復活をする代わりに、ゴレンジャーとジャッカー電撃隊を完全にスーパー戦隊シリーズに組み込んだというような感じです。

スーパー戦隊シリーズはテレビ朝日系の日曜朝7時半から8時までの枠、
そしてもともとメタルヒーローシリーズの枠であった時間帯で平成仮面ライダーシリーズをやるわけですから、
それは同じくテレビ朝日系の日曜朝8時から8時半までの枠であり、つまり日曜朝の7時半から8時半までの1時間、スーパー戦隊シリーズ、平成仮面ライダーシリーズが続いて放送されることになるわけです。

ただ、仮面ライダーのTVシリーズは1989年以来のことで、長いブランクがあります。
しかもテレビ朝日系で仮面ライダーをやるのは初めてのことで、このブランク期間中のライダー劇場版はことごとく興行的に失敗していました。
だからテレビ朝日としても慎重になるのは当然で、当初はむしろ長年の実績もあり、メガレンジャー以来人気作が続くスーパー戦隊シリーズの方が安定感はあると思われていたと推測されます。
それで、この2つの枠をまとめて1つの総合枠と捉えて、戦隊シリーズの人気でライダーシリーズの方を引っ張ろうとしたわけです。

平成仮面ライダーシリーズの第一作「仮面ライダークウガ」は子供向けドラマの枠に捉われない一般ドラマとしても視聴可能な作品を志向していました。
つまり割と高年齢層の視聴者をターゲットにしていたわけです。
ただ、「仮面ライダー」というものは子供向けのものだという先入観は当時は世間では強く、
シリーズ1作目から高年齢層を呼び込もうとしても、上手くいくかどうか未知数でした。
そこで、ライダーに比べれば確実な実績のある戦隊シリーズの方も高年齢層に受け入れられやすい内容にして、そっちで呼び込んだ高年齢層視聴者がライダーの方も見て、その良さに気付いてもらえるようにしようということになったのでしょう。
おそらくそういうわけで、2000年度の作品「未来戦隊タイムレンジャー」はシリーズ屈指の大人向け傾向の強い異色作となったのでした。

タイムマシンが発明されて10年ほどの30世紀末、
時間旅行の弊害で生じた歴史の混乱に対処するために設立された時間保護局の4人の新入隊員ユウリ、アヤセ、ドモン、シオンは
3000年のある日、ロンダー刑務所の冷凍圧縮刑から逃走したマフィアのボスのドルネロを逮捕するべく、リュウヤ隊長と共に初出動したが、
これはドルネロ一味の罠で、リュウヤに変装していたドルネロ一味の幹部に乗っていた時間移動船を乗っ取られてしまいます。
そのまま時間移動して2000年の日本に辿り着いた船から、潜入していたドルネロ一味はロンダーズ刑務所の冷凍圧縮された囚人全員を連れて、まんまと逃亡してしまい、2000年の日本にアジトを作り、ロンダーズ・ファミリーを名乗って悪事を犯し始めます。

囚人たちを鎮圧して歴史の改変を止めるため、緊急戦闘モードに変身しようとする4人だったが、
変身アイテムのクロノチェンジャーはチーム5人全員が揃わないと初期起動しないようプロテクトがかかっており、変身出来ない。
そこでたまたまその場に居合わせたリュウヤ隊長によく似た20世紀の若者の浅見竜也に5つめのクロノチェンジャーを渡して、最初の1回だけ一緒に変身するという奇策でプロテクトを解除し、
4人は変身に成功して、成り行きで一緒に戦う羽目になった竜也と共に、1人の囚人を捕えて冷凍圧縮に戻すことに成功します。

しかしその他の囚人たちを手にしたドルネロ一味の行方は分からず、30世紀の本部に報告したところ、
4人は全ての囚人を回収しドルネロ一味を逮捕するまで20世紀に留まるよう厳命されてしまう。
途方に暮れる4人であったが、そこに竜也がやって来て事情を聞き、4人に住処と仕事場を提供し、一緒に便利屋を開業する代わりに自分もタイムレンジャーの仲間として一緒に戦いたいと申し出ます。
最初は拒んだ4人だったが、「歴史は変えられないかもしれないが、自分の明日ぐらいは変えられる」という竜也の信条を聞いて心動かされ、竜也の提案を受け入れます。
こうして4人の30世紀人と1人の20世紀人が2000年の日本を舞台にして普段は便利屋稼業を営みながら、30世紀からやってきた犯罪者一味と戦う物語が始まったのです。

scan010.jpgつまり「タイムレンンジャー」に出て来る敵組織というのは、地球を侵略して支配しようとか滅ぼそうとかするような組織ではなく、単に金儲けのために犯罪活動を行う犯罪組織なのです。
悪質ではありますが、圧倒的な力を持っているわけではありません。
そもそもロンダーズ・ファミリーなんて言っても、そのメンバーは実質的にはボスのドルネロとその娼婦のリラと、腹心のギエンの3人だけであり、
あとはロンダー刑務所で冷凍圧縮保存刑を受けて、固められて小さくされていた囚人たちが多数いるのですが、この連中が他作品におけるザコ怪人に相当します。
が、この連中はもともとドルネロの子分ではなく、解凍してもらった義理で従っているだけですので、あんまり強固な組織ではありません。

30世紀には地球には様々な異星人や機械人間なども住んでいるので、ロンダーズ・ファミリーには色んな者がおり、奇妙な特殊能力を持った犯罪者ばかりですが、
ここでポイントはこの連中は皆、服役囚だということです。
つまり、一度は30世紀の公的機関によって逮捕された連中なのです。
中にはとんでもない凶悪犯もいますが、基本的には30世紀の装備を用いれば対処可能な連中ということになります。
要するにタイムレンジャーと対等、あるいは格下の連中ということになります。
中には実力で勝る連中もいますが、それでも他の作品の未知の侵略者のように全く対処不可能なほどに圧倒的なのではありません。
それでも20世紀の公的機関では対処困難な脅威ではあるのですが、竜也の父である浅見渡の設立したシティ・ガーディアンズでもそこそこは対処出来てしまったりもします。
つまり弱い部類の犯罪者ならば、20世紀の装備相手であっても圧倒的というほどではないという感じです。

こういうイマイチ強くない敵相手に、タイムレンジャー側も殺るか殺られるかの勢いで戦うというわけでもありません。
基本的には普通にやってれば勝てる相手ですし、そもそも殺してはいけないのです。
この犯罪者たちは死刑ではなく冷凍圧縮刑という超長期(千年単位)の特殊禁固刑の判決を受けているのであり、現場のレンジャー隊員の独断で命を奪うのは禁じられています。
というか、わざわざこんな特殊な刑罰が存在しているということは、おそらく30世紀には死刑は廃止されているのでしょう。

だからタイムレンジャーは囚人たちと戦いますが、決して殺さずに逮捕するのが任務です。
ただ、戦闘シーンは他の戦隊作品と同じような感じに作ってあり、一見ちゃんと敵を倒しているようには見えます。
解凍されて元の大きさに戻って暴れていた囚人を完全撃破した描写の後、再び冷凍圧縮された敵囚人の人形状になったものが転がり、それをタイムレンジャーは回収し保管していくのです。
また、戦闘員に相当するゼニットは新たに作られたロボット兵士なので、これは完全に破壊しても問題は無く、タイムレンジャーは容赦なく破壊していきます。
だから描写としては普通の戦隊の戦闘シーンと同じなのですが、それでも肝心の怪人については「殺していないで逮捕している」という印象は毎回しっかり強調されています。

こういう、正義側が悪側よりも実力的に優越しており、悪側を殺さず逮捕することを目的として戦うというのは、
メタルヒーローシリーズのレスキューポリスシリーズで見られたパターンです。
前作のゴーゴーファイブがレスキューポリスシリーズの世界観をベースにしながらも、災害そのものと戦うのではなく災害を起こす怪人を倒すという形をとっていたのに比べ、
このタイムレンジャーでは、更に一歩、レスキューポリスシリーズの世界観に近付いています。
それは大人受けする渋い作劇法ということになります。

また、渋いといえば、巨大戦で登場するメカやロボもこの作品では非情に渋く、地味です。
1号ロボが5人の搭乗する5つのビークルが合体して作られる点は、マスクマンからゴーゴーファイブの間はメガレンジャーを除いて同一で、タイムレンジャーもその範疇ではありますが、
ジュウレンジャー以降はその5機のビークルにはくっきりと個性がありました。
それがタイムレンジャーの場合は、5機とも非情に無機質な戦闘機で、個性はほとんどありません。
これは30世紀の最新科学で作られた時間保護局の装備なのですから、変なキャラクター性がある方が不自然なので、劇中では自然な描写なのですが、やはり玩具的な魅力には乏しいといえるでしょう。

その5機が合体する1号ロボのタイムロボも、3つの合体パターンは持つものの、
1つは巨大戦闘機であり、残り2つがロボ形態ですが両方とも地味な姿で、
2号ロボのタイムシャドウは合体ロボでも変形ロボでもなく実質は単なるサポートロボでありタイムロボの強化合体パーツのようなもので、
存在感は従来の2号ロボに比べて薄かったといえます。
また従来なら2号ロボの合体パーツとなるはずの新たな5機のビークルも登場しないわけですから玩具の点数自体が従来作品よりもかなり少なめになります。
唯一魅力があったのは追加戦士用ロボのブイレックスですが、これも合体ロボでなく単体のロボで、タイムロボやタイムシャドウと合体出来るわけでもなく、玩具としてはプレイバリューはそう高くはありませんでした。
等身大戦の装備も地味で、また、名乗りも各自がコードネームを名乗った後、「タイムレンジャー!」と言うだけで非情に地味です。
「未来戦隊」とは言いません。そもそも彼らは自分たちのことを「未来戦隊」とは一度も言っていませんし、劇中の誰もその言葉は言いません。
番組のタイトルコールの時に言われるだけです。

まぁ30世紀の時間保護局の装備としてはかなりリアルに作ってあるわけですが、
そういうリアルさを優先させて玩具としての面白味を重視していないという点からも、この作品がメインターゲットをやや高めに設定していることが分かります。
そういう点もレスキューポリスシリーズと同じコンセプトです。
ただ、こういう地味な連中が地味な武器やロボで地味に戦って、しかもあんまり強くない相手を殺さないように加減して戦っているわけで、
戦いにイマイチ、カタルシスというものがありません。
いや、決して戦闘シーンがつまらないわけではなくて、
この作品の戦闘シーンはかなり緻密に作ってあり、作戦や駆け引きの妙が楽しめるのですが、
玩具購買層の小さい子供たちにはやや難しい内容です。
つまり、そういう優れた部分もやはり大人向けなのです。

だいいち、スーパー戦隊シリーズの基本構成は、「強大な悪の侵略者に対して正義の戦隊が立ち向かい劣勢からの大逆転で勝利して世界を守る」というもので、
その大逆転のカタルシスが子供にウケるわけですが、そのパターンから外れたタイムレンジャーは根本的に見せたい部分が違う作品だといえます。
子供向けヒーロードラマとして最も大事な点は、「何故、正義のヒーローは強大な悪に勝つことが出来るのか」についての理由を提示することです。
それは例えば自然を愛する心であったり、弱者を守りたい気持ち、命を救いたい気持ちなどが誰よりも強いからなのであり、
そうした描写を通して子供たちにそうした気持ちの大切さを学ばせることが目的であり、
子供たちもそうした気持ちに触れ、正しい心の力が勝利に繋がるという構図にスカッとするものです。

ところがタイムレンジャーにおいては、戦隊側の方が悪の側よりも優越しているので、勝つのが当たり前で、そこに特別な理由など必要ありません。
だから、正義が悪に勝つ理由というのはこの作品では提示されません。
それは子供たちの求めるカタルシスに欠けるということであります。
ただ、それは言い換えると、従来の戦隊シリーズの作劇パターンから自由になれるということでもあります。
そういうわけで、この作品ではそれまで見られたことのないドラマが展開していくことになります。

この作品におけるドラマの主眼は、悪との戦いなのではなく、
自分の明日を自分の手でより良いものに変えたいと思ってもがいている主要登場人物たちの織りなす人間模様を描くことです。
これは言い換えると、悪との戦い(あるいは敵側は正義との戦い)の方ばかりに一斉に向いているわけではなく、それぞれのキャラがある程度別方向を向いているということで、
その分、非常に登場人物が個性的でバックボーンも多彩なものになります。

主人公タイムレッドの浅見竜也は20世紀の日本有数の財閥の22歳の御曹司で、親に決められた人生を拒んで自分の明日を自分で変えたいと思い便利屋を開業しタイムレンンジャーの一員として戦うことを決断しました。
30世紀から来た4人のうち、アヤセは22歳にして不治の病を抱えていることが判明してレーサーを辞め、命を弄ぶ犯罪者と戦う道を選び、
ドモンは業界を追放された22歳の元格闘技選手で、戦闘力を活かして時間保護局のレンジャー隊に転職し、
シオンは天才的頭脳を持つハバード星人の唯一の生き残りの17歳の少年で、研究材料のように管理された生活から逃れようとして時間保護局に志願しました。
皆、現状の何らかの絶望を抱えて、そこからの打開を図って動き出そうとしたところで巡り合ったことになります。

scan005.jpgそして、この作品のヒロインであるタイムピンクのユウリは、
実は30世紀のインターシティ警察の21歳のマフィア担当捜査官で、ドルネロ一味の不穏な動きを察知して時間保護局に潜入捜査していて、
結局はドルネロらに出し抜かれて20世紀でタイムレンジャーとして戦う羽目になってしまいました。
どうしてドルネロを追っていたのかというと、刑事としての職務から来る正義感ももちろんありますが、
実はユウリの父親も元警察官で、ドルネロの雇った殺し屋によってユウリの両親と妹は殺されているのです。
つまりユウリはドルネロのせいで家族を皆殺しにされてしまったわけで、ドルネロに恨みを抱いているのです。
家族を失ったせいで絶望に沈んだユウリはドルネロを逮捕することで人生をやり直すきっかけにしたいと思って、時間保護局に潜入捜査で入り込んだのでした。
そういう意味で、ユウリもまた他の4人と同じく、自分の手で明日を変えようとしてもがいているのだといえます。

この、刑事であったり、家族を敵に殺されていたりするという設定はまたえらく懐かしい感じがします。
シリーズ初期のカレン水木やダイアン・マーチンらと同じです。
すると必然、キャラも似てくるわけで、ユウリもクールビューティーで大人の魅力を持った女性ということになります。
このタイプのヒロインというのはスーパー戦隊シリーズでは既に古いタイプで、桃園ミキ以降の純粋ひたむき可愛いタイプが主流になって久しいのですが、
このタイムレンジャーという作品はそもそも従来のシリーズ作品とは一線を画した作品で、
やや高年齢層に向けた作品なので、高年齢層にアピールする力のあるクールビューティータイプのヒロインでも十分OKなのです。

ただ、シリーズ初期のクールビューティー系ヒロインはどちらかというと個性が薄くなるぐらい完璧なタイプだったのですが、
ユウリの場合はクールで強気ではあるが、かなりツンデレ系で、その不器用な感じが可愛らしいところもあります。
偉そうな割に家事が全然ダメというデキる女の意外というか典型的というか、そういう弱点もあったりして、なかなか愛すべきキャラです。
ただ、ユウリというキャラ自体がこの物語の中で突出して魅力的なキャラというわけではないと思います。
むしろ、この物語全体が極めて魅力的に仕上がっており、その中でユウリというキャラが中心となって描かれることが多いので、物語の流れの中でユウリが魅力的に見えてくるのです。
キャラ自体に何か破壊的な魅力があるというのとは少し違います。

何故、ユウリがこの物語の中で中心となって描かれることが多いのかというと、
ユウリがこの20世紀において活動を開始した変則的なタイムレンジャー隊のリーダーだからです。
本来のチームのリーダーは30世紀に残ったリュウヤ隊長なのですが、リュウヤが不在で活動する以上、誰かリーダーを決めねばなりません。
竜也は空手の達人で生まれついての人を惹きつける魅力やリーダーシップも有るのですが、世間知らずのお坊ちゃんであり、まず何と言っても30世紀の時間保護局本部との間で意思の疎通が出来ませんのでダメです。
残る4人のうち、アヤセはメカの操縦には秀でているが社交性があまり無く、ドモンは戦闘力は高いが単細胞、シオンは天才的頭脳を持っているが無邪気な子供で、
皆、特化して秀でた部分はあるもののバランスが悪く、あまりリーダー向きではありません。
それに時間保護局隊員といっても、この3人は全くのルーキーで、犯罪者相手の実戦経験は乏しいと言えます。
その点、ユウリはマフィア対策班の捜査官として訓練も実戦も十分に積んでおり、
ロンダーズ・ファミリーの手口もだいたい把握しており、戦闘力もメカの扱いも知性も、ついでに美貌も、あらゆる面で最もバランスがとれていて、
冷静な判断力や作戦をまとめ上げ実行する能力を持ち、性格も真面目で正義感も最も強いので、まさにリーダーとして最も適格といえます。

ただ、ユウリは確かに有能な女性なのですが、基本的にはあまり器の大きい人間ではなく、
真面目すぎて融通が利かなかったり頑固だったりして、すぐ怒るクセもあります。暴力的でもあります。
それに基本はいくら有能で冷静でも、ことドルネロのことになると、恨みがありますので、つい冷静さを失うことも多々あります。
そういう精神的に不安定な面もあり、意外に芯が弱く、誰かの支えを必要とする場合もあります。
まぁ要するに、中身は普通の若い女性なのです。
有能ではあるが、まだリーダーを務めるほど成熟はしていないわけで、成り行き上、仕方なくリーダーを務めているだけだといえます。

それに、ユウリがリーダーといっても、それはロンダーズ・ファミリーとの戦闘モードの時のことであり、
20世紀の世界で生活していくための便利屋稼業に関しては、あくまでリーダー格は20世紀人の竜也です。
普通の戦隊作品では、こういう生活資金に関する問題は大して描写されずに何時の間にか何とかなっているものなのですが、
このタイムレンジャーという作品の面白いところは、この便利屋稼業の方がむしろ詳細に描写されていることです。
金策に苦しんだり、仕事をとるために5人が一生懸命になったり、そういうことがしっかり描かれているのです。
あくまでリアル志向なのだということなのでしょうが、そのおかげで竜也のリーダーシップが強調される作り方になっています。
逆に、この便利屋稼業の方ではユウリは自信満々で取り組んでは不器用ゆえにドジばかり踏んだりして、あまり稼ぎが良い方ではありません。
ちなみに稼ぎ頭はシオンです。

この便利屋稼業のシーンは普通の戦隊ドラマでは不要だと思うのですが、
タイムレンジャーの場合、5人が絶望から出発して自分の明日を自分で見つける話ですので、
最初は未来にあまり希望を持っていなかった5人が便利屋稼業を通して新しい自分の居場所を見出していくという意味で非常に意義あるシーンとなっています。
ユウリも便利屋稼業で失敗したりしていくうちに頑なな心がほぐれていき、仲間と打ち解けていきます。
特に竜也に依存したいという心理が生じてきて、それは戦いの場でも竜也への大きな信頼となっていきます。
そして、それは恋心に変わっていき、竜也もユウリのことを好きになりますので、2人は相思相愛となります。
むしろ、戦闘モードのシーンが多ければ、超個性的なアヤセやドモンやシオンのキャラの方が立ちまくって、冷静なまとめ役であるユウリのキャラは薄くなった可能性が高いでしょう。
この便利屋稼業シーンや竜也とのなかなか素直になれない恋愛関係の描写などが有ったためにユウリというキャラの印象が極めて強いものとなったと言えるでしょう。
結果としてユウリは非常に人気の高いヒロインとなりました。
ただ、2人がお互いの気持ちに気付く頃には事態は急展開していき、2人が結ばれるどころではなくなっていきます。

物語は、竜也の父がロンダーズ・ファミリーの犯罪行為から契約者を守るために創設したシティ・ガーディアンズという民間警備会社に所属する竜也の旧友で空手のライバルでもある滝沢直人が
ひょんなことから30世紀の時間保護局の新装備であるタイムファイヤーやブイレックスを手に入れたあたりから大きく動き出していきます。
直人は貧しい生まれながら独自の優しさや正義感を持った優秀な男だったのですが、
竜也に対するコンプレックスと反発心が強く、竜也を追い越して見返してやりたいという上昇意欲に燃えており、
たまたま手に入れた強大な力を使ってタイムレンジャーと距離を置きつつ共闘してロンダーズ・ファミリーを叩きつつ、
その力によって自身のシティ・ガーディアンズ内での地位を上昇させていく野心に取りつかれていきます。

一方、30世紀の時間保護局では本来のタイムレンジャー隊の隊長であるリュウヤが何やら暗躍し始めます。
その後、2000年の日本にGゾードという謎の巨大ロボが出現して破壊の限りを尽くし始め、
そこで初めてユウリらは自分たちが20世紀に送り込まれた真の目的をリュウヤから聞いて知ります。
それは時間保護局の2994年の時空移動実験の失敗で時空に消えたGゾードが2000年に現れて大暴れした際に起こした時空の乱れの影響で3000年の世界が消滅するという歴史の運命を修正するため、2000年の日本でGゾードを破壊して3000年の消滅が起きないようにするというものでした。
ユウリらが20世紀にやって来て竜也と共に戦うというのも、30世紀のリュウヤによって仕組まれたことであったのです。

なんとかGゾードを倒してユウリらは任務を果たしますが、
自分の手で選んだと思っていた明日が他人によって決められていた道だったと知った竜也はショックを受けて便利屋を廃業してしまいます。
同様にショックを受けたユウリらには任務を果たしたことで30世紀への帰還命令が下ります。
一方、シティ・ガーディアンズの本部長へ出世していた直人は政界の大物に取り入って竜也の父を追いだしてシティ・ガーディアンズの全権を握ろうとしますが、竜也の父の反撃によって失脚します。
また、ロンダーズ・ファミリーは幹部のギエンがリュウヤの差し金で暴走してドルネロを殺し、これによって壊滅します。

photo004.jpgそして破壊の限りを尽くすギエンの体内の反応炉の暴走によって今度は年が明けた2001年の世界が時空の歪みで消滅の危機を迎えます。
どうもGゾードを倒したことで30世紀の消滅が回避された代わりに、20世紀が消滅する運命になったようなのです。
20世紀が消滅すれば30世紀も消滅しそうにも思えますが、Gゾードを倒したことで歴史が変わり、新しく生まれた30世紀には新しく生まれた別の20世紀がくっつき、
今まで存在した20世紀は不要になったので消滅する運命となったようです。
そして、その新しく生まれた30世紀はユウリらにとって辛い絶望の過去は消え去った快適な世界となっているようなのです。

母の叱咤によって立ち直った竜也は2001年の世界の消えゆく運命を変えて世界を救うためタイムレッドとして戦うことを決意しますが、
もしユウリらが共に戦って2001年の消滅の阻止という歴史の再改変に立ちあってしまうと、ユウリらの戻る30世紀は、彼女らにとって快適となった30世紀とはまた別の30世紀になってしまうと知り、
無理矢理ユウリらを未来に帰して一人で戦うことを決意します。
一方、全ての地位を失い放心状態となった直人はギエンの指揮下のゼニットと交戦して致命傷を負い、
竜也に救われますが、結局、ブイレックスの操縦装置を竜也に渡して息絶えます。

3001年の世界に戻ったユウリらを待っていたのは快適な世界でした。
ユウリの家族は殺されておらず幸せな家庭は健在でした。
アヤセの病気は治療法が見つかっており、適切な治療を受ければレーサーにも復帰出来ました。
ドモンは協会から追放されておらず格闘技選手のままでした。
ただシオンだけは母星の滅亡は地球外のことであったので運命は変わっていませんでした。
しかしユウリらはそれは自分の手で掴んだ明日ではないと思い、2001年に戻って竜也と共に自分たちの手で未来を作ることを選び、脱走を図ります。
これをリュウヤは執拗に邪魔をして、なんとか4人を2001年に戻さないように画策しますが、
結局、銃を突き付けたままアヤセと格闘した際、銃が暴発してリュウヤは自分の身体を撃ち抜いてしまい絶命します。

リュウヤが死に際に語った真実とは、
実はGゾードの暴走による30世紀の消滅の場合も、ギエンの暴走による20世紀の消滅の場合も、
どちらにしてもその時、20世紀の戦場でタイムファイヤーが死ぬことになっており、
そのタイムファイヤーとはリュウヤ隊長自身であったことでした。
2994年のGゾードの実験失敗時の時空の歪みを覗いてその運命を秘かに知ったリュウヤは、
自身の死の運命を回避すべく職務を利用して6年間、細かく歴史に介入していき、
直人をタイムファイヤーに仕立てて自分の身代わりで死ぬように誘導していったのでした。
その直人の死の運命が変わることを恐れてリュウヤは4人が2001年に戻ることを阻止しようとしたのですが、その結果、自分が命を落とすことになったのでした。

その後、4人は消滅しようとしている2001年に戻り、一人で戦う竜也と合流し、直人の死を知り愕然としますが、
明日を変えようとして変えられなかった直人の代わりに、2001年の消滅する運命を変えることを固く決意し、
ブイレックスを使った作戦でなんとかギエンの暴走を抑え込みつつ倒し、世界の消滅の危機を回避しました。
その直後、ユウリら4人の身体はまたその2001年から繋がって生まれた新しい3001年へと戻り始め、竜也の前から姿を消していきました。
そして一人残った竜也は、自分の生きる20世紀の先に確かにユウリらの生きる30世紀が繋がっていることを実感し、物語は終わります。

このように、この物語のクライマックスにおいては、ロンダーズ・ファミリーとの戦いは全く重要な要素ではなく、
真の黒幕は30世紀の時間保護局のリュウヤ隊長ということになります。
しかしリュウヤにしても30世紀の世界の消滅を防ぐために力を尽くしたことには違いなく、その結果、20世紀が消滅することになったにしても、それは彼が望んだことではなく、自然に生じてしまった運命でした。
ただ、その運命を分かっていながら、20世紀の方を救おうとはせず放置したのは冷酷ではありますが、
彼は所詮は30世紀の人間なのであって、20世紀を救う義理はありません。
ユウリ達も自分と同じように考えるだろうとリュウヤも思っていたようです。

ただ、その真意は自分の死の運命を回避したいというエゴでありました。
しかし、これは彼もまた自分の明日を自分の手でより良いものに変えたかっただけだといえます。
ただ、リュウヤの場合、そのために時空を超えることが出来るという特別な力を用いてアンフェアな操作を行ったことが仇となったのか、より良い明日は手に入らず、運命を変えることは出来ず、死ぬことになりました。
これについては直人にも同様のことが言えます。
直人も本来は20世紀には存在するはずのない30世紀の力を使って20世紀における自分の野心を実現しようとしたことはアンフェアであり、
そのためなのか、明るい未来は手に入らず命を落とすことになりました。

しかし、だからといって、時空を超えた力を正しく使った竜也やユウリらが明るい未来を得られたとも限りません。
ユウリらは幸せな30世紀を捨ててまた別の30世紀に戻っていきましたが、その30世紀が彼らにとって幸せなものである保証は全くありません。
竜也にしても、結局はいずれは父親の跡を継いで浅見グループに入り、父の決めたレールの上を進んでいくようです。
世界の消滅を防ぐことが出来たという点では、30世紀のリュウヤにしても、20世紀の竜也にしても確かに運命を変えることに成功しているのですが、
個人的な運命についてはさほどパッとした良い物に変わっているわけではありません。
ユウリらについてもその結末は曖昧になっています。

つまり、この物語では、「正義のヒーローが悪を倒す」というテーマが語られていないだけではなく、
それ以前に「正しいことをしていれば未来はきっと良い方向に変えられる」というテーマすらハッキリとは語られていないのです。
この物語で語られているのは、運命は基本的には変えられないかもしれないということです。
ただ、その運命を受け身ではなく自分の意思で選び取ったと自信を持って言い切れるほど自分の意思を持って懸命に生きれば、それは未来に真っ直ぐ繋がって行くということが、この作品では語られているように思えます。

このようなテーマは非常に大人向けで、子供には理解するのは難しいと思われます。
実際、タイムレンジャーはキャスティングも大人向けで、
2年前のギンガマンで出演者のイケメンが話題になったというのもあるが、
やはり大人視聴者に向けてのアピールとして、タイムレッド・竜也役の永井大やタイムブルー・アヤセ役の城戸裕次などをイケメン俳優をキャスティングしています。
そのように戦隊の男メンバーがイケメンとなれば戦隊ヒロインもビジュアルが重視され、ユウリ役は勝村美香のような美人女優が選ばれています。

こうなると子供人気はいまひとつだったかとも思われるでしょうが、
子供というものは分からないものに興味を持って惹きつけられる傾向もあり、
全員がそうでもないですが、一応は基本的に戦隊ドラマでもあり、一定数の子供もタイムレンジャーは喜んで見たようです。
それに加えて、ターゲットとしていた高年齢層の視聴者がじわじわと増えていきました。
普通はこのような1年通して放送する4クールドラマの場合、1クールか2クールの視聴率が高くて、3クール、4クールと進むにつれて視聴率は落ちていくものです。
しかしタイムレンジャーは1クールが低く、その後、2クール、3クールと順々に視聴率を上げていき、4クールが最も視聴率が高いのです。
これは普通は有り得ないことで、よほど内容が視聴者にウケなければこうはなりません。
ドラマ内容はやはり飛びぬけて素晴らしいものであり、実際、高い評価を得たのです。
しかし問題点も残しました。やはり玩具には魅力が無く、玩具売上は前作ゴーゴーファイブから激減してしまったのでした。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 10:16 | Comment(1) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

ガオホワイト

ガオホワイト.jpg





















スーパー戦隊シリーズ開始25周年記念ということで「タイムレンジャー」は、尻上がりに視聴率を上げていき、
その幅広い年代、特に高年齢層に支持された重厚なドラマ内容は極めて高い評価を得ました。
しかし玩具売上は前作「ゴーゴーファイブ」の92億円から一気に64億円まで落ち込んでしまいました。
制作側もタイムレンジャーは高年齢層狙いであったので幾分は玩具売上は減る覚悟はしていたでしょうが、
さすがにここまで一気に減るとは思っていなかったので、慌てたと思います。
そこで次の2001年度作品「百獣戦隊ガオレンジャー」を、今度は「シリーズ25作記念作品」という名目で大々的に盛り上げていくことになったのでしょう。

シリーズ第一作ということになった「ゴレンジャー」が1975年開始ですから、タイムレンジャーが25周年、ガオレンジャーが26周年ではありますが、
ゴレンジャーが2年放送し、ジャッカーとバトルフィーバーの間が1年空いていたりする関係上、ガオレンジャーが25作目ということになるのです。
25周年記念の次が25作記念というのも少しおかしな話ですが、玩具を売るため少しでもガオレンジャーを盛り上げねばならないのだから、これは仕方ないでしょう。

そして25作記念ということで、
タイムレンジャーが50話で物語が終わった後、タイムレンジャー終盤の視聴率はかなり良かったので、その視聴者たちをそのまま次のガオレンジャーの視聴へ誘導するため、
タイムレンジャー51話として特別篇も放送しました。
それはタイムレンジャーより前の歴代23戦隊の世界をタイムレンジャー5人がタイムジェットに乗って巡って視聴者に簡単に23戦隊を紹介していくという、時空移動可能な戦隊ならではの趣向でした。
ちなみにゴレンジャーとジャッカーが正式にシリーズ作品として作品中で言及されたのはこの時が最初です。
そして、23戦隊の紹介後、タイムレンジャー自身のことを紹介し、最後に25番目の戦隊としてガオレンジャーを紹介し、浅見竜也がガオレンジャーに「地球を頼んだぞ」と声をかけて引き継ぎをして終わるというものでした。
これが功を奏したのか、ガオレンジャーはタイムレンジャー終盤を更に上回る高い視聴率で始まります。

ところでタイムレンジャーが歴代でも特に異色な大人向けの作風となっていたのは、同時期に30分後の枠で平成仮面ライダーシリーズを立ち上げることになった「仮面ライダークウガ」を援護するためであったと思われますが、
結果的に「仮面ライダークウガ」は非常に好評となり、平成仮面ライダーシリーズは高年齢層を含む幅広い層に支持されて、順調に滑り出しました。
タイムレンジャーは役割をきっちり果たしたといえます。

このようにタイムレンジャーが1年限りの特殊な役割を担っていたことは東映でも周知のことだったでしょうから、
次の戦隊は再びノーマルな戦隊に戻るということはタイムレンジャーの企画段階から既に予定されていたのでしょう。
ノーマルな戦隊とは、「正義の戦隊が邪悪な侵略者や破壊者と戦って倒す」ということをストーリーの主軸とし、「正義の戦隊が邪悪な敵に勝つことが出来る理由」がテーマとなったゴーゴーファイブやギンガマンのような作品です。

ところが、ここで少し事情が変わってきました。
「仮面ライダークウガ」の序盤の成功によって平成仮面ライダーシリーズの方向性が早くも定まり、
メタルヒーローシリーズの系譜を引いたリアルで重厚な人間ドラマ重視の作風が今後のシリーズ作品でも描かれることもハッキリしてきたのです。
さて、そうなるとタイムレンジャーは当然としても、メガレンジャー以降のスーパー戦隊シリーズの作風ともかぶってきます。
何故なら、メガレンジャー以降のスーパー戦隊シリーズはメタルヒーローシリーズの影響を強く受けているからです。

「正義の戦隊が邪悪な敵に打ち勝つことが出来る理由を重厚な人間ドラマの中で繰り返し描いていく」というのが、メガレンジャー以降のスーパー戦隊シリーズの持ち味でした。
一方、平成仮面ライダーシリーズというのは簡単に言うと、「変身ヒーローになってしまった主人公や周辺の人物が敵との戦いや自身に関する謎解きを通して見出していく人生の意味を重厚な人間ドラマの中で描いていく」というのが持ち味になります。
こうして見てみると、タイムレンジャーはむしろ平成仮面ライダーシリーズに近い作風だったことが分かります。単純な勧善懲悪図式になっていないところがやや大人向けということなのでしょう。
しかし、これは戦隊の方もライダーの方も、どちらにしても「重厚な人間ドラマで描く」という点では同じことであり、双方ともメタルヒーローシリーズから発展したシリーズなのです。

この「重厚な人間ドラマ」というやつは、譬えれば脂をたっぷり使った肉料理のようなもので、こってりしたメインディッシュです。
メガレンジャーからゴーゴーファイブの時期というのは、日曜朝7時半からこれらこってり目の戦隊ドラマが出てきて、
8時からは「ビーロボカブタック」「テツワン探偵ロボタック」そして「燃えろ!!ロボコン」というように、軽いデザートのようなコメディー作品が出てきたのでバランスはとれていました。
しかし、「燃えろ!!ロボコン」の後番組として平成仮面ライダーシリーズが始まったことによって、日曜朝7時半から「タイムレンジャー」、8時から「仮面ライダークウガ」というように、2皿続けてこってりしたメインディッシュが出てくる羽目となってしまったのです。

朝からこれは腹に重そうです。
「タイムレンジャー」がかなり面白い内容だったにもかかわらず、最初は割と視聴率が低かったのも、このあたりが原因だったのではないかと思います。
たまたま「タイムレンジャー」が後半になってからいっそう面白くなっていったので視聴率は上昇しましたが、
主要玩具の登場は前半に集中していましたから、玩具売上の極端な不振の原因の1つとなっていた可能性もあります。
このような悪影響はライダーの方に出てくる可能性もあるわけで、
同じような重厚な作風のドラマを朝から二連発するメリットはほぼ有りませんでした。
すると、平成仮面ライダーシリーズはそのこってりした作風で滑り出したばかりなのだから、それをいきなり変更するわけにはいきませんから、
ここはやはりスーパー戦隊シリーズの方の作風をもう少し軽い前菜風にアレンジすべきということになります。
そうして出来上がったのが「百獣戦隊ガオレンジャー」です。

scan007.jpg「ガオレンジャー」という作品は、スーパー戦隊シリーズの玩具展開史上において1つの大きな画期となった作品でもあります。
それは「換装合体」という新たなロボの合体形態が出現した作品だからです。
従来は5つのメカが合体して1つの巨大ロボになると、それは完成形となり、そこからその巨大ロボが別の形に変化するということはありませんでした。
その巨大ロボが別の巨大ロボや巨大メカとスーパー合体して、全く別の超巨大ロボになるということは定番となっていましたが、これは最初の5体合体ロボとはまた別の単なる最終的な全合体形態でした。
また、合体途中の形態でも動かすことが出来たり、合体形態が2種類あったりすることは、たまには有りました。
しかし、これらは使用パーツは最初の5体のメカだけでした。

最初の5体のメカ以外のパーツを使って5体合体ロボの姿を変化させた唯一の例は、
カーレンジャーで1号ロボの両手両足パーツを外して2号ロボの両手両足パーツを替わりにドッキングさせたことが1回あっただけでした。
これは1号ロボの両手両足と2号ロボの胴体が大破して両方が戦闘不能になった時に緊急避難的にやった合体形態で、これ1回きりでした。
これにしてももともと存在した基本パーツの使い回しではありますが、
これがヒントになって、完成形のロボの両手両足のパーツを新たなメカで付け替えるという構想が生まれました。
しかし、その翌年のメガレンジャーからスーパー戦隊シリーズはドラマ重視路線に進んだため、この構想は実現が遠のいたのでした。

何故なら、この手足パーツの付け替え構想が実現すれば、
それらのパーツの1つ1つが独立したメカになりますから、物語の中で登場するメカの数は飛躍的に増えることになり、
それらのメカの登場に関わるドラマをいちいちやることになれば、戦隊メンバーの人間ドラマを描く時間が減ってしまうからでした。
メガレンジャーからゴーゴーファイブの頃にかけては、戦隊シリーズは「ヒーローをどのように描けばいいのか」ということの方が重要案件だった頃ですから、
メカに関するドラマにあまり多くを割けない状況でした。

しかし、平成仮面ライダーシリーズとの兼ね合いで戦隊シリーズの方では人間ドラマの比重を軽めにしようという方針となったことを受けて、
「ガオレンジャー」で遂に、新登場のメカによるロボの手足パーツの付け替えや、武装の追加などを行う「換装合体」が行われることになったのでした。
そして、玩具売上の回復が至上命題となったこともあり、どうせやるならとことんやろうということになり、
最終的には100個、ドラマにちゃんと絡む分だけでも20個以上もの厖大な数の換装パーツが登場することとなったのでした。

ただ、そこまで多くのパーツとなると、それがメカであれば置き場所にも困りますし、そもそもそんなにたくさん製作する必然性も乏しい。
そこで、このパーツはダイレンジャーの気殿獣やギンガマンの星獣のような、神秘的な生き物ということになりました。
それがパワーアニマルで、地球の大自然の精霊が動物の形で実体化したものです。
気殿獣とほぼ同じものといえますが、気殿獣のような伝説の聖獣ではなく実在の動物の形をしているので外見は星獣に似ています。
そのパワーアニマルにパートナーに選ばれた戦士による戦隊というコンセプトとなりました。

ここでダイレンジャーのように、まず戦士がいて、その戦士のパートナーとして気殿獣がいるというような形ではなく、
あくまでパワーアニマルがパートナーの人間を選ぶという形にしたのは、
戦士の人間ドラマを出来るだけ減らして、パワーアニマルを中心に据えたストーリーとするためでした。
つまり戦士は戦士たるべき確固としたバックボーンがあって戦士となるのではなく、経歴は特に何かに限定されるわけではなく、特に経歴自体に意味は無く、ただ単にパワーアニマルと心を通わせることが出来る相手だと、パワーアニマルによって認められた者だけが戦士になるのです。
要するに、戦士が何者であるのか、過去に何をやっていたのかは、ここでは大して意味など無く、ただパワーアニマルとの交流だけが大切なのです。
その象徴として、パワーアニマルによってガオレンジャーの戦士に選ばれた者は、過去も名前も捨てなければならないという設定になってます。

もちろん戦士の心の中で完全に過去や名前を捨て去ることが出来るわけではなく、
自分はどういう人間であるのかという自覚は有り、視聴者も彼らの経歴などもだいたいは把握しているのですが、
それでも彼らは戦士同士で会っている時は一切過去の話はしないし、本名も名乗らず、「レッド」「ブルー」などとコードネームでしか呼び合いません。
変身後はコードネームでしか呼び合わない戦隊というのは多くありますが、変身前も含めて徹底してコードネームでしか呼び合わない戦隊というのは、このガオレンジャーだけです。

実際のところ、そこまで徹底しなくても支障は無いと思うのですが、
それでもあえてそのような極端な設定にしているのは、劇中でさほど必然性があるわけではなく、
むしろ、そうすることによって個々の戦士同士の深い交流を描くような人間ドラマの生じる余地を減らすためであろうと思われます。
つまり、それだけ人間ドラマを減らして、パワーアニマルと戦士たちの交わるドラマを中心にストーリーを作っていこうとしているのです。

大自然の精霊であるパワーアニマルに選ばれる戦士たちは、基本的には自然を愛し、自然と触れ合うことが出来る者ですが、
この作品では例えばビーファイターの時のようにそういう側面が強調されているわけではありません。
そういう個人の資質面を強調し過ぎると人間ドラマが発生してしまうからです。
彼らはあくまで普通の一般市民で、経歴も統一性無くバラバラです。
ただパワーアニマルとの絆だけが共通した特徴で、その一点において彼らは戦士たる資格を持っているのです。

ではパワーアニマルは何のために彼らを戦士として戦わせようとしているのかというと、それはやはり地球の自然の精霊ですから、地球の自然や命を守るためです。
ここでオルグという敵の存在が定義されます。
オルグは地球を病気にさせて生命体を滅ぼしてしまう、地球の自然にとってはウイルスのような存在で、人間の邪悪な思念が生んだ存在だと設定されます。
オルグには角が生えており、昔は鬼と呼ばれたのはこのオルグなのです。
文明が進化して邪悪な人間が増えることでオルグの数は増え、あまりにもオルグが増えると地球は死んでしまいます。
そこまでいかなくても、オルグは破壊衝動の塊なので、生命体、特に人間を憎悪し、人間社会の破壊を目指します。
よって地球の精霊の実体化したものであるパワーアニマルは地球の生命体を守るためにオルグを駆除しようとし、
オルグが増えると、オルグを退治するために戦う戦士ガオレンジャーを選ぶのです。

scan004.jpgそして現代、爛熟した現代文明のもと、かつてないほどオルグの勢力が増す中、
ガオライオン、ガオイーグル、ガオシャーク、ガオバイソン、カオタイガーの5体のパワーアニマルは、
それぞれ1人ずつパートナーとなる戦士たちを選び出し、ガオレンジャーとしての戦士の力を与えてオルグと戦わせるのだが、
勢力を増したオルグとの戦いは熾烈を極め、5体のパワーアニマルは合体(百獣合体)してガオキングという巨人型の精霊王となってガオレンジャーと共に戦います。
そして、更に強力なオルグを倒していくためには精霊王を更に強化していかねばならない。
そのためには宝珠に封じられて各所に散らばる数多くのパワーアニマルを見つけて召喚し、それらを変形させて精霊王の腕や足としたり盾や剣などの武装として強化するしかない。
そしてオルグもそうしたガオレンジャー側の動きを阻止しようとしてくる。

こうしてガオレンジャーとオルグは戦い合いながらパワーアニマルの封じられた宝珠の争奪戦を繰り広げていくことになります。
このスリリングなバトルと、手に入れた宝珠を剣の鍔にはめて新たなパワーアニマルを召喚して新たな換装合体を行って、その度に繰り出す未知の技など、
こういう描写を何度も繰り返すことで、バトル関係だけで十分にエンタメ要素満載の物語が作れて、ビジュアル的にもCGを多用して非常に見応えのあるシーンが連発していきます。
これなら人間ドラマはほとんど無くても、十分に面白く退屈しない1年間の娯楽的な展開を作ることは出来ます。

ただ、それはあくまで表面的な描写に過ぎません。
ヒーロードラマとして最も大切な部分はこれだけでは満たされていません。
その大切な部分とは、正義の戦士たちがどうして邪悪なオルグに勝つことが出来るのかという理由です。
その理由とは、パワーアニマルとの絆が深いからということであり、自然を愛し自然に愛されている彼ら戦士たちは自然にとっての邪魔者でしかないオルグよりも強いということになります。
つまり、命を守ろうとする彼らの強く熱い想いが彼ら自身の心の闇に打ち勝ち、闇に染まって命を破壊しようとするオルグにも打ち勝つことが出来るという、
まぁメガレンジャー以来恒例の、いつもの理屈です。
ただ、いつもと違うのは、その理屈を裏付ける描写を重厚な人間ドラマの中で繰り返すことが出来ないという点でした。
ガオレンンジャーは人間ドラマの描写を少なくする路線だったからです。

その点についての解決のヒントは2つ前の作品「救急戦隊ゴーゴーファイブ」にありました。
「ゴーゴーファイブ」では、非常に熱いキャラであるマトイ兄貴が何かというと「気合いだ!」と叫び、暑苦しい断定的なセリフを撒き散らし、本来は複雑な物語を非常に短絡的にまとめ上げて加速させていきました。
それでいて、その命を守りたいという熱い気持ちが彼らの強さになっているということは十分に伝わりました。
いや、マトイ兄貴だけでなく、兄貴に引っ張られて巽兄妹全員が同じように熱く突っ走っていき、揃いのオレンジのジャケットを着て結束を強め、暑苦しい派手な名乗りをいつも決め、技の前に大声で決めゼリフを叫んでいました。
この異様な熱さは、ゴーゴーファイブの緻密な設定やストーリーから必然的に生じたものなのですが、
こうして生じたジャンプ漫画の主人公的な熱さが複雑なストーリーを短絡化させて加速していく作用を発揮したことも事実です。

ならば、これと同じ熱さを更に徹底的にド派手に持ち込めば、短絡化、簡略化されてしまったガオレンジャーにおける人間ドラマの薄さをカバーすることが出来るのではないか。
ガオレンジャーのメンバー全員をマトイ兄貴と同じような超熱血のジャンプ漫画主人公的な暑苦しいキャラにして、
命を守りたい熱く強い想いを、理屈ではなく勢いと雄たけびで表現させれば、
いちいちドラマの中で裏付けなくても、その熱い想いは実感のあるものとして視聴者に届くのです。
ならば、彼らがオルグに打ち勝つ描写にも説得力が生まれるはずです。

そのために、まずガオレンジャーは常に揃いのジャケットを羽織るようになりました。
ゴーゴーファイブとタイムレンジャーでも揃いのジャケットはありましたが、必ずしもいつも着用しているというわけではありませんでした。
しかしガオレンジャーでは常に揃いのジャケットを着て、その熱き結束をアピールするようになったのです。
ただ、全く同じ制服タイプにして常時着用にしてしまうとオーレンジャーの時のように各自の個性が無くなってしまいますので、
各自のパーソナルカラーを使って色分けはして、デザインもそれに合わせて多少変えてあるという改良は加えてあり、
厳密に言うと、同系デザインの色違いジャケットです。
この色違いジャケットはアパレル商品展開も出来たことから、ガオレンジャー以降、このスタイルが主流になります。

そして、名乗りも派手になりました。
マトイ兄貴が「人の命は地球の未来!燃えるレスキュー魂!」と叫んでいたように、
ガオレンジャーも、リーダーのガオレッドが「命あるところ、正義の雄たけびあり!」という、何かよく分からんけどやたらと熱いキャッチフレーズを叫んでから、全員が「あり!」と続き、
それから「百獣戦隊!ガオレンジャー!」と名乗るスタイルとなり、
しかも「ガオレンジャー!」と叫んだ時、画面に「牙吠」という書き文字が飛び出してくるという、まさにジャンプ漫画的な名乗りとなっています。
しかも、それだけでなく、このガオレンジャーにおいて初めて各個人にキャッチフレーズが配されて、それをいちいち全体名乗りに先立つ個人名乗りの前に叫ぶようになりました。
それがまた何かよく分からんけど燃えるフレーズで「灼熱の獅子!」とか「孤高の荒鷲!」とか、カッコよい感じで、
しかもこの個人名乗りの時もいちいちそのキャッチフレーズの書き文字が飛び出してくるのです。
この名乗り、燃えに燃えまくるのですが、フレーズやポーズなどはシンプルにしてあり、子供が簡単に真似できるようにしてあるのも、対象年齢を低めにしてある証です。

このジャンプ漫画的なノリでバトルに次ぐバトルが繰り広げられていくのであり、バトルと宝珠集め以外にはさほど大したストーリーというものはありません。
途中で追加戦士のガオシルバーが登場するあたりでちょっと過去のガオレンジャーの物語が出てくるぐらいで、
あとはもう、どんどん強さのインフレを起こしていく敵オルグの幹部たちとの壮絶な戦いの中でガオレンジャー達が何度も絶体絶命のピンチになり、
そのたびに熱く熱く叫び喚くと奇跡のような大逆転勝利を収めていくという、とにかく勢いとノリで突っ走っていく漫画的な娯楽バトル作品になってます。
終盤にはなんとガオレンジャー6人のうち4人が敵に殺されてしまうのですが、奇跡が起きて生き返ってしまうのですから、もう呆れるしかありません。
しかし、こんなことをやっていても大人気だったわけですから、このガオレンジャーという作品の熱さや勢いが、いかに世間に受け入れられていたかが窺えます。

scan012.jpgこのガオレンジャーの紅一点がガオホワイトです。
変身するのは大河冴という17歳の美少女ですが、
そもそも劇中で大河冴という本名を名乗るシーンがほとんど有りませんので、この本名はほぼ設定上のものに過ぎません。
過去の経歴も、鹿児島出身の現役女子高生で、
武術家の父親に幼少時から武芸十八般を仕込まれ、武道の勉強のために上京して一人暮らししていたところ、
ガオタイガーによって戦士に選ばれ、それ以降は学校はほとんど休学状態であるというような設定はあるのですが、
普段ガオレンジャーの仲間内でそういう話題を話すわけではないので、ストーリーにはほとんど関係してきません。

皆に「ホワイト」と呼ばれるこの少女は虎をモチーフにした白いバトルスーツを装着してガオホワイトとして戦い、
ガオタイガーというパワーアニマルをパートナーとしています。
なお、後に冴はガオエレファント、ガオディアスの宝珠も所持するようになります。
この作品における本名は視聴者の子供たちに分かりやすい記号のようなもので、
虎モチーフの戦士で虎型のパワーアニマルをパートナーにしているので、苗字も「大河(タイガー)」で、名の方も「牙」に近い文字の「冴」なわけです。
他のメンバーも同じで「獅子走」「鷲尾岳」「鮫津海」「牛込草太郎」「大神月麿」というふうにモチーフ動物の名前そのままの苗字と、それに関連のある文字を使った名の組み合わせになっています。
こうした徹底した分かりやすさがこの作品の特徴です。

ガオレンジャーの戦闘力は全面的にパワーアニマルの与えたスーツの力に依存しています。
メンバーの中には少女武道家である冴や、自衛隊員だった岳、力士だった草太郎など、それなりに生身でも戦闘力のある者もいますが、
獣医だった走や、フリーターだった海なども変身後に特に前述3人よりも戦闘力が劣るわけではないので、
変身後の戦闘力に過去の経験は何も影響は与えていないようです。
そもそも、ガオレンジャーになるには過去を捨てねばならない掟なのですから、それで過去の経験が変身後の能力に影響を与えるのでは矛盾してしまいます。

だから冴が武道をやっていたことはガオホワイトとしての戦い方に全く影響は与えておらず、
その戦闘スタイルは森の獣であるホワイトタイガーの化身らしく、スピード重視の変幻自在なものとなります。
個人用のキャッチフレーズは「麗しの白虎」となります。
自分で「麗しの」とか言うのは結構恥しいですが、まぁこれは自分が麗しいわけではなく、ホワイトタイガーが麗しいということです。冴ちゃんも可愛いけど。

冴が武道をやっていたという経歴が劇中で活きているとすれば、
それは戦闘スタイルではなく、むしろ普段の立ち居振る舞いの方でしょう。
幼少時から武道家の父に厳しく躾けられたため、礼儀正しく、とても真面目でしっかり者です。
武道をやっていただけあって、正義感は強く、男勝りで一途な性格で、仲間や弱い物に対しては非常に優しく、
そして強くて可愛いわけですから、ヒロインとしてかなり優秀です。
ただ、しっかりしているといっても、礼儀正しいためにどちらかというとヤマトナデシコ風に控えめで、あまりガンガン仕切るタイプではないため、やや印象が薄いです。

だいたい、このような性格設定を活かすほどにドラマ部分が充実しておらず、メンバー間の人間関係もそんなに深くありません。
そのうえ、ガオレンジャーのメンバーは主人公の走を「動物の意思を理解できる獣医」という設定とするため、どうしても24歳にする必要があったためか、
全体的に比較的高年齢の設定になっており、19歳の海と17歳の冴だけが少し年齢的に離れており、
海が妙に草太郎と仲が良いため、冴だけがちょっと子供すぎて浮いた感じになりがちでした。
演じていた竹内実生は15歳でしたので、設定年齢以上に幼くも見えて、余計に浮いて見えました。
冴も年齢の近い海に気のある素振りを見せたり、
一瞬、月麿登場時に恋愛フラグのようなものが立ちかけたように見えたりするのですが、
これらは実際は何の進展も無く終わりました。
また、敵とのライバル関係もあまり確立されませんでした。

そのようなドラマ面の薄さは別に冴だけの問題ではなく、月麿を除く全員共通の問題でした。
ガオレンジャーはあくまでバトル中心の娯楽作品だったのです。
で、バトル場面になると全員、異様に熱血にシンプルになります。
各自にも、例えば岳はクールだとか、草太郎は臆病だとか、細かい性格設定は一応あるのですが、
いざバトルモードになると、そういう設定はどっかに吹っ飛んでしまって、みんな一様に熱血になります。
だから冴も上記のヒロインの鑑みたいな性格設定はどっかに消え失せて、単なる熱血野郎5人チームの中の1人の女の子になってしまうのです。

この熱血モードの冴も凛としていて決して悪くないのですが、
何せこの時は月麿も加えて6人全員が同じような熱血キャラになってしまうので、ほとんど差別化がされなくなってしまいます。
いや、メンバーの中にはこのバトルモード時にこそ妙にキャラを立たせる決めゼリフのようなものを持っている者が多いのです。
これはマトイ兄貴の「気合いだ!」と同じようなもので、
例えば走はなんでも「俺は獣医だ!」と叫んで片付けてしまうし、岳は変な英語混じり日本語を使い、
海は「ネバギバ!」、草太郎は「ドスコイ!」というふうに勢いで押し切ってしまうような定型句を持っています。
それに比べると冴は真面目というか大人しめというか、
そういう決めゼリフめいたものも全員で叫ぶ「勇気マンタンだぜぇっ!!」ぐらいしか無く、
そうなると同じような熱血キャラの中では埋没しがちとなります。

やはり基本的には女の子というのはこういう戦闘アクションドラマの場合は男性に比べて不利なわけで、何らか優遇はされるべきでしょう。
それはドラマ部分でヒロインとして立てるとか、それが出来ないなら、せめて弓矢を持たせたり、そういう優遇措置は欲しいところです。
冴の場合、そういう優遇措置がほとんど無く、他の男メンバーと全く対等に勝負しなければならなかったわけで、
そうなると後は役者の能力勝負みたいになってしまうのですが、
それなりに芸歴のあった男性役者陣に対して冴役の竹内実生はあまりに若く経験が乏しく、どうしても埋没することになってしまったのでした。

つまり、換装合体を中心に据えたバトル重視の作劇をあえて徹底したこの作品においては、
どうしても戦隊メンバーの正義のヒーローとしてのキャラ描写が犠牲になりがちになるのであり、
それを熱血モードを導入することでカバーしたものの、
あまりに熱血モードが共通の特徴になってしまったため、各自のキャラが薄くなってしまったのです。
それに対して男性役者陣は上手く対応して各自のキャラをなんとか立てていったのですが、
冴役の竹内だけは経験値の不足もあり、上手く対応出来ずにキャラが薄くなってしまったというところでしょう。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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テトム

tetom.jpg「ガオレンジャー」という作品は換装合体パーツをパワーアニマルという自然界の精霊のようなものとしたため、戦隊メンバーは自然と意思の交流を出来る者たちという設定となりました。
これは一種のシャーマン的な能力であります。
もともと人間には太古の昔にはそうした能力が備わっていたのですが、進化の過程でそうした能力は失われていきました。
こうして現代の人間たちはそうした自然との対話能力を失ってしまったのですが、突然変異でそうした能力を持った人間が生まれることもあります。
これを劇中では「ネオ・シャーマン」といいます。

パワーアニマルはオルグとの戦いが必要となった時、そういうネオ・シャーマンの資質を持った人間を見つけ出してガオレンジャーに指名していくのです。
現代のガオレンジャーに選ばれた走や冴などの5人もネオ・シャーマンなのです。
しかしネオ・シャーマンは隠された資質は有るものの、現代文明の中でその資質を自覚することなく暮らしてきていたわけで、
しかもパワーアニマル達は人間の言葉は喋れませんから、ネオ・シャーマンの資格者たちをその資質に覚醒させる導きはなかなか上手く出来ません。
そこでパワー・アニマルとネオ・シャーマン候補者たちの間を仲介して、ネオ・シャーマン候補者たちを最初に覚醒に導く役割の人間が必要となります。
これが「ガオの巫女」と呼ばれる者で、現代のガオレンジャー5人を導いたガオの巫女がテトムです。

ガオの巫女というのはパワーアニマルに仕える巫女で、
ガオライオンをリーダーとしたパワーアニマル5体と共に、空に浮かぶガオズ・ロックという不思議な島に暮らしています。
オルグの活動が活発でない時はパワー・アニマルと共にガオズ・ロックで眠りについており、
眠っている間は年をとらないようで、現代においてオルグの活動を察知して目覚めた時点で1022歳だそうで、
その外見が20歳代にしか見えないことからも、かなり長い間、眠っていたようです。
テトムの祖母もガオの巫女をやっており、1062歳になる昔のガオレンジャーであった月麿と知り合いであったようですので、テトムはガオの巫女を務める家系のようです。

テトム自身がパワーアニマルと意思を通わせることが出来るわけですから、
テトムもまたネオ・シャーマンなのであり、ガオレンジャーになる資質は持っているのでしょう。
ガオの巫女特有の超人的な力もあるようで、外見に似合わず大変な怪力の持ち主でもあります。
オルグに襲われて戦って撃退することも出来る戦闘力も持っているようですが、基本的には変身もしませんし戦いません。
どうもテトムの家系は、ガオの巫女という重要な役割を継承していくことを絶対の使命とした家系のようであり、
危険は避けてガオズ・ロックで務めを果たすことのみを優先させるもののようです。
よって、走や冴などのように現代の生活に交わることもせず、
ガオズ・ロックで生まれて、オルグとの戦いの必要が無ければ眠り続け、最終的にはガオズ・ロックで死ぬという一生を送ります。

ガオレンジャーに選ばれた5人もテトムやパワー・アニマル達と共にガオズ・ロックで暮らし、ガオズ・ロックと共に移動して次の目的地に移動していきます。
オルグのことや宝珠のことなど、必要な情報はだいたいテトムが教えてくれます。
つまり、テトムはいわゆる司令官ポジションにあたるのです。
外見は若い女性ですが、年齢は1000歳を超えてますから実際のところ貫禄は十分なのです。

そういうわけで、このテトムはガオレンジャーの仲間ではありますが、微妙にガオレンジャーとは立場が違う。
ガオレンジャーより少し立場が上な感じで、オルグやパワーアニマルや宝珠のことなど、戦いに必要な情報をガオレンジャーよりも多く知ってますから、かなりキャラは立っています。
その反面、現代社会のことを何も知りませんから、結構ズレたところがあって、ガオレンジャー達とのギャップがなかなか面白いです。
巫女とかいっても大して厳かなムードではなく、かなり感性のズレた明るい世話好きのお姉さんという感じで、
その素っ頓狂さと、時々織り交ぜるシリアスモードが程良く、かなりツッコミ所満載の良キャラです。
しかも行き掛かり上、時には敵と戦ったりもしますし、
追加戦士の月麿とも同じ1000年前の時代を知る仲間として因縁も有り、
熱血5人組のうちの1人ということでキャラが薄めだった冴よりも、テトムの方が物語においてはヒロイン的役割を果たしていたように思えます。

このようにガオレンジャーとパワーアニマルの仲立ちをするキャラというのは必要だったとは思いますが、
それがテトムのような若い女性の外見のキャラである必然性が物語的にはあったわけではありません。
これはやはり、ガオレンジャーという物語がかなり熱血バトル重視の少年ジャンプ風の硬派娯楽路線に傾き過ぎた作風であったため、
こうした脇のキャラで少し華やかさや柔らかさを出したかったということでしょう。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 23:28 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月07日

ハリケンブルー

ハリケンブルー.jpg





















「ガオレンジャー」はCGを多用した換装合体の描写が人気を呼び、玩具売上はタイムレンジャーの64億円から一気に110億円にまで増え、
以降は戦隊シリーズの玩具売上は100億以上が定番となります。
また、「ガオレンジャー」は、まるで少年ジャンプ漫画のような、シンプルでバトル中心の熱血娯楽路線のストーリーが子供から大人まで幅広い年齢層の人気を獲得し、非常に高い視聴率をマークしました。
その平均視聴率8%は朝7時半開始になって以降では最高記録となっています。

このように、確かにガオレンジャーは数字的には申し分ない完璧な結果を残したわけですが、これが戦隊シリーズの到達点というわけではありませんでした。
むしろ、かつてのゴーグルファイブのように新たな戦隊ドラマの基本型を示した作品であったといえます。
つまり、これを更に工夫してアレンジしていくのが、ここからの流れになります。

ガオレンジャーで良くなかった点というと、やはり戦隊メンバーのキャラ描写が弱かったという点でしょう。
いや実際は意外と印象は強いのですが、これは全員が熱くて濃かったために印象が強かっただけのことで、
ではどういうキャラだったかというと、イマイチよく分からないというのが実際のところです。
印象に残っているのは、とにかく熱かったことや濃かったこと、そして何度も繰り返される決めゼリフなど、かなり記号的なキャラの印象でしかありませんでした。
本当の意味でキャラクターを描いていないのです。

そこで次の作品では戦隊メンバーのキャラを生身の人間としてしっかり描くことが目標となるのですが、これがなかなか簡単には出来ないことです。
玩具展開は今回も換装合体パターンですから、それらを登場させますのでドラマ部分に割ける尺は少なめになります。
そうした限られた時間の中でやはり正義のヒーローなりの強さの理由に説得力を持たせるには、
ガオレンジャーの時と同じような熱血描写や派手な名乗り演出などは必要となり、
そうした定型表現みたいなものでもまた尺を奪われてしまいます。
そうなると残った尺で5人の戦隊メンバーの人間ドラマを描くというのは難しくなります。
人間ドラマといっても、仮面ライダーシリーズとの差別化という意味で、あまり重厚なドラマは描けませんから、
軽めのドラマということになりますので、ライダーの場合やタイムレンジャー以前の作品ほどには多くの時間が必要というわけではないのですが、それでも5人分のドラマを挿入するのは難しい。

そこで、3人戦隊にしてみようということになりました。
5人分のドラマでなく、3人分のドラマならば描けるというわけです。
ただ、ライブマンの時も3人戦隊で始めて結局は5人戦隊になったように、ヒーローショーの関係や玩具展開の関係で、やはり3人は少なすぎるので、途中から5人〜6人の編成にはしなくてはいけません。
しかし、とにかく序盤だけでも3人戦隊であれば、その3人のキャラはしっかりドラマの中で描くことが出来ます。
ただ、その場合、途中から2人追加されたとして、それ以降は初期3人は描き方が薄くなっていいのか、また、その追加2人は描き方は薄くていいのか、と何かと問題点もあります。
これはライブマンの時も問題となったことでした。

そこで、今回はあくまで主役戦隊は3人として、追加の2人は別の脇役戦隊ということにして、1ランク下の扱いにして、あえて格差をつけることにしました。
そうすれば主役3人は全篇通してしっかりドラマでキャラを描くことが出来ます。
そして追加2人に関しては、あくまで脇役で別戦隊扱いなのだから、扱いがやや悪くても不自然ではありませんし、
いくら扱いが悪くても、とにかく5人の頭数ではあるわけで、ヒーローショーの人数は増えますし、玩具の数も増やせます。

ただ、追加2人はあまりに扱いが悪いと存在意義自体が無くなってしまいますから、単なる補欠みたいな扱いにするわけにもいきません。
そこで、主役戦隊のライバル戦隊とすることにしました。
主役3人はどうせ少年ジャンプ漫画の主人公的な熱血キャラになるわけですから、
いっそ脇役2人の戦隊の方もジャンプ漫画の主人公のライバルキャラにありがちなクールでシリアスでカッコいい感じのキャラにして、互いに争わせ競わせればいいのです。
ジャンプ漫画の王道パターンというのは、熱血主人公が実力では自分よりも優れたクールなライバルと幾度も戦いを繰り返し、最終的には努力の成果や気合いや根性で実力差を跳ね返してライバルに勝利し、
ライバルも距離は置きつつも、やがて主人公のことを認めるようになり、主人公の危機の時にライバルが駆け付け、より強大な敵との戦いで共闘するというやつです。
これが一番少年たちの心を燃えさせるのです。
とにかく熱血路線でいくことは決定している以上、このジャンプの黄金パターンを使わない手はありません。

最初は未熟な熱血主役戦隊の3人組と、クールな実力者のライバル戦隊2人組とが、
最初はいがみ合い競い合うが、主役戦隊の方が優位な形で和解して、その後は共闘するという基本構想となりました。
これならば最初はライバル2人の方は敵なのですから、主人公側の視点で強さや嫌な印象だけ描ければいいので、そのキャラ描写に大して尺をとる必要はありません。
また和解以降も、あくまで主役は熱血3人組の方なので、彼ら3人メインのエピソードにそれぞれ相手役として絡ませていけば、そもそも性格が正反対なので面白いエピソードを作ることが出来て、彼らライバル2人組だけのエピソードはほとんど作らなくて済みますので、尺の節約になり、主役3人の人物を明るく熱血に軽いトーンで十分に描くことが出来ます。

一方、作品のモチーフの方は、とにかく玩具を売らなければいけませんから、これまでにシリーズで玩具がよく売れた作品のモチーフを使おうということになり、
それはだいたいファンタジー系戦隊および車関係の戦隊の方がよく玩具は売れていました。
ファンタジー系といえば恐竜(ジュウレンジャー)、動物(ダイレンジャーおよびギンガマン)、忍者(カクレンジャー)、古代文明(オーレンジャー)などがモチーフとして実績がありました。
このうち前作ガオレンジャーが動物モチーフを使っていましたから、あとは有望なのは恐竜、忍者、古代文明、そして車あたりで、
結局、今回は忍者をモチーフとすることになり、次回作は恐竜ということになりました。
こうして2002年度作品「忍風戦隊ハリケンジャー」は作られることになったのでした。

n-nanami061-2.jpg忍者がモチーフとなると、主役戦隊とライバル戦隊の争いは、2つの忍術の流派の争いということになり、
風神雷神をモチーフにして風を使った忍術の疾風流と、雷を使った忍術の迅雷流の2つの流派の忍術合戦が繰り広げられることになりました。
しかし忍術の戦いというと、まともに描くとアナクロなものになりがちなので、明るい作風とするために現代的に機械化・システム化されたネオ忍者のようなものを設定しました。
カクレンジャーのような幻術のようなものを使う忍術ではなく、カラクリ仕掛けの忍術です。
修行は超常的な能力を身につけるためのものではなく、忍術用のカラクリ器具やメカを円滑に扱うための訓練であり、そのための基礎となる体力や体術、戦闘術を鍛えるためのものです。

そうした鍛錬を行うための忍術の専門学校のようなものがあり、疾風流の学校と迅雷流の学校があって、
それぞれの学校を卒業するとその流派の免許皆伝となり、社会の様々な場所で現代の忍者の仕事に就職するのです。
それは諜報活動であったり、ボディガードのような仕事で、基本的には闇に潜んで悪を成敗する正義の仕事です。
この作品の主人公たちはそうしたプロの大人の忍者ではなく、まだ免許皆伝を受けていない忍術学校の学生たちということにし、
この物語は彼らの青春を熱く明るくケレン味たっぷりに描くことになります。

未熟で熱い主役3人組は疾風流忍術学校の落ちこぼれ3人組で、
クールで実力者のライバル2人組は迅雷流忍術学校の成績優秀だがはぐれ者のクールな2人組というふうに設定され、
クールな一匹狼気性の2人組が衝突せずに結束しているのは、この2人が血を分けた兄弟だからだということにしました。
ここで主役の疾風流の3人組が優等生だったら、この迅雷流兄弟との間で落差が生じず、物語に熱さが生じないので、どうしても疾風流3人組は劣等生でないといけません。

しかし、どうして落ちこぼれが流派を代表して戦う羽目になるのかが上手く説明がつかないので、
ここはかつて同じように落ちこぼれ3人組(正確には落ちこぼれは2人だが)が戦う羽目になったライブマンの例を真似ることにしました。
つまり、冒頭で彼らの所属する学校が彼らだけを残して壊滅してしまうのです。
ライブマンではアカデミアが壊滅して勇介と丈とめぐみの3人だけが生き残ったのですが、
それと同じように、この作品では疾風流忍術学校もろとも疾風流忍術そのものが落ちこぼれ3人組を残して壊滅してしまうのです。
壊滅させるのはライバルの迅雷流ではありません。
迅雷流がそれをやってしまうと、もう和解する余地が無くなってしまいますから、それはマズいのです。

疾風流を滅ぼしたのは宇宙から侵略してきた未知の宇宙忍者の集団で、ジャカンジャといいます。
そしてジャカンジャは迅雷流もまた同じように滅ぼし、迅雷流では実力者の2人兄弟だけが生き残ります。
このジャカンジャこそが、最終的に疾風流の3人組と迅雷流の2兄弟が共闘して立ち向かわねばならない真の敵です。
これで物語の構造は、疾風流忍術学校の生き残りの落ちこぼれ3人組を主人公とし、この3人が真の敵であるジャカンジャと戦いながら、迅雷流忍術学校の生き残りの実力者2兄弟ともライバル関係で競い合い、遂には互いに理解し合い、共闘してジャカンジャを倒すまでの成長を描くということになりました。

敵のジャカンジャの宇宙忍者という設定がブッ飛んでますが、
ドラマ部分が明るいトーンの熱血青春ドラマ風にしっかり作り込まれているのに対して、
総じてバトルシーンは前作ガオレンジャー以上に遊び心満載でケレン味たっぷりに描かれており、敵の設定もそれに合わせて結構ブッ飛んでいます。
だから宇宙忍者という有り得ないような設定もアリで、ジャカンジャは勢いで押し切ってしまえる比較的大所帯の個性派集団となっています。

このジャカンジャが忍術の究極奥義である「アレ」というものが地球に眠っていることを察知し、それを奪おうとして地球にやって来ます。
「アレ」を手に入れるためには地球を腐らせることが必要だと知ったジャカンジャの首領タウ・ザントは配下の幹部にあたる上忍の暗黒七本槍に命じて地球を腐らせる作戦を実行させ、
その邪魔となりそうな地球の忍者の2大流派の疾風流と迅雷流を奇襲して壊滅させます。

ところが疾風流の学校の落ちこぼれ3人組の椎名鷹介、野乃七海、尾藤吼太の3人は朝礼をサボっていたため難を逃れて生き残り、
ジャカンジャの襲撃を逃れた疾風流の忍者学校の日向館長の命を受けて、疾風流の伝説の忍者「ハリケンジャー」になってジャカンジャを討つべく強化スーツを授けられます。
館長はどうして戦わないのかというと、ジャカンジャの襲撃を逃れる際に変わり身の術でハムスターに化けて逃げたのですが、年のせいで元に戻る呪文を忘れてしまい、ハムスターの姿のまま元に戻れなくなってしまったからです。
それでも人間の言葉は喋れるので指令は下せるのですが戦うことは出来ません。
館長は娘で武器開発などが得意な忍者である日向おぼろの居るアジトに身を寄せ、生き残った落ちこぼれ3人にハリケンジャーになるよう指令したのです。
それは一見、背に腹を替えられなくなって仕方なく落ちこぼれに頼るしかなくなったように見えますが、
実際はハムスター館長はこの3人の潜在能力を高く買っていたのであり、だからこそこの3人にハリケンジャーとなるように命じたのです。

3人はこのハリケンジャーのスーツの力と、おぼろの開発した武器やメカを使ってジャカンジャの地球を腐らせる作戦のために送り込んでくる怪人に相当する中忍たちと頑張って戦います。ちなみに下忍は戦闘員に相当します。
潜在能力は高いものの、戦士としての意識の低い3人は最初は苦労しますが、次第に戦いにも慣れてきます。
そうした時、3人の前に謎の2人組が現れ、ハリケンジャーと似たような強化スーツの忍者姿になります。
彼らは疾風流と同時期にジャカンジャによって全滅したと思われていた迅雷流の生き残りの霞一甲、一鍬の兄弟で、実力者の彼らは迅雷流の奥義であるゴウライジャーに変身出来るのです。

鷹介たちは霞兄弟に一緒にジャカンジャと戦おうと持ちかけますが、霞兄弟は拒絶し、鷹介たち3人を攻撃し叩きのめします。
実は霞兄弟は迅雷流の中でもアウトローであり、正義や悪にはこだわらずひたすら最強の忍者を目指しており、そのためにジャカンジャ同様「アレ」を手に入れようとしていたのです。
そのためにはより強い者と手を組もうとしており、落ちこぼれの鷹介たちよりもジャカンジャと手を組み利用しようとしていたのです。
しかし、ジャカンジャと一時手を組んだゴウライジャーも、ジャカンジャが自分たちを利用しようとしているだけと気付き、離反し、独立してジャカンジャと戦い始めます。
こうして、ハリケンジャー、ゴウライジャー、ジャカンジャの三つ巴の戦いが始まったのです。

scan47.jpgこのハリケンジャー3人組の紅一点が野乃七海で、18歳の美少女ですが、ハリケンブルーに変身します。
ジェットマンのブルースワロー以来、久々のブルーのヒロインです。
どうしてブルーヒロインなのかというと、どうもこのハリケンジャーはその物語導入部の設定がライブマンのオマージュである関係なのか、3人のモチーフがライブマンに準拠していて、
鷹介は天宮勇介と同じタカがモチーフで赤いスーツ、吼太は大原丈と同じライオンがモチーフで黄色いスーツ、そして七海は岬めぐみと同じイルカがモチーフで青いスーツという風になっているのです。
だから七海はブルーのヒロインで、しかもこの陸海空の属性がこの作品の場合はそのまま空忍、水忍、陸忍という忍術のカテゴリーにも対応していて、
七海は忍術学校の水忍科に所属していた水忍という設定で、水を使った忍術を得意としています。

ハリケンジャーにおいても前作ガオレンジャーに引き続き、個人の名乗りの前に個々のキャッチフレーズが入るのですが、
七海の場合のキャッチフレーズは「水が舞い、波が踊る」で、その後「水忍、ハリケンブルー!」と名乗る。
そういう感じで3人名乗った後、「人も知らず、世も知らず、影となりて悪を討つ!忍風戦隊ハリケンジャー!あ、参〜上〜!」と全員で名乗るのですが、
変身シーンからこの名乗りシーンまで、かなり凝った映像になっていて、華美な和風テイストで、遊び心満載で、名乗り文句もポーズも複雑で、傘を投げて回したりとか、高度なことをやっています。
前作のシンプルさとはだいぶ違い、この作品が前作よりは少し対象年齢を上げているのが分かります。

七海たちハリケンジャーの3人は別に代々続いた忍者の家系というわけでもなく、全く普通の家に生まれた普通の若者で、
忍者というものを単に就職先と捉えて、忍者になるのもいいかもしれないというぐらいの漠然とした軽い気持ちで、そのための専門学校として忍者学校に入学しただけでした。
忍者学校の生徒には彼らと同じような軽い気持ちで入学している生徒も大勢いたと思われます。
ただ彼ら3人は一応学校側からスカウトされており、当初から潜在能力は認められていたようですが、入学後、予想外の厳しい修行について行けずに落ちこぼれてしまったのでした。
つまり厳しい修行があるということも予期できなかったぐらい、あまり深く物事を考えていなかったということです。
特に七海は3人の中で最も思慮の足りない子で、同じイルカモチーフのブルーヒロインでも岬めぐみとは正反対のキャラといえます。

前作ガオレンジャー同様、バトルシーンでは3人とも熱血キャラですが、
普段は鷹介が熱血で突っ走り気味キャラ、吼太は慎重で思慮があるキャラとなっており、七海も突っ走り気味のキャラなのですが、
鷹介が頭に血が昇って思慮が足りなくなるのに対し、七海の場合は飄々としていて思慮が足りない。
ちなみに吼太は思慮はあるがいろいろ考え過ぎて結局は決断出来ない。
要するにみんなダメな奴らなんですが、おそらく一番アホなのは七海です。
アホなくせに、明るく素直な性格ゆえに変にポジティブで勝気でプライドが高く、やる気満々で色々やるのですがヘマばかりという始末です。
それでも持ち前の明るさとポジティブさであまり凝りないのが七海の長所というか短所というか、何と言うべきか分かりません。

忍者学校が壊滅してハリケンジャーになるよう命じられ、しばらく普通の生活を送って待機しているように言われていたところ、
街で芸能プロダクションのスカウトに引っ掛かって、何時の間にやら新人演歌歌手としてデビューしてしまっていたりしており、
七海はどうも自分が可愛いことに変に自覚的で、尻が軽いところもあります。すぐ詐欺に遭いそうなタイプです。
ただ、何でもやる気満々になってしまう性分ゆえ、結構真面目に演歌歌手として頑張っていたりして、精力的に地道な営業活動に励み、地味な下積み生活を送っています。

こうした呑気な落ちこぼれの七海たち3人組は伝説の忍者ハリケンジャーにいきなり任命されて張り切り、ジャカンジャと戦い始め、
最初は未熟者ゆえにギクシャクしたりしますが、戦いの中で少しずつ成長していき、結束も強くなっていきました。
そこに現れたのが迅雷流の生き残りの霞兄弟、ゴウライジャーでした。
霞兄弟は迅雷流の忍者を父に持ち、最強の忍者への夢にとりつかれた父の妄執によって子供の頃からスパルタ教育を受けて歪んだ性格をしており、
そうした彼らから見れば、疾風流の落ちこぼれ3人組はふざけているようにしか見えなかったようで、軽蔑と嫌悪の対象でしかなかったのです。
だから手を組むなど有り得ない話で、もともと犬猿の仲のライバル流派ですから、叩きのめす対象でしかありませんでした。

最初はゴウライジャーがジャカンジャと手を組んでいたこともあり、ハリケンジャーの3人もゴウライジャーを敵視していましたが、
ゴウライジャーがジャカンジャと手を切ると、ハリケンジャー3人はなんとかゴウライジャーと手を組もうとし、
そのためにはゴウライジャーにハリケンジャーの強さを認めさせなければいけないということで、鍛錬してゴウライジャーに追いつこうと頑張り始めます。
物語の前半はこのハリケンジャー3人が頑張ってゴウライジャーに自分たちを認めさせ、仲間になるストーリーが描かれるわけです。

ハリケンジャー3人組のテーマは「成長」ですから、ここで制作陣はこの3人組のキャラにバックボーンをあまり与えませんでした。
つまり3人とも忍者学校に入る以前の過去はほとんど曖昧なのです。
過去の経歴などで最初にキャライメージを固めてしまわずに、物語の中でドラマを演じながら役者と共にキャラにも成長していってもらおうとしたのです。
これは、今回の作品ではしっかりとドラマを作ろうという意図があったからでもありますし、
その場合は新人同然の役者には最初にキャライメージを固定させない方が良いと思ったのでしょう。

ただ、このやり方の場合、ハリケンの3人組はほぼ全くの新人であったので、最初の頃はキャラがなかなか掴めず手探り状態となります。
それは製作サイドとしても想定内のことで、1年かけてゆっくり育っていってくれればいいと思っていたのですが、
そうやって主役3人がまだいまいちパッとしていない間に、脇役のはずのゴウライジャーの2人が非常に人気が高くなってしまいました。
ゴウライジャーは暗い過去設定など、バックボーンのハッキリしたキャラだったので演じやすくキャラも掴みやすかったのでしょう。
それに、やはりダークな部分のあるクールなヒーローって格好いいのです。
だからゴウライジャー登場当初は、ゴウライジャーばっかり美味しくて、主役のハリケンジャー3人がゴウライジャーの引き立て役のようになってしまいました。
しかし、ここで主役3人の役者がゴウライジャーに負けてはいけないと発奮することこそが制作側の狙い通りなのであり、
ここから役者陣の発奮成長と共に七海ら3人のキャラもぐんぐん成長していきます。

そうして紆余曲折あって中盤でゴウライジャーが仲間に加わったところで、物語としては1つの大きなテーマがここで一段落してしまったような形となります。
物語の根幹である2つの流派の若き忍者のライバル関係が落ち着いてしまったのです。
純粋に物語内容的には、ここから真の敵であるジャカンジャとの決戦が始まり、
味方側にも疾風流と迅雷流の奥で2つの流派をまとめる宇宙統一忍者流というものが登場してきて、それがジャカンジャの求める「アレ」の秘密とリンクしていき、ジャカンジャ内部でも「アレ」を巡って内紛が生じてくるなど、クライマックスに向けて佳境に入っていきます。
しかし、作品としての今までにない大きな特徴に2つの流派のライバル関係であったため、
それが落ち着いてしまうと、結局、前作ガオレンジャーとあまり大差無い印象となってしまいます。
この後の物語自体は非常によく練れていて面白いのですが、前半があまりに新鮮な面白さであったので、それが終わってしまっていつも通りの面白さになって、退屈と感じた人もいたようです。
前半は高い視聴率を維持していたハリケンジャーは、後半は次第に視聴率は落ちていくようになりました。
なお、玩具売上は非常に良く、前作ガオレンジャーを更に上回って、131億円もの売上を上げました。これはカーレンジャー以降の戦隊ではトップの売上です。

photo018.jpgそれはそれとして、キャラ的には、この中盤あたりにはハリケン3人の役者も役に慣れて成長もして、ここからこそ、3人のキャラはドラマの中で深まっていくはずでした。
ところが、予想以上にゴウライジャー2人が人気を獲得したため、この2人にもエピソードを割く必要が生じてきました。
また、中盤から登場した第六の戦士のシュリケンジャーが大人気となり、こちらにも尺を割くことになりました。
その上、ジャカンジャ内部のドラマも充実してきて、七本槍たちにも人気キャラが出てきて、そちらも色々描くようになり、
これらは皆、番組的には好評価を得ているということなので喜ばしいことなのですが、
せっかく主役戦隊を5人から3人に減らしてまでも深めようと思っていた3人のキャラ描写に割くドラマの時間が不足してくることになったのでした。
そうなると、どうしても割を食うのは七海と吼太になりがちで、
七海のキャラは更に成長はしていきましたが。当初予定していたほどにはその描写は深まらなかったのではないかと思います。

ただ、それでも七海というヒロインが歴代ヒロインの中でもかなり人気が高く印象深いヒロインであるのは、
その性格が明るく素直で屈託が無い点、いつでも一生懸命な努力家で、成長がハッキリと分かって強くなった点、
現役の芸能人でもあるという戦隊ヒロインとしては珍しい特徴、後半の霞一鍬との淡い恋愛描写で見せた可愛らしさなど、
ヒロインとしてハイレベルに達した点が多いからなのですが、
やはりドラマ部分の尺の不足を補う最も大きな役割を果たしたのが、変身後の姿でマスクが開いて顔が見える状態での演技がかなり多かったことです。

つまり、その形での演技の時は、七海を演じる長澤奈央がハリケンブルーのバトルスーツの中に入って演技しているわけです。
これはゴーゴーファイブでもゴーオンジャーでもそうですが、マスクオフで役者がバトルスーツ姿で顔出し演技している戦隊というのは、非常にキャラの印象は強くなります。
これは理屈ではなく、やはり顔が見える時間が長いというのは絶対的なアドバンテージなのです。
顔の一部だけ見えるゴーゴーファイブ、顔全体が見えるハリケンジャー、頭部全体が露出するゴーオンジャーという順に、どんどんそのアドバンテージは大きくなります。
それに演じている側も、スーツに入っている時間の分、他の作品で役者が演じている時間よりも長い時間、その役を演じているわけで、
演じる時間が長ければ長いほど、役との一体感は高まります。
その分、そのキャラを巧みに表現出来るようになるのは当然で、
ドラマ部分は尺が足りなくても、それをカバーして、その足りない時間でも一定程度はキャラを表現出来てしまうようになるのです。

そして更に七海というキャラがそれら顔出しが多いヒロイン達の中でも際立ったアドバンテージを得ていた最大の理由は、
その顔出し時に着るバトルスーツのデザインが秀逸、というよりハッキリ言ってエロかったからです。
身体にピッタリのソフトスーツという点では他のヒロインと同じですが、
ハリケンブルーのスーツはミニスカートから下の脚部が上体と同じソフトスーツ生地ではなく、おそらく忍者装束を意識した鎖帷子仕様なのでしょうが、
見た感じ、生足に網タイツを履いているように見えるのです。これがなんともエロい。
長澤奈央がナイスバディであったので、なおさら色っぽさを感じます。
これもやはり七海というヒロインが強烈な印象を残している大きな理由といえるでしょう。

これは、まぁ子供目線ではなく、大人目線のヒロイン人気ということになるのですが、
この頃には大人目線の人気も無視出来ない要素となっていたのです。
20世紀末あたりから少子化が進んでおり、子供番組とはいっても、子供だけをターゲットにしていては視聴率を稼ぐのは難しくなりつつありました。
そういった文脈で高年齢層にも受ける内容の平成仮面ライダーシリーズは好調だったのであり、
同じスーパーヒーロータイム枠の戦隊シリーズの方にもライダーの高年齢視聴者は流れ込んできており、そうした層のニーズにもある程度は応える必要もありました。
それに玩具だって実際にお金を出すのは若い親たちであり、少子化の厳しい時代だからこそ、そうした若い親世代へのアピールも必要でした。

そういう意味合いで、戦隊シリーズでもタイムレンジャーのあたりから明確にイケメンを戦隊メンバーにキャスティングする路線に変わってきており、
女性キャストに関しても、ガオレンジャーは冴とテトムの実質2人のヒロインが戦隊側に居り、
ハリケンジャーにおいても戦隊側には七海だけでしたが、ジャカンジャ七本槍の中にダブル悪のヒロインともいえる子ギャル系のフラビージョとグラマー美女系のウエンディーヌの2人が居り、
若いお父さん層や思春期男子層を意識して、美女系タレントのキャスティングに頼るところは多かったといえます。
七海というヒロインの人気には明らかにそういう要素があり、そういう要素が戦隊ヒロインに明確に見えた最初の顕著な例といえるかもしれません。

言わば、戦隊ヒロインを魅力的な女性として見ようとする大人の男の視線に対する「媚び」の要素が明らかに見えるヒロインというやつです。
これは別に悪い要素ではありません。女性の魅力には媚びというものも当然含まれています。
これが戦隊ヒロインとしての元来の必須の要素を損なわない限りは、媚びによって、むしろ新たな魅力が加わったと見ていいと思います。
そういう意味で、七海は媚びによって全くヒロイン性は損なわれておらず、逆に媚びの要素が加わったことによって非常に魅力的なヒロインであったといえます。
また、この媚びの要素が加わることで、恋愛描写が自然に描きやすくなります。
それで七海も一鍬との恋愛エピソードが嫌味なく描写できたのでした。
やはり女性は恋愛をすると魅力的になりますので、これも、まぁやり方次第ではありますが、ヒロインの魅力を高める1つの方法ではあります。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 02:12 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月09日

アバレイエロー

アバレイエロー.jpg





















スーパー戦隊シリーズの2002年度作品「ハリケンジャー」は、終盤こそ視聴率は落ちたものの、全体的には視聴率は好調で、
玩具売上では前作「ガオレンジャー」から更に飛躍して伸び、成績としては大成功を収めました。
物語の中身も、子供も大人も楽しめる、エンタメ度も高く重厚さもあり、キャラも皆立っており、バランスの取れた良作であったといえます。
新たに「ガオレンジャー」で踏み出した、換装合体と熱血戦隊を核としてエンタメ度の高い少年漫画的ストーリーを展開するという路線の、絶妙なバランスの産物のような作品であったと思います。

一種の成功フォーマットといえます。
ならば、このパターンで中身を微妙に変えていくのがシリーズを継続していく安全策のようにも思えます。
しかし、これは違います。そういうことをしているとマンネリに陥るのです。
実際、スーパー戦隊シリーズは過去に80年代後半にはそうやってマンネリに陥ってしまったことがあるのです。
視聴者は制作者が同じような作品ばかり作っていると、すぐに飽きてしまいます。
同じようなフォーマットを繰り返すのは2〜3年が限界でしょう。
だから、常に冒険し、新しいフォーマットに挑戦していかねばならないのです。

特にハリケンジャーのような成功作の後こそ、少々の失敗は許容されるタイミングなのですから、無茶な冒険をすべきチャンスなのです。
そしてもし失敗すれば、次は安全策を選べばいいし、
失敗しなかったとしても、冒険作の後はあえて深追いせずに安全策を選ぶことが出来ます。
何故なら、冒険作の次に安全策をとれば、それは冒険作とは違うフォーマットになるのでマンネリ感はあまり無いからです。
だから、後で安全策をとりやすくするためにも、成功作の後はあえて安全策はとらず、冒険するのが一番賢明なのです。
「どうして成功の公式を掴んだばかりであえて無茶をするのか?バカではないか?」と思われがちですが、実はこういう無茶は長い目で見れば合理的な判断なのです。
成功作の貯金があるうちに、色々なことを試しておくのは有意義です。
そしてその冒険の結果、教訓や改善点が見つかるのです。
2003年度作品「爆竜戦隊アバレンジャー」という作品は、こういう意味での無茶をした作品であり、しかもそれなりの数字的な成功は収めてしまった作品なのです。

「アバレンジャー」という物語の骨格部分は、邪命体エヴァリオンという敵組織の異次元からの侵略に対して、ダイノガッツという強い精神エネルギーで変身するアバレンジャーという戦士が戦うという熱血ストーリーです。
ダイノガッツというのはこの作品の造語で、人間誰でも持っている精神エネルギーとのことだが、これが大きくないとアバレンジャーにはなれない。
ただ、アバレンジャーになれる人となれない人の間でダイノガッツの質に差があるわけではなく、その量の差があるだけなので、頑張ってダイノガッツを増やせばダイノブレスをつければ誰でもアバレンジャーになれるという設定になってます。
ダイノガッツは無限に湧いてくるエネルギーで、増やしたり減らしたりも出来ます。
実際、第一話で正規メンバーでない一般人のスケさんとえみポンの2人がダイノブレスを装着して首から下まで変身しています。
この2人はある程度はダイノガッツが多かったようです。
結局、正規メンバー以外でアバレンジャーになった者はいなかったが、この設定はどう見てもダイノブレスの販促のためのものでしょう。
ダイノブレスをつければ誰でもアバレンジャーになれる可能性があるという夢の膨らむ設定は、子供たちのなりきり願望をかなり刺激するものだからです。

で、このダイノガッツですが、アバレンジャーへの変身後に感情の昂ぶりによってダイノガッツが更に増幅するとアバレモードという強化形態となって野性味が増すことから考えて、おそらくその正体は「荒らぶる心」のようなもので、「悪に対する正義の怒り」と解釈すればいいでしょう。
つまり、アバレンジャーという戦士は激しい感情を剥き出しにして戦う戦士、つまり熱血なのです。
ガオレンジャーから始まりハリケンジャーに続いた熱血戦隊の後継者なのです。
そうなると、ガオやハリケンと同じでロボは換装合体系ということになりますが、まさにその通り、このアバレンジャーも思いっきり換装合体系です。
それもガオのパターンに近く、個々の換装パーツがメカではなく生き物という設定で、今回は恐竜がモチーフになってます。
動物、忍者と来て、次は恐竜と、90年代ファンタジー戦隊の売れ筋モチーフのローテーション第三弾というわけです。

恐竜モチーフといえばジュウレンジャーですが、あの時のメカに相当した守護獣は恐竜そのものではなく恐竜の神様のようなものだったが、
このアバレンジャーでも恐竜そのものではなく、恐竜が独自の超進化を遂げて金属状のボディを持った爆竜というものが換装パーツとなります。
爆竜が合体して巨大ロボになったり、その換装パーツになったりするのです。
ここまでならばガオレンジャーとそう大差は無い設定です。パワーアニマルが爆竜に入れ替わっただけです。
しかし、ここでアバレンジャーは第一の無茶をします。
この爆竜たち、全部で12体いるのですが、超進化の賜物なのか、こいつら全部セリフを喋れるようにしたのです。

パワーアニマルも意思を持ったキャラクターではありましたが、人間の言葉をペラペラ喋るようなことはありませんでした。
ガオレンジャーのメンバーが彼らと意思疎通が出来て、彼らの意思を独り言のような形で翻訳して視聴者に教えてくれていただけでした。
だからそこには活き活きとした会話というものはありません。
しかし、アバレンジャーでは爆竜が人間の言葉を喋って話しかけてくるので、視聴者にも見える形で丁丁発止の会話が展開されます。
しかもこの爆竜たちのキャラが神々しい神様風のキャラではなく、かなり人間臭い俗っぽいキャラになっていて、
それぞれの個性もバラバラで、語尾にはそれぞれ特徴的な言葉をつけるので、その言葉は人情味溢れる軽妙なものとなり、キャラもよく立ちます。

scan014.jpg何故こんな設定にしたのかというと、それはもちろん爆竜玩具の販促のためです。
ジュウレンジャー以降、キャラクター性の強いメカほど売れるというのは明らかでしたから、
究極にメカのキャラクター性を高める方法は肉声で喋らせることだということは分かっていました。
しかし、1つ大きな問題がありました。
巨大メカは当然大きいので、日常場面では登場しないということです。
登場するのは巨大戦の場面だけです。しかも巨大戦が始まると、そんなに込み入った会話をするヒマなどありません。
だから巨大メカを喋ることが出来る設定にしても、あまりその設定を活かすことは出来そうもなかったのです。
その問題点をアバレンジャーでは、ダイノブレスから爆竜の声が聞こえるという設定でクリアーしたのです。

爆竜はその巨大な本体そのものが人間の言葉を発するわけではなく、アバレンジャーが常に腕に装着しているダイノブレスを通して語りかけることが出来るのです。
こうすればその場面に爆竜の本体が居なくても、爆竜は言葉だけでその場面に参加することが出来ます。
つまり日常的な場面に自由に爆竜のキャラは登場しアバレンジャーと丁丁発止の会話を出来ます。
ブレスを通しての会話ですから、基本的にはブレス装着者であるアバレンジャーの1人と爆竜1体とのマンツーマンの会話になりますが、
アバレンジャーが一か所に集まっていれば爆竜同士の会話も披露出来ますし、
ブレスを通して語りかける爆竜が小刻みに交替していくことで爆竜同士の会話も出来ます。

これで爆竜は通常の換装パーツよりも更にキャラが立ちますから、その玩具は大いに売れるはずです。
しかし、これが無茶だというのは、これが12体もいることです。
こんなものが12体も出てきて30分番組の中でペラペラ喋り出したら、肝心のアバレンジャー本人たちのセリフの時間が圧迫されるのは必至です。
ただでさえ換装合体系の作品では登場メカ数が増えるので、トータルでその登場や活躍のシーンに割く尺が食われるのに、そのメカがいちいち喋るのですから、これは大変です。
換装合体系作品の場合、この不利に対処するためには戦隊メンバーを熱血キャラにして勢いで押し切るのが良いことはガオレンジャーで学習し、
3人戦隊にすることでメンバーのドラマも描く余裕が生じるというのは前作ハリケンジャーで学習しました。
しかしアバレンジャーでは爆竜が喋る分、更に工夫が必要になります。

これは、3人のメンバーそれぞれにメインパートナーとなる爆竜を1体設定し、主にこの3体を普段は喋らせるようにして、
この3体のキャラ設定を、それぞれパートナーのアバレンジャーのキャラに対応させたものとすることでかなり解決しました。
つまりパートナーの爆竜は好き勝手なことを喋るのではなく、その爆竜が喋ることによってパートナーのアバレンジャーメンバーのキャラがより立つような役割を果たすのです。
これなら、人間側のセリフが減ることによって生じるデメリットを解消することが出来ます。
これなら何とかハリケンジャーのレベルの作劇が可能です。

ただ、まだ問題点はあります。
ヒーローショーや玩具ラインナップの関係上、3人戦隊で終わるわけにはいかず、戦隊スーツを着たキャラの増員は避けられないからです。
これについては前作ハリケンジャーでは序盤から登場するライバル戦隊ゴウライジャー2人を配して主役3人より扱いを軽くすることで1つの解決法としていましたが、
結果的には主役3人とほぼ対等の扱いのキャラとなってしまい、物語はむしろ盛り上がったものの、主役3人は割を食う形になってしまいました。

今回は司令官キャラのアスカが序盤でアバレブラックに変身するようになり(正確には変身能力を取り戻し)、
中盤でライバルキャラのアバレキラーが登場することで、物語の中では5人のアバレスーツ着用者が登場するようにはなります。
この2人が初期3人を食わないようにするのが無難な作劇だといえるのですが、
とにかくこのアバレンジャーという作品は無茶ばかりする作品なので、事態は全く逆の方向に進んでいきます。

まず、爆竜という存在は恐竜が超進化した存在なのですが、そうなると恐竜が進化するための場所が必要になります。
それはこの現在の地球では有り得ないわけで、
ここで恐竜の生息していた時代に地球に巨大隕石が落ちた影響で次元が歪んでもう1つの地球が生じ、
もう1つの地球は氷河期が到来しなかったため恐竜が滅びずに超進化を遂げて爆竜となり、
恐竜から派生して進化した竜人という人間によく似た種族が爆竜と共存して暮らす「ダイノアース」という世界が存在しているという設定が作られました。

このダイノアースが邪命体エヴァリオンによって侵略され、ほとんど支配されてしまいます。
ダイノアースをほぼ支配したエヴァリオンは続いて次元の壁を超えて地球(ダイノアースやエヴァリオンの住人は地球をアナザーアースと呼ぶ)へ向けて侵略を開始します。
その際、ダイノアースに住んでいた爆竜はエヴァリオンに操られて侵略の尖兵として地球に現れます。
それに対抗するため、ダイノアースでエヴァリオンに対するレジスタンスの戦士をしていたアスカという竜人の若者が地球へやって来て、
黒いバトルスーツ姿に変身して戦いますが、敗れて変身能力を失ってしまいます。

そこに、街で暴れる3体の爆竜の心の奥の救いを求める声に導かれた3人の地球の若者が現れ、
アスカは彼らこそが爆竜を正気に戻して共に戦うことの出来る大きなダイノガッツを秘めた戦士たちだと見定め、
持参していた3体の爆竜のパートナー用のダイノブレスを彼らに渡して赤・青・黄色のバトルスーツ姿に変身させたのでした。
このスーツの名称が「アタック・バンディッド・レジスタンス・スーツ」、
つまり無法な侵略者を攻撃するためのレジスタンスの着用するバトルスーツというような意味なのですが、
これを3人組やその仲間が勝手に略して「アバレスーツ」と呼び、自分たちのことを「アバレンジャー」と自称するようになったのです。
こうして3体の爆竜を正気に戻して共に戦い、エヴァリオンの侵略の尖兵を撃退した彼らアバレンンジャーは、アスカに頼まれて地球をエヴァリオンの侵略から守るために戦うことになったのです。

scan002.jpgこの3人組の紅一点が樹らんるという20歳の女の子で、アバレイエローに変身します。
もちろん、このアバレイエローというのもスーツ色が黄色いのでそう自称しているだけです。
「らんる」というのは何とも変な名前ですが、この3人の名前は全部、恐竜の生息していた地質時代名にちなんでおり、
アバレッドの伯亜凌駕は白亜紀、アバレブルーの三条幸人は三畳紀、そしてアバレイエローの樹らんるはジュラ紀にちなんでいるわけです。

このらんるは、福岡出身で元アイドルという設定ですが、このこと自体は別に大した意味はありません。
確かに元アイドルというのも納得の可愛いルックスをしていますが、
元アイドルという過去の経歴が活かされたような性格設定があるわけでなく、ストーリー展開があるわけでもありません。
ただ単に序盤にらんるの旧友のアイドルと絡むエピソードがあって、その際に実はらんるが元アイドルだったことが明かされるだけのことです。
これはメインライターの荒川氏がアイドル好きなので挿入した設定のようで、らんるのパーソナリティーに元アイドルという属性はほとんど影響を及ぼしてはいません。

むしろ、アイドルを辞めた理由とされる「機械いじりの方が好きだから」という設定の方が本編中のらんるの性格設定や行動には反映されています。
つまり、あまり女の子女の子していなくて、男みたいな性格でさっぱりしているということです。
といっても別にオッサン臭いわけではなく、元気な少年のようなキャラです。
素直で純粋で正義感が強く、いつも明るく元気で何事にも前向きで、機械いじりが好きで、スポーツサイクルを乗りまわすのが大好きな活発な美少女です。
そういう普通の男っぽい女の子がたまたま大きなダイノガッツを持っていたため、爆竜プテラノドンの声に感応し、アバレンジャーになることになったのですが、
さっぱり男っぽい性格に合わせて、髪型も少年っぽいショートめになっています。

機械いじりの趣味は単なる設定にとどまらず、結構アバレンジャー内でも役に立っており、
新しい武器や装備を作ったり、秘密基地の設計などもしています。
つまりチーム内のメカニック担当で、性格もさっぱりしているので、あまり仲間内で女扱いされないタイプですが、
女性らしい優しさはしっかり持っており、内心には乙女心だって有ります。
実はアスカのことを秘かに想っているのですが、告白も出来ないウブなところがあります。
機械いじりばっかりしていて恋愛経験は無いようです。
まぁ実際アスカの心は別の女性に向いていることはらんるは知っているわけですから、恋愛下手ならんるはそこに割り込もうなどという積極性はあまり無く、
むしろアスカの幸せを願ってアスカの恋を応援する始末で、健気で不器用な女の子なのです。

いつもニコニコして仲間内ではムードメーカーのらんるですが、本性は男勝りで負けず嫌い、強情な性格です。
特に悪に対しては厳しく、激しい怒りを示します。
感情が昂ぶると「せからしか!」などと博多弁が出ます。
戦いになると熱血イケイケになり、変身後、更に昂ぶってアバレモードになるとアバレスーツから翼が生えて空を飛んで敵を攻撃することが出来るようになります。
パートナーの爆竜はプテラノドンで、このプテラノドンの性格はらんると同じような男勝りで姉御肌で、らんるとの会話はポンポンとテンポ良く、互いのイケイケ度を高めていくような元気なものになります。

なお、らんるの個人キャッチフレーズは「勇気で驀進!」ですが、この言葉自体には大して意味はありません。
アバレッドの「元気莫大!」、アバレブルーの「本気爆発!」と合わせて「爆竜」の「バク」で語呂合わせしているだけです。
こうして3人名乗った後、「荒ぶるダイノガッツ!爆竜戦隊アバレンジャー!」と全員で名乗ります。

やや勝ち気でさっぱりしている傾向が強く、機械いじりが好きという変わった特徴は持っていますが、
こうして見てみると、らんるは模範的な元気系の戦隊ヒロイン的キャラで、
演じているいとうあいこが歴代ヒロイン役者の中でもトップクラスの美女であるので、さぞや人気の高いヒロインとなると予想されるでしょうが、
これが意外と印象の薄いヒロインとなってしまっています。
その原因としては、そのキャラを十分にドラマの中で描写することが出来なかったことが考えられます。
何故なら、このアバレンジャーという物語は、メインストーリーのアバレンジャーとエヴァリオンのバトル以外に、厖大な量のサブストーリーが派生してしまい、
そのせいでらんるや幸人のキャラ描写の尺がとられてしまい不足がちになったからです。
つまり前作でゴウライジャー関連で起きた事態が、もっと大規模に多岐にわたって生じてしまったのです。

まず、爆竜たちやアスカはダイノアースをエヴァリオンに支配されて地球に逃れてきた形になっており、
一種の難民で、地球では居場所がありません。
そうした彼らをアバレンジャーの支援者である杉下竜之介(通称スケさん)は自分の経営する飲食店「恐竜や」をアバレンジャーの拠点、そしてアスカや爆竜たちの安息の地として提供します。
ここにアバレンジャーの仲間の女子高生、今中笑里(通称えみポン)なども集い、疑似家族のような温かい関係が生まれます。

この「恐竜や」の、戦士たちやその仲間が帰ってきてリラックス出来る家族的雰囲気をはじめ、
恐竜やでは凌駕が姉夫婦の遺児である舞を娘のように育てていたり、
幸人の父子の確執があったり、アスカと恋人マホロや娘のリジェが敵味方に分かれていたり、
このドラマでは、やたらと家族に関する描写が多い。
制作側はこのドラマを家族ドラマとして捉えていたようなのです。
この家族に関する派生ストーリーが、やたらユルいのからシリアスなのまで幅広く、多く描かれています。
そもそもアバレンジャーはこの派生ストーリーのユルさやシリアスさの振幅がやたら激しいのが特徴で、
その振幅は同一エピソード内でも激しく揺れ動いているのです。
それだけ色んな派生ストーリーが縦糸になって同時進行し互いに関係していっているといえます。

そして、それにも関連していますが、
このドラマは妙に敵と味方、善と悪の境界が曖昧な面があり、それに関連した派生ストーリーも多々あります。
エヴァリオンの怪人であるヤツデンワニが何時の間にか恐竜やでバイトしているというユルい話があるかと思えば、
アスカの恋人であるマホロがエヴァリオンに騙されて、その手先、破壊の使徒ジャンヌとなってアスカと戦い、
アスカがマホロを救い出すために今度は自分が身代りに悪の化身となりアバレンジャーの敵となり、マホロは正気に戻って恐竜やに迎えられるが、
再び今度はアスカを助けるためにマホロがジャンヌに戻ってエヴァリオンにスパイとして入り込むなど、
目まぐるしくアスカとマホロの恋人同士がアバレンジャー陣営とエヴァリオン陣営を行ったり来たりします。
この間、アスカとマホロは散々行き違い、なかなか結ばれることはない悲恋物語なのですが、マホロがエヴァリオンにおいて生んだアスカとの間の子リジェも絡めた親子ドラマでもあります。

そして、なんといっても、このリジェにも深く絡んでくるこの作品における最大の問題キャラであるアバレキラーに関連する派生ストーリーも重大です。
天才的才能を持つがゆえに孤独な人生を送ってきた外科医で大きなダイノガッツの持ち主である仲代壬琴が
プロトタイプのアバレスーツを手に入れて強大な力を手にしてアバレンジャーに挑戦してくるのですが、
このアバレキラー壬琴はその強大な力を正義のためではなく、自分の刺激を求める心を満足させるためだけに使おうとします。
つまり、戦うことが目的化し、力に流されてしまっているのです。
そして壬琴は自分の暴走を止めようとしてくるアバレッドの凌駕の中にも自分と同じ力に流される性向が見えると言って興味を持ち、挑発します。

この壬琴は遂にはその強大な力でエヴァリオンまで掌握し支配下に置きますが、
自分の体内にエヴァリオンの首領デズモゾーリャの分身が宿っていることを知り、その力に酔い痴れますが、
それは実体を持たない存在であるデゾモゾーリャが実体を持って現れるために地球とダイノアースにそれぞれ1人ずつの者の体内に自分の分身を預けておいたからであり、
いずれは自身の出現時には器として利用しようとしていたからでした。
そして、その体内のデズモゾーリャの分身の作用で壬琴の過剰な才能は生じていたのでした。
そして、あまりに強大なパワーを持つために暴走する欠陥品のプロトタイプのアバレスーツを壬琴が装着出来ているのは、
デズモゾーリャの分身が体内にあることによって不死身の肉体を得ているからでした。

アバレキラーに変身するためのダイノマインダーは壬琴の腕から外すことは出来ず、
体内のデズモゾーリャの分身を取り除くと不死身の肉体を失い、ダイノマインダーの暴走を制御出来なくなり、その爆発に巻き込まれて壬琴は死ぬことになります。
そのことを知った凌駕たちも壬琴を救うか世界を救うか大いに迷いますが、凌駕は壬琴を救う道を選び、
もう1人のデズモゾーリャの分身の宿主とされていたリジェから全ての事情を聞いた壬琴は
自分の人生を狂わせてきたのはデズモゾーリャだと悟り
体内のデズモゾーリャの分身を抑え込んで自分の意思で生きると決め、アバレンジャーの仲間になり、
そしてアバレンジャーと共にリジェの体内のデズモゾーリャの分身を倒し、その出現を阻止します。

photo010.jpgこれで勝利したかに見えたのですが、デズモゾーリャはエヴァリオンの幹部達の身体を利用して再び出現し、
壬琴の体内の分身を取り出そうとします。
これに抵抗して壬琴は凌駕らのダイノガッツと自分のダイノガッツで自分の中のデズモゾーリャの分身を消滅させ、
5人のアバレンジャーはデズモゾーリャを倒しますが、
戦いの後、壬琴は不死身の肉体を失ったため、ダイノマインダーの暴走を抑えられなくなり、爆死します。

これがアバレキラーこと仲代壬琴に関連する派生ストーリーなのですが、
この壬琴がアバレンジャーの仲間になり最後に死ぬあたりというのは物語の最終盤のことで、それまではずっと壬琴はアバレンジャーの敵なのです。
第三勢力的なライバルキャラという意味では前作のゴウライジャーと似た立ち位置のキャラですが、
ゴウライジャーが中盤には味方になったのとは違い、
アバレキラーは最終盤までずっと敵のままで、味方になった途端、すぐに死にます。
そして物語もその直後、完結します。

これは最初から制作側としては狙っていた展開でありました。
というより、そもそもアバレキラーは当初は最後まで敵のままで殺そうとすら思っていたようです。
何故そこまで徹底して敵として扱おうとしたのかというと、前作でゴウライジャーを味方にした後、物語から刺激的要素が減ったという反省もあったからでしょう。
だから今回は最後までアバレキラーは敵ポジションで居続けさせることにしたのです。
実際、これが功を奏したのか、アバレンジャーはハリケンジャーのように終盤の視聴率が大きく下がることはありませんでした。

しかし、それはつまり、アバレキラー関連の上記のようなやたら濃厚な派生ストーリーが延々と最終盤まで続くということであり、
これが凌駕と壬琴を中心としたストーリーであったため、この2人の描写がやたら増えました。
また、もう1つの主要な派生ストーリーであったアスカとマホロの恋物語も最終盤までもつれこみますから、アスカとマホロの描写も増えました。
そうなると、当然煽りを食うのは幸人とらんるであり、
もともと雑多な派生ストーリーで出番が圧迫されていた2人は、この2大派生ストーリーの影響で決定的にキャラを描写する尺を失ってしまったのでした。
らんるが印象の薄いヒロインになってしまってるのは、このあたりが原因です。

しかし、それにしても、どうしてこのアバレンジャーにおいては、壬琴といい、アスカとマホロといい、善悪の境界が曖昧なキャラが多数登場しているのでしょうか。
この善悪の曖昧さは、まるで仮面ライダーの世界観です。

仮面ライダーというのは、悪の力を身につけた主人公が正義のために戦うようになるという物語であり、善悪の境界線が曖昧であるのが特徴です。
そうした基本的な世界観は平成仮面ライダーシリーズになっても受け継がれており、
「正義と悪の力の根源は同一で、その使用者の心次第で正義にも悪にもなる」という原則は継承されています。
こうした世界観の根底にあるのは一種の「疾しさ」です。
自分達の社会の正義に絶対の自信が持てない疾しさが、こういう思想を生みます。
仮面ライダーが生まれた1970年代初期というのはそういう時代でした。

そして、そういう時代が終わり、強大でよく分からないけど邪悪そうなソ連という侵略者の影に対抗して自分達の正義に絶対の自信を持たざるを得なかった冷戦時代終盤、1980年代になると、
仮面ライダーは姿を消し、戦隊シリーズがシンプルな勧善懲悪路線で伸びたのです。
その冷戦が終わり、1990年代になると再び正義は揺らぐようになり、仮面ライダー的な善悪の曖昧な世界観はメタルヒーローシリーズにおいて復活し、
戦隊シリーズはファンタジー路線を経てメタルヒーローシリーズの影響を受けるようになりました。
その間もますます正義は揺らぎ続け、遂に2000年にはメタルヒーローシリーズを引き継いで平成仮面ライダーシリーズが始まり、
非常に先鋭的な形で善悪が不可分の世界観が描かれるようになったのです。
この時期、その30分前の枠で放送していた戦隊シリーズは、ガオレンジャー、ハリケンジャーにおいては、あえて時代の風潮に背を向けて勧善懲悪路線に徹して、ライダーとの差別化を図っていたのですが、
やはり時代の流れに逆らうのは難しいもので、このアバレンジャーにおいては、遂にライダー的な善悪曖昧な世界観を大きく採り入れることになったのだといえます。

特に、アバレンジャーの準備時期であった2002年9月以降の一連の北朝鮮拉致事件の騒動は、決定的にこの社会の正義の信頼を損なう作用があったといえます。
これ以前は、何だかんだ言っても、正義は行使されてきたと見ることは出来ました。
オウム真理教テロは一般市民の中に悪が潜んでいるという恐るべき事件ではありましたが、それでも社会正義が執行されオウムはほぼ壊滅しました。
まだ正義は健在だと思わせるものはありました。
しかし、北朝鮮による日本人拉致というあまりに明確な悪に対しては日本の政府も含めて、世界中の誰も正義を行使することも出来ず、
拉致された人の大部分は戻ってこず、それどころか、北朝鮮側に立って怪しげな画策をする政治家や官僚が多数おり、
実は日本政府ぐるみでこれまで北朝鮮の犯罪を隠蔽し、協力までしていた疑いさえ出て来る始末でありました。

こうなると、もはや正義など存在しないと思われても仕方ない。
少なくとも、正義だけに期待し正義だけ唱えたところで、悪を倒すことは出来ない。
正義や悪にこだわらず、何でもやっていかねばならないという認識が主流になるのは当然でした。
そうした社会風潮を背景に、遂にスーパー戦隊シリーズでも2003年、善悪曖昧な世界観を導入し混然一体に煮込んだような怪作、アバレンジャーが生まれたのだといえます。
もちろん子供にはそんな背景事情は分かりません。
しかし制作者側が自らの作品にその時代の確かな正義の姿が込められていると思えねば、良いヒーロー作品など作ることは出来ないのです。

こうして作られたアバレンジャーは、しかし基本的にはガオレンジャー以来の熱血エンタメ路線の作品でもあるのです。
だから、そこにおける主人公たちも熱血正統派キャラであり、
ヒロインであるらんるも全く健康的で熱く明るく純粋素直な正統派ヒロインであったのです。
ところが、同時にライダー的な善悪曖昧で刺激的な世界観も派生ストーリーにおいて大いに採り入れてしまっているため、
主人公3人のキャラがこっちのライダー的な方の世界観に対応しきれていないのです。
それで、もともと多数の派生ストーリーを無茶に詰め込んで飽和状態になってしまっているところに、
主人公たちが派生ストーリーの中で上手く動けなくなってしまったため、物語がグチャグチャになって一種のカオス状態となったのでした。

もともと物語に異様に熱さや勢いがあったために、このカオス状態のまま突っ走ることが出来て、最終回まで何とか突っ切って、
結果的にはストーリー重視派のファンからは大ブーイングは受けることにはなりましたが、むしろカオスになった分、変な勢いがあって一般的にはおおむね好評で、
この年からライダーと枠を統合して「スーパーヒーロータイム」としたことによる連動性もあってのことか、
視聴率も全体的に高く、玩具売上も前作と同じ水準の130億円を売り上げたのでした。
ただ、ストーリーが細部では無茶苦茶になってしまったのは制作側は自覚しており、反省点にはなりました。さすがに無茶しすぎたのです。

らんるも全く普通の正統派の正義のヒロインであったために、
このあまり正統派の正義のヒーロードラマとはいえない派生ストーリーの展開には対応出来ないキャラとなってしまい、
アスカとマホロ、そして壬琴らの陥るシビアな状況を前にすると、単にオロオロと困ってしまうような場面ばかりとなり、あまり印象に残らなくなってしまったのでした。
いや、別にオロオロするのがいけないというわけではないのですが、オロオロするヒロインしかいないというのがいけないのです。
善悪関係無くシビアな判断を下せる、逆に言えばあまり正義のヒロインっぽくないヒロインがいて、更にもう1人、正統派の正義のヒロインがいれば、こういうシビアな場面でも両方キャラは立ちますし、
逆にメインの熱血バトルストーリーの方でも正統派ヒロインと非正統派ヒロインの両方ともキャラは立たせることは出来ます。

つまり、物語の中に正統派の正義のヒーロードラマではない要素が入って来るのならば、
それに対応したタイプのヒロインが正統派ヒロイン以外にも必要であったのに、
アバレンジャーにおいては正統派ヒロインのらんるしか居なかった。
これが結果的にらんるのキャラを印象薄いものにしてしまった最大の原因ではないかと思うのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 00:36 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今中笑里

emiri.jpg今中笑里は「アバレンジャー」に登場する恐竜やでバイトしている女子高生で、愛称は「えみポン」です。
実は最初にアスカが地球でダイノガッツを持った戦士を探していた時に、爆竜の声を聞いて駆け付けたのがえみポンと恐竜やの主人の杉下竜之介(スケさん)で、
ダイノブレスをアスカから受け取った2人はイエローとブルーのアバレスーツを装着しようとして首から下までは変身に成功するものの、
ダイノガッツが足りず、そこで変身解除してしまいました。
その後すぐに幸人とらんるが駆け付けて変身し、更に凌駕も現れて変身してアバレンジャーの初陣ということになり、
それを見ていたえみポンが「アバレンジャー」と命名しました。

これは「暴れているから」という安直な理由での命名でしたが、
その後、バトルスーツの正式名称が「アタック・バンデット・レジスタンス・スーツ」だと聞き、
略すると「アバレスーツ」だとえみポンが主張し、
結局、戸惑うアスカや幸人を押し切って「アバレンジャー」という呼称を定着させてしまいました。
そしてスケさんが恐竜やをアバレンジャーの拠点として使うことを提案すると、ちゃっかりえみポンもバイトとして居ついてしまいました。

えみポンはこのように異常にノリが良く、押しが強く強引な性格であるのです。
まぁ爆竜の声を聞くことが出来たということは、えみポンもある程度はダイノガッツが大きかったわけで、
首から下までは変身出来たというのも、それを物語っています。
だからアスカや爆竜たちの事情も一般人とは違ってよく理解出来ているわけで、深く共感し協力者となるには相応しい人物だと言えます。
そういう善意で協力者となっているのですが、それが異常に強引な押し掛け協力者のように見えてしまっているのは、その強引なキャラクターのせいもあります。

しかし、えみポンが強引に見えている最大の原因は、えみポン自身がいずれアバレンジャーに、それもアバレピンクになってやろうと虎視眈々と狙っているからです。
ちなみにピンク色のアバレスーツは無いので、アバレピンクにはなれません。
それでもアバレピンクを自称しているわけで、えみポンは相当のバカです。
実際、学校の成績はビリらしいので、本当にバカのようです。
まぁバカではありますが、ダイノガッツは確かに普通の人より多めに持っているので、自分もアバレンジャーになりたいと思うのでしょう。
要するに完全にギャクキャラで、コメディリリーフ的な役割だといえます。

バカでハイテンションのムードメーカーなので、いつも明るく戦士たちを迎えてくれる癒しキャラでもありますが、一歩間違うとかなりのウザいキャラでもあります。
まぁ出来は悪いけど純粋で憎めない馬鹿娘という感じなのですが、
こういうキャラを登場させた意図は、まずやはり恐竜やという一種の疑似家族空間を盛り立てる意味でしょう。
懐の深い父親役としてのスケさんと、元気でおっちょこちょいのバカ娘役としてのえみポン、そしてしっかり者で可愛い末娘の舞という3人がいて、
アバレンジャーや爆竜たち、果てはヤツデンワニやマホロ、壬琴まで、どんな相手でも温かくシンプルに受け入れるのが恐竜やの持ち味であり、
そのためにはえみポンは普通の分別や思慮のある女子高生では務まらない。
やはり何も考えていないようなバカがいいのです。

そして、もう1つ、えみポンやスケさんのような中途半端にダイノガッツを持ったキャラを登場させ、
第一回ではどう見ても凡人で脇役キャラである2人を途中まで変身させるという前代未聞の衝撃的シーンを披露したのは、
「誰でもヒーローになれる」というメッセージを視聴者の子供たちに送るためのものであったと思われます。
それは夢を与えると同時に、アバレンジャーというヒーローをより身近に感じてもらい、ダイノブレスなどの玩具販促につなげるという商業的狙いももちろんあったでしょう。
そのためにはえみポンやスケさんはいかにもヒーロー然とした美女や美男子ではいけないわけで、
いかにも一般人であるような冴えない外見である必要があったのです。

特にえみポンはその後も2回アバレピンクになろうとして失敗を繰り返したり、
潜入捜査などでは前線にも立って協力するキャラであったので、
中途半端にカッコいいキャラだったりすると一般人ではなくヒーロー側の人間に見えてしまいそうになる危険が高いので、
あくまで子供たちの身近キャラという立ち位置をキープさせ続けるために、
極端にデフォルメされたカッコ悪い馬鹿キャラとして造形されています。
それでいて不快感を感じさせないようにしなければいけないわけですから、なかなか絶妙のバランスで成立していたキャラだったのです。

ただ、制作側としては多少はアバレピンクの件では迷いがあったようにも見えます。
あるいはえみポンを追加戦士とする構想も無かったこともないのでしょう。
それで2回もえみポンがアバレピンクになろうとするエピソードを挿入していたのかもしれません。
少なくともそういう構想が消えた名残のようなものがそういうエピソードという形となって現れたのではないかと思えます。

実際、らんるという正規ヒロインは、あまりに明るく真っ当な正統派ヒロインであったために、
ややダークな面の多かった派生ストーリーの場面には対応しきれなくなっており、
逆にユルい場面ではえみポン同様、コメディリリーフ的存在になってしまっており、キャラが多少かぶっていました。
ならばいっそえみポンを正規ヒロインに昇格させて明るい元気癒し系の正統派ヒロインとし、
らんるはそのシャープなルックスに見合ったクールなヒロインへとキャラを変えてダークな派生ストーリーにもっと絡ませた方が、全体のバランスが良くなるように思えます。
そういう構想が少しはあって、それでえみポンがアバレピンクになろうとするというキャラ設定がとりあえずはずっと維持されていたのでしょう。
様子を見て、いつでもえみポンをアバレピンクに昇格させることは出来る準備だけはしておいたというところでしょう。

しかし結局、えみポンがアバレピンクになることはありませんでした。
1回目はエヴァリオンの怪人の術の副作用で(えみポンはよく怪人の被害に遭う設定)、変身魔法を使えるようになってしまい、
変身呪文を唱えてアバレピンクになろうとしますが、「ピンク」と「ピッグ」を言い間違えてブタになってしまい、
副作用の効力が切れて元に戻るまで2話分の間、ブタの姿のままでした。
2回目は単に自作のコスプレでアバレピンクの格好をして戦おうとしただけでした。

やはり、えみポンのキャラのコンセプトはあくまで視聴者の分身としての「アバレンジャーに憧れる人」であり、
彼女がアバレピンクになることによって視聴者の夢が叶うという見方もありますが、
最初から変身することが前提でキャラを作っていたのならそれでもしっくりくるでしょうが、
えみポンの場合はそうではなく、かなり思い切ってカッコ悪いキャラにしてしまっていたので、
今さら正規ヒロインにするわけにはいかなかったと思われます。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 10:15 | Comment(1) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マホロ

mahoro.jpgマホロは「アバレンジャー」の物語上での正ヒロインと言っていいでしょう。
もともとはマホロはダイノアースでエヴァリオンに抵抗していたレジスタンス組織の竜人戦士で、
同志には兄のミズホやミズホの親友にしてマホロの恋人であったアスカがいました。
アスカももともと彼らの言う「アタック・バンディット・レジスタンス・スーツ」であるアバレブラックのスーツを着用して戦っていましたから、
その同志であるマホロもミズホも何らかのアバレスーツを着用して戦っていた可能性は高いです。
つまりダイノガッツに満ちた、ダイノアース版のアバレンジャーの1人であったのかもしれません。

しかし、エヴァリオンの本拠地に竜人レジスタンス組織が総攻撃を仕掛けるため、先行して侵入したミズホとマホロが捕えられたため、
アスカは2人を救うために竜人族に伝わる禁断の暗黒の鎧を装着しました。
この暗黒の鎧というのが、このアバレンジャーという物語の裏テーマの象徴のようなもので、
装着者に絶大なるパワーをもたらす代償に、装着者はその鎧に呪縛されてなかなか外せなくなり、常に破壊衝動に苛まれる狂戦士となってしまうのです。
制御するには人々の悲しみや絶望を必要とし、鎧の呪縛を解くには装着者を倒さねばならず、倒した者が鎧に呪縛され次の装着者となって苦しむことになります。
そして、正と邪の相反する心を持つ者によってのみ破壊可能だといいます。

この禁断の鎧を装着したアスカは理性を失い、仲間を襲って破壊の限りを尽くしてしまい、
結局、エヴァリオン攻撃計画は失敗し、ミズホとマホロは救出できず、ダイノアースはエヴァリオンに支配され、
アスカは鎧を失った姿で発見され、鎧を装着していた期間の記憶を失っていました。
この時、実はエヴァリオンの総統デズモゾーリャは捕えたミズホとマホロに偽りの幻影を見せ、
アスカが仲間を裏切ってダイノアースを滅亡させたと思い込ませていたのです。
これを信じ込まされ絶望した2人はアスカへの復讐の鬼となり、エヴァリオンに身を投じ、
ミズホは暗黒の使徒ガイルトンとなり、マホロは破壊の使徒ジャンヌとなり、
ガイルトンは暗黒の鎧を装着したアスカと戦って倒し、次の暗黒の鎧の装着者となっていたのです。
どうやら暗黒の鎧を使いこなすのは難しいようで、アスカは破壊衝動の塊にはなっていたものの、究極的に強いというほどではなかったようです。

その後、ガイルトンとジャンヌは地球侵略の尖兵として働き、
さらにジャンヌはアスカとの間にお腹の中に宿していた子を産むと、その赤ん坊をデズモゾーリャに献上します。
この赤ん坊はデズモゾーリャによって黎明の使徒リジェと名付けられ、デズモゾーリャの分身を体内に宿して急成長し、少女の姿となります。

一方、暗黒の鎧を装着したガイルトンは地球でアスカを発見し、襲いかかります。
いきなり伝説の暗黒の鎧を着た敵が襲ってきたので驚いたアスカは敗れて変身アイテムを壊してしまい変身能力を失います。
その後、凌駕たち3人がアバレンジャーとなって戦うようになり、ガイルトンを撃退しますが、
敗れて引き揚げてきた実の兄のガイルトンをジャンヌは処刑してしまいます。
ガイルトンも暗黒の鎧を使いこなせていなかったので、ジャンヌは自分が鎧の装着者になってアスカを倒そうとしたのです。

その後、ジャンヌはアスカの前に現れて裏切りの罪を糾弾しますが、
アスカは身に覚えが無いので、かつての恋人であるマホロの方が裏切ったものだと思い、怒り狂い、2人は争い合います。
アスカも肝心の時の記憶が抜け落ちているので、事情がどうも呑み込めていないのです。
こうして互いに誤解し合ったままアスカとジャンヌは戦い合うのですが、
中盤になってアスカとジャンヌは謎の少女の導きで記憶を取り戻し、
鎧に呪縛された恋人を救うためにアスカはジャンヌと決闘し、鎧を斬り、ジャンヌを倒します。
しかし、これによって鎧に呪縛されることになったアスカは姿を消し、
入れ違いに記憶を失ったマホロはエヴァリオンを掌握した仲代壬琴に命を狙われますが、
アバレンジャーに助けられて恐竜やに保護されることになります。

姿を消したアスカは暗黒の鎧のパワーに取り込まれて破壊の限りを尽くすようになり、アバレンジャーとも戦いますが、
らんる達の献身的看護で記憶を取り戻したマホロは、必死の説得を試みますが、アスカは呪縛に負けてマホロを攻撃し、傷を負わせます。
そこでマホロは鎧を自分のものにしようと企む壬琴と手を組み、
自分がジャンヌとしてエヴァリオンに戻ることを条件に、アスカを倒して鎧を奪うよう頼みます。
そしてジャンヌとアバレキラーの連携攻撃でアスカは敗れ、鎧は壬琴の手に入ります。
しかし鎧は壬琴が装着した途端、壊れてしまうのでした。
これは壬琴の中にデズモゾーリャの邪悪な分身が存在していることを示唆しており、その後ほどなくして壬琴自身もそのことを知ることになります。

この後、ジャンヌの姿に戻ったマホロはエヴァリオンに戻ってしまいますが、
それはデズモゾーリャの出現を阻止するための情報収集をするためであり、
マホロが得た情報は秘かにアスカを通じてアバレンジャー側に知らされていたのでした。
その後、物語は壬琴の体内の邪命因子が焦点になっていきますが、
そのことに関する情報もマホロによってアバレンジャーに伝わり、アバレンジャーと壬琴の共闘に繋がっていきます。
また、マホロはエヴァリオンで急成長した自分の娘リジェの体内にもデジモゾーリャの分身が存在することに気付き、
この情報を得たアバレンジャーとアバレキラー、そして謎の少女の力でリジェの体内の邪命因子を追放し、謎の少女を取り込んだリジェは元の赤ん坊の姿に戻りました。
謎の少女は赤ん坊に邪命因子が入ってリジェとして急成長した際に追い出されていた、本来の赤ん坊の魂であったのです。

こうしてデズモゾーリャの出現を阻止に成功したのもつかの間、
デズモゾーリャはエヴァリオン幹部の身体を利用して復活し、壬琴の体内の自らの分身を手に入れようとしますが、
アバレンジャーは壬琴の犠牲と引き換えに、遂にデズモゾーリャを倒します。
ところがデズモゾーリャの残留思念が集まって実体化、巨大化し、裏切り者のマホロを体内に捕えてしまいます。
アスカはマホロと運命を共にする覚悟でデズモゾーリャの体内に突入しますが、
ここでデズモゾーリャによって実体化された暗黒の鎧の戦士に襲われ、2人は絶体絶命のピンチに陥ります。
そこにらんるが助けに入り、アスカとらんるの攻撃で鎧の戦士を撃破してデズモゾーリャの体内から3人は脱出、
同時に凌駕と幸人がアバレンオーでデズモゾーリャを撃破し、遂に戦いは終わります。
戦いが終わった後、アスカとマホロは赤ん坊に戻った我が子を連れて平和の戻ったダイノアースに戻り、
ダイノアースの再建に力を尽くすことになり、爆竜たちも一緒に帰っていったのでした。

このように、マホロは物語の最初から最後まで一貫してヒロインであります。
しかもマホロは単なる綺麗どころの大人しめのヒロインではなく、
もともと竜人族の戦士でもあり、立派な戦うヒロインであります。
同じ竜人族の戦士のアスカがアバレブラックとしてアバレンジャーの一員であるのですから、
マホロも資質的にはアバレンジャーの追加戦士になることは十分出来たと思われます。

あるいはそのような構想は少しはあったかもしれません。
マホロをアバレピンクか何かにしてクール系のヒロインとしておけば、
らんるは明るく元気なタイプのヒロインの役割にだけ専念できて、いちいちシビアな事態を前にして困る必要も無かったし、
困ったとしても、ちゃんとクール系ヒロインによるフォローが入るので、むしろ困った姿が純真さの表れとして引き立つという効果があったでしょう。

しかし、そんなふうにマホロをアバレンジャー内部の存在にしてしまうと、上記のようなストーリーが成立しなくなってしまいますし、
やはり、騙されていたとはいえ、一時期は侵略の尖兵となっていたような女性が正式な戦隊ヒロインに転身するというのは、
やはり子供向け番組では許容範囲を超えたことであったのでしょう。
マホロは徹底して悲劇的ヒロインとして役目を全うすることになったのでした。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 19:10 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月11日

デカイエロー

デカイエロー.jpg





















2003年度作品「アバレンジャー」は商業的には大成功はしましたが、内容としては決して褒められた出来ではありませんでした。
メインストーリー以外の派生ストーリーが膨らみ過ぎたのです。
いや、この派生ストーリーで描かれた壬琴やアスカの物語は完成度は高く、上出来でした。
商業的な成功はもしかしたらこのあたりにも一因はあるのかもしれません。
しかし、これによって主役3人を中心とするメインストーリーの方が圧迫されて一種のカオス状態となってしまい、
当初描こうと思っていたメイン3人のキャラを描ききることが出来なかったのです。
見ようによっては派生ストーリーの方がメインストーリーのようになってしまい、
メインヒーローのはずの3人がその推移を傍観するばかりともなってしまいました。
こうなると、ヒーロードラマとして根本的におかしい状態といえます。

これは、派生ストーリーのテーマとなっていた「正義と悪の葛藤」が簡単に短くまとめられるようなものでなかったからでした。
ライダーシリーズでは同様のテーマを扱っていましたが、
ライダーシリーズには巨大ロボも出てきませんし、バトルシーンも戦隊のように5人分描いたり、戦闘員とのバトルも描かないといけないわけではありません。
その分、ライダーの方は1回1回の尺的に余裕があるため、「正義と悪の葛藤」のようなややこしいテーマを描いたストーリーを処理することが出来たのですが、
一方、戦隊の方はバトルシーンの方で盛り込まねばならない要素が多くて、「正義と悪の葛藤」のようなややこしいテーマはストーリー内で処理しきれないのです。
よくライダーはドラマメインで、戦隊はバトルメインと言われますが、これは盛り込むべき要素の差によって仕方ない宿命と言えます。
ライダーで出来ていることが戦隊で同じように出来るわけではないのです。
その無理なことをやろうとしたため、「アバレンジャー」のストーリーはパンクしてしまったのです。

しかし、そのような無茶をやる羽目になった必然性というものは有ります。
ライダーのようなストーリーがウケる時代ということは、正義というものが不確かになる時代ということです。
そうした時代において、正義と悪の戦いを描く以上、
気合いを入れて熱血すれば正義が勝つというような安直な展開では制作者が自分の紡ぎ出す物語にリアリティを持てなくなってくるのです。
ガオレンジャーやハリケンジャーの頃までは、時代の波は感じつつも何とか踏みとどまってきたのですが、
2002年9月の拉致事件発覚後の正義が瀕死状態となったともいえる世相の中、正義と悪の戦いを描く以上、
「正義と悪の葛藤」を描き、その上での正義の勝利を描くことでしか、正義の勝利にリアリティを付与することは不可能になりました。
そうして「アバレンジャー」において「正義と悪の葛藤」をテーマとした厖大な派生ストーリーが生じ、その結果、戦隊シリーズにおいては尺不足によってストーリーがパンクする羽目となったのです。

これは結構深刻な事態です。
正義と悪の戦いを描くのがスーパー戦隊シリーズのコンセプトであるのに、
正義の不確かなこの時代においては、正義の勝利を根拠づけるために描く正義と悪の葛藤のドラマに必要とする時間が増えてしまい、
巨大ロボや集団バトルを特徴としたスーパー戦隊シリーズでは、そのための時間が確保出来ないわけですから、
スーパー戦隊シリーズは正義と悪の戦いをちゃんと描こうとするならば、自らの持ち味である巨大ロボや集団バトルを捨てねばならないということになります。
しかし、それらの持ち味を捨ててしまえば、それはもう30分後に放送しているライダーシリーズと何ら変わらないわけで、
同じようなものを2本続けて放送する意味など無く、スーパー戦隊シリーズの存在意義は無くなってしまいます。
だいいち、そんなことはスポンサーのバンダイが許すはずがありません。だから持ち味である巨大ロボや集団バトルを捨てるという選択肢はあり得ません。
しかし、そうなると、この時代、正義と悪の戦いをちゃんと描ききることが出来なくなります。
そこで、いっそ正義と悪の戦いを描くのをやめてみようということで出来上がったのが、2004年度作品「特捜戦隊デカレンジャー」です。

「警察」をモチーフとした戦隊をやろうというアイデア自体は、割と早い段階からバンダイの方から出ていたようです。
スーパー戦隊シリーズの巨大メカ類は、タイムレンジャー以降、メカニカル系と生き物系とが交互に登場してきており、
その法則に従えばアバレンジャーの次はメカニカル系で、バンダイとしてはゴーゴーファイブの警察版みたいな感じ、例えば警察所属の正義の戦隊が悪の侵略者と戦うような普通のヒーロードラマを考えていたのでしょう。
しかし東映制作サイドは、「警察」モチーフということから発展させて、戦隊版の刑事ドラマをやろうという方針を立てました。
刑事ドラマならば、正義と悪の戦いにならないからです。

n-jasmine004.jpg何故なら、刑事というのは正義と悪のガチンコの戦いを行う戦士ではなく、
正義の支配した世界において悪を取り締まる仕事をする人だからです。
刑事ドラマの世界では、正義と悪が拮抗して葛藤するということはなく、正義は圧倒的に正しく強く、悪は取締対象でしかありません。
これなら、正義と悪の戦いを描く必要は無く、正義と悪の葛藤も描く必要はありません。
ただひたすら、刑事が犯罪者を取り締まる仕事を遂行していく様子を描いていけばいいのです。
それはもう本当に淡々と、事件が起きて刑事が捜査して犯人を割り出して逮捕するまでのエピソードを繰り返し繰り返し描いていけばいいです。

ここで変に犯人側を「敵」として描いてしまってはいけません。
犯人はあくまで自分の都合で犯罪を犯したり、刑罰から逃れようとして強行的な行動に出ているだけであって、
最初から警察そのものに敵対し打倒しようとする敵意を持つ存在として描いてしまってはいけません。
そのように描くと、それは「社会悪」ではなく、「正義と対峙するものとしての悪」となってしまい、正義と悪の戦いという図式になってしまうからです。
あくまで犯人は自分の利益のために罪を犯す犯罪者であり、警察を攻撃することや世界を破壊することなどを目的とするものであってはいけません。
仮に警察に危害を加えようとするとしても、それは本来の目的のための通過点のようなものでなければいけません。
例えば警察の機能低下によって自らの犯罪稼業がやりやすくなるなどという、あくまで何らかの利益のためにテロ活動を行うのであって、
警察打倒や世界の破壊や支配などが最終目的であるような存在ではいけないのです。

よって、「敵組織」という存在も作ってはいけません。
それは警察と敵対し破壊することが目的となった組織だからです。
せいぜい許容出来るのは、犯罪行為を目的とした「犯罪組織」です。
ただ、それにしたところで、あまり組織性が前面に出ない方がいいです。
犯罪者も組織だってくるとその分強力になりますから、警察と力が拮抗してきます。
そうなると正義と悪の戦いに転化していく可能性が生じてくるからです。
また、組織が大きくなると人間関係も複雑化してきて、そこに色々と悪の側の物語の縦糸となるような一貫した物語が生じてきます。
それは悪の一貫した物語が生じるということであり、そうなるとそれに対抗した正義の側の一貫した物語も生じ、正義と悪の物語の葛藤が生じてしまう可能性が高くなります。

やはり基本的には、エピソードごとに出て来る犯罪者たちはそれぞれ個別の存在で、繋がりの無い事件を起こし、
刑事達はそれらの事件を毎回淡々と解決して犯人を捕まえていくのがベストです。
そして、それに合わせて、刑事たちの側も1年間通しての縦糸になるようなドラマは無く、ただ淡々と日常業務をこなしていくのがベストです。
刑事側に縦糸のドラマが生じると、それに合わせて犯罪者側にも縦糸のドラマが生じてしまい、それが正義と悪の対立構図に発展する危険があるからです。
だから、連続ドラマ風に話が繋がっていくのではなく、エピソードごとに話は完全に完結していき、次に何かの要素が繋がっていくというのは避けねばいけません。
毎回、リセットされた状態で話が始まるのであり、エピソードの順序は入れ替えても物語は成立する感じです。

こうなると、あまりキャラの成長を描くことも出来ませんので、
刑事たちは最初からプロフェッショナルとして出来上がっていることになります。
もちろん刑事たちも完璧な存在ではありませんので、個々のエピソードの中で自分の足りない点に気付いて改善したりしますが、
それは次の回まで引きずられることはなく、また元に戻っていたりするのです。
つまり一貫した大きな物語というものは存在せず、一話完結型、または二話完結型の個々のエピソードが淡々と繰り返される構成となります。

まさに刑事ドラマという感じですが、
こういうものをスーパー戦隊シリーズでやって面白いのかというのが、まず問題です。
普通の刑事ドラマそのものになってしまっても仕方ないわけで、まずそこはSF変身ヒーローものとしてのテイストは加味しなければいけません。
そこで一般的な警察の話ではなく、恒星間飛行が現実となった近未来において頻発する異星人犯罪に対処するために惑星ネットワークにおいて設立された宇宙警察組織の地球署の刑事たち、すなわちデカレンジャーの活躍を描く物語としました。
これなら取締対象は様々な特殊能力や超科学を使いこなす宇宙人ということになり、
そうした宇宙人犯罪者たちから地球の治安を守るためにはデカレンジャーの装備についても特殊戦闘スーツや巨大ロボも含めた大規模なものになるのも不自然ではありません。

しかし、それでもやはり刑事ドラマですから、
デカレンジャーは基本的には犯罪者たちよりも強いのが前提で、
犯罪者もデカレンジャーと戦うことが目的ではありませんし、デカレンジャーに勝つための準備などしていません。
だから戦えばデカレンジャーが勝つ可能性が高いのです。
従来の戦隊ドラマも基本的には正義の戦隊が勝つことがお約束ではありましたが、一応世界観的には常にイチかバチかの勝負であるパターンが多かったのですが、
デカレンジャーの場合、警察VS犯罪者ですから、デカレンジャーが勝つのが当たり前の世界観の中で戦うので安心感がまるで違います。
犯罪者側もそれが分かってますから、デカレンジャーに捕捉されないように逃げ回ります。
従来の戦隊ドラマのように敵の方からのこのこと現れてくれないのです。
これはドラマの進行を結構妨げます。
まずデカレンジャーは犯人を割り出し追跡して捕捉し、そこからようやくバトルシーンということになるからです。
そして、いざバトルが始まると、敵である犯罪者は割とあっけなく倒されます。弱いですから。

また、従来の戦隊ドラマにおいては、敵が強大なので1人では勝てないゆえ5人チームないし3人チームで戦っていたわけですが、
デカレンジャーの場合、敵の宇宙人犯罪者はそんなに強大な敵ではないので、デカレンジャーは1人ずつでも勝てるのです。
1人では犯罪者に勝つことも出来ない者が刑事というのでは不自然だからです。
そうなると、1人でも敵に勝てるのならば、彼らは戦隊で戦う意味は希薄です。
もちろん巨大ロボはチームでいてこそ合体出来るのであり、捜査もチームで行う方が効率的なので、チームを組んでいる意義は有るのですが、
それはあくまで仕事上の便宜上のことであって、基本的には彼らは犯罪者と対峙した時、一人でも最後まで戦い抜いてしまえるだけの実力は持っていることになります。
実際は最後まで一人でやりきるということはほとんどありませんでしたが、それは戦隊というフォーマットでやっている番組上の都合というもので、
彼らの意識はチームの1人というものよりは、独立した存在としての1人のプロフェッショナルな刑事という自意識の方が強く、
その上で、プロとしてチームワークは大事にしているというスタンスです。

これらの、他の戦隊と比べて異なるデカレンジャー独自の特徴をまとめると、
「一貫した縦糸の大河的ストーリーが無い」「一話完結型のエピソードが繰り返される」「敵を見つけるのに手間がかかる」「敵は簡単に倒される」「デカレンジャーは1人ずつでも敵に対処出来るプロの刑事」ということになります。

まず、敵が簡単に倒されるということはバトルシーンに魅力が無くなることに繋がります。
しかも敵はただの犯罪者ですから、単独犯である場合も多く、従来の戦隊ドラマでお馴染みの戦闘員という雑魚の敵キャラというものがいません。
それではますますデカレンジャーがチームで戦う意義が薄れてしまいますから、これについては宇宙犯罪者の利用する悪の便利屋のようなキャラであるエージェント・アブレラというキャラを登場させて、彼を裏で暗躍させ、犯罪者の支援にあたらせることである程度解決しました。
アブレラは犯罪者に武器や巨大ロボや戦闘員などをレンタルしたりするのです。
そして、アブレラという一貫して暗躍している存在によって、僅かながら一貫した縦糸のストーリーめいたものも生まれます。
ただ、このアブレラの存在感は出来るだけ小さめにしないといけません。
彼の存在感が大きくなり過ぎると、敵組織めいたものが出来てしまい、デカレンジャーの世界観が崩れてしまうからです。

まぁとにかくアブレラというキャラのお陰で、戦闘員や敵ロボットという戦隊フォーマット的に必要なものは揃えることは出来ましたが、
それでも主敵である犯罪者が弱いので、バトルシーンの魅力は乏しくなります。
しかし戦隊シリーズは玩具販促番組で、バトルシーンの魅力が乏しいのではマズいのです。魅力はやはり上げねばなりません。
そこでよく考えれば、バトルの魅力の乏しい原因は敵に魅力が乏しいからです。
これはこの作品の性格上、仕方ないので、それをカバーするには、デカレンジャー側の魅力を更に上げていくしかない。
この場合は、デカレンジャーのバトルシーンでのアクションを極限までカッコいいものにするということです。

photo002.jpgそれは変身シーンから名乗りシーン、そしてアクション、最後のジャッジメントからデリートのシーンに至るまで、何度見ても飽きないような見事な様式美が確立されています。
アクションの中身も、シリーズ随一のガンアクションと言ってもいいデカレッドの二丁拳銃を使ったガンアクションをはじめ、
全員の標準装備がそれぞれ独自の武器となっているシリーズにおいて極めて珍しいパターンで、全員が個性豊かなアクションを繰り広げています。
また、レスキューポリスシリーズやタイムレンジャーでもバトルシーンのカタルシスを低下させる原因となった「捜査官が勝手に犯罪者を殺してはいけない」という縛りも、
このデカレンジャーにおいては、バトルの最終局面で遠く離れた宇宙裁判所に対して犯罪者をデリート(消去)してしまっていいかどうか伺いを立てるシーンを入れて、
裁判所がデリート許可を下したことを受けて心おきなく敵にトドメを刺すようにしています。
これでバトルシーンは魅力あるものとなっています。

なお、ここで正邪の判断を下しているのはあくまで裁判所であってデカレンジャーたちではありません。
デカレンジャーは仕事として正義を代行しているだけであり、正義そのものではないのです。
デカレンジャーが正義そのものになってしまうと、正義と悪の葛藤が生じてしまうことになり、作品的にそれはマズいので、
デカレンジャーを正義から一定の距離をとらせるこの措置は上手い手だといえます。

こうしてデカレンジャーにおけるバトルシーンは魅力的なものにはなっていますが、それでも歴代作品の中では少し見劣りはします。
ビジュアル的には最高にカッコいい部類には入ると思うのですが、それでも物足りないのは、そこにドラマ性が希薄だからです。
単発の犯罪者退治ばかりで、大河ドラマ的な展開が無いので、長きにわたる因縁の敵といざ決着をつけるというような盛り上がりが無いのです。
しかし、これはデカレンジャーという作品の性格上、仕方ないことであって、これはこれ以上改善は出来ません。
だからバトルシーンがどうしてもイマイチになるのは仕方ないと納得するしかないのです。

ならばバトルシーン以外の要素を伸ばしていくしかありません。
では他の要素というのを見てみると、作品の性格上、その大部分は犯人を捕捉してバトルに持ち込むまでの経過部分に占められることになります。
ならば、ここの部分を魅力的にするしかないでしょう。
つまり、この捜査の部分をドラマ的に膨らませることになります。
結果的にデカレンジャーという作品においてはバトル場面よりも捜査関連のドラマ場面が重視されることになります。
すると、バトル場面の尺が少なめになるので、あまり多くのロボやメカを登場させることは出来なくなります。
少なくともガオレンジャー以降の換装合体パターンのように厖大なメカを次々と登場させるのは難しくなります。
そこでデカレンジャーでは換装合体パターンをやめて、タイムレンジャー以前の1号ロボ、2号ロボ、3号ロボが順次出てくるようなシンプルなパターンに戻し、その上でドラマを描ける時間を多めに確保しました。
こうなるとハリケンジャーやアバレンジャーのように主役3人戦隊などにする必要はありません。
どうせヒーローショーなどの関係で戦隊スーツを着たキャラは5人以上は出さないといけないわけですから、最初から5人戦隊ということにしました。

また、このドラマを描くために確保した時間は、大河ドラマ的展開を描くのに使うわけではなく、単発エピソードの捜査場面のドラマを描くために使われるのです。
つまり、毎回同じような展開、同じようなシーンが多くなります。
しかも毎回、話が完結して次にはリセットされて別のエピソードが始まるので、キャラの成長や変化というものがほとんどありません。
そしてデカレンジャーは1人で敵に対処出来るので、各エピソードはそれぞれ誰かのメインエピソードであるという形になります。
そうなると、同じキャラがメインを務めるエピソードは、そのキャラに変化があまり無く、同じように犯人を追いかけるというシチュエーションである以上、どんなに工夫してもある程度は似たようなものになってしまいます。
それならば、デカレンジャーが3人であるよりも5人である方が、エピソードのバリエーションは豊富になります。

そういうわけで、やはりデカレンジャーは5人戦隊の方が良いということになりますが、
同時にそれは5人のキャラは明確に違ったものでなければいけないということでもあります。
個性的な5人のキャラを確立して、それを毎回のエピソードでそれぞれ1人か2人ずつメインキャラとして事件捜査の中心として落し込み、
そのキャラに合った事件捜査のドラマを面白く展開していくという作劇手法となります。
そういうエピソードを単調に繰り返していくのであり、一貫した大河ドラマ的展開はありませんから、
5人のキャラ設定も事件捜査に関係しないような裏設定など作っても仕方ないのであって、徹底的に刑事としての能力やクセなどに関連した部分のみ緻密に描いていけばいいです。
キャラの成長を描くわけではありませんから、キャラ内面の深いところは描かなくてもいいのです。

むしろ、大河ドラマ的なドラマチックな展開も無く、キャラの成長物語も無く、強大な敵との命懸けの戦いも無く、ただひたすら単発の事件エピソードを繰り返すだけの構成ですから、
普通のキャラが主役5人ならば、これはかなり退屈な話になってしまいますから、
表面的な特徴で変人にも見えるぐらい極端にデフォルメされたキャラの方が望ましいといえます。
内面よりも、パッと見のインパクト重視の、いかにも分かりやすいキャラ設計が基本となります。
それでいて、従来の戦隊のような純粋なる正義の戦隊ではなく、あくまで仕事で治安維持を行っているプロの刑事ですから、
クールで余裕のある大人の風貌も必要ですし、あくまで平時の勤務ですから、少し気の抜けた普通っぽさも必要です。

その結果、出来上がった5人のキャラのバランスは、ホージーとセンちゃんとジャスミンが正統派刑事、バンとウメコが異端派刑事となります。
男性陣は、バンは熱血バカ系の突っ走り破天荒キャラで直感型の一種の天才キャラで、
ホージーは生真面目で高い能力を持つ完璧主義者の努力家エリートキャラ、
センちゃんは癒し系の昼行燈で抜群の推理力を持つ名探偵キャラというふうに、
見事にキャラが分かれて、しかもそれぞれ記号的と言ってもいいほどキャラが際立っていて、エピソードが作りやすいです。
しかも3人とも刑事としての特性がバラバラで、自ずとその関わる事件エピソードの筋立ても変わってきます。
セリフの中にバンは四文字熟語、ホージーはヘンテコ英語を多用し、センちゃんは推理する時、逆立ちしたりしてやたらトボけた言動が多く、マンガ的なキャラ立ても見事です。

scan177.jpg続いてヒロイン2人がいるわけですが、まずジャスミンです。
デカイエローに変身するのが礼紋茉莉花で、愛称はジャスミンです。
デカレンジャーは刑事ドラマ(太陽にほえろ)の定石に則って、ボスがつけた愛称で呼び合います。
ボスは犬型宇宙人ですが、部下のデカレンジャー5人は一応全員が地球人のようです。
だから年齢も見た目通りであろうと思われ、皆、特に年齢設定はされていませんが、ジャスミンは20歳代前半ぐらいでしょう。
演じていたのは、今でも特撮系やアクション系ドラマでクールな役で活躍中の美人女優の木下あゆ美です。

ジャスミンの最大の特徴は超能力者であることです。
といっても、万能の能力を持っているわけではなく、ごく普通の人間がたまたま特異能力を持って生まれてしまったという感じで、
触れた相手の考えていることが分かってしまうという、いわゆるサイコメトリー能力です。
これは普通に暮らすには不便な能力で、昔はジャスミンはこの能力のせいで孤独な人生を送っていたそうだが、
刑事だった頃のボスとの出会いで立ち直り、自分の能力を犯罪捜査に活かそうと心機一転、警察学校に入って宇宙警察地球署の刑事になったのだそうである。
デカレンジャーのメンバーの過去はあまり詳しくは語られないのだが、このジャスミンの過去については1つのエピソードにおいて結構ちゃんと語られています。

ただ、そのジャスミンの過去が本編のストーリーに大きく絡んでくるということもなく、単にその時のエピソードの便宜上語られただけのことで、劇中のジャスミンのキャラに直接、その暗い過去が影を落としているということはありません。
そもそもジャスミンのこの便利なようで不便な能力は手袋をすることで遮断することが出来るので、
昔のジャスミンがそんなに深く悩むほどのものでもなかったようにも思えますが、まぁ思春期のことでもあり、実害云々よりも異端者を見る好奇と偏見の視線に心が傷ついたということなのでしょう。
また、この能力のせいで両親に捨てられたそうで、そのことで深く傷ついたのでしょう。
両親も、自分の子供の異常な能力が怖くなり、世間の冷たい視線に負けてしまったのでしょうが、
それによってまだ若かったジャスミンは自分が誰からも必要とされていないと思い、寂しくなったと思われます。
で、その後、警察官になって犯罪捜査でこの能力が必要とされると思い、自分を必要としてくれる自分の普通に暮らせる居場所を求めてジャスミンは前向きに頑張って生きてきたと思われます。
その結果、宇宙署の刑事になってジャスミンは幸せを感じて快適に暮らしているのです。

このジャスミンのサイコメトリー能力は、普段は手袋をして遮断して普通の人と同じように暮らし、いざ捜査において必要な時だけ手袋を外して能力を使用しますが、
実際のところ、それなりに役には立ちますが万能というわけではありません。
取り調べで容疑者の身体に触れてその思考を読み取ったところで、それは証拠としては使えませんから自白を得たことにはなりません。相手の動揺を誘うぐらいの使い方なら出来ます。
また、仲間の居場所や盗品の隠し場所など、何らかの情報を引き出して、それを基にして捜査方針を立てるには便利です。
ただ相手が強い意思で情報をガードしたり、わざと別のことを考えて偽情報を与えることも不可能ではなく、決して万能ではありません。
それに、これらは容疑者や証人などが絞りこめた段階で使える方法であって、事件の初動捜査では人間に触れて意思を読み取ることは出来ません。

そこでよく使われるのが、犯人が触れたと思われる物体にジャスミンが触れて、その残留思念を読み取るという方法です。
初動捜査ではこれが捜査方針を決めるのに大いに役に立ちます。
しかし、残留思念を読み取るにはかなりの集中力を要し、ジャスミンはかなり消耗しますのであまり多用は出来ませんし、
そこから得られる情報はかなり断片的で、犯人の残留思念以外の情報も混じっていることもあります。
だから、ジャスミンのサイコメトリーで得た情報を更に整理して、そこから推理を巡らせていくという作業が必要となります。

このように、ジャスミンの超能力は決して捜査において万能というわけではなく、
時には間違うこともある不完全な能力なのですが、使いようによっては非常に役に立つという代物です。
しかし、こういう設定であるからこそ、ジャスミンが5人の中で飛び抜けた存在となって浮いてしまうことなく、5人チームの一員として普通に溶け込むことが出来るのであり、
むしろジャスミンにとっては望ましい展開なのだといえます。

ジャスミンというキャラの最大の特徴は、実は超能力ではなく、この「普通であることへの志向」なのだと言えます。
ジャスミンは超能力者でありながら刑事としての能力もあらゆる面でそれなりに高く、しかもクールな風貌の美人ですから、一種のパーフェクト・ビューティー、クール・ビューティーのキャラのように見えます。
しかし、その実態は、寒い70年代ギャグを連発する変な人なのです。
これは、ジャスミンがやっと掴んだ自分が普通に受け入れてもらえる自分の居場所である職場で、
出来るだけ打ち解けて気さくに周囲の人達と接しようとしている前向きな努力の表れなのです。
それで常に愉快なギャグを連発して周囲を和ませようとしているのです。
おそらくジャスミン自身もこの職場が楽しくて仕方が無いので、自然に軽口でジョークが出て来るのでしょう。
ただ、ギャグのセンスが破滅的に古臭いことと、暗い過去に沁みついた無表情癖のせいで、真顔で寒いギャグを連発する変な人に見えてしまっているだけです。

こうして、超能力者でクールビューティーでありながら寒い70年代ギャクを真顔で連発するという、戦隊ヒロイン史上屈指の奇妙なキャラが出来上がったわけです。
このジャスミン、この際だったキャラのおかげで歴代屈指の人気を誇る戦隊ヒロインですが、
よくよく考えると、あまり戦隊ヒロインらしい要素の無いキャラです。
戦隊ヒロインといえば、桃園ミキが基礎を作ったひたむき純粋キャラか、あるいはシリーズ初期ヒロインやユウリのようなクールビューティー系キャラということになりますが、
ジャスミンはそのどちらでもありません。

ジャスミンの個別エピソードは主にそのサイコメトリー能力を駆使したトリッキーなエピソード、あるいは人間の内面に触れる人情話のようなものが多く、
ジャスミン自身のヒロイン性に迫るようなものはあまり無い印象です。
そして、普段のジャスミンは、その奇想天外なキャラ設定とは裏腹に、あくまで普通の刑事として生きようという志向が強く、
特別ひたむきでもなく、特別にクールを気どっているわけでもありません。
刑事としての事件へのアプローチも、至って常識的でその手法はオーソドックスで常に沈着冷静、ルールはしっかり守って安全運転キャラです。
燃え立つ正義感や深い感情的思い入れでルールを逸脱するということはあまり無く、面白味は無いキャラです。
いや、キャラ設定が面白過ぎるので、普段の行動まで破天荒にしてしまうと、ジャスミン主役のギャグドラマになってしまいかねないので、それぐらいがバランスを取る意味では正解だといえます。

よく考えれば、ジャスミンは正義のヒロインという自意識はほとんど無いでしょう。
ジャスミンにとって大事なのは、自分が宇宙刑事という仕事を普通に全うすることであり、
その仕事が地球の正義を保つことであり、そのためにはひたむきさもクールさも必要であることは承知もしています。
それが人々のために大事な仕事だという自覚もあります。
それでもジャスミンにとってはそれはあくまで仕事なのであり、
もともとは異端の立場であるジャスミンは異端が社会から弾かれる傾向にあることを知っているがゆえに、
自分がこの有意義な仕事を続けて社会に貢献していくためには、あくまで自分は普通であり続けなければいけないという想いが誰よりも強いのだといえます。
それだけ苦い想いを知っているキャラであり、5人の中で一番、社会人として大人なのかもしれません。

だから、ジャスミンは自分を正義のヒロインだと思って自分を追い込むようなことはしません。
バンのように正義の味方気どりで突っ走ることもありませんし、
ホージーのように高みを目指して精進を重ねることもせず、
センちゃんのように弱い者に過剰に思い入れることもありません。
常に沈着冷静に、なおかつ円滑に楽な気持で事件に向き合い捜査して、
1つ1つ事件を解決して地味に地球の平和に貢献していく日々が永遠に続くことだけを願う、
そういう地道でありながら堅いプロ意識を持ったヒロインなのです。
設定がやたら派手で特徴的でありながら、性格は地味で堅実というのがジャスミンの特徴といえます。

このジャスミンの手堅さや地味なプロ意識というのは、まさにデカレンジャーの世界観にピッタリのヒロイン像であり、
逆に言えば、デカレンジャーでなければ成立しなかったヒロイン像だとも言えます。
更に言い換えるならば、ジャスミンという作品世界を象徴するヒロインが存在したからこそ、
デカレンジャーという戦隊ドラマとしては特殊な作品のヒロインの役割をジャスミンが受け止めることが出来て、
本来の戦隊ヒロインであるウメコの方に余計な負担がかからず、その戦隊ヒロインとしての役割を全うさせることが出来たのだといえます。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 17:21 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

デカピンク

デカピンク.jpg




















「デカレンジャー」の前作「アバレンジャー」における戦隊ヒロインの樹らんるがキャラが上手く立たなかったのは、
らんるが従来型の正統派戦隊ヒロインだったからでした。
もともと戦隊ヒーローや戦隊ヒロインというキャラは、
戦隊シリーズ特有の「熱く真っ直ぐな正義のチームが悪を倒す」というシンプルな世界観の中で形成されてきたもので、
それゆえ、正統派戦隊ヒロインというのは、真っ直ぐで純粋でひたむきで一生懸命で優しくて可愛いキャラでした。
そういうヒロインが、同じように熱く真っ直ぐな男性ヒーロー達とチームを組んで悪を倒すのが戦隊シリーズの正しい世界観だったのです。

シリーズの歴史において、こうした戦隊フォーマットが確立したのがゴーグルファイブの頃で、
この時の戦隊ヒロインが桃園ミキで、ミキがこの正統派戦隊ヒロインの要素の起源にあたります。
これ以降の戦隊ヒロインはほとんどがミキのイメージから派生したヒロインで、
数少ない例外がジェットマンの鹿鳴館香と早坂アコ、カーレンジャーの志乃原菜摘と八神洋子、そしてタイムレンジャーのユウリでした。
これらの例外ヒロインの出ていた作品は、あえて従来の戦隊シリーズとは違った方向性を目指した作品でしたから、
ヒロインのタイプが異質であるのは当然でした。
あとはだいたい桃園ミキの系譜の正統派戦隊ヒロインですから、
アクションよりも雰囲気重視になったギンガマン以降は紅一点で正統派戦隊ヒロインがいればいいという体制が続き、
その流れでアバレンジャーの樹らんるも純粋でひたむきで一生懸命で優しく可愛い正統派戦隊ヒロインでした。

しかしアバレンジャーという作品には、「熱く真っ直ぐな正義のチームが悪を倒す」というシンプルな世界観を基礎にしつつ、
同時にそれだけでは正義と悪の戦いを説明しきれなくなった時代を背景にして、「正義と悪の葛藤」というテーマも作品の世界観の中に入り込んできたのです。
つまり従来の戦隊シリーズとは違う世界観が混ざってきたわけで、
そうなると従来型の正統派戦隊ヒロインのらんるではそうした異質な世界観には対応しきれず、
その異質な世界観に基づく描写のシーンでは存在感を発揮することが出来ませんでした。
そうしたシーンで存在感を発揮していたのは戦隊ヒロインのらんるではなく、準ヒロインのマホロでした。
しかし準ヒロインはやはり準ヒロインであり、物語の中で正規の戦隊ヒロインと同じ役割は果たせません。
やはりどのような場面でも戦隊ヒロインがヒロインとしての存在感を発揮する方が望ましいのです。
また、準ヒロインとして登場させたヒロインは戦隊ヒロインに昇格させることは、やはり難しいのです。

もともと、少子化の影響もあって戦隊シリーズは子供達の父母層をはじめとした高年齢層戦隊ファンを意識したキャスティングをする傾向は2000年頃から始まっており、
ヒロインタイプの女性キャラも常に複数登場するようにはなっていました。
ただ戦隊ヒロインの役割は1人でも足りていたので、それは戦隊ヒロインではなく、準ヒロインや悪のヒロインであったのです。
しかし、作品の世界観の中に従来の戦隊シリーズ的な世界観とは明らかに異質な世界観が入り込んでくるようになり、
それに対応出来るヒロインが戦隊ヒロインではなく準ヒロインや悪のヒロインということになってしまうのならば、
最初からその異質な世界観に合ったタイプのヒロインを戦隊ヒロインとして設定しておけばよかったという考えにはなります。

アバレンジャーにおけるそうした失敗は序盤から明らかでした。
そして、アバレンジャーの次の作品のデカレンジャーもまた、従来の戦隊シリーズの世界観とは異質な要素がかなり含まれた作品ということになりました。
ならば、そのデカレンジャーらしい異質な世界観の部分に対応した戦隊ヒロインを最初から用意した方がいいということになります。
それがまさにジャスミンだったわけですが、
ただ、このジャスミンだけでは従来の戦隊シリーズのヒロインとしての魅力には欠けます。

scan188.jpgジャスミンはかなり人気の高い戦隊ヒロインですが、
それは放送当時には今までに無いタイプの戦隊ヒロインとしての新鮮な魅力が有り、
放送後はジャスミンに類似したヒロインが登場していないオンリーワンの魅力が有るからです。
それは言い換えれば、デカレンジャーでしか成立しなかったヒロインということであり、戦隊ヒロインとしての汎用性に欠けるということです。
つまりジャスミンはデカレンジャーの独特の世界観に特化したタイプのヒロインであり、そのため極めて個性的なヒロインとなっているのです。
その分、普通の戦隊ヒロインとしての魅力には欠けると言っていいでしょう。

いくら従来の世界観とは異質な要素が入って来たといっても、それでもデカレンジャーはれっきとした戦隊シリーズ作品であることも事実です。
例えばカーレンジャーやタイムレンジャーのように戦隊シリーズの世界観とは全く異質な作品にするという覚悟を持って振り切ってしまったような作品ならば、
その戦隊ヒロインが菜摘や洋子、あるいはユウリのように超個性的ヒロインだけで占められてしまっても問題は無いのですが、
戦隊シリーズに軸足を置きつつ異質な世界観も採り入れようというようなデカレンジャーのような作品の場合、
その戦隊ヒロインがジャスミンのような作品特化型の個性派ヒロインだけではマズいのです。
やはり、従来型の正統派戦隊ヒロインも必要となります。

つまり、ここに新しいタイプのダブルヒロイン制が生まれてくるのです。
正義が不確かになった時代において、従来の「熱く真っ直ぐな正義の戦隊が悪を倒す」という世界観だけでは作品が成立しなくなったため、
作品を成立させるためには、従来型の戦隊の世界観と、それとは異質の何らかの世界観を融合させねばならなくなった結果、
その2つの世界観にそれぞれ対応した2つのタイプの戦隊ヒロインを登場させねばならなくなったのです。

これは何もヒロインにだけ限ったことではなく、男性ヒーローの方にも同様のことが言えます。
ただ男性陣の場合はもともと戦隊内に複数のキャラが存在するのが当たり前であり、
もともとそれらのキャラはそれぞれ違ったタイプのキャラであることが多かったので、
この変化があまり目立たなかっただけのことです。
デカレンジャーにおいては、作品の世界観に合ったタイプのヒーローは、あくまで冷静にプロの刑事としての規律を守って職務をこなすことを重視するホージーやセンちゃんであり、
特にその象徴的存在は厳格なチームリーダーでもあるホージーです。
一方、デカレンジャーチーム内においては独断専行でいつもトラブルを起こす問題児のバンは独自の正義感に従って行動する従来の戦隊ヒーロー型の熱血キャラです。

この2つのタイプのヒーローが同一チーム内に共存することでデカレンンジャーという物語は成立しており、
2つの価値観を持ったヒーロー同士がぶつかり合ったり理解し合ったりする過程がデカレンジャーというドラマの1つの軸になっています。
というより、それこそがこのドラマの唯一の軸であり、
最終的にはこの2つの価値観が融合したヒーロー像を示すことがこのドラマの目標であったのでしょう。
それがつまり「熱いハートでクールに戦う」という番組のキャッチフレーズそのものであり、
そのスピリッツを持った刑事こそが、この作品の言うところのヒーロー像「プロフェッショナル」の1つの到達点なのです。

女性陣の場合も男性陣と同じように2つのタイプの戦隊ヒロインを登場させて、2つの価値観の融合を描いていくことがデカレンジャーのコンセプトとなりますが、
女性陣の場合は戦隊ヒロインがこのところチーム内に1人しかいない状態が続いていたため、
この男性陣と同じようにするためには、まずは人数を1人増やしてダブルヒロイン体制にしなければいけませんでした。
そうして作品特化型の個性派ヒロインとしてジャスミンを据え、
対する従来の戦隊ヒロイン型のキャラとして設定されたのがウメコでした。

scan189.jpgウメコは本名は胡堂小梅といい、デカピンクに変身します。
このデカレンジャーの物語はバンが地球署に5人目のデカレンジャーとして着任するところから始まりますが、
バン着任前の4人のデカレンジャーのうち、最も後輩であったのはウメコで、年齢も一番下であったようです。
ちなみにバンは着任は一番後ですが、年齢はホージーと同じなのでウメコやジャスミンよりは上で、着任しても全然敬語とか使っていませんでした。
おそらく地球署への配属が一番後なだけで、キャリア自体は問題児なりに結構あるのでしょう。
だから別にバンは他の4人に対して敬語を使う必要は無いとバンは考えているようで、
ホージーたちもバンの破天荒な行動には辟易しつつも、敬語を使わないことを非難したりはしていません。

しかし、その中でウメコだけはバンに対して先輩風を吹かせて敬意を払うように要求しています。一蹴されてしまいましたが。
しかし、その一方でウメコはジャスミンを呼び捨てにしていますし、
ホージーを差し置いてリーダーを自称してすぐに仕切りたがりますし、
いつも地球署の一番風呂を占有して悪びれもしません。
そのくせ、ホージーやセンちゃんのことは敬称で呼びます。
要するにその場その場のノリで行動しているだけなのです。

といって、別にウメコが嫌なヤツというわけではありません。
ウメコには全く悪気は無く、単に異常なハイテンションキャラなので、
その場その場で思いついたことを全部積極的に実行しているだけのことなのです。
そしてリーダーを自称したり先輩風を吹かせたりするのも、自分が一人前の刑事であるという強い自負心の表れです。
それだけウメコは刑事という仕事に誇りとやる気を持っており、類稀な積極性で常に突っ走っているのです。
それで常に仕事中はハイテンションなのです。

で、ウメコが実際に優秀な刑事なのかというと、正直少し微妙ではあります。
小柄な割に身体能力は高く、
とりあえずデカレンジャーになっているだけのことはあって、基本的にプロフェッショナルの刑事としての能力は備えています。
格闘術や射撃なども一人前にこなします。
ただ、他のデカレンジャー達が皆それぞれ特化して優れた能力を持っているのに比べて、
ウメコの場合の特化能力はちょっと微妙です。

まず変装術の名人ということになってますが、別にそんな特殊な変装術を使えるわけではありません。
単にウメコが小柄で童顔であるため、変装するとごく普通の若い女の子にしか見えず、
どう見ても刑事に見えないという、あんまり誇ってよいのかどうか分からない特徴のおかげで変装しての捜査の成功率が高いだけのことです。
ただ、変装しての潜入捜査などで成功するのは、変装そのものの技術よりも、
ウメコがクソ度胸の持ち主で、動揺したりすることが無いからです。
これはこれでなかなか大したものです。

あと、ウメコの得意とするのが交渉術という触れ込みになっています。
つまりネゴシエイターなのだそうです。
しかし、これも何らかの心理学的アプローチなどがあるというわけではなく、
誰に対しても臆することなく交渉することの出来るクソ度胸と、
相手を無駄に緊張させることのない子供っぽい可愛らしい外見が
ウメコのネゴシエイターとしての能力の根源となっています。

あと、やはりネゴシエイターとして最も重要なのは、相手をひっかけたりする小手先のテクニックなどではなく、
まずはどんな相手からでも信用される安心感なのですが、
ウメコは一見頼りないように見えて、とても明るく天真爛漫で純粋な性格なので相手に妙に安心感を与えるのです。
多少頼りない点も、相手にしてみれば騙されているのではないかという警戒心を緩める効果もあります。

ただ、このウメコ流の交渉術は、物語の中ではまともな局面で使われたことはほとんどありません。
だいたいは子供や動物相手に使われる羽目になることが多く、
ウメコが子供や動物に非常に好かれやすいため、それらの局面でウメコ流交渉術は冴えに冴えわたります。
ただ、ウメコ自身はいつも変な交渉ばかりする羽目になっていることに、やや複雑な心境で、
もっとシリアスでカッコいい場面での交渉をしたいようですが、そういう機会は巡ってきません。
これは制作サイドがわざとそのようにしているようで、ウメコにはあんまりカッコいい場面を作りたくないようです。
むしろドジや失敗のシーンが割と多いです。

何故、制作サイドがウメコをカッコよく描こうとしないのかというと、
それは結局このように見てきたようにウメコの刑事としての能力や魅力の源泉は、
その子供っぽさや頼りなさ、そして、それゆえの一生懸命さやひたむきさ、開き直ったクソ度胸、純粋さなどなのであり、
ウメコの颯爽とした活躍シーンばかり描くと、そのせっかくのウメコの美点が損なわれてしまうからです。
むしろ、ドジや失敗をしても、あんまり見せ場が無くても、それでもひたむきに真っ直ぐ頑張るウメコを描いた方が、ウメコのキャラクター性に合うのです。

ウメコというのは、つまりひたむきに純粋に明るく一生懸命頑張るキャラなのです。
つまり、正統派戦隊ヒロインのキャラなのです。
そして、それが変装術や交渉術などのウメコの刑事としての特異能力(やや微妙ではあるが)にちゃんと妙な形で結びついているキャラなのです。

ただ、通常の正統派戦隊ヒロインキャラの場合はもっと無難な立ち位置なのですが、
ウメコの場合は結構アクが強く、ドジなども妙に目立ちます。
それはどうしてなのかというと、このデカレンジャーという作品が従来型の強大な侵略者と戦隊が戦うようなタイプの作劇になっていないからです。
そういう従来型の戦隊の場合、日常が常に危機状態なので、
追い詰められた状況でヒロインがひたむきに頑張る姿勢は自然に生じますし、それを周囲もそのまま温かく受け入れます。

しかしデカレンジャーの場合、仕事で犯罪者の取り締まりを行っているだけですので、通常はそんなに危機意識というのはありません。
追い詰められた状態でないのです。
そういう状態でウメコだけ常にひたむきに頑張る姿勢がマックスなので、
周囲から見ると異様にハイテンションなアクの強いウザキャラに見えてしまうのです。

photo004.jpgまた、そうしたウメコのひたむきな姿勢をウザキャラとして描写するのではなく肯定的に描写しようとすると、
デカレンジャーのような危機意識の低めの世界観の戦隊の場合は、ウメコ個人の状況だけを危機のレベルの上がった状態にすることが多くなります。
例えば仕事上のヘマをして失地挽回のために頑張らねばならない状況となるとか、そういう感じです。
つまり、そうなるとウメコのドジや失敗の場面は増えてくることになります。

ウメコは正統派戦隊ヒロインでありながら、妙にウザキャラであったり、ドジが多かったりするのは、このようにデカレンジャーという作品の特殊性のゆえなのです。
しかし、この正統派の可愛らしい戦隊ヒロインでありながら、ウザキャラでありドジキャラでもあるというのが
ウメコの他の正統派ヒロインには無い魅力にもなっているのも事実です。
そういう意味では、ウメコもまたジャスミンとは違った意味でオンリーワンの魅力を備えた戦隊ヒロインなのです。

作品特化型戦隊ヒロインのジャスミンの魅力がオンリーワンなのは当然としても、
正統派戦隊ヒロインのウメコの魅力までがオンリーワンであるのがデカレンジャーのダブルヒロインの凄いところです。
男性陣の方におけるバンとホージーが互いにぶつかり合いながら理解し合っていったように、
このオンリーワン同士のダブルヒロインの絶妙のペアが互いに自分には無い部分に憧れ認め合いつつ友情を深めていき、
最終的にはここでも「熱いハートでクールに戦う」というプロフェッショナルな刑事の姿に近づいていくのが、
このデカレンジャーというドラマのコンセプトでもあるのです。

結果的にこのジャスミンとウメコのダブルヒロインは強烈なインパクトを残し、
シリーズで初めてダブルヒロインのペアに異名がつけられ、「ツインカム・エンジェル」と呼ばれるようにまでなったのでした。
このツインカム・エンジェルはダブルヒロインの新たな在り方の見本のようになり、
この後の作品のダブルヒロインに大きな影響を与えることになりました。

このジャスミンとウメコのツインカム・エンジェルを筆頭に、デカレンジャーはとにかく登場するキャラが皆、極めて個性豊かでした。
キャラの魅力ではシリーズ随一と言っていいでしょう。
どうしてデカレンジャーのキャラがそんなに魅力的なのかというと、それは全体的な大きなストーリーが無いからです。
全体的な大きなストーリーが無いのでストーリー的な盛り上がりには欠けます。
だからその分、キャラの魅力を高めておかないといけない。
そういう意味でデカレンジャーのキャラの魅力は極限まで高められているのです。

それと同時に、全体的な大きなストーリーを描くためにキャラの特徴が変えられてしまったり、薄味にされてしまったりすることは多々あるのですが、
デカレンジャーの場合、大きなストーリー自体が無いので、キャラがストーリーの犠牲になるということが一切ありません。
だから純粋に設定したままのキャラが最後まで輝きを全く失わないまま保持されたのです。
もちろんストーリーに絡めることで更にキャラの輝きを増すという手法もありますが、
それは難易度が高い方法であり、5〜6人の戦隊メンバー全員のキャラをストーリーの中で輝かせるというのは至難の業です。
それならデカレンジャーのように、設定で記号的にガッチリ決めたキャラの魅力をそのままストーリーを作らずに保持するやり方の方が確実にキャラは立ちます。
ただ、この方法の場合、キャラが変化しません。変化しないということは成長もしないということで、キャラの成長を描くにはあまり良い方法ではないといえます。

それでも、とにかくデカレンジャーのキャラの魅力は抜群で、
よくデカレンジャーは全体的なストーリーは無いが個々のエピソードの完成度は高いと言われますが、
実はそれほどエピソードの筋立て自体の完成度が高いというわけではないと思います。
あくまでキャラの魅力を活かしてのエピソードの作劇なのであり、
キャラが確立しているからこそ思いきった遊び要素をエピソード内に散りばめることが出来ているのです。
その結果、魅力いっぱいのエピソードが仕上がっているのです。

このキャラの魅力とエピソードの充実によってデカレンジャーは高い評価を得て、視聴率はアバレンンジャーとほぼ同水準をキープしました。
玩具売上は116億円と、アバレンジャーより少し減りましたが、これは換装合体方式を止めたので多少減るのは当然であり、それを考えると十分に上出来の部類でした。
ただ、キャラとエピソードの魅力はシリーズ歴代でも最高レベルでありながら、シリーズのこの時期においてこの程度で終わってしまったという解釈の仕方もあります。
それはやはり全体的なストーリーが不在だったからです。

いくら魅力的なキャラや魅力的なエピソードであったとしても、全体的なストーリーの繋がりが無ければ、別に次回見逃しても困らないわけです。
次も絶対に朝起きて見ようという強い想いはそう生まれない。
逆に何時からでも視聴に参加出来るという強みもあるが、やはり一度見逃すと次第にどうでもよくなってきます。
また、キャラに成長も見られない以上、いくら魅力的なキャラでも1年間の間には次第に飽きてきます。
1年間という長丁場の中、そうやって少しずつ視聴を脱落していく人が増えていき、
やはり視聴率は下降していき、玩具も後半はあまり売れなくなっていきました。
ちょうどこの年、デカレンジャーと同時期に放送していた平成ライダーが、平成ライダーシリーズで初めてコケた「仮面ライダー剣」であったことも多少影響していたかもしれません。

デカレンジャーという作品の出来が良かっただけに、その下降曲線は緩やかなものではありましたが、
デカレンジャーの完成度が高かったからこそ、惜しいという気持ちも出てきます。
デカレンジャーに取り組んだエネルギーを使って、
この正義の見出しにくい難しい時代において、全体的なストーリーの備わった作品を作ることが次の課題となるのでした。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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白鳥スワン

swan.jpg白鳥スワンは宇宙警察地球署のメカニック担当で、
デカベース内部のメンテナンスルームでまったりしていることが多いが、実は超天才。
デカレンジャーの等身大の装備は宇宙警察の全惑星支署共通のものですが、
デカレンジャーロボなどの巨大ロボ類はスワンが独自に開発した地球署独自のものなのです。

見た感じ、犬顔の署長とは違って地球人に見えますが、
実際は地球人とよく似た外見を持つチーニョ星人だそうです。
チーニョ星人は耳が2対あるのが特徴で、上部の1対の耳が小さな翼のように見えます。
それ以外はほぼ地球人と同じ外見です。
年齢は不明で、地球人ではないので推測も困難ですが、宇宙警察ではベテランのようで、署長のドギーとは対等の友人のような関係です。
つまりまぁ熟女なのですが、どうやら独身のようです。

その地球署における業務はデカベースのシステムやメカ類の開発や整備が主で、
その他、科学捜査関連を一手に引き受ける(ホージーも科学捜査が得意だが)万能の科学の天才です。
本来は宇宙警察内でもっと重職に就いてもおかしくない逸材なのですが、
地位や名誉に全く興味が無い変人で、地球署でのんびりしているのが好きらしい。
若いデカレンジャー達の母親的存在で、いろいろ相談に乗ったりしています。
また署長のドギーが素で相談出来る貴重な相手で、つまりデカレンジャーチーム内の潤滑油のような存在です。

ドギーとは、あくまで恋愛関係ではなく友人関係なのですが、
スワンに妙に色気があるもので、しばしば変なムードになるが、
スワンが面白がって変なムードにしているようで、からかわれたドギーがいつも少し閉口する。
が、ドギーもスワンに対しては恋愛感情ではないものの、普通の友人以上の同志的な特別な感情はあるようで、
スワンが事件に絡んで危険な目にあったりすると感情的になりがちで、スワンもそういうドギーを好ましく思っているようです。

まぁ司令官そのものではありませんが、ほぼ司令官キャラと言っていい存在です。
歴代作品でも女司令官キャラというのは時々あり、例えばジェトマンの小田切長官や、ハリケンジャーの日向おぼろがいますが、
ここでは彼女たちはヒロインという扱いにはしていませんでした。
ヒロインとして扱うには大物過ぎるというか、貫禄がありすぎるので、なんか失礼のようにも思えたので。

スワンもその同類なのですが、それでもここで準ヒロインとして取り扱っているのは、
このレギュラー司令官的キャラであるスワンがデカレンジャー同様のバトルスーツを着用して戦闘も出来るからです。
そういうことである以上は、無視も出来ない。一応は準ヒロインとして扱っておこうと思った次第です。

なお、他にもデカブライトやらデカゴールドやら、女性刑事キャラも登場しますが、
これらは1回登場のゲストキャラなので、ここでは取り扱いません。
司令官以外の非レギュラーキャラの場合は一応3回登場し変身したホワイトレーサーや姫シンケンレッドあたりがボーダーラインというところでしょう。
非変身ヒロインで3回以上登場のレギュラーキャラの場合は、戦隊を支援しているとか、物語における重要度が尺度になるでしょう。
例えばマジレンジャーにおける小津魁のクラスメートの山崎さんなどは戦隊の支援者でもなく、戦隊の存在自体公式には知らない設定なので、外します。

ただまぁ、このスワンの場合も、マジレンジャーの小津深雪のような明らかな熟女変身ヒロインとは違い、
本来は非戦闘員キャラの設定で、変身する予定は無かったようです。
もし変身していなければ、例えばゲキレンジャーの真咲美希のように、ここでも採り上げなかったでしょう。

変身する予定でなかったスワンがどうして変身することになったのかというと、
スワンを演じた石野真子がスタッフに頼み込んで1回だけ変身させてもらったようです。
往年のトップアイドルに頼み込まれては、スタッフも断るわけにもいかなかったのでしょう。

昔から戦隊シリーズでは司令官クラスにベテラン俳優を起用する傾向がありますが、
これは新人役者で戦隊メンバーが構成されることが多い戦隊シリーズ作品において、世界観に重みを与えるためでありました。
ただ、これ以前のそうしたベテラン役者の演じるキャラというのは、正統派の戦隊的な世界観に共感を示し、それを体現するキャラでした。
正義のために熱く戦う戦隊メンバー達と心を1つにしたキャラでした。

しかし、この石野真子の演じるスワンというキャラは少し違います。
あくまで地球署における業務を支援する役割であり、戦隊的な世界観とは少し距離を置いたクールでとぼけたキャラです。
むしろ、わざわざ石野真子をこの役に起用したのは、戦隊ドラマ視聴者には馴染みの薄い刑事ドラマの方の世界観に説得力を与えるためであったように思えます。

これ以降、ベテラン役者の使い方として、戦隊の世界観以外のもう1つの世界観の方に説得力を与えるような使い方がなされるようになり、
そういう狙いを含んだキャスティングがされるようになっていきます。
例えばボウケンジャーにおける牧野博士役に不思議コメディーシリーズで考古学者役のイメージのある斉木しげるを起用したり、
シンケンジャーで時代劇の大御所の伊吹吾郎をキャスティングしたりするというような感じです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 12:43 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月25日

マジピンク

マジピンク.jpg





















2004年度作品「デカレンジャー」は人気作となり話題作となりました。
それは作品としての完成度が高かったのが大前提でしたが、
今までの戦隊シリーズ作品には無い新鮮な魅力が世間で評判になったからです。
それは単純な子供向けの正義のヒーローではないプロフェッショナルな刑事である戦隊メンバーの
クールでスタイリッシュでコミカルな、まぁ簡単に言えば大人の余裕に溢れたキャラが人気となったということです。
そして、その彼らのキャラの明確さというのは、あくまでキャラ優先でストーリーを二の次とした作品の構成によるものでした。
全体的なストーリーというものが無く、キャラの特徴を際立たせるためのエピソードの集合体というのが「デカレンジャー」という作品の実態でありました。

最初にキャラを明確に決定しておいて、そのキャラに合ったエピソードを作っていくのです。
こういう作り方では、エピソードが集まって1つの大きなストーリーになることはありませんし、
そもそも一貫した大河的なストーリーを作るつもりが無いという割り切りがあるから、このような作り方が出来るのです。
それは、デカレンジャーのメンバーが安定した大人の余裕を持っていることにも繋がるのですが、
世界の存亡を賭けて巨大な悪に対して正義の戦いを挑むというような壮大な正義と悪の戦いを描くような作品ではないからです。
「デカレンジャー」で描かれているのは正義の英雄の物語ではなく、ただの刑事の日常業務です。
だからこそ、今までの戦隊シリーズには無い独特の魅力のある作品となったのです。

そして、刑事の日常の繰り返しという、
子供向けドラマとしては地味過ぎる内容を補う派手な要素として、
主人公チームのメンバーのキャラを記号的に漫画的に個性的なものとする必要があり、
そのキャラ立てが見事にハマったため、更に作品の魅力が増し、
結果的に「デカレンジャー」は歴代作品でも屈指の人気作となりました。

しかし、このような作品というのは、本来のスーパー戦隊シリーズ作品のあるべき姿とはズレたものです。
素晴らしい作品なので、邪道などと言うつもりは毛頭ありませんが、
毎年こういう作品ばかりになってしまえば、シリーズのコンセプトが変わってしまうのは確かでしょう。
「デカレンジャー」は「デカレンジャー」で素晴らしい作品でしたが、同じようなものを続けて作っても仕方ありません。
そもそも長期シリーズ作品というものは毎年新たな挑戦をして、特に前作との差別化はしていかねばならないものです。
「デカレンジャー」もそうして出来上がった作品です。
よって「デカレンジャー」の次の作品は、「デカレンジャー」が世間的に大きな話題となった作品だけに、
根本的な部分で「デカレンジャー」との差別化を図ることになりました。
そうして出来上がったのが2005年度のシリーズ29作品目の作品「魔法戦隊マジレンジャー」でした。

「マジレンジャー」が「デカレンジャー」の真逆であったのは、
徹底して大河的な1年間一貫したストーリーで正義の英雄物語、正義と悪の戦いを描こうとした点です。
こういうコンセプトを回避するところから「デカレンジャー」というドラマが構成されていったわけですから、
逆に「マジレンジャー」は、そのコンセプトを徹底的に追求するところから企画を始めたのです。
第一歩から正反対の道を歩み出したといえます。

しかし、何故、「デカレンジャー」はそれを回避したのか。
別に怠けていたわけではなく、その前作である「アバレンジャー」で、
この正義の不確かとなった現代において、正義と悪の戦いを真正面から描こうとすると、
やたら正義と悪の葛藤を描くのに手間がかかってしまって尺が足りなくなることが分かったからです。
そういうリスクを避けるために、正義と悪の戦いを描くことを避けた結果「デカレンジャー」が出来たのです。

ならば、ここで正義と悪の戦いをガチンコで描こうとするなら、「アバレンジャー」と同じリスクを背負い込むことになります。
そこで、この作品においては、正義と悪の戦いを描きながら、正義と悪の葛藤が存在しない状態を実現することが図られました。
そのためにはどうすればいいのかというと、正義が絶対である世界を描けばいいのです。
しかし、現実世界においてあまりにも正義が不確かである現代、
そんな絶対正義のドラマ世界を描いても、あまりにリアリティが無くて失笑モノです。

では、リアリティの欠如がどうして失笑を生むのかというと、
リアルを求めていながらリアルでないという勘違い感が滑稽だからです。
じゃあ最初からリアルなど一切求めなければ、リアルでない状態はちっとも滑稽ではありません。
しかしリアルを求めずして、いったいどんなドラマを作れるというのか。
リアルを排除すればとりとめのない不条理ドラマとなるだけです。
かつてそれはシリーズでは「カーレンジャー」という例がありますが、
今回はガチンコの大河ドラマを作りたいのだから、「カーレンジャー」のようにするわけにはいきません。

そうなると、現実世界のリアルとは別のリアルを追求するしかないです。
そして、それはこの作品で描こうとしている「正義が絶対である世界」のリアルです。
しかし、そんなリアルは現実には存在しません。
であれば、そういう全くの別世界をリアルであるかのように緻密に作り上げてしまえばいいのです。
正義が絶対であり正義と悪の葛藤の存在しない別世界を現実と同等の緻密さで作りあげてしまい、
その世界を舞台として正義と悪の戦いの物語を描けば、
正義と悪の葛藤など描く必要は無く、ストレートに正義の勝利を描けるのです。
これは要するにファンタジーの手法です。

これまでにもスーパー戦隊シリーズでは「ファンタジー戦隊」というものはありましたが、
それらは戦隊フォーマットにファンタジー的な要素を盛り込んだだけのものであり、
あくまでそこで繰り広げられる戦いは現実世界のものでありました。
しかし、この作品においては、正義と悪が峻別された、現実世界とは全く異質なものとして緻密に構築された異世界における戦いが描かれたのです。
これが真のファンタジーです。

n-houka013-2.jpgそうなると、この異世界には変に現実感など絶対にあってはいけません。
そこでの戦いも、現実世界にあるような武器やメカを使ったような戦いではなく、
非現実的な力を用いた戦いでないといけません。
そういうわけで、魔法で戦うということになり、魔法使いの戦隊の物語となります。
すると、その異世界は魔法使いの世界ということになります。
魔法使いの世界の正義と悪の戦いで、正義と悪が峻別されているということになれば、
正義の魔法世界と悪の魔法世界があり、それが対立して争い、正義の魔法世界が勝利するという物語になります。

両者の間をしっかり峻別するためには、
正義の魔法世界と悪の魔法世界の双方のイメージは対照的なものとするのが良く、
善悪二元論的な西洋の天界と魔界・冥界のイメージで描くことにしました。
つまり、現実世界を挟んで上部に天界があり、下部に冥界があるというイメージで、
天界も冥界も何段階もの位階に分かれており、
その位階はピラミッドのように上位階(冥界においては下位階)にいくほど狭くなっていく(その位置にある者が減る)構造で、
天界の最上位には神、冥界の最下位には魔王がいるという感じです。

魔王は神に匹敵する力を持つ強敵ですが、
西洋二元論的世界観では魔王が神になることはありませんし、神が魔王になることもありません。
神の正義はあくまで100%純粋な正義であり確固としており、
正義の側の戦士の中で正義と悪の葛藤などありません。
正義の戦士は何の迷いもなく悪と戦い、最終的に正義は悪に勝利するのです。

現実社会から見ればアホらしい戯言のようにも見えますが、
そうした天界と冥界の二元論的な物語世界を細部まで緻密にリアルに構築して、
その中で物語を展開させることが出来れば、そういう戯言もリアリティを持たせることが出来ます。
つまり、正義と悪の葛藤を描くことなく、正義と悪の戦いを描くことが出来るのです。

こういう天界と冥界のイメージをあてはめ、
正義の天界・魔法界のような世界をマジトピア、
悪の冥界のような世界をインフェルシアとします。
このマジトピアとインフェルシアの戦いを描くわけですが、
それだけでは人間世界に何の関係も無い話になってしまい、視聴者である人間の子供たちは感情移入出来ませんから、
戦いの舞台は、その両世界の戦いに巻き込まれた人間世界ということになります。

このファンタジックな世界観の中で1年間続く壮大な大河ストーリーを作るとなると、
ここはファンタジーの王道的な展開で描くほうが子供向けには分かりやすいです。
「ファンタジーの王道展開」とは、西洋のおとぎ話や神話によくある英雄譚で、
主人公の少年が敵を倒すために旅に出て、様々な試練を乗り越えて成長し、
最終的に故郷に帰還して敵を倒すという流れです。
この場合、えてして少年は何処ぞの王子であったり、少年の敵はその父親であったり父親の仇であったりして、
少年が父親を乗り越えて英雄へと成長し、それが新たな国や世界の始まりとなる物語として描かれます。

この作品も最初は正義の魔法界マジトピアの王子が人間界へ旅立ち、
そこで悪の冥界インフェルシアの刺客と戦うというような物語が構想されていたようで、
その場合、残り4人の戦士は王子の従者4人組というような感じだったようです。
この5人が魔法使いの戦隊マジレンジャーということになるが、つまり5人とも魔法界の住人ということになります。
しかし、これではやはり主人公たちが人間とはかけ離れた存在になりすぎて、人間の子供の視聴者は感情移入出来ません。
やはり5人は人間世界の住人であるべきです。

もちろんファンタジーの王道展開の英雄譚っぽくするためには、ただの人間ではなく、
何らかの魔法世界の因子を受け継いだ者であるべきですが、
基本的には現実的な人間世界に軸足を置く生活を送る者であるべきです。
「魔法」というアイテムが便利すぎて、どうしても浮ついた話になりがちなので、
何か視聴者に身近な現実的な要素は物語の軸として必要でした。

しかも、主人公の成長物語でもあるわけですから、若い未熟な主人公という設定になります。
そうなると、セーラームーンっぽい学園物語がいいような気もしてきます。
5人は同じ学校に通う高校生で、たまたまマジトピアの魔法使いが転生してきた者達で、
覚醒してインフェルシアの地上侵攻に立ち向かう、というような物語です。
やはり「魔法」というとセーラームーンや前年に始まったプリキュアのイメージから「学生」という連想もあったのか、
一時期そういう案もあったようです。

ただ、学園を舞台にした成長物語となるとメガレンジャーと似てきますし、
高校生戦隊はキャラの個性が分けにくいという欠点があります。
そして、この作品ではあくまで1人の主人公である王子的な少年の成長物語を描きたかったので、
同じ程度に未熟な仲間が4人いれば、主人公の成長物語が霞んでしまいます。
だから主人公であるレッドは高校生でいいのですが、あとの4人はレッドよりは年上で、
自らも成長しつつも基本的にはレッドの成長をサポートするような立場がよいのです。
もうこうなってくると、レッドを末っ子にした兄妹戦隊でいいじゃないかということになります。

つまり5人の兄弟姉妹によるホームドラマの要素を軸とするということです。
また、転生とかじゃなくて、全員がマジトピアの魔法使いの血を受け継いだという、より分かりやすい設定も、
5人が同じ親を持つ兄妹であるならば自然に描写出来ます。
父親がマジトピアの魔法使いで、母親が人間世界の人間で、父親は昔、悪の冥界インフェルシアの王との戦いで行方不明となり、
母親が女手ひとつで普通の人間としてこの小津家の5人兄妹を育ててきて、兄妹は父親の正体も、魔法界の存在も知らない。
そこにある日、インフェルシアの地上侵攻が始まり、母親に真実を告げられた小津兄妹はマジレンジャーとなって戦い始める。
これなら、兄妹は戦う宿命を持っていることになりますし、インフェルシアとの戦いは父親の仇討ちにもなります。
そして、何よりも、兄妹関係や兄妹愛というのは、視聴者の子供たちにとって、
とても親しみや現実感のあるテーマでもあり、
「魔法」という非現実的要素とのバランスも上手く取れます。

ただ、ここで血統というのは、あくまで戦い始める理由づけという意味があるだけで、
血統の良し悪しによって魔法力が変わったりはしないということにしました。
血統で魔法力が決定されるということにしてしまえば、
視聴者から見てマジレンジャー兄妹が人間からかけ離れた存在になってしまい、親近感が減ってしまうからです。
そして、何よりも、そういう先天的因子で魔法力が決まってしまうのなら、
ファンタジー英雄譚の肝である「試練を乗り越えての成長」が描けなくなってしまうからです。

ならば、修行や特訓、あるいは呪文の学習などによって魔法力を高めるという設定にするかというと、それもどうも違います。
単体ヒーローならそれでいいでしょう。厳しい師匠に導いてもらえばいいのです。
しかし、これは主人公である末っ子のレッドを4人の兄や姉たちが支えて成長を見守る物語です。
そして、魔法に関しては兄や姉たちも末っ子と同じ時期に使い始めるのですから、同じようなレベルということになります。
つまり兄や姉たちは魔法技術的には末っ子に対して導いたりするほど優位には立っていないのです。
もし魔法力の向上が修行や特訓、学習など、技術的な要素によるものだとするなら、
兄や姉たちは末っ子の成長の役にはあまり立ちません。
そうなると末っ子にとって兄や姉の存在というのはあまり重要なものではなくなってしまい、
これでは兄妹戦隊である意味はあまりなくなってしまいます。

01.jpg兄や姉たちが末っ子の役に立てるとしたなら、それは精神的な支えという意味です。
ならば、魔法力の向上は精神的な要素によるものだとした方がいいのです。
精神的な成長が魔法力の成長に直結するという設定にすれば、兄や姉たちも末っ子の役に立つことが出来ます。
しかし、同時にここで描かれる成長というのはファンタジーの王道「試練を乗り越えての成長」ですから、
この精神的な成長というのは、試練の場を乗り越えるような類の心の動きということになります。
試練というのは一種の脅威でありますから、それに立ち向かって克服することがその精神的成長です。
それは結局、勇気を発揮するということでしょう。
試練(ピンチ)の場面において勇気を発揮すると魔法力が上がり、
その魔法で試練を乗り越えるというわけです。

普通のヒーロードラマではピンチの場面で勇気を発揮して敵に立ち向かい、
その前向きな姿勢が何らかのチャンスを呼びこんで逆転勝利に繋がるということはよくあります。
ガオレンジャーなどでも、ピンチの場面で何か急に熱血になって叫んで突進したりすると逆転してしまっていたりして、
よく考えたらどうして逆転出来たのかよく分からないのですが、勢いに押されて納得してしまったりします。
マジレンジャーでは、この「何かよく分からない部分」に独特の理屈を与え、
それによって、魔法を題材にしたファンタジーと熱血戦隊ドラマとを結びつけることに成功したのです。

ピンチの場面で勇気を出せば、それに応えて魔法力が上がり、
その魔法力を使って逆転勝利出来るのです。
OPテーマ直前のナレーションでも最後に「魔法、そしてそれは勇気の証」と謳われており、
マジレンンジャーの全員名乗り時のキャッチフレーズも
「溢れる勇気を魔法に変える!魔法戦隊!マジレンジャー!」となっており、
「勇気が魔法を生み出す」というのは、この作品の最重要コンセプトとなります。

問題は、どういうメカニズムで勇気が魔法を生み出すのかですが、
マジレンジャーの魔法力はそもそもマジトピアに居る彼らそれぞれの守護天使のような存在である天空聖者から与えられているもので、
マジレンジャーの誰かが勇気を示せば、それに応じてその担当の天空聖者から
新たな魔法力が与えられるという風に説明されています。
しかし、その天空聖者たちは劇中では変身時のホログラムのような姿以外は出てきませんし、実質いないようなものです。
現象としては勇気を示したら魔法力が上がったというだけのことであり、とても安易な印象を与えかねません。

勇気を示すとマージフォンという携帯電話型の変身アイテムにメールが着信する要領で
魔法力と共にマジトピアの天空聖者から呪文とキー操作の手順の指示が送られてくるという
描写の面白味で、かなりカバーはされていましたが、
何せこれが毎回繰り返されるわけで、そうなると着信描写の面白味だけでは安易さは払拭出来ません。
考えてみれば、同じように安易極まりなかったガオレンジャーの場合、さして安易さが感じられなかったのは、
ガオのメンバーが普段からやたらとアツかったからでした。

やはり日常シーンからの積み重ねというのは大事で、
あんなに普段から熱血してれば、奇跡的な逆転があってもあまり違和感はありません。
それと同じことで、マジレンジャーの場合も、その勇気が示されるまでの日常シーンからの繋がりが説得力のあるものであれば、
勇気が魔法に変わる描写も違和感は無く、むしろカタルシスが生じます。
そして、この勇気というものがファンタジー兄妹戦隊のマジレンジャーにおいては、
兄妹の支えによって試練を跳ね返して発する勇気ですから、
勇気が発現するまでに至る試練を乗り越える経過の描写においての
他の兄妹の関わり方というのが非常に重要になってくるのです。
つまり日常シーンも含めての兄弟姉妹の関係をしっかり描くことが出来るか否かが、
この作品の成否を分けると言っても過言ではないのです。

そういうわけですから、5人兄妹のキャラ設定はしっかりされています。
ただ、デカレンジャーの時とは全く違うキャラ立て手法となります。
デカレンジャーの時はまず極端に記号的なキャラを立ててから、
それら個々のキャラに合ったエピソードをそれぞれのキャラごとに作っていきました。
そこで描かれるのは既に完成したプロフェッショナルの刑事たちによる日常業務の様子でした。

一方、マジレンジャーの場合は、
まずは「末っ子レッドの成長物語」という年間通した大河的なメインストーリーがあり、
4人の兄や姉たちはその末っ子の成長を支える役割の違いでキャラ分けされました。
そして、この5人の未熟な魔法使いの兄妹たちが成長していき、
遂には世界を救うまでの壮大な物語を末っ子レッド中心に描くのが1年間のストーリーであり、
各エピソードはこの大きなストーリーを構成するパーツとして作られました。
だからエピソード内容が5人のキャラに合わせて作られるということはなく、
逆に5人のキャラはエピソードの内容に合わせて臨機応変に変わっていくことになります。

デカレンジャーのキャラはどういう局面でもだいたいキャラごとにパターン化された行動をとり、
そのお約束感が面白味にもなっていたのですが、
マジレンジャーのキャラの場合は、いつでも同じような行動をとるわけではなく、
局面によってはキャライメージと違った意外な行動をとったりします。
キャラの芯の部分がしっかりしていないと、それは「ブレ」に見えてしまいますが、
キャラの芯の部分がしっかりしていれば、そういう意外な一面が面白味となり、「成長」とも解釈されます。
マジレンジャーの場合はもちろん後者であり、
その芯にあたる部分というのが、各自に割り当てられている属性であり、
それが兄や姉たちの場合は末っ子レッドを支える役割の種類と重なっています。
つまり兄や姉たちは末っ子と接する時が一番彼らの本来の姿でいられるのであり、
末っ子もそうした兄や姉たちの前では安心して素直に自分を曝け出せるという、
そういう風に小津家の5人兄妹は深い信頼関係を結んでいるのです。
そして、その信頼関係をしっかり描けば描くほど、5人のキャラは芯がしっかりしていくのです。

主人公で末っ子の小津魁は17歳の高校2年生で、「情熱」という属性を与えられています。
つまり、すぐにカッとなって突っ走る熱血バカです。
この出来の悪い末っ子を大きく広い心でのびのびと育てるのが、
24歳の長男で小津家の第一子にして「寛容」の属性を与えられたマジレンジャーのリーダー小津蒔人です。
また、この末っ子の頭の悪い熱血バカの魁と最も年の近い19歳の第四子にして次男の小津翼は、
クールで冷静な性格のために魁とは反りが合わずにいつも喧嘩ばかりだが、
「英知」の属性を与えられており、なんだかんだで魁の暴走を戒め冷静なアドバイスを与えてくれます。
このように、熱血バカの末っ子の魁を中心に進んで行く話が多いので、物語は基本的にはコミカルなのですが、
コミカルなエピソードを積み重ねながら大河ドラマ的な伏線も積み上げていき、
終盤には大変に壮大な盛り上がりを見せていくのです。

男性陣はこんな感じなのであり、後はヒロインです。
末っ子の魁には2人の姉がいます。第二子で長女の芳香と、第三子で次女の麗です。
つまり、マジレンジャーはダブルヒロイン体制です。
ダブルヒロインということは、前作のデカレンジャーと同じということです。
デカレンジャーがダブルヒロイン体制になったのは、
普通に昔ながらの戦隊ドラマを作るやり方では作品が成立しなくなってきたので戦隊ドラマと別の要素である刑事ドラマを融合させたため、
戦隊ヒロインとは別に刑事ドラマに対応したヒロインも用意せざるを得なくなったからでした。
それが戦隊ヒロインであるウメコと刑事ドラマヒロインであるジャスミンのダブルヒロイン体制となったのです。
そして、このマジレンジャーもデカレンジャーと同じく、
普通の戦隊ドラマに別の要素であるマジカル・ファンタジーを融合させて成立したドラマですから、
普通の戦隊ヒロインとは別にもう1人、マジカル・ファンタジーに相応しいヒロインが必要なのです。
そっちを担当したのが長女の小津芳香の方でした。

n-houka004.jpg小津芳香は、小津家の第二子で、小津兄妹の長女で、年齢は22歳です。
桃色の魔法使いであるマジピンクに変身します。
個人キャッチフレーズは「吹きゆく風のエレメント」で、風に関連した魔法を得意としますが、
風そのものを使った魔法を使うことは意外と少なく、むしろ変身魔法を得意とします。
これは「風」というものの実体の無さ、捉えどころの無さ、変幻自在さなどから
「変身」へと連想が繋がるものです。
だが、この「〜のエレメント」っていうのは
「炎」「雷」「水」「風」「大地」というように、
なんとなく名乗りをカッコよくするためにバランス良く適当なものを配分したという感じで、
これ自体には大して意味は無いでしょう。
むしろ芳香の場合は「変身魔法を得意とする」という設定が先にあって、
そこから連想される名乗りに使えそうな自然現象が「風」だったという感じがします。

どうして芳香が変身魔法なのかというと、変身魔法こそがマジカル・ファンタジーの王道だからです。
いや、日本における子供向けマジカル・ファンタジーの王道といえば、
1960年代から連なる「魔女っ子アニメ」ですが、
芳香の使う変身魔法というのは、小津兄妹の使う魔法の中では最もマンガチックで荒唐無稽なもので、
まさにアニメの魔女っ子の使う魔法のノリそのものなのです。

その変身したものは、扇風機、大砲、ポスト、蜂、車、ノックマシーン、コショウ瓶、ラジオなど、変なモノばかり。
インフェルシアとの戦いで使ったものもありますが、イタズラ目的のものも多く、
そうしたふざけた動機で使うあたりも魔女っ子的です。
変身呪文を唱える前に「変わりま〜す」とおどけるクセもあり、
芳香が「本気のポーズ」と呼んでいる「やる時はやる」という意思を表すらしいポーズは、
セーラームーンや魔女っ子メグちゃんあたりで使われていたポーズの変形でもあり、
芳香は全体的に魔女っ子ヒロインのテイストが強いキャラです。

芳香は職業はモデルですが、あんまり仕事は無いようで、ニートに近い感じです。
だいたい、このマジレンジャーの小津兄妹は、未熟な兄妹という設定であるため、
かつての兄妹戦隊であるファイブマンやゴーゴーファイブに比べると
全体的に年齢も若く、職歴も乏しいメンバーが多いです。
ファイブマンとゴーゴーファイブは全員成人しており、
ファイブマンは全員が元教師で、ゴーゴーファイブは全員が元レスキューの現場のプロであり、
社会的に尊敬される立場の人達ばかりでした。
それに比べ、マジレンジャー小津兄妹は、2人も未成年がおり、
その内訳は高校生、ニート(ボクサー志望?)、家事手伝い、ニート(モデル?)、零細個人農場経営者という風に、
かなり社会的には肩身の狭そうな連中です。
これは別に貧乏を売りにしたいわけではなく、
この作品が兄妹のホームドラマに焦点を絞った作劇になっているため、
兄妹に家庭以外の世界を極力持たせたくなかったという意味でしょう。

また、ファイブマンもゴーゴーファイブも地球を守る戦いを始めるにあたって、
全員仕事は辞めて戦いに専念する態勢をとっているのに対して、
マジレンジャー小津兄妹は、もともとニート同然とはいえ芳香は時々オーディションにも行っていますし、
蒔人は個人農場の仕事は続けています。
もちろん魁は高校に通い続けていますし、
彼らの生活の変化は翼が通っていたボクシングジムを辞めたぐらいのことです。
母親が居なくなってしまったという大きな変化はありましたが、
彼ら個々の生活は実はあまり以前と変わっていないのです。
これも普段通りの彼らのホームドラマを描きたいという制作姿勢の表れでしょう。

芳香が売れないモデルであって、いつも家でゴロゴロしているのも、半分はそうした作劇上の都合なのですが、
しかし、モデルという、やや浮ついた職業は、これまでの戦隊ヒロインの場合、あまりありませんでした。
まぁ演歌歌手をやってた人はいましたが、あれは結構地道にやってましたし、
この芳香の浮ついた感じとはちょっと違います。

そもそもモデルでありながら、あまり仕事が無いのも、芳香の自由奔放過ぎる性格が原因なのです。
かなりフリーダム過ぎる性分で、非常識と言ってもいいでしょう。
年齢の割に幼稚な言動が目立ち、22歳にもなって自分のことを「芳香ちゃん」と呼び、兄妹みんなを「ちゃん」付けで呼びます。
かといって子供っぽいのかというと、男性関係はやたらと盛んで、十五股もかけていたりします。
非常に下半身のだらしない戦隊ヒロインです。
まぁこういうのは大人っぽいとは言わず、やはり、ある意味、子供じみているのでしょう。
いい大人は十五股なんてアホなことはしません。

それに家事なども全く出来ませんし、大雑把でマイペース、ひどい怠け者です。
家庭内では天然ボケな言動を繰り返す見事なまでのトラブルメーカーで、
遊び好きで悪戯好きの困った性格。
特に恋愛話が大好きで、余計なお節介ばかり焼いて、
十五股もかけている割には全く役に立たず、被害を拡大させて兄妹の恨みを買ってばかりいます。

こう書くと、良い点が全く無い最低女のようですが、
これらの欠点は全部、芳香の非常識なまでの純粋さや優しさ、明るさが
モラルを度外視して発揮されてしまっている結果であって、
まぁ結局、自分のそうした美点をほどよく抑制することが出来ない点、
ちょっと異常な人格ではあるのです。

ただ、この非常識な人間は、常人には無い底抜けの明るさと芯の強さを持っており、
遊び大好きな分、社交性も抜群で、
常識に捉われない観察眼でたまに真実を言い当てることもあります。
間違いなく小津家のムードメーカーは芳香で、なんだかんだで皆の心を明るく励まします。

小津家は父親が不在で、母親も物語序盤で居なくなってしまいますから
父母がいない家庭なのですが、
長男の蒔人が父親代わりになって弟や妹たちを引っ張っていっています。
じゃあ母親代わりは誰なのかというと、
一見すると家事全般を引き受けている麗のように見えますが、
実は常識外れの明るさで兄妹の心を常に引っかき回しつつ和ませている芳香が
母親代わりとしての役割を果たしているのです。

家事は全く出来ませんが、
よくよく考えれば父母ともに死んだ(と思っている)小津家というのは、
普通にしていれば暗い境遇の一家であり、
更に貧乏も追い打ちをかけ、インフェルシアとの戦いでもピンチの連続だったりするのですから、
芳香のような一種の非常識な明るさの肝っ玉母さんのようなキャラが必要だといえます。
一昔前のホームドラマの貧乏一家には、
こういうブッ飛んだ非常識系の奔放な母親キャラというのは、よくいたものです。
母親が真面目系だと、ホームドラマは暗くなるので、
こういう芳香みたいな母親代わりは必要なのです。

この芳香の割り当てられた属性は「希望」です。
いつ如何なる時でも、芳香はその持ち前の明るさで兄妹に希望を与える役割を担っており、
末っ子の魁が突っ走って失敗したり、日常のことや戦いのことで思い悩んでいても、
あんまり有効な解決策などは出せませんが、
とにかく明るい前向きな気分にはさせてくれる貴重な話相手なのです。
こうした芳香の肯定的な側面が周囲に対してもよく作用するようになっていくのが
芳香自身の成長でもあり、
終盤にはこの芳香の明るさや純粋さが圧倒的な敵である冥府十神の1人ティターンに届き、
それが一旦大逆転に繋がります。

こうした芳香の一種、素っ頓狂ともいえる自由奔放なキャラ設定や、悪戯っ子ぶりは、
得意魔法が冗談みたいなモノに変身する変身魔法である点も加えて考えると、
やはり、魔女っ子ヒロインの系譜に位置するヒロインなのだと思えます。
だいたい昔から魔女っ子アニメに出て来るヒロインには、
もともと魔法使いであるヒロインと、
人間がたまたま魔法力を持つようになってしまったヒロインの2種類があり、
前者は割と不真面目で、後者は真面目な場合が多いです。
この後者の方のタイプは伝統的な戦隊ヒロインの
真面目で純粋でひたむきという気質と似た部分が多いのですが、
前者のタイプは戦隊ヒロインとは異質なタイプです。

この魔女っ子アニメに戦隊のフォーマットを合体させたセーラームーンなどは、
ひたむきに戦うというヒロイン像を基礎に置きつつも、
性格設定的にはこの両者のタイプの魔女っ子ヒロインをチーム内にバランス良く配分していますが、
主人公の月野うさぎなどは、割と素っ頓狂で悪戯好きでお茶目、
オシャレ好きでチャーミング、恋愛への憧れが強かったりして浮ついた性格で、
前者の不真面目系魔女っ子ヒロインの系譜に属します。
やはり、サリーやチャッピー、メグちゃんなどもこのタイプで、
こちらの方が正統派の魔女っ子ヒロインなのです。

何故なら、日本で最初の魔女っ子のサリーもこのタイプであり、
サリーのモデルとなったアメリカのTVドラマ「奥さまは魔女」のサマンサも、
この活発で奔放で少し非常識で悪戯好きで、
その奔放さゆえに見る人に夢や明るさを与えるタイプの魔女であったからです。
芳香のイメージというのは、肝っ玉母さん的な側面もあるところから、
むしろ、この魔女っ子の原型であるサマンサのイメージに近いと言えるかもしれません。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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2011年02月26日

マジブルー

マジブルー.jpg





















「マジレンジャー」は通常の戦隊ヒーロードラマとマジカル・ファンタジーの融合ドラマであるため、
その戦隊ヒロインには、従来型の戦隊ヒロインと、魔女っ子タイプの戦隊ヒロインというダブルヒロイン体制となりました。
そのうち後者の魔女っ子タイプの戦隊ヒロインを長女の小津芳香が担当しましたので、
前者の従来型の戦隊ヒロインの役割を担ったのが小津家の第三子で次女の小津麗でした。

ちなみに、この芳香と麗の姉妹は外見的に結構似ています。
芳香を演じている別府あゆみと、麗を演じている甲斐麻美が
そもそも2人とも同じような背格好に同じような系統の可愛い顔立ちをしており、
髪型で差別化しようという意図もほとんど感じられないことからも、
わざわざ外見的に似ている2人をキャスティングしたものと思われます。
血の繋がった姉妹という設定にリアリティを持たせるには当然の措置のようにも思えますが、
これは実際はよほど明確にキャラを描き分けられるという自信が無ければ、なかなか出来ないことです。
描き分けの自信が少しでも揺らいでいれば、なんとか髪型だけでも差別化して安全策をとっておきたくなるところです。
これは魔女っ子タイプと戦隊ヒロインタイプを明確に描き分けるという構想が最初から確固としていたということでしょう。

麗は20歳の家事手伝いで、
第二話で母親の深雪がいなくなって以降は、小津家の主婦を務めます。
青の魔法使いであるマジブルーに変身し、
その個人キャッチフレーズは「たゆたう水のエレメント」です。
キャッチフレーズの通り、水を使った魔法を得意としますが、水晶玉を使った占いも得意です。
ピンクと並んでヒロインの配色の定番であるイエローではなくブルーがパーソナルカラーとなっているのは、
麗というキャラの設定によるものでしょう。
ヒロイン色としてのイエローは子供っぽさや元気さ、活発さ、あるいはクールな印象などが強く、
あまり情緒的な深みを感じさせる色ではありません。
それが麗のキャラには合わなかったのでしょう。

「マジレンジャー」は最初から末っ子が男の子で熱血レッドで主役というのは決まっており、
長男がリーダーで兄妹のまとめ役の広い心の持ち主であって
末っ子の成長を温かく見守るという形は当然の流れで決まりました。
そして、それと対照的に、末っ子といちいち揉め事を起こす、末っ子と同レベルの未熟者キャラも必要で、
これは末っ子の1コ上の第四子で兄であるのが望ましかった。
そうなると残りは第二子と第三子で、
この作品はダブルヒロイン制でいかねばいけない作品なので、この2人は自動的に女の子になります。
そして1人は魔女っ子タイプの奔放ヒロインで、
もう1人が正統派戦隊ヒロインの真面目で純粋、ひたむきなタイプです。
どちらが姉に相応しいかが問題です。

これは些細な問題のようで、実は結構重要な選択だったと思われます。
何故なら、やはり普通の人間関係と違って、兄妹関係というのは明確な上下関係だからです。
家庭においては弟よりも兄、妹よりも姉の方がどうしても権限は強くなります。
特にこの小津家のような両親不在の家庭の場合、
年長の兄妹の性格が兄妹という集合体のカラーに大きな影響を及ぼし、
兄妹戦隊である以上、それは作品全体のカラーにも影響を及ぼします。

例えばゴーゴーファイブの巽兄妹は
長兄のマトイの熱血体育会系キャラが兄妹のカラーそのものになっており、
巽兄妹が熱血となることで作品そのものが異様に熱いものになりました。
ファイブマンの星川兄妹は長兄の学の理性的なキャラが星川兄妹そのもののカラーとなり、
そのため、やや大人しめの兄妹戦隊となってしまい、他の兄弟のキャラがあまり立ちませんでした。

マジレンジャーの場合は主役はあくまで末っ子の魁であって、長兄の蒔人は脇役なのですが、
劇中の兄妹関係においてはそういうことは何ら関係ありません。
あくまで年長者が兄妹のカラーを決定していくという原則は不変です。
その点、蒔人の責任感は強いながらもおおらかで程よく熱血バカでコミカルな性格は、
マジレンジャーという作品の明るく楽しいカラーを決定する重要なポイントとなったと思います。

しかし、ここで問題は第二子が女だということです。
第二子というのは下の兄妹たちから見れば第一子に対抗し得る唯一の存在であり、
それゆえ第一子は第二子を徹底的に叩きます。
マトイ兄貴のナガレに対する厳しさや、学と比べて異様に影の薄い健などを見ると、
第二子が男の場合、徹底的に長兄の日陰者となる運命のようです。
しかし、相手が女の場合、長兄はそんなに徹底的に叩くことは出来ず、
価値観の違う生き物として並立することになります。
つまり二番手が女の場合、長兄と長姉が並立する体制となるのです。
そうなると長姉の権限も大きく、そのキャラのカラーも兄妹のカラーに影響を及ぼします。

n-urara027.jpgその場合、長姉が真面目キャラの麗だったら、
せっかくの小津兄妹の明るく楽しいムードが損なわれて、なにか息苦しい空気となってしまいます。
真面目な麗が姉で、奔放な芳香が妹であれば、
麗は芳香のちゃらんぽらんな振る舞いを同性の先輩としていつも注意するでしょうし、
芳香としても姉の意見にはある程度は耳を傾けないわけにはいきません。
そうなれば、せっかくの芳香のイタズラ魔女っ子キャラが損なわれてしまいます。
逆に芳香が姉で麗が妹であれば、兄妹のカラーには芳香の明るさが反映されますし、
芳香は誰からも制約を受けずに奔放に振る舞うことが出来て、
一方の麗の真面目キャラは妹になっても別に損なわれることはありません。
このように、芳香が姉で麗が妹であるパターンの方が優れているので、
第二子は芳香、第三子は麗ということになったのでした。

こうして真面目で純粋な麗が5人兄妹の真ん中の第三子となりました。
この5人兄妹の真ん中というのは、なかなか大変です。
上の兄妹と下の兄妹の間で板挟みになったり、
それぞれの意見を聞いて間を取り持ったり、調整したり、気苦労が絶えません。
それゆえ、一番の常識人であることを余儀なくされがちで、自分というものをなかなか出せません。
しかも麗は幼い頃から成績優秀な優等生で、頭も良いですから、
自分の立場的に思いきったことが出来ないにもかかわらず、
事態の問題点などは見えてしまうので、ストレスが溜まります。
優しい性格なので他の兄妹の言い分や悩みを聞き過ぎて、
自分の意見は押し付けようとはしないので、自分の悩みばかり溜まります。

そもそも、この小津兄妹のカラーが蒔人や芳香の影響でかなりルーズなカラーなので、
麗だけ几帳面でしっかり者で、家事全般をこなし、家計もやりくりしており、
他の兄妹は気楽にやっているものですから、麗ばかりが損をするようになっているのです。
それでも麗は「慈愛」という属性を与えられていますから、
末っ子の魁をはじめ、他の兄妹たちのことを第一に考え、
自分を犠牲にして愛情を注ぎ続けています。
なんとも立派であり、母の深雪も麗にそうした役割をかつて期待し、
兄妹たちももちろん麗に感謝しているのですが、
それでも、麗はまだ20歳の乙女です。
完璧な慈母のように生きられるわけではありません。
心の中に不満は溜まっていき、次第に鬱屈した想いを抱え込むようになります。

「デカレンジャー」のウメコも正統派戦隊ヒロインの役割を担うキャラであったはずでしたが、
「デカレンジャー」という作品自体が
従来の昔から続いて来た戦隊ドラマのフォーマットに別の要素を合わせた作品であったため、
ウメコのキャラ自体が作品のテイストに沿って少し変わりました。
通常の戦隊作品ではごく普通のウメコのひたむき元気キャラが、
クールな作風のデカレンジャーにおいては「やたらハイテンションなキャラ」になって、
それがウメコというキャラの独特の魅力になったのでした。

それと同じように、「マジレンンジャー」においても、
正統派戦隊ヒロインである麗のキャラも作品のテイストに沿って微妙に変わってきます。
「マジレンジャー」は通常の戦隊ドラマに、やたら能天気なおとぎ話のテイストを合わせたものですから、
作品全体がどうしても浮ついた感じになります。
そうした中では、従来の戦隊作品ではごく普通の麗の真面目で純粋で一生懸命なキャラというのが、
相対的に暗く湿っぽいものになってしまうのです。
つまり、この作品では麗は「妙に鬱屈したキャラ」になってしまうのです。

この鬱屈した感じが、あまりイエローやピンクという色には似合わない。
それよりは少し沈んだ色であるブルーが似合うのです。
そういうわけで麗はブルーヒロインとなり、
ブルーから連想して水の魔法を使う設定となり、
また、水晶玉を使った占いを得意とするという設定も、
占いという極めて内向的な行為が麗に似合うからです。

ただ、この「妙に鬱屈したキャラ」というのが
ウメコの時のように独特の魅力になればいいのですが、
単に鬱屈しているだけでは、とても魅力にはならないでしょう。
そこで、どのようにすれば良いのかというと、まずはその鬱屈を解消しなければいけません。
時々、その溜まった鬱憤を解消させればいいのです。

scan43.jpgこれまでの戦隊ヒロインというのは、
辛いことやイライラすることがあっても我慢して自分で解決していました。
それが美徳でありました。
しかし、それはそもそも、それらの過去作品では、
そんなにヒロインだけに負荷を集中させるような環境ではなかったはずです。
だから溜まるストレスもたかが知れていたのであり、
それぐらいなら我慢する方が自然な描写であったからに過ぎません。
麗の溜め込んでいるストレスはそんな程度のものではありません。

兄妹戦隊の中で主婦役をこなす羽目になっていたヒロインは
ファイブマンの星川数美と、ゴーゴーファイブの巽マツリの2人で、
この2人ならば麗と比較的似た境遇であり、
特に数美は第三子である点でも麗と共通していましたが、
星川兄妹はとても理性的で、言い換えれば大人しい兄妹だったので、
そんなに酷いストレスが数美にかかっていたわけではありません。
それでも数美はストレスは感じていたようですが、結局はなんとか我慢していました。
そうして多少の鬱屈キャラで通した結果、数美はかなり影の薄いヒロインになってしまったのです。

もう1人の主婦役ヒロインである巽マツリの場合は、
脳筋バカ兄貴に支配される、ストレスの溜まりそうな兄妹ではありましたが、
マツリは末っ子で女一人であったので、兄貴たちにとても大事にされており、
マツリ自身もやるべきことはきっちりやりつつ精神的には結構甘えていたので、
ほとんどストレスは無かったようです。
しかも巽家には父親がちゃんとおり、マツリはお父さん子であったので、
精神的には満ち足りていたと思われます。

こういうマツリの恵まれた境遇に比べれば
上下の兄妹の板挟みで甘えることも出来ない麗にかかるストレスは格段に大きく、
立場的には似ていても兄妹内の人格者の数で圧倒的に勝る星川兄妹の数美よりも
麗の方がやはりまだ負うストレスは多い。
その数美でもストレスは抱えていたわけで、
それを我慢してしまったためにキャラの影が薄くなってしまいました。
いや、数美は我慢出来るギリギリのストレスだったから我慢してしまったのでしょうが、
麗の抱えるストレスは我慢出来るレベルは超えており、
これを我慢するとなると、影が薄い云々の話ではなく、我慢する描写の方が不自然といえました。
だったら、いっそキレてしまえばいいのです。

そういうわけで、麗は鬱屈したものが溜まると、まずは鍋磨きで息を抜き、
更にストレスが限界まで達すると、突然キレて変顔になって暴走したり暗黒面に堕ちたりする、
キャラ崩壊を起こすようになったのです。
そして、普段が優しく可愛いだけに、このギャップが異常に面白く、
麗は正統派ヒロインでありながら、同時にキレキャラ、暴走キャラとしての魅力も獲得し、
これによって人気ヒロインとなったのでした。

ウメコがハイテンションヒロインとしてオンリーワンの魅力を獲得したのと同様、
麗は暴走ヒロインとしてオンリーワンの魅力を獲得したのです。
この結果、「マジレンジャー」の芳香と麗の姉妹ヒロインは、
奔放魔女っ子ヒロインの芳香と、暴走真面目ヒロインの麗の双方の独特の魅力で
「マジカル・シスターズ」の異名をとるようになり、
前作の「ツインカム・エンジャル」に負けない人気を獲得するようになったのでした。

ただ、単にキレて暴走したり暗黒化したりしても、それは一時のことであり、
根本的に麗の鬱屈が解消されるわけではありません。
それは現実世界では付き物の鬱屈であり、
そういう鬱屈を抱えて人は生きていくものだから、それはそれでいいのかもしれません。
麗というキャラは、このおとぎ話テイストの強い「マジレンジャー」の登場キャラの中では
最も現実感のあるキャラで、
それゆえに従来型の「普通の女の子がひたむきに頑張る」という戦隊ヒロインを務めているのです。
だから、あくまで現実的に、鬱屈を抱えながら地味に小津家の主婦役をして、
他の兄妹の縁の下の力持ちとして自分を擦り減らして頑張るのが似合っているのかもしれません。

しかし、それでも、この「マジレンジャー」という物語は、ファンタジー、おとぎ話なのです。
おとぎ話ならば、こういう可哀想な女の子は救われるのです。
だいたいは王子様と結ばれて夢のような世界へ旅立っていきます。
この「マジレンジャー」の麗においても、同じことが起こるのです。

この「マジレンジャー」という作品は、戦隊ドラマとマジカル・ファンタジーの融合なので、
戦隊ヒロインも従来型の戦隊ヒロインとマジカル・ファンタジー系ヒロインの
2つのタイプが必要というのは書きましたが、
これはヒロインだけの話ではありません。
男性ヒーローにも同じことがいえます。
「デカレンジャー」においても従来型戦隊ヒーローのバンと
刑事ドラマヒーローのホージーが並立していました。
そして、この「マジレンジャー」は、
そもそも小津魁が主役のマジカル・ファンタジーとして構想されたのですから、
当然、魁がマジカル・ファンタジー系のヒーローだろうと思われます。

ところが魁は戦隊ドラマにおける主役でもありますから、
戦隊ヒーロー的な資質も持っています。
いや、むしろ、熱血突っ走り型のちょっとおバカなキャラで、
どう見てもバンと同じタイプの戦隊ヒーローそのものです。
西洋のファンタジーに出て来るヒーローというのは、こういう魁のような熱血バカではなく、
もっと澄ましていて神秘的で高貴なムード漂わす王子様キャラのはずです。
もちろん、魁にも、元最強の天空聖者の血を最も濃く受け継ぐ息子という
由緒正しさというのはあるのですが、
物語の前半はその昔の父親絡みの話も全く進展しないものですから、
魁のそういった側面も全くクローズアップされてきません。

考えてみれば当たり前のことで、
兄妹たちは父親が天空聖者だったことは母に教えられるまで知らなかったわけで、
その母親もすぐにいなくなってしまい、それ以上は父親に関する話は進んでいません。
そうなると魁の中のファンタジー系ヒーロー的な側面は一向に開眼しないわけです。
そういうわけで「マジレンジャー」という物語は、確かに非常に面白かったのですが、
序盤においてはマジカル・ファンタジーの成分が足りない状態でした。
単に戦隊ドラマとして面白いエピソードを重ねているというだけのことで、
どうもマジカル・ファンタジーの壮大な物語としては、
未だ本格的に始まってはいないというのが「マジレンジャー」の序盤の印象でした。

photo002.jpgこの状況を打破して、マジカル・ファンタジーの物語を始動させるために送り込まれたのが、
第20話で登場した第六の戦士、マジシャインことヒカル先生です。
このヒカルという名は芳香が勝手につけた名で、
本名は天空聖者サンジェルで、人間ではなくマジトピアに住む天空聖者なのです。
つまり魔法の国の住人で、王子ではありませんが、マジトピアの王に仕える侍従の立場にあり、
非常に貴公子然とした華やかなオーラをまとった優雅な紳士で、しかもイケメンです。
天空聖者ですから魔法力も高く、新米の魔法使いの小津兄妹を遥かに凌駕する実力者です。

しかし、このヒカルは自分が最前線に立ってインフェルシアと戦うのではなく、
小津兄妹の魔法の先生として彼らを一人前の魔法使いになるよう鍛えることを優先するのです。
それは何故かというと、ヒカル(サンジェル)は、
小津兄妹の父である最強の天空聖者ブレイジェルのかつての弟子であり、
その恩返しの意味もあって、師匠の子供達を戦いの中で一人前に育てようとしているのです。
つまり、ヒカルは小津兄妹の父の過去を知る者であり、
かつての父ブレイジェルのインフェルシアとの戦いの顛末を知る者でもあるのです。
いや、知るどころか、一緒にその戦いに参加していた仲間でもあります。

ヒカルの知る戦いの顛末は、
ブレイジェルがインフェルシアの絶対神ン・マを封印したが相討ちとなり姿を消したということで、
その戦いの中で天空聖者の裏切り者ライジェルをサンジェルが封印したが、
同時にサンジェルもライジェルの魔法でカエルの姿に変えられてしまったとのことでした。
このライジェルの封印が解けてインフェルシアの新たな指揮官メーミィとなり、
同時にサンジェルもライジェルの魔法が解けて元の姿に戻り、
ヒカルという名で小津家に居候して兄妹の魔法の先生であり司令官的ポジションについて
戦いに加わるのでした。

このように過去の戦いの因縁の深いヒカルが味方に加わり、
敵側の指揮官にも過去の戦いの関係者であるメーミィが就くことによって、
大河的なマジカル・ファンタジー物語がいよいよ本格的に動き出し、
小津兄妹たちもその中で大きく成長していくことになり、
同時に先生としてはまだまだ未熟なヒカルも彼らと共に成長していきます。
そしてまた、その中で小津兄妹の父親ブレイジェルの消息も徐々に明らかになっていくのです。

それによって魁がマジカル・ファンタジーのヒーローとしての側面も見せていくようになりますが、
その前にマジカル・ファンタジー系のヒーローとして活躍するのはヒカルで、
「マジレンジャー」の後半のもう1人の主役はヒカルと言ってもいいほど、
メーミィやブレイジェルとの因縁など、ヒカルの見せ場は多いです。
見方によっては、この物語の戦隊ヒーローの役割は魁が担い、
マジカル・ファンタジーのヒーローの役割はヒカルが担っているともいえます。
まぁそのへん厳密に決める必要は無いのですが、
ヒカルがマジカル・ファンタジーの要素を大きく増幅させるためのキャラであるのは間違いないところで、
典型的なマジカル・ファンタジーのヒーローであるのは確かです。

しかも、それはファンタジーの王道的な王子様キャラであるのも明白で、
制作陣は確信犯的にヒカルを王子様キャラとして造形しています。
その最たる証拠が、そもそもヒカルがこの第20話まで登場出来なかった理由としての、
かつての戦いでライジェルにかけられた魔法です。
それは「カエルの姿に変えられてしまう」というもので、
これは西洋のおとぎ話で王子様が悪い魔法使いにかけられる定番の魔法です。

そして、このライジェルの魔法を解く方法は「青の魔法使いにキスしてもらうこと」なのです。
青の魔法使いというのは麗のことで、
つまり、麗(カエルが苦手)がカエルにキスすると、
ライジェルの魔法が解けてカエルは颯爽としたイケメンのヒカルの姿に変わるというわけです。
これはもう完全に王子様であり、
おとぎ話の法則に従うならば、麗は王子様の運命の相手ということになります。

結局、実際に麗は次第にヒカルに惹かれていくようになり、
ヒカルもまた麗に惹かれていき、最後はこの2人は結ばれ、結婚式まで挙げ、
インフェルシアとの戦いが終わった後、
麗はヒカルと共にマジトピアで結婚生活を送ることになるのです。
麗のこの物語は、地味な貧乏生活で鬱屈としていた娘が、
運命の王子様に巡り合って恋に落ち、王子様の国で幸せを掴むという、
伝統的なファンタジーそのものなのです。
麗のこの「マジレンジャー」の物語におけるもう1つの役割は、
こういう女の子向けファンタジーのヒロインを演じることであったのでした。

こういった女の子向けファンタジーは本来はスーパー戦隊シリーズではあまり需要は無いのですが、
この「マジレンジャー」という作品は、レギュラーやセミレギュラーの登場人物に女性が非常に多く、
ストーリーもロマンチックで、アクションも激しい肉弾戦などは避けられており、見た目の綺麗さも重視されており、
おそらくシリーズ歴代で最も女児に人気のあった作品であろうと思われます。
そうした女児層に向けて、この麗のロマンチックなラブ・ファンタジーは
用意されたものであったのでしょう。
それを盛り上げるためにも、もともとの麗の境遇は割と不遇な方が良かったともいえます。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 02:12 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マジマザー

マジマザー.jpg





















マジマザーは小津5兄妹の母親である小津深雪が変身した、白の魔法使いです。
個人キャッチフレーズは「煌く氷のエレメント」で、氷に関連した魔法を得意とします。
小津深雪を演じていたのは元NHK朝の連ドラ主演女優の渡辺梓でした。

深雪はもともとは一般人の女性でしたが、若い頃にマジトピアの天空聖者ブレイジェルと出会い、
互いに恋に落ちて結婚し、5人の子供を設けました。
ブレイジェルはインフェルシアとの戦いが忙しくてほとんど家にはいなかったが、
たまに帰ってきて、その時は人間の姿をして小津勇と名乗っており、
職業は冒険家として、それで家にあまり帰ってこないのだと子供たちには説明していました。

その勇=ブレイジェルは15年前(末っ子の魁が2歳の時)に
インフェルシアの絶対神ン・マを封印するために弟子のサンジェルらと共にインフェルシアに乗り込み、
ン・マを封印しますが、そのまま行方不明になってしまいます。
封印もライジェルの裏切りで不完全なものとなり、
いずれ再びインフェルシアの怪物が地上に侵攻してくることが予想されましたが、
マジトピアは地上の戦いに不干渉の立場でありました。
もともとマジトピアの上層部は地上の戦いに干渉しない立場だったのですが、
それを不満に思ったブレイジェルが自分の家族や人間世界を守るために独断で行動し、
それに弟子のサンジェル達が賛同していたのです。

行方不明となった夫の想いを理解していた深雪は危機感を強め、
マジトピアの最長老のスノウジェルに直訴して弟子入りし、白の魔法使いとなり、将来の戦いに備えます。
夫の意思を継いで自分の手でインフェルシアの地上侵攻を阻止するためでした。
同時に女手ひとつで5人の子供たちを育て上げたのですが、
子供たちには父の勇の真実は伏せ、冒険家の勇が南極で行方不明になったと説明し、
自分が白の魔法使いであることも秘密にしていました。

そして勇が行方不明になって15年後、地上界にインフェルシアの怪物が現れ、
驚く小津兄妹の前で深雪はマジマザーの姿に変身し、怪物を倒し、自分が魔法使いであることを明かし、
末っ子の魁を除く4人の子供達にも魔法使いとなって地上界を守るために共に戦うよう指示します。
魁だけはまだ若くて未熟なので戦いは無理だと深雪は判断したのですが、
魁は兄や姉たちのピンチを助けたいという勇気によって
マジトピアから変身能力を授けられて自力でマジレッドに変身します。

「マジレンジャー」の本編の物語は、
この深雪が変身して子供たちに自分の正体を明かすところから始まりますので、
その前の勇と深雪の物語は後に想い出話として語られるだけで、
本編で描かれるわけではありません。
そして深雪は第二話で子供たちのピンチを救うために
インフェルシアの大幹部の魔導騎士ウルザードと戦って敗れて死んでしまいますので、
序盤2話でいきなりいなくなってしまいます。

その後、延々と出てこないので出番自体は非常に少ないキャラなのですが、
物語において非常に重要な役割を果たしているキャラで、
しかも単なる司令官的ポジションではなく、間違いなくヒロイン的なキャラなので、
変身回数が複数であることもあり、戦隊ヒロインとして採り上げます。

photo03.jpgそれに、出番はこれで終わりではありませんでした。
死んだ後もあらかじめ子供たちあてに残していた魔法メッセージによって
父親の勇が天空聖者ブレイジェルであり、かつて家族と地上を守るためにインフェルシアと戦ったという真実を告げ、
母を失って戦意を喪失した兄妹たちに勇気を取り戻させるきっかけを与え、
その後も子供たちの行き詰った時に幻となってしばしば現れて子供たちを導くようなことをします。

そういう意味でも一貫して重要キャラなのですが、
それにしても最初のメッセージはともかく、その後に現れる幻はいかにも不可解で、
小津兄妹の妄想とも言い切れず、かといって最初のメッセージのような残留魔法のようなものでもなく、
どうも途中から深雪の生死は不明という感じになっていきます。
この謎は終盤に明かされます。
まず明かされたのは父の謎の方でした。

インフェルシアの新幹部メーミィとの戦いの中、
メーミィの策略でマジシャインのパワーをウルザードに吸い取られてしまい
絶体絶命の窮地となったマジレンジャーを何故かウルザードは見逃します。
一応これは正々堂々の戦いを好むウルザードが策略で戦いに水を差したメーミィに抗議した形だったのですが、
実はウルザードはマジシャシンの正義の魔法パワーを体内に大量に取り込んだために変調をきたしていたのでした。

実はウルザードの正体は15年前にン・マを封印する際にン・マの呪いを受けて洗脳され
インフェルシアの大幹部にされてしまった小津兄妹の父親である小津勇=ブレイジェルだったのです。
洗脳が不安定な状態となったウルザードはメーミィの作戦によって封印が解けそうになったン・マに立ち向かう魁の姿を見て洗脳が解け
ブレイジェルとしての正気を取り戻します。
その後、一旦再洗脳されて魁と激闘を繰り広げますが、魁の涙を仮面に受けて完全に洗脳が解けます。
また同時にメーミィはヒカルとの因縁の対決によって倒されます。

しかし、そうなると、小津兄妹の母親の深雪を殺したのは父親の勇だったということになってしまいます。
いくら洗脳されていたとはいえ、これはキツいです。
魁も最初に勇の洗脳が解けた際にはこの母殺しの件で勇を責め、許そうとはしませんでした。
しかし、完全に洗脳が解けた勇は、復活しようとしているン・マを封印するために単身突入する直前、
深雪が生きていることを魁たちに告げ、その後、ン・マを封印してまた消息不明になります。

父の残した言葉の謎を水晶占いで探る麗にヒカルの協力が加わり、
兄妹は第二話での父と母の戦いの際に、母の一撃で父が一瞬正気を取り戻して
母の身体を粒子状に変えて別の場所に転送させていたことを突き止めますが、
どこに母が居るのかは分かりませんでした。

一方、ン・マを封印したことによってインフェルシアの神々である冥府十神が復活して
地上世界に神罰を執行すると称してマジレンジャーの新たな強敵となります。
圧倒的な力を誇る冥府十神に大苦戦しながらマジレンジャーは力を合わせて少しずつ十神を倒していきます。
十神の目的はン・マの転生復活でしたが、
十神は地底世界でウルザード=勇がン・マの魂を体内に取り込んでン・マの復活を阻止していることを突き止め、
ウルザードの行方を追います。

その後、魁たち兄妹は十神の一人トードの罠に落ちて
トードが魂をコレクションしている茨の園に迷い込み、そこで深雪の魂を発見し、
紆余曲折の末、翼の活躍で深雪を復活させることに成功し、
遂に兄妹は母との再会を果たし、マジマザーに変身した深雪と力を合わせてトードを倒します。
しかし同時期、地底世界ではウルザードが十神のティターンに敗れて
ダゴンによってン・マの魂を取り出されて地底世界の底に落されてしまいます。

しかし魂だけあってもン・マは転生しません。
転生には依り代が必要で、その依り代はティターンでした。
ティターンが死ねばその身体を使ってン・マが復活するのです。
ところがそのティターンと芳香が心を通わせ、
ティターンは十神から離反して眠りの湖で永遠の眠りにつこうとします。
蒔人と芳香はティターンを眠りの湖に行かせるために協力し、
ティターンを追跡する十神のワイバーンの目を欺くために芳香がティターンに変身して逃げます。
まんまと騙されたワイバーンの激怒の猛攻の前にマジレンジャーが大ピンチとなった時、
深雪の祈りの力で傷の癒えた勇が真っ赤なボディのウルザード・ファイヤーとなって復活し、
ワイバーンを倒します。
ここで遂に小津家は全員が揃ったのです。
しかし、眠りの湖に辿り着いたティターンは湖に入る直前にダゴンに殺され、
ン・マが遂に転生を遂げて出現してしまいます。

ン・マが完全体になるとマジトピアも危機に陥るため、
完全体となるまでの3日の間にヒカルがマジトピアに帰ることになりました。
ヒカルはこの時点で既に自分の死の光景を予知のビジョンで見ており、
ン・マとの戦いで死ぬことを覚悟していました。
そのヒカルに麗が愛を告白しますが、ヒカルは麗のことを愛していながらも、自分の運命を思い拒絶します。

一方、十神の一人で魁たちの姿を見て神罰の中止を進言したスフィンクスは粛清されてしまいます。そして、深雪の助言によって麗の気持ちを受け入れることにしたヒカルは麗にプロポーズし、
2人は結婚式を挙げ、ヒカルも家族の一員となります。
その小津家が勢ぞろいした結婚式場に
マジトピアが完全体となったン・マによって壊滅させられたという急報がもたらされ、
勇とヒカルはマジトピアでン・マと戦うために出発します。

魁は自分も一緒に行きたいと勇に申し出ますが、
勇に自分との決闘に勝てば連れて行くという条件をつけられ、勇と戦いますが敗れ、
「勇気とは何か?」という問いかけと共に「フェイタル・ブレイド」という奥義技を伝授され、
地上に居残ります。

その地上には十神最強のスレイプニルが現れ、マジレンジャーはなんとかこれを倒しますが、
十神最後の生き残りのダゴンによって深雪がインフェルシアに連れ去られ、
更にはマジトピアで勇とヒカルを殺したン・マが地上に現れ、
何でも喰らってしまうン・マは時間をも喰らい、マジレンジャーを未来の荒廃した地球に連れていきます。

そこでン・マに向かい魁は父から譲り受けたフェイタル・ブレイドの構えをとり、
その奇跡の力に賭けて対峙します。
しかしフェイタル・ブレイドは勇気の究極の境地に達しないと奇跡を呼べない技で、
魁は自信が持てなかった。
だが、兄や姉たちの励ましを受けて、
「勇気とは何か?」という父の遺した問いかけに
「自分で自分の未来を手に入れることを願って前へ進むことが勇気だ」という解答を得て、
フェイタル・ブレイドを放ち、ン・マの術を破り、元の世界へ戻ることに成功します。

そして元の地上世界でン・マに立ち向かう5人のもとに
バンキュリアとスフィンクスと深雪が現れます。
バンキュリアはインフェルシアの初期からの幹部で戦闘力では十神には遠く及ばないが、
バンパイアであるため不死の能力を持っており、
スフィンクスの考えに賛同していたバンキュリアはその能力を使って、
粛清されて殺されたスフィンクスを秘かに甦らせており、
復活したスフィンクスがダゴンを倒して深雪を救出していたのです。
そしてバンキュリアは勇とヒカルも甦らせました。

ここにヒカルも含めた小津家の8人家族が勢揃いし、
家族全員の勇気を合わせてそのまま魔法力にして放出する最大最強の技をン・マに喰らわせ、
パワーを吸収しきれずン・マは爆発して散り、戦いは終わったのでした。

この「マジレンジャー」という作品は、
このように「勇気を魔法に変える」と「家族ドラマ」という初期からのテーマを
1年間一貫して貫き通した稀有なる作品で、物語としての完成度が極めて高いです。
視聴率は1年間も続くドラマならば終盤は下がるのが当たり前(タイムレンジャーのように上がり続けたのは異例中の異例)ですが、
このマジレンジャーは最後までほとんど下がることがなく横ばいを続け、
7%台後半以上をキープし続けていました。
平均視聴率では21世紀戦隊の中ではガオレンジャーに次ぐ成績を残しています。
また玩具も終盤に少し失敗したため、結果的にはデカレンジャーよりは売上は下回りましたが、
108億円を売り上げて、100億以上のラインは死守しました。

この人気を支えたのは児童人気でした。
もともと子供向けを強く意識しての作風で、
特に女児層の人気が高かったのはシリーズにおいて特筆すべき戦隊でした。
前作デカレンジャーのような大人向けの渋めの作風が好きな層には
幼稚で物足りないという印象も一部であったようですが、
それを補って余りある子供からの大きな支持を集めたこの作品は、
21世紀戦隊屈指、いや、シリーズ歴代屈指の名作と言ってよいでしょう。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 13:24 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月05日

ボウケンピンク

ボウケンピンク.jpg




















スーパー戦隊シリーズの2006年度作品はシリーズ30作品目の記念作品ということになりました。
これまでのシリ−ズにおける記念作品的なものというと、
10周年記念作品として作られたライブマンや、15周年記念作品として作られたダイレンジャーの頃は
まだ落ちついた状況で作られていましたが、
その後はオーレンジャー、タイムレンジャー、ガオレンジャーなど、
石ノ森作品の扱いの問題やら、売上不振を受けていたり、
何かとバタバタした状況で作られることが多かったといえます。
その点、ゴレンジャーを第1作とする解釈が確定し、成績好調な作品の続いた後で迎えたこの作品は、
30作品目ということを強く意識した作品となりました。

そういう場合、29作品の集大成的なものであったり、
逆に過去29作品に例の無いものであったり、
あるいは原点回帰的なものであったりと、3つのパターンが有り得ます。
ただ実際に記念作品を作る場合には、この3つのパターンのどれかに限定されるのではなく、
この3つの要素が入り混じったものとなります。
但し、その3要素のどれを主とし、どれを従とするのかの比率によって作品の個性が出るといえます。
この30作記念作品となった「轟轟戦隊ボウケンジャー」の場合は、
原点回帰的側面や集大成的側面はありつつも、
主にはシリーズに前例の無いことにチャレンジした冒険的作品としての側面が強かったのでした。

とはいっても、当初から「30作記念だから特別なことをやろう」という企画から
スタートしたというわけではなかったようです。
最初は通常作品と同じく、まずは前年作品との差別化というところからスタートしたようです。
前作はマジレンジャーですが、
マジレンジャーがその前作デカレンジャーが名作だったために徹底的にデカレンジャーとの差別化にこだわったのと同様、
前作マジレンジャーが名作だったボウケンジャーも、マジレンジャーとの徹底的な差別化が必須でした。

まずマジレンジャーがファンタジー色の濃い魔法戦隊でしたので、
次はそれと差別化する意味で、現実的な世界観で科学戦隊をやろうということになり、
そうなると乗り物系の巨大マシンが出てきて、それが合体して巨大ロボとなる戦隊となります。
つまりメカニカルな巨大マシンの操縦をするような戦士たちとなります。
また、マジレンジャーが未熟な戦士たちの成長物語であったので、
次は最初から完成されたプロフェッショナルで大人な戦士たちの物語にしようということになります。
また、マジレンジャーが家族の心の交流を情感たっぷりに描くドラマであったので、
次は他人同士がドライでクールな仕事として一緒に戦うというような戦隊でいこうということになります。
そして、マジレンジャーが子供向けを強く意識して作られた作品であったので、
次は割と大人にもウケるような内容にしようということになります。

しかし、こうなると、今度はデカレンジャーと似てくるのです。
まぁデカレンジャーのとことん逆をいったのがマジレンジャーなのですから、
その逆をいけばデカレンジャーに回帰するのは当然です。
このデカレンジャーがまた名作なものですから、
デカレンジャーとも明確な差別化を図らなければいけなくなります。
当然、刑事戦隊や警察戦隊など論外ですが、
現実的で乗り物を操縦するクールなプロ戦士の科学系職業戦隊となると、
どうしても表面上はデカレンジャーに近いイメージになります。

ならば、デカレンジャーとの根本的な違いを見せていくしかない。
デカレンジャーの最大の特徴は、あのエピソードの集合体といえるシンプルな構成であり、
大河ドラマ的な縦糸のドラマが存在しないことですから、
この30作目においては、マジレンジャーのように縦糸のストーリーをちゃんと作ればいいのです。
しかし、デカレンジャーであえて縦糸のストーリーを作らなかった理由は、
現在の正義の希薄な現実社会を舞台にして正義と悪の戦いを縦糸のちゃんとしたストーリーで描くと、
正義と悪の葛藤のドラマを避けて通れず、それに描写を割かれて尺が足りなくなってしまうからでした。

この30作目は現実世界のリアルな戦隊となるわけですから、縦糸のストーリーを作ってしまうと、
確かにデカレンジャーともマジレンジャーとも違ったテイストにはなりますが、
正義と悪の戦いを描く以上、正義と悪の葛藤を描かざるを得なくなってしまいます。
デカレンジャーのような警察戦隊の場合は縦糸のストーリーを排除することで戦隊の行動を日常業務レベルに止めて、
正義と悪の戦いにまでボルテージが上がらないように配慮することが出来ました。
逆に言えば、デカレンジャーも警察官である以上、基本的には正義の戦士であるわけで、
ストーリーが大河ドラマ的展開となって戦いのボルテージが上がれば、
通常の作品と同じく、正義と悪の戦いに突入していくのです。

だから、この30作目における戦隊は、ストーリーが大河ドラマ的展開となって、
そのボルテージがとことん上がっていっても、
決して正義と悪の戦いには突入していかない戦隊でなければいけないことになります。
もちろんバトルヒーロードラマですから、戦い自体は派手にやるわけですが、
正義と悪の戦いの図式にならないというのが大事となります。
つまり、警察官のように基本的に正義の戦士ではなく、
善悪に分けた場合どちらかというと善の部類には入るが、
彼らの戦いの目的が正義の悪に対する勝利の実現そのものではない戦隊ということになります。

悪者と戦って勝つことが彼らの目的ではなく、別の目的のために身を挺して戦うのです。
その別の目的を優先させるためには、悪との戦いが義務となってはいけないわけで、
そうなると公的機関所属であってはならないわけです。
公的機関なら悪を放置するわけにはいかなくなってしまいますから。
だから民間団体でないといけないのです。

スーパー戦隊シリーズではあまり描かれてきてはいませんが、
そういったタイプのヒーローというのは昔から存在していました。
メタルヒーローシリーズではレスキューポリスシリーズで若干描かれていましたが、
災害などからの人命救助のために戦うヒーロー像です。
ただ、レスキューポリスシリーズではヒーローは公的機関所属だったので、
結局は犯罪者との正義VS悪の戦いが主になっていきました。
だから厳密にはこれにあてはまりません。

このタイプのヒーローの典型的にして古典的名作は
1960年代にイギリスで制作された特撮ヒーロー人形劇の「サンダーバード」です。
民間人が設立した国際救助隊が様々なマシンを使って世界中の災害から人命を救うお話です。
どうもこの30作目の戦隊は、玩具企画段階では
この「サンダーバード」的なものを志向していたように思えるのです。
各種マシンが戦闘用のものが少なく、ダンプやクレーンやショベルカーやドリル掘削車など、
建設用の重機のようなものが多いのですが、これは「サンダーバード」と同じです。
また、この各種マシンにいちいち数字で番号を割り振っているのも「サンダーバード」と同じですし、
この30番目の戦隊を組織している団体が公的機関ではなく民間の財団である点も「サンダーバード」と同じです。

そしてこの財団サージェスはレスキュー部門を持っており、
そこに所属する戦士として設定された追加戦士用のマシンには消防車、救急車、パトカーもあり、
このサージェス財団というのは、基本的には「サンダーバード」の国際救助隊の司令部と同様の団体であると考えられるのです。
つまりサージェスの表向きの本業は民間資本の国際救助隊と解釈することも可能なのです。

しかし、これだと今度はゴーゴーファイブに似てきてしまうのです。
ゴーゴーファイブも巽博士が作った民間の戦隊で人命救助を最終目的とした戦隊でした。
ただゴーゴーファイブの場合、サイマの怪人が災害を起こすので怪人を倒すことが人命救助のために不可欠という流れになっていたので、
一見普通の戦隊と同じように正義が悪を倒すという行動をとっていただけです。
というより、やはりバトルヒーロードラマである以上、怪人との戦闘シーンを外すわけにはいかず、
ゴーゴーファイブにおいても人命救助を目的としながら怪人と戦う理由づけをする必要が生じたので、
その理由づけのために「サイマ」という特異な敵組織の設定を作ったのが実際のところです。
これと同様に、この30番目の戦隊も、人命救助を目的とするといっても、
やはり怪人とバトルをしないわけにはいかないのであり、
そうなると結局、ゴーゴーファイブと同じようなものになってしまうのです。

それではマズいので、この「サンダーバード」的な重機などを使って他に出来ること、
しかも正義の戦士でない行動をするヒーローというものを考えなければいけなくなります。
サンダーバード的な装備を使えば、陸海空のありとあらゆる場所へ行けるわけで、
そこで物を持ちあげたり、どかしたり、掘ったり埋めたり出来るわけです。
じゃあ何かを掘り出したりするヒーローということで、
ハリウッド映画「インディ・ジョーンズ」のような
冒険家・探検家・遺跡発掘者・宝探しのようなタイプのヒーロー像に辿り着きます。
「冒険家」というのも、「トム・ソーヤーの冒険」「宝島」など古典的名作から連なる、
少年の心をワクワクさせる要素を持ったヒーロー像です。

そして冒険家ならば、正義のために悪と戦うという義務は有りませんが、
インディ・ジョーンズを見れば分かるように、悪人とスリリングな戦いを繰り広げています。
ジョーンズは悪人をやっつけることが目的ではありません。
ただ、考古学者のジョーンズは、彼が行き掛かり上知り得た恐るべきパワーを秘めた遺跡の秘宝を
悪人が悪用しようとするのを阻止するために戦っているわけで、
彼自身が普段から悪人を倒すことや世界の平和を守ることを使命としたり職業としているわけではありません。
彼は秘宝を悪の手から隔離して保護したいだけなのです。

つまり、ジョーンズのような冒険家ヒーローでも
「秘宝を悪人から隔離して保護するため」という理由付けをすることによって、
ちゃんと悪人とバトルするヒーローとして描写出来るのです。
秘宝を悪人が奪って悪用すれば世界に大きな災厄がもたらされるわけですから、
それを阻止するジョーンズの行動は正義であり、
ジョーンズ自身、自分の行動が世界の正義に貢献するものだという自覚はあるでしょう。
しかしジョーンズは悪人が秘宝を奪おうとしない限りは悪と戦わないわけで、
そういう意味では根っからの正義の戦士ではありませんので、
ジョーンズの物語がどれだけ深まっていっても、そこに正義と悪の葛藤は生まれません。

「インディ・ジョーンズ」シリーズは決して薄っぺらい物語ではなく、
深いテーマを秘めた物語なのですが、
そこから生じるのは正義と悪の葛藤などではなく、ある意味、それよりも深いものかもしれません。
だいたい「インディ・ジョーンズ」の物語の結末は、
秘宝に込められた深淵にして神秘的な叡智は悪人の邪な欲望などを超越しており、
悪人は神罰を受けるかのように秘宝によって滅び、
ジョーンズはその叡智の前に茫然とするという形となります。
つまり、秘宝の叡智は悪人はもちろんジョーンズの手にも入らず、
秘宝は善悪など超越した存在として、手の届かないところに去って行くのです。
ここには正義と悪の葛藤など生じません。
むしろ、正義や悪を超えた価値が語られているのです。

この「インディ・ジョーンズ」の物語の構造をそのまま戦隊作品化すれば、
それはそれで面白い趣のものが出来たかもしれません。
しかし、日本には既にこの「インディ・ジョーンズ」の世界観とSFスパイチームアクションを融合させた優良なコンテンツが有りました。
それが「スプリガン」という漫画です。

これはアーカムという民間の財団によって組織されたスプリガンという
特殊技能を持った戦士たちで構成される秘密チームが、
世界各地にある現代科学を遥かに超える恐るべき古代のオーバーテクノロジーを秘めた
遺跡や遺物(オーパーツ)を、それを悪用しようとする者たちの手に渡らないようにするために
回収や封印をして回るという物語です。
その過程で悪の組織とのオーパーツ争奪戦で熾烈なアクションも満載で、
スプリガンの武器や装備には、回収したオーパーツに秘められたオーバーテクノロジーも
アーカム研究班によって解析されてフィードバックされていくのです。

この「スプリガン」の設定が非常に戦隊に応用しやすそうな設定であり、
しかも30番目の戦隊の初期案であった民間財団の組織したサンダーバード風の国際救助隊という設定との相性も良かったので、
制作陣は初期案を改良して、この「スプリガン」の戦隊版の設定を作りあげたのでした。
それが「轟轟戦隊ボウケンジャー」です。

n-sakura001.jpg文化財の保護などを行う、一見善良穏健なサージェスという民間の財団があります。
そのサージェスは秘密裏に世界各地に眠る危険なパワーを秘めたオーパーツ、
すなわち彼らの言う「プレシャス」というものを回収管理して、
それが悪用されたり高値で取引されたりしないようにしています。
しかし、そのプレシャスの回収業務は、プレシャス自体が発見し近づくことが困難な場所にあり、
プレシャス自体が危険なものでもある上に、プレシャスを狙ってくる悪の組織の妨害も頻繁であり、
非常に危険な任務となります。

そこでサージェスはプレシャスを発見して回収するために有用な特殊技能を備えた
冒険のプロフェッショナルの秘密チーム「ボウケンジャー」を結成し、
プレシャスの回収任務にあたらせることにしました。
そして彼らにプレシャスを研究してサージェスが得たオーバーテクノロジーをフィードバックして開発した
耐久スーツや巨大マシンなどを供給し、プレシャス回収に伴って生じる障害を排除させ、
任務を円滑に遂行させることにしています。
同時にそのテクノロジーは後に計画されたサージェスの国際救助活動にもフィードバックされています。

これらの任務に使用されるサージェスのマシン類には、
プレシャスから得たオーバーテクノロジーで開発された
「パラレルエンジン」という特殊なエンジンが搭載されており、
これがマシンやボウケンジャーの耐久スーツの大きなパワーの動力源となっている上に、
マシン同士を合体させて巨大ロボとして動かして更なる巨大なパワーを発揮させることが出来るのです。

この「ボウケンジャー」という作品のシリーズ集大成的な側面というのは、このマシンの合体機構で、
過去にあった「数台のマシンが合体して巨大ロボになる」という合体パターンと、
「巨大ロボの腕や足をパーツで付け替える」という換装パターンを組み合わせていることでしょう。
しかも、これが特殊で、腕を付け替えても、
付け替える前に腕だったパーツが余剰パーツとして外れるのではなく、
ボディの別の箇所に付け替えられて巨大ロボを構成するパーツとして残るのです。
つまりどんどん巨大ロボを構成するマシンの数が増えていくのです。

これは、巨大ロボのパワーが、ロボを構成するマシンに搭載されているパラレルエンジンの出力数の合計そのものだという設定によるものです。
つまり合体に参加しているマシンが多ければ多いほど巨大ロボは強力なものになるのです。
こうして合体に参加するマシンの数は増え続け、遂には最終的には10体合体ロボまで登場することになりました。
ここまで多くのマシンが合体する巨大ロボはシリーズでは前例の無い新しい挑戦でした。
この10体以外にも多くのマシンやロボが登場し、複雑な組み合わせを披露した「ボウケンジャー」は、
マシンやロボの側面ではかなり冒険した作品だといえますが、
その分、新マシンや新ロボの登場や活躍に関わる描写が多くなりました。

また、これと同様、「過去作に例の無かった新しい挑戦」でありながら
同時に「過去作の集大成」でもある点としては、敵組織の設定があります。
ボウケンジャーの敵組織というのは、
ゴードム、ジャリュウ一族、ダークシャドウ、クエスターというふうに、全部で4つ出てきます。
これ以前のシリーズ作品は、敵組織というものが無かったカクレンジャー前期とデカレンジャーを除いては、
1作品につき敵組織は1つでした。だから4つも敵組織があるというだけでも斬新なのです。

そして、集大成的側面としては、この4つの敵組織が過去の戦隊をモチーフにしている点があります。
ゴードムはマジレンジャーおよびオーレンジャー、
ジャリュウはジュウレンジャーおよびアバレンジャー、
ダークシャドウがカクレンジャーおよびハリケンジャー、
クエスターがダイレンジャーなどと言われていますが、
まぁこの辺りは半分遊びのようなものです。

ボウケンジャーの場合、大事なのは単に敵組織が4つということではなく、
これら複数組織が同時存在していることです。
これは、あくまでボウケンジャーがプレシャスを手に入れることを目的とした戦隊であるということを強調するためです。
もし1つの敵組織、仮にゴードムだけを相手にプレシャス争奪戦を繰り広げていくと、
結局いつもゴードムと戦っているわけですから、実質的には「ボウケンジャーVSゴードム」の物語になってしまい、
変に宿命の対決的になってしまい、プレシャス争奪戦の影が薄くなってしまいます。
だから、物語の焦点が1つの敵組織に結ばれてしまわないように、
敵組織を複数同時存在させて、交替制でボウケンジャーと戦わせるのです。

実際はこの複数組織同士はプレシャス獲得のために一時的に手を結んで一緒にボウケンジャーを襲ってきたり、
逆に反目し合ってボウケンジャーと三つ巴の戦いになったり、いろいろと複雑な様相を呈するのですが、
とにかく基本的には印象は4分の1に薄まるわけで、
しかも彼らがプレシャスを手に入れたいのは、プレシャスを得ないと大した力が無いからであって、要するに弱いのです。
ボウケンジャーにとってはプレシャス獲得を邪魔する障害物程度の扱いでしかありません。

そうして敵組織の存在感が薄くなると、自然に物語の焦点はプレシャスに結ばれます。
ボウケンジャーがどのようにしてプレシャスを手に入れるかというのがストーリーの中心で、
その過程で敵組織との戦いもあり、そこはアクションのレベルを上げて見栄えのするものにはしていますが、
デカレンジャーの場合と同じく、敵が弱いと、どうしてもアクションで盛り上げるのも限度はあります。
ただ、ボウケンジャーの場合、たまに敵がプレシャスを手に入れてやたらと強力になって
ボウケンジャーが絶体絶命になることもあります。
しかし圧倒的に多くのプレシャスを確保しているサージェスは
その敵のプレシャスを上回るオーバーテクノロジーの新兵器を投入して逆転してしまえるのです。
それがパワーアップイベントということになり、そういう時はかなりアクションでも盛り上がります。
こういう点はデカレンジャーよりも優れています。

こういう事が出来るのは、
やはりチンケな犯罪者と違って、ボウケンジャーの場合は4分の1に薄められたとはいえ、
やはり敵が一貫して存在する組織だからです。
つまりデカレンジャーの敵よりは格段に存在感はあるわけで、物語の縦糸に成り得る存在なのです。
実際、この敵組織を積極的に物語の縦糸として活用しようとしていた気配はあります。
ボウケンジャーの各メンバーと、この複数の敵組織の面々との因縁を構築しようとしていました。
例えば暁とリュウオーン、真墨とヤイバ、蒼太とシズカ、映士とクエスターという組み合わせです。

これはデカレンジャーでは決して無かった傾向です。
デカレンジャーでそれをやってしまうと正義と悪の葛藤が生じるからです。
しかしボウケンジャーの場合、そもそも単なるプレシャス争奪戦ですから、
いくら敵との因縁が深くなっても、ドラマ的な面白味が増すだけで、正義と悪の葛藤は生じません。
このようにボウケンジャーが正義のヒーローでない以上、
物語の縦糸になるストーリーはいくら作っても大丈夫なのです。

むしろ、クールで深みのある人間ドラマを描こうという方針のもと、
ボウケンジャーの各メンバーは全員、過去にトラウマのある設定となり、
任務をこなす日々の中で、それを解決して自分なりのボウケンジャーとしての精神
「冒険スピリッツ」を見つけていくというのが、この物語の主要な縦糸となるのです。
そして横糸となる各回のエピソードは、
毎回下される新たなプレシャスの獲得指令に基づいたミッションの顛末ということになります。
その中にはもちろん敵対する組織とのバトルも含まれるのです。

これは、確かに非常に面白そうな構成であり、実際、面白かったです。
ただ問題は、そんな正義のヒーローでもないような連中を主人公にしても大丈夫なのかという点です。
スーパー戦隊シリーズを見ている子供たちは、正義のヒーローを観たいわけであって、
そのニーズに沿わないことをするのは得策ではないのではないかという危惧はあります。
ボウケンジャーの面白味というのは、割と大人向けの面白味であって、
勧善懲悪が好きな子供たちにはウケないのではないかとも心配されます。

しかし、過去に勧善懲悪でなく、かなり大人向けのハードな内容であった
タイムレンジャーの視聴率は非常に良かった例もあり、
あれは子供たちにも支持はされていたと見ていい。
このように子供だって勧善懲悪でないヒーローを理解する能力は有り、
実際にこの世界には「正義」や「勧善懲悪」を標榜していないヒーローがたくさん存在するのです。
そういうリアルなヒーローについて子供たちに教えるのも
スーパー戦隊シリーズの果たすべき役割ではないかという意見にも一定の説得力はあります。

いや、普段ならあまりそういう意見は支持されなかったと思いますが、
30作記念作品という「過去に無い挑戦をしてもいい」という特別感が、
「シリーズとして、そういう新しい志を持ってもいい」という意見に
支持を集める効果をもたらしたのではないかと思います。

そのボウケンジャーの戦隊ヒロインですが、
デカレンジャー、マジレンジャーに続いてダブルヒロイン制になっています。
ということは、デカレン以降のパターンで、
1人は従来型の戦隊ヒロインで、1人は作品世界を象徴するヒロインというやつです。
つまりボウケンジャーという作品が、
正義の戦士ではない冒険家チームのクールなミッションを描く作品であると同時に、
それでも戦隊というフォーマットで作られているという側面もあるため、
その2つの世界観にそれぞれ対応するメンバーを戦隊メンバー内に配する必要があり、
ヒロインもそのため双方の役割を担ったヒロインを1人ずつで計2人必要ということです。
そして、ボウケンピンクに変身する西堀さくらは、作品世界を象徴する方の役割を担ったヒロインです。

scan86-2.jpgさくらはボウケンジャーのサブチーフです。
ボウケンジャーは追加メンバーの映士も入れて6人ですが、
そのうち映士が年齢不詳、菜月が実年齢が10万歳で肉体年齢19歳と、結構ややこしい年齢設定になっています。
まぁしかし、上から順にチーフの明石暁が24歳で、映士がそれと同じくらいで、
次いで蒼太が23歳、その次がさくらで22歳です。
年齢的には蒼太の方が上なのですが、それでもさくらの方がサブチーフというのは、
ボウケンジャーを結成するように暁がサージェスから依頼された際に、
真っ先にスカウトしたのがさくらだからです。

つまりボウケンジャーという戦隊は一斉にメンバーが集められた戦隊ではなく、
最初は暁1人で、暁が1人1人スカウトして人数を増やしてきた戦隊なのです。
暁はメンバーの選定も任されている大きな権限を持ったリーダーレッドなのだといえる。
この有能で強いリーダーシップを持ったレッドというのは、ゴーゴーファイブのマトイ兄貴以来久々で、
昔の戦隊はこういうレッドばかりだったので、これは原点回帰だといえます。

このチーフの暁が最初は1人で、
すぐにさくらをサブチーフとしてスカウトしてボウケンジャーは2人になり、
その後、元スパイの蒼太をスカウトして3人目とし、しばらく3人で活動していた時期があったようです。
これはサージェスの提供する装備と関係があるようです。

ボウケンジャーの結成が何時頃なのかは不明ですが、そんなに昔のことではなく、
おそらく本編開始の半年ぐらい前でしょう。
サージェスはボウケンジャーの立ち上げから暁に色々と相談していたと思われ、
暁のリクエストで10機のマシンを作る計画を進めていったと思われます。
そして暁はまず最も基本的な陸海空での活動をするために必要な
1号機、3号機、5号機の3機のマシンを先に完成させて、
その3機のマシンを使って回収出来るプレシャスは先行して集めていこうとしたようです。
だから、まずは自分を含めてその3機のマシンの操縦者として3名のメンバーがいればよかったわけです。
ちなみに、さくらの操縦マシンは潜水艦型の5号機ゴーゴーマリンで、
さくらの個人キャッチフレーズ「深き冒険者」は、この自分の操縦するマシンのイメージに由来します。

この3人でやっていたボウケンジャー第一期の活動は「ボウケンジャー」本編では描かれません。
物語が始まるのは、ようやく2号機と4号機が完成して、
1〜5号機の5機のマシンでダイボウケンという巨大ロボに合体して活動することが出来るようになり、
そのために2号機と4号機の操縦者として真墨と菜月を暁がスカウトし、
ボウケンジャーがようやく5人になって最初のミッション、ゴードムの心臓というプレシャス回収のシーンからです。

このように、ボウケンジャーの本編開始前の前史において、
さくらは2番目のメンバーとして暁にスカウトされたわけで、
暁にとっては、まずさくらがいなければボウケンジャーが始まらないというぐらい重要な人材だったことが分かります。
そのさくらの経歴は、元自衛隊の特殊部隊員で、射撃のオリンピック候補というものです。
軍人出身の戦隊ヒロインというのはチェンジマンとオーレンジャーで例はありますが、
それらは軍内部で作られた軍人のみで構成された戦隊であり、
そこにおけるヒロイン達と、ボウケンジャーにおけるさくらの意味合いは全く違います。

ボウケンジャーという民間戦隊における元軍人はさくらだけであり、
他のメンバーはトレジャーハンター3名と、産業スパイ1名、プータロー1名ですから、
まともな職についていたのはさくらだけという有様です。
さくらだけがメンバー内で際だって堅いイメージで、
しかも自衛隊特殊部隊ですから、その堅さは飛び抜けたものとなります。

もともと暁は最強のトレジャーハンターと呼ばれた男で、あらゆる能力に秀でていたのでしょうが、
やはり真に最強だったのは秘宝を手に入れる能力そのものであり、
他の能力に関しては必ずしも最強といえるほどではなかったと思われ、
ボウケンジャー結成時、その不足を補って最強のチームを作るために、
ボウケンジャーに必須の特定分野で自分よりも優秀な人材を2人スカウトしたのでした。

まずはプレシャス強奪を目的に襲撃してくる悪の組織である
複数のネガティブ・シンジケートとの戦闘を想定しなければいけないので、
戦闘のプロ中のプロであるさくらを情勢分析や作戦立案や現場指揮を任せられる人材としてスカウトし、
次いで、プレシャスやネガティブ・シンジケートに関する情報を常に収集しなければならないことから、
情報収集のプロ中のプロである元産業スパイの蒼太をスカウトしたようです。
このうち、特に不可欠なのがさくらの能力で、
それゆえ、さくらは真っ先にスカウトし、サブチーフとして迎えたものと思われます。

このように、暁はさくらのことを純粋にその能力で高く評価して信頼を寄せているのですが、
さくらの方は少し違うようです。
もちろん、さくらも暁が自分の能力を高く評価して、能力を存分に振るわせてくれることや、
それ以上に、チーフとしての暁の能力の高さや、その指示の常に的確であることから、
暁に対して全幅の信頼を寄せています。
ただ、それはボウケンジャー加入後のことであって、
そもそも自衛隊特殊部隊員ともあろう者が、
怪しげな民間財団の宝探しチームへの勧誘にやって来た元トレジャーハンターを最初から信頼するのは不自然で、
しかし信頼したからボウケンジャーに参入したのであり、
では何故、さくらは最初の時点で暁を信頼したのかが問題です。

それは「一緒に自分だけの宝を探そう」という暁の口説き文句に心を動かされたからです。
何故、こんなキザな言葉に動かされて自衛隊を辞めてしまったのかというと、
もともと自衛隊に入った動機も似たようなものだったからです。
さくらは日本有数の財閥である西堀財閥の一人娘で、
将来は財閥を継ぐことを期待されて子供の頃から厳しく育てられ、
常に冷静に真面目に、親の決めたレールを淡々と進むように言い聞かせられてきました。
しかし、さくらはそういう人生に嫌気がさして、自分のやりたいことを見つけるために自衛隊に入ったのでした。

どうして自衛隊の、しかも特殊部隊に入ったかというと、
おそらく西堀財閥の影響を排除して自分の実力だけで勝負出来る最もシビアな世界を求めたからでしょう。
つまり、別に社会の平和を守るためとかいう正義感や使命感などがあったわけではなく、
お嬢様の自分探しのために自衛隊に入っていただけだったのです。
そして結局、自衛隊の特殊部隊に入り、射撃でオリンピック候補にまでなっても、
それでも「自分のやりたいこと」は見つかりませんでした。

そういう時に「一緒に自分だけの宝を探そう」と言われて、心動かされてしまったのです。
要するに、もともと夢見がちなお嬢様だったので、
こういう夢想っぽい口説き文句に反応してしまったといえます。
いや、それでもいきなりやって来た怪しげなトレジャーハンターをこれだけで信頼するのは異様です。

暁はこういうキザっぽい口説き文句を言うヤツなのですが、
同じように口説いた蒼太は産業スパイに挫折して廃業していたところだったので
ボウケンジャーに傾く理由は十分にあったが、
さくらの場合は漠然と虚無感はあっても現役自衛官だったわけで、仕事上の挫折があったわけでもありません。
だから簡単に口説かれるのは不自然です。
まぁここは、要するにこの時点でさくらは暁に恋してしまったということでしょう。
つまり一目ぼれです。

このように、さくらという人間は、生真面目、沈着冷静、頭脳明晰で戦闘力も高く、
一見クールビューティーを絵に描いたような人間なのですが、
実はその内面はかなり夢見がちで乙女チックなのです。
そして、さくらの「自分のやりたいこと」というのは、
親の特殊な教育方針や家の事情によって奪われた本来の夢見がちで乙女チックな自分の感情を素直に表現することなのであり、
それが「自分だけの宝」なのです。
だから、自分の乙女チックな感情を最も強く刺激した男性である暁にくっついていけば、
「自分だけの宝」を手に入れることが出来ると、さくらは直感し、
それでボウケンジャーに参入したのです。

ただ、そういう願望はかなり無意識的なもので、
表面意識は子供の頃からの習慣で相変わらず生真面目で冷静で感情表現少なめで、
暁もさくらのことをそうしたクールビューティーとして理解し信頼しているので、
さくらもその暁の信頼に応えたいので、冷静に真面目にあろうと努力するというおかしな状態となっています。
無意識的な本音では暁の前で素直に乙女チックな自分の気持ちを曝け出したいのに、
その暁がさくらのクールさを信頼しているので、
暁に嫌われたくないさくらは暁の期待に応えてクールにひたすらサブチーフとして任務に励むのです。
要するに鈍感男の暁が悪い。

暁はかなり大雑把な性格なので、そもそも組織人に向いていません。
だから、おそらくボウケンジャーという組織の細かな規則などを作ったのはサブチーフのさくらでしょう。
暁がさくらの組織人としての能力を信頼して、規則作りなどは一任したのでしょう。
だから「ミッション中はコードネームで呼び合う」などの規則も作ったのはおそらくさくらで、
さくらがそのルールを一番ちゃんと守り、他の者にも守るよう口うるさく言うのです。

暁はボウケンジャーを作った人間であり、
ある意味、ボウケンジャーという組織に縛られない特別な地位にいます。
ボウケンジャーという組織に縛られて、
最もボウケンジャーという組織のルールを体現する人物は、実際はさくらの方でしょう。
さくらこそがボウケンジャーというチームを象徴する存在なのです。
クールにプレシャス回収のミッションをこなしていくという
ボウケンジャーの在り方をまさに体現するヒロインがさくらなのです。

suenaga004.jpgそして同時に、クールにミッションをこなしながら、心の中では夢見がちで、
自分の中の宝を純粋に求めているというさくらの内面も、
まさにボウケンジャーを象徴する心情なのだともいえます。
「クールにミッションをこなしながら、自分の宝を探し夢を追う」というのがボウケンジャーだからです。
それを象徴するヒロインがさくらです。

このボウケンジャーの精神には従来型の戦隊ヒロインの必須項目である「他者への無償の慈愛」というものが有りません。
だから、このボウケンジャーの精神を象徴するさくらは従来型の戦隊ヒロインとは、やはり異質な存在で、
ボウケンジャーという作品に特化したヒロインなのです。
そして明石暁も同様に、ボウケンジャーの精神を象徴する男性ヒーローであり、
暁とさくらは似た者同士なのです。

このようなさくらは、
クールビューティーで沈着冷静、生真面目でいつも誰に対しても丁寧語で話し、
仲間にも名前に「君」「さん」を常につけて呼び、
ミッション中はコードネームを頑なに使い、感情表現も最小限でありながら、
時々本性の乙女チックが出て、パフェのヤケ食いをしたり、
虫を見て大騒ぎしたり、キレて暴力を振るったりし、
暁に対しては恋愛感情を隠そうと努めて異様なツンデレ状態となりつつ、
周囲にはバレバレで、散々イジラれてしとろもどろになり、
それなのに暁本人にだけは全く伝わっていないという酷いラブコメ状態で、
かなり愉快なキャラになっています。

これだけでも記号的なキャラづけとしてはかなりの出来栄えで、
ボウケンジャーは他のメンバーもこの記号的なキャラ設定としてはかなり濃く、
デカレンジャーに迫るものがあります。
実際、ボウケンジャーにおいても、この記号的なキャラを活かす形で
各エピソードのストーリーは作られているので、
さくらをはじめ、ボウケンジャーのメンバーは、デカレンジャー的な意味ではキャラは非常に立っています。

ただ、各キャラの縦糸のストーリーに関しては、
マジレンジャーの時のようにはしっかり描けていないように思えます。
例えばさくらの場合は、素直に自分の感情を出せるようになることが、さくらにとっての「自分だけの宝」であり、
それを手に入れることがさくらにとっての冒険の意義だったという物語を
縦糸のストーリーとしてしっかり描かねばいけないはずだった。
それが出来てこそ、デカレンジャーやマジレンジャーとの差別化がしっかり出来て、
デカレンジャーやマジレンジャーを超えたということになるのですが、
肝心のそれがどうもボウケンジャー全員についてやや消化不良で、
さくらの財閥令嬢や自衛隊員だったという過去なども、
単に現状のさくらの面白い記号的なキャラの理由付け以上の意味は無く、
あまりさくらが素直に自分の感情を出していくようになる描写も積み重ねられなかった。

端的には年下の菜月や真墨を呼び捨てで呼ぶようになったり、
自然に笑えるようになったりという描写はありましたが、
ここで縦糸としてしっかり描くべきはそうした端的描写ではなく、
暁との恋愛ストーリーの進展であるべきでしょう。
別にドロドロの恋愛劇を見せるべきとは思わないが、
さくらの最も素直に表したい感情は暁への想いなのだから、
それに関するチャレンジはしっかり段階的に描写すべきだったでしょう。
それなのに、それはコメディ的に少し触れられるだけで、ちゃんと縦糸のストーリーにはならず、
最後の最後にいきなりさくらが宇宙に旅立つ暁にくっついていくという決着をさせて終わってしまいました。

コメディ的な描写はそれはそれで面白かったし、
さくらが遂に想いを伝えて、暁は相変わらず鈍感で、まぁ一応ハッピーエンドで終わって良かったけど、
最後に無理に帳尻合わせたようにも見えます。
決してクオリティが低いわけではないのですが、もっと良くなったように思える残念感があるのです。

さくらは記号的なキャラ立ちだけなら、かなりの良さなのです。
それこそジャスミンにも匹敵するぐらいです。
だから記号的なキャラを楽しむ人から見れば、さくらは最高クラスのヒロインであるようです。
確かにそういう認識はよく理解出来素るし、実際、魅力的なヒロインだと思います。
しかし、ジャスミンやウメコのように記号的なら記号的なだけに割り切って貰った方がスッキリします。
仮にさくらがデカレンジャーに出ていたら最高に面白かったかもしれません。
しかしボウケンジャーのさくらの場合、縦糸のストーリーをなまじ予感させ期待させた分だけ、
やや個人ストーリーが消化不良に終わった感がして、妙な肩すかし感となり、
その分は若干マイナス評価となってしまうのが残念です。
そういう意味で、かなりクオリティが高く魅力的なのに、ちょっと惜しい点のあるヒロインだといえます。

ただ、この西堀さくらという役は非常に難役であるのは確かで、
これをしっかり魅力的に演じきった末永遥は凄いと思います。
演技力ならば、ライブマンの森恵に匹敵するでしょう。
さすがに子役時代から演技経験が豊富な末永は別格の演技力でこの難役をこなしたのでした。

では問題は、どうして縦糸のストーリーが消化不良気味になってしまったのかです。
もともと縦糸のストーリーをしっかり描くために冒険家の戦隊にしたはずなのに、
どうしてこんなことになってしまったのか。
それは、プレシャスを回収することを業務としてしまったことが原因でしょう。
どうも「スプリガン」の設定をあまり深く考えずにそのまま流用してしまったのがマズかったようです。
それだけ「スプリガン」のクオリティが高かったからなのですが、
朝の30分ドラマとの相性があまり良くなかったように思います。

「スプリガン」は全部で22個のエピソードから構成されており、
それぞれのエピソードは1つのオーパーツが登場し、そのオーパーツを巡る争奪戦が描かれます。
「ボウケンジャー」も同様に、1つないしは2つのエピソードにつき1つあるいは1セットのプレシャスが登場して、
そのプレシャスの争奪戦が描かれます。
この作劇は非常に面白いのです。
単に悪い怪人が出てきて街で暴れて正義の味方がそれをやっつけるという話よりも断然面白いのは確かです。

しかし、「スプリガン」では1つのエピソードを描くためにかなりのページ数を費やしています。
バトルや人間ドラマも緻密に描いているからですが、
やはり何といっても「オーパーツ」という正体不明のものを説明するのにかなりの描写が必要だからです。
だからトータルで情報量はかなりのものになり、
それは30分ドラマの枠内に収まるようなものではありません。
「ボウケンジャー」においても毎回新しいプレシャスが登場しますから、
いちいちプレシャスの説明をするのに尺を取られてしまうのです。

また、毎回のエピソードはデカレンジャーの場合と同じように、
その回のメインキャラの個性に合わせたストーリーを作ります。
デカレンジャーの場合はそのストーリーに合わせた事件を起こすようにすれば作劇はスムーズだったのですが、
ボウケンジャーの場合、プレシャス自体はそのエピソードのストーリーと必ずしも連動していないのです。
そのエピソード内の人間ドラマとプレシャスに関する物語は別個に存在しており、
その両方とも30分ドラマの枠内で処理しないといけないのです。これは大変です。

その上、やたらとマシンやロボが多いので、その開発や活躍などの描写もしっかりしないといけないし、
敵組織も単純な破壊を楽しむ悪ではなく、毎回それなりの事情があってプレシャスを狙うので、
そのあたりの事情説明もしないといけないし、
敵同士の合従連衡なども描写しなければいけない場合も多く、その分も尺を食います。
そして縦糸のストーリーの中でも、やはりバトルドラマですから、
敵との因縁の処理が優先され、ボウケンジャーのメンバーの深い心情描写はどうしても後回しになってしまいます。

このように厳しい状況の中で、
それでもなんとか各自の縦糸の個人ストーリーも処理していこうとしていたのですが、
どうしても、いまひとつ描写不足となってしまったのです。
各キャラのメインを務めるエピソードではそれなりに縦糸を繋いでいっているのですが、
サブに回ると、途端に描写が薄くなり、縦糸が途絶えてしまうのです。
そのあたり、マジレンジャーやシンケンジャーなどに比べると、かなり落ちる印象です。

ただ。これはボウケンジャーという物語がこれらの作品に比べて劣っているというわけではありません。
ボウケンジャーは他の作品に比べ、エピソードに詰め込まないといけない情報量が異様に多いので、
どうしても各自の縦糸ストーリーが犠牲になってしまうのです。
仮に縦糸ストーリーを完璧に描いていれば、
ダイレンジャーのようにメインストーリーの方が破綻していたかもしれません。
それはさすがに出来なかったのでしょう。
上手く全体的なストーリーはまとめています。

だから、トータルとしての作品のクオリティは決して低いわけではないのだが、
それでも一部にキャラの不自然な描写が出てきてしまう分、評価が下がってしまうし、
キャラ描写に深みが無いように見えてしまうのです。
本当はデカレンジャーよりもキャラ描写は深いのですが、
中途半端であるため、デカレンジャーの方がキャラをしっかり描いているようにも見えてしまうという、
ちょっと可哀想な作品なのです。

個人的には私は「インディ・ジョーンズ」や「スプリガン」のファンでしたし、
「ボウケンジャー」はとても面白いと思う大好きな作品なので、
あまり悪く言いたくはないのですが、
実際に「ボウケンジャー」が視聴率も玩具売上もイマイチで終わった以上、
ポケモンサンデーの影響はあるにせよ、とにかく子供には人気が出なかったということであり、
それはタイムレンジャーのような作品が視聴率は良かったという前例もあることを考えると、
単に大人向きの難しい内容だったからというだけでは済まされない
何らかの原因があると考えなければなりません。
それが情報量の過多によるキャラ描写の薄さではないかと思うのですが、
原因はそれだけではないとも思います。
もっと根本的な問題点が別にあるのではないかとも思えるのです。
そして、それはキャラの縦糸描写が薄くなった根本的原因でもあるのです。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 11:27 | Comment(3) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月06日

ボウケンイエロー

ボウケンイエロー.jpg





















「ボウケンジャー」におけるダブルヒロインは「ボウケンガールズ」という愛称で親しまれましたが、
このボウケンガールズにおけるボウケンピンク西堀さくらの相方にあたるのが、
ボウケンイエローに変身する間宮菜月です。
菜月は19歳のボウケンジャー最年少隊員で、
ボウケンジャーの第1話開始直前に、パートナーの伊能真墨と一緒に
暁によってボウケンジャーにスカウトされ、入隊したばかりの新米隊員でした。
つまり暁が、2号機マシンと4号機マシンの完成を受けて、
その2機の操縦者として選んだのが真墨と菜月だったわけです。

暁はボウケンジャー結成時には自分に不足している能力を補う意味で
戦闘のプロである自衛官のさくらと情報収集のプロである元産業スパイの蒼太をスカウトしましたが、
その3人でボウケンジャーは一通りは機能していたのであり、
更なる増員に関しては、単に巨大ロボのダイボウケンを動かすには5台のパラレルエンジンの出力が必要なので、
5機のマシンの合体というシステムとなり、そのため5人の搭乗者が必要だったからに過ぎないといえます。
つまり、追加の2人には特に何らかの特殊技能が必要だったわけではなく、
単に「プレシャスを回収する」という任務に適性が高いということが条件であったようです。
そこで暁が腕が立つと見込んだ同業者、つまりトレジャーハンターの真墨と菜月をスカウトしたようです。

真墨と菜月はもともと2人のチームでトレジャーハンターをやっていたので、暁はこのチームごとスカウトしたのです。
真墨は21歳、菜月は19歳の若いチームでしたが、
真墨は両親と死別して子供の頃から盗掘団に拾われて彼らと一緒にトレジャーハンターをしていた経歴の持ち主で、
業界歴は暁よりも長いベテランです。
そのため、真墨はトレジャーハンターとしての能力は極めて高く、
最強のトレジャーハンターとして有名だった暁に対して面識は無かったものの秘かにライバル意識を抱いており、
暁のスカウトを受け入れてボウケンジャーに加入したのも、
暁を出し抜いてプレシャスを手に入れて、すぐに脱退して鼻を明かしてやるためであり、
本気でボウケンジャーに入ろうとしていたわけではありませんでした。
ところがその企みは暁に見破られており、プレシャス奪取に失敗した挙句、
暁に命を救われた真墨は、暁を超えるためにボウケンブラックとして暁の傍で働くことを決めるのでした。

しかし、これは真墨の事情であり、
そのパートナーの菜月は同じような思惑でボウケンジャーに入ったわけではありません。
そもそも、暁にしても、欲しかったのは真墨のトレジャーハンターとしての腕であり、
菜月のことはあまり良く知らなかったようです。
だから暁として積極的に菜月をスカウトはしておらず、
単に真墨が自分がボウケンジャーに入るならパートナーの菜月も一緒でないとダメだと要求したのでしょう。
暁としても、4人目と5人目に宝探し以外の特殊能力は求めていないし、
真墨のパートナーなのだから、そこそこの腕前なのだろうと軽く考えていたようで、
真墨は真墨で、どうせすぐに暁を出し抜いて逃げ出すつもりだったので、
菜月のことはその出し抜く作業のパートナーと考えており、
逃げ出す時一緒に菜月も逃げ出せばいいというぐらいに軽く考えていたのでしょう。
だから、誰も菜月がボウケンジャーに適性があるかどうか真面目に考えてはいなかったのです。
そして結果的に、真墨がボウケンジャーに残ることになったので、
菜月もそのままボウケンイエローとして残留することになったのでした。

実際は、菜月は全然腕利きのトレジャーハンターではなく、
ボウケンジャーの中では格段に腕が落ちるお荷物的存在でした。
そもそもどうしてそんな役立たずが真墨のパートナーをしていたのかというと、
ボウケンジャー加入の2年前に
真墨がとある遺跡で腕輪を嵌めている以外は素っ裸の少女が倒れているのを発見し、
その少女が記憶喪失であるのが分かり、菜月という名をつけて一緒に連れていくことにしたのが始まりです。
だから現在年齢の19歳というのも、
単に発見時に真墨が17歳ぐらいだろうと見た目で判断したからであり、確実な数値ではありません。

なぜ真墨が菜月を連れていったのかというと、これが実につまらない理由で、
「かわいかったから」らしい。まぁ若い男の子だったわけで、仕方ないといえば仕方ない。
菜月の方も真墨のことが気に入ったからくっついていったようですが、
単に真墨の女になるのではなく、真墨からトレジャーハンターとしての技を教えられて、
一応は真墨のパートナーとして一緒にあちこちの遺跡を巡るようになったのは、
遺跡を探し回ることで何か自分に関する手掛かりが見つかるのではないかと期待してのことでした。

何せ、菜月は生まれてから真墨と出会うまでの一切の記憶が無いのです。
手掛かりは遺跡で倒れていたことと、腕輪だけでした。
だから、あちこちの遺跡に行っては、そこに縁のある者たちや遺跡に詳しい同業者などに自分の顔や腕輪を見せて、
何か知っていないか聞いて回るのです。
だから菜月はボウケンジャーからのスカウト話が来た時、真墨とは違って心から歓迎していました。
ボウケンジャーに入れば、それまでよりも格段に多くの遺跡にサージェスの費用で回ることが出来るからです。

もともとそういう意識ですから、任務に真摯に打ち込む姿勢は欠けています。
トレジャーハンターとしての技能は、真墨が一通り教えただけあって、
一応は平均的なことは大抵こなしますが、あまり高度なことは出来ません。
というか、地図を見るのが苦手という、トレジャーハンターとしてはかなりマズい弱点もあり、
記憶が無いため一般常識に疎く、子供のままのような極めて純真な性格のため、
非常にお人好しで、すぐに他人に騙され、ドジも多い、まぁ大変なトラブルメーカーです。
ただ、異常に強靭な身体をしており、華奢な身体でありながら怪力の持ち主で、
時々、予知能力を発揮することもあるという謎めいた面もあり、
これらが任務に役立つことも多く、全くの役立たずというわけではありません。
それに、これはさすがに偶然だと思いますが、
菜月のドジが結果的にプレシャスの手掛かり発見に繋がったりすることも多いです。
その怪力ゆえに個人キャッチフレーズは「強き冒険者」で、
操縦するマシンも力強いイメージに合わせ、ブルドーザー型のゴーゴードーザーです。

性格は無垢そのもので、
何しろ精神的には生後2年のような状態なので、赤ん坊のような純真さを持ちます。
天真爛漫で明るく人懐っこい。
自分のことを「菜月」と呼びます。
先入観というものがほとんど無いので、誰に対しても分け隔てなく優しく、
特に仲間と認めたボウケンジャーのメンバーには非常に懐いており、いつも甘えています。
同時に、あまり計算や打算などしない性質なので、
自分のことはそっちのけで、仲間を励ましたり、他人のために奔走したりする癖があり、
時には任務そっちのけになることもあります。

菜月の場合、失われた記憶を取り戻して自分のルーツを知ることが、
彼女の求める「自分だけの宝物」なのであり、冒険の意味なのです。
そして、菜月の個人ストーリーの縦糸は、当然ながら、この「自分のルーツ探し」となります。
これが随所で挿入され、少しずつ手掛かりが見つかっていき、
結局、34話で菜月の正体は10万年前に滅びたレムリア文明の遺したリリーナという名の姫だったと分かります。

レムリア文明の滅亡を予知した両親によって出生直後から冷凍睡眠させられて
5000年で1歳ずつしか年をとらなかったため、現代に17歳ぐらいで出現したのだそうです。
怪力や予知能力もレムリア人の備えていた能力で、
腕輪は両親の形見で、菜月が発見された遺跡はレムリアの遺跡だったのでした。
記憶が無いのも出生直後から眠っていたので当然であり、記憶喪失ではなかったのでした。
つまり、菜月が求めていた過去の記憶というものは存在せず、
菜月の持つ記憶は真墨と過ごした日々とボウケンジャーの仲間と過ごした日々、
つまり、間宮菜月としての記憶がその全てであったのです。
だから、菜月は「間宮菜月としての記憶」を「自分だけの宝物」とすることを心に決めたのでした。
これが菜月の縦糸のストーリーとなります。

n-natsuki004-2.jpgこのように、菜月は極めて特殊な境遇のヒロインで、
クールビューティー系ヒロインのさくらと、子供のような純真無垢ヒロインの菜月とで、
見事に好対照をなして、しっかりヒロインのキャラ分けが出来ています。
正常な境遇の女の子が菜月のような言動をとった場合、
それは失笑モノであるか、あるいはあざとすぎて不快な印象を与えてしまうでしょうが、
このような特殊な境遇が設定された上でならば、不自然さは無く、むしろ可愛らしく感じられます。
あまりに幼い印象が強過ぎるので、女性的魅力はやや足りなく感じられますが、
決して悪い印象は無く、妹系の可愛いキャラとしては強烈な個性を発揮しており、
ヒロインとしてのキャラは非常によく立っています。
何より、子供には好かれるキャラでしょう。

菜月は純粋で明るく素直で優しく、他人のために一生懸命に頑張るキャラで、
実は典型的な正統派戦隊ヒロインのキャラなのですが、あまりそういう印象はありません。
それは、その特殊な境遇の方が目立ちすぎるからです。
しかし、この「ボウケンジャー」という物語においては、菜月のようなキャラが存在するためには、
この特殊な境遇というのは必要であったのでしょう。

まず、「ボウケンジャー」には、菜月のようなキャラは絶対に必要でした。
もう1人のヒロインのさくらが正統派戦隊ヒロインではなかったので、
正統派戦隊ヒロインが必要だったからという事情はもちろんありますが、
それ以上に深刻だったのは、男性キャラの方にも正統派の熱血型の戦隊ヒーロータイプがいなかったことでした。

暁は基本的に冷静なチーフであり、
「ボウケンジャー」という作品の「正義の戦士でなく淡々とミッションを遂行する」という世界観を体現するキャラでした。
蒼太はその暁の理解者キャラであり、暁と同じ思想の持ち主であり、
真墨が暁との対立者として熱血キャラになるかと思いきや、
真墨も暁と同業者であり、同じ仕事論理で動く人間で、むしろ、よりクールなタイプでした。

こうなると男性陣は全員、大人でクールで少し暗いイメージになってしまいます。
本当は暁には熱さや人間味も有るのですが、
絶対的チーフという立場で誰も暁の内面に踏み込んでいかないものですから、クールな態度が崩れませんでした。
本来は役割的には真墨がもっと動き回って引っかき回すキャラでないといけないのでしょうが、
キャラ設定ではむしろ暁よりもクールなキャラになってしまいます。
どうもキャラ設定の段階で少し間違えてしまったようで、
真墨を熱いキャラとして動かそうとした形跡はあるのですが、ことごとく上手くいっていません。

こうして男性陣が全体的にクールで大人しくなり、
さくらはクールキャラですから、この時点で全員が暗い印象になります。
だから、ここで1人、とびっきり明るく子供っぽいキャラを出す必要があったのです。
そうしないと全体的に暗くてどうしようもなくなってしまいます。
ただ、残るは女の子の枠でしたので、明るい純粋なヒロインとして菜月は登場することになり、
ふわっとしたイメージの中村知世が菜月役として選ばれました。

しかし、他の4人がクールなプレシャス探索者のプロフェッショナルなイメージでしっかり世界観に合致している中、
やたら明るく子供っぽいキャラの菜月のような人間がボウケンジャーの一員となること自体が不自然でした。
普通は菜月みたいなキャラはボウケンジャーにスカウトなどされるわけがないのです。
同じプロフェッショナルを売り物にしていたデカレンジャーでも、ウメコはもう少ししっかりしていましたし、
そもそもデカレンジャーの業務よりもボウケンジャーの業務の方が、敵対する相手が強力な分、シビアです。
またデカレンジャーは公的機関でしたが、ボウケンジャーは民間で、その分も戦いはシビアとなります。
シビアな戦いの場に、普通は子供みたいな女の子は読んでもらえないものです。
そこで、菜月の特殊な境遇というものを設定して、
菜月がボウケンジャーで活動することのエクスキューズとしたのです。

そして、菜月は次第にボウケンジャーの論理に染まっていくことになりますが、
そうなると、せっかく正統派戦隊キャラであった菜月がその機能を果たさなくなっていくというジレンマが生じます。
そうなると、また作品全体のムードが変に落ちついていってしまいます。
どうしても、変に落ちつく方向に進んでいってしまうのです。

本来は、いかにもボウケンジャー的なクールな世界観を体現するのが初期3人組で、
真墨と菜月の新規参入2人組は、2人ともボウケンジャー的な世界観に真っ向から反した
「正義の戦士的な明るいキャラ」にすべきだったのではないかと思います。
そうしてぶつかり合って、その中で暁のキャラももっと早くから動かしていけばよかったのではないかと思うのです。
暁のキャラが動いて、明るい面が出て来るようになったのは、追加戦士の映士が出てきてからです。
映士はアシュとの戦う宿命を背負った、いかにも正義の戦士的なキャラであり、
ボウケンジャーの価値感とは全く異質の価値感を持つ男です。
ここでようやく男性キャラで暁のアンチテーゼとなり得るキャラが出てきました。
本当は真墨が第一話からこういうキャラとして菜月と共に登場した方が良かったのではないか。

n-natsuki001.jpg菜月の古代レムリア人だったというキャラ設定も、それが判明した後、そこで話は終わってしまったが、
本来は、古代レムリア人の姫であったことによって生じる宿命と、
ボウケンジャーとしての使命との葛藤などが描かれてもよかったのではないかとも思えるのです。
しかし実際には、菜月のレムリア人としての宿命も描かれず、
映士の高岳流やアシュの血の宿命もあっという間に解消されて、
2人とも簡単に暁に賛同して冒険スピリッツに目覚めて、ボウケンジャー的価値観に染まっていきます。

その後、何故か真墨が闇に染まりかけたりしますが、
真墨はそもそも善悪に葛藤するようなキャラとしては描かれておらず、
この葛藤を描くなら映士のはずですが、映士は冒険スピリッツに目覚めて愉快なキャラに変わってしまったので、
その代役のような感じで真墨がさんざん苦悩させられて、そのせいで終盤に戦線離脱までしてしまいます。
こういう不可解な描写があったせいで、終盤に真墨の縦糸のストーリーをしっかり描ききれずに終わってしまったりしました。
映士もボウケンジャー加入後は非常に面白いキャラとなってドラマを盛り上げてくれましたが、
せっかくのクエスターとの因縁や、ボウケンジャー内での異質な立ち位置などのシリアスな面は消化不良で終わりました。

これらの事象というのは、結局、この「ボウケンジャー」という物語が、
「ボウケンジャー」的な価値観だけを重視して、
普通の戦隊的な価値観というものを出来るだけ排除しようとしていることによって起きているのです。
ボウケンジャー的な価値観と戦隊的な価値観のぶつかり合いから何かを生み出そうという意欲があまり感じられない。
だから菜月もその正統派戦隊ヒロイン的な純粋さや優しさでトラブルメーカーにはなりつつも、
結局はボウケンジャー的な価値観の中に絡め取られていってしまうのです。
レムリア人であるという驚愕の宿命を知ってもなお、
その宿命に動かされて別の原理で動きだすようなことはなく、
現在のボウケンジャーとしての自分を宝としてしまうのです。

あれだけ謎解きを盛り上げておいて、そういう落ちつき方をしてしまうのは、
やはりちょっと拍子抜けというものです。
レムリア人であるからこそ、
けた外れの純粋さや優しさをボウケンジャーの価値感を超えて行使する意義に改めて目覚めてもいいような気もするのですが、
あくまでボウケンジャーであることにアイデンティティを求めてしまうのです。

いや、あくまでこの作品は、従来の戦隊作品のような「正義のヒーロー」とは違う
「冒険ヒーロー」像を提示するのが趣旨だから、
従来型の正義のヒーロー像はそんなに強調しなくてもいいのだという意見もあるでしょう。
確かにそれは一理あるのです。
しかし、この作品がストーリー的には大変面白かったにもかかわらず、
あまり人気が出なかった理由を推論するにおいて、
このあたりで錯誤があったのではないかという気がします。

この作品で提示された「冒険ヒーロー」というものの姿が、
本当にそんな擁護すべきものであったのかどうかが、甚だ疑問なのです。
それはもっと揺さぶるべきものだったのではないかという気がします。
そのために、アンチテーゼとしての「正義のヒーロー」像というものをぶつけるというのは、
1つの手段でしかありません。
その1つの手段として、映士や菜月を使うやり方も有り得たのではないかとも思えるだけのことです。

それをやらないのなら、
もし映士や菜月も暁たちと共に冒険ヒーローの道に進んでいくというのなら、
それはそれでいい。
しかし、ならば、彼らが「冒険ヒーロー」なのであれば、
なおさら、この作品の提示する「冒険ヒーロー」の在り方に戦いを挑まなければいけない。
そこにこそ、本来の彼らの縦糸のストーリーの帰着点は在ったはずなのです。
彼らの「自分だけの宝物」は終盤に彼ら自身が述べた抽象的な美辞麗句としてではなく、
その本来の帰着点にこそ、もっと具体的な姿で本当の「自分だけの宝物」は存在したはずなのです。
その戦いを放棄したために、彼らの個人の縦糸のストーリーは中途半端なものに終わってしまったのでした。

何が言いたいのかというと、真の「冒険ヒーロー」の物語というのは、
正義などは標榜せずに、形式的な正義や悪などを超えた、自立した筋の通った倫理観を提示するものであり、
それは単なる冒険好きの話を描くものではないということです。
ヒーローならば、正義という名ではなくても、何らかの筋を通した倫理観は持たなければいけません。
とにかく冒険が好きだというのも1つの倫理観かもしれませんが、
それを自立した倫理観だと言い張るためには、
少なくともその冒険は自力で行くべきであり、他人の命令で行くべきではないでしょう。

「インディ・ジョーンズ」はまさにそういう物語でした。
主人公ジョーンズは誰の命令で動いているわけでもない生粋の冒険好きで、
単に悪人が秘宝を悪用することを阻止したいだけです。
ただ、そのために戦っている時は、ジョーンズは正義の行動をしているつもりでしょう。
しかし、その正義の行動すら報われないのがこの物語のポイントで、
結局は悪人を滅ぼすのは秘宝の力であり、
秘宝は悪人はもちろんジョーンズの手にも渡らずに消えていくのです。
正義も悪も超越したところにある真理こそが真に価値あるもので、神秘的なるものなのです。
その手に触れてはいけない真理に恐れ入り、
その神秘を体験することにこそ冒険の価値があると想い、ジョーンズは満足する。
そういう物語です。

その「インディ・ジョーンズ」を発展させて作られた日本の「スプリガン」にしても、
実は主人公の御神苗優は本編で描かれたミッションにおいてオーパーツの回収にはほとんど成功していません。
悪人に利用されることは辛うじて阻止しますが、オーパーツそのものは消滅してしまったりして、
優の手を経てアーカムの手に渡ることは少ないのです。
優はそうした神秘を経験することを愛しており、
彼が戦うのは、ささやかな親しき者達の平和を守るためと、
筋違いに神秘を弄ぶことに対する怒りです。

だからアーカムのやり方に賛同出来ない時は異議も唱えますし、仕事をサボることもあります。
彼がアーカムの仕事を受けているのは、姉がアーカムの職員であるから仕方なくであり、
アーカム上層部に対しては不信感を持っています。
優の他にもアーカムに不信感を持つスプリガンは少なくなく、中には離反する者もおり、
最終的にはアーカムが集めたオーパーツを利用して世界の軍事バランスを操作しようとするに及んで、
優や同志たちもアーカム上層部に離反し、アーカム内でクーデターを起こして、
アーカムの方針を本来あるべき穏健な方向に戻したのでした。

優は正義のために戦っているわけではなく、
むしろ、アーカムが正義でありオーパーツは正義のアーカムが有効活用するのが正しいなどという
傲慢な考え方に先鋭的に反対する立場です。
優は高飛車な正義など信じてはいません。
しかし何も倫理観が無いわけではないのです。
仲間の信頼を裏切るアーカム上層部を許すことは出来ませんし、
オーパーツの神秘を弄ぶ愚行は絶対に許容しない意地があるのです。
そういう筋を通したい気持ち、譲れない一線はあり、そのためには命だって賭けるのです。
そして、そうした戦いが終わった後、優はミッションなど無関係に自力で冒険の旅に出るのです。
こういうのが本当の自立した倫理観を持った「冒険ヒーロー」です。

chise001.jpgそれに比べて、ボウケンジャーはどうなのか。
ボウケンジャーの雇い主のサージェス財団はボウケンジャーに対して
やたらと秘密主義で、よく嘘をつきます。
ボウケンジャーを騙して借りて来た人形を勝手に燃やしたこともあります。
ボウケンジャーの方でもサージェスを信用しておらず、出し抜くようなこともあります。
終盤など、サージェスは敵にプレシャスを奪われないようにするため、
自らのプレシャス保管庫を爆破して貴重なプレシャスを壊したりしており、
しかもその爆発に暁を巻き込んでいます。
また、さくら達が敵と戦っている最中に
マシンに積んだプレシャスを奪われるのを阻止するためにその機能を停止させ、
そのために敵の前でさくら達を変身不能にしています。

このように利己的な理由でサージェスはボウケンジャーを裏切るような真似を平気で何度も行うのです。
そして、何度もそんな目にあっても、ボウケンジャー達はサージェスに不信感は抱きつつ、
それでもサージェスに反抗もせず、結局はミッションをこなしていきます。
その理由は「冒険が好きだから」です。
しかし、真に冒険を愛しているのなら、サージェスの筋違いな行為は糺すべきでしょう。
もしそうしないのなら、サージェスに頼っての冒険は止めて、
自分なりの冒険をするべきではないでしょうか。

これでは結局はサージェスに頼った方がたくさん冒険が出来るから打算でくっついているように見えてしまいます。
サージェスは気に入らないが正義の戦いのためには仕方ないと言えれば、話は早いのですが、
この作品では正義の戦いと言うわけにはいきませんから、結局、「冒険が好き」と言うしかない。
ならば、せめてサージェスに抗議して謝らせて筋は通さないといけません。
そうしないと、好きな冒険をするためにサージェスの筋違いな行為を見ないフリをして、
権力に屈しているように見えてしまいます。

いや、実際、大人の社会というのはこういうものなのです。
みんな自分のしたいことをするために、力を持った者の横暴には目を瞑って上手く立ち回っているのです。
しかし、そんな大人社会のしがない現実を知らしめるために
子供向けヒーロードラマというのはあるわけではありません。

別に子供向けドラマだから子供っぽい夢物語ばかり描くべきだとは思いません。
タイムレンジャーみたいに大人のドラマを描いてもいいのです。
でもタイムレンジャーでは竜也やユウリたち主要登場人物たちは毎回筋の通った行動をしていましたし、
筋違いの行動をした直人やリュウヤたちはしっかり報いを受けていました。
そういう大人のカッコよさや、悪い大人がちゃんと罰される姿などを見せるのは、
そこそこ描写がハードでも、それはちゃんと筋が通っていれば子供たちは許容出来るのです。
別に正義を標榜などしていなくてもいいのです。
実際、タイムレンジャーは全く正義など標榜していませんでしたし、
最後の方などは完全に反逆行為になっていました。
でも筋が通っているから子供たちは受け入れたのです。

一方でボウケンジャーにおけるサージェスの行為は全く筋が通りません。
いや、サージェスは大局的に見て正しい判断をしていたのかもしれませんが、そういう問題ではないのです。
ボウケンジャーに嘘をついていたり危険な目にあわせたことをちゃんと謝ったりすべきなのです。
そんなことでいちいち謝らないのが大人社会なのかもしれませんが、
そんな大人社会のカッコ悪さはいちいち正確に子供向け番組で描写しなくていいのです。
そこはやはり謝る描写はしっかり入れるべきです。
そういう筋の通らない、どう見ても胡散臭い雇い主に逆らうこともなく、
従順にプレシャスを回収して上納し続けるボウケンジャーは、子供たちから見て、あまりカッコよくないのです。

いっそ御神苗優のように毎回、回収に失敗するのならまだいいのですが、
ヒーロードラマで主人公がいつもミッションに失敗するわけにもいかないという事情もあったのか、
ボウケンジャーはせっせとサージェスに献上し続けます。
そしてサージェスの裏切りがあってもスプリガンのようにクーデターを起こすわけでもありません。
ヒーロードラマで主人公側が内輪揉めするわけにもいかないということなのでしょう。
しかし、ならばせめてもう少しサージェスを親切な組織に描いた方が良かったでしょう。
サージェスが胡散臭いままでは、それに従順なボウケンジャーが情けなく見えてしまうという弊害があるのです。

いや、大人目線で見ると「ボウケンジャー」はそのリアルな大人社会の悲哀の描写も含めて、
渋くて作劇も面白くて、なかなか良作なのです。
しかし、子供目線ではヒーローとしてのボウケンジャーがとにかく情けなくカッコ悪いので、あまりノレないのです。
その結果、視聴率は当初はマジレンンジャーの勢いを受けて
7%台半ばの高い水準でスタートしたにもかかわらず、ズルズルと下がり続け、
秋ぐらいに6%台後半ぐらいまで落ちてきたところで、
テレビ東京系で10月からポケモンサンデーがそれまで朝8時開始だったのを朝7時半開始に時間を拡大し、
ボウケンジャーはそのポケモンサンデーに更に視聴率を食われてしまい、更に視聴率を下げ、
最終的には5%台後半まで落ちてしまったのでした。
また、それに連動して玩具売上もかなり派手な展開をしたにもかかわらず、あまり伸びず、
一応なんとか100億円は突破し、101億円となったのでした。 にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
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posted by 通りすがりのシンケンブラウン at 01:22 | Comment(0) | 戦隊ヒロイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月02日

ゲキイエロー

ゲキイエロー.jpg





















スーパー戦隊シリーズの2006年度作品「ボウケンジャー」は、
正義のために戦う戦隊の物語ではなく、プレシャスを回収するという民間財団から与えられたミッションを遂行する、
財団に雇われたプロのエージェント戦隊の物語でした。
そのため、ストーリー自体は予想もつかない展開の連続で非常に面白かったのですが、
どうしても戦隊メンバーが大人っぽくクールでおとなしい印象となってしまいました。

例えばデカレンジャーもクールなプロフェッショナルな戦隊を標榜していましたが、
デカレンジャーの場合、熱血突っ走りキャラのバンがなんだかんだで中心におり、
ダブルヒロインもハイテンションキャラのウメコの方が前面に出て引っ張る印象でしたので、
作風は熱く明るいものになっていました。
それに比べ、ボウケンジャーはチーフの暁は熱さを内に込めるタイプで表面上は常に冷静でしたし、
ダブルヒロインも明るいキャラの菜月はサブチーフの規律重視キャラのさくらにどうしても遠慮する立ち位置でしたので、
デカレンジャーに比べると、やはり真面目でクール、悪く言えば暗い印象となってしまいました。
ストーリー自体はプレシャス絡みなど、かなり高度な内容で、
そういう意味では確かに興味深く、大人はストーリーで楽しめるのです。
しかし、子供にはやや難しい内容のストーリーであったため、
キャラや作風がクールで地味だったことが大きく影響して、当初からあまり人気が出ませんでした。

そこで次のシリーズ第31作目の作品は熱血少年マンガ的に、
少年層が見て心が燃える話にしようという方針となりました。
考えてみれば、ホームドラマ風の作劇を志向したアバレンジャー、大人向けを意識したデカレンジャー、
少女趣味的要素の強かったマジレンジャー、更に大人向けを意識したボウケンジャーというように、
このところストレートにメインターゲットである男児に向けた物語はご無沙汰でした。
ガオレンジャーやハリケンジャーの頃のような、熱く男らしいヒーローがガチンコで
泥臭くバトルするような少年ジャンプ漫画的な作風への回帰が目指されたのです。

そこで、この31作目は、まずそのアクションは、クールなガンアクションでもなく、
幻想的な魔法アクションでもなく、ハイテク機器を駆使したプロのエージェントのアクションでもなく、
熱く激しい男のバトルということで、シンプルな拳と拳の殴り合い、身体をくっつけての肉弾戦が志向されました。
そこで選ばれたモチーフは中国拳法、カンフーでした。
ジャッキー・チェンやブルース・リーのような派手なカンフー・アクションで魅せようということです。
拳法モチーフの戦隊はマスクマン、ダイレンジャーに続いて3度目ですが、
かなり久々だったので子供たちにとっては新鮮なモチーフでした。
また、1つ前の拳法戦隊のダイレンジャーが異様に熱い作品だったので、
熱さを求めるこの31作目にはピッタリのモチーフでもありました。

ただ、玩具展開の関係上、単純な拳法戦隊というわけにはいきませんでした。
ガオレンジャー以降、生き物系と機械系の玩具モチーフが交互に繰り返されており、
この31作目は生き物系の順番であり、動物モチーフがガオレンジャー以来久しく無かったので、
ここは動物モチーフ戦隊が望まれていたのです。
そこで動物と拳法を融合させ、形意拳の一種として「獣拳」という拳法の流派を創造しました。
心に獣を感じ、獣の力を手にする拳法です。

ただ、それだけでは玩具展開に繋がりませんから、
その獣拳の技で発する「気」が様々な獣の形に実体化するという設定にしました。これがゲキビーストです。
そうして実体化させた獣が単なる攻撃用のエネルギー体だけでなく、巨大メカのようにもなり、
それが更に合体して巨大ロボのようにもなることにしました。
この凄い能力を持った獣拳の拳法家の放つ「気」を激しい「気」という意味で「激気(ゲキ)」と呼び、
この獣拳は別名「激獣拳」ということにしました。
その激獣拳の拳士の戦隊ですからゲキレンジャーで、
こうして「獣拳戦隊ゲキレンジャー」という作品名が決まりました。

しかし、ガオレンジャーやハリケンジャーのような作品がご無沙汰となったのは、それなりに理由があることでした。
つまり、正義が悪とガチンコで戦って倒すような作品は、この正義が不確かな時代においては、
なかなかややこしいストーリーにならざるを得ず、
盛り込むべき要素の多い戦隊シリーズ作品においては描きにくいのです。
そのためアバレンジャーは失敗し、デカレンジャーは日常業務が正義の味方である刑事を描くことでガチンコを回避し、
マジレンジャーはファンタジックな勧善懲悪の世界観を作って
その中でストーリーを展開してガチンコをシンプルに描くことに成功し、
ボウケンジャーはそもそも正義と悪の戦い自体を描くことを回避しました。

しかし次の「ゲキレンジャー」は現実世界でリアルな泥臭い殴り合いをする
正義と悪のガチンコを真正面から描くことを志向しましたから、これらの既存作品の手法は使えません。
それでいて、正義と悪の葛藤を乗り越えて正義のヒーローが悪を滅ぼすまでの道のりを描く
壮大な大河ドラマになってしまわないようにしないといけません。
そこまで壮大な話にすると、確かに話は面白くなりますが、
アバレンジャーのように本来の戦隊ドラマで優先せねばいけない要素が犠牲になる可能性があるからです。

そこで、この「ゲキレンジャー」では、正義と悪がガチンコで戦いながら、
正義が悪を倒す話にはしないことにしました。
つまり勧善懲悪ではないのです。
ではどういう物語にするのかというと、
正義と悪はライバル関係であり、激しく戦っていくうちに互いに成長し変化していき、最後には理解し合うという物語です。
もちろん、悪の側はそれまでに積み重ねた罪は消えませんから、
正義側と和解しても「仲良く平和に暮らしましたとさ」では終わらない。
最後は罪を償う形で死んでいくことになります。
しかし、それは正義側が滅ぼす形ではなく、何らかの形で悪側が自分で自分を裁くか、
あるいは終盤に登場する真の黒幕と戦って滅びるというような結末となります。
そうすることによって、正義側は善悪の葛藤を乗り越えて悪側を滅ぼす義務を免除され、
正義の主人公側をその分シンプルに描くことが出来るという利点があるのです。

しかし、ここで問題は、正義と悪が安易に和解出来るような関係を描いてしまうと、
バトル自体がぬるいものに見えてしまい、全く見ていて燃えなくなってしまう危険があることです。
かといって、全く和解の余地が無い異質なモノ同士の関係にしてしまうと、
最後の和解がとってつけたような不自然なものになってしまいます。
それに、和解の余地はあったとしても、それまで激しく戦っているわけですから、
激しく戦いながら理解し合う結末に持っていくためには、
何か戦いの中でも互いに理解し合える共通項が無いといけません。

そうなると、この作品における正義側と悪側は元来は仲間であったものが、
何らかの事情によって分裂して抜き差しならない対立をする関係となり、
最終的には元通りに一つに戻るという描き方になります。
これに、この「ゲキレンジャー」が拳法をモチーフとしていることを重ね合わせると、
もともと1つの獣拳であったものが2つの流派に分かれ、対立し合い、戦い合い、
それが最後には元の1つの流派に戻るという流れになります。
この「正義と悪の2つの拳法の流派が元は同門で、激しい戦いの末、
2つの流派は元の1つの流派に戻る」という展開は、
まさに少年ジャンプ的な熱血バトル漫画の金字塔「北斗の拳」を彷彿させる展開となります。

そしてまた、この「2つの流派が最後に和解し1つの流れになる」という結末にすることによって、
正義の戦隊側が悪の組織を直接滅ぼさない形で綺麗に物語を終えることが出来るようになり、
これによって、「拳法バトル」という作品のコンセプトを貫徹することが可能になったといえます。
どういうことかというと、それはダイレンジャーの失敗を繰り返さずに済むということです。

ダイレンジャーは当初は「正義の拳法VS悪の拳法」というコンセプトで、敵であるゴーマも拳法を使う人間という設定でした。
実際、ゴーマの幹部や怪人たちは人間だったわけですが、
戦隊シリーズの暗黙のお約束として「正義の戦隊は人間を直接殺さない」というのがあり、
そこの部分をどう処理するのかで結構ダイレンジャーは迷走することになったのです。
拳法というのは人間が生み出した武術ですから、人間でない者が拳法を使って戦うのは不自然なので、
悪の組織の者が拳法を使うのなら、それは人間であるはずです。
しかし人間を正義の戦隊が堂々と殺すのはやはり描写としてマズい。

ダイレンジャーにおいては結局は見た目どう見ても人間の三幹部やゴーマ皇帝は
ダイレンジャーが殺すのではなく泥人形であったという不可解な設定で処理し、
ゴーマそのものとの決着はつけないという、変な結末のつけ方をしました。
それでも、そこに至る毎回のバトルではザコ怪人であるゴーマ怪人は倒していかねばならない。
そこで、見た目があまり人間っぽくないゴーマ怪人に関しては普通に倒して殺したのですが、
怪人に拳法を使わせると人間っぽくなってしまうので、
悪の拳法設定をウヤムヤのうちに消してしまい、ゴーマ怪人は妖術を使うようにしたのです。
こうしてダイレンジャーにおいては「拳法VS拳法」という当初のコンセプトは貫徹されず、
「拳法VS妖術」という、拳法戦隊の持ち味を半減させるようなことになってしまったのでした。

ところが「ゲキレンジャー」の場合、
「最後には和解する」「悪側は正義側に直接殺されない」という方針である以上、安心して敵側を人間として描けるのです。
つまり敵側も拳法家として描くことが出来て
「拳法VS拳法」という流派対決の物語が戦隊シリーズにおいて貫徹し得るのです。
ただ、ダイレンンジャーの場合と同じく、
毎回のバトルに登場するザコ怪人はやはり戦隊ヒーローがしっかり倒さないといけません。
それが無いと、正義のヒーローの見せ場が無いのですから、これはやはり外せません。
しかしそうなると、毎回、人間の拳法家を正義のヒーローが殺すということになります。
それを回避するために、悪の流派は、最後に和解予定の首領以外は皆、
既に死んだ人間の拳士の集団ということにしたのでした。

既に死んだ者ならば、それを倒しても殺したことにはなりません。
それでいて、元は人間なのですから拳法を使っても不自然ではない。
こうして、悪の流派の特徴として
「過去に死んだ人間の拳法家をゾンビとして甦らせて手駒として使役する邪悪な流派」という方向性が定まりました。
この邪悪な獣拳の流派名を「臨獣拳」といいます。
「臨」とは、中国の道教に伝わる呪力を持つ文字といわれる「九字」の筆頭に来る文字で、
つまり「臨獣拳」とは「呪力を使う獣拳の流派」です。
もともと1つの獣拳の流派が、正義の獣拳である正統派の「激獣拳」と、邪悪な獣拳である異端の「臨獣拳」に分かれ、
異端の「臨獣拳」の拳士は、真っ当な正の闘気である「激気」ではなく、
異端の暗黒闘気、負の闘気である「臨気」で戦う獣拳拳士なのです。
そして、この「臨気」が呪力を帯びており、死んだ臨獣拳士をゾンビにして使役することが出来るのです。
まぁこの場合、中国風のゾンビですのでキョンシーということになります。

n-ran001.jpgこうして正義の戦隊の所属する「激獣拳」と、悪の首領の統べる「臨獣拳」のアウトラインが出来上がりました。
これで対立と和解の下地は出来たといえます。
しかし、これは単に下地でしかありません。
実際に戦うのは、現代に生きる正義と悪の双方の拳士たちだからです。
ここで必要になってくるのは、この正義の拳士たちと悪の拳士たちが何故そんなに激しく戦い合い、
そして最終的に和解し得るのかです。

何故戦うのかという点は、
そもそも臨獣拳の側がどうしようもなく本質的に悪い連中だからということにすれば簡単に描けるのですが、
それだとこれまでの勧善懲悪パターンの悪の組織と一緒になってしまい、
和解の余地が無くなってしまいます。
そこで戦う理由としては、何らかの宿命的な因子が大きく作用しているということにして、
その宿命の対決を乗り越えて最終的に和解出来る余地としては、
それぞれ別々の相反する道を辿っていても、目指す場所が同じであったからということにしました。

つまり正義側も悪側も戦いの中で成長し変わっていくのです。
単に善は善として、悪は悪として成長するのではなく、
日々の戦いや修行の中で互いに変わっていき、共通の高みへと進んでいくのです。
そういう共通する部分を見つけた時、そこに和解の余地が生まれるのです。
「戦う宿命の拳士たちは日々、高みを目指して学び変わる」というコンセプトはこうして定まりました。

そうなると、正義の拳士と悪の拳士はそれぞれ高みを目指して日々、研鑽を積んでいくことになります。
拳法の拳士たちですから、それは「修行」であり、
流派がきちんとした拳法ですから、ちゃんと師匠についての修行であり学びとなります。
こうして「修行」というのが作品のテーマとなります。
「師について学んで成長していく」というのが子供向け番組として非常に良いテーマでもあるということで、
これは歓迎されました。
情操教育に良いというわけです。

しかし、それでもここで正義の拳士と悪の拳士が目指す高みが同じになるというのは、
もともとは2つの流派が源流を同じにするからだといっても、それだけではやはり弱いです。
源流は同じとはいっても、決定的に違いがあるからこそ別々の流派に分かれたはずであり、
その別々の歴史の積み重ねがある以上、そんな簡単に和解出来るものではないはずです。
そこで、激獣拳の戦士たちと臨獣拳の首領とは実は同じ師匠に学んだ同門であったという設定としました。
これは「北斗の拳」におけるケンシロウとラオウと同じ関係です。
ラオウは北斗神拳を裏切り邪悪な流派を興しましたが、もともとは同じ師に学んだケンシロウの兄弟子であり、
たとえ邪悪に染まっても、その根底に流れるスピリッツは同じなのであり、
それゆえ最終的に通じ合うものがあったのです。

それと同じで、この「ゲキレンジャー」における臨獣拳の首領はもともとは激獣拳に学んだ拳士であり、
それが更なる強さを求めて道を誤り臨獣拳に走ったのだということにしました。
また、激獣拳側にも臨獣拳側にもそれぞれ師匠がいるわけですが、
この師匠同士ももとは同門で、獣拳創始者の弟子同士だったものが、
邪悪な意思を持ってしまった者達が分離して臨獣拳を興したという設定としました。
そして、臨獣拳の首領が弟子でありながら首領であるという不可解な設定であるのは、
もともと臨獣拳側の邪悪な師匠たちは激獣拳側の正義の師匠たちによって封印されており、
臨獣拳は過去のその時点で一旦滅びており、
現代になって激獣拳から去って臨獣拳を再興した若き首領が、
その邪悪な師匠たちの封印を解いて復活させようとしているという設定としました。
彼が何のために邪悪な師匠たちを復活させるのかというと、
臨獣拳の更なる奥義を伝授してもらい、更なる強さを手に入れるためです。

こうして、悪の臨獣拳の首領と正義の激獣拳士たちが同門であったという設定とすることによって、
それぞれの間に因縁を発生させ、それが戦う宿命となっていくのですが、
しかし、「宿命によって引き合った正義と悪のライバル拳士が互いに修行して目指した高みが同じであったために最後には理解し合う」という物語は、
これはこれで、「北斗の拳」のケンシロウとラオウの物語のようなもので、かなり重厚長大なストーリーです。
これを戦隊全員分に繰り広げて描くのは難しい。
そこで、やはり戦う宿命が発生するのは互いの代表者同士ということになります。
つまり、激獣拳側の戦隊ゲキレンジャーのレッド、すなわちゲキレッドと、
臨獣拳側の首領との間の宿命を軸に物語は展開していきます。

この激獣拳の拳士の戦隊ゲキレンジャーは初期メンバーが3人の戦隊となりました。
初期メンバーが3人の戦隊はハリケンジャーとアバレンジャーの2作が続いて以降、3年間途絶えており、久々でした。
ハリケンジャーとアバレンジャーが3人戦隊になった理由は、
換装玩具が大量に出てくるので5人戦隊では個々の戦隊メンバーのドラマを描くことが難しいからでした。
しかし、デカレンジャー以降はガオレンジャーからアバレンジャーにかけてのやたらとメカをたくさん出す方針は改まって、
メカの総数は減る傾向にありました。
まぁその分、玩具売上は低くなっていたのですが、デカレンジャー以降はちゃんとドラマを描く方針が続いていたのです。
あの合体パターンと換装パターンを組み合わせて10体合体までやってのけたボウケンジャーでも、
メカの総数はガオレンからアバレンの頃よりは少なかったのです。

ゲキレンジャーはアバレンジャー以来久々の換装合体のメカ構成でしたが、このメカを少なめにしている傾向は引き継いでおり、
メカの総数はハリケンジャーやアバレンジャーよりはかなり少なめでした。
だから、メカの描写に尺を取られてメンバーのドラマを描く尺が不足するというほどではない。
メンバーのドラマに関してはデカレンやボウケンで描けていた分ぐらいの尺は確保出来ていたはずです。
つまり3人戦隊にする必要は無く、本来は5人戦隊でいいはずなのです。
だからゲキレンジャーが3人戦隊である理由は、アバレンジャーやハリケンジャーとは違います。

いや、本当はゲキレンジャーという作品は5人戦隊の作品なのです。
ゲキレンジャーという作品としては5人が主役だが、ゲキレンジャーという戦隊は3人戦隊であるとも言えます。
つまり、激獣拳サイドの戦隊のゲキレンジャーの3人と、臨獣拳サイドのメインキャラの2人が、
全く対等の扱いで敵味方に分かれており、正義の戦隊と悪の戦隊をそれぞれ構成して、
その5人が全員メインキャラ扱いなのです。
2つの戦隊が対立する構成というと、ハリケンジャーとゴウライジャーの時に似ていますが、
ゴウライジャーは人気が出たので途中からほぼメインキャラ扱いにはなりましたが、
あくまで本来はサブキャラであり、しかも中盤からはハリケンジャーの仲間になっています。
終盤まで敵のままだったという点では、臨獣拳の2人はむしろアバレキラーに似ていますが、
アバレキラーも基本的にはサブキャラであり、物語の最初から登場してはいませんでした。
それはゴウライジャーも同様です。

それに比べ、臨獣拳の2人は第1話からメインキャラとして登場しており、
しかもゲキレンジャーが赤・青・黄という配色であるのに対して、臨獣拳の2人は黒と緑という、
これもまた完全に戦隊の定番カラーを配されているという点でも、扱いは全くの対等であることが分かります。
ゴウライジャーが臙脂と紺という変則的な配色であったり、
アバレキラーが白という必ずしも戦隊の定番カラーではない色を配されているのに比べると、
臨獣拳の2人の扱いが破格であることは明らかです。

また、ゲキレンジャーの3人は中盤で2人の追加メンバーを加え、
同時に臨獣拳側の2人戦隊も、1人メンバーを追加し、そのまま対立関係を維持したまま終盤まで続いており、
最後も共闘はしますが、決して臨獣拳サイドが新メンバーとしてゲキレンジャーの一員になるわけではありません。
その点、アバレキラーよりも更に独立性は高いといえます。
むしろ、最後はゲキレンジャーの激獣拳も臨獣拳も対等に融合して、1つの獣拳となって再生するような感じで、
この2つの敵対する戦隊が徹頭徹尾、完全に対等の扱いであることが分かります。

完全に対等の別戦隊ということは、
臨獣拳サイドもたった2人でありながら、1つの完結した戦隊でなければならないということになります。
それはつまり、ちゃんとヒーローとヒロインがいるということです。
途中から追加メンバー扱いになることが決定していたゴウライジャーは男2人の編成でよかったのですが、
臨獣拳戦隊は2人とはいえ、追加メンバーではなく、完全に別戦隊なのですから、男1人と女1人の編成になります。
そして、もちろんゲキレンジャーの3人の中にもヒロインはおり、
3人戦隊の場合は必然的にシングルヒロインとなりますから、
2つの戦隊にそれぞれ1人ずつのヒロインがいるということになります。
つまりゲキレンジャーという作品全体として見れば、ダブルヒロイン体制なのですが、
正義と悪のそれぞれの戦隊においてはシングルヒロインという、変則的なスタイルとなります。

01.jpgこのうち、まずゲキレンジャー側のヒロインがゲキイエローに変身する宇崎ランです。
ランは激獣チーター拳の使い手で、モチーフ動物はチーターです。
ゲキレンジャーの場合、動物モチーフ戦隊ですので様々な動物が登場します。
普通はそのように様々な動物が登場する場合は、戦隊メンバーの基本となるモチーフ動物は、
例えばガオレンジャーの場合のライオン、鷲、鮫、牛、虎などのように、種族をバラバラにするものです。
しかし、このゲキレンジャーの場合は、ゲキレンジャーの初期3人は虎、チーター、ジャガーであり、
臨獣拳の初期2人はライオン、カメレオンというように、
カメレオン以外は皆、猫科の猛獣で統一されています。
そして、この4種の猛獣ならば、どうしても虎とライオンがメイン扱いとなり、
チーターやジャガーというのは脇役扱いになります。

このようなモチーフ動物の傾向を見るだけでも、
最初からこの作品が、虎をモチーフ動物としたゲキレッド・漢堂ジャンと、
ライオンをモチーフ動物とした臨獣拳の若き首領・理央とのライバル関係を中心に展開していく方針となっており、
チーターをモチーフ動物とする宇崎ランや、ジャガーをモチーフ動物とする深見レツは
基本的に脇役扱いであることが分かります。
だから、どうしてもランというヒロインは影が薄くなりがちなのです。

まぁとにかく、ランはチーター拳の使い手なので、スピードを活かした戦法を得意とします。
そのため、獣拳を学ぶ以前は陸上選手だったという設定になっています。
つまり、ランは獣拳を代々やってきた拳法家の家系の戦士というわけではなく、
もともと一般人だった女の子が、ふとしたきっかけで割と最近になって獣拳を学ぶようになっただけなのです。
これはジャンもレツも基本的には同じで、追加メンバーのゴウやケンも、理央すらも基本的には同様です。
もともとは一般人だった者が入門して獣拳を学び始めて、師匠について修行していくのです。
「修行」が大きなテーマとなっている作品ですから、そういう設定がしっくりくるのでしょう。

しかし、そうはいっても、ジャンは後に獣拳の拳士の両親を持っていたことが明らかになりますし、
レツとゴウは兄弟で獣拳拳士であり、
理央は数千年に1人の特別な資質の持ち主であったり、
ケンも非凡な才能の持ち主として設定されており、
完全に平均レベルの一般人から獣拳拳士になったのはランだけだといえます。
そういうわけで、ランはゲキレンジャー3人の中では(いや、追加メンバーも含めて)、
設定上、最も才能には乏しいです。
その代わりに、正義感は非常に強い設定になっています。
これは、ゲキレンジャー初期メンバー3人の設定が
かなり法則性をもってキッチリと作られていることからくるものです。

ゲキレンジャーの初期メンバー3人は、今回は武術の戦隊ということで、
武道の基本要素とされる「心・技・体」のそれぞれの要素を体現する存在として設定されています。
3人はそれぞれこの3要素のうちのどれかが強いのです。
ジャンは「体」が強く、丈夫な身体を持っています。
レツは「技」が強く、華麗な技の使い手です。
そしてランは「心」が強く、根性があり正義感が強いのです。

これだけなら全員、長所だけなのですが、
このゲキレンジャーという作品は修行と成長をテーマとしているため、長所だけの存在の戦士は不要です。
戦士たちは短所もある未成熟なキャラでないといけないのです。
だから、ゲキレンジャーの初期メンバー3人も、決定的な短所も持った存在として設定されています。
それは武道の基本要素である「心・技・体」のうちの1つは弱いという設定として表れます。
すなわち、ジャンは「体」は強いが「心」が弱い。
レツは「技」は強いが「体」が弱い。
ランは「心」は強いが「技」が弱いという感じです。
こうして3人は全く個性が違うキャラとなり、3人揃って武道家として一人前という、
未熟で成長の余地を残した戦士なのであり、
例えばジャンの苦手な分野はランの得意分野であったりして、
互いに力を合わせやすい組み合わせになっており、チームワークも発揮しやすくなっています。

そして、この3人の獣拳の師匠というのが拳聖というのですが、これが7人いて、七拳聖といいます。
この7人は昔の臨獣拳との戦いの際に禁断の術を使った影響で、元は人間だったが今は様々な種類の動物の姿をしています。
まず長官的ポジションの全体的リーダーの猫型のマスター・シャーフーがおり、
3人の日頃の修行や指導を行います。
そのシャーフーの下に6人の拳聖がいて、この6人は普段ゲキレンジャーの拠点のスクラッチにはいないのですが、
シャーフーが3人に個別の深い指導が必要と判断した時、1人ずつ、指定した拳聖のもとへ指導を受けに行かせます。
3人のゲキレンジャー初期メンバーの1人につき2人の拳聖が師匠につきます。

まず最初に登場する3人の拳聖は、それぞれの弟子の長所を伸ばす役割の師匠であり、
例えば「体」の強いジャンには「体」を重視する拳聖が登場して指導します。
そして、次に登場する3人の拳聖は、それぞれの弟子の短所を改善指導する役割の師匠であり、
例えば「技」の弱いランには「技」を重視する拳聖が登場して指導します。
このようにして6人の拳聖が次々と登場し、その修行を受けて3人は成長し、
試練をクリアして個々の拳聖の持つ能力を会得するたびに、
その拳聖のモチーフとなっている動物の形をしたゲキビースト(巨大メカに相当)を使いこなせるようになり、
それらが換装パーツとして使用されるようになります。

このようにして見てみると、ゲキレンジャーの初期メンバー3人に関連する世界観というのは、
非常に整理されていて、綺麗にまとまっています。
パズルのピースが隙間なくカッチリと嵌っているような隙の無さといえます。
しかし、これが実は失敗の原因だったのです。
それはどういうことかというと、現実世界の生身の人間を描くということは、
こんな綺麗にまとまり過ぎた公式や数式のような法則性では割り切れないものを描くということであり、
このようなカッチリし過ぎた概念に生身の人間を無理にあてはめようとすれば、歪みが生じるということです。
つまり、ゲキレンジャーの完璧な世界観を優先する余り、
肝心の生身の熱いドラマとの間で齟齬が生じてしまったのです。

例えばランは「心」が強いキャラとして設定されたので、
強い正義感の持ち主で、曲がったことを嫌う真っ直ぐな性格で、真面目で勝気で男勝りな性格に設定されました。
キャスティングもその性格設定に合わせて、あまり女の子らしさが強調されないように、
さっぱりと清潔感があって、背が高く、スポーティーで爽やかな印象の福井未菜が選ばれました。
福井本人は可愛らしく女の子らしいのですが、
あまり女の子らしさを強調すると「心」の強さがぼやけてしまうので、
ランというキャラにおいては、さっぱりした性格が強調され、
あまり女の子っぽくなり過ぎないようにしていたと思います。
これは少しキャラの幅を狭めたと思います。

一方、ランは「技」が弱いキャラという設定でもあったので、
一般人の女の子が獣拳に入門して頑張っているという設定にして、
特別にもともと才能や素養、宿命的なものは無かったという設定になっています。
だから、基本的には天才型ではなく努力家で、
口癖は「根性!」であり、これが結局、「心」の強さに繋がってきます。
キャッチフレーズは「日々是精進、心を磨く、オネストハート」です。

photo011.jpgただ、このランの個性が上手く活かされるようにはなりませんでした。
そもそも、この「心・技・体」の3要素のトライアングルの中でマトモに機能したのはジャンの場合だけでしょう。
ジャンは「体」が強く「心」が弱いので、身体能力は異常に高いが頭の中は幼稚という設定となり、
それを極限まで突き詰めた「虎に育てられた野生児」という難役を鈴木裕樹だからこそ演じることが出来たのですが、
まぁ難役であることを度外視すれば、「体」の強さと「心」の弱さというのは、
まだヒーローとしては表現しやすい要素ではあります。
だからジャンという役の個性は成立したといえます。

しかし、レツの「技」の強さは良いとして、「体」の弱さというのは、
一応設定上はレツは芸術家肌で身体が丈夫でないという設定にはなったものの、
実際は毎回、ヒーロー番組の宿命として、敵怪人と戦って勝利しているわけで、
あまり身体の弱さを表現することは出来ませんでした。
いっそ毎回、戦いの後で血を吐くとかいう極端なキャラにするという方法もあったかもしれませんが、
そこまでいくと、ヒーローとして存在意義が危うくなってしまいます。
同様に、ランの「心」の強さは良いのですが、「技」の弱さというのは、
結局は毎回、敵怪人や戦闘員を相手に常人では考えられないような華麗な技を使ってしまっている以上、
しっかり表現出来ていたとは思えません。

つまり、ランもレツも、せっかく設定した個性が劇中で半分ぐらいしか表現出来ていないのです。
しかも、これは拳聖たちの修行スケジュールと玩具販促スケジュールをリンクさせてしまった影響で、
この短所も中盤には克服されてしまい、
ジャンだけは最後まで野生児キャラを貫いたものの、
ランとレツに関しては、ますます無個性キャラに拍車がかかってしまいました。

短所の部分をもっと極端に見せることが出来れば、ランもレツももっと個性が出たと思うのですが、
それが出来なかったのは、3人戦隊だったからでしょう。
最初から5人いれば、それぞれがかなり極端なキャラであっても補い合える余地があるので、
キャラはかなり崩すことは出来るのですが、
3人ならば、全員ある程度ヒーローとして完成されたキャラでないと